暁闇から曙へ

 


 早朝。サソリの部屋のドアをノックする者がいた。

 最初は無視して傀儡のメンテナンスを続けていたが、執拗いノック音についに耐えきれなくなったサソリ。
 ヒルコに入り、荒々しくドアを開ける。


「おはよう、サソリ」

「……チッ」


 そこに立っていたのは、サソリの予想通り……うずまきナルトだった。

 舌打ちと共にドアを閉めようとするサソリだが、ナルトはそれより速くその体躯を部屋の中へと滑り込ませていた。


「……こんな朝っぱらから何の用だ」

「や、用っつーか……親交を深めに?」

「帰れ」


 サソリはビシリとドアを指差す。
 だがナルトはそれを無視して、埃っぽいような独特の臭いのする部屋を見渡した。

 ナルト自身に宛がわれた部屋だって別に狭くはない。
 だがその倍はあるだろう面積のこの部屋は、その半分以上が傀儡の素体と思われる物で埋まっていた。

 造りもまるで違っている。
 暁のアジトは原則土足だ。そのせいか、自室として宛がわれた部屋には狭いが玄関があり、一段高い上がり框の先は板敷きになっていた。

 だがサソリの部屋の床はほぼ全てが土間。片隅に三畳ほどの畳小上がりはあるが、そこも傀儡に占領されていた。
 置かれている家具は大きな作業机と椅子、それと幾つかの戸棚に箪笥のみ。
 ナルトはこの場所が、住居ではなく作業部屋だとしか思えなかった。


「サソリの部屋ってここだけ?」

「そうだが……何だ」

「いや、この少ない家具でどうやって暮らしてんだと思って……」


 いつかデイダラが持ってきてそのままにしていた折り畳み椅子を勝手に広げ、座って話し始めたナルト。どうやら居座る気らしい。

 サソリはこのガキを一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、己の部屋を滅茶苦茶にしたくはない。これから作品に仕立て上げる予定の素体もある。

 怒りを何とか堪えたサソリは、ヒルコ姿のままナルトの前で腕を組んだ。
 幸い作業は一段落しているし、時間もある。……しかし、どこまで開示すべきか。


「あー……」

「何だよ、それも教えてくれねーの?」


 サソリは慎重に言葉を選ぶ。その様子を見たナルトは、内心で首を傾げる。
 ちょっとした疑問を抱いただけだったが、答えを渋るということは……その中身と関係がある事なのだろうか。


(こりゃ、絶対に聞き出さなきゃな)


「……どうやってだと思う?」


 考えあぐね、取り敢えず質問返しで茶を濁すサソリ。
 その意図に気付いたナルトは眉を顰める。


「はぐらかすなよ」

「……ハァ」


 サソリは段々と面倒になり溜め息を吐く。
 どうせ誰かに聞けばすぐバレる事だ。暁内では知っている者が殆どで、特に秘密にしている訳でもない。

 それに何故、自分がこんな朝早くから問い詰められるような真似をされなければいけないのか。
 気の短いサソリは苛立ち始めていた。


「……仕方ねぇ」


 渋面を作りながら……とはいえヒルコの表情は動かないが。
 早く終わらせてしまいたい一心で、サソリは口を開いた。
 期待の籠った目でその様子を見つめるナルト。


「オレは、人傀儡だ」

「ひと……傀儡?」


 サソリの台詞を鸚鵡返しで呟くナルト。
 サソリの今の姿……被り物が傀儡だ、という事には昨日の戦闘で気付いていた。
 だが、その中身まで……。

 考え込んで沈黙したナルトを見て、サソリはヒルコ内で口角を上げた。
 混乱させることに成功した、という意味では案外いい案だったかもしれない。


「ああ。傀儡の体を持つオレには、睡眠も食事も必要ない」

「だからこんなに、家具がないんだな」

「頭の回転は悪くねえようだな」


 ナルトはもう一度周囲を見回す。
 眠らないからベッドは要らない。食べないから、休まないから。
 そうやって無駄を省いていった結果、出来上がったのがこの部屋なのだろう。


「そりゃどーも。あのさ、もう一つだけいい?」

「……何だ」


 途端に身構えるサソリに、ナルトは苦笑した。
 すぐに警戒し構えるその姿は、まるで懐いていない猫の様だ。……見た目は猫とは程遠いが。


「このアジトの案内、して欲しいんだけど」



「……ここがトイレ、その右隣が物置。んで、飛段の部屋、空室……」


 小南から案内はサソリがしてくれると聞いた、とナルトに言われたサソリは、嫌々ながらアジトを案内してやっていた。
 抵抗してもどうせ無駄だという諦めもあった。

 ここのアジトは幾つかある暁アジトの内の一つで、主要施設として使われている木造建築物だ。
 昔小南から聞かされたことを思い出しながら、説明を続ける。

 空室だと指した部屋に、真新しいネームプレートがかかっているのを発見したサソリは眉を顰めた。


「そこ、オレの部屋になった」

「お前、よりによって……」

「な、何だよ……」


 飛段とデイダラという、恐らく暁内でも一・二を争う煩い奴等の部屋に挟まれてしまったナルトを、サソリは憐れみの目で見る。

 デイダラに至っては、時たま爆発騒ぎを起こすので尚タチが悪かった。
 奇跡的に火事に至ることはなかったし、デイダラが歳を重ねる毎にそれも減ってはいるが……。油断はできない。


「まぁ、直にわかるだろ。で、オレの部屋の隣二つは空き部屋だ。つっても勝手に出入りするんじゃねーぞ、特にこの部屋はな」


 サソリはナルトの部屋とは廊下を挟んで反対側、つまり自分の部屋と同じ列の一番最奥にある部屋を指差す。
 その古びたネームプレートを読み上げたナルトは、少し顔色を変えた。


「大蛇丸……」

「基本的に暁を抜けた奴や、死んだ奴の部屋は空室扱いになる……もう一つ、オレの隣の部屋がそうだ。だがソイツの部屋だけは、下手に手ェ出せねえってんでそのままにされてる」

「……それだけ危険って事か?」

「察しが良いな。その通りだ」


 部屋の前を離れ、廊下を歩きながらナルトを窺うサソリ。
 その顔は無表情に戻っていた。


(何だったんだ……さっきのアレは)


 大蛇丸は木ノ葉隠れの抜け忍だ。九尾の人柱力であるナルトと同じ出身地。
 どこかで出会した事ぐらいはあるだろう。つい数ヵ月前に、“木ノ葉崩し”なんて大規模な国家転覆を企て実行したばかりだ。


(だが、それだけであんな……懐かしそうな顔をするか?)


 いや、とまた違う考えがサソリの中で頭を出す。
 同里の抜け忍同士、どこか共感する部分でもあるのかもしれない。

 若しくは……通じているか。
 大蛇丸の元に送り込んだ部下に聞くか……と思案したサソリだったが、あまり頻繁に接触するのは危険だと取り止めた。

 そもそも、大蛇丸はサソリの本体を目にした事がある。躍起になってサソリを暴こうとしなくても、情報を共有すれば済む話だろう。……現在の能力値が知りたいという理由でなければ、だが。

 大蛇丸が今更暁に用があるとも思えない。それに何より、あのリーダー自らが引き入れたメンバーだ。疑う余地がないとも言える。だが……。


(考えたって埒が明かねぇ。推測の域を出ねェが……注意するに越したことはないか……)


 際限のない思考に見切りをつけたサソリは、警戒するに留めておくこととした。
 用心深くナルトを観察するサソリの心中など露知らず、ナルトはサソリの部屋の隣――空き部屋とは反対側――にある階段を見上げた。


「なぁ、二階ってどうなってんだ?」

「階段を上がって右は、一階と同じように個人の部屋になってる。左側は物置と書庫、それと発電施設がある」

「三階は?」

「三階以上はリーダー……ペインと小南の部屋になっている、筈だ」


 二人は長い廊下を進み、階段とその前に設置されているトイレの前を通り過ぎ……広々とした玄関ロビーに出た。

 今日は朝から雨が降っているようで、外からサァサァと静かな音がする。


「筈……ってどういう」

「三階はリーダーと小南以外は立ち入りが禁じられている。だからその階段を上がる奴はいねェ」


 サソリは、ご丁寧に鎖で封じられた三階への階段を思い出しながら話す。その低い声が広いロビーに響いた。


「へー……そういや気になってたんだけど、コレ……何?」


 ナルトが次に足を止めたのは、玄関前に設置されているカウンターテーブルのような物。
 しかしテーブルにしては妙な形をしている……まるで。


「受付だ。この建物は元々温泉宿で、それを改築した名残らしい」

「あ、それであんなに風呂が大きいのか」


 ナルトは納得した素振りを見せる。
 風呂はこの廊下の先にあり、当然だが男女で分かれていた。ナルトは昨日初めて入浴したが、中々広い浴場だった。
 露天風呂からは近くの川や山が見渡せて、季節になれば紅葉や雪景色が楽しめるだろう。
 ナルトにはよくわからないが、風流ってヤツなんだろうなと思いを馳せる。


「温泉の効能は?」

「知るか。飛段にでも聞け」

「……なんで飛段?」

「アイツは湯隠れ出身だ」


 サソリからの安直な提案とも取れるが、生憎と昨日組織に加わったばかりのナルトは、飛段が温泉のスペシャリストではないとも言い切れない。
 曖昧に頷くナルトだったが、サソリは特に気にする様子を見せず少年を追い越した。

 玄関ホールを抜ければ後は、右手に風呂と左手に台所・食堂・居間がひと続きになった大きな部屋があるばかりだ。

 サソリが居間へと続くドアを開けば……そこには。


「何だ、お前らか」


 居間にコの字形に置かれたソファで一人、読書をする角都がいた。
 暁のマントは脱いで傍らに無造作に置き、頭巾とマスクを外しているのでナルトは一瞬誰だかわからなかった。

 サソリには見慣れた光景だったので、特に触れる事もなく先に進む。
 角都はナルトとサソリの方をチラリと見たが、すぐに興味を失ったようで本に視線を戻した。

 その後ろを通り、続きになっている食堂スペースも通り過ぎたナルトとサソリの二人は、台所の前に立つ。


「飯は買ってくるか、ここで作って食え。お前、料理はするのか」

「まぁ、一通りできるけど」

「なら問題ねぇな」


 棚やら冷蔵庫やらの扉を開け閉めして中身を確認しているナルト。
 それを何とはなしに眺めていたサソリは、ふと己が台所に来るのは初めてであると気付いた。


「なぁ、他の奴等ってどうしてるんだ?」

「オレが知るか。……角都」

「なんだ」


 返答に窮して台所から角都を呼ぶサソリ。
 傀儡であり食事の必要がないサソリは、来るとしても居間まで。
 自分の相方……デイダラの食事事情すらほぼ知らないのに、他の奴等のことなど知るよしもなかった。


「お前や飛段は、飯はどうしてんだ」

「そんな事を聞いて……ああ」


 本をテーブルに置いて立ち上がり、ナルトとサソリの元まで来た角都。
 途中で気付いたらしく、台詞を切る。そうして少し考え、もう一度口を開いた。


「オレや飛段は殆ど近隣の店で買ってくるか食いに行く事が多いな。一番近くの店でも数キロは離れているが」

「どの辺にあるんだ?」

「ここから南に……」


 懐からこの辺りの地図を取り出すナルトと、そこへ印を付けてやる角都。
 飯屋だけでなく食材店や弁当屋など店は多岐に渡る。
 組織の中でも古株である角都だからこその情報量だった。


「あと、自分の食材には名前を書いておけ。さもないと他の奴等に食われるぞ」


 しかもアドバイスまでしている。
 いつにない角都の親切さに、サソリは疑問に思いつつそのやり取りを眺めていた。

 その内、ふとあることに気付いたサソリ。


「つか、テメーら不死コンビは任務の筈だろ。なんでこんな所で油売ってんだ」

「飛段待ちだ」


 つまり、角都はただ飛段が来るまでの時間を潰していただけ……親切ではなく暇潰しか。
 サソリは妙に納得し、また口を閉ざす。

 そこでいきなり、部屋の扉がバタン! と勢いよく開いた。


「角都ゥー、準備でき……ってあ! 新入り!」

「遅いぞ」


 居間に戻る角都と入れ替わりで台所まで来る飛段。
 大股でナルトの前に近づいた飛段は、その眼前に人指し指を突き付けた。
 ナルトは僅かに目を見開く。


「いいか新入り! ここじゃオレが先輩だ! だから、う、うや……何だっけ?」

「“敬え”だろう馬鹿者」

「そう! それだ! ……ぐえっ」


 身嗜みを整え終わった角都に指摘され、気を取り直してもう一度ナルトに絡もうとする飛段。
 しかしそれは、己の相方に襟首を掴まれ阻止される。


「行くぞ飛段」

「離せよッ角都! おい!」


 暇潰し相手の用は済んだとばかりに、サソリとナルトには視線を向けることなく角都は飛段を連れて部屋を出ていく。

 嵐のような二人組が過ぎ去り、サソリはどっと疲労感を覚えた。


「……取り敢えずこんなもんだ。何か質問は」

「あ、ああ……特にない、かな」


 サソリと同じように、不死コンビの勢いに圧倒されていたナルト。
 何か聞きたいことはあった気がしたが、彼らのせいで全部吹っ飛んでしまった。


「ならもういいだろ」

「ちょ、待……」


 用は済んだとばかりにナルトに背を向け、部屋を出ていくサソリ。
 ナルトが呼び止める隙もなかった。


(中々手強いな……)


 ナルトは苦笑する。
 彼を落とす・・・には時間をかける必要がありそうだ、と。
 すっかり警戒されているようだ。関係を築く以前の問題かもしれない。

 何はともあれ、まずは腹拵えだ。
 教えてもらった店に行くことにして、ナルトはドアノブに手を掛けた。




 
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