空っぽの心〜獅子奮闘 編
name change
夢小説設定ここでは名前を自由に入力できるぞ。お前の好きな名前を入れてみてくれ。それにより面白みも増すだろ。
と言っても女性ばかりだが……
ん? 最後だけ男か。奴は、アイツが初めて……
いや、すまん。何でもない。では、よろしく頼む。
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次の瞬間、三井は何の躊躇もなくシャツを脱いだ。
上半身裸になり、なかなかの肉体美が露わになる。不意を突かれた綾は悲鳴にも近い叫び声を上げてしまう。
「きゃっ……! せっ、先輩!」
「ああ? なに赤くなってんだ。
海とかプールとか裸なんて見慣れてんだろ。」
「けどっ……! 突然脱いだりするから……!」
「暑いから脱いだんだよ、それが悪いか。」
「悪くない、です……」
おらっ、お前らも水浴びに行くぞ!
と号令をかけコート外へ出ようとする一同。
だがまたしても目に飛び込んできたものが
「楓くんまで……! お願いっ、早く着替えて!」
「なんで。」
「なんでって……目のやり場に困るからっ……!」
「?」
視界に捉えたものは、流川の身体。彼もまた半裸の状態だったのだ。
「先輩、良かったらコレ使ってください! 私……先に行ってますねっ!」
「ああ、サンキュ……」
気恥ずかしさで頭の中がしっちゃかめっちゃかになっている彼女は人数分のタオルを三井に手渡し、そそくさとこの場から去っていった。
館内に備え付けの水道へひと足先にやって来た綾。高ぶった気持ちや呼吸を整える様にゆっくりと蛇口を回す。
両方の手のひらで水をすくい、ピチャピチャと顔を洗いタオルで優しく拭き上げる。
昼間見た桜木の形相に勝るとも劣らない‥‥
その頬は、初夏の陽射しに負けないほど真っ赤に熱を帯びていた。
( あの日のこと、思い出してドキドキしちゃう…… )
先ほどからある重大な出来事が浮かび上がり、持っていた布で咄嗟に顔を隠す。
ここにいる者たちは皆、部活後ということもあり暑がるのも無理はない。水を飲み、汗を洗い流してシャツを絞ったりと各自リフレッシュをしている。
三井と流川。やはり本人たちを前にすると背中を向けてしまい、気持ちが落ち着かなかった。
その時、大きな救いの声が上がる。
「ご安心ください、綾さん! 俺は絶対に脱ぎませんから!」
「え……?」
「綾さんがくれたこのシャツ、とんでもなく嬉しかったっス! もはや家宝ですよ、家宝! このまま洗わずに着回そうかと……」
「きたねー。洗えよ、どあほぅが。」
「ああ!? んだと、ルカワ!」
「ハハ……俺も、女子の前だしな。
それにしても純情なんだなぁ、春野は。」
「コーチ、木暮先輩……」
途中で水を差す一言もあったが桜木と木暮の気配りにより、砂漠で発見したオアシスの様に心に癒しと潤いをもたらした。
その傍らで、綾の様子がおかしくなったワケを思索していた三井。
この時、彼の悪戯心に火がついた。
「ははーん……春野……
さてはまだ、男ってモンを知らねーな……?」
「え……? 三井先輩……?」
「ん? 待てよ、
確かお前……中学三年の頃から付き合ってるって……まさか、牧とまだヤって……」
「「 !? 」」
確かに以前、交際を開始したのは昨年からだと述べたが
あまりにもド直球なビックリ発言に綾以外のこの場の空気は凍りついてしまった。さすがの三井もこれには冷や汗をかく。
「やるって、何をですか……?」
( なっ……! コイツは…… )
「お前なァ……男と女が一緒にいりゃあ、やることは1つしかねーだろ!」
「……!!」
皆まで言わせるんじゃねぇ! と声を張る三井にようやくその意味合いを理解したが
取り付く島もなく、ふいっと目線を逸らす。
「のっ、ノーコメントですっ!!」
未だ誰の色にも染められていない、清廉潔白な綾の姿に驚きつつも彼氏である牧に対し同情心が芽生えた。
( シャレになんねーぞ、嘘だろ……?
こりゃあ、とんでもねえウブだな……
まるでヘビの生殺しじゃねえか。
結構苦労してんだな、牧の野郎……
どうりで落ち着きがあるわけだ…… )
また、横顔からピンク色の頬を覗かせており
その素直な反応は透き通った水の様にクリアで女心が分からないはずの彼にも容易に見透かされてしまっていた。
ーー‥
お前が可愛いこと、するから……もう、離さない……
‥ーー
ひと月前‥‥
ハナミズキが花開く、ある日のこと。
ここは牧の自宅ならびに彼の部屋。
思い出の地で出会うべくして出会った男女が
初めて過ごした、二人きりの一夜‥‥
「綾、大丈夫か……?」
「う、うん……」
「今一度聞くぞ。
本当にいいのか……? 嫌なら嫌だと言ってくれ。無理強いは、したくない……」
「嫌じゃないよ……?
大丈夫だから……んんっ!」
牧は返事の途中、唇にキスを落とした。
これはスイッチが入ったことを知らせる合図。
抱きかかえられ二人はベッドインするが
今彼女の体は馬乗りされ拘束に近い状態。
風呂上がりで体全体が火照り、さらには濡れた髪からほんのり香るシャンプーの相乗効果により彼の色気はMAXに‥‥
だが何もかもが初めてで免疫の無い綾には刺激が強すぎたのか、行為どころかその鍛え上げられた肉体を直視することすら不可能だった。
そして、パジャマのボタンに手をかけると
「い、いやっ……!」
「!」
恐怖心から、ビクッと体が跳ねる。
「っ……言ってること、あべこべで……
この期に及んで、ごめんなさい。
私っ、本当はたくさん触ってほしいよ。
紳ちゃんと、ひとつになりたい……!」
「綾……!?」
「だけど……いざとなると、怖くなっちゃって……せっかく生理も、勝負下着だって買ったのに……矛盾してるよね?
触ってほしいくせに、怖いだなんて……」
「気にするな。怖気付くのも無理はない。
むしろ俺を(初体験の)相手に選んでくれたことを誇りに思うぜ。勝負下着に、その他諸々……過激な言葉も聞けたしな。」
「しっ、紳ちゃん……!」
「フッ。今回は、このまま寝るとするか。
おやすみ、綾……」
「うん。本当にごめん……ね、紳一……」
すぅ……すぅ……
数分後、綾は牧の腕の中で胎児の様に体を丸くさせ、眠りに就いた。
( そううまくはいかねーか……
しかし……間近でこんな寝顔を見せられたんじゃ、今夜はあまり眠れんな…… )
最愛の人である天使の寝顔を前にして
気分が高揚し、きゅっと胸が引き締まる。
" 彼女のすべてが欲しい "
ひとつになりたい‥‥それは自分だって同じ。
本能の赴くままに愛し合いたい。
が、己の理性が邪魔をする。
その理性がある事によりグッと我慢ができる。この関係が成り立っているはず。
( 綾…… )
裏側に潜むダークな心が、時折り叫ぶ。
( なぜ思い通りにならない……?
この物寂しい気持ちは一体何だ?
恋の駆け引き? そんなものまっぴらごめんだ。
正直なところ、不満に感じる時もある。
だが、お前がいない世界など考えられない。
もちろん綾の気持ちを尊重し最優先するが
今すぐにでも自分の色に染めてしまいたい……! )
恋愛の不条理という欲望と煩わしさ、男心とが牧の中で複雑に絡まり合っていた。
( 紳ちゃんの家にお呼ばれした日……
初めてのお泊り。
おじさまもおばさまも留守で……
朝までずっと二人きりで過ごした、生涯忘れられない一日。
部屋の中に入ると
身近だけど遙か遠くにあるような……
どこか懐かしい、みずみずしい香りがした。
この上ないシチュエーションで
初めてを経験するにはもってこいだったのに。
私のことを気遣って、ワンクッション置いて訊いてきてくれたのに。
結局、できなかった……
一度ならず二度までも責め立てられたって全然構わないのに。その後、ベッドの上で添い寝して……
私が眠るまで? ずっと抱きしめてくれた。
一体どんな気持ちでいたんだろう。
がっかりしたよね、きっと。
面倒臭いヤツだって思われたかな。
紳ちゃん……
やっぱり、Hなこと……したい……?
でも、怖いよ……
突然オスみたいになった彼の顔が、怖かった。
キスだけじゃ……
くっついてるだけじゃ、ダメなのかな…… )
申し訳なさを感じてシュン、と萎縮する綾。話が本筋から逸れ近道どころかゴールまで少々遠回りをしてしまったが閑話休題、気分を一新させようと次の様なことを持ちかけた。
「さっ、手もキレイに洗ったことだし
そろそろ夕ご飯にしませんか?」
女子更衣室に置いていたリュックを持ち出し、そこから二、三人用のレジャーシートを取り出す。コートの隅にそれを敷くとテキパキと慣れた手つきで複数のタッパーに水筒、カトラリーセット、おしぼり等を用意した。
「おお! 綾さんの手作り……!」
「……!」
「あ? 弁当?」
「さすが、要領が良いな。春野。」
一部の人物を除いて驚きの声が上がる。
タッパーの中身はサンドイッチやおにぎり、唐揚げ、ウインナー、玉子焼き、そしてサラダといった愛らしいピクニックランチ。
別の容器には海南に以前差し入れとして持参したレモンの蜂蜜漬けが詰まっていた。
これはおまけです! と据え置いたスープジャーからトマトの酸味がきいたミネストローネの香りが立ち込める。
その良い匂いに釣られ凍りついていた雰囲気は一変し、同時に彼らの胃袋を刺激した。
「綾さん、あのわずかな時間にこれを……?」
「うん!」
「スバラシイ……!」
「ありがとう。急いでたから量も少ないし、見てくれも悪いけど……良かったら食べてね!」
「ハイ……♡」
日中、綾の自宅前で待機という名の門番をしていた桜木は
ほんのわずかな空き時間でこの様な品質の高い料理を仕上げたことに称賛の声を上げた。当初は二人だけで食べる予定だったがそれでも分量もなかなかのもの。
この時、三井は流し目をして
少し離れた場所から彼女を見つめていた。
( まったく、なんつーお気楽な連中だ。
ガキの遠足じゃあるまいし
呑気にメシ食ってる場合じゃねーだろ!
どーも調子が狂うな……
ま、コイツが楽しそうなら、いいか…… )
一同はすっかり行楽気分。
緊張感の無い男たちに三井は二の句が告げないでいたが、潔白な笑顔で食事を振る舞う綾の姿に妥協せざるを得なかった。
また、彼女は彼のその瞳に気付けずにいた。
シートに座り挨拶を済ませると、さすがスポーツマン&食べ盛りなお年頃。
食が進み、中でも桜木はガツガツと口いっぱいに頬張り箸を止めることはなかった。
「どうですか……?
お口に合うといいんですけど……」
「うん、美味い!」
「へぇ。お前にしちゃあ、なかなかだな。」
「ウマいっス! 最高っス! 感動っス!」
「そっ、そんなに……?」
再びオーバーなほど嬉し涙を流す桜木に大袈裟だよ~、とドギマギしていた。
「あれ? コーチ、ごはんつぶが付いてるよ。取ってあげる!」
「なっ……綾さん……!?」
口元に付いている米粒を取ろうとすると
「やりすぎ。」
「え? でも、さっき……」
( 桜木くんのこと、
ないがしろにしちゃったから…… )
「おのれルカワ! あと少しのところを……!」
「桜木……!」
「やれやれ。メシの時ぐらい静かにできんのか、お前らは……」
見兼ねた流川がすかさず指摘し制裁を加えた。虫の居所が悪いのか顔には怒りのマークが。
意図してのことか否なのか、綾はその苛立った熱を冷ます様に麦茶が入った紙コップを差し出す。
「楓くん。ハイ、お茶!」
「ウス。」
「お弁当、美味しい?」
「ウマイ。」
「良かった……!
前にね、楓くんに言われてからちょっぴり反省したの。体重も3kgぐらい落ちちゃったし……
これ以上みんなに迷惑かけられないよ。だから私もちゃんと食べなきゃ、って。」
ーー‥
お前、体重軽すぎだぞ。ちゃんとメシ食ってんのか……?
貧血と、疲労によるものらしいっす。少し眠れば大丈夫って……
そうか……世話になったな。
この間も、すまなかった。綾を庇ってくれたみたいだな。礼を言う。
俺なら……こんな思いはさせない。
絶対に負けねー……
‥ーー
「別に……メーワクなんて思っちゃいねえ。とにかく、今は無理すんな……」
「うん……」
医務室にて牧と対峙した記憶が引き出される。
ベースは現在も変わっていないが
「神奈川No. 1の彼女」というプレッシャーがのしかかり、気に病んでいた綾は同じ過ちを繰り返さないよう体力をつけることを決意。
また、流川が運んだことにより牧の態度が豹変したのだと思い込んでいるが
自身が眠っている間に何が起きたのかは知らないままだった‥‥
その時、ある知性に満ちた囁き声が。
「流川の言う通りだ。」
「先輩?」
「ぬ?」
「木暮……」
「…………」
「ちょっとだけ、昔話をしてもいいかな。」
穏やかな声の主は副キャプテンの木暮だった。
体育館を見渡しながら追憶にふけり、しっとりとした口調で語りだした。
「俺と赤木は北村中出身で、赤木と、そしてバスケットに出会ったのも中学一年の頃だった。
体力をつけたくて入部したはいいが当初は今の桜木のようにここで……
体育館の隅で基礎練習ばかりでつまらないと感じていたし、練習量も想像以上にハードで正直辞めたいと思うこともあった。
中学最後、高橋中との試合で負けて有終の美は飾れなかったが
高校でリベンジを果たそうってアイツと誓いを立てたんだ。もちろん、その頃にはもう退部しようなんて頭は無かったよ。
バスケットが心から好きなんだと気付いたから……」
「……!」
「赤木は、一度たりとも辞めたいと思ったことはないと言っていたよ。
脱帽したよ……全国制覇に懸ける熱意は並大抵のものじゃない。
みんな、挫折を味わったからこそ
下積み時代があったからこそ、今があるんじゃないかな。
春野がバスケットを嫌いになるかもしれないって聞いて、驚いた。
だけど悪いことじゃないと思う。
一度全てをリセットして初心に返る……名案じゃないか。
さすがだよな。藤真って男は。
同じ学年なのに、えらい違いだよ。
きっと彼氏も……海南の牧も苦労してきたはず。そしてバスケットが心底好きなはずだ。
だから春野も、そう実感できれば……一刻も早く隙間が埋まればいいな。」
「木暮先輩……」
「メガネ君……」
「…………」
青年は語り終えると眼鏡をそっとかけ直し、背中を押す様に綾に優しい笑顔を向けていた。
どんな人でも、紐解けば様々なドラマがある。
赤木と木暮。共に歩み苦労に苦労を積み重ねてきた二人の絆は非常に強く、バスケットが好きだという根底は今後も変わることはない。
同じ境遇を味わってきたからこそ気持ちがよく理解できる。
どうしたら完全に隙間埋めが出来るのか‥‥明確なことは分からない。
元に戻るためには時間がかかるかもしれない。険しい茨の道を歩むことになるやもしれない。
だが焦らず無理をせず、長い目で見ていこう。
湘北バスケ部・影の主役である
木暮の穏やかな優しさに心を打たれた綾。
また、聞いたことのなかった中学時代の逸話や想いに三井は何を思ったのだろうか。
ただひたすら友の言葉に耳を傾けていた。
「そんな過去があったなんて……
貴重なお話、ありがとうございます……」
「いやいや。長話になって悪かったな。」
「私も……言いたい。」
「ん?」
「お腹の底からバスケが好きって言えるようにたくさん努力して、たくさん経験値を積んで
全国制覇の夢を目標に
目一杯、精一杯、頑張ります……!!」
「「 春野…… 」」
「綾さん……!」
「…………」
赤木に流川、藤真。そして牧も
バスケットが好きだと、そう話していた。
境遇は違えど皆この感情だけは共通している。
桜木が火付け役となり始まったこのチャンス。
今自分に出来ることや経験を積み、新しいもう一人の自分に出会いたい。
濁りも迷いもないクリアな心で再び仲間たちとバスケットがしたい! 全国制覇の目標に向かって精進すると、両手で拳をつくり意気込んだ。
「私も、お弁当食べよっと!
いただきま~す!」
顔の前で手を合わせ食前の挨拶をする。
英気を養おうと、ふと目についた食べ物を口に入れた次の瞬間
顔色が一瞬にして真っ青に‥‥
「~~っ!!」
「「春野!?」」
「綾さん!?」
「!」
鼻の奥からツンとくる辛さと、爽やかな香りが相まった強烈なWパンチ。
立ち膝になり正座のままでいられないほど錯乱しており、声にならない声を上げその苦しさを全身を使って訴えている。
「大丈夫ですか!? そうだ、お茶お茶!」
「はぁ……からかったぁ……ありがとう……」
手渡された水筒の中身の麦茶を勢い良く飲み込むと、徐々に元通りの顔色に。
桜木による迅速な処置が彼女を救ったのだ。
「綾さん、ソレは一体……」
「これ? 大盛りわさびおにぎりだよ~。」
この発言に男たちは目をパチクリとさせた。
先ほど口にしたものは、涙巻きならぬ涙にぎり。薬味でもあるそれがたっぷりと詰まった
「わさびおにぎり」だった。
もしも自分が口にしていたらどうなっていたのだろうか? 想像するだけでもおぞましい。危うく貧乏くじを引くところだったのだ。ドン引きしていた三井が一同の代弁をする様にこう嘆く。
「お前……そんなゲテモノを先輩に食わせようと……?」
「人生、刺激がないと面白くないと思って……それに、時の運も勝負のうちですよね?」
「バカヤロウ、あんなの
どう考えても罰ゲームじゃねーか!
時の運で勝敗が決まってたまっかよ。
バスケは実力で勝負だ!」
「すみません……わ~ん、
まだ舌が痺れてヒリヒリする……」
「ったく……大丈夫か?」
後輩のとんでもない仕掛けと発言に振り回され三井は半ば呆れ気味に吐息を漏らす。キレキレの返しをするが、その眼差しは優しく
つい最近まで闇に堕ちていた人物とは思えないほどあたたかく穏やかだった。
運試しにと一つだけ詰めていたおにぎりの具。
その他の中身は梅干しやツナマヨ、鮭などポピュラーなもの。しかしハズレのものに目印をつけておらず、大後悔をする綾。
このドタバタ劇を目の当たりにしていた桜木と木暮、そして流川‥‥その彼のツボにハマったのか、奇跡とも呼べる出来事が起きる。
フッ、と流川の口元が緩んだのだ。
「楓くん……今、もしかして、笑ったよね?」
「笑ってねー。」
「笑ったところ、初めて見た……
かわいい……」
「綾さん……!? この万年
ムヒョージョー野郎が、ありえん!」
「流川……お前も人間だったんだな。」
三度の飯よりバスケが好き。
女性にも興味がない。普段から無口で無愛想で無表情な彼の頬が緩んだことに、一同は信じられないといった表情だ。
当の本人は彼女の言葉に勃然とするが‥‥
「む……んなこと言われても嬉しくねー。」
「?」
「そっかぁ。
じゃあ、カッコいいよ、楓くん!」
「わざとらしい。」
しかし目の前にいる人物だけは別。
綾に特別な感情を抱く流川は
にこやかな笑顔に触れフィッと顔を背けるが、悪い気はしなかった。
通常のクールな眼差しに戻り、ハズレではないおにぎりとその横顔を深く味わったのだった。
( どあほぅ。
だから、可愛いのはオメーだろ……
あ、昆布…… )
そしてこの珍事件を受け、年長者の二人は
( あの流川を笑わせるなんて、すごいぞ春野。やっぱりお前はウチのムードメーカーだ……! )
( 「美人は三日で飽きる」あれは嘘かもな。
コイツといると、退屈しねえな。
なんであの野郎が……牧が好きになったのか、春野が思ってるよりもずっと愛されてんだなって分かる。俺も男だ。間違いねえ。
実際に二人きりでいるところ、見たくねーな…… )
「おい春野、ちょっとツラ貸せ。」
「え……?」
「表に出ろ。」
「三井?」
「ミッチー! 綾さんに対してその言い方は……!」
「うるせーな、いーから来いって!」
「三井先輩……?」
不良でいた頃の名残りなのだろうか。
喧嘩の誘い文句の様なセリフに仰天する。
突如三井に誘い出された綾は手早く後片付けを済ませ、扉の前で待つ彼の元へと急いだ。
その間、ある人物に申し訳なさが募り何度も後ろを振り返っていた。
「桜木コーチ!」
「ぬ……?」
「楽しみにしてるからね、スラムダンク……!」
「綾さん……」
" 二人で一緒に頑張りましょう! "
バスケットマンへの近道を伝授している桜木花道こと桜木コーチ。彼を置き去りにしてしまったことを綾はずっと気にかけていた。
まだレッスンは終わっていない。
先ほど交わした約束を大きな声で叫ぶと男は水を得た魚の様に活気を取り戻す。
たとえ今は自分のところに戻ってこなくても、作戦通りにはいかなくても、彼女は絶対に手のひらを返すことはしない。
最後はきちんと元居た場所へと帰ってくる。
そして二人は去り、扉は閉められた。
( ダンク…… )
時刻は19時を回り、外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
( あんなこと言うから、思い出しちゃった…… )
この時、ふと入り口前の掲示板が視界に入った。そこに貼られていたものは湘北高校サッカー部のポスター。
「部員大募集!」と大きく書かれており、それをぼんやりと眺めていた。
" 初恋の人とは、一体誰……? "
桜木の発言が脳裏に浮かび上がる。
振られる覚悟で挑んだ生まれて初めての告白。
散々な結果だったが、その失恋経験は今の彼女を成り立たせる要素の一つとして挙げられ、またハチミツレモン味のキャンディーの様なほんのり甘く優しい気持ちに浸っていた。
( 春野……? )
「二人っきり、ですね。あの、何か……?」
「……まあ、座れよ。」
三井は片膝を立てて座って壁に寄りかかり、綾も言われるがままにちょこんと左隣に腰を下ろす。
遠くの方でリンリン‥‥と
かすかに虫の音が聞こえる。
双方とも特に何を話すでもなく
ただただ時間だけが静かに流れてゆく。
一体何のために呼び出したのだろうか。
近頃はこうした状況になることが多く気が引けていたが、先輩である三井の鶴の一声により逆らうわけにもいかず成り行きに任せる他以外なかった。
「コーチだの、ふりだしだのって何なんだよ?お前ら……一体何を企んでやがる。」
しばらくして彼はようやく口を開いた。
「企むだなんて、そんな……
私はただ初心に返ろうと思って……
それに桜木くんは、私のために親身になって教えてくれていて……」
「初心に返る……? 例の藤真の受け売りか?」
「はい……」
桜木と綾の行動や発言に不審感を抱いていた三井は、ここぞとばかりに次々と疑問をぶつける。
「桜木くんが「大丈夫!」って言うと、まるで魔法にかかったみたいに安心するんです。」
「あ? 魔法?」
「はい。泥船でも沈まないような気がして……」
「いや、沈むだろ……」
彼が放つ大丈夫という言葉には、不可能を可能に変える不思議な力や妙な安心感がある。ふわっと心が軽くなる。
その言葉に励まされ何度も心を救われていた。
「まぁ確かに、桜木は爆発的に何かをしでかしそうな気はするけどな。」
「そうですね、私もそう思います……!」
喧嘩で慣らした賜物か?
1mを超えるジャンプ力に驚異の運動能力。
型破りでガムシャラなプレイが観客を沸かす、今や湘北になくてはならない男と注目されている期待の新星・桜木花道。
もしも今、彼がこの場にいたとしたら
さすが天才! ジーニアス! とおそらく天狗になっていたに違いない。
また、この質疑応答にどの様な意図があるのか不明だがチラッと横に目をやると
「三井先輩……
その顔の傷と足の怪我、大丈夫ですか……?」
「ああ、これか……
前に医者に診てもらったから大丈夫だって。でなきゃ翔陽戦であんなに働けてねえよ。」
「それもそうですね……良かった。
だけど、お大事にしてくださいね。」
「サンキュ。」
頬の傷跡は喧嘩の際に、そして左膝に巻かれたサポーター。これは入部したての頃に故障しバスケットから遠ざかる一因になってしまった悲しき過去‥‥
対翔陽戦の前にかかりつけの総合病院を受診した三井は部活を再開しても良いとOKサインをもらっていた。
その証として先日勝利を収めた準決勝では自身のウィークポイントであるスタミナ不足を逆手に取り、持ち前の粘り強さで大量得点を稼ぎ出しチームに貢献。
活躍ぶりは目覚ましいものがあり、やはり中学MVPの肩書きは伊達ではないことがうかがえる。
「部室の花、見たぜ。」
「……!」
「本当に飾るとは思わなかったけどな。
あれも、お前のしわざだろ?」
「は、はい……」
「やっぱりな。そんなこったろーと思ったぜ。」
隅にぽつりと置かれたオダマキの花。
部室の中が見違える様にクリーニングされたことも然り、三井はすぐに彼女が飾ったものだと気付いた模様。
「先輩は、見事に返り咲きましたよね……!」
「は?」
「二年のブランクが無かったら、ひょっとしてすごい選手になっていたんじゃ……?」
二年もの間バスケから離れていたが、改心しレギュラーの一員として完全復帰を果たした。
失われた時間を取り戻そうと日々練習に励む中、もしも現役のままであったなら
一体どんな大物になっていたのかと呟くと
「バーカ。今でもスゲェんだよ。」
「!」
「お前……俺を誰だと思ってやがる。」
「え…? それは、もちろん…」
「俺は最後まであきらめない男・三井だ!」
( 先輩……!)
「そっか、三井先輩は、三井先輩ですよね!
出過ぎたことを言ってすみませんでした。
私……先輩がここに入学して、部活に戻って来てくれてものすごく嬉しいです。
決勝リーグ、応援してますから頑張ってくださいね!」
「おいおい、何言ってんだ。
それじゃ丸っきり他人事みたいじゃねーか。」
三井は三井。それ以外の何者でもない。
色眼鏡で見ることは断じてない。
花言葉は " 勝利への決意 "
目先に迫った常勝・海南大附属との対戦を前にどちらを応援すべきかと心が揺らいでいる綾はそう告げるのがやっとだった。
「ここに入学、か……
中坊の頃、陵南の監督にも誘われたけどな。俺は安西先生がいるこの湘北一択だったぜ。」
「すごい……そうだったんですね……」
夜空の下でもくっきりと鮮明に分かる
キリッとした眉、眼力のある瞳に思わず目を奪われる。
様々な私立高校特待生のスカウトを蹴り、当時無名だったこの湘北高校に入学した三井。
彼の夢‥‥それは無名だったこの湘北バスケ部を日本一に導き、心の師である安西監督に中学時代の恩返しをすること。
いつでもスタート(ふりだし)に引き返せると桜木は謳っていたが、この時ばかりは呑気なことは言っていられないと焦りを感じたのだった。
「って、俺のことはどうでもいいんだよ。」
「……?」
順を追って話を進める中
やるせなさそうな表情でこちらを見つめる。
「おい、春野。」
「はい……」
「お前、牧と一緒に……花見とかすんのか?」
「え……? お花見……?」
牧の話をし始めた途端、綾は黙り込んでしまった。
目の前の彼曰く「花見」とは‥‥
暖かな気候に咲く桜を観賞することではなく、直訳して、花を見る。
牧とは花を見るのか? ということなのだろう。
ーー‥
誰にも見られることもないまま枯れて行くかもしれないのに。
ひとりでに一生懸命に咲いたんだよね。
強いよね。私もそうでありたいなって思う。
ここにはお花が咲いてなくて、さみしいなって思って……今度、部室に飾りませんか?
‥ーー
「あの時も、ああ言ってたしな。
やっぱりあれか、アジサイか?」
「……!」
なんだよ、6月の花と言えばアジサイだろ、とそう言い切った。
両者にとって紫陽花は、悲しみの花。
何の気なしに誘われたと思えた運命の分かれ道とも言える一件のメール。
彼から告げられた台詞が思い出される。
一言一句覚えており、今後忘れてしまうことはきっとない。その花に隠されたメッセージに、真実の愛に気付けずにいた当時の自分が恨めしい。未練を抱いたままの綾は口をきゅっと強く結んだ。
「おい、何とか言いやがれ。」
「ふふっ……」
「春野?」
何も語らない後輩に痺れを切らす三井。
その後、彼女は両手で頭上に輪っかをつくり余計な心配をかけぬよう微笑んだ。
「ピンポーン。正解です!」
「!」
「黙り込んじゃって、すみません。
あんなに怖かった先輩がアジサイって……なんだか可笑しくて……」
「うるせーな……元不良で悪いか。」
「何も悪くなんてないです。」
三井の顔が赤く染まる。ぶっ潰してやる! と、殴り込んで来たあの日が嘘のよう。当時の変貌ぶりとギャップに笑いが込み上げた。
「牧先輩とは、一緒にお店に行ったり、今度お花畑に行こうねって約束もしていて……」
「…………」
菜の花、ラベンダー、ヒマワリ、コスモス‥‥
広大な敷地いっぱいに咲き誇る色とりどりの花々。これからもあの人と、たくさんの花を見たい。二人で笑い合っていきたい。
しかし、今はその願いが成就することはない。
この障壁と今の自分を越えなければならない。
そうでなければ花びらは散り始め、あっという間に葉桜となってしまう。
( 春野…… )
行きつけのフラワーショップに花畑。綾は牧と今までに見た花見の状況をカタツムリのごとくスローペースで語る。そのゆっくりとした覇気の無い声は、三井の胸を締め付けていた。
ー そして
段々と核心に迫り、このQ&Aは更なる奥地へ。
「結局、別れた原因は何だったんだよ?」
「!!」
ドキッ、と心臓が跳ねる。良い意味で彼はいつもどストレートに痛い所を突いてくる。あの時、桜木の暴動に気を取られ言えずにいた言葉。花見の件も含め、きっとこれらの事だったに違いない。
「誠実……」
「誠実?」
「赤い芍薬です。この一言に限ります。」
「シャクヤクと言えば、あの時の……」
花瓶に生けられた、一輪挿しの例の花。
男に二言は無い。命を懸けて守ると、そう約束してくれた。自身はどうなってもいいと‥‥
愛する彼女の幸せだけを切に願い、考えに考え抜き離別する道を選んだ。
皆に危害が及ばぬよう、再びあの悲劇を招かぬようにと、他に何も隠してはいないと
桜木が発した「思いやり」という嘘をついた。
最悪の場合、公式試合出場停止の恐れもある。よって何者かに狙われていることを綾はおくびにも出さなかった。
「人様のこと(恋愛)に、あーだこーだと首を突っ込むつもりはねえけどよ。
何はともあれだ。ヨリを戻せて良かったな。」
「はい……ありがとうございます。」
様々な事情を飲み込んだ三井。色々とやかく言うつもりはないと
これ以上、二人の領域に踏み込もうとはせず無事復縁したという吉報に喜びを分かち合う。
その後、おもむろに体を向け
しっかりと彼女の瞳にフォーカスを合わせた。
「春野……」
「えっ、三井先輩……?」
「こんなモンでお前に償えるとは
罪滅ぼしになるなんて思っちゃいねえが
悪かった……本当に……」
( 先輩…… )
謝る。それはすなわち自分の非を認めること。
ずっと思い詰めていた気持ちが解き放たれた。
きっとこの一言だけを伝えたかったのだろう。
栄光と挫折を経験した
天才MVPシューター・三井寿。
彼は今、過去も恥もプライドも全て投げ捨て
誠心誠意、謝罪の言葉を述べている‥‥
腕時計は壊され手元には無い。しかしこの時、秒針の音が彼女の耳にそっと響き渡っていた。
ポンッ‥‥
「……!」
青みがかったフサフサな髪の毛。
綾はその頭頂部に手刀を浴びせた。
まさかの行動に驚き、すぐに顔を上げると
「てめっ、何のマネだよ?」
「桜木くんの受け売りです。」
「桜木の……? 上等じゃねーか。
相手が女だろうと、売られた喧嘩は買うぜ?」
三井は拳に力を込め挑発的な態度を取る。
何か勘違いをしているのか。両手をバタバタさせ、慌てて誤解を解こうとするが
「きゃあ、暴力反対……!
もう二度と喧嘩はしないって……」
「ふっ……冗談だって。真に受けんなよ。」
「冗談に聞こえないです……」
反応が面白いのか、またも彼女をからかう三井。
グレていた人物では説得力が無く、そのジョークは笑えないと手玉に取られていた。公式戦デビューを飾った予選の一回戦。安西監督を慕う彼は二度と喧嘩なんてしないと固く誓いを立てており、その約束を破ることは神に誓ってないであろう。
「そうじゃなくて……部活を辞めようとしたり、怖気づいて逃げちゃったり……
戒めとして罪の清算がしたくて叩いていいよってお願いしたんです。そうしたら、桜木くんがこうしてくれて……
これで同罪ですね。
だから、先輩の罪も帳消しです!」
「なっ……!」
天使はそう言って笑顔を向けた。
触れたのか触れていないのか錯覚するほどの優しい一撃。
自身への戒めにと頼んだそれを同期することにより、もうこの一件は白紙だと‥‥罪悪感に苛まれていた彼の心の淀みを溶かしてゆく。
「さっきも言いましたけど
私は……先輩が更生してバスケ部に戻って来てくれただけで、充分なんです。
だから、もうとっくに償いきれてますし
第一、罪滅ぼしだなんて……
もともと、先輩が負い目を感じる必要なんてこれっぽっちも無いんですよ!」
( 春野……!! )
( バカヤロウ……
とんだお人好しだぜ、お前はよ……
腕時計に、恋人に
コイツは……大切なモンをいくつも失って……
その元凶である俺に文句ひとつも言わねえであんなに笑って……憎むどころか、今までのことは帳消しだとか言いのけやがった。
終いにはバスケまで失いそうになっちまってて……
何の後ろ盾もないまま、たった一人で片付けようとしてたなんてな。強えよな……
" 牧と一緒にいるところは見たくない "
そう思った瞬間、春野を呼び出していた。
こんなことしてもどうにもならねえし
アイツに……警戒心を持てって言われたんだろ。野郎と二人でいたらダメだってすげえ気にしてて、うんたらかんたら言ってまた困らせちまうだけなのにな……
二人きりになって、俺は何がしたいんだ……?
この三井ともあろう男が、情けねえ。
何から切り出したらいいかわかんねえ……!
事の真相をえぐろうと、とりあえず一から順を追って聞いてみることにした。
隠し事をしてるのは間違いねえんだろうが白状しないところを見ると、コイツもなかなかの頑固者だよな。
だがよ、火のない所に煙は立たねえはずだ。
何とかして連中に聞き出さねえとな……
初めて春野に会ったのは、体育館へ殴り込みに行く前だったか。
俺を睨み付けて必死で抵抗して
強気で、スタイルも悪くねえし、なかなか好みの女だと思った。
なんでも「コート上の天使」という異名を持ってるらしい。
何かよ、コイツは見てて危なっかしいというか
放っておいたら消えていなくなっちまうような気がしてならねえ……
ハッピーエンドなもんか。
その天使が今、スランプを抱えて……
急がねえと堕天使になっちまう。
お前には俺の二の舞になってほしくねーんだ!
闇の中にいたらいけねーんだ!
罪滅ぼしは必要ないと言ってたが、俺はずっと罪の意識を感じている。
安西先生のためにも、この湘北を必ず全国に連れていってやる……!! )
( バスケを嫌いになることはないって……
前だけを見ていれば良いってことだよね……?
体育館に入るのもためらっていたのに。
ドギマギしていたのに。
楽しいなって直感的にそう思えた。
この感覚は、一人じゃきっと味わえなかったかもしれない。
本を読むだけじゃ分かりっこないよね。バスケはチームプレイなんだもん。みんなと連携して、心を通じ合わせなきゃいけないんだ。
少しずつだけど……
ボールに初めて触れたあの時の新鮮な気持ちに戻れたような気がした。
桜木くんは口先だけじゃなくて、きちんと周りを見てる。
教えるのもすごく上手で初心者とは思えない。二年生になったら、本物のコーチとして後輩思いの優しい先輩になるんだろうなぁ……
木暮先輩と赤木キャプテンに、そんな過去があったなんて。
全国制覇……私も、ゴールを目指したい。
どんな形でもいい。みんなの力になりたい! )
参考書はあくまでも参考書。テキストだけではその名の通り参考程度にしかならず、物の本質までは暴けない。
スポーツならば尚のこと、実戦や体験で場数を踏む以外に勝る道はないのだ。
トンネルを抜け出ようと必死にもがく綾は桜木をはじめ三井らの支えにより
ちょっとずつ、ちょっとずつ荒んでいた心が浄化され、確実に手応えを感じていた。
( ウォームアップってことは、試合が……
あの人に会える日が近いって意味でもあるよね。
あのおにぎりだって、困らせたりするからきっとバチが当たったんだ。
手、つなぎたいな。
また二人でバスケがしたいよ。
私も、貴方と同じ景色を見ていきたい……! )
彼の気持ちだけを考えればいつまでもスタート地点にはいられない。待たせてしまっている以上、先へ進まなければならない。
バスケと同様にショートカット(近道)をしてでも早くあがらねば、ゴールまで辿り着く使命や義務がある。
決して急がず、己のペースで一歩ずつ‥‥
だからといって、その様な言葉に過剰に甘えのんびりとはしていられない。たとえそれが彼の愛情表現だとしてもきっと本心は別にある。
本当は牧自身も、彼女と同じ気持ちで
いや、もっと単純で露骨で深い。そんな想いを抱いているのだから。
( 紳ちゃん……ちょっとだけ幼く見えた。
写真越しなら、ずっと見ていられるのに……
お花……気付いてくれたんだ。
先輩って……なんだか、紳ちゃんみたい……
落ち着くなぁ……
三井先輩は、彼と同じ匂いがした。
広くて大きな海の……
マリンオーシャンの、香り…… )
「春野……お前って本当に素直だよな。そういうバカ正直なところも
悪くねえなって思うし、むしろ……」
( あの時……
先生の言葉と、お前の顔が浮かんだんだ…… )
「好き……」
その時、三井の左肩に重みを感じた。
「すぅ……すぅ……」
「なっ、春野……!?」
なんと綾は三井の肩にもたれかかりそのまま眠ってしまった。
急な出来事に彼の頬は紅潮し、元に戻ることを知らない。
試合観戦、レッスン、クラブ活動。
なかなかにハードスケジュールだったこともあり疲労がピークに達していたのだろう。
牧と似ている様で‥‥どこか違う。
けれど同じ匂いに安らぎを感じ、身を預けた。
「おい、起きやがれ。……襲うぞ。」
「ぐぅ……」
( こ、コイツ……無防備過ぎだろ……
よく見りゃあ
思った以上に綺麗なツラしてやがる…… )
心臓の鼓動がおさまらない。
初めて綾の寝顔を見た三井は、つむじからつま先までここぞとばかりに食い入る様に見る。
艶のあるサラサラな髪の毛。
透き通る様な白い素肌。
小さくて細い手足。
服の上からでも分かる豊満で形の良い胸。
健康的なピンク色の唇。
ほのかに香るフレグランスな花々の甘い匂い。
男の‥‥オスの欲情を引き立てるには絶好の条件が揃っていた。
「っ……春野……」
ゆっくりと上体を起こし、引き離したあと大きな手で柔らかな頬に触れる。
彼女は未だ夢の中‥‥
汗ばんで少しだけ火照った顔や規則的な息遣いでさえも、彼に拍車をかけるだけだった。
ー そして
片手で顎をクイッと持ち上げ、唇に触れる一歩寸前のところで
「んっ……」
顔を傾け、誘われる様にキスをした ‥‥
――
待ちくたびれたのか、二人の様子を見にやってきた彼らが見たものはとんでもない光景だった。
「みみみみ、ミッチー!?」
「三井……!?」
「……!!」
「しーっ。
静かにしろい、疲れてるんだろうよ。」
( 俺は、他人(ひと)の女になんてことを……?)
口元に人差し指を当て、外野の声を遮る三井。綾の体調を気遣うが言葉の裏では先ほどの自身の行為に驚きを見せていた。
衝動に駆られただけなのか、それとも‥‥?
どちらにせよ照れ臭いという気持ちは持ち合わせていなかった。
「先輩……離れてほしいんすけど。」
「ああ? なんだ流川、俺に嫉妬してんのか?」
「別に……」
「綾さん……!
まさかミッチー、寝込みを襲ったんじゃ……!? ハレンチだ、ハレンチ!!」
「ばっ……バカヤロウ! そんなんじゃねーよ! こっ、コイツの口元に米粒がついてたから取ってやろうとしただけだ!
ったく、とっとと起きやがれ。
食ってすぐ寝ると牛になるぞ!!」
身を寄せたままの彼女に流川は苦言を呈する。
桜木のとんでもない言いがかりに濡れ衣を着せられた三井は再び顔を赤らめ、そこまではしていないと釈明した。
いざ言葉にされると恥ずかしさが沸き起こる。
ー すると
その大きな声に応える様に
スヤスヤと眠る天使の口から返事が聞こえた。
「しんいち……
すきだよ……
あいたいよ、しんちゃん……」
「「春野……」」
「綾さん……」
「綾……」
会いたい、会えない、会いたい ‥‥
雨水のシャワーを浴びた花びらから
一筋の雫がこぼれ落ち、共に本音が隠れ出る。
彼の後ろ姿を物憂げに眺め
そして仲間たちと頑張ろうと決心してからも、一滴たりとも流すことはなかったのに。
おそらく、バスケットは再スタートを切った出発点ゆえに出なかったのだろう。
しかし、牧のことを想うと悲しさがあふれ
涙が頬をつたう。
その後しばらくして、意識を取り戻すと
「すっ、すみません!
私、先輩の肩で寝ちゃってたなんて……
大丈夫でしたか……?」
「あ? 何がだ?」
「重かったですよね……? あと、よだれとか……」
「別に、なんともなかったぜ。」
突然立ち上がり体育館に戻ろうとする三井だったが、一時的に歩行を止めた。
「春野。」
「?」
「ごっそーさん。」
「えっ……」
「お前……確かにもうちっと野郎に警戒したほうがいいかもな。」
「三井先輩……?」
( 好きは好きでも、隙だらけの女だな。
オマケってことで、いいよな?
年下だから妹か……
ちげーな。例えるなら姪っ子だな。
さしずめ俺は、親戚の兄貴ってとこだな……! )
最後の最後で本当の気持ちを伝えられず
空振りに終わってしまった様に思えたが、意外にも彼は満足げな表情をしていた。
三井にキスをされた事実を知らない、寝ぼけ眼のプリンセス。
言葉の意味を履き違えている彼女は
次回は部員全員のために腕によりをかけて弁当を作ろうと熱意に燃えるのだった‥‥
「俺もそう思う。どあほぅ。」
「楓くん……?」