没ネタ

恋人疑惑騒動/前編(🪙夢/オリトレが出る)

2026/05/30 08:32
※🪙夢主の兄(オリトレ)が出張る話なので没ネタ

 イッシュリーグの午後は、いつも通り静かな緊張に包まれていた。挑戦者の受付。対戦記録の整理。四天王のスケジュール確認。次に来るトレーナーの案内。フランは事務カウンターの内側で、書類の束を抱えながらぱたぱたと忙しなく動き回っていた。ワインレッドのふわふわした髪が肩先で揺れるたび、周囲のスタッフが微笑ましそうに目を細める。
「フランさん、これ、次の挑戦者リストです」
「ありがとうございます! ええと、次は……あっ、ギーマさんのお部屋ですね。案内準備しておきます!」
 そう口にしただけで、ほんのり頬が染まる。本人は隠しているつもりなのだろうが、もはやリーグスタッフの一部には周知の事実だった。
 フランは、あくタイプの四天王ギーマに弱い。
 彼の名前を聞くだけで姿勢を正し、遠くに姿が見えるだけで瞳を輝かせ、いざ話しかけられれば真っ赤になって固まる。
 その反応はあまりにも分かりやすく、カトレアなどは以前、「配られたカードが表向きのまま机に置かれているような子ね」と呆れたことすらある。
 だが、その日。
 そんなフランの平穏な勤務時間を、一人の来訪者が盛大にかき乱した。
「フラーン!」
 明るく響いた男の声に、受付周辺の空気が一瞬止まる。
 フランは聞き覚えのありすぎる声に、ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくり顔を上げた。
 そこにいたのは、背の高い青年だった。フランの瞳と同じ色合いの髪を持ち、人懐っこい笑顔を浮かべている。軽快な足取りで受付へ近づくと、彼は遠慮の欠片もなく片手を上げた。
「よっ! 久しぶり!」
「……」
 フランの表情が、みるみるうちに驚愕から焦り、そして怒りへ変わっていく。
「ね、ネル兄……?!なんでいるのよ?!」
 その声は、普段リーグで聞くフランのものとは少し違っていた。仕事中の丁寧で緊張した声ではなく、家族相手にしか出さない、素のままの声。周囲のスタッフたちが、ぴくりと反応する。
「帰ってくるなら事前に連絡入れてよ! というか、あたしの職場に突撃してこないでってば!」
「そんな怒んなよー! 近く通り掛かったし、連絡入れんのもめんどかったから来た!」
「もー!!」
 フランは書類を抱えたまま、青年――ネルの前まで小走りで向かった。
 ネルは悪びれもなく笑い、ぽんぽんとフランの頭を撫でる。
「元気そうじゃん。ちゃんと飯食ってるか?」
「食べてるよ! もう、子ども扱いしないで!」
「いやー、俺から見たらまだまだちっちゃい妹だからなぁ」
「ちっちゃくない!」
 フランが頬を膨らませる。
 ネルはけらけら笑いながら、今度は彼女の肩を軽く抱き寄せた。
「ま、元気ならよかった。母さんたちも心配してたぞ。最近忙しそうだって言ってたから」
「う……それは……ちゃんと連絡するって言っておいて……」
「自分でしろよー」
「お兄ちゃんが急に来るからでしょ!」
 そのやり取りは、どう見ても気安かった。距離が近い。頭を撫でるのも、肩を抱くのも、フランが遠慮なく怒るのも、相手が笑って受け流すのも、すべてが自然だった。だからこそ、周囲がざわついた。
「……え、誰?」
「フランさんの知り合い?」
「距離、近くない?」
「もしかして……恋人?」
 ひそひそ声が広がっていく。
 そのざわめきは、ちょうど控室へ向かう途中だったシキミの耳にも届いた。
 シキミはぴたりと足を止め、眼鏡の奥の瞳をきらりと光らせる。
「……恋人?」
 物語の匂いを嗅ぎつけた作家の反応だった。その隣を歩いていたカトレアは、面倒そうに眉を寄せる。
「何かしら。妙に騒がしいわね」
 レンブも腕を組み、受付の方へ視線を向けた。
「ふむ……フランの知人か」
 三人の視線の先。フランはネルに向かってぷんぷん怒りながらも、どこか嬉しそうだった。ネルはそんな彼女の反応を楽しむように笑っている。
 見知らぬ男が、フランの頭を撫で、肩を抱いている。フランが遠慮なく頬を膨らませている。
 シキミはさあっと青ざめた。
「……これは、たいへんな一幕なのでは?」
 カトレアも、無言である一点を見た。彼女が見ようとしたのは、当然、あくタイプの四天王――ギーマの反応だった。
 少し前まで、彼は自分たちのすぐ後ろを歩いていたはずだった。フランに用があるとかで、受付の方へ向かうと言っていた。
 だからカトレアは、横目でちらりと彼の表情を確認しようとしたのだ。だが。
「……あら?」
 そこに、ギーマはいなかった。つい数秒前まで隣にいたはずの男の姿が、忽然と消えている。
 レンブが低く呟いた。
「早いな」
 シキミが受付へ視線を戻した、次の瞬間。
 すでにギーマは、フランとネルの間にするりと割って入るように立っていた。あまりにも自然に。まるで最初からそこにいたかのように。
「ご苦労さま、フラン」
 低く涼やかな声が、場の空気を静かに変えた。フランの肩がびくんと跳ねる。
「ひゃっ?! ギ、ギーマさん?!」
 今まで兄相手に素の声で怒っていたフランが、一瞬で仕事用の声に戻り、そしてすぐに恋する乙女の動揺へと崩れていく。
「お、お疲れさまですっ……!」
「ずいぶん賑やかだね」
 ギーマはいつものように穏やかに微笑んでいた。だが、その空色の瞳は、静かにネルを捉えている。笑っている。
 笑っているのに、底が見えない。
「そちらの男性は? 知り合いなのかな?」
 問い方は柔らかい。けれどフランは、なぜか背筋がぴんと伸びた。
「えと……実は、」
「えっ?! ギーマさん?!」
 フランの説明を遮るように、ネルがぱっと目を輝かせた。
「本物?! やば!! まさかあの有名人に会えるなんて超ラッキーすぎ!!」
 ネルは人懐っこい笑顔のまま、勢いよく頭を下げた。
「あ、俺はフランの兄のネルっていうっす!! よろしくおねがいしゃす!!」
「お兄ちゃん!! ちゃんと敬語使って!! ギーマさんに失礼な態度取らないで!!」
「いや、敬語だったろ今!」
「軽すぎるの!」
 フランは顔を真っ赤にしながらギーマに向き直り、深々と頭を下げた。
「ご、ごめんなさい、ギーマさん……! 兄が無礼を……!」
 兄。その一文字が、ギーマの中で静かに裏返った。
 配られたカードの正体が、ようやく見えた。恋人ではない。フランと血を分けた家族。
 彼女が遠慮なく怒り、頬を膨らませ、素のまま甘えることを許された相手。
 ギーマはほんの一瞬だけ、息を吐いた。それは安堵だった。家族ならば、あの距離の近さも当然だ。頭を撫でることも、肩を抱くことも、フランが無防備に怒ることも、すべて不自然ではない。
「構わないよ」
 彼は優雅に片手を胸に添え、ネルへ向き直る。
「仲が良くていいじゃないか。……改めて、わたしはイッシュ四天王のギーマ。ネル、これから長い付き合いになると思うから、よろしく頼むぜ」
 その言葉に、フランは目を丸くした。
「な、長い付き合い……?」
 ネルも一瞬きょとんとしたあと、にかっと笑った。
「こちらこそよろしくっす! いやー、フランから話はめちゃくちゃ聞いてますよ! もう昔からずーっとギーマさんギーマさんって、家でもテレビの前で騒いでて――」
「お兄ちゃん!!」
 フランはネルの口を両手で塞いだ。顔は熟れたマトマの実のように真っ赤だ。
「余計なこと言わないで!!」
「むぐぐ」
 ネルはフランの手を剥がしながら、悪戯っぽく笑う。
「いやでも本当だろ? ギーマさんのバトル見てから、急にポケモントレーナーになるって言い出してさ。あたしもいつかギーマ様に会って戦うんだー! って、めっちゃ張り切ってたじゃん」
「やめてぇぇ……!」
「ファンレターも毎月書いてたよな。何回も下書きして、俺に変じゃないか見せてきて――」
「お兄ちゃんのばか!!」
 フランは涙目でネルの腕をぽかぽか叩いた。その様子を、ギーマは黙って見つめていた。
 フランが自分のことを長年慕ってくれていたことは知っている。ファンレターも読んでいた。彼女が自分に会うために、どれほど努力してきたかも、バトルを通して理解した。
 だが、家族の口から語られる「昔のフラン」は、ギーマにとって初めて触れる手札だった。
 テレビの前で目を輝かせる少女。何度も下書きした手紙を抱えて、兄に相談する少女。ギーマに会うために、トレーナーになると決めた少女。
 そのすべてが、今目の前で真っ赤になっている彼女へ繋がっている。
 ギーマの胸の奥に、甘く満ちるものがあった。
「……そうか」
 ギーマはゆっくりと目を細めた。
「フランは、昔からわたしのことをそんなに見ていてくれたんだね」
「ひゃ……っ」
 フランが固まる。
「そ、それは、その……子どもの頃の話で……! い、今はちゃんと仕事として尊敬しているというか……!」
「今は違うのかい?」
 意地悪な問い。フランの肩が跳ねる。
「ち、違わなくはないですけど……! でもその、昔みたいに騒いだりは……!」
「してるだろ」
 ネルがあっさり言った。
「お兄ちゃん!!」
「この前もおれに電話で言ってたじゃん。ギーマさんが今日もかっこよすぎて心臓が保たないって」
「わあああああ!!」
 フランは今度こそネルの口を本気で塞ぎにかかった。
 ネルはけらけら笑っている。
 ギーマは片手を口元に添え、笑いを堪えるように目を細めた。
 周囲のスタッフは、さっきまでの「恋人疑惑」が「兄妹だったらしい」という安堵と、「でもギーマさんの反応が何かすごい」という新たな緊張に包まれていた。
 少し離れた場所では、カトレアが腕を組みながらその様子を見ていた。
「……あからさまに機嫌がよくなったわね」
 その声には、呆れと興味が半分ずつ混じっている。
「ふぅん」
 シキミはすでにメモ帳を取り出していた。
「恋敵かと思われた男性は、実は兄だった。緊張から安堵へ、そして家族から明かされる過去の恋慕により、勝負師の独占欲はさらに深まる……! これは良い展開です!」
「書くな」
 レンブが静かに突っ込んだ。

後編に続く。

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