空港

「……ん……」
 大きな手が、髪を撫でている。地肌をくすぐるように、念入りに。それから耳たぶを摘まんで、すりすり撫でてあっためてくれるんだ。
 厚い胸板に顔を押し当てて、足も擦り寄せて甘える。
「零」
「ふふっ……」
 大好きな声。僕をからめ捕って、自分のものにしてしまったひと。でもあの日、「寒いから……続きは部屋で」と誘ったのは僕だった。 
「零」
「ん……赤井、おはよ」
「おはよう」
 いつまでもこうしていたいけど、キスもしたいから目を開けた。幸せでたまらない、という顔で唇を寄せてくる恋人(なんだと思う)に、布団の中でふんわりと抱きしめられた。雪の花びらみたいなキスが顔中に降ってくる。
「ん……くすぐったい……あかい」
 首を動かしたら、見ないようにしていた時計が目に入った。まだ早いけど、もう少ししたら空港へ行かないといけない。この人は、今日アメリカへ帰る。

 白い愛車で、空港へ送った。
 あの日僕を家まで送ってくれたマスタングは、あの後キャメル捜査官が引き取りに来ていた。入れ替わりに、この車が戻ってきた。
 その連絡は全部、メッセージで受けた。途中、赤井がジェイムズさんに一度電話をしただけで、あとは二人きり、離れることなくこもっていた。大晦日の朝から、今日、一月五日まで。
 もともと赤井は、年末年始を日本で過ごしてから帰ると言っていた。「年内に向こうへ帰っても、仕事に駆り出されるだけだ」 なんて笑ってたけど……よかったのかな?これで……。
 車から降りて歩きながら、一応尋ねた。
「お母様たちには連絡したんですか?」
「いや、向こうへ行ってからにするよ」
「そうですか……」
 そうだよな。家族は、離れていても繋がってる。僕は……丸五日間、甘い時間を過ごしたといっても、何の約束もしていない。だから赤井はこうやって、最後の時間を僕と過ごしてくれているんだ。
 最後?……嫌だ、そんなの。
「零君?」
 赤井は、僕に上着の裾を引っ張られて立ち止まった。搭乗手続きのカウンターが並び、人々がせわしく行き交う賑やかな場所。僕の愛する日本の玄関。だけど今は、赤井しか目に入らない。
「電話……していいですか」
 顔を見られなくて、やっとそれだけ言うと、「ああ」と優しい声が降りてきた。
「もちろんだよ。だが、俺の方が何度も電話をして、君にうるさがられるかもしれないな」
「何だよそれ……」
 赤井は、フッと笑って僕の頬を撫でると、チュッと口づけてきた。ヒューッと周囲から口笛が聞こえる。
「なっ……なっ……」
 何をする赤井秀一っ!公衆の面前で!
「フィアンセに挨拶のキスをするのは、おかしなことではないだろう?毎日電話をするのも」
「え……え?フィアンセ……って」
「ああ、そうか。やはりあの時、君は意識が飛びかけていたのだな」
「あの時……わっ」
 ぐいっと抱き寄せられた。耳元に低い声。
「大晦日、君が初めて俺を受け入れてくれた時だ」

『愛してる。生涯を共にしよう。俺と結婚してほしい』
『ほんとに……?』
『本当だ……三年……いや、二年だけ待っていてくれないか。それまでには、日本で暮らせるようにするよ』
『うん……うん、あかい……うれしい……』

「あ……」
「思い出したかな」
「う、ん」
「毎日電話をする。休暇には君のところへ帰る。俺が定期的にこっちへ来ることも、上に検討してもらっている」
「うん……うん」
 僕はもう場所も考えずに、赤井にしがみついて何度も頷いた。身を寄せ合いながら、隅の方へと体を移す。時間ギリギリまで、抱き合っていた。
 もう行かないと、という時間になった時、保安検査場の手前まで一緒に行き、勇気を振り絞って伝えた。
「あなたが好き……」
 赤井は満面の笑みを浮かべて、ニット帽を脱ぐと、僕に手渡してくれた。
「次に会う時には指輪を用意する。今はこれで勘弁してくれ」
「ありがと ……あの、行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくる」

 甘い甘い僕たちの時間は未来へ続いていくんだと、ようやく頭が追いついて来た頃、赤井を乗せた飛行機は飛び立っていった。
 それから僕は毎晩、ニット帽を抱きしめて眠り、大好きな人の夢を見た。



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