VY短編【もしも明日があるならば】(+CA,CT)

04.絡まるモノ


「ウギャァァァァ~ッ!!」

 少し湿った空気が充満する密林の中、ヴィンセントの少し前を歩いていたユフィが、まるで尻尾を踏まれた猫のような、年頃の女性にしては色気のない悲鳴を上げた。
(……またか)
 一体いつまで同じことを繰り返すのだろうか……
 苦手なくせに意地を張っているユフィに、ヴィンセントも本日何度目かの溜め息を吐いた。
「……どうした」
 尋ねずとも叫んだ理由など分かり切っていたが、ヴィンセントはユフィに近付き半ば固定台詞のように声をかけて様子を伺うと、振り返ったユフィは黒く大きな瞳に溢れ落ちそうなほど涙を溜めており、眉間に皺を寄せてヴィンセントを見上げると、声を震わせて威勢良く言い放った。

「くっ……クモの巣に引っ掛かったんだよっ!!」

 涙ぐみながら、短い黒髪にへばり付いた巣を取ろうと必死になるユフィを見つめ、ヴィンセントは眉間を人差し指で押さえると、首を左右に振って呆れた溜め息を吐いた。


 幾つもの戦いを共に乗り越えた仲間であり、メテオ騒動の後発足した世界再生機構、通称WROをまとめるリーブからの依頼を受けたヴィンセントと、ディープ・グラウンド・ソルジャーやツヴィエートとの大戦の後、当時“協力”という形でWROに手を貸していたが、その後も変わらず籍を置いている、同じ仲間であり旅をしていた頃からのヴィンセントの相棒であるユフィは、春の暖かさも少し過ぎた、木々の葉が覆い茂るジュノンエリアの森に赴いていた。
『この数年、ジュノンエリアの森の生態系に急激な変化が見られています』
 任務へ出発する前、局長室のデスクに軽く肘を付き、手の平を合わせてその指先を微かに唇に当てながら、リーブは渡された資料を斜め読みしているヴィンセントとユフィに任務内容をそう切り出した。
「……ライフストリームの影響か」
 三度目の世界を揺るがす騒動の後、不自然に形成されたオメガの影響か、ライフストリームの流れは星痕症候群の蔓延の時より乱れることが増え、地震や津波だけでなく、森や海の自然界の秩序にも及んでいた。
「『キャッパワイヤが減少しフォーミュラが増殖も、徐々に生息地をジュノンエリアから各地域へと移動している』か。アタシ的にはキャッパワイヤもフォーミュラも減ってくれた方が良いんだけどなぁ~。アイツら集団で来るからメンドーなんだよねぇ」
「ふふ、そうですね。それで、その現象がライフストリームの乱れの影響を受けて生体に変化が表れた故のものなのか、他のモンスターによる過激な食物連鎖や縄張り争いが原因なのか、それを調べて来てほしいのです」
 ブツブツと個人的な意見を口にするユフィに苦笑しながら、リーブは彼女にも理解出来るように簡潔に説明を終わらせた。
「……後者を予測しての人選、か」
「はい。あなた方二人なら、例えキングベヒーモスが襲撃して来ても切り抜けられるので」
 期待していますよ、と、二人をにこやかに送り出したリーブにヴィンセントは何か感じずにはいられなかったが、引き受けた以上仕事は完遂させるつもりで任務に就いていた……のだが、彼が考えていた以上に事を進めることが出来ずにいた。

──クラウドたちに会うまでは、ここらの森を拠点にしてたから、ちょーっとだけ!詳しいんだよねぇ~

──だからアンタは、このユフィちゃんの後に着いて来ればそれでヨシ!

 森の入り口に着き、目的地である最深部へ向かうルートの確認をしていざ任務開始、というところで、自信満々にそう言い放ったユフィに、ヴィンセントは嫌な予感を感じずにはいられなかった。
 そして案の定その不安は的中してしまい、あの時ユフィの進言を退けて、無理にでも自分の後ろを歩かせればよかった……と、半日歩いた筈が未だに奥地に到達していない状況に、彼は後悔してもし切れずにいた。
 青々と茂る木々の葉をせっせと食べる虫。食事を獲るべく罠を仕掛ける虫。周囲の景色に同化して、食事が近付くのを待っている虫。

どこを見ても虫、虫、虫……

 孵化や繁殖期で盛んに活動するユフィの大っ嫌いな虫が、森の奥に進むにつれその数を増し、一歩、また一歩と進む度に彼女の叫ぶ回数も増えて行った。
 モンスター相手には果敢に立ち向かうくせに、虫相手には悲鳴を上げて怯えるのは一体何故なのか……
 ユフィの痛々しい姿に始めこそ心苦しい思いをしていたヴィンセントが、次第に呆れた溜め息を吐くようになった頃、「私が先に立つ」とヴィンセントはユフィの背に向かって数回に渡り申し出たが、『アタシの後に着いて来ればヨシッ!』と言った手前、後に引けなくなってしまったユフィは頑なに先にを譲ろうとしなかった。
(意地を張る必要もないのだが……)
 今更意地を張るような間柄でもないのだが、と思いつつ、パートナーとして行動を共にしてきた経験から、こうなってしまえばユフィが根を上げるまで待つしかない、と判断したヴィンセントは、恐る恐る先を進むユフィの後に付いて行ったのだった。
 そして今現在。ユフィはいよいよ限界を迎えようとしていた。
 巣の主には幸いにも接触せずに済んだようだったが、代わりに住居である巣に頭を思い切り突っ込んでしまったようで、ユフィの短く黒い髪にはベッタリと巣が貼り付いてしまっていた。それに加え、無闇やたらに手で巣を取ろうとするため、状況は悪化し所々巣が髪に絡まっている。
「サイアク~ッ!!ベタベタして全然取れないどころか手にまでくっつくし!」
「……そんな事をしていても取れるわけがないだろう」
 情けない顔をしながら喚くユフィを尻目に、ヴィンセントは革手袋を外すと、側に落ちていた小枝を拾い手に取った。
「ユフィ……ここへ」
 取ってやる、と言う前に、すっ……と、頭を差し出してきたユフィの行動に、彼女に気付かれないようにマントの下で苦笑した。
「この素直さを先程出していれば良かったのだが」と内心呟きつつ、ヴィンセントは蜘蛛の巣を取る作業に着手した。
「そんな枝でホントーに取れるわけ?」
「がむしゃらになって手で取るよりは、枝などに巻き付けた方が除去出来るのは確かだ」
「ケーケンジョー?」
「経験上」
「さっすがヴィンセント」
「……お宝集めにしか目が向かなかった者とは違う」
「うううううるさいなっ!!」
 アタシだって色々知ってるっつーの!と、キャンキャンと喚くユフィに構わず、ヴィンセントはユフィの髪に絡まっていた蜘蛛の巣を持っていた小枝の先に引っかけると、枝をクルクルと回しながら徐々に糸を絡み取って行った。
「まだ~?」
「まだだ」
(表面は大体取れたな……)
 ユフィの「早く終わらせて」という訴えを軽く流しながら、見える範囲に糸が取り残されていないのを確認すると、ヴィンセントは指先でユフィの髪を引っかけて持ち上げると、今度は内側に絡まっていないかを確認し始めた。
(どうやら取り切れたようだな……)
 ヴィンセントは満足気に「もう良いぞ」と、巣を取った事を告げそうになったが、ふと気が付いた物に、ヴィンセントは少しずつのめり込んで行った。
 触れていた漆黒の髪に痛みはなく且つ滑らかで、手櫛で髪をとかすように指を通せば、途中で止まることなくスルスルと通っていく。
(……見事だな)
 ユフィの髪に素手で触れていたヴィンセントは、己の黒髪とは少し違う黒髪に、考えるよりも先に胸中で称賛の言葉を贈った。
 普段外で活発に動き回り日に照らされているのだから、少しくらい傷んでいてもおかしくないのだが……と、考えたヴィンセントだが、パサパサとして水分が不足してもいなければ、枝毛の一本もない短い髪を、美しい、と、心から思った。

──アンタの髪って、サラサラしててメッチャ綺麗だね。

 蜘蛛の巣は取り切れていたものの、星を救う旅をしていた時のように再び共に行動するようになり暫く経った今、初めてその髪の価値を知ったヴィンセントは、その肌触りを人知れず楽しんでいたが、ふと、いつか聞いたユフィの台詞が脳裏に浮かんだ。

──……誉められる程のものではない

 ユフィの台詞に、自分は確かそう答えた、と、ヴィンセントの中で徐々に当時の光景が蘇って行った。

  *  *  *

 星を救う旅をしていた最中、宿の部屋で店の主から借りた本を読んでいた彼の下に、「ヴィンセント!ちょっと髪貸して!」と、手にブラシを持ちながら不穏な言葉を発してやって来たユフィを思い出す。
 部屋に飛び込んで来たユフィを訝しげに見ていたヴィンセントが、彼女の願いに可否をするよりも前に早く、ユフィは椅子に座る彼の後ろに回り込むと、唖然とする彼の額に巻いていた赤いバンダナを解いて近くのデスクに置き、持っていたブラシでヴィンセントの長髪を毛先から徐々に解かしていった。
『……急にどうした』
 唐突に髪を解かし始めたのに加え、ユフィという少女の印象からは想像し難い行為をしている理由を問えば、ユフィはブラシを動かしながら「それがさぁ~」と説明し始めた。
『街に出かける前にさ、たまたま廊下でエアリスと遭遇したワケ。そしたら「出かける前に髪、整えてあげるからおいで、ね?」とか言い出してさ。アタシは別にいい、って言ったんだけど……』
『……断り切れなかったのだろう?』
 ヴィンセントが促せば、後ろに立っているユフィは「だってさぁ~」と、何処か照れ混じりに話しを続けた。
『あんな柔らかい笑顔で言われたらさ、その……断れないじゃん?』
 ユフィの訴えに、ヴィンセントは一つ頷いて肯定の意を伝えた。
 エアリスは人から否定や拒否といった選択を取らせぬ力を持っている。
 それは決して高圧的な態度などではなく、優しく包み込むような、虚勢やしがらみすら受け入れる、彼女の生まれ持った力がそうさせるのだろうと、ヴィンセントはエアリスの花のように笑う笑顔を浮かべながらそう考察した。
しかし……

『それと今行っているものに何の関係があるのだ……?』

 出かける前にエアリスに捕まり髪を整えてもらった、までは理解した。だがそれと人の髪を弄る行為の繋がりがわからず首を傾げれば、ユフィはヴィンセントの頭を両手で持って首を戻すと、「だからさぁ~」と、今度は困ったように話を再開した。
『エアリス、アタシの髪解かしながら「ユフィの髪、とっても綺麗、だね」って言ったと思ったらさ、「髪、伸ばしたりする気、ないの?」って言うから「アタシは短いままだなぁ。エアリスやティファみたいに上手く髪まとめられないし」て答えたワケ。そしたら「じゃあ、ユフィがもし髪伸ばしたら、これ、使ってほしいな」ってさ……エアリスのスペアのリボン、貰ってさ。でもアタシ、子どもの時から髪、短いからさ……』
 どんどん声が小さくなるユフィに、「ああ、そういうことか」と、ヴィンセントは大方の予想を立てて納得した。
『……私の髪で纏める練習をしよう、ということか』
 エアリスの笑顔だけでなく、きっとユフィ自身嬉しく感じたからリボンを受け取ったのだろう。しかし、幼い頃から髪が短かったと言うユフィは、受け取ってから“自分には髪を飾る技術が無い”という事に気が付き、慌てて練習する事にした……という、ヴィンセントの推測は見事的中したようで、ユフィは「そうそう!」と先ほどまでの大人しかった態度から一変、いつもの騒がしい少女の物言いに戻り、嬉々としてその成り行きを説明し始めた。
『アンタ髪長いし、暇そうだったからちょーどいいかな~、と思ってさ!』
『……読書をしていたのだが』
『読みながらでも出来るじゃん』
『長髪を求めるならティファもいるだろう』
『ティファ今夕飯作ってるし』
『……だが』
『なんだよ~。そんなにユフィちゃんがスキルアップするのがイヤなワケ?』
『そうではないが……』
『じゃあいーじゃん!ということでヨロシク~。ほら本読んでてっ』
 無意識に「将来髪を伸ばす」と宣言しているのに気が付いていないユフィに、何とも言えない呆れと苦笑混じりの溜め息を吐いたヴィンセントは、彼女の言った通り大人しく読書をしながら髪を弄らせることにした。
 鼻歌を歌うユフィの手の動きと、髪を解くブラシの心地良さに油断して、次第に意識が奪われそうになる。
 段々連なった文字を追うのも忘れそうになったその時、ユフィの感心するような声が降ってきた。
『アンタの髪って、サラサラしててメッチャ綺麗だね』
 手櫛で解かしたり、一束持ち上げて、少しずつ離してパラパラと落ちて行く髪を堪能しながらユフィが言った。
『……誉められる程のものではない』
 ヴィンセントは自身の普段の行動を思い出しながら答えた。
 実際していることと言えば、シャワーを浴びて髪を洗い、コンディショナーを塗っては良く流し落として、髪が今以上に伸びれば多少切る、といった、誰しもが行う最低限度の手入れしかしていなかったが、それでもユフィは「イヤイヤイヤ」と言って、ヴィンセントの返しを否定した。
『メチャクチャ綺麗だっつーの。傷みもないし、アタシの髪なんかより、何倍もイイ髪してるから!』
『そうか?』
『そうだよ。アタシが今触って比べてるんだから、ゼッタイそーだって!』
『それは私より髪の手入れを怠っているからではないのか?』
『うっさいな!!ちゃんとトリートメントもしてるっつーの!はぁ……でも、羨ましいなぁ~。エアリスもティファも綺麗だけど、ヴィンセントも綺麗だったなんて……』
『そんなにか?』
『そーだよそんなにだよ!こーんなずっと触ってたい髪なんて、早々ないっつーの』
 そして再び「羨ましいなぁ」と言いながら髪を解き始めたユフィに、ヴィンセントは小説の文字すら頭に入って来ないほどの衝撃を受けた。
(気付いていないのか……)
 いくら髪の事だと言えど、あんなにはっきり「触れていたい」と言われれば、言われた方は平常心ではいられない。
(まったく……恐ろしい)
 無意識に人を混乱させるユフィの天然な力と、それに不覚にも引っ掛かってしまっ自分自身に対して、ヴィンセントは後ろにいるユフィに気付かれないよう小さく笑った。

  *  *  *

 その後可愛い三つ編み姿にされ、鏡を見ながら眉間に皺を寄せたヴィンセントを、やった張本人でありながら指をさして爆笑しているユフィと、用があって来訪してきたクラウドの同情の眼差しに対し寄せた皺が濃くなったことはさておき、ヴィンセントは互いに互いの髪を同じように想ったことに擽ったさを感じながら、同時に不思議と嬉しさを覚えた。
 沸いた感情に、そしてその相手に対して戸惑いは確かにあるが、「それでも良い」と、不思議と受け入れてしまう状況に、諦めにも似た小さな笑みを浮かべた。
「あ……あのさぁ、ヴィンセント」
 物思いに耽っていれば、遠慮がちに掛けられたユフィの声に我に返り、ヴィンセントは「何だ、ユフィ」と、項垂れる彼女に短く答えた。
「えっと、その……まだ、終わらない?」
 そう尋ねられて、そう言えば蜘蛛の巣を取っている最中だった、と、ヴィンセントはすっかり忘れていた本来の目的を思い出した。
「ああ……おわ、た……」
 ざっと確認して終了したことを告げようとしたが、髪の隙間から覗いているユフィの小さな耳が真っ赤に染まっているのに目が留まった。
(……)
 耳まで赤くなるほど何故そこまで恥ずかしがっているのか……と、ヴィンセントは不思議に思ったが、以前散々人の髪を弄くられた報復と、初めて見せるその可愛らしい仕草に、ほんの少し、意地悪をしてやりたくなった。
 開きかけた口を閉ざし、ヴィンセントはユフィの髪をゆっくりと撫で始める。
「ヴィ、ヴィンセント?」
 再開された手の動きに動揺するユフィに、ヴィンセントは顔が見えないのを良いことに、あの時と同じように小さく笑った。
 半日が過ぎた今、どうせ今日中に任務を完遂させることは不可能だ。
 いつもユフィに振り回されている分、今回は自分が振り回しても構わないだろう……と、そう思うようになった自分自身に、ヴィンセントは可笑しくなった。

「……まだ」
「へ?」
「まだ、終わりではない」

 まだ、と言われたユフィは、「早くしてよぉ」と言いながら、肩を竦め更に俯いた。
 そんなユフィに優越感を覚えながら、ヴィンセントは美しいと賞した黒髪を、己の指にクルクルと絡めた。
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