最大の試練 編
name change
夢小説設定ここでは名前を自由に入力できるぞ。お前の好きな名前を入れてみてくれ。それにより面白みも増すだろ。
と言っても女性ばかりだが……
ん? 最後だけ男か。奴は、アイツが初めて……
いや、すまん。何でもない。では、よろしく頼む。
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チャコールグレーの暗闇の中、霧に似たもやがかかる。
言い表せば写真にフィルターをかけたよう。
視線の先には二つの人影が見える。
ーー‥
け〜んじくん!
春野……!
突然どうしたんだ?
今日はね、健司くんに会いたくて来たの。
……そういうセリフは、本当に好きな奴に言うものなんじゃないか。
え……?
そこには藤真と綾の姿があった。
翔陽高校の体育館にてフレンドリー且つ仲睦まじい会話が続けられるが
突如、場面は切り替わり
君と出会ってから今までずっと、ずっと……
俺はこの気持ちをひた隠しにしていた。
春野のことが、好きだ……
……!!
牧のことが一番だと分かってる。
分かってるさ。だが、諦めきれなかった……!
もう兄では……友人では、いられない。
これからは男として、俺を見て………
うん……
綾……
健司……
そのまま二人は抱きしめ合い、キスを‥‥
‥ーー
( 綾……!! )
目を覚まし、ガバッと布団から起き上がる。
連日の汗ばむ身体‥‥これにより体調不良であることを自覚せざるを得なかった。
あの白いもやは二人の、いや彼女の曖昧さにあるもの。
藤真は憧れの人物であること。そして
未だバスケットへの迷いを打ち明けられていないこと。
牧はこの様に考えていた。
綾は藤真に対して「特別な存在」として、確実に心を許している。
" 女心と秋の空 "
以前に監督が述べていたこと。
彼女の心がその恋敵に傾いてしまうのではないか、と。
そう懸念を抱いている彼には残酷な様だが、ここは現実世界。可能性は無くはない。
あの夢は単なる夢でパラレルワールドだと信じたい ―
( 夢か…… 悪夢だ…… )
――
( 大丈夫かな、紳ちゃん…… )
一夜が明け、正午過ぎ。
そよそよとした初夏の爽やかな風が吹く。
木々のざわめきはもうじき暑い暑い夏がやって来るよと知らせている。
両親の気遣いから、綾は家族側の都合と称して学校を休んでいた。
今居る場所は牧の自宅前。
何やら帆布生地の買い物袋を携えているが
どうして彼女がここへ来ているのかというと‥‥
「この度は、うちの紳一が本当にごめんなさい……」
「そんな……やめてください。」
午前中、牧の母親から電話が。
自分の親と比べると少々若い三十代の子育て世帯のワーキングマザー。
綾の体調を心配してのことであろうが
当の本人はというと彼の育ての親を相手に緊張感が高まるばかり。
携帯に直接連絡を入れたということは何か個別に知り得たい情報でもあるのだろうか。
先方は通話早々、今回の一件について謝罪をした。
「謝らないでください。そもそもの原因は私で
恋愛に臆病になっていて、顔を見ることも出来なくて
それで気を遣わせてしまって……
なるべくしてなった結果なんです。」
「…………」
彼は1ミリだって悪くない。
左頬に貼られた四角い絆創膏をさすり
事の発端から結末を物語のダイジェストの様に語った。
母親は彼女のその短い言葉を少しでも聞き逃さぬよう、か細い声に耳を傾けている。
「そんなこと言うもんじゃないわ。
子どもの過失は、親の責任よ。きっちり後始末をさせてちょうだい。
もちろん夫も同意見よ。
慰謝料を請求されたとしても、断る理由もないわ。」
「おばさま……」
すぐにでもお宅に伺うつもりよ、と付け加えて話す。
子のミスは保護者である自分たちのミス。
あくまで自分が悪いと貫く綾に大人の適切な措置を施すと言い放つ。
真摯な対応、そしてズバッと一刀両断する発言スタイルは牧の産みの親であることを証明しているよう。
「それに……」
「何かしら?」
「彼は、紳一さんは
質実剛健な方で、優しすぎるくらい優しくて……
昨日も私のために命懸けで
体を張って守ってくれたんです。
だから、責めることだけは……」
飾り気がなく誠実。そして強く、たくましい。
例の赤いシャクヤクの花言葉。
先日、牧からの手紙にて己の愚かさをことごとく痛感した綾。
文章や声を思い出せばその花の色に引けを取らないほど頬は染まってゆく。
ーー‥
この度は、本当にすまなかった。
またしてもお前を傷付けてしまい
今どんな心境でいるのかと考えたら夜も眠りに就けないほど、申し訳ない気持ちで一杯だ。
簡単に許してもらおうなどと思ってはいない。
綾、お前と出会ってから約2年。
今まで色々な事があったが
とてもとても、充実していて楽しかった。
これまでバスケ漬けの日々を送っていた俺に
花々のような美しい彩りをくれた。
綾にはいつも助けてもらっていたな。
辛い時も悲しい時も
笑顔に、明るさに、優しさに支えられていた。
感謝してもしきれないぐらい、感謝している。
当然だ……!
お前が全力で応援してくれるのなら、
俺も全力で守り抜いてやる。
この命に代えても、必ずな……!!
‥ーー
命に代えても必ず守る‥‥
あの日に約束した通り、守ってくれた。
彼に非はない。
従って非難しないでほしいと控えめな口調で頼み込むが
予想外の言葉にほっぺたはさらに朱さを増す。
「あら、なんだか妬けるわね。」
「えっ……」
「うふふ。そこまで息子のことを想ってくれてありがとう。母親として嬉しい限りよ。
だけど自分の体を一番に考えて、大切にね。」
「はい。ありがとうございます。」
気持ちを胸に刻んだ母親は非常に嬉しそうにしていた。
「最近は暗い顔をすることが多くなって、ご飯もあまり喉を通らないみたいなの。
綾ちゃんに片思いしていた頃を思い出すわね。」
「え……」
「最強と呼ばれてはいても、私からすればまだ子ども同然よ。
体ばかり大きくなって……
ああ見えて、ガラスのハートの持ち主なのよ?」
取扱いには注意が必要よ、と付け足し笑う。
当時、綾に好意を抱いた牧は恋の病を患っており顕著に表情に出ていたのか。
屈強な身体をしている彼だが思春期真っ盛りの若者であることを忘れてはいけない。心はとても繊細なのだ。
家庭での様子を初めて耳にした綾。
彼はなぜ表情を曇らせていたのだろう?
何か心配事でもあるのだろうか。
バスケットを心から好きになれず嫌悪感を抱いていることは、ほぼほぼ勘付いているのかも知れない。
それを抜きにしても部活や試合、はたまた将来のことなのか。
全く見当がつかないが頭を悩ませているそのほとんどの原因は自分であると考え、心苦しそうにしていた。
― すると
母親は声色を変え、しんみりとしたトーンで喋りだす。
「ねぇ、綾ちゃん。」
「……はい。」
「綾ちゃんさえ良ければ、息子に是非会ってくれないかしら。」
「え……でも……」
会いたいのは山々だが、昨夜
距離を置こうと彼の真心を受け入れたばかり。
そうしたい気持ちはあれどなかなか踏み切れずにいた綾だったが次の瞬間、耳を疑った。
「風邪をこじらせてるの。」
「!」
「期末試験の日も近いし、はじめはただの知恵熱かと思ってたんだけど……どうもそうじゃないみたいなの。」
( 紳ちゃん…… そういえば、あの時……! )
ーー‥
コホッ‥‥
すまん、大丈夫だ。
‥ーー
別れ際、妙に咳込んでいたことを思い出す。
平静を装っていたがあのあと症状が悪化していたのか。
彼女の脳内には今、不安から黒いもやがぐるぐると渦を巻いている。
「私より綾ちゃんに看病してもらった方が嬉しいんじゃないかしら?」
「そ、そんなことは……」
「もちろん風邪をうつしてしまうかもしれないし、無理にとは言わないわ。
だけど人間、弱っている時は誰かにすがりたいじゃない。
一番大切であろうあなたに……
隣にいてあげてほしいの。
どうかこのワガママを聞き入れてもらえないかしら。」
「おばさま……」
綾はその切迫した願望を胸に留め
実の母に事情を説明し、数時間で帰るという約束のもとやって来た。
「彼女」であるならば当たり前なのだろうが
縛りがあるこの様な状況でも
彼のケアそして面会が出来ることを嬉しく思った。
" 体調を崩しているなら尚のこと寄り添ってあげたい "
お邪魔しますと挨拶を済ませ上の階へ。
ノックしたあと、おそるおそるドアを開ける。
「紳ちゃん、入るね。具合はどう……?」
「! 綾……」
突然の訪問に驚く牧。
悪寒がするためか、衣替えのこの時期にも関わらず長袖で前開きタイプのルームウェアを身にまとう。
ちなみにカラーは紺色。落ち着いた配色は紫外線をたっぷりと浴びた素肌の彼にぴったりだ。
部屋に入り手荷物を床に置いた瞬間
牧は綾を床に押し倒し、覆いかぶさる。
「きゃっ! しっ、紳ちゃん……!?」
「綾……」
「どうしたの……? 何か、あった……?」
「っ……
男の部屋に上がり込むってのは、こういうことだぞ。」
「……!!」
お前に拒否権はない‥‥
あの言葉の意味合いは、こうだった。
寝ぼけているのだろうか。体をふらつかせてはいるが
突如マウントを取られ身動きが出来ない。
顔を両手で挟むようにして互いの両手を絡ませる。
「綾…… どこへも行くな……」
「え……?」
これが何を言わんとしているのか。
彼女には真意が掴めない。
じっと瞳を見つめ、ツヤのある桃色の口元に近付く。
唇と唇が触れ合うまで、ほんの少しの所で‥‥
「やっ、フライングは、だめっ……!」
「!!」
「元気になったら、ね……?」
顔を横に背けたあと
彼の唇に人差し指を押し当て、制止した。
( 可愛いな…… )
「ああ、そうだな……すまん。」
まだ「その時」じゃない。
牧は綾のその仕草にドキッとしていた‥‥
直後、体を起こしベッド上に座る彼のもとへ。
改めて室内を見回せば病に倒れ片付ける余裕もなかったのだろう。少々物が散乱しており以前訪れた時とは雰囲気が違うが、これだけは変わらず
さざ波や荒波を思わせる潮の香りが漂っている。
「突然押しかけてごめんね。
昨日、咳込んでたし心配で……」
「ただの微熱だ。大したことじゃない。」
「でも汗がすごいし、足元もフラフラだよ?」
「大丈夫だ、心配するな。
念のためにちゃんと薬も飲んだしな。」
「紳ちゃん……?」
体温もさほど高くなく市販の風邪薬も服用したらしいが食欲不振だと聞いていたのに。
彼女の手前、気丈に振る舞っているのか。
第二のマネージャーとして普段から選手たちの手当てをしている綾は強い違和感を覚えた。
「あと、お父さんのこと……
来ちゃいけないって分かってたけど、おばさまから電話があって……なるべく早めに帰るから……」
「…………」
「いま彼に会う」ということ。
それはタブーだと把握している彼女は双方の母親に許可を得ていることを含め、ためらいがちに話した。
父親に、特に牧に対して申し訳が立たず気後れしていたのだが寝込んでいると聞いては駆けつけずにはいられなかったのだ。
「いや、まさか見舞いに来てくれるとはな。
恩に着るよ。そうか、お袋が……」
「うん……」
「掟破りなようであまり好ましくないが……
お前のことだ。
今すぐ帰れと言っても帰らないんだろう。」
「うん、帰らない……」
まさに頑固一徹。
強情な彼女は牧の見解通り、父親の血が濃いらしい。
どうしたものか、といった困惑した表情をする。
嬉しくも悲しくもあるこの状況。
前者であると願うが体も心も石像のごとく動かぬ綾を横目に何を思っているのか。
その胸中やいかに‥‥?
― その後、二人は黙り込む。
長い沈黙に耐え切れなくなった綾は
「そうだ、食材たくさん持ってきたんだよ。
風邪の時はいっぱい栄養摂らなきゃ!
台所、借りてもいい?
待ってて、すぐに用意する……」
そう言って立ち上がろうとすると
グッと腕を掴まれる。
「まだ……いいだろ。」
「!!」
上目遣いにやられてしまった。
洗練された大人の魅力たっぷりなその渋い眼差しに綾の顔は赤く、胸の鼓動が早くなる。
" もっとずっと、一緒にいたい "
母親が言っていた通り
誰しも病気を患っているときは心細くなり甘えたくなるのだろう。
こんな風にワガママを通すこと自体めずらしく、彼女に心を開いている証拠だと分かる。
成り行き任せではないであろうが
嬉しくないと言えばそれは嘘になる。
何よりも傷心している最中わざわざ面会に来てくれたこと。
せっかくのこの機会を、今を満喫したいと彼は思った。
ドキ‥‥ ドキ‥‥
( び、びっくりしたぁ……
なんだか今日の紳ちゃん
グイグイ来るというか、甘えてくるような気が……
何かあったのかな……?
イヤな夢でも見たのかな。
だとしたら、どんな内容だったんだろう。
もしかして、私には言えないこと?
大丈夫って言ったのに。私じゃ頼りにならない……?
いけないいけない!
体調が優れないんだもんね。もっとしっかりしなきゃ!
だけど
さっきから距離が近すぎて、心臓がもたないよ…… )
距離を置くどころか近くなる一方で
心拍数が上がり、ドキドキさせられっぱなしの綾。
女心に気付いているのかいないのか‥‥
急に話を切りだした牧は海南キャプテンの顔になる。
「微熱といえど、主将ともあろう者が油断しちまった。
体調管理もできないようじゃ面目丸潰れだな。」
「ううん、そんなことないよ。
昨日、あの時も練習中だったんだよね?
すごく汗をかいたにも関わらず駆けつけてくれて……
それで熱が上がっちゃったんだよね。
決勝リーグだって控えてるのに……
私のせいで、ごめんなさい。」
そもそもの原因は発汗して火照った身体を急激に冷やしてしまったため。
キャプテンとしてあるまじき失態だと本人は嘆くが、どんな屈強な人間でも年中健康でいることは難しい。
支えるどころかチームの中心的存在である彼に風邪を引かせてしまったこと、迷惑をかけたことを謝罪した。
「そんなに気に病むな、綾。
このぐらいすぐに治る。」
「ほんと……?」
「ああ。俺のことよりも……」
「!」
「女の顔に生傷が……」
ほっぺたに貼られた絆創膏にそっと触れる。
またも肌に触れられ綾の顔も急激に熱をもつ。
「どいつにやられた?」
「えっと、これは、つまずいた時に……」
「転んでも顔に傷はできんだろ。ごまかすな。」
昨夜から痛々しい傷跡を気にかけていた牧。
真剣な顔つきで目線を外さず問いかける。
恥じらいもあり、咄嗟に転んだものだと嘘をつくが
やはり彼女は嘘がつけない体質なのか
それはすぐに見破られる。
「かおりか。」
「……うん。」
「すまない……」
「ううん、私なら大丈夫。」
心苦しそうな表情の牧。
この時、綾は真っ白なベッドのシーツを軽く掴んだ。そして俯き加減で語りはじめる。
「ねぇ、紳ちゃん。」
「ん……?」
「かおりさんも、紳ちゃんに恋をしてたんだよね。
好きで、好きで、寝ても覚めてもその人のことばかりを考えて……」
「綾……」
天使は、決して人を責めたりしない ―
綾の気持ちは複雑だった。
彼と同等、罪の意識や申し訳なさを感じているのか
先ほどからかおりを庇う発言が目立つ。
「花を踏みつけるようなヤツとは……」
「え……?」
「好きでもない女とは、付き合えん。」
「紳ちゃん……」
「セールスの勧誘と一緒だ。ああでも言わなきゃ、ずっと付きまとわれるだろうぜ。」
「…………」
ーー‥
三度目の正直だ。
かおり、お前とはとっくに別れたはずだ。
今後も付き合うつもりはない。諦めてくれ。
紳一は私と愛し合ってるの。
その証拠に、この間のデートの帰りは熱〜いキスまでしてくれたんだから。
天使だか何だか知らないけど、二度と近付かないで!
もしも無理だって言うなら
あの花みたいにぐちゃぐちゃに踏み潰してやるわ!!
‥ーー
" かおりさんも彼のことが大好きだったんだ "
三半規管に異常をきたす様な、あの感覚。
テーマパークにあるコーヒーカップのごとく
こんな思いが頭の中を巡り続ける。
が、あそこでキッパリと断らなければ
あの様な悲劇が繰り返されてしまう。諦めさせることが大事だと牧は返す。
綾を傷つけ、その彼女が好む花をぞんざいに扱う人間に愛情が芽生えることはなかった。
( 奴も……
四六時中とはいかなくとも
ずっと綾のことを考えてるんだろうな…… )
センチな気分に浸っていた牧だが、ふと疑問点を突く。
「ところで、昨日は夜遅くまで何をしてたんだ?」
「そ、それは……」
言いたいけれど、言えない。
喉元まで出かかってはいても、結局言えずじまい。
心に空いてしまった隙間を埋めるため。
自信を取り戻すため。
初心に返り、バスケットというスポーツを1から学び直していたこと。
具体的には分かりかねるが
自身のために自主的に取り組み、成果を上げようと目論んでいることを彼は知っていた。
未だ打ち明けれられずにいる綾。
やはり彼女の前に立ち塞がる壁は、とてつもなく高かった ―
「言いたくないならいいさ。」
「ごめんね……」
このあと綾は大切なことを思い出す。
三井の肩でうっかり居眠りをしてしまったこと
桜木と共に登校し、流川に送ってもらっていたことなど
他の男性と二人きりになってはならないという約束事をもう何遍も守れておらず、破った事実を精一杯謝った。
「謝るな。マネージャーなら避けられんだろう。
しかし、三井か……聞き捨てならんな。」
「先輩が……? どうして?」
「いや……」
綾の口元をじっと見る。
「……?」
「三井に、何もされてないか?」
「え? 寝てたから分からないけど……
そういえば、「ごちそうさま」って言ってたよ。」
「なにっ!?」
「お弁当、みんなに喜んでもらえて良かった〜。紳ちゃんにも元気になったらまた作ってあげるね。」
そう言って笑いかけるが
きっと本人は唇を奪われたことに気付いていない。
さらには藤真と綾が口付ける寸前の夢を見たばかり。
おかずは何がいいかな、と考える横顔を前に何を思う。
嬉しい反面ヤキモチ全開な様子の牧。
不安そうな顔色を目の当たりにして、彼女は‥‥
「紳ちゃん……?
私、どこにも行ったりしないよ。だから、安心して!」
「……!」
「紳ちゃんみたいに体は大きくないし力もないけど……
今までずーっとおんぶに抱っこだったでしょ?
だからこれからは、おんぶに抱っこはもちろん
腕枕でも膝枕でも、なんでもするよ!」
( 綾…… )
ーー‥
綾、どこへも行くな……
‥ーー
これは、牧の心の叫び。
綾には何を意味しているのかは分からない。
父親によって接触を余儀なくされた二人。
物理的に離れたとしても、この気持ちは離れはしない。
あれもこれもと負担をかけていた。
今までたくさん甘えさせてくれた。
だから、次は自分の番。
多方面で役に立ちたい。頼ってほしい。甘えてほしい。
両手でのジェスチャーを交え、彼の右腕となって奉仕がしたいと主張した。
「本当の意味で、おんぶや抱っこは無理だろ。」
「うん、それは無理かも……」
やわらかくて優しい気持ちが胸いっぱいに溢れてくる。
フッ……
「ゆうべといい、心強いな。」
「紳ちゃん……?」
「それなら、お言葉に甘えさせてもらう。」
この時、肩にずっしりと重みがかかる。
それは‥‥
牧が綾の肩にもたれかかっているから。
「!!」
「やはり、お前の隣はいいな。落ち着くよ……」
一輪のバラは小さなカスミソウに支えられ花束となり、心に大きな安らぎをもたらした。
綾にとって彼の腕の中がそうであるように
牧にとってもここは非常に居心地が良く、リラックスできる場所。
「彼女」だけに見せる、もうひとつの顔だった ―
またまた急接近して綾の心拍数は急上昇。
ヤケドしそうなほど顔全体が赤く、こちらまで熱が伝わってくるよう。沸騰寸前の中
彼は彼女に身を託したまま、おもむろに声をかける。
「明日の天気って知ってるか、綾。」
「え? 今朝テレビで観たけど晴れだったような……」
「そうか、晴れか。晴れならいいんだ。」
「……?」
「俺も晴れたからな、霧が。」
「霧?」
「いやな、さっき見たんだ。悪夢ってやつを。」
「えっ、悪夢……? どんな夢?」
「いいんだ。もうどうでもよくなった。」
( お前を失いそうになる夢だ、とは言えんな…… )
「?? そっかぁ、良かったね!」
「ああ……」
( 良かったのは俺の方だ。
その笑顔どころか、お前を再び失うところだった。
悪いが誰も邪魔しないでくれ。
少なくとも、今この瞬間(とき)だけは…… )
あの夢が正夢になってしまうのでは……?
悪夢を見たあとでは、よからぬことまで考えてしまう。
が、何を不安になることがある。
目の前の愛しき人は
慈愛に満ちあふれ、こんなにも自分に一途で、
曇りのない笑顔を向け真正面から愛情をぶつけてきているというのに。
( この状況……
どうしよう、どうしよう……!
紳ちゃんの体温が伝わってきてるみたいで
なんだかすごく熱い…… )
「って、紳ちゃん!?」
ハァ、ハァ……
「やっぱり……熱がある……
大丈夫!? ちゃんとベッドで寝なきゃ……!」
この瞬間、先ほどの違和感は確かなものに変わった。
次第にその体勢は崩れ、綾の肩からずり落ちる。
呼吸は荒く、額に触れると異様なほどに熱い。
そして
牧の意識が薄れてゆく ―
それからというもの、ベッドに寝かせ布団をかけた。
体温計の中の水銀は微熱の数値を余裕で追い越し38度以上を指している。
顔中の汗を拭い、氷枕の交換や衣服の着替えなどそれはそれは手厚く看病をした。
男のプライドがそうさせるのだろうか?
牧は、一切弱みを見せなかった。
一歩先行く大人の雰囲気はどこにもない。
変わり果てた姿に心がズキズキと痛むが綾は病に苦しむ彼にそっと寄り添う。
ーー‥
大事な娘さんをこのような目に遭わせてしまい、本当に申し訳ありません。
こうなってしまったのは僕の責任です。
今後、綾さんとは距離を置こうと思っています。
‥ーー
( 紳ちゃんが見切り発車で……
勢いだけで、あんなこと言うはずない。
ずっと思い詰めてたんだ。
それなのに、心の傷が治るまでって
結果的にまた待たせることになって……
昨日、また泣いちゃった。
声は我慢できたけど
涙だけはどれだけ我慢しても無理だった。
こらえようとしてもどうにも止まらなくて。
運命に逆らえないことも哀しいけれど
なんだか私だけ取り残されたような気がしたんだ。
だけど……それは間違い。
きっと置き去りになんてしない。
貴方は、優しさのかたまりのような人だから。
本当に助けに来てくれた。
全力で駆けつけてくれた。
なりふり構わず庇ってくれた。
盾になってくれた。
きちんと約束を守ってくれた。
どうもありがとう……
今度は、私の番。私が貴方のシールドになるよ。
できるものなら……ずっとそばにいたいよ。
それで、出来る限りのことをしてあげたい。
ほんの少しでも楽になってもらえるように
出し惜しみなく力を尽くしたかった。
でも……もう行かなくちゃ。
じゃないと
あの時、頭を下げてくれたことが
紳ちゃんの決意を無にすることになっちゃう……
おやすみなさい…… )
チュッ‥‥
彼の頬に、そっとキスをした ー
" しばらくの間、彼には会えない "
長居は無用。ここにいることは許されない。
約束した通り、帰らなくてはいけない。
ベッド、カーテン、窓、机。
教科書、ノート、ペン、卓上カレンダー。
壁に貼られたNBA選手のポスター。
床に無造作に置かれたバスケットボール。
賞状やトロフィーといった血と汗と涙の結晶である過去の功績の数々。
また、牧が得意とするサーフィン。その名残りか
海の香りが約6畳ほどの室内全体に広がっている。
綾はこれらのものを目に胸に焼きつけた。
そして容態が落ち着いたところを見計らい、ゆっくりと扉を閉める。別れを惜しみつつも家路に着いた。
――
ハッ‥‥
「綾……?」
数時間後、牧は目を覚ました。
肩に身を預け、それ以降段々と意識が遠のいてしまい
今の今まで何があったのか知る由もない。
綾の姿はどこにもなかった。
さっきまで隣にいたのに。明るい声が響いていたのに。
彼女のあたたかみを感じられていたのに‥‥
空虚感や孤独感が一気に彼を襲う。
( 帰ったのか……
っ、まだ頭痛が……
途中までは覚えてるんだが、記憶が……
体調を崩したことで、会いに行く大義名分ができたってわけか。
皮肉なもんだ。
風邪をうつしちまうかもしれないのにな。
わざわざ俺のために……
20日の試合当日までは会えないと思ってたんだがな……
意識がとんでいたとはいえ、俺はまた……
トラウマになるほど恐怖が根付いてるだろうにな……
ーー‥
私もね、見つけたよ。紳ちゃんの欠点。
高頭先生が言っていたの。
そうやって一人で悪い方向に考えちゃうとこ!
私がそばにいるよ。だから、大丈夫!
‥ーー
綾……
俺の欠点か。監督はなんて言ってたんだろうな。
やはり「青いところ」かな。
確かにマイナスに考える傾向にあるかもしれん。
そうか、流川が……
なるほどな。それで携帯を拾って……
それなら辻褄が合うな。
ちぇっ、また奴に借りができちまったな。
それにしてもアイツの鈍さには驚いたな。
(湘北の)奴らに手料理を振る舞ってやったのか。
しかし、そこは弁当じゃねーだろ。
三井め……
まったく、無邪気というか何というか
そこが可愛いところでもあるんだがな……
ん? これは……? )
中心部にあるセンターサークルさながらの丸テーブル。
牧の母親監修のもと調理した、お粥に卵酒。
他にもスポーツドリンクや栄養ドリンク、カットフルーツ、解熱剤がトレーの上に用意されている。
綺麗に折りたたまれた海南のジャージに、さらに小さな花瓶にはカスミソウの切り花が。
そこに下敷きになっている置き手紙。
これは退室時に、綾がそっと添えたもの。
その存在に気がつき便りを開くと‥‥
紳ちゃんへ♡
おはよう!気分はどう?
ひどくうなされてたけど、大丈夫?
ご飯をつくっておいたから食べてね。
おだいじに。
綾より
ーー‥
仕上げにね、隠し味を入れたの。
おいしくな~れ! ってね。
どんな料理も美味しくなる、おまじないだよ♡
‥ーー
( 看病してくれたのか……
サンキュ、美味いよ…… )
心遣いに自然と顔がほころぶ。
彼女の飾らない言葉やまぶしい笑顔を思い返しながら食す牧。
ホッとする優しさが最高のスパイスとなり身に沁みた。
手料理を堪能したあとは一日でも早い回復に努めようと養生に専念すべく再び横になり、ふっと瞼を閉じる。
その後、彼が悪夢を見ることはなかったという ―
( 天使か、うなずけるな…… )