VY短編【もしも明日があるならば】(+CA,CT)
08.似た者同士(+CA,CT)
どの家にも明かりが点り、夕食の良い香りが街中に漂う中、低いエンジン音を立てながら、一台の大型バイクが人が追い付く速度でカームの街に入って来た。
バイクは行き交う人々を避けながら石畳の道を走り続けると、オレンジ色の光が漏れる酒場の脇にゆっくりと停車した。
バイクから降りた青年は仕事を終えた相棒を一撫ですると、短くツンツンとした髪をそよ風に靡かせながら、彼の馴染みになりつつある酒場の扉を押し開けて、ゴツゴツと靴音を立てながら店内に入って行った。
エッジと比べて人口の少ないこじんまりとしたカームの酒場は、他の街の酒場と比べ活気に溢れている訳ではないが、煩くもなく静か過ぎもしない人気と、種類は少ないが味わい深い酒とつまみが地元住民のお気に入りになっている。
「お、クラウドさん。いらっしゃい!」
ドアベルの心地好い音色が店内に響き渡ったのとほぼ同時に、店のカウンター内からこの店のマスターの声が飛んできた。
その声に、周囲にいた客たちがクラウドに視線を向けたが、直ぐまた各々の世界に戻って行き、クラウドは不覚にも強張った肩の力を抜いて、ほっ、と胸を撫で下ろした。
(……やっと、ここまで来たんだな)
自分が望んでいた世界に近付いたのを肌で感じ、その事実に安堵が胸を満たして行く。
星痕症候群の騒ぎの後、世界の人々が納得出来る形で事態を収束するために、クラウド一行は世界を揺るがせた者と戦った“英雄”と各メディアに公表された。
当時は仕方のない事だったにせよ、その影響でクラウドたちは暫くの間世間の注目の的になってしまっていた。
どこに行っても英雄、英雄と崇められ、その度にクラウドは逃げるようにその場を後にした。
確かに、幼き頃は英雄に憧れていた時期もあった。そして英雄になるべく生まれ故郷を後にして神羅の軍に入隊した実績も持っている。
しかしそれは、臆病で弱い自分を認めてほしい、皆の仲間に入れてほしい、という、子どもならではの思いから来たもので、心の底から願った、本当に欲しかったものではなかった。
安定した、穏やかで平凡な生活が出来ればそれで良い。金のため、復讐のために罪のない無関係な人々の命を奪った自分たちにはそれでも贅沢だ。
そう思っていたクラウドにとって、世界に“英雄”として名を知られ、行く先々で好奇の目に晒されるのは苦痛以外の何物でもなかった。
皆の関心が薄れ、名も知らなかった当時と同じ状態に早くなってほしい、と、願っていたクラウドの思いは、時を経てやっと実現しようとしている。
その事実に、クラウドの口の端は自然に緩んだ。
「彼方の席でお待ちですよ」
『待っていました』と言わんばかりの早さで、クラウドが口を開く前にマスターが一番奥の席へと彼を促した。
積極的に話すことが得意ではないクラウドには有難い事で、店主に軽く頭を下げると、促された席に足を進めた。
「待たせたな」
辿り着いた二人席の片方に腰掛けお冷やを口にしていた、黒髪でやたら綺麗な顔立ちの男にクラウドは一言詫びた。
「いや、私も今し方到着したばかりだ」
クラウドに男……ヴィンセントは微笑し、彼もまた手短に答えた。
二人は星を護る旅の頃から仲間内でも何かと信頼し合える相手だったが、二人だけで酒を飲みながら雑談をするような関係ではなかった。
ヴィンセントに至っては、クラウドのように相手の話しを聞きながら酒を舌鼓する者より、シドのように一人でペチャクチャとしゃべくり豪快に酒を煽る相手の方が気を使わずに済むので、当時からクラウドよりシドと飲む頻度の方が多かった。
だがディープ・グラウンド・ソルジャーやツヴィエートとの激しい戦闘が終結し、色んな要因が重なった結果ヴィンセントに不老不死の力が無くなり、長い年月離れていた人並みの生活に彼が身を置くようになってから、クラウドとの関係は大きく変化した。
ヴィンセントが街での生活に身を置き始めた頃、彼が所用でエッジに赴いた際、街で花を売っているマリンに偶然にも出会い、彼女に腕を引っ張られる形でセブンスヘブンへと向かった。そこでたまたま居合わせたクラウドと、ティファがサービスで提供してくれたつまみを食べながら短い会話をした事が二人が飲み仲間になる始まりだった。
二回目はクラウドが仕事の関係でジュノンに赴き、その日最後の配達を終え小腹を満たすためにノンアルコールの酒とつまみを求めてふらりと立ち寄ったバーで、真剣な面持ちでXYZを飲んでいたヴィンセントに偶然会った時だった。
二人して話しを聞くタイプの人種だったために、初めこそ年に一回しか会わない親戚との挨拶程度の会話しか出来なかったが、回数が増えるに連れて会話も続くようになり、今では年に数回定期的に会い、他の仲間に鉢合わせることの少ないこのカームの酒場で、ゆっくりと飲み交わす相手となったのだった。
「最近はどうだ?」
席に着きメニューを見ながらクラウドは尋ねた。
「問題はない。一度ジュノン内で引っ越したが、部屋も住み心地が良く満足している」
「引っ越したのか?言えば手伝ったのに……」
注文を取りに来たウェイタに数品告げたクラウドは、ヴィンセントが注文したのであろうスティックサラダをつまみながら意外そうに言った。
本人には勿論、彼と良く話すティファやユフィ、シドやリーブからも引っ越したという話を、クラウドは聞いた事がなかった。
「荷物はさほど量があった訳ではなかったのでな。家具もほぼ買い直したので手を借りるまでの作業にはならなかった」
淡々と答えるヴィンセントの話を聞きながら、街で暮らすようになった当初、「屋根があればどこでも良い」と言っていた彼が、条件の良い部屋を選んで引っ越すほど自身の生活を考え、そして人並みの生活に馴染んでいる現実に、クラウドは驚きながらもその変化に人知れず安堵した。
理不尽な運命に翻弄され続け、どこか自分に似ていると思っていた相手の平穏な暮らしに、喜ばずにはいられなかった。
「そうか、なら良かったな」
「ああ……そちらはどうだ?」
注文したビールを飲みながら、今度はヴィンセントが尋ねた。
「こっちも、それと言って問題はないな。デンゼルは『身体を鍛えるんだ!』て毎日トレーニングに励んでいるし、マリンは教会の花を手入れしては街で売り歩いている。ティファも新作メニューの開発に勤しんでるし、日々平和なもんだ」
つまみを口の中に放り込み咀嚼するクラウドの話しを聞きながら、ヴィンセントは顔にこそ出しはしないが、やっと平穏を手に入れた我らがリーダーの幸せに心から喜んだ。
優しいが故に心に傷を負っても、大切な者たちのために立ち上がり突き進むクラウドに、ヴィンセントは尊敬の念を抱きながらもその不安定さをずっと気にかけていた。
挫折続きなうえに一瞬で全てを失い、魔晄とジェノバ細胞の影響に苦しみながら生きてきたクラウドは、端から見ても平穏平和とはほど遠い道を歩んできていた。
セフィロスを討ち星を救う旅が無事終わっても、今度は星痕症候群という病に蝕まれ命の危険に晒されたりと、苦難の連続であった。
だが世界が再び落ち着きを取り戻し始め、それと同時にクラウドたちにもゆとりが生まれ、少しずつではあるが彼が望んでいた生活を送れていることが言葉の節々から伝わり、ヴィンセントもまたクラウドと同じように安堵した。
「しかし、アンタが引っ越したと聞いたら、マリンもデンゼルも遊びに行きたがるな」
無愛想に見えるヴィンセントはその実子どもの面倒見が良く、彼に懐いているマリンとデンゼルは、今回の飲み会にも「一緒に行きたい!!」と、クラウドがセブンスヘブンを発つまで大騒ぎしていた。
きっと引っ越したと聞いたら益々行きたがるだろう。
この先子どもたちのパワフルさに苦労するであろうヴィンセントを思い、クラウドは苦笑を漏らした。
「そうだな……休日であれば泊まり込みで来てもらっても一向に構わない。ユフィも喜ぶだろう」
「え……ユフィも?」
注文した黒ビールが届き、クラウドはジョッキを持って汗をかくそれに口付けると、渇いた喉を潤すように喉仏を動かしながら黒い液体を流し込みつつ、唐突に出て来た人物について考えを巡らせた。
ユフィが仲間の住む場所に度々遊びに行く事は知っていた。それはヴィンセントにも例外ではなく、ウータイの言い伝えに出てくる天狗のように、ビルの上を飛ぶようにして彼の下へも赴いていたのは周知の事実であった。
何だかんだ言いつつ他の仲間以上にユフィに甘くなるヴィンセントの事だ。星を救う旅をしていた頃からユフィの保護者役のように立ち回っていたそれは数年経った今も続いているようで、未だにユフィの行動に相も変わらず手を焼いているのだろう、と、呆れにも似た考えが彼らの光景とともに脳内に浮かんだ。
しかし……
「いくらアンタが面倒見が良くても、三人相手は厳しいだろ?部屋の問題もあるし……」
ユフィの関わり合いはさておき、クラウドは本題をぶつけた。
うるさい……もとい賑やかなユフィに加え子どもが二人も増えては、独り暮らしの部屋には多すぎるのに加え、静かな環境を好むヴィンセントにはかなり負担になるだろう。そう思っていた。
ヴィンセントが不思議そうに首を傾げるまでは。
「………?」
クラウドの言葉の真意を掴みかねているのか、クラウドの目の前にいる男は小首を傾げて青い瞳を不思議そうに見つめていた。
「いや……いくら引っ越したからって、三人が泊まったら一人部屋には狭いし大変だろ…って」
──何だその顔は
ヴィンセントの仕草に『自分は何かおかしなことでも言っているのだろうか』と不安を覚え始めたクラウドも、彼に釣られて小首を傾げ紅い瞳を凝視した。
「……うむ」
「はい……?」
「成る程、そういう事か」
何か思い付いたのか、数秒の沈黙の後、止まっていたヴィンセントが静かに口を開いた。
「クラウド。ユフィが引っ越したことは聞いたか?」
唐突なヴィンセントの問いにクラウドは首を傾げたまま答えた。
「いや……聞いて、ない。ユフィも引っ越したのか?」
「ああ。今は共に暮らしている」
「ああ、そう……はぁ!?」
クラウドの驚きの声に周囲の客の視線が一気に集中し、ヴィンセントも「うるさい」と言いたげに顔をしかめるが、叫んだ本人はそれどころではなかった。
「つ……付き合ってる、のか?」
「他に何がある」
ヴィンセントの涼しい返答に困惑の色が深くなる。
──あのお転婆でハチャメチャなユフィと寡黙で独りを好むヴィンセントが……交際?同棲?
クラウドはにわかには信じ難い事実に驚愕した。
WROで二人はパートナーとして行動を共にしていることは知っていたし、それ以前に戦闘では息の合う二人なのもリーダーであったクラウドは承知していたが、まさか想い合う仲になり一つ屋根の下で暮らすまでに発展していたことなど、想像すらしていなかった。
「いつから……」
「私がジュノンのバーで飲んでいる時に初めて遭遇した時だ」
「あの時か!」
小腹を満たそうと立ち寄ったジュノンのバーで、一人飲んでいるヴィンセントに会った時の光景が蘇る。
そしてヴィンセントが何か決意を固めたような表情をしていたのも思い出したクラウドは、偶然とは言え自分が犯した罪に内心頭を抱えた。
(気合い入れてたのかぁ……)
あの日からユフィと付き合い出したというヴィンセントの話が事実なら、あの時のヴィンセントは告白前の緊張と格闘中だった事になる。
──XYZの意味、知ってる?
花言葉と同じように酒にも意味があるのだと、料理の試作をしながら話していたティファの言葉が反響する。
──『これ以上ない』って意味で、カクテルだと『永遠にあなたのも』なんだって
ロマンチックだよね……と、瞳を輝かせて語った彼女の台詞に、クラウドは益々頭を抱えて小さくなって行った。
彼が決意の証明をするために行動に移そうとしていたのを、悪気はなくても邪魔していたことに思い至ったクラウドは、なんとも居たたまれない思いでいっぱいになった。
「なんか、その……ごめん」
罪の重さと恥ずかしさに顔を向ける事が出来ぬまま詫びれば、生ビールを飲んでいたヴィンセントは口からジョッキを離して小さく笑った。
「いや、クラウドのお陰で肩の力が抜けた。感謝している」
恐る恐る顔を向ければ、穏やかに微笑むヴィンセントの表情がそこにはあった。
(本当に、幸せの中にいるんだな)
旅をしていた頃、否、それ以降も彼が春の陽だまりのような微笑みを浮かべるのを見たことがなかったクラウドは、彼の幸せを感じつつ、もうこの話題から離れようと判断し、クラウドは落ち着くためにビールを数口飲んだ後、話しを逸らすために別の話しを持ち出した。
「そう言えば、この前帰ってきたバレットがゴールドソーサーのチケットを二枚くれたんだ」
数日前、コレルから一時帰宅したバレットが、仕事仲間から譲り受けたゴールドソーサーのチケットを『マリンとデンゼルを連れて行くとなると一枚足りないからな。たまには二人で羽伸ばしてこいよ!!』と、クラウドとティファに譲ったのだった。
「ほう……良かったではないか」
「でもそのチケット、一泊二日の宿泊込みのチケットなんだ」
「マリンとデンゼルがこちらに来ている間に二人で行ってくれば良いだろう」
「それがその有効期限までに行けそうにないんだ。だから、アンタたちが良ければ代りに使ってくれないか?」
バレットの厚意を有り難く受け取ったクラウドとティファだったが、互いに休暇を取れるよう手を尽くしてみたものの、どうしても予定が噛み合わず『またの機会に』と、仕方なく諦めたのだった。
「私は構わないが……本当に良いのか?」
「使わないで無駄になるくらいだったら使ってもらった方が良いだろ?まぁ、無理にとは言わないけど」
クラウドの申し出にヴィンセントは腕を組んで暫し考えた後、柔らかな表情を浮かべながら一つ頷いた。
「では、厚意に甘えることにしよう。……ユフィも喜ぶ」
ありがとう、と、礼を述べる幸せそうなヴィンセントを見ながら『アンタどんだけユフィに惚れ込んでるんだ』と若干呆れながらも、彼のこの変化にはユフィの力が強く関わっていたことをやっと実感し、人知れず心を通わせ関係を発展させてきた二人をクラウドは祝福した。
「しかし、ゴールドソーサーか……。みんなと一緒に旅をしていたとき以来行ってないな」
「ティファや子どもたちと行っていないのか?」
「なかなか時間が取れなくて。アンタはユフィと行ってないのか?」
「任務で行っただけで私的にはない。任務もアトラクションには乗っていないので、言葉通り行っただけだな」
クラウドとティファが日々忙しいように、ヴィンセントとユフィもWROの任務が詰まっておりまとまった休みが取れず、未だに二人でジュノンの外に出掛けたことは一度もなかった。
「そうか……ゴンドラから観る花火はテレビやラジオでも言っていた通り綺麗だったぞ。あれから改装もしているし、当時より綺麗になってるんじゃないか?」
これから新しい思い出を作りに行く二人のために、クラウドは数年前の記憶を頼りに一番印象に残っているものを薦めてみた。
ヴィンセントはまだ新しい人生を歩み始めたばかりであり、ユフィも我が儘に見えるが祖国の未来を担う次期領主という重責を背負っている身で、近い将来確実にウータイに帰らなければならなくなる。
ユフィが帰国する際にヴィンセントがどうするのかは不明だが、二人にとって未来へ進む力になる思い出になれば、と、クラウドは考えたのだった。
「……あの騒動の中乗ったのか」
「ああ、エアリ……ス、と……」
――カラン……
熱に踊る氷の涼しい音がジョッキの中から耳に届く程、二人の周囲だけ音が遮断されたかのように静かになった。
出て来た名前は戻る事なくヴィンセントの聴覚が拾い、懐かしい思い出につい気が緩んだクラウドは石像のようにピクリとも動かない……いや、動けずにいた。
──ねぇ……デート、しない?
懐かしい声が、呼び起こされる記憶とともに、耳に心地良く聴こえて来る。
かつて恋い焦がれ、そして想い合った人との淡い思い出を、回想するだけならまだしも何故口に出してしまったのか……と、後悔してもし切れない。
クラウドにとって、共に暮らし差さえ合っているティファとの生活が今一番大切な事に変わりはない。しかしエアリスと過ごした思い出も彼にとって大切なのもまた事実で、この先も心の奥底で光輝いている事に変わりはない……のだが、それを口にするのは誰も救われない。
「……クラウド」
気まずそうに名を呼ぶ声に我に返れば、案の定、目の前の友人は声と同じように苦い顔をしていた。
「あ、あのその!!約束の報酬で!!あの日あの後急に部屋に来て!!」
「クラウド」
低い声に名を呼ばれ、再び身を固くする。
あの旅から既に片手分の年月は経っている。当時愛していた者から今愛している者へ想いも全て決まったのは事実ではあるが、こうして過去を口にするのは例えセブンスヘブンで待つ恋人の前でなくとも流石に不味かった……と、引き戻せない行為に額から冷たい汗を一筋垂らせば、目の前の男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、予想外の言葉を口にした。
「……聞かなかった事にする」
三十年もの間、一人の女性を愛し、恐ろしい程一途を貫いて来た男の言動に唖然とする。
叱咤されるだろう、と身構えていたクラウドにとって、ヴィンセントの行動は意外なものだった。
「あ、うん……ありがとう」
「いや……」
寡黙……というより歯切れの悪い男に、クラウドの心に段々疑問の念が芽生え始める。
彼の行動に「自分の気持ちを察してくれた」と受け取って感謝していたが、泳ぐ赤い瞳が、同情すら受け取れる表情が、徐々にその考えを崩して行った。
「もしかして……アンタ、もか?」
控え目に、しかし最後までその疑問を口にすれば、渋い顔をしていたヴィンセントはゆっくりと目を閉じると、唇を強く結んで、眉間に深く皺を作ってポツリ、と呟いた。
「……傷付けてしまった」
いつそんな出来事があったのかはわからないが、ヴィンセントの過ちに対しての罪の意識は痛い程感じ取れ、クラウドは「そっか……」とだけ口にした。
「その……ユフィは」
「……受け止めてくれた」
「優しいな」
「ああ……だからこそ、大切にして行きたい」
ヴィンセントの後悔と決意に、クラウドは一つ首を縦に振った。
ユフィはきっと、ヴィンセントが過去に愛した人との思い出を抱えて大切にしている事に対して、否定せず包み込むように肯定したのだろう。
それは今頃セブンスヘブンで営業中のティファも同じで、自身の中にあるエアリスへのかつて抱えていた想いや出来事を否定してはいないのを、クラウドは理解していた。
だからこそ、今隣にいて支えてくれる人を大切にして行きたい。過去に執着して傷付けてしまった分、目の前の愛する人を幸せにしたいのだと、時間はかかったが、クラウド自身もそう胸に刻んでいた。
「……あの」
「わかっている」
『それ以上言うな』とでも言うようにその先を遮るヴィンセントの厚意に甘え、まだ色々言いたい気持ちをぐっと堪えながら、クラウドは一心不乱につまみを食べ始めた。
(土産、買って帰ろう……)
そんな事をすれば勘の良いティファは直ぐに何かあったのか察してしまう。しかし律儀なクラウドはどうしても何か詫びなければ気が済まず、さて何を買って帰ろうか、と考えていれば、今まで静かだったヴィンセントが、喉を鳴らすように徐に笑い始めた。
「なんだ?」
「いや、大分変わった……と、思っただけだ」
何がそんなに変わったのか疑問に思い「オレが?」と聞けば、ヴィンセントは頷いて一言答えた。
「表情が豊かになった」
その言葉に、今度はクラウドが笑わずにはいらず、盛大に吹き出した後に腹を抱えて思いっきり笑った。
「……何がおかしい」
「あ、アンタ、自分で気付いてないんだな」
少し不服そうなヴィンセントに首を振って否定すると、クラウドは手の甲で涙を拭きながら、今日ずっと思っていたことを口にした。
「アンタの方が、よっぽど表情豊かだぞ」
似た者同士がお互いに同じ事を考え感じていた事に、始めこそ目を瞬かせていたヴィンセントだったが、次第にふつふつと笑いが込み上げ、声を抑えて必死に堪え始めた。
互いの幸を喜びあった男二人の飲み会は、酒場の明かりか消えるまで続いた。
どの家にも明かりが点り、夕食の良い香りが街中に漂う中、低いエンジン音を立てながら、一台の大型バイクが人が追い付く速度でカームの街に入って来た。
バイクは行き交う人々を避けながら石畳の道を走り続けると、オレンジ色の光が漏れる酒場の脇にゆっくりと停車した。
バイクから降りた青年は仕事を終えた相棒を一撫ですると、短くツンツンとした髪をそよ風に靡かせながら、彼の馴染みになりつつある酒場の扉を押し開けて、ゴツゴツと靴音を立てながら店内に入って行った。
エッジと比べて人口の少ないこじんまりとしたカームの酒場は、他の街の酒場と比べ活気に溢れている訳ではないが、煩くもなく静か過ぎもしない人気と、種類は少ないが味わい深い酒とつまみが地元住民のお気に入りになっている。
「お、クラウドさん。いらっしゃい!」
ドアベルの心地好い音色が店内に響き渡ったのとほぼ同時に、店のカウンター内からこの店のマスターの声が飛んできた。
その声に、周囲にいた客たちがクラウドに視線を向けたが、直ぐまた各々の世界に戻って行き、クラウドは不覚にも強張った肩の力を抜いて、ほっ、と胸を撫で下ろした。
(……やっと、ここまで来たんだな)
自分が望んでいた世界に近付いたのを肌で感じ、その事実に安堵が胸を満たして行く。
星痕症候群の騒ぎの後、世界の人々が納得出来る形で事態を収束するために、クラウド一行は世界を揺るがせた者と戦った“英雄”と各メディアに公表された。
当時は仕方のない事だったにせよ、その影響でクラウドたちは暫くの間世間の注目の的になってしまっていた。
どこに行っても英雄、英雄と崇められ、その度にクラウドは逃げるようにその場を後にした。
確かに、幼き頃は英雄に憧れていた時期もあった。そして英雄になるべく生まれ故郷を後にして神羅の軍に入隊した実績も持っている。
しかしそれは、臆病で弱い自分を認めてほしい、皆の仲間に入れてほしい、という、子どもならではの思いから来たもので、心の底から願った、本当に欲しかったものではなかった。
安定した、穏やかで平凡な生活が出来ればそれで良い。金のため、復讐のために罪のない無関係な人々の命を奪った自分たちにはそれでも贅沢だ。
そう思っていたクラウドにとって、世界に“英雄”として名を知られ、行く先々で好奇の目に晒されるのは苦痛以外の何物でもなかった。
皆の関心が薄れ、名も知らなかった当時と同じ状態に早くなってほしい、と、願っていたクラウドの思いは、時を経てやっと実現しようとしている。
その事実に、クラウドの口の端は自然に緩んだ。
「彼方の席でお待ちですよ」
『待っていました』と言わんばかりの早さで、クラウドが口を開く前にマスターが一番奥の席へと彼を促した。
積極的に話すことが得意ではないクラウドには有難い事で、店主に軽く頭を下げると、促された席に足を進めた。
「待たせたな」
辿り着いた二人席の片方に腰掛けお冷やを口にしていた、黒髪でやたら綺麗な顔立ちの男にクラウドは一言詫びた。
「いや、私も今し方到着したばかりだ」
クラウドに男……ヴィンセントは微笑し、彼もまた手短に答えた。
二人は星を護る旅の頃から仲間内でも何かと信頼し合える相手だったが、二人だけで酒を飲みながら雑談をするような関係ではなかった。
ヴィンセントに至っては、クラウドのように相手の話しを聞きながら酒を舌鼓する者より、シドのように一人でペチャクチャとしゃべくり豪快に酒を煽る相手の方が気を使わずに済むので、当時からクラウドよりシドと飲む頻度の方が多かった。
だがディープ・グラウンド・ソルジャーやツヴィエートとの激しい戦闘が終結し、色んな要因が重なった結果ヴィンセントに不老不死の力が無くなり、長い年月離れていた人並みの生活に彼が身を置くようになってから、クラウドとの関係は大きく変化した。
ヴィンセントが街での生活に身を置き始めた頃、彼が所用でエッジに赴いた際、街で花を売っているマリンに偶然にも出会い、彼女に腕を引っ張られる形でセブンスヘブンへと向かった。そこでたまたま居合わせたクラウドと、ティファがサービスで提供してくれたつまみを食べながら短い会話をした事が二人が飲み仲間になる始まりだった。
二回目はクラウドが仕事の関係でジュノンに赴き、その日最後の配達を終え小腹を満たすためにノンアルコールの酒とつまみを求めてふらりと立ち寄ったバーで、真剣な面持ちでXYZを飲んでいたヴィンセントに偶然会った時だった。
二人して話しを聞くタイプの人種だったために、初めこそ年に一回しか会わない親戚との挨拶程度の会話しか出来なかったが、回数が増えるに連れて会話も続くようになり、今では年に数回定期的に会い、他の仲間に鉢合わせることの少ないこのカームの酒場で、ゆっくりと飲み交わす相手となったのだった。
「最近はどうだ?」
席に着きメニューを見ながらクラウドは尋ねた。
「問題はない。一度ジュノン内で引っ越したが、部屋も住み心地が良く満足している」
「引っ越したのか?言えば手伝ったのに……」
注文を取りに来たウェイタに数品告げたクラウドは、ヴィンセントが注文したのであろうスティックサラダをつまみながら意外そうに言った。
本人には勿論、彼と良く話すティファやユフィ、シドやリーブからも引っ越したという話を、クラウドは聞いた事がなかった。
「荷物はさほど量があった訳ではなかったのでな。家具もほぼ買い直したので手を借りるまでの作業にはならなかった」
淡々と答えるヴィンセントの話を聞きながら、街で暮らすようになった当初、「屋根があればどこでも良い」と言っていた彼が、条件の良い部屋を選んで引っ越すほど自身の生活を考え、そして人並みの生活に馴染んでいる現実に、クラウドは驚きながらもその変化に人知れず安堵した。
理不尽な運命に翻弄され続け、どこか自分に似ていると思っていた相手の平穏な暮らしに、喜ばずにはいられなかった。
「そうか、なら良かったな」
「ああ……そちらはどうだ?」
注文したビールを飲みながら、今度はヴィンセントが尋ねた。
「こっちも、それと言って問題はないな。デンゼルは『身体を鍛えるんだ!』て毎日トレーニングに励んでいるし、マリンは教会の花を手入れしては街で売り歩いている。ティファも新作メニューの開発に勤しんでるし、日々平和なもんだ」
つまみを口の中に放り込み咀嚼するクラウドの話しを聞きながら、ヴィンセントは顔にこそ出しはしないが、やっと平穏を手に入れた我らがリーダーの幸せに心から喜んだ。
優しいが故に心に傷を負っても、大切な者たちのために立ち上がり突き進むクラウドに、ヴィンセントは尊敬の念を抱きながらもその不安定さをずっと気にかけていた。
挫折続きなうえに一瞬で全てを失い、魔晄とジェノバ細胞の影響に苦しみながら生きてきたクラウドは、端から見ても平穏平和とはほど遠い道を歩んできていた。
セフィロスを討ち星を救う旅が無事終わっても、今度は星痕症候群という病に蝕まれ命の危険に晒されたりと、苦難の連続であった。
だが世界が再び落ち着きを取り戻し始め、それと同時にクラウドたちにもゆとりが生まれ、少しずつではあるが彼が望んでいた生活を送れていることが言葉の節々から伝わり、ヴィンセントもまたクラウドと同じように安堵した。
「しかし、アンタが引っ越したと聞いたら、マリンもデンゼルも遊びに行きたがるな」
無愛想に見えるヴィンセントはその実子どもの面倒見が良く、彼に懐いているマリンとデンゼルは、今回の飲み会にも「一緒に行きたい!!」と、クラウドがセブンスヘブンを発つまで大騒ぎしていた。
きっと引っ越したと聞いたら益々行きたがるだろう。
この先子どもたちのパワフルさに苦労するであろうヴィンセントを思い、クラウドは苦笑を漏らした。
「そうだな……休日であれば泊まり込みで来てもらっても一向に構わない。ユフィも喜ぶだろう」
「え……ユフィも?」
注文した黒ビールが届き、クラウドはジョッキを持って汗をかくそれに口付けると、渇いた喉を潤すように喉仏を動かしながら黒い液体を流し込みつつ、唐突に出て来た人物について考えを巡らせた。
ユフィが仲間の住む場所に度々遊びに行く事は知っていた。それはヴィンセントにも例外ではなく、ウータイの言い伝えに出てくる天狗のように、ビルの上を飛ぶようにして彼の下へも赴いていたのは周知の事実であった。
何だかんだ言いつつ他の仲間以上にユフィに甘くなるヴィンセントの事だ。星を救う旅をしていた頃からユフィの保護者役のように立ち回っていたそれは数年経った今も続いているようで、未だにユフィの行動に相も変わらず手を焼いているのだろう、と、呆れにも似た考えが彼らの光景とともに脳内に浮かんだ。
しかし……
「いくらアンタが面倒見が良くても、三人相手は厳しいだろ?部屋の問題もあるし……」
ユフィの関わり合いはさておき、クラウドは本題をぶつけた。
うるさい……もとい賑やかなユフィに加え子どもが二人も増えては、独り暮らしの部屋には多すぎるのに加え、静かな環境を好むヴィンセントにはかなり負担になるだろう。そう思っていた。
ヴィンセントが不思議そうに首を傾げるまでは。
「………?」
クラウドの言葉の真意を掴みかねているのか、クラウドの目の前にいる男は小首を傾げて青い瞳を不思議そうに見つめていた。
「いや……いくら引っ越したからって、三人が泊まったら一人部屋には狭いし大変だろ…って」
──何だその顔は
ヴィンセントの仕草に『自分は何かおかしなことでも言っているのだろうか』と不安を覚え始めたクラウドも、彼に釣られて小首を傾げ紅い瞳を凝視した。
「……うむ」
「はい……?」
「成る程、そういう事か」
何か思い付いたのか、数秒の沈黙の後、止まっていたヴィンセントが静かに口を開いた。
「クラウド。ユフィが引っ越したことは聞いたか?」
唐突なヴィンセントの問いにクラウドは首を傾げたまま答えた。
「いや……聞いて、ない。ユフィも引っ越したのか?」
「ああ。今は共に暮らしている」
「ああ、そう……はぁ!?」
クラウドの驚きの声に周囲の客の視線が一気に集中し、ヴィンセントも「うるさい」と言いたげに顔をしかめるが、叫んだ本人はそれどころではなかった。
「つ……付き合ってる、のか?」
「他に何がある」
ヴィンセントの涼しい返答に困惑の色が深くなる。
──あのお転婆でハチャメチャなユフィと寡黙で独りを好むヴィンセントが……交際?同棲?
クラウドはにわかには信じ難い事実に驚愕した。
WROで二人はパートナーとして行動を共にしていることは知っていたし、それ以前に戦闘では息の合う二人なのもリーダーであったクラウドは承知していたが、まさか想い合う仲になり一つ屋根の下で暮らすまでに発展していたことなど、想像すらしていなかった。
「いつから……」
「私がジュノンのバーで飲んでいる時に初めて遭遇した時だ」
「あの時か!」
小腹を満たそうと立ち寄ったジュノンのバーで、一人飲んでいるヴィンセントに会った時の光景が蘇る。
そしてヴィンセントが何か決意を固めたような表情をしていたのも思い出したクラウドは、偶然とは言え自分が犯した罪に内心頭を抱えた。
(気合い入れてたのかぁ……)
あの日からユフィと付き合い出したというヴィンセントの話が事実なら、あの時のヴィンセントは告白前の緊張と格闘中だった事になる。
──XYZの意味、知ってる?
花言葉と同じように酒にも意味があるのだと、料理の試作をしながら話していたティファの言葉が反響する。
──『これ以上ない』って意味で、カクテルだと『永遠にあなたのも』なんだって
ロマンチックだよね……と、瞳を輝かせて語った彼女の台詞に、クラウドは益々頭を抱えて小さくなって行った。
彼が決意の証明をするために行動に移そうとしていたのを、悪気はなくても邪魔していたことに思い至ったクラウドは、なんとも居たたまれない思いでいっぱいになった。
「なんか、その……ごめん」
罪の重さと恥ずかしさに顔を向ける事が出来ぬまま詫びれば、生ビールを飲んでいたヴィンセントは口からジョッキを離して小さく笑った。
「いや、クラウドのお陰で肩の力が抜けた。感謝している」
恐る恐る顔を向ければ、穏やかに微笑むヴィンセントの表情がそこにはあった。
(本当に、幸せの中にいるんだな)
旅をしていた頃、否、それ以降も彼が春の陽だまりのような微笑みを浮かべるのを見たことがなかったクラウドは、彼の幸せを感じつつ、もうこの話題から離れようと判断し、クラウドは落ち着くためにビールを数口飲んだ後、話しを逸らすために別の話しを持ち出した。
「そう言えば、この前帰ってきたバレットがゴールドソーサーのチケットを二枚くれたんだ」
数日前、コレルから一時帰宅したバレットが、仕事仲間から譲り受けたゴールドソーサーのチケットを『マリンとデンゼルを連れて行くとなると一枚足りないからな。たまには二人で羽伸ばしてこいよ!!』と、クラウドとティファに譲ったのだった。
「ほう……良かったではないか」
「でもそのチケット、一泊二日の宿泊込みのチケットなんだ」
「マリンとデンゼルがこちらに来ている間に二人で行ってくれば良いだろう」
「それがその有効期限までに行けそうにないんだ。だから、アンタたちが良ければ代りに使ってくれないか?」
バレットの厚意を有り難く受け取ったクラウドとティファだったが、互いに休暇を取れるよう手を尽くしてみたものの、どうしても予定が噛み合わず『またの機会に』と、仕方なく諦めたのだった。
「私は構わないが……本当に良いのか?」
「使わないで無駄になるくらいだったら使ってもらった方が良いだろ?まぁ、無理にとは言わないけど」
クラウドの申し出にヴィンセントは腕を組んで暫し考えた後、柔らかな表情を浮かべながら一つ頷いた。
「では、厚意に甘えることにしよう。……ユフィも喜ぶ」
ありがとう、と、礼を述べる幸せそうなヴィンセントを見ながら『アンタどんだけユフィに惚れ込んでるんだ』と若干呆れながらも、彼のこの変化にはユフィの力が強く関わっていたことをやっと実感し、人知れず心を通わせ関係を発展させてきた二人をクラウドは祝福した。
「しかし、ゴールドソーサーか……。みんなと一緒に旅をしていたとき以来行ってないな」
「ティファや子どもたちと行っていないのか?」
「なかなか時間が取れなくて。アンタはユフィと行ってないのか?」
「任務で行っただけで私的にはない。任務もアトラクションには乗っていないので、言葉通り行っただけだな」
クラウドとティファが日々忙しいように、ヴィンセントとユフィもWROの任務が詰まっておりまとまった休みが取れず、未だに二人でジュノンの外に出掛けたことは一度もなかった。
「そうか……ゴンドラから観る花火はテレビやラジオでも言っていた通り綺麗だったぞ。あれから改装もしているし、当時より綺麗になってるんじゃないか?」
これから新しい思い出を作りに行く二人のために、クラウドは数年前の記憶を頼りに一番印象に残っているものを薦めてみた。
ヴィンセントはまだ新しい人生を歩み始めたばかりであり、ユフィも我が儘に見えるが祖国の未来を担う次期領主という重責を背負っている身で、近い将来確実にウータイに帰らなければならなくなる。
ユフィが帰国する際にヴィンセントがどうするのかは不明だが、二人にとって未来へ進む力になる思い出になれば、と、クラウドは考えたのだった。
「……あの騒動の中乗ったのか」
「ああ、エアリ……ス、と……」
――カラン……
熱に踊る氷の涼しい音がジョッキの中から耳に届く程、二人の周囲だけ音が遮断されたかのように静かになった。
出て来た名前は戻る事なくヴィンセントの聴覚が拾い、懐かしい思い出につい気が緩んだクラウドは石像のようにピクリとも動かない……いや、動けずにいた。
──ねぇ……デート、しない?
懐かしい声が、呼び起こされる記憶とともに、耳に心地良く聴こえて来る。
かつて恋い焦がれ、そして想い合った人との淡い思い出を、回想するだけならまだしも何故口に出してしまったのか……と、後悔してもし切れない。
クラウドにとって、共に暮らし差さえ合っているティファとの生活が今一番大切な事に変わりはない。しかしエアリスと過ごした思い出も彼にとって大切なのもまた事実で、この先も心の奥底で光輝いている事に変わりはない……のだが、それを口にするのは誰も救われない。
「……クラウド」
気まずそうに名を呼ぶ声に我に返れば、案の定、目の前の友人は声と同じように苦い顔をしていた。
「あ、あのその!!約束の報酬で!!あの日あの後急に部屋に来て!!」
「クラウド」
低い声に名を呼ばれ、再び身を固くする。
あの旅から既に片手分の年月は経っている。当時愛していた者から今愛している者へ想いも全て決まったのは事実ではあるが、こうして過去を口にするのは例えセブンスヘブンで待つ恋人の前でなくとも流石に不味かった……と、引き戻せない行為に額から冷たい汗を一筋垂らせば、目の前の男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、予想外の言葉を口にした。
「……聞かなかった事にする」
三十年もの間、一人の女性を愛し、恐ろしい程一途を貫いて来た男の言動に唖然とする。
叱咤されるだろう、と身構えていたクラウドにとって、ヴィンセントの行動は意外なものだった。
「あ、うん……ありがとう」
「いや……」
寡黙……というより歯切れの悪い男に、クラウドの心に段々疑問の念が芽生え始める。
彼の行動に「自分の気持ちを察してくれた」と受け取って感謝していたが、泳ぐ赤い瞳が、同情すら受け取れる表情が、徐々にその考えを崩して行った。
「もしかして……アンタ、もか?」
控え目に、しかし最後までその疑問を口にすれば、渋い顔をしていたヴィンセントはゆっくりと目を閉じると、唇を強く結んで、眉間に深く皺を作ってポツリ、と呟いた。
「……傷付けてしまった」
いつそんな出来事があったのかはわからないが、ヴィンセントの過ちに対しての罪の意識は痛い程感じ取れ、クラウドは「そっか……」とだけ口にした。
「その……ユフィは」
「……受け止めてくれた」
「優しいな」
「ああ……だからこそ、大切にして行きたい」
ヴィンセントの後悔と決意に、クラウドは一つ首を縦に振った。
ユフィはきっと、ヴィンセントが過去に愛した人との思い出を抱えて大切にしている事に対して、否定せず包み込むように肯定したのだろう。
それは今頃セブンスヘブンで営業中のティファも同じで、自身の中にあるエアリスへのかつて抱えていた想いや出来事を否定してはいないのを、クラウドは理解していた。
だからこそ、今隣にいて支えてくれる人を大切にして行きたい。過去に執着して傷付けてしまった分、目の前の愛する人を幸せにしたいのだと、時間はかかったが、クラウド自身もそう胸に刻んでいた。
「……あの」
「わかっている」
『それ以上言うな』とでも言うようにその先を遮るヴィンセントの厚意に甘え、まだ色々言いたい気持ちをぐっと堪えながら、クラウドは一心不乱につまみを食べ始めた。
(土産、買って帰ろう……)
そんな事をすれば勘の良いティファは直ぐに何かあったのか察してしまう。しかし律儀なクラウドはどうしても何か詫びなければ気が済まず、さて何を買って帰ろうか、と考えていれば、今まで静かだったヴィンセントが、喉を鳴らすように徐に笑い始めた。
「なんだ?」
「いや、大分変わった……と、思っただけだ」
何がそんなに変わったのか疑問に思い「オレが?」と聞けば、ヴィンセントは頷いて一言答えた。
「表情が豊かになった」
その言葉に、今度はクラウドが笑わずにはいらず、盛大に吹き出した後に腹を抱えて思いっきり笑った。
「……何がおかしい」
「あ、アンタ、自分で気付いてないんだな」
少し不服そうなヴィンセントに首を振って否定すると、クラウドは手の甲で涙を拭きながら、今日ずっと思っていたことを口にした。
「アンタの方が、よっぽど表情豊かだぞ」
似た者同士がお互いに同じ事を考え感じていた事に、始めこそ目を瞬かせていたヴィンセントだったが、次第にふつふつと笑いが込み上げ、声を抑えて必死に堪え始めた。
互いの幸を喜びあった男二人の飲み会は、酒場の明かりか消えるまで続いた。