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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第077話

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「……い……ぱい……先輩!」

 何度目かの呼びかけに隼人が気付くと、隣で遠慮がちな様子の杏がこちらを見ていた。

「どうしたんですか先輩?」

「あっ、いや、あまりの迫力に圧倒されてしまって……」

「ふふ、分かります。 ほんと凄かったですね」

「うん……ほんとにね……」

 我ながら下手な嘘だと思いつつ答える隼人だったが、杏は言葉通り受け取ったのか微笑んだ。

「それじゃあ、こんな所に立ったままなのも何なので出ましょうか」

 杏はそう言うと、隼人を誘導するように出口の方へと歩き出す。

 内心余裕のなさが態度に出ていないかと隼人は心配していたが、杏の普段と変わらぬ様子に気付かれていないと束の間の安堵を感じる。

 だが、問題が解決した訳でもなく、刻々と過ぎ去る時間と共に状況が悪化するばかりだと感じた隼人は、山本と連絡をとるためにも前を行く杏の背中を追った。

 だが、隼人は知らない、杏が気付いていたということを。

 気付いていながら素知らぬふりをするのは、いつも沈着冷静な隼人が今日に限って様子がおかしいからであった。

 一般的に女性は相手の変化に気付きやすいと言われているが、それを差し引いても余りある隼人の様子に、部下である杏が気付かない訳はない。

 殊に会場に足を踏み入れてからの、隼人の落ち着きのなさや激しく動揺する様子は、杏でさえ一度も目にしたことなどなかったのだから尚更である。

 始めこそ推しメンである優子の姿を間近で見られたからとか、会場の雰囲気に圧倒されたとか、そういった類いの感情だと思っていた。
しかし、それも束の間、ステージを挟み見つめ合う二人の姿を見て、自分の考えが間違っているように感じられた。

『どうしちゃったんですか先輩……』

 だが、具体的に何がということが分からない杏は、気にしながらも隼人が言わないのなら“今は”触れるべきではないと、あえて素知らぬふりを続けていたのだった。

 杏がそんなことを考えていることなど露程も知らない隼人は、彼女を追いコンコースへと出ていた。
そこはコンサートが終わり暫くたった後だというのに、未だ大勢のファンが人の波となり出口だろう方へと流れ続けていた。
それだけ大規模なコンサートであったということであり、AKB48というアイドルグループの人気の凄さ現していた。

 杏は人波の中へ人を器用に避けながら、何やらキョロキョロと探すように歩いて行ってしまう。
隼人も遅れてはいけないと、人波の中に分け入るように彼女の背中を追った。

「フライング麻里子さまかっけー」

「たかみなは相変わらず良いスベリしてたな」

「とは言え、やっぱAKBのリーダーはたかみなだよ」

「優子のDear Jのダンスヤバいだろ」

「でもさ、今日の優子ちょっといつもと違ってなかったか?」

「そうか?」

「あっ、お前も気付いた?」

「ぱるるのパジャマ萌えた」

「れなっちたちの昇格キター」

「みるきーがアキバでみれるのか」

「珠理奈の兼任大丈夫なんかな?」

 隼人の耳に、コンサートの感想を話すファンの会話が聞こえてくる。
大所帯のグループらしく様々なメンバーの名が飛び交い、その中に“みなみ”や“優子”の名もあった。

 こんな状況であってもファンの会話から、みなみが愛されていることを知り、隼人は嬉しさを感じていた。
別れたとは言え、嘗て愛した女性ひとが夢を叶え、そこで愛されているのが分かることが嬉しくないわけがなかった。

 だが、優子の話題がでると状況は違った。
一部だけだが、優子の変化に気付いたファンがいたのだ。
殆どの者が気付かない中、一部のファンが優子の変化に反応し話題としていた。

 隼人は“優子”と付く会話に耳を凝らす。

「体調でも悪かったんじゃないか?」

「あの日だったりな」

「ばーか、お前の見間違いだろ」

「あのダンス見てたろ」

 幸い隼人の耳に届く限り、優子の変化を深刻な問題だと捉えている者はいないようであった。
寧ろ、パフォーマンスを評価している声も聞こえ、自分がここに来たことで優子の評価を下げたり、何かしら二人の関係を疑われなかったことに、隼人は一瞬ホッと胸を撫で下ろした。

 しかし、一歩間違えれば優子のこれまでのキャリアを全て台無しにしていたかも知れない。
そう考えると隼人は自分の責任は重いと感じていたし、その後誰かが彼女の名を呟く度内容が気になり胸の内がざわついた。

「先輩! こっちです」

 そうしていると、何処からか杏の声が聞こえ、隼人はハッとなりいつの間にか伏せていた顔を上げた。
顔を上げるも目の前に居るはずの杏の姿はなく、隼人は彼女の姿を探すように辺りを見渡す。

「こっちです」

 すると、いつの間にか少し先の方の人波から外れた場所で、手を高く伸ばし自分へ振る杏の姿を発見する。
隣には会場入りの時と同じように“Staff”腕章を付けた、あの時とは別の男性が立っていた。

 隼人は自分がいつの間にか遅れていたことに気付き、少し急ぐように人波の中を抜け出すと二人の元へ辿り着く。

「じゃ、行きましょ」

 杏は自分の元に辿り着いた隼人にニコリと微笑みそう言うなり、くるりと背を向ける。

 隣に居たスタッフも見計らっていたのか、杏が動き出すと同時に先頭に立ち、隼人たち を案内するように歩き始めた。

「どうぞ、こちらです」

「……」

 隼人は内心“ちょっと電話を”と言おうとしていた。
しかし、近くには杏、周囲を見渡せばファンやスタッフが大勢いて、重要な会話が出来る状況とは思えなかった。
無理に我を通してリスクを増やすより、何処か折を見て電話をしようと判断した隼人は、大人しく前の二人に付いて行くことにした。

 スタッフに案内された先には関係者専用の扉があり、それを開けると会場に来たとき同様の長い廊下が現れる。
廊下には、これもまた既視感デジャブのようにスタッフで溢れかえり、隼人たち三人はその間を避けるように歩き進んでいく。

「そろそろメンバーが楽屋に戻るから動線確保しとけよ」

「客が捌けたら客席の清掃始めるぞ」

「明日のセットリストの張り出し用の準備は出来てるんだよな?」

 そこらかしこからスタッフの会話が聞こえる廊下を抜け、一行はエレベーターで下層階へと降りていく。

 2F……1F……と階層表示が変わっていく。
会話もなく無機質な稼働音だけが響くエレベーター内で、隼人は階数表示を眺めていた。
来たときと昇るか降りるかの差だというのに、何かのカウントダウンを刻んでいるようにも見え胸がざわついた。

ピンポーン

 やがてエレベーターはカウントダウンの0ゼロを指すように、目的の“B1”へと到着する。
到着し開かれた扉の先にあるのは、スタッフの行き交う廊下であり、来たときと何ら変わらない光景があった。

 一行は再び廊下を進んで行く。
隼人の記憶では、もう少し行けば衣装などが所狭しと搬入されたエントランスがあり、そこを出れば駐車場へ辿り着くはずだった。

『駐車場に出れば電話できるな』

 電話できれば、説明ができれば、現状を少なくとも打破できるはずだと、隼人の向かう足は早くなっていく。
その足は杏を抜き、先の角を曲がればエントランスという所まで来ていた案内のスタッフさえも抜こうとしていた。

「先輩?」

 それまで一言も発さなかった杏だったが、突然足早になる隼人を見て思わず声を掛ける。

「ちょっと、電話を一本したく、て……」

 杏の問いに、そこまで言い掛けていた隼人の言葉と、足が不意に止まる。

 何か見て驚く素振りを見せる隼人の様子が気になり、杏も追いつき隣に立つと彼が見る視線の先を辿った。

「どうしたんですか? あっ……」

 すると隼人同様、杏もまた言葉を途切れさせ驚きの表情を浮かべた。

 二人の視線の先にはエントランスがあり、来たときとは違い衣装など搬入物が撤去されていた。
空いたスペースには、その分スタッフなどの人が流れ込んでいたが、搬入物で隠れていた壁には、グリーンとブルーで形作られたシンボルと“SAITAMA SUPER ARENA”のロゴが姿を現しているのが見て取れた。
綺麗に片付けられ、本来の広さを取り戻したエントランスは様変わりしてはいたが、それが二人を驚かせる原因ではない。

 二人の視線はその先、エントランスを挟み逆方向の廊下からやって来るスーツ姿の集団に注がれていた。

 単にスーツ姿の集団であれば、会場でコンサート中に警備員のように、何人も立っていたからさして珍しくはない。
だが、その者たちの周りをスタッフが気を遣いながら取り巻きのようにしている光景は“普通”ではなかったし、中心に居る人物もまた“普通”ではなかった。

 その人物は他のスーツの男たちと比べ、ネクタイも為ずラフな格好と、眼鏡と小太りな体型が相まって一見、集団の中心に居るような印象はない。

 だが、それは外見だけの話で、男の放つ独特の雰囲気は場の空気を緊張させ、取り巻きではないスタッフもその動向を気にしながら動く程であった。
それは、杏たちを案内するスタッフも同様で、関係者として招待された二人にさえ「ここで少々お待ちください」と、態々制止するほど男に気を遣っていた。

 男は隣で歩く若いスーツ姿の者と何か話ながら、こちら側へと近付いてくる。
やがて、その男を中心にした集団はエントランスへ足を踏み入れると、会場を後にしようというのか車寄せのある出口へと向かおうとしていた。

 その様子を杏は、目で追うように見ている。
何か思うことでもあるかのような表情で、視線をその集団の中心たる男に向けていた。

 男はそんな視線に気付く様子もなく、集団を引き連れ杏たちの前を通り過ぎようとした時だった。

 それまで見ているだけだった杏が、不意に背中を向け歩く男に何かを呟いた――。


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