VY短編【もしも明日があるならば】(+CA,CT)
01.伝えたい想い
旅の途中、ウータイから次の目的地である“武器職人の小屋”に向かう前に立ち寄った町で、ユフィは唇をへの字にしながら、宿屋の屋根の上で一人悶々と考えていた。
「まったく……なんなんだよ、アイツ」
思い出しては頭の中に出て来るその相手に悪態を吐くが、胸中には不愉快な感情は何処にもなく、その代わりに腹の底がムズムズするような、何故か落ち着かない気持ちで溢れていた。
「……気付いてたとかさっ。ならさっさと言えっつーの!」
まったくも~!と言いながら、ずっと思考を独占している相手とは正反対の色をした、青く清々しい空を、ごろん、と、仰向けになって眺めた。
他の仲間とは全く違う、ジメジメとした雰囲気を漂わす仲間の言葉をまたしても思い出して、ユフィは名前のわからない感情を宥めるように、塗り替えたばかりなのだろう宿屋の鮮やかな赤い屋根に、ダンッ!と一つ、踵落としをかました。
* * *
故郷であるウータイに着いたと同時に、隙を突いてクラウド一行のマテリアを強奪したユフィだったが、不覚にもタークスの紅一点であるイリーナと共に、町に潜伏していた小悪党・コルネオに捕まり、不運にも腹の出っ張った男の花嫁に選ばれそうになったものの、彼女に裏切られたはずの仲間と、イリーナの上司二人に助けられ、なんとか人生最大の危機を回避することが出来た。
『悪かったてばぁ~っ!』
そう言って盗んだマテリアを皆に返し、また何食わぬ顔でクラウドたちの後に着いて来たユフィだったが、大陸へ向かうタイニーブロンコに乗りながら、この一行についてぼんやりと考えを巡らしていた。
(な~んで、「着いて来るな」って、言わないんだろ……)
マテリアを返した後、海岸へ向かい他の仲間と合流し、一人につき一言叱責を受けた後は、誰一人としてユフィを責める者はいなかった。
ティファとバレット、そしてケット・シーからは多少の警戒心を感じるが、それでも他の仲間同様、普段と変わらぬ態度で接して来る。
(なんか、逆に居心地わるいんだけど……)
敵がいる旅をするのだ。そのためには必要不可欠である大切なマテリアを、それも一つではなく全て持ち逃げしようとした。いっそのこと罵倒してくれた方が、気持ち的にもこの後の行動を考えても、ユフィにとって気が楽であった。
(特に……コイツだよ)
自分の斜め後ろに座っている、まるで影のように鎮座している男を肩越しに見やる。
海を進むタイニーブロンコが起こす風に靡く、長くて重い黒髪。身を包む薄汚れた赤いマント。今は瞼の向こうに隠れている、人を射抜くような深紅の瞳が印象的な、気味の悪い館の地下室に並べられた棺桶から飛び出して来た仲間に、ユフィはモヤモヤとした、それでいて擽ったいような感情を、タイニーブロンコに乗り込む直前から抱え込んでいた。
『どうなの?ユフィ』
ウータイの町からタイニーブロンコを停泊させた海岸まで戻ってきた時、待っていた仲間から責められずとも事情を聞かれる場面があった。
『ちゃーんと説明してくれるわよね?』
仲間内で一番怒っていたティファが、腰に手を付きながらグイッ、と詰め寄る。
何も知らない仲間からすれば、何故マテリアを盗んだのか、と、理由を聞き出すのは当たり前のことであった。
『……そ、それは』
逃げることは不可能な今、一体なんと説明しようか。
一度口にした内容だが、それを武器に一度逃げたのもあり皆信用しないだろう。そもそも平常心で語るには自分には気が重すぎる。
追い詰められると言い訳も何も浮かばない自分に呆れつつ、言葉を選びながら口を開こうとした、その時だった。
『話しはもう付いている。マテリアも無事戻ってきた……これ以上聞き出すことは何もない』
ユフィが渋々自白するよりも、またリーダーであるクラウドが説明するよりも先に皆を制したのが、他でもないヴィンセントであった。
ユフィの前に立ち、事情を知らない仲間に静かな口調で話すヴィンセントの後頭部を、ユフィはポカン、と口を開けながら見上げた。
一番興味の無さそうな男に庇われたことに、驚かずにはいられなかった。
『……ああ、ユフィに聞くことは、もう何もない』
クラウドも何か感じたのか、ヴィンセントの後押しをするようにそう言うと、リーダーがそれで良いのであれば、と、ティファも他の仲間もそれ以上は何も言わず、ヴィンセントとクラウドの言葉に従い、それ以上追及してくる事はなかった。
皆が納得するように、この旅のリーダーであるクラウドが言うのであれば理解出来る。だが普段必要な時にしか口を開かないヴィンセントが真っ先に止めに入ったことに、ユフィは心底驚き、そして混乱した。
一体何が目的なのだろうか……。予想だにしていなかった彼の行動に救われたのは事実だったが、こうもあからさまに助けられると、逆に勘繰ってしまう。
(……まさか、信じてんのかな)
ウータイ中を飛んで跳ねて逃げ回っていたが、とうとうクラウドたちに囲まれ捕まり、逃げる次の手として、自分の家の地下室に騙して連れて行った時のことを回想する。
ウータイ戦争で国が廃れてしまったこと。父親は戦争に負けてから立ち上がろうとしないこと。自分がウータイを復興させようと思い立ち、国を出て旅に出たこと。そして復興の為にはマテリアが必要なこと……。
それらはユフィにとって真実であったが、あの時はクラウドたちを欺くための道具として語り、そしてはぐらかした。
クラウドたちを罠に嵌める口実に使ったのだ。嘘だと思われても致し方ないだろうし、実際ユフィからすればそう思っていてくれた方が好都合であった。
ウータイ領主の娘であり、次期領主という重い身分は、いくら仲間と言えどあまり知られたくはない。
(知ったところで、コイツらは気にしないんだろうけど)
この集団にとって今はセフィロスを追うことが重要事項で、一国の情勢など知ったことではないのだ。
だからヴィンセントが言ったことも『自分たちには関係のない話』という意味なのだろう、とユフィは受け取っていたが、まるで自分を守るように前に立った彼の姿が脳裏に焼き付き、もしかして信じているのでは、と、妙に気になってしまう。
(も~っ!どっちなんだよっ)
一人悶々としていれば、目を開けたヴィンセントの深紅の瞳と視線がかち合い、不意打ちの出来事にユフィはドキリ、と、胸を高鳴らせた。
「こ、こんな海の上でよく寝れるよねっ」
モンスターが出たらどうすんのさっ、と、驚いたことを悟られないように強気な口調で言えば、ヴィンセントは視線を外すことなく、皆を制した時と同じように静かな声で答えた。
「……始めから、起きていた」
衝撃的事実に唖然とする。要はユフィがずっと見ていたことを、ヴィンセントは気付いていながら知らない振りをしていたことになる。
「そ、そうかよっ」
気付いていなかったのは自分の方だったという事実に、悔しいやら情けないやらといった感情が次から次へと沸き上がり、苦し紛れにそう吐き出すと、タイニーブロンコが進む方向を見据えて、ヴィンセントへ向かう意識を強制的に切り替えた。
「…………」
「…………」
そよそよと受ける潮の風が心地好く、聴こえて来るのは操縦するシドの鼻歌と波の音ぐらいだったが、背中に受ける視線がやたらと刺さり、ユフィは溜め息を吐いて再びヴィンセントを振り返った。
「あのさっ、なんか用?」
気配を消して見ることだって出来るだろうに、と思いながら、向けられる深紅の瞳を今度は自分から真っ直ぐ見返した。
太陽の光を受けて輝く赤色が、微かにオレンジ色の光を射している。
「……いや」
ヴィンセントはその瞳を瞼で隠すと、首を横に振って否定した。
「いやいや、そーんなに見つめられたらイヤでもわかるからっ」
「聞きたいことがある訳ではない」
「またまたぁ~。なんかあるんだ……ろ……?」
再び重なった、鋭くもどこか優しい視線に、ユフィは思わず言葉を詰まらせた。
急に沸き上がってきた緊張にも似た感情に、まるで石化したように身体の動きが奪われ、薄い唇が動き出すのを、ただ見つめていることしか出来なかった。
「聞いたところで、どうせ暗い話……なのだろう?」
そう言って微かに笑うヴィンセントに、ユフィは数秒見入った後、耳まで赤くなるほど顔を真っ赤に染め上げた。
──どーせ暗~いはなしなんでしょ?
神羅屋敷の地下室で、ヴィンセントに初めて出会った時のことを思い出す。
クラウドはセフィロスのことについて、出会ったばかりのヴィンセントに詳しく聞きたそうだったが、こんなジメジメした場所で棺桶の中にいるような奴だ。何か言いたくないことでもあったのは一目瞭然であった。
自分自身、踏み込んで来られたら痛いものがいくつもある。だからユフィは咄嗟に「暗~いはなしなんでしょ?」と言い、それ以上の追及を避けさせた。
本来なら「言いたくないなら言わなくて良いよ」と言えた方が良いのは理解していたが、リーダーが知りたがっている状況で、そんな生易しい言葉は言えず、自分だから言っても許される言い方をしたのが、その台詞であった。
その台詞を、今度はヴィンセントがユフィに対して言い放って来た。
それはヴィンセントが先ほどユフィの前に立ち、皆に説得したその意味を肯定するものであると同時に、出会った当時ユフィが言ったあの言葉の意味をしっかり理解しているという証拠でもあった。
「あ、アンタやっぱり!!」
「急にどうした?ユフィ」
「どーしたって……そーやってはぐらかすな!!」
「うるせーぞお前ら!!海のモンスター刺激させるようなデカい声出すんじゃねぇ!!」
「うっさい!このがに股オヤジ!!」
「んだとこの小娘!!」
「ちょっと!大きな声出さないでよ!」
「うわぁ!?出たぁ~!!」
次から次へと出現するモンスターに、一同は武器を構えると、悲鳴を上げながらタイニーブロンコを守るようにして応戦した。
* * *
そうして海上で遭遇したモンスターと戦闘を繰り広げ、半ば漂着するように大陸に着いた一行は、「取り合えず一休みしよう」と、近くに存在していた小さな町に立ち寄り、今は各々自由行動を取っている、という状況であった。
その自由時間に、ユフィはタイニーブロンコで終始冷静沈着でいたヴィンセントを思い出しては、何とも言い表せない感情に苛まれていた。
この今まで感じたことのない想いは一体何なのか……
ユフィが顔を覆って転げ回っていれば、自分の出す音ではないガタガタという音が聴こえ、身体を動かすのをピタリ、と止めて、音のする方を静観していると、「よいしょっ」と、少し辛そうな声を出しながら、長い栗色の髪を揺らしてエアリスが屋根によじ登って来た。
「あ、ユフィ……きゃっ!」
「うわぁ~!!ちょっとエアリス!!」
気が緩んだのか、無いに等しい腕力を使って必死に屋根の縁にへばり付いていたエアリスだったが、堪えきれずズルズルとずり落ちて半落ちの状態になり、驚いたユフィは慌てて駆け寄ると、今にも落下しそうになっている彼女の赤いデニムジャケットを掴んで引っ張り上げた。
「はぁ~、恐かった!ありがとう、ユフィ」
「そんなムリしてまで屋根なんて登って、一体どーしたのさ?」
仲間内で一番筋力のないエアリスが、必死になってまで屋根に登って来た理由を問えば、エアリスは花のようにふわり、と笑うと、コロコロと鈴が鳴るような声音で説明し始めた。
「ん~っとね?『ユフィがいる』って、思ったから……かな?」
「はぁ?アタシ?」
「そうっ!部屋にいたら天井から音が聴こえて来たから、もしかして……って、思って。そしたらやっぱり、ユフィだった」
そう言ってまた微笑むエアリスから、ユフィは指先で頬を掻きつつ、ふいっ、と目を逸らした。
エアリスに暖かくて朗らかな笑顔を向けられると、恥ずかしくて、嬉しくて、同時に遠い昔にいなくなってしまった大切な人の雰囲気にも似ていて、どうしたらいいのか、わからなくなる。
「それで、ユフィはここで、何してたの?」
小首を傾げてライフストリームの色をした瞳を向けて尋ねて来るエアリスに、ユフィは表情を固くして、頬を掻く指を止めた。
この仕草から逃げられた者はいないぐらい、エアリスの問い方は人の反抗を根元から取っ払っていく。いや、エアリスという人物そのものが、人から拒否という選択を放棄させる。
「と、とくになーんも?」
苦し紛れにとぼけてみるが、「ほんとに~?」と微笑むエアリスには効果はないようで、クスクス楽しそうに笑う彼女に、ユフィはまたポリポリと頬を掻いた。
本当にこの笑顔は苦手だ。嫌いな訳ではないけれど……
「ねぇ、ユフィ。よかったら、一緒にお茶、しない?ちょうどお茶にしようかなって、思ってたのっ」
意気揚々とお茶に誘うエアリスに、ユフィは「え~、お茶ぁ~?」と、遠慮の意を込めて答えた。
お茶をするのは一向に構わなかったが、エアリスの何でも包み込むような雰囲気に、きっと今まで考えていた悩みをぶちまけてしまう。
だから『興味がない』といった体を取ってみたものの、それで大人しく引き下がる訳がないのも、またエアリスという人物であった。
「美味しいお菓子も手に入ったし、ユフィとも、たくさんお喋りしたいし、だから……ね?」
手のひらを口の前で合わせ、上目遣いでお願いしてくる
その仕草に、それはずるい!と思いながらも、首は横ではなく自然と縦に振られ、気が付けば彼女の誘いを承諾していた。
ティファもクラウドも、そして他の仲間も、エアリスの言うことをほいほい聞いてしまうが、成る程これは確かに聞いてしまう、と一人納得していれば、エアリスは立ち上がって登って来た場所に向かうと、足を下ろして反転し、また屋根の縁に必死にへばり付きながら、ユフィに向かって微笑んだ。
「じゃあ私、お茶の準備して待ってるから、ね?」
ガタガタと危なっかしく部屋に戻って行くエアリスの様子を案じながら窺っていれば、部屋の中からか「きゃっ!」という声と、何かに躓いた音が聴こえ、取り合えず部屋には戻れたようだと、ユフィはほっ、と、胸を撫で下ろした。
(……お茶か~)
きっと全て話してしまうのだろうと、ペラペラ喋ってしまう自分が容易に想像出来てしまい思わず苦笑する。
このまま行かずに逃げることも考えたが、約束した時のエアリスの、あの咲き誇る花のような笑顔を曇らせるのも胸が痛む。
「……しょーがないなぁもぉ~!」
ユフィは頭を掻いて一つ盛大に溜め息を吐くと、部屋に入るために屋根の縁へと近寄り、片手で縁を掴んで飛び降りると、ちょうど真下にある開け放たれた窓から遠心力を使って、エアリスのいる室内にすんなりと入って行った。
* * *
「……じゃあ、ユフィは自分の気持ちがわからなくて、とっても困ってる、のね?」
羞恥を感じていた悩みを全部打ち明けたユフィの話をまとめると、エアリスはティーカップに入ったミントティーを一口飲んで、膨れっ面をするユフィに優しく微笑んだ。
「だって……初めてなんだもん。こんな変なカンジ」
むずむずして、落ち着かなくて、胸が締め付けられて、でも決して嫌ではない、初めての感覚を覚えてから数時間経つが、未だに慣れずに持て余していた。
この感情の正体は何なのか……。ユフィはその答えを知って、直ぐにでもスッキリしたかった。
「そっか……初めて出会った感情だから、ユフィの中で、まだ名前がないんだね」
エアリスの言葉に、ユフィは数秒考えた後に、こくん、と小さく頷いた。
考えても考えても、初めてであるが故に、その名前を知る由もなかった。
「エアリスはさ、こーいう感じになったことって……ある?」
今更隠すものもなくなったユフィは、開き直って自分より数年長く生きているエアリスに素直に聞いてみた。
エアリスのことだ。きっと『自分で探さなきゃ』と言うだろう、と身構えていたユフィだったが、意外にも答えはあっさり返ってきた。
「あるよ!少し前まで忘れてたけど、今はね、い~っぱい!あるっ」
それはもうたくさん、とでも言うようにして話すエアリスに、ユフィは目をぱちくりさせながら、どこか楽しそうな彼女を見つめた。
そんなに頻繁に感じていて心臓は大丈夫なのかと心配になったが、もしかしたら、名前を知っているから大丈夫なのかもしれない。
「ど、どんな時になるの?」
カップを持っていた手に力が入る。思えばあまり自分のことを話さないエアリスの話が聞けることに、ユフィは多少の緊張感を覚えた。
「ん~……気が付いた時にはそうなってる、かな?」
言葉を選ぶように話し出した彼女は、床を見つめるように伏し目がちではあるが、その表情は優しく柔らかで、不思議と目が離せなかった。
「話をわかってくれた時、何も言っていないのに伝わっている時、助けてくれた時、力になれた時……そういう時に、むずむずして、落ち着かなくて、でもすっごく嬉しくて、もっと頑張りたい、力になりたいって、そう思うんだぁ」
まったく、一体誰を想って話して入るのやら……
いつもの無邪気な笑顔とは違う、艶やかで大人びた微笑みを浮かべるエアリスに思わず見惚れながら、今彼女が言った話を吟味してみる。
(嬉しい……か)
確かに、知っている感情の中では“嬉しい”が一番しっくりしている気がした。
擽ったくて、胸が締まって、温かくて、嬉しい……。ほんの少し違う気もするが、今は一番似ている“嬉しい”で良いのかもしれない、と、ユフィは名もない感情に取り合えず答えを導いた。
「でもやっぱり、変なカンジ」
皿に乗った猫形のアーモンドクッキーを手に取り、可愛いらしい尖った耳にぱくり、とかじり付けば、エアリスは「初めはね、私もそうだったなぁ」と笑った。
「変な気分なの、しょうがないよっ。初めて知ったんだもん。これからゆっくり、少しずつわかって行けば良いんだよ。ね?」
優しく導くようなエアリスに、クッキーを咥えたまま小さく頷く。
この感情を知っているエアリスは、きっとそのモヤモヤとしたものと戦い、真摯に向き合って来たのだろう。けれど自分がエアリスと同じように向き合ったところで、その名前がわかるのかと問われれば首を縦には振れず、ユフィはモグモグと口を動かしながらが、気が遠くなるのを紛らわせるために目を游がせた。
(……ん?)
クッキーをもう一つ取り、今度は髭の部分からかじり付きながらあたりを見回していれば、部屋の隅にあるデスクの上に、ラッピングされた小箱が八個置かれているのに目が留まった。
「あ、それ?今日はバレンタインでしょ?だから、私からみんなにチョコレート、だよっ」
一つ一つデザインが違うそれに目を奪われているのに気が付いたエアリスが説明するが、ユフィは眉を寄せて「バレンタイン?」と、繰り返すだけであった。
「……ヴィンセント?」
アイツの日なんてあるのかと考えていれば、エアリスは「えっ!?」と驚くと、両手を振りながらケラケラと声を出して笑い始めた。
「違うよぉ~!今日は『バレンタインデー』って言って、大切な人に気持ちを伝える替わりに、チョコレートをプレゼントする日だよ」
ウータイにはなかった?と聞かれ、ユフィは素直に頷いた。
ユフィの故郷であるウータイには、バレンタインデーという行事はないのに加え、ユフィがウータイを出る前には、そもそもチョコレート自体存在していなかった。
国を出て初めてチョコレートを口にした時は「こんなに甘くて美味しいものが世界には存在していたのか!!」と、森の中で立てたテントの中で一人感動したものだったが、成る程、チョコレートを贈る日があるのかと、なんとも美味しそうな日に心が浮かれそうになったが、ふとエアリスの言葉を思い出して、ユフィはカップを持ちながら、「気持ちを伝えるって……どんな?」と、その疑問を口にした。
「ん~っとね、『大好きだよ』とか『とっても愛してる』とか……」
その瞬間、ユフィは口に含んでいたミントティーを盛大に噴き出し、驚いたエアリスは慌てて駆け寄ると、げほげほとむせ返る彼女の背を擦りながら、近くにあったティッシュの箱を手渡した。
「だいじょうぶ!?ユフィ」
「……なっ、なに言ってんのさぁっ!?」
「え?私、何かおかしいこと、言った?」
「そ、その……あ……あああいしてるとか!!」
文化の違いだろうか……いや、きっと個人差の問題だ。
『大好き』はともかく、ユフィにとって『愛してる』という言葉は物や人、動物に対しても誰にも言ったことはなく、周囲でも聞いたことのないぐらいレベルの高い言葉であった。
「あ、別に『愛してる』じゃなくても良いんだよ?『いつもありがとう』とか、その時の想いを伝えられれば、それで良いのっ」
「そ、そーなんだ……」
先に言ってよ、と、あっさり他の言葉でも構わないのだと言われ、気が抜けたユフィにエアリスは「うん!だから……」と言うと、デスクに置いてある小箱を一つ手に取り、ユフィの下へ戻ると「はいっ!」とそれを差し出してきた。
「いっつも、それとさっきも、助けてくれて、ありがとう!」
手渡された箱は緑色の包装紙に包まれ、箱を飾る白色のリボンには、色とりどりのビーズが通され結び目を隠すように飾られていた。
「あ、ありがと……」
なんだかとっても甘酸っぱい感情に、ユフィは頭をポリポリと掻いた。
やっぱり、エアリスには敵わない。
「そ、そんで?エアリスは……クラウドに、なーんて伝えるの?」
さっき想像していた相手は、日頃の二人の接し方や雰囲気からして、きっとクラウドなのだろう、と、彼女の照れ隠しとその表情が見たくてわざとらしい口調で問うたユフィだったが、対するエアリスは淡いグリーン色の瞳を輝かせながら即答した。
「ぜーんぶ!ありがとうも、大好きも、全部伝えるの!クラウド、喜んでくれるかなぁ?」
ピンクの包装紙に包まれ、黄色のリボンで飾られた小箱を手に取りながら、夢を見ているようにうっとりと微笑む彼女に、仕掛けたユフィ自身が顔を赤く染めた。
(ク、クラウドも、この笑顔にやられたんだな?)
クラウドの目付きは、エアリスと一緒にいる時はとても優しい形をしている。
クラウドがエアリスに想いがあるのかは定かではなかったが、クラウドが彼女をとても大切にしていることだけは、ユフィは常日頃からひしひしと感じ取っていた。
「あのさ、その……恥ずかしくないの?」
普段大胆な自分でも羞恥に襲われる台詞を、エアリスは事も無げに発して行く。それも伝えたい張本人にこれから伝えるのだと言うから、見事というしか他になかった。
「……恥ずかしくないわけじゃ、ないよ?でも……もしかしたら、次はないかもしれないし。『言っておけばよかった』って、後悔しないようにしたいんだ」
笑顔を見せてはいるものの、どこか憂いを帯びた表情に、ユフィは夢から覚めたように自分たちの状況を思い出した。
自分や他の誰かが、最後まで一緒にいられるとは限らない。もしかしたら明日にでも一人いなくなってしまうかもしれない。そのぐらい過酷な旅をしているのだと、エアリスの言葉に改めて思い知らされた。
「だから、無理にとは言わないけど、ユフィも伝えたいこと、伝えられる時に、ちゃんと言ってほしい、かな?」
心にある伝えたいこと、伝えたい相手……
ユフィの目はまた楽しそうに話し始めたエアリスが写っているものの、脳内では赤いマントを着た男の背中が独占していた。
* * *
皆が夢を見ている頃、町の周辺を探索してきたヴィンセントは、自分の部屋に戻るために、宿屋の静まり返った廊下を進んでいた。
「よっ!」
聞き覚えのある賑やかな声に背後から声をかけられ、仕方なく振り返ったヴィンセントは、顔めがけて飛んでくるものを反射的に掴むと、投げてきた相手を静視した。
「……人に向かって無闇やたらに物を投げるものではない」
仲間内で一番騒がしい最年少のユフィに注意をすれば、少女は「はいはい、わかりましたよーだっ」と言って舌を出した。
「それはそうと……そ、それ!渡したからな!!」
少女が指をさす物に目を向ける。
投げつけられたそれは、赤い包装紙に白色のリボンで綺麗にラッピングがされており、耳元で振ってみれば、中からコトコトと何か固いものがぶつかる音が聴こえてきた。
「……これは?」
「え……アンタ、今日何の日か知らないの?」
顔をひきつらせる少女に一つ頷けば、ユフィは「しんじらんない!」とでも言いたげに眉を寄せると、暗闇でもわかるほど顔を赤く染めながら、口をパクパクと動かして、しどろもどろに説明し始めた。
「あのその、今日はチョコを渡す日だってエアリスに聞いたから、だからその……ア、アンタに」
「……何故、私に?」
「えぇ!?いやだから、チョコを渡して、その、あの……」
「チョコレートを渡して何か意味があるのか?」
「えっと、だから……ああもう!めんどーだなアンタ!!」
廊下に響くほどの大きな声に再び注意を促そうとしたヴィンセントだったが、ユフィが一歩踏み込んできたと思えばその姿は既に目の前まで迫っており、マントの襟元を掴まれ引っ張られると、耳元に温かな吐息を感じた。
――ありがと
ユフィはそれだけ言い切ると、ヴィンセントの制止も聞かずに走り出し、ものの数秒でその気配すら消して何処かへと逃げて行った。
「……ありがとう、か」
きっと昼間のことを言っているのだろう。微かに聞こえたユフィの想いに、ヴィンセントは思わず苦笑した。
「礼をしたつもり、だったのだがな」
ヴィンセントは思い出す。神羅屋敷の地下で初めてクラウドたちと出会ったとき、放って置いてほしいのに、若いリーダーは諦め悪くセフィロスのことを尋ねてきた。
いい加減我慢の限界に達しそうだった時に不意に飛んできたのが、ユフィの興味のなさそうな台詞であった。
──どーせ暗~い話なんでしょ?
何も言いたくない、言いたくても話せないという思いにがんじがらめになっていたあの時の自分は、ユフィの言葉に確かに救われたのだった。
きっと本当に興味がないのだろうと理解していたが、その考えはウータイでの出来事で一変し、あれはユフィなりのフォローだったのだと、彼女の背景を知って、考えを改めたのだった。
だからあの時の礼として昼間ユフィを庇ったが、まさかこうして礼をされるとは、ヴィンセントは想像すらしていなかった。
「……ホワイトデーは、マテリア詰め合わせにでもしてやるか」
来月の今頃、少女がどんな表情をするのか想像し、またそんなことを考える自分に驚きながらも、口元に浮かんだ笑みを抑えようとはしなかった。
少女が残した精一杯の想いに、ヴィンセントはまた一つ苦笑を漏らすと、小箱を優しく、そしてしっかりと抱えて、自分の部屋へと戻って行った。
* * *
「今日は宜しく、ね?ヴィンセント」
ヴィンセントと同じパーティになったエアリスが、荷物を持って今日のリーダーに挨拶をした。
「……ああ」
挨拶を返すも、ヴィンセントの中では今の彼女の言葉ではなく、ウータイを出発する前に言われた言葉がこだましていた。
──気持ち、伝えられる時に伝えなきゃ、ね?
神羅屋敷で出会った時にユフィが言った『どーせくら~い話しなんでしょ?』という言葉の真意を知ったヴィンセントは、それからというもの、くすぐったいような、そわそわと落ち着かない、けれど決して嫌ではない感情を持て余していた。
『どうしたの?ヴィンセント』
一人悶々としていたヴィンセントに声をかけてきたのが、花のように笑う、不思議な雰囲気を持つエアリスであった。
『ずっと抱え込んでるの、よくないよ。話せることなら私、聞くよ?』
人から拒否という選択肢を自然に奪っていく彼女に、ヴィンセントは『内緒にしておくから』という言葉に甘えて、バラバラのままの思考と感情をポツリ、ポツリ、と口にした。
時折相槌を打って聞いていたエアリスは、話を聞き終わると、まだ考えのまとまらないヴィンセントに、にっこり、と柔らかく微笑んだ。
『そっか、ヴィンセント、あの時嬉しかったんだ、ね?』
わからなかったよ、と言うエアリスに、ヴィンセントは数秒考えると、静かに頷いた。
確かに“嬉しい”という感情が、今の自分には合っている気がする。
エアリスに言われて初めて気が付いた心に、自分にはまだこんな感情が残っていたのか、と驚き、そしてまたむず痒く感じた。
『……どうすれば良い』
今のままでは物事に集中出来ないと考えていたヴィンセントは、打ち明けた勢いで呟くようにエアリスに尋ねみた。
『どうにかしなくても良いんだよ。その想いを大切に出来れば、それで良いんだよ、きっと』
想いを大切にするとは実に彼女らしい、と、ヴィンセントは思ったが、それだけではどうもすっきりとしない。
早くこの想いをどうにかしたいと考えていたヴィンセントは再びモヤモヤとし始めた、が、その時時だった。
「でもね……出来ることなら、嬉しい思い、ユフィに伝えてあげてほしいな。もしかしたら、伝えたくても出来なくなるかもしれないし。気持ち、伝えられる時に伝えなきゃ。それに、ユフィも喜ぶし、ね?」
彼女の言葉に、ヴィンセントは眠りに就く前に残した後悔を思い出し、伝えるという行為の重要性を再認識した。
何も出来なかった
ただ見ているだけだった
あの時一言言っていれば、未来は変えられたのに……
そんなヴィンセントが、また愚かな後悔を増やすまいと行動に移したのが、タイニーブロンコに乗り込む前に、マテリア強奪の理由を問われるユフィを庇ったことだった。
思えば彼女の言葉に後押しされ、また一つ後悔を作らずに済んだと同時に、昨晩のユフィとの出来事にまで発展した結果、あれだけ騒がしかった胸の内が、今では心地良い暖かさに包まれている。
「……エアリス」
先を歩く彼女の名を呼ぶ。
エアリスが改めて教えてくれたものを、大切にしなくてはならない。
「ありがとう……」
振り返った彼女は目を見開いて数秒ヴィンセントを見つめると、蕾がほころぶように、エアリスはまた微笑んだ。
旅の途中、ウータイから次の目的地である“武器職人の小屋”に向かう前に立ち寄った町で、ユフィは唇をへの字にしながら、宿屋の屋根の上で一人悶々と考えていた。
「まったく……なんなんだよ、アイツ」
思い出しては頭の中に出て来るその相手に悪態を吐くが、胸中には不愉快な感情は何処にもなく、その代わりに腹の底がムズムズするような、何故か落ち着かない気持ちで溢れていた。
「……気付いてたとかさっ。ならさっさと言えっつーの!」
まったくも~!と言いながら、ずっと思考を独占している相手とは正反対の色をした、青く清々しい空を、ごろん、と、仰向けになって眺めた。
他の仲間とは全く違う、ジメジメとした雰囲気を漂わす仲間の言葉をまたしても思い出して、ユフィは名前のわからない感情を宥めるように、塗り替えたばかりなのだろう宿屋の鮮やかな赤い屋根に、ダンッ!と一つ、踵落としをかました。
* * *
故郷であるウータイに着いたと同時に、隙を突いてクラウド一行のマテリアを強奪したユフィだったが、不覚にもタークスの紅一点であるイリーナと共に、町に潜伏していた小悪党・コルネオに捕まり、不運にも腹の出っ張った男の花嫁に選ばれそうになったものの、彼女に裏切られたはずの仲間と、イリーナの上司二人に助けられ、なんとか人生最大の危機を回避することが出来た。
『悪かったてばぁ~っ!』
そう言って盗んだマテリアを皆に返し、また何食わぬ顔でクラウドたちの後に着いて来たユフィだったが、大陸へ向かうタイニーブロンコに乗りながら、この一行についてぼんやりと考えを巡らしていた。
(な~んで、「着いて来るな」って、言わないんだろ……)
マテリアを返した後、海岸へ向かい他の仲間と合流し、一人につき一言叱責を受けた後は、誰一人としてユフィを責める者はいなかった。
ティファとバレット、そしてケット・シーからは多少の警戒心を感じるが、それでも他の仲間同様、普段と変わらぬ態度で接して来る。
(なんか、逆に居心地わるいんだけど……)
敵がいる旅をするのだ。そのためには必要不可欠である大切なマテリアを、それも一つではなく全て持ち逃げしようとした。いっそのこと罵倒してくれた方が、気持ち的にもこの後の行動を考えても、ユフィにとって気が楽であった。
(特に……コイツだよ)
自分の斜め後ろに座っている、まるで影のように鎮座している男を肩越しに見やる。
海を進むタイニーブロンコが起こす風に靡く、長くて重い黒髪。身を包む薄汚れた赤いマント。今は瞼の向こうに隠れている、人を射抜くような深紅の瞳が印象的な、気味の悪い館の地下室に並べられた棺桶から飛び出して来た仲間に、ユフィはモヤモヤとした、それでいて擽ったいような感情を、タイニーブロンコに乗り込む直前から抱え込んでいた。
『どうなの?ユフィ』
ウータイの町からタイニーブロンコを停泊させた海岸まで戻ってきた時、待っていた仲間から責められずとも事情を聞かれる場面があった。
『ちゃーんと説明してくれるわよね?』
仲間内で一番怒っていたティファが、腰に手を付きながらグイッ、と詰め寄る。
何も知らない仲間からすれば、何故マテリアを盗んだのか、と、理由を聞き出すのは当たり前のことであった。
『……そ、それは』
逃げることは不可能な今、一体なんと説明しようか。
一度口にした内容だが、それを武器に一度逃げたのもあり皆信用しないだろう。そもそも平常心で語るには自分には気が重すぎる。
追い詰められると言い訳も何も浮かばない自分に呆れつつ、言葉を選びながら口を開こうとした、その時だった。
『話しはもう付いている。マテリアも無事戻ってきた……これ以上聞き出すことは何もない』
ユフィが渋々自白するよりも、またリーダーであるクラウドが説明するよりも先に皆を制したのが、他でもないヴィンセントであった。
ユフィの前に立ち、事情を知らない仲間に静かな口調で話すヴィンセントの後頭部を、ユフィはポカン、と口を開けながら見上げた。
一番興味の無さそうな男に庇われたことに、驚かずにはいられなかった。
『……ああ、ユフィに聞くことは、もう何もない』
クラウドも何か感じたのか、ヴィンセントの後押しをするようにそう言うと、リーダーがそれで良いのであれば、と、ティファも他の仲間もそれ以上は何も言わず、ヴィンセントとクラウドの言葉に従い、それ以上追及してくる事はなかった。
皆が納得するように、この旅のリーダーであるクラウドが言うのであれば理解出来る。だが普段必要な時にしか口を開かないヴィンセントが真っ先に止めに入ったことに、ユフィは心底驚き、そして混乱した。
一体何が目的なのだろうか……。予想だにしていなかった彼の行動に救われたのは事実だったが、こうもあからさまに助けられると、逆に勘繰ってしまう。
(……まさか、信じてんのかな)
ウータイ中を飛んで跳ねて逃げ回っていたが、とうとうクラウドたちに囲まれ捕まり、逃げる次の手として、自分の家の地下室に騙して連れて行った時のことを回想する。
ウータイ戦争で国が廃れてしまったこと。父親は戦争に負けてから立ち上がろうとしないこと。自分がウータイを復興させようと思い立ち、国を出て旅に出たこと。そして復興の為にはマテリアが必要なこと……。
それらはユフィにとって真実であったが、あの時はクラウドたちを欺くための道具として語り、そしてはぐらかした。
クラウドたちを罠に嵌める口実に使ったのだ。嘘だと思われても致し方ないだろうし、実際ユフィからすればそう思っていてくれた方が好都合であった。
ウータイ領主の娘であり、次期領主という重い身分は、いくら仲間と言えどあまり知られたくはない。
(知ったところで、コイツらは気にしないんだろうけど)
この集団にとって今はセフィロスを追うことが重要事項で、一国の情勢など知ったことではないのだ。
だからヴィンセントが言ったことも『自分たちには関係のない話』という意味なのだろう、とユフィは受け取っていたが、まるで自分を守るように前に立った彼の姿が脳裏に焼き付き、もしかして信じているのでは、と、妙に気になってしまう。
(も~っ!どっちなんだよっ)
一人悶々としていれば、目を開けたヴィンセントの深紅の瞳と視線がかち合い、不意打ちの出来事にユフィはドキリ、と、胸を高鳴らせた。
「こ、こんな海の上でよく寝れるよねっ」
モンスターが出たらどうすんのさっ、と、驚いたことを悟られないように強気な口調で言えば、ヴィンセントは視線を外すことなく、皆を制した時と同じように静かな声で答えた。
「……始めから、起きていた」
衝撃的事実に唖然とする。要はユフィがずっと見ていたことを、ヴィンセントは気付いていながら知らない振りをしていたことになる。
「そ、そうかよっ」
気付いていなかったのは自分の方だったという事実に、悔しいやら情けないやらといった感情が次から次へと沸き上がり、苦し紛れにそう吐き出すと、タイニーブロンコが進む方向を見据えて、ヴィンセントへ向かう意識を強制的に切り替えた。
「…………」
「…………」
そよそよと受ける潮の風が心地好く、聴こえて来るのは操縦するシドの鼻歌と波の音ぐらいだったが、背中に受ける視線がやたらと刺さり、ユフィは溜め息を吐いて再びヴィンセントを振り返った。
「あのさっ、なんか用?」
気配を消して見ることだって出来るだろうに、と思いながら、向けられる深紅の瞳を今度は自分から真っ直ぐ見返した。
太陽の光を受けて輝く赤色が、微かにオレンジ色の光を射している。
「……いや」
ヴィンセントはその瞳を瞼で隠すと、首を横に振って否定した。
「いやいや、そーんなに見つめられたらイヤでもわかるからっ」
「聞きたいことがある訳ではない」
「またまたぁ~。なんかあるんだ……ろ……?」
再び重なった、鋭くもどこか優しい視線に、ユフィは思わず言葉を詰まらせた。
急に沸き上がってきた緊張にも似た感情に、まるで石化したように身体の動きが奪われ、薄い唇が動き出すのを、ただ見つめていることしか出来なかった。
「聞いたところで、どうせ暗い話……なのだろう?」
そう言って微かに笑うヴィンセントに、ユフィは数秒見入った後、耳まで赤くなるほど顔を真っ赤に染め上げた。
──どーせ暗~いはなしなんでしょ?
神羅屋敷の地下室で、ヴィンセントに初めて出会った時のことを思い出す。
クラウドはセフィロスのことについて、出会ったばかりのヴィンセントに詳しく聞きたそうだったが、こんなジメジメした場所で棺桶の中にいるような奴だ。何か言いたくないことでもあったのは一目瞭然であった。
自分自身、踏み込んで来られたら痛いものがいくつもある。だからユフィは咄嗟に「暗~いはなしなんでしょ?」と言い、それ以上の追及を避けさせた。
本来なら「言いたくないなら言わなくて良いよ」と言えた方が良いのは理解していたが、リーダーが知りたがっている状況で、そんな生易しい言葉は言えず、自分だから言っても許される言い方をしたのが、その台詞であった。
その台詞を、今度はヴィンセントがユフィに対して言い放って来た。
それはヴィンセントが先ほどユフィの前に立ち、皆に説得したその意味を肯定するものであると同時に、出会った当時ユフィが言ったあの言葉の意味をしっかり理解しているという証拠でもあった。
「あ、アンタやっぱり!!」
「急にどうした?ユフィ」
「どーしたって……そーやってはぐらかすな!!」
「うるせーぞお前ら!!海のモンスター刺激させるようなデカい声出すんじゃねぇ!!」
「うっさい!このがに股オヤジ!!」
「んだとこの小娘!!」
「ちょっと!大きな声出さないでよ!」
「うわぁ!?出たぁ~!!」
次から次へと出現するモンスターに、一同は武器を構えると、悲鳴を上げながらタイニーブロンコを守るようにして応戦した。
* * *
そうして海上で遭遇したモンスターと戦闘を繰り広げ、半ば漂着するように大陸に着いた一行は、「取り合えず一休みしよう」と、近くに存在していた小さな町に立ち寄り、今は各々自由行動を取っている、という状況であった。
その自由時間に、ユフィはタイニーブロンコで終始冷静沈着でいたヴィンセントを思い出しては、何とも言い表せない感情に苛まれていた。
この今まで感じたことのない想いは一体何なのか……
ユフィが顔を覆って転げ回っていれば、自分の出す音ではないガタガタという音が聴こえ、身体を動かすのをピタリ、と止めて、音のする方を静観していると、「よいしょっ」と、少し辛そうな声を出しながら、長い栗色の髪を揺らしてエアリスが屋根によじ登って来た。
「あ、ユフィ……きゃっ!」
「うわぁ~!!ちょっとエアリス!!」
気が緩んだのか、無いに等しい腕力を使って必死に屋根の縁にへばり付いていたエアリスだったが、堪えきれずズルズルとずり落ちて半落ちの状態になり、驚いたユフィは慌てて駆け寄ると、今にも落下しそうになっている彼女の赤いデニムジャケットを掴んで引っ張り上げた。
「はぁ~、恐かった!ありがとう、ユフィ」
「そんなムリしてまで屋根なんて登って、一体どーしたのさ?」
仲間内で一番筋力のないエアリスが、必死になってまで屋根に登って来た理由を問えば、エアリスは花のようにふわり、と笑うと、コロコロと鈴が鳴るような声音で説明し始めた。
「ん~っとね?『ユフィがいる』って、思ったから……かな?」
「はぁ?アタシ?」
「そうっ!部屋にいたら天井から音が聴こえて来たから、もしかして……って、思って。そしたらやっぱり、ユフィだった」
そう言ってまた微笑むエアリスから、ユフィは指先で頬を掻きつつ、ふいっ、と目を逸らした。
エアリスに暖かくて朗らかな笑顔を向けられると、恥ずかしくて、嬉しくて、同時に遠い昔にいなくなってしまった大切な人の雰囲気にも似ていて、どうしたらいいのか、わからなくなる。
「それで、ユフィはここで、何してたの?」
小首を傾げてライフストリームの色をした瞳を向けて尋ねて来るエアリスに、ユフィは表情を固くして、頬を掻く指を止めた。
この仕草から逃げられた者はいないぐらい、エアリスの問い方は人の反抗を根元から取っ払っていく。いや、エアリスという人物そのものが、人から拒否という選択を放棄させる。
「と、とくになーんも?」
苦し紛れにとぼけてみるが、「ほんとに~?」と微笑むエアリスには効果はないようで、クスクス楽しそうに笑う彼女に、ユフィはまたポリポリと頬を掻いた。
本当にこの笑顔は苦手だ。嫌いな訳ではないけれど……
「ねぇ、ユフィ。よかったら、一緒にお茶、しない?ちょうどお茶にしようかなって、思ってたのっ」
意気揚々とお茶に誘うエアリスに、ユフィは「え~、お茶ぁ~?」と、遠慮の意を込めて答えた。
お茶をするのは一向に構わなかったが、エアリスの何でも包み込むような雰囲気に、きっと今まで考えていた悩みをぶちまけてしまう。
だから『興味がない』といった体を取ってみたものの、それで大人しく引き下がる訳がないのも、またエアリスという人物であった。
「美味しいお菓子も手に入ったし、ユフィとも、たくさんお喋りしたいし、だから……ね?」
手のひらを口の前で合わせ、上目遣いでお願いしてくる
その仕草に、それはずるい!と思いながらも、首は横ではなく自然と縦に振られ、気が付けば彼女の誘いを承諾していた。
ティファもクラウドも、そして他の仲間も、エアリスの言うことをほいほい聞いてしまうが、成る程これは確かに聞いてしまう、と一人納得していれば、エアリスは立ち上がって登って来た場所に向かうと、足を下ろして反転し、また屋根の縁に必死にへばり付きながら、ユフィに向かって微笑んだ。
「じゃあ私、お茶の準備して待ってるから、ね?」
ガタガタと危なっかしく部屋に戻って行くエアリスの様子を案じながら窺っていれば、部屋の中からか「きゃっ!」という声と、何かに躓いた音が聴こえ、取り合えず部屋には戻れたようだと、ユフィはほっ、と、胸を撫で下ろした。
(……お茶か~)
きっと全て話してしまうのだろうと、ペラペラ喋ってしまう自分が容易に想像出来てしまい思わず苦笑する。
このまま行かずに逃げることも考えたが、約束した時のエアリスの、あの咲き誇る花のような笑顔を曇らせるのも胸が痛む。
「……しょーがないなぁもぉ~!」
ユフィは頭を掻いて一つ盛大に溜め息を吐くと、部屋に入るために屋根の縁へと近寄り、片手で縁を掴んで飛び降りると、ちょうど真下にある開け放たれた窓から遠心力を使って、エアリスのいる室内にすんなりと入って行った。
* * *
「……じゃあ、ユフィは自分の気持ちがわからなくて、とっても困ってる、のね?」
羞恥を感じていた悩みを全部打ち明けたユフィの話をまとめると、エアリスはティーカップに入ったミントティーを一口飲んで、膨れっ面をするユフィに優しく微笑んだ。
「だって……初めてなんだもん。こんな変なカンジ」
むずむずして、落ち着かなくて、胸が締め付けられて、でも決して嫌ではない、初めての感覚を覚えてから数時間経つが、未だに慣れずに持て余していた。
この感情の正体は何なのか……。ユフィはその答えを知って、直ぐにでもスッキリしたかった。
「そっか……初めて出会った感情だから、ユフィの中で、まだ名前がないんだね」
エアリスの言葉に、ユフィは数秒考えた後に、こくん、と小さく頷いた。
考えても考えても、初めてであるが故に、その名前を知る由もなかった。
「エアリスはさ、こーいう感じになったことって……ある?」
今更隠すものもなくなったユフィは、開き直って自分より数年長く生きているエアリスに素直に聞いてみた。
エアリスのことだ。きっと『自分で探さなきゃ』と言うだろう、と身構えていたユフィだったが、意外にも答えはあっさり返ってきた。
「あるよ!少し前まで忘れてたけど、今はね、い~っぱい!あるっ」
それはもうたくさん、とでも言うようにして話すエアリスに、ユフィは目をぱちくりさせながら、どこか楽しそうな彼女を見つめた。
そんなに頻繁に感じていて心臓は大丈夫なのかと心配になったが、もしかしたら、名前を知っているから大丈夫なのかもしれない。
「ど、どんな時になるの?」
カップを持っていた手に力が入る。思えばあまり自分のことを話さないエアリスの話が聞けることに、ユフィは多少の緊張感を覚えた。
「ん~……気が付いた時にはそうなってる、かな?」
言葉を選ぶように話し出した彼女は、床を見つめるように伏し目がちではあるが、その表情は優しく柔らかで、不思議と目が離せなかった。
「話をわかってくれた時、何も言っていないのに伝わっている時、助けてくれた時、力になれた時……そういう時に、むずむずして、落ち着かなくて、でもすっごく嬉しくて、もっと頑張りたい、力になりたいって、そう思うんだぁ」
まったく、一体誰を想って話して入るのやら……
いつもの無邪気な笑顔とは違う、艶やかで大人びた微笑みを浮かべるエアリスに思わず見惚れながら、今彼女が言った話を吟味してみる。
(嬉しい……か)
確かに、知っている感情の中では“嬉しい”が一番しっくりしている気がした。
擽ったくて、胸が締まって、温かくて、嬉しい……。ほんの少し違う気もするが、今は一番似ている“嬉しい”で良いのかもしれない、と、ユフィは名もない感情に取り合えず答えを導いた。
「でもやっぱり、変なカンジ」
皿に乗った猫形のアーモンドクッキーを手に取り、可愛いらしい尖った耳にぱくり、とかじり付けば、エアリスは「初めはね、私もそうだったなぁ」と笑った。
「変な気分なの、しょうがないよっ。初めて知ったんだもん。これからゆっくり、少しずつわかって行けば良いんだよ。ね?」
優しく導くようなエアリスに、クッキーを咥えたまま小さく頷く。
この感情を知っているエアリスは、きっとそのモヤモヤとしたものと戦い、真摯に向き合って来たのだろう。けれど自分がエアリスと同じように向き合ったところで、その名前がわかるのかと問われれば首を縦には振れず、ユフィはモグモグと口を動かしながらが、気が遠くなるのを紛らわせるために目を游がせた。
(……ん?)
クッキーをもう一つ取り、今度は髭の部分からかじり付きながらあたりを見回していれば、部屋の隅にあるデスクの上に、ラッピングされた小箱が八個置かれているのに目が留まった。
「あ、それ?今日はバレンタインでしょ?だから、私からみんなにチョコレート、だよっ」
一つ一つデザインが違うそれに目を奪われているのに気が付いたエアリスが説明するが、ユフィは眉を寄せて「バレンタイン?」と、繰り返すだけであった。
「……ヴィンセント?」
アイツの日なんてあるのかと考えていれば、エアリスは「えっ!?」と驚くと、両手を振りながらケラケラと声を出して笑い始めた。
「違うよぉ~!今日は『バレンタインデー』って言って、大切な人に気持ちを伝える替わりに、チョコレートをプレゼントする日だよ」
ウータイにはなかった?と聞かれ、ユフィは素直に頷いた。
ユフィの故郷であるウータイには、バレンタインデーという行事はないのに加え、ユフィがウータイを出る前には、そもそもチョコレート自体存在していなかった。
国を出て初めてチョコレートを口にした時は「こんなに甘くて美味しいものが世界には存在していたのか!!」と、森の中で立てたテントの中で一人感動したものだったが、成る程、チョコレートを贈る日があるのかと、なんとも美味しそうな日に心が浮かれそうになったが、ふとエアリスの言葉を思い出して、ユフィはカップを持ちながら、「気持ちを伝えるって……どんな?」と、その疑問を口にした。
「ん~っとね、『大好きだよ』とか『とっても愛してる』とか……」
その瞬間、ユフィは口に含んでいたミントティーを盛大に噴き出し、驚いたエアリスは慌てて駆け寄ると、げほげほとむせ返る彼女の背を擦りながら、近くにあったティッシュの箱を手渡した。
「だいじょうぶ!?ユフィ」
「……なっ、なに言ってんのさぁっ!?」
「え?私、何かおかしいこと、言った?」
「そ、その……あ……あああいしてるとか!!」
文化の違いだろうか……いや、きっと個人差の問題だ。
『大好き』はともかく、ユフィにとって『愛してる』という言葉は物や人、動物に対しても誰にも言ったことはなく、周囲でも聞いたことのないぐらいレベルの高い言葉であった。
「あ、別に『愛してる』じゃなくても良いんだよ?『いつもありがとう』とか、その時の想いを伝えられれば、それで良いのっ」
「そ、そーなんだ……」
先に言ってよ、と、あっさり他の言葉でも構わないのだと言われ、気が抜けたユフィにエアリスは「うん!だから……」と言うと、デスクに置いてある小箱を一つ手に取り、ユフィの下へ戻ると「はいっ!」とそれを差し出してきた。
「いっつも、それとさっきも、助けてくれて、ありがとう!」
手渡された箱は緑色の包装紙に包まれ、箱を飾る白色のリボンには、色とりどりのビーズが通され結び目を隠すように飾られていた。
「あ、ありがと……」
なんだかとっても甘酸っぱい感情に、ユフィは頭をポリポリと掻いた。
やっぱり、エアリスには敵わない。
「そ、そんで?エアリスは……クラウドに、なーんて伝えるの?」
さっき想像していた相手は、日頃の二人の接し方や雰囲気からして、きっとクラウドなのだろう、と、彼女の照れ隠しとその表情が見たくてわざとらしい口調で問うたユフィだったが、対するエアリスは淡いグリーン色の瞳を輝かせながら即答した。
「ぜーんぶ!ありがとうも、大好きも、全部伝えるの!クラウド、喜んでくれるかなぁ?」
ピンクの包装紙に包まれ、黄色のリボンで飾られた小箱を手に取りながら、夢を見ているようにうっとりと微笑む彼女に、仕掛けたユフィ自身が顔を赤く染めた。
(ク、クラウドも、この笑顔にやられたんだな?)
クラウドの目付きは、エアリスと一緒にいる時はとても優しい形をしている。
クラウドがエアリスに想いがあるのかは定かではなかったが、クラウドが彼女をとても大切にしていることだけは、ユフィは常日頃からひしひしと感じ取っていた。
「あのさ、その……恥ずかしくないの?」
普段大胆な自分でも羞恥に襲われる台詞を、エアリスは事も無げに発して行く。それも伝えたい張本人にこれから伝えるのだと言うから、見事というしか他になかった。
「……恥ずかしくないわけじゃ、ないよ?でも……もしかしたら、次はないかもしれないし。『言っておけばよかった』って、後悔しないようにしたいんだ」
笑顔を見せてはいるものの、どこか憂いを帯びた表情に、ユフィは夢から覚めたように自分たちの状況を思い出した。
自分や他の誰かが、最後まで一緒にいられるとは限らない。もしかしたら明日にでも一人いなくなってしまうかもしれない。そのぐらい過酷な旅をしているのだと、エアリスの言葉に改めて思い知らされた。
「だから、無理にとは言わないけど、ユフィも伝えたいこと、伝えられる時に、ちゃんと言ってほしい、かな?」
心にある伝えたいこと、伝えたい相手……
ユフィの目はまた楽しそうに話し始めたエアリスが写っているものの、脳内では赤いマントを着た男の背中が独占していた。
* * *
皆が夢を見ている頃、町の周辺を探索してきたヴィンセントは、自分の部屋に戻るために、宿屋の静まり返った廊下を進んでいた。
「よっ!」
聞き覚えのある賑やかな声に背後から声をかけられ、仕方なく振り返ったヴィンセントは、顔めがけて飛んでくるものを反射的に掴むと、投げてきた相手を静視した。
「……人に向かって無闇やたらに物を投げるものではない」
仲間内で一番騒がしい最年少のユフィに注意をすれば、少女は「はいはい、わかりましたよーだっ」と言って舌を出した。
「それはそうと……そ、それ!渡したからな!!」
少女が指をさす物に目を向ける。
投げつけられたそれは、赤い包装紙に白色のリボンで綺麗にラッピングがされており、耳元で振ってみれば、中からコトコトと何か固いものがぶつかる音が聴こえてきた。
「……これは?」
「え……アンタ、今日何の日か知らないの?」
顔をひきつらせる少女に一つ頷けば、ユフィは「しんじらんない!」とでも言いたげに眉を寄せると、暗闇でもわかるほど顔を赤く染めながら、口をパクパクと動かして、しどろもどろに説明し始めた。
「あのその、今日はチョコを渡す日だってエアリスに聞いたから、だからその……ア、アンタに」
「……何故、私に?」
「えぇ!?いやだから、チョコを渡して、その、あの……」
「チョコレートを渡して何か意味があるのか?」
「えっと、だから……ああもう!めんどーだなアンタ!!」
廊下に響くほどの大きな声に再び注意を促そうとしたヴィンセントだったが、ユフィが一歩踏み込んできたと思えばその姿は既に目の前まで迫っており、マントの襟元を掴まれ引っ張られると、耳元に温かな吐息を感じた。
――ありがと
ユフィはそれだけ言い切ると、ヴィンセントの制止も聞かずに走り出し、ものの数秒でその気配すら消して何処かへと逃げて行った。
「……ありがとう、か」
きっと昼間のことを言っているのだろう。微かに聞こえたユフィの想いに、ヴィンセントは思わず苦笑した。
「礼をしたつもり、だったのだがな」
ヴィンセントは思い出す。神羅屋敷の地下で初めてクラウドたちと出会ったとき、放って置いてほしいのに、若いリーダーは諦め悪くセフィロスのことを尋ねてきた。
いい加減我慢の限界に達しそうだった時に不意に飛んできたのが、ユフィの興味のなさそうな台詞であった。
──どーせ暗~い話なんでしょ?
何も言いたくない、言いたくても話せないという思いにがんじがらめになっていたあの時の自分は、ユフィの言葉に確かに救われたのだった。
きっと本当に興味がないのだろうと理解していたが、その考えはウータイでの出来事で一変し、あれはユフィなりのフォローだったのだと、彼女の背景を知って、考えを改めたのだった。
だからあの時の礼として昼間ユフィを庇ったが、まさかこうして礼をされるとは、ヴィンセントは想像すらしていなかった。
「……ホワイトデーは、マテリア詰め合わせにでもしてやるか」
来月の今頃、少女がどんな表情をするのか想像し、またそんなことを考える自分に驚きながらも、口元に浮かんだ笑みを抑えようとはしなかった。
少女が残した精一杯の想いに、ヴィンセントはまた一つ苦笑を漏らすと、小箱を優しく、そしてしっかりと抱えて、自分の部屋へと戻って行った。
* * *
「今日は宜しく、ね?ヴィンセント」
ヴィンセントと同じパーティになったエアリスが、荷物を持って今日のリーダーに挨拶をした。
「……ああ」
挨拶を返すも、ヴィンセントの中では今の彼女の言葉ではなく、ウータイを出発する前に言われた言葉がこだましていた。
──気持ち、伝えられる時に伝えなきゃ、ね?
神羅屋敷で出会った時にユフィが言った『どーせくら~い話しなんでしょ?』という言葉の真意を知ったヴィンセントは、それからというもの、くすぐったいような、そわそわと落ち着かない、けれど決して嫌ではない感情を持て余していた。
『どうしたの?ヴィンセント』
一人悶々としていたヴィンセントに声をかけてきたのが、花のように笑う、不思議な雰囲気を持つエアリスであった。
『ずっと抱え込んでるの、よくないよ。話せることなら私、聞くよ?』
人から拒否という選択肢を自然に奪っていく彼女に、ヴィンセントは『内緒にしておくから』という言葉に甘えて、バラバラのままの思考と感情をポツリ、ポツリ、と口にした。
時折相槌を打って聞いていたエアリスは、話を聞き終わると、まだ考えのまとまらないヴィンセントに、にっこり、と柔らかく微笑んだ。
『そっか、ヴィンセント、あの時嬉しかったんだ、ね?』
わからなかったよ、と言うエアリスに、ヴィンセントは数秒考えると、静かに頷いた。
確かに“嬉しい”という感情が、今の自分には合っている気がする。
エアリスに言われて初めて気が付いた心に、自分にはまだこんな感情が残っていたのか、と驚き、そしてまたむず痒く感じた。
『……どうすれば良い』
今のままでは物事に集中出来ないと考えていたヴィンセントは、打ち明けた勢いで呟くようにエアリスに尋ねみた。
『どうにかしなくても良いんだよ。その想いを大切に出来れば、それで良いんだよ、きっと』
想いを大切にするとは実に彼女らしい、と、ヴィンセントは思ったが、それだけではどうもすっきりとしない。
早くこの想いをどうにかしたいと考えていたヴィンセントは再びモヤモヤとし始めた、が、その時時だった。
「でもね……出来ることなら、嬉しい思い、ユフィに伝えてあげてほしいな。もしかしたら、伝えたくても出来なくなるかもしれないし。気持ち、伝えられる時に伝えなきゃ。それに、ユフィも喜ぶし、ね?」
彼女の言葉に、ヴィンセントは眠りに就く前に残した後悔を思い出し、伝えるという行為の重要性を再認識した。
何も出来なかった
ただ見ているだけだった
あの時一言言っていれば、未来は変えられたのに……
そんなヴィンセントが、また愚かな後悔を増やすまいと行動に移したのが、タイニーブロンコに乗り込む前に、マテリア強奪の理由を問われるユフィを庇ったことだった。
思えば彼女の言葉に後押しされ、また一つ後悔を作らずに済んだと同時に、昨晩のユフィとの出来事にまで発展した結果、あれだけ騒がしかった胸の内が、今では心地良い暖かさに包まれている。
「……エアリス」
先を歩く彼女の名を呼ぶ。
エアリスが改めて教えてくれたものを、大切にしなくてはならない。
「ありがとう……」
振り返った彼女は目を見開いて数秒ヴィンセントを見つめると、蕾がほころぶように、エアリスはまた微笑んだ。
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