最愛を象る(遠藤)

うさぎが振り返る。瞳をキラキラとさせて、今にも泣き出しそうな顔で。
その瞬間、彼の胸の奥は無性にざわざわと騒ぐ。
欲しかった眼差しだ。
そう感じて昏い悦びに笑みを浮かべる。
しかしうさぎは、彼の纏う雰囲気で衛ではないことをすぐに察して、その目に影を作った。
気に入らない。うさぎも、衛も。
「どうしたの? うさこ。今日も俺に会いにこようとしてくれてたの?」
クラウンゲームセンターがすぐそこの距離にある十番街の喧騒の中、彼の声はうさぎの耳に、まるで近くで囁かれているかのようにぞくりと届いた。
それは心臓を確かに鳴らすが、衛といた時のようなときめきとは違う。
甘い毒に絡め取られるような、ゆっくりと真綿で首を締め付けられるような声。そんな危険から身を守ろうとする『警鐘』だった。
痛みを伴う甘い罠。
それは彼自身の他者をコントロールする能力なのだが、うさぎにだけはギリギリのところで押しとどめられてしまう。

うさぎが戸惑い動けない隙に、彼は距離を詰めて肩に手を置いた。
「そういう訳じゃ、ないです」
「本当に? 俺は会いたかったよ、うさこ」
「やめて下さい」
「どうして? 俺のこと、好きだろう?『うさこ』」
右手でうさぎの両頬を掴み、振り向かせて嗤う。
「やめて!!」
叫ぶうさぎは、通学カバンを両手で振って彼の右手を払った。
思わぬ衝撃に顔を顰める彼だったが、振り払ったうさぎの方が叩かれたような苦痛な表情を向けて肩で息をしている。それが何故だか彼の心を震わせる。おそらく自分の事だけを考えて浮かんだ表情なのだと、悟ったからなのかもしれない。
「……うさこって、呼ばないで」
瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、絞り出すような声で彼を制した。
「呼んで欲しいくせに」
口端をほんの僅かに上げる。そんな笑い方を衛はしない。彼の声、言葉、仕草一つ一つがうさぎの心を音を立てて壊していく。
大好きだとはっきり自覚した直後にいなくなってしまった衛。
姿形がいくら同じでも、衛ではない彼。
確かにうさこと呼んで欲しいと思った事もあった。けれど今はその願いは間違いだったのだと分かる。
目の前で嗤う男は、最愛を象っただけの別の人間だ。
「あなたには、あなたにだけは、呼んで欲しくない!まもちゃん……っまもちゃんに呼んでもらえなきゃ……意味ないのっ」
憎しみと愛情が同じだけその瞳に炎のように宿ったうさぎの言葉は、今まで迷っていた弱さや、少女特有の脆さが消え去っていた。
「気に入らない」
「え?」
「気に入らないな、何もかも」
彼はうさぎの顎を強引に持ち上げ、その唇を奪おうと喰らい付くように口を開けた。
咄嗟の事に避けきれなかったうさぎは、獣の様なキスを許してしまう。
毒を注ぎ込むかの様な舌を絡めたそのキスに、心臓が痛いほどに鳴り響く。
こんなの、嫌だ。こんな奪うだけのキス。
うさぎは勝手にこじ開けてくるその舌を思い切り噛んだ。
パシッ!!
次いで平手で彼の頬を張る。
「だいっきらい!!!」
真っ赤な顔でボロボロ涙を溢したうさぎの言葉は、反撃を食らった彼の耳を通り抜けていく。
走り去るうさぎの後ろ姿もろくに見れずに、彼は唇から一筋流れる血をぐいっと拭った。
舌の痛みよりも、自分に刻まれたうさぎの痕跡にドロドロとした悦びと、執着心が芽生える。

うさぎが欲しい。

数刻前よりもその思いだけが、彼の中で明確に浮かび上がった。
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