黒白を争う 編
name change
夢小説設定ここでは名前を自由に入力できるぞ。お前の好きな名前を入れてみてくれ。それにより面白みも増すだろ。
と言っても女性ばかりだが……
ん? 最後だけ男か。奴は、アイツが初めて……
いや、すまん。何でもない。では、よろしく頼む。
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― 6月24日・木曜日
朝は風が弱く、今朝も穏やかな風が吹く。
只今の時刻は早朝5時過ぎ。ここは屋外のバスケットコート。澄んだ晴れやかな空の下、若い男女の爽やかな声が行き交う。
「紳ちゃ〜ん!」
「綾、来たか」
朝日にも引けを取らない彼女の眩しい笑顔。
天気は良好。体調も良好。待ち合わせをした目的はもちろん、おとといの約束を果たすために。
「おはよう! 待った?」
「いや、ついさっき来たところだ」
挨拶を返そうとしたところ、ボールを持つ手が止まる。
「その服、暑くないのか?」
「うん。大丈夫だよっ」
不思議に思った彼は声をかけた。接近してきて真っ先に視界に入ったのは、彼女の服装。
疑問を抱くのも無理はない。上下ともに長袖のジャージを着ているから。季節の変わり目の時期になぜ長袖なのか?
「大丈夫じゃないだろ。顔が赤いぞ」
牧はというと、半袖のトレーニングシャツにハーフパンツのスポーツウェアといった運動に適した服装だ。それだけに彼女の着こなしに違和感を覚えずにはいられない。
「えっ、えっと……実は昨日ね……
って、ううん! 特に何もないからっ……!」
「綾?」
指摘され動揺する綾。下着を見られたなどと打ち明けたらどうなってしまうだろう。最悪の場合、朝練どころではなくなるかもしれない。
ルールを遵守しようとするも今は申し訳なさより恥じらいの方が勝った。
「ごめんね。隠し事はしちゃダメなのに……」
「言える時に言ってくれればいい」
「うん……」
水戸との一件があったためか、はたまた精一杯練習に努めるためか。自己防衛として肌の露出を控えていた。
( ……何かあったな )
綾を大切に想うあまり、接触を極力控えている牧。刺激の少ない格好は残念やら喜ばしいやら‥‥
黒であることは明確だが隠し通そうとするその慌てぶりに勘が働き、内心ホッとしている様にも見える。
― そして
「時間が限られてるからな。早速始めるぞ」
「はい! 牧キャプテン、よろしくお願いします!」
「ああ、お安いご用だ」
" 牧キャプテン "
あれから猛省しているであろう、禁断の体験入部の日と同じ呼び方をする綾。
本日は陵南戦の前々日。彼女の1番のリクエストである2人きりの朝練が開始された。登校の準備等もあるため共に取り組めるのはたった2時間程度。この短時間の間にどういった手法を用いて身体に教えこませるのか、彼の腕の見せどころだ。
軽く準備運動をした後、実態を知るためにまずは今現在の実力をみることに。
「まずはフリースローからやるか」
「うん」
「良ければこれを使え」
「!」
( あれ……? )
普段より、心なしか軽く感じられた。
それもそのはず。ぱしっと手渡されたボールは女子向けの6号サイズ。
綾のことを考えてのことだろう。周囲が5センチほど小さく、また重量も100グラムほど軽い。これは以前2人きりで練習した日と同一のものだった。
( 私のために、わざわざ用意して……?
ありがとう。
こうして朝早くから付き合ってくれてるんだもん。
紳ちゃんのためにも、しっかり頑張らなくちゃ! )
赤木と桜木が対なら、こちらも主将の牧が綾に付きっきりでレクチャー。この様な光景は、ちょうど1年ほど前。牧は2年、彼女は中学3年。レイアップシュートの仕方を伝授した頃にも見られた。
ライン前に立ち両腕を上げて構える。彼はというと、口出しすることなく緊張した立ち姿を凝視している。
シュッ‥‥
ガン‥‥!
「…………」
「あは……こんな感じで、半分くらいしか入らなくて……」
10発のシュートが天空に放たれるも半分近くはネットをくぐれずリングに当たり、地上へと落下してしまう。
「目先のゴールをよく見て、放物線を描くようにイメージしながら打つといい。あとは何度も何度もトライすることだ。
経験を積まなければ上手くなるものも上手くならん」
「紳ちゃん……」
「お前が言ってたことだぞ」
" 経験は無駄にはならない。きっと自分の糧となる "
以来、座右の銘にしていると言う会場にてインプットした綾の名言ともいえる言葉。
経験値は己の何よりの武器であり、何者にも代え難い。失敗したとしても何度もリピートすることが大切だと牧はどっしりと構えた立ち振る舞いと面持ちでアドバイスを送る。
「放物線をイメージ……うん、分かった!」
空中に円を描き、吸い込まれる様に入っていく。
それからというもの身体に覚えさせるようにして何十本もシュートを打っていた。牧からこぼれ球のパスを通され、そしてひたすら打つ、の繰り返し。
「桜木くんみたいに、下から投げてみようかな?」
流川の様に両目を瞑って狙うことは不可能。ならば、直近で視認した海南戦でのプレイを真似ようと口にすると
「あれは邪道だ」
「邪道?」
「だが、なかなかに面白い。気に入ったぜ」
次はどんなことをして驚かせてくれるのか。
一度はそう吐き捨てたが、桜木が織りなす特殊な技に楽しさを感じているよう。
しっかり構える。膝をやわらかく、無心になって打つ。
リングの奥を狙い、また、線を踏まないようにと彼女は今まで複数の人物から上達するための指導を仰いできた。
そしてこの度、恋人の牧の助言も新しく追加された。
これらの教えを基に奮起し
10本中7本のシュートに見事成功。
これ以上確実に決めるためには日々の鍛錬が必要不可欠であり、反復練習といった個人での努力が大事になってくる。
――
このまま勢いに乗り、続いてスリーポイントの練習へ。
「まちまちだな。だが、フォームも悪くない。
あとは飛距離の問題だ」
「……だけど、かするどころかエアボールばかりで1本も入らないなんて……
練習不足なのかな。ちょっと自信失くしちゃう……」
以前と同様、1本も入らずじまい。ゴールに入らなければ意味がない。しかし牧は一切責めることなく、まちまちだと自身の見解で良い箇所を褒めていた。
「そうしょげるな、綾。
俺がついてるから大丈夫だ」
「……!」
「大丈夫」は、魔法の言葉。
自身が何度もそう言ってきた様に彼からも同等のセリフを浴びた綾。ぽきっと心が折れそうになるも
その励ましの言葉に顔を上げ、絶対的な安心感を得ていた。
「入らないのは距離があるからだ」
「え?」
「つまり……これがどういうことか分かるか、綾」
「ん〜……」
「俺と逆の立場ならどうする?」
急な問いかけに疑問を持つことなく顎に手を当て考え込む。彼女の回答はというと‥‥
「えっと……ゴールから遠いってことだよね。
私なら、やる気を削がないように、できるところから……
あ……! 距離を縮めていけば入るかも!」
「さすがだな。得意な近場から始めて、段々と距離を空けてけば入るようになるだろうぜ」
「……!」
「遮二無二シュートしたところで入らない上に、上達しない。そのまま蟻地獄にはまるのが関の山だ」
ゴールから距離がある=ただ闇雲にシュートしても入らない。これではちっとも上達せず無限ループにはまってしまうといった、分かりきった悪い式。
また、それが目に見えていること。
その高校生らしからぬ風体および観察力、考察力が抜きん出ている牧。立場が逆転したとしたらどの様に相手に教えるか
問うことで、やる気を起こさせたのだ。
「すごい……! さすが紳ちゃん……」
「さあ、真下からだ」
「うん!」
― そして数分後、奇跡が
「はっ……入った〜!!」
至近距離から順を追って打っていき、ついに規定の位置から念願だったシュートを1本決めた‥‥!
「やったな! 綾!」
「うん……
まぐれかもしれないけど、嬉しい……」
跳び上がりたいほど嬉しいはず。が、彼のもとへ駆け寄りハイタッチをするでもなく綾はその場から一切動じず、全身で喜びの余韻に浸っている。
遠距離が苦手。それなら近距離なら入るだろうと徐々に距離を縮めていくスタイルでのプレイ。
6メートルと無理に強行突破せず
ゴール下から始め
2、3、4、5メートル‥‥と段々と離していけばいいと具体的な指示と助言を授け、それにより無事成功を収めた。
もちろんゴールから距離が近ければ近いほどシュート成功率は上がる。付け加えて精神的にもやる気を低下させない様にと配慮した牧。
先ほどのフリースローのシュートフォームと実績から、これらを総合的に判断したのだった。
こうして、フリースローは7割、スリーポイントは1割でも
ボールをリングへと誘導できるほどまで成長を遂げた。
発汗し、火照った身体。
6月とはいえ体感温度は30度は優に超えているであろう熱い日差しが徐々に彼女の体力を奪っていく。
「ここらで少し休むか」
「うん」
練習を始めて約1時間。ここらで一息入れようとハーフタイムを取ることに。
2人はコート付近にある木陰の下の緑地に腰を下ろした。私物のリュックからガサゴソと何やら物品を取り出し、それを差し出す。
「はい! 紳ちゃん、お疲れさま!」
「サンキュ。相変わらず羽振りが良いな」
「そう? ありがとう」
スポーツ飲料と小さなタッパーに入ったレモンの蜂蜜漬け。
これは以前海南へ差し入れをしたもの。
毎度準備に余念のない綾。牧は羽振りの良さに感心し、当然の様に感謝を伝えた。
無香料だろうか。立ち上がり少し離れ、シューっと制汗剤を身体に噴霧する。ガタイの良い鍛え上げられた身体。そしてシャツをめくり腹や脇、首元にかけるといったごくごく自然な動きに彼女は目を奪われていた。
( 何度見ても、すごい……お腹の筋肉、割れてる……
こんがり肌が焼けてて……
汗だくなのに清潔感があって、色気が…… )
「ん? 使うか?」
「うっ、ううん……!
日焼け止め塗ってきたし、ここにいれば比較的涼しいから大丈夫……!」
「綾?」
見られていることに気が付きスプレー缶を手渡そうとするも、ノーサンキューだと慌てて断りを入れた。
体温が上昇していることに加え
じりじりと照りつける日差しと気温に耐えきれなくなり‥‥
「あは……やっぱり、暑いかも……」
「……!」
そう言ってジャージのファスナーを下ろした。
長袖を着用しての練習は体にこたえたか。また、透けてはないにしろ汗で蒸れて服が柔肌にぴたりと張りつき、女性らしいしなやかなボディラインが強調されている。
シャツの胸元をパタパタと前後させる綾。牧はそんな何気ない仕草を視界に入れるも、顔を赤らめサッと視線を逸らした。
「桜木の調子はどうだ?」
「うん、すっごく練習がんばってるよ!
私よりも断然上手! ……妬いちゃうくらい」
少々続いた沈黙を破ったのは、彼だった。
「……そうか。だが、お前は経験者なんだ。
時には上には上がいることを見せつけたらどうだ」
「そんな……私、天才じゃないし……」
「綾、」
「それに、桜木くんが楽しそうに特訓してるところを見てると何だかこっちまで嬉しくなっちゃって」
「楽しそうに……?」
綾の発言に牧は不思議そうに言葉を返す。
" 自分は天才には程遠い "
彼女はMVPではないが、表舞台に立つ皆を支える影の功労者として称賛されている。
少しずつではあるが確実に力をつけている。とはいえ自称天才の男の様に秀でた才能は自身には無いと地位や意見を押し出さず、どこまでも低姿勢な態度を示す。
彼女の心は、いわばミネラルウォーター。
純水の様に心が透き通っており、自身のことよりも他人の話題が上がった方が明らかに嬉々としている。
特に桜木とは近距離、遠距離からのシュート練習に励む者同士うまくなりたいという共通の思いがあるためだろうか。
「キャプテンは通院してるみたいだけど、まだ試合には出ないほうが……」
「そうだな。それが賢明だろう」
その後、赤木の怪我の様子を話した。
まだ本調子ではないため試合は控えた方がいい、と。従来通り部員たちのマネージャーとして奮闘する綾は、絶えず痛みが残る足の腫れを気に留めていた。
― そして
「ところで、例の件はどうなんだ。水戸とは決別できたのか?」
「えっと、それは……って、え?
紳ちゃん、なんで水戸くんのこと知って……」
「前に電話した時から、なんとなくな」
「そうだったんだ……」
さらっと水戸の名前を出す牧。おととい、直感だと男が絡んだ問題であることを言い当てていた。
それが告白の返事なのかどうかは明確に分かっていないが、複数の人物から好かれていることを根に持つ彼は気になってはいても何となくと言ってぼかし、次の受け答えを待つ。
「ごめんね。ハッキリしてくるって言ったのに、あれでちゃんと白黒つけられたのかな……」
「ん……?」
「友情にヒビが入っちゃって……
もうお友達じゃいられないんだ、って思ったの。
こんなこと初めてで、戸惑ってる……」
「…………」
体育座りで履いているスニーカーの靴紐を見ながら話す。
その紐はキツすぎず緩すぎず、絶妙な塩梅で結んであった。
「何があったのか詳しくは分からんが……
遅かれ早かれ返事をしないといけなかったんだろ。奴も本望だろう」
「そうかな……」
顔だけを横にやり、開けた小さな口は目と同様に何かを訴えている様にも見える。
「ん……? 何か言いたげだな」
「自分から振っておいて、そんな虫の良い話はないかもしれないけど……同時に欲張りな気持ちも生まれちゃってるの。水戸くんとまた仲良くなれたらいいのに、って……」
( 綾…… )
図々しいよね、と片方の眉をへの字に下げる。
あれで本当にハッキリできたのか微妙な気持ちだった。スカートめくりという行為によって答えを応えで返されてしまった綾。
彼女が初恋の相手だったこと。
これからの戦いはハードであり、自分のためだけに手間取らせるわけにはいかないといった
一歩後退した想い。
行為のワケには勘付くも水戸の心奥深くに潜む感情までは分からず、その真情は知らずじまい。
何より友人を1人失くしてしまった事実が、ひどく淋しい。
「前に紳ちゃんが言ってた通りだね」
「ああ。例外もあるってことだ。
おそらく、お前のことを1番に考えてのことだろ。そう重く受け止めるな」
水戸が失恋が初めてならば、この度の喪失感は綾とて初めての感覚だ。
探し物がいつまで経っても見つからない様に、ふとした時に発見し友情が回復したらいいなと切に願っていた。
軍団の面々とラーメン屋へ行く約束もしており、例のメモ用紙に書き記し下駄箱へと投函。
牧が言う様に振ったあと友人になれないパターンも存在し、人によりけりということを身をもって知った彼女は‥‥
「うん……だけど紳ちゃんって、やっぱり大人だね……」
「何? 俺はまだ17だぞ」
「え……違うよっ、そうじゃなくて、考え方が……!」
牧はカウンターとして年齢を前面に出した。述語を抜きにしても、精神年齢が高いという意味合いだとしてもどちらにせよ外見が老けているという意味に捉えられてしまう。
「もう汗も引いたし、休憩は終わりにして再開しよっ!」
「…………」
顔や身体を覆った日陰が、さらに肌の黒さを増す。
前言撤回しようにも冷や汗が止まらない。「大人」の一言にショックを受けてしまったのだろうか? 彼にしては珍しく黙りこくっている。
「そっ、そうそう! 桜木くんがね、
牧も仙道も俺が倒ーーす! ってすごく気合い入ってるの!」
「…………」
「あと、楓くんが両目を瞑ってシュート」
流れる様に、ひとり焦りながら話を続けていた
その時
太く長い手指が華奢な細い肩をぎゅっと掴んだ。
「して……!?」
「それ以上、他の男の話はするな」
心を自身の方向へ振り向かせる様にして、抱き寄せた‥‥
推理するならばジイの名付け親である桜木を筆頭に、綾の口から次から次へと発せられる男たちの名に痺れを切らしたのだと考えられる。
「しっ、紳ちゃ……」
「…………」
「ごめんなさい……まさか、やきもち……?」
「……くっついてたいんだろ」
「……!」
陽気のせいだろうか。先ほどから牧の頬はほんのりと赤い。また、機嫌を損ねたのか太い眉毛が少々吊り上がっている。
あなたと 一日中、くっついていたい ――。
これは、綾が望む埋め合わせのひとつ。
冗談だから忘れてと軌道修正をしようとしていたがわずか2日間というこんなに直ぐに、この様な状況で願いが叶うとは夢にも思わず驚きの表情の連続だ。
広い肩と厚い胸板に顔と手をつけ、身を預けた。
その瞬間、男はフラワーガーデンの甘い香りに魅せられる。
「……!」
「本当に、色々とごめんね。
でも私……紳ちゃんの大人っぽいところ、好きだよ……?」
彼の態度に焦りを感じ早口になっていた綾だが
ゆったりとした口調で先ほどの失礼を詫びた。
「分かってる……
気を遣わせちまって、すまん……」
女はふるふる、と首を左右に振る。
「あいにく、そこまで分別が良いほうじゃないんでな……」
牧の低い声が漏れる。
あまり面白くなさそうな表情をしているばかりか、最愛の彼女の顔を見ていない。
そこまで物分かりが良い方ではないらしいがこの発言は独占欲が強く、また嫉妬していると認めている様なもの。
「そ、そっか……でも、学校が……」
「まだ時間はある。焦るな」
「うっ、うん」
「一時的だがな……」
( いつもと違う、爽やかな匂いがする。
さっきのスプレーかな?
でも、ここだけは一緒だね。
体育館で約束した時も
紳ちゃんの身体が、すごくあったかくて……
願い事…… 一気に2つも叶っちゃった……
家で日焼け止めをたっぷり塗ってきたけど、ものすごく熱い紳ちゃんの日差しに
全身がとろとろに溶けちゃいそう……! )
( 綾……あまり刺激するな……
たとえ休日だとしても今は、一日中はちょっとな……
今日のところはこのまま、ここらで終わりにするか。 )
24時間ずっと身体に触れたままでいることは無理な話かもしれない。が、綾にとっては数分の間だけだとしても嬉しかった。これで満足だった。
すべての想いを吐き出した牧と綾。
2人は今、実に平穏なひとときを過ごしていた。
この日、肩を抱くだけでそれ以上のことはしなかった。
別れの際に交わした悲しみのキス以来ご無沙汰となっており唯一絞り出せるものといえば看病をしに行ったあの日、彼女からの一方的なものだけ。
寝込んでいた彼は至極当然、愛のスタンプという名の唇の感触など知らぬまま。
「なんだか、夢みたい……」
「夢……? ずいぶんと大袈裟だな」
「だって……お願い事が叶ったみたいで、嬉しくて……」
斜め右にようやく視線を落としたかと思えば、その一言で牧は例の悪夢を思い出してしまう。
それは‥‥藤真と綾が仲良く抱き合い、キスをしかけるものだった。
「……!」
肩を抱く力をぐっと強める。
夢心地の彼女はそれに驚き、早早と彼の顔を見た。
「藤真か……」
「え……?」
残念ながら平穏は長続きしなかった。
牧のそのぼやきを境に、1本のロープを伝う様にして確実に根幹の部分へと迫ってゆく。
「明日は試合の前日だね」
「ああ。明日もやるか」
「えっ……いいの……?」
「無論だ」
「ありがとう……
他にも誰か誘う? 健司くんとか 『いや』」
今しがた名が挙がった藤真を誘わないかと提案するも、否定的な声が即行で乱入してくる。
「2人だけで(特訓)したいんだろ」
「でも、2時間も一緒に過ごせたから……」
「たったの2時間だぞ」
「うん。私ね、紳ちゃんとはもう二度とバスケできないかと思ってたの。
だから今日はもうお腹いっぱいだよ〜」
( 綾…… )
明日も早起き頑張るね! と満足げに笑った。
父親とのしがらみがあり、こんな風に2人で過ごす日は訪れないと思い込んでいた。
あれからゆっくりゆっくりと時が過ぎ、120分間彼との時間を堪能したため満足感を得たと語るも相手側はというと
自然と顔が強張り、恋のライバルの話へとつながってゆく。
「分かった。だが、藤真だけは呼ぶな」
「え……どうして?」
「次に奴と会うのは雌雄を決する時だ」
「雌雄……」
プレゼントされたと言う例の髪飾りのことを気にしているのだろうか。勝負の話題が上がると、これまで密着させていた身体を離し向かい合わせに。
いつになく真剣な顔つきに綾の顔も強張り、全身に緊張感が走る。
― そして‥‥
「綾……お前は俺と藤真、どっちに勝ってほしいんだ……?」
「えっ……」
( 紳ちゃん……?
どうしてそんな顔、するの……? )
恋人か、はたまた憧れの人物か。
綱の先端は枝分かれをしていた‥‥
究極の選択を強いられ、着ていた服の裾を力強く掴んだ。霧もモヤも見られないあまりに鋭い真っ直ぐな瞳を直視できず俯き、その目を逸らしてしまう。
彼女が出した答えは果たして‥‥
「っ……どっちにも、勝ってほしい……」
「奴は、同情などしてほしくないはずだ」
「……優しさが、人を傷つけるから……?」
「それは、奴の……」
「うん……」
仙道から受け取った恋文の一件で、藤真が話していたこと。
その様な情けは無用。どちらが勝つか負けるか。
それだけを確かめるために挑むまで。
綾の立場からすればそもそも勝負する必要性があるのか。うすらぼんやりとした気持ちでいっぱいだった。
それは、その目的を未だ理解していないから。
自身がキーパーソンだとは知らずに‥‥
その重要人物は切実な表情でこんなことを尋ねた。
「ねぇ、そもそも決着って
一体何のために……?
どっちが実力が上かを確かめるため?」
「……そんなところだ」
「プレゼントを買いに行った日、健司くんが本当は海南とあたりたかったって話してたの。だけど、わざわざ優劣をつけるなんてこと……」
「…………」
分かんないよ‥‥と小さくぼやく。
男にはやらねばならない時があるという水戸の発言。そして
分かり合えた三井と宮城、そして直近の桜木と流川の顔中にできていた多数のアザ。
牧とて以前相手の誠意に全身全霊で応えると話していた。
争わずに終わってほしいと心から願い根本を突くも、それはきっと叶わぬ願い。
主将同士の彼らの戦いは壮絶なものになるに違いない。
「綾、頼みがある」
「え……? なに……?」
「監督には断ったそうだが……
頼む。その時は勝利の女神として、勝敗を見届けてほしい」
「紳ちゃん……」
" 来たる運命の日、勝利の女神として微笑んでほしい "
おそらく自身の願いは叶わない。けれど、彼の願いは出来る限り叶えてあげたい。
しかし
恋人からの唐突な依頼にそれ以上は言えず、口ごもる。
「そんな……
私だけじゃなくて、全員が笑って終わりにできたら……」
「それは無理だ。
それだけは……本当の理由とて言えん」
「どうしても……?」
「どうしてもだ」
――‥
……分からない。
曖昧な回答で、申し訳ない……
‥――
撮影された笑顔の写真が目に浮かぶ。
先日、憧れの人物から3人ではもう笑い合える可能性は低いだろうといったニュアンスの回答に肩を落としていた綾。それに続き、恋人からは望みが薄いどころか否定的な言葉を浴びせられてしまった。
( お前の心を、かけてな…… )
君も頑固だなと彼女の父親に断定された牧。
が、それにより意固地になっているわけではなかった。
通常の試合とは格段に異なり、藤真との対決は特別なもの。今ここで恋敵の気持ちを打ち明けることはできない。だからと言って愛する彼女のため手加減はせず本気で挑むだろう。
「すまん……」
「ううん、私こそごめんね。すぐに返事できなくて……」
「いや、気にするな」
「うん……」
すぐ返事ができなくてもいいと言われ、綾は付随して藤真が長い間片思い中だと話していたことを思い返していた。
( 奴は、お前のことが…… )
( 健司くん、好きな人がいるんだって……誰だろう……? )
――‥
いや、しない。好きな人がいると言って断った。
3年もの間……ずっと、恋してる。
さらに、その人には恋人がいるんだ。
見たくはない……
微笑みかける横顔も、泣き顔も……
‥――
( その様子だと、まだ気付いてないのか……? )
( 紳ちゃんは、知ってるの……? )
互いに心の内を吐露できずにいた。嘘をつかず、隠し事もしてはならない。
これでは自分たちが独自で定めたルールを守れていない。
きっと自覚はしているであろう。言えない理由はもちろん、本人のため。彼の想いを尊重しているからこそ。
――
「じゃあ、また明日の朝にな」
「うん。本当にありがとう。またね……!」
これにて1日目の早朝練習そして2人きりの時間は終了。
その場で解散し、各々の高校へと向かうのだった。
思いがけぬハプニングに身を寄せ合い幸福な時間を過ごした綾。
彼が近付く度に鼻を突き抜ける。それは以前、三井に被せられたタオルから香ったマリンオーシャン、そして本日差し入れたレモンやボディスプレーの柑橘系の香り。
離れてもなお牧自身が持つその似通った匂いと温もりにこの上ない愛おしさを感じていた‥‥