一章 終わりの始まり

 1
 
「まもちゃん、私たち別れよう」
「うさ? 今、なんて?」
 突然のうさの言葉に、俺はその意味をすぐには汲み取れずにいた。
 いつものように一ノ橋公園で待ち合わせてパーラークラウンで話していた。本当にいつも通りに。
 学校でのこと、家のこと。とりとめのない会話をしていた。
 それでも改めて振り返ってみたら、うさはいつもと違っていたかもしれない。
 最近、前みたいにずっと喋り通しのことも無くなった。代わりにどこか寂しそうな表情で、ふと遠くを見ることが多くなった。
 その目はうさではないような気がして、俺は不安に襲われて、頬や髪を触ってキスをして。愛しい存在を確かめていた。
 何か一人で抱えて苦しんでいる。
 俺はそう思って何度となく尋ねたが、彼女は決まって
「何でもないよ」と言うものだから、無理には聞き出したくなかった。うさが自分から言ってくれるまで待とう。そう思っていた。けれど、今君が口にしたことがその答えなのか? だとしたら俺は
「別れよう。お願い、まもちゃん」
 なんで?
「今まで楽しかった。幸せだったよ」
 待て
「ありがとう」
 待ってくれ
 自分はなんて臆病なのだろう。
 愛しているただ一人の女性に別れの言葉を言い渡されているというのに、頭の中が真っ白で声も出ない。
「これで貴方は自由だよ。前世や、未来からの束縛から、私という存在から解放されたんだよ」
 その言葉が氷の刃のように心臓を突き刺した。
「バイバイ、衛さん」
 遠ざかる背中。
 嫌だ。
 待ってくれ。
 俺は、俺はずっとうさと
 床に張り付いたように動かなかった足を奮い立てて店を出た彼女を必死に追いかけ肩を掴む。
「別れる理由がそれなら、俺は認めない!」
 うさは俺のことを見ない。見ようとしない。
「嫌いになったのなら、愛情がなくなってしまったのなら、はっきりそう言って欲しい」
 俺の事が嫌いになったのなら死ぬほど嫌だけれど納得する。けれど諦めた訳じゃない。俺がうさを諦めるだなんてそんなこと、一生ない。また振り向いてもらえるような努力をするまでだ。
 しつこくて嫌がられてしまうかもしれない。けれど、それ程俺はうさのことが大事なんだ。どうしようもないくらい好きなんだ。
 だけど違うだろ? 前世とか、戦いとか。
 それが理由なら尚のこと俺はお前を離すつもりなんかない。
 うさは俺の低い声にビクッと体を動かして静かに目を合わせてくる。そこには今にも泣き出しそうな顔があった。
「私と、私と一緒にいたら、いつもあなたを危い目に遭わせてしまう」
 その瞳は怯えと悲しみを映していて、俺が空港で渡した指輪を見つめた。
 ああ君はきっとあの時の事を思い出している。
 あの日、俺が君の目の前で消えて無くなってしまったあの時を。なんて無力だっただろう。あの時の俺は。うさのことを、どんなに傷付けてしまったのだろう。
 どれほどの愛を示す言葉を紡いだって、埋めることのできない喪失感を君に与えてしまった。
 けれど離れてしまったら、身を寄せ合って小さな幸せを守っていく事すらもうできなくなる。
「辛いの。貴方をあんな目に遭わせるのも、あんな思いをするのも」
 堪らなくなった俺はうさをきつく抱き締める。けれど、いつもは回されてくる彼女の腕がまるで意思を失ったかのようにダラリと下がったままだった。
 駄目なのか? もう、だめなのか?
「ごめんなさい」
「うさ……」
 その言葉は力で押し退けるよりも強く、俺の全てを拒んでいるように思えて、どうすることも出来ずに腕の中の彼女を解放する。
 俺自身の声も、消えそうなほど小さく震えていた。
 本当に君は俺から離れていってしまうのか?
「俺という存在から解放されることで、うさも自由になれるのか?」
 掠れた声で無機質に響く俺の問いにうさは何も答えない。
 ぎゅっと全ての細胞を閉じて自分の殻の中に閉じこもってしまっているように見えた。
「俺はうさがいない自由なんて、望んでいないよ。どんなことがあってもうさの側にいたい。誰よりも近くにいてうさを守りたい。本当に、愛しているんだ」
 倒れそうになる体にぐっと力を込めて精一杯の思いを告げ、返事を待った。
 けれどうさは一度も俺の事を見ずに目を閉じて話し出した。
「言い方が悪かったね。私、もう衛さんのこと好きじゃない。愛してないの」
 声は震え、その言葉は浮いていて、すぐに本心ではないことが分かる。
「うさ! どうしてそんな事を言うんだ? 本当なら俺の顔を見て言ってくれ!」
 なりふり構っていられず大声を上げてしまう。辺りの人々がこちらを見ていたが構うものか。
「お願い! 何も聞かないで。お願いだから私から離れて! じゃないとアイツに」
 はっと自分が言ったことに動揺して押し黙る。
「アイツ? どういうことだ。何があった? 頼む、一人で抱え込まないでくれ!」
 俺の言葉も虚しくうさは手を振り払って背を向ける。
「さよなら」
 そう一言告げると、降りだした雨の中を走り去って行った。
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