ギーマ夢主の名前変換
ギーマ(BW)×固定夢主💮
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海を渡り、アローラの温暖な気候の中に居を構えてからも、フランが大切に手放さずに持ってきた品々がある。
かつてイッシュリーグの受付として働いていた頃の賑やかな思い出が詰まった写真。
手持ちのポケモンであるエナやキキと共に、各地を巡った旅先で買い集めた小さな小物類。各地を旅する兄から届く、温かな手紙の数々。擦り切れるほどページをめくった、ギーマが映る昔の雑誌。
そして——そのどれよりも深い愛着を注がれ、幾度もの季節を共に過ごしてきた特別な品が、もう一つあった。
「……まだ持っていたのかい、それ」
穏やかな昼下がり。
窓枠から差し込む柔らかな南国の陽射しが、部屋の床をあたたかく染め上げる静けさの中で、ソファに腰かけていたギーマがふと視線を留め、思いがけずといったように低く呟いた。
「え?」
呼ばれてフランがゆっくりと振り返る。
その華奢な胸の中には、大切そうに抱え込まれた小さなぬいぐるみが納まっていた。
燕尾服風の上品な衣装。青みがかった、特徴的に逆立った黒髪。刺繍で丁寧に表現された、澄んだ空色の瞳。
そこにいるのは、白の混じった黒髪をし、落ち着いた着流しに身を包んだ現在のギーマではない。
かつてイッシュ四天王としてその名を馳せ、華やかな舞台に立っていた頃の姿を形取った、小さなギーマのぬいぐるみだった。
「あっ、これですか?」
胸元のぬいぐるみに視線を落としたフランの顔が、瞬く間にぱっと明るく華やぐ。
「もちろん持ってますよ!」
「もちろん」
「昔から大事にしてたんです。アローラにもちゃんと連れてきました」
その声はどこまでも嬉しそうだった。
まるで宝物を自慢する少女のようにひどく愛おしそうな手つきで、布と綿でできた小さな「昔の彼」を両手で包み込んでいる。
ギーマはそれ以上言葉を重ねず、黙ってその愛くるしい光景を視界に収めていた。
「ほら、ちょっと古くなっちゃったでしょう?」
フランは繊細な指先で、ぬいぐるみの髪を愛おしそうにそっと整えてやる。
時が経ち、幾度も触れられたことで生地はいくらか柔らかくなり、擦れて古びてはいるものの、注がれてきた愛情の深さがその佇まいから如実に伝わってきた。
「ずっと一緒だったから置いていきたくなくて」
「……そう」
「イッシュにいた頃も、旅行へ行く時とか時々連れていってたんですよ」
もちろん、ギーマもその事実は知っていた。
後になって知ったことだが、当時のフランはこのぬいぐるみを密かに鞄へ忍ばせ、お気に入りのカフェへ連れて行ったり、美しい風景を背景に写真を収めたりしていたのだ。
それを知った当時のギーマは、『小さなわたしばかり随分いい思いをしているね』と冗談めかして言いつつも、本気混じりの嫉妬を覗かせたものだった。
だが、まさか。
幾年月が流れ、晴れて本人と恋人同士として同じ屋根の下で暮らすようになった今も尚。
あの頃とまったく同じ感情を胸に芽生えさせることになろうとは、思いもしなかった。
「ギーマさん?」
「うん?」
「なんか、ぬいのことじっと見てますけど……」
自分に向けられる不自然なほど真剣な眼差しに気づき、フランが首をかしげる。
「少し考えていた」
「何をですか?」
「昔のわたしは、随分きみに可愛がられているな、と」
「昔のギーマさん?」
フランは胸の中のぬいぐるみに視線を落とし、その整った顔立ちを見つめた。
「だって可愛いですもん」
その一言が落ちた瞬間。ギーマの眉が、ごく僅かに、けれど確実に跳ね上がった。
「可愛い?」
「はい」
「それが?」
「はい!」
フランは何の疑いも抱かず、まっすぐな瞳で頷いてみせる。
そして、何の躊躇もなく。
「よしよし」
愛おしそうに、ぬいぐるみの頭を撫でた。
「…………」
ギーマは心の中で深い溜息をついた。
大人気ない。我ながら、非常に大人気ないことは百も承知だった。
目の前にいるのは、布と綿で作られた、己の過去の姿を模した人形に過ぎない。
意思もなければ命すら宿っていないのだ。
ましてや、今の自分からフランを奪い去るような真似などできるはずもない。
そんな言わば綿の塊に嫉妬の炎を燃やすなど、客観的に見れば滑稽であり、愚の極みと言えた。重々承知している。
それなのに——胸の奥でくすぶる不満の火種は、どうしても消えてくれなかった。
「フラン」
「はい?」
「こちらへおいで」
「え?」
わけも分からぬまま、フランがぬいぐるみを抱えた足取りで近づいてくる。
「どうしました?」
「いや」
間合いに入った瞬間、ギーマは自身の腕を彼女の細い腰へ滑らせ、逃す間もなく一気に自分の隣へと引き寄せた。
「ひゃっ?!」
「本物も少し構ってほしくなってね」
「……はい?」
突然の密着と耳元で響く低い声に、フランの頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
「本物って……ギーマさん?」
「他にいるかな」
「でも、さっきまで普通に隣にいたじゃないですか」
「ああ」
「じゃあ、どうして急に……」
困惑するフランの頭上から、ギーマの鋭くも切ない視線が、彼女の腕にすっぽりと収まっているぬいぐるみへと向けられた。
つられるようにしてフランも手元へ視線を落とす。
静寂が室内を支配した数秒後。
「……まさか」
すべての点と線がつながったように、フランの目が丸くなった。
「ギーマさん」
「うん」
「ぬいにヤキモチ妬いてます?」
「……」
一瞬の間。勝負師としての矜持が働き、否定の言葉で誤魔化そうかという考えが脳裏をよぎった。
だが、最愛の彼女の前で今さら見苦しい嘘をつくほどの意味もなかった。
「ああ」
「認めるんですか?!」
あまりにも潔い肯定に、フランは声を裏返させて目を丸くした。
「自分のぬいですよ?!」
「知っているよ」
「昔のギーマさんですよ?!」
「それも理解している」
「つまりギーマさんがギーマさんに嫉妬してるってことですよね?!」
「正確には、昔のわたしを模したぬいぐるみに、だね」
「大差ないです!」
堪えきれなくなったように、フランが吹き出し、楽しそうに笑い声をあげた。
ギーマは自身の胸元で笑う彼女を、少々不満げに細めた目で見つめる。
「随分楽しそうだね」
「だって……ふふっ……ギーマさんが、自分のぬいにヤキモチ……」
「笑うなら」
ギーマはフランの身体を抱きしめる腕に、ぐっと力を込めた。
「こちらにも考えがある」
「え?」
言葉の意味を問い返す隙すら与えず、次の瞬間。
フランのつむじの少し上、額の真ん中に、あたたかく柔らかな感触がしっとりと落ちた。
「……っ!」
弾んだ笑い声がピタリと止まる。
ギーマがごく自然な動作で、彼女の額へ口づけを落としたのだ。
「ギ、ギーマさん?!」
「ぬいぐるみにはできないことをしておこうと思ってね」
「そんな対抗の仕方あります?!」
「あるだろう。今した」
「そういう問題じゃなくて……!」
額を押さえ、耳の先まで真っ赤に熟れさせるフランの反応を見て、ギーマは満足そうに目を細めた。
やはり。
この愛くるしい羞恥と高鳴りは、自分だけが引き出せるものだ。
小さなぬいぐるみをどれほど可愛がろうと、綿の塊が彼女の頬をこんなにも熱く染め上げることは絶対に不可能なのだから。
「ギーマさん、大人気ないです」
「自覚はあるよ」
「相手は自分のぬいですよ?」
「それも知っている」
「なのに?」
「面白くないものは、面白くない」
悪びれもせず、ギーマは平然と言い放った。
フランは呆れたように肩を落としながらも、その瞳にはどこか隠しきれない愛おしさが滲んでいた。
「昔は、このぬいを見てるだけでも幸せだったんですよ」
「そう」
「ギーマさんは遠い人でしたから」
ポツリと漏らされたその言葉に、ギーマの表情がほんの僅かだけ陰りを帯びた。
フランは手の中の小さなぬいぐるみを、どこか懐かしむような眼差しで見つめ直す。
「イッシュリーグで働くようになってからも、あたしにとってギーマさんってずっと憧れの人だったし。こういうの持ってると、ちょっとだけ近くにいる感じがして嬉しくて」
「……」
「アローラへ来る時も、置いていけなかったんです」
昔のギーマ。
フランがまだ一人の少女として、遥か遠くの雲の上から仰ぎ見ていた頃の姿。
四天王の称号を背負い、華美な衣装に身を包んでいた、挫折を知る前の自分。
ギーマはゆっくりと瞼を伏せ、自嘲の混じった吐息を吐き出した。
「今のわたしとは、随分違うね」
「え?」
「そのぬいぐるみの男は」
静かな声の裏に、かすかな陰影が混じる。
「四天王としてリーグに座り、きみから憧れの目を向けられていた頃のわたしだ」
「ギーマさん」
「今のわたしより、大事だったりするのかな」
半分はおちゃめな戯れ言。
だが、残り半分は——かつてすべてを失いかけた男としての、切実な問いだった。
フランは瞬きをし、彼の顔を見つめた。
そして、一切の迷いもなく。
「そんなわけないですよ」
即座に言い切った。
「……そう」
「このぬいが大事なのは本当です。昔の思い出もいっぱいありますし」
「うん」
「でも」
フランは手元にあったぬいぐるみを、そっと傍らのソファへ置いた。
そして何ものも挟まなくなった両腕を伸ばすと、目の前にいるギーマの背中へ回し、力強く抱きしめ返す。
「今、あたしが一緒にいたいのは本物のギーマさんです」
不意の温もりに、ギーマの瞳が僅かに見開かれた。
「昔のギーマさんも大好きでした」
「……」
「でも今のギーマさんは、もっと好きです」
「もっと?」
「はい」
胸元に顔をうずめながら、フランは照れくさそうに笑った。
「昔は知らなかったギーマさんを、いっぱい知ったから」
朝が苦手でなかなか起きられないこと。
格好をつけていても、思っている以上に寂しがり屋なこと。
ふとした時に自分へ甘えてくること。
勝ち負けの狭間で余裕を失い、不安に苛まれる夜があること。
そして何より。
かつての憧れだった頃以上に、今の彼が自分を深く、深く愛してくれていること。
「だから、ぬいに負けたとか思わないでください」
「別に負けたとは——」
「思ってましたよね?」
「……少しだけ」
「もう」
フランがふわふわと笑う。そのぬくもりを確かめるように、ギーマもまた彼女の体を深く抱きすくめた。
「では」
「はい?」
「もう少し本物を可愛がってくれる?」
「えっ」
「その小さなわたしにしたように」
「ど、どうやってですか?!」
「頭を撫でてもいいよ」
「無理です!緊張します!」
「ぬいにはしていたのに?」
「ぬいはぬいです!」
「不公平だね」
「比較対象にしないでください!」
低く楽しそうに笑うギーマの胸の中で、フランは困り果てたように眉を寄せていたが、やがて腹を括ったように恐る恐る手を伸ばした。
「……じゃあ」
躊躇いがちに伸ばされた指先が、白と黒の混ざり合う彼の柔らかい髪へと触れる。
「これで、いいですか」
毛並みを乱さないよう、そっと、撫で下ろす。
たった一度だけの、控えめな手つき。
しかし、それだけでギーマの胸の奥は、思っていた以上の満たされた幸福感でいっぱいになった。
「……悪くない」
「本当に?」
「もう一度」
「えっ」
「ぬいには何度もしていた」
「まだ張り合ってる……!」
不満をこぼしながらも、フランは愛おしさを隠しきれない様子で、再びその髪を撫でてくれた。
「よしよし」
少し冗談めかして言ったその声の温かさに、ギーマは目を細める。
「うん」
「満足しました?」
「少し」
「少し?!」
「まだ足りないね」
「何がですか!」
逃がさないように、ギーマの手がフランの柔らかい頬へと添えられた。
「ぬいぐるみは抱いていた」
「……」
「今度はわたしの番だ」
「もう抱きしめてますよね?!」
「では、次」
「次?」
不思議そうに首を傾げるフランの直近で、ギーマはその瞳をじっと見つめ返す。
そして、唇を寄せる寸前で静かに問いかけた。
「口づけても?」
その吐息が触れるほどの距離での一言に、フランの顔が一瞬で真っ赤に沸き立つ。
「……ぬいにはしてません」
「なら、わたしの勝ちだね」
「何の勝負なんですか……」
「昔のわたしとの」
「だから同一人物ですって……!」
言葉では呆れ返りながらも。
フランはその腕から逃げ出そうとはしなかった。
「……いいです」
かすかな、けれど確かな承諾の囁き。
ギーマは満足げに唇の端を上げると、吸い寄せられるようにそっと重ね合わせた。
唇と唇が触れ合うだけの、短い口づけ。
けれど離れた時、フランの顔は耳の裏まで鮮やかな朱に染まっていた。
「……ずるいです」
「何が?」
「ぬいに嫉妬したって言いながら、結局あたしをどきどきさせて楽しんでるじゃないですか」
「それは否定しない」
「もう……」
恥ずかしさに耐えかねたように、フランはギーマの広い胸元へ顔を埋めて隠してしまった。
ギーマはその愛おしい背中を、あたたかな手つきでゆっくりと撫で下ろす。
視界の端。
ソファの傍らにぽつんと取り残された、小さな過去の自分。
考えてみれば不思議なものだ。
かつて彼女が遠い場所から憧れ、愛してくれた自分の姿。
今なおこうして大切に手元に残されていると知れば、本来ならば素直に喜ぶべき過去の遺物であるはずなのに。
今の自分は。
他ならぬ過去の己にすら、彼女の愛情の一片たりとも譲り渡したくはないのだから。
「フラン」
「はい」
「そのぬいぐるみを大切にするなとは言わないよ」
「本当ですか?」
「ああ。きみの思い出だからね」
ギーマは目を細め、静かに微笑んだ。
「ただし」
「ただし?」
「それを抱いているところをわたしが見たら、今後も同じように構ってもらう」
「……ギーマさんを?」
「もちろん」
「毎回?」
「ああ」
「大人気ない……」
「何度でも言ってくれて構わないぜ」
ギーマは彼女の頭を引き寄せ、額へともう一度愛おしさを込めた口づけを落とした。
「その代わり、今のわたしの方が好きだということも、何度でも聞かせてほしい」
フランは驚いたように目を丸くし。
それから、胸が締め付けられるほど優しく、温かな笑顔を咲かせた。
「何度でも言いますよ」
「うん」
「昔のギーマさんも大好きです」
「……そこは必要かな」
「でも」
フランはさらに身体を寄せて、彼の胸元へすり寄るように頬をうずめた。
「今のギーマさんは、もっともっと大好きです」
そのまっすぐな一言で。
あれほど大人気なく胸を痛めていた小さな嫉妬は、跡形もなく消え去っていた。
「……そう」
ギーマの声が、どこまでも甘く滑らかに鼓膜を揺らす。
「それならいい」
「単純ですね」
「きみに関しては、そうなのかもしなくもない」
「じゃあ、ぬいにも優しくしてくださいね」
フランは胸元からそっと腕を伸ばし、ソファの上にいた昔のギーマを拾い上げた。
その布人形へ向けられるギーマの視線。
数秒の無言の対峙ののち。
「……善処しよう」
「まだ妬いてる!」
可憐な笑い声が、陽だまりの広がる部屋いっぱいに響き渡った。
結局その日。
役目を終えた小さなギーマのぬいぐるみは部屋の棚の上へと戻され。
代わりに本物のギーマは、その穴埋めを主張するかのように、フランの隣から頑として離れようとはしなかった。
細い腰に腕を回し続け。
耳元で何度も愛おしそうに名前を囁き。
額や頬、果ては唇へと幾度も口づけを重ねて。
ぬいぐるみには決して真似できない方法で、己の温もりと存在感を余すことなく彼女に刻み込んでいく。
そんな愛おしい恋人の熱に包まれながら、フランは何度も顔を真っ赤に染め、心の中で可笑しそうに呟かないではいられなかった。
——昔のギーマさんにまでヤキモチを妬くなんて。
今のギーマさんは、あの頃の誰からも遠かった背中よりも、ずっとずっと可愛らしく愛おしい人になったのだと。
かつてイッシュリーグの受付として働いていた頃の賑やかな思い出が詰まった写真。
手持ちのポケモンであるエナやキキと共に、各地を巡った旅先で買い集めた小さな小物類。各地を旅する兄から届く、温かな手紙の数々。擦り切れるほどページをめくった、ギーマが映る昔の雑誌。
そして——そのどれよりも深い愛着を注がれ、幾度もの季節を共に過ごしてきた特別な品が、もう一つあった。
「……まだ持っていたのかい、それ」
穏やかな昼下がり。
窓枠から差し込む柔らかな南国の陽射しが、部屋の床をあたたかく染め上げる静けさの中で、ソファに腰かけていたギーマがふと視線を留め、思いがけずといったように低く呟いた。
「え?」
呼ばれてフランがゆっくりと振り返る。
その華奢な胸の中には、大切そうに抱え込まれた小さなぬいぐるみが納まっていた。
燕尾服風の上品な衣装。青みがかった、特徴的に逆立った黒髪。刺繍で丁寧に表現された、澄んだ空色の瞳。
そこにいるのは、白の混じった黒髪をし、落ち着いた着流しに身を包んだ現在のギーマではない。
かつてイッシュ四天王としてその名を馳せ、華やかな舞台に立っていた頃の姿を形取った、小さなギーマのぬいぐるみだった。
「あっ、これですか?」
胸元のぬいぐるみに視線を落としたフランの顔が、瞬く間にぱっと明るく華やぐ。
「もちろん持ってますよ!」
「もちろん」
「昔から大事にしてたんです。アローラにもちゃんと連れてきました」
その声はどこまでも嬉しそうだった。
まるで宝物を自慢する少女のようにひどく愛おしそうな手つきで、布と綿でできた小さな「昔の彼」を両手で包み込んでいる。
ギーマはそれ以上言葉を重ねず、黙ってその愛くるしい光景を視界に収めていた。
「ほら、ちょっと古くなっちゃったでしょう?」
フランは繊細な指先で、ぬいぐるみの髪を愛おしそうにそっと整えてやる。
時が経ち、幾度も触れられたことで生地はいくらか柔らかくなり、擦れて古びてはいるものの、注がれてきた愛情の深さがその佇まいから如実に伝わってきた。
「ずっと一緒だったから置いていきたくなくて」
「……そう」
「イッシュにいた頃も、旅行へ行く時とか時々連れていってたんですよ」
もちろん、ギーマもその事実は知っていた。
後になって知ったことだが、当時のフランはこのぬいぐるみを密かに鞄へ忍ばせ、お気に入りのカフェへ連れて行ったり、美しい風景を背景に写真を収めたりしていたのだ。
それを知った当時のギーマは、『小さなわたしばかり随分いい思いをしているね』と冗談めかして言いつつも、本気混じりの嫉妬を覗かせたものだった。
だが、まさか。
幾年月が流れ、晴れて本人と恋人同士として同じ屋根の下で暮らすようになった今も尚。
あの頃とまったく同じ感情を胸に芽生えさせることになろうとは、思いもしなかった。
「ギーマさん?」
「うん?」
「なんか、ぬいのことじっと見てますけど……」
自分に向けられる不自然なほど真剣な眼差しに気づき、フランが首をかしげる。
「少し考えていた」
「何をですか?」
「昔のわたしは、随分きみに可愛がられているな、と」
「昔のギーマさん?」
フランは胸の中のぬいぐるみに視線を落とし、その整った顔立ちを見つめた。
「だって可愛いですもん」
その一言が落ちた瞬間。ギーマの眉が、ごく僅かに、けれど確実に跳ね上がった。
「可愛い?」
「はい」
「それが?」
「はい!」
フランは何の疑いも抱かず、まっすぐな瞳で頷いてみせる。
そして、何の躊躇もなく。
「よしよし」
愛おしそうに、ぬいぐるみの頭を撫でた。
「…………」
ギーマは心の中で深い溜息をついた。
大人気ない。我ながら、非常に大人気ないことは百も承知だった。
目の前にいるのは、布と綿で作られた、己の過去の姿を模した人形に過ぎない。
意思もなければ命すら宿っていないのだ。
ましてや、今の自分からフランを奪い去るような真似などできるはずもない。
そんな言わば綿の塊に嫉妬の炎を燃やすなど、客観的に見れば滑稽であり、愚の極みと言えた。重々承知している。
それなのに——胸の奥でくすぶる不満の火種は、どうしても消えてくれなかった。
「フラン」
「はい?」
「こちらへおいで」
「え?」
わけも分からぬまま、フランがぬいぐるみを抱えた足取りで近づいてくる。
「どうしました?」
「いや」
間合いに入った瞬間、ギーマは自身の腕を彼女の細い腰へ滑らせ、逃す間もなく一気に自分の隣へと引き寄せた。
「ひゃっ?!」
「本物も少し構ってほしくなってね」
「……はい?」
突然の密着と耳元で響く低い声に、フランの頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
「本物って……ギーマさん?」
「他にいるかな」
「でも、さっきまで普通に隣にいたじゃないですか」
「ああ」
「じゃあ、どうして急に……」
困惑するフランの頭上から、ギーマの鋭くも切ない視線が、彼女の腕にすっぽりと収まっているぬいぐるみへと向けられた。
つられるようにしてフランも手元へ視線を落とす。
静寂が室内を支配した数秒後。
「……まさか」
すべての点と線がつながったように、フランの目が丸くなった。
「ギーマさん」
「うん」
「ぬいにヤキモチ妬いてます?」
「……」
一瞬の間。勝負師としての矜持が働き、否定の言葉で誤魔化そうかという考えが脳裏をよぎった。
だが、最愛の彼女の前で今さら見苦しい嘘をつくほどの意味もなかった。
「ああ」
「認めるんですか?!」
あまりにも潔い肯定に、フランは声を裏返させて目を丸くした。
「自分のぬいですよ?!」
「知っているよ」
「昔のギーマさんですよ?!」
「それも理解している」
「つまりギーマさんがギーマさんに嫉妬してるってことですよね?!」
「正確には、昔のわたしを模したぬいぐるみに、だね」
「大差ないです!」
堪えきれなくなったように、フランが吹き出し、楽しそうに笑い声をあげた。
ギーマは自身の胸元で笑う彼女を、少々不満げに細めた目で見つめる。
「随分楽しそうだね」
「だって……ふふっ……ギーマさんが、自分のぬいにヤキモチ……」
「笑うなら」
ギーマはフランの身体を抱きしめる腕に、ぐっと力を込めた。
「こちらにも考えがある」
「え?」
言葉の意味を問い返す隙すら与えず、次の瞬間。
フランのつむじの少し上、額の真ん中に、あたたかく柔らかな感触がしっとりと落ちた。
「……っ!」
弾んだ笑い声がピタリと止まる。
ギーマがごく自然な動作で、彼女の額へ口づけを落としたのだ。
「ギ、ギーマさん?!」
「ぬいぐるみにはできないことをしておこうと思ってね」
「そんな対抗の仕方あります?!」
「あるだろう。今した」
「そういう問題じゃなくて……!」
額を押さえ、耳の先まで真っ赤に熟れさせるフランの反応を見て、ギーマは満足そうに目を細めた。
やはり。
この愛くるしい羞恥と高鳴りは、自分だけが引き出せるものだ。
小さなぬいぐるみをどれほど可愛がろうと、綿の塊が彼女の頬をこんなにも熱く染め上げることは絶対に不可能なのだから。
「ギーマさん、大人気ないです」
「自覚はあるよ」
「相手は自分のぬいですよ?」
「それも知っている」
「なのに?」
「面白くないものは、面白くない」
悪びれもせず、ギーマは平然と言い放った。
フランは呆れたように肩を落としながらも、その瞳にはどこか隠しきれない愛おしさが滲んでいた。
「昔は、このぬいを見てるだけでも幸せだったんですよ」
「そう」
「ギーマさんは遠い人でしたから」
ポツリと漏らされたその言葉に、ギーマの表情がほんの僅かだけ陰りを帯びた。
フランは手の中の小さなぬいぐるみを、どこか懐かしむような眼差しで見つめ直す。
「イッシュリーグで働くようになってからも、あたしにとってギーマさんってずっと憧れの人だったし。こういうの持ってると、ちょっとだけ近くにいる感じがして嬉しくて」
「……」
「アローラへ来る時も、置いていけなかったんです」
昔のギーマ。
フランがまだ一人の少女として、遥か遠くの雲の上から仰ぎ見ていた頃の姿。
四天王の称号を背負い、華美な衣装に身を包んでいた、挫折を知る前の自分。
ギーマはゆっくりと瞼を伏せ、自嘲の混じった吐息を吐き出した。
「今のわたしとは、随分違うね」
「え?」
「そのぬいぐるみの男は」
静かな声の裏に、かすかな陰影が混じる。
「四天王としてリーグに座り、きみから憧れの目を向けられていた頃のわたしだ」
「ギーマさん」
「今のわたしより、大事だったりするのかな」
半分はおちゃめな戯れ言。
だが、残り半分は——かつてすべてを失いかけた男としての、切実な問いだった。
フランは瞬きをし、彼の顔を見つめた。
そして、一切の迷いもなく。
「そんなわけないですよ」
即座に言い切った。
「……そう」
「このぬいが大事なのは本当です。昔の思い出もいっぱいありますし」
「うん」
「でも」
フランは手元にあったぬいぐるみを、そっと傍らのソファへ置いた。
そして何ものも挟まなくなった両腕を伸ばすと、目の前にいるギーマの背中へ回し、力強く抱きしめ返す。
「今、あたしが一緒にいたいのは本物のギーマさんです」
不意の温もりに、ギーマの瞳が僅かに見開かれた。
「昔のギーマさんも大好きでした」
「……」
「でも今のギーマさんは、もっと好きです」
「もっと?」
「はい」
胸元に顔をうずめながら、フランは照れくさそうに笑った。
「昔は知らなかったギーマさんを、いっぱい知ったから」
朝が苦手でなかなか起きられないこと。
格好をつけていても、思っている以上に寂しがり屋なこと。
ふとした時に自分へ甘えてくること。
勝ち負けの狭間で余裕を失い、不安に苛まれる夜があること。
そして何より。
かつての憧れだった頃以上に、今の彼が自分を深く、深く愛してくれていること。
「だから、ぬいに負けたとか思わないでください」
「別に負けたとは——」
「思ってましたよね?」
「……少しだけ」
「もう」
フランがふわふわと笑う。そのぬくもりを確かめるように、ギーマもまた彼女の体を深く抱きすくめた。
「では」
「はい?」
「もう少し本物を可愛がってくれる?」
「えっ」
「その小さなわたしにしたように」
「ど、どうやってですか?!」
「頭を撫でてもいいよ」
「無理です!緊張します!」
「ぬいにはしていたのに?」
「ぬいはぬいです!」
「不公平だね」
「比較対象にしないでください!」
低く楽しそうに笑うギーマの胸の中で、フランは困り果てたように眉を寄せていたが、やがて腹を括ったように恐る恐る手を伸ばした。
「……じゃあ」
躊躇いがちに伸ばされた指先が、白と黒の混ざり合う彼の柔らかい髪へと触れる。
「これで、いいですか」
毛並みを乱さないよう、そっと、撫で下ろす。
たった一度だけの、控えめな手つき。
しかし、それだけでギーマの胸の奥は、思っていた以上の満たされた幸福感でいっぱいになった。
「……悪くない」
「本当に?」
「もう一度」
「えっ」
「ぬいには何度もしていた」
「まだ張り合ってる……!」
不満をこぼしながらも、フランは愛おしさを隠しきれない様子で、再びその髪を撫でてくれた。
「よしよし」
少し冗談めかして言ったその声の温かさに、ギーマは目を細める。
「うん」
「満足しました?」
「少し」
「少し?!」
「まだ足りないね」
「何がですか!」
逃がさないように、ギーマの手がフランの柔らかい頬へと添えられた。
「ぬいぐるみは抱いていた」
「……」
「今度はわたしの番だ」
「もう抱きしめてますよね?!」
「では、次」
「次?」
不思議そうに首を傾げるフランの直近で、ギーマはその瞳をじっと見つめ返す。
そして、唇を寄せる寸前で静かに問いかけた。
「口づけても?」
その吐息が触れるほどの距離での一言に、フランの顔が一瞬で真っ赤に沸き立つ。
「……ぬいにはしてません」
「なら、わたしの勝ちだね」
「何の勝負なんですか……」
「昔のわたしとの」
「だから同一人物ですって……!」
言葉では呆れ返りながらも。
フランはその腕から逃げ出そうとはしなかった。
「……いいです」
かすかな、けれど確かな承諾の囁き。
ギーマは満足げに唇の端を上げると、吸い寄せられるようにそっと重ね合わせた。
唇と唇が触れ合うだけの、短い口づけ。
けれど離れた時、フランの顔は耳の裏まで鮮やかな朱に染まっていた。
「……ずるいです」
「何が?」
「ぬいに嫉妬したって言いながら、結局あたしをどきどきさせて楽しんでるじゃないですか」
「それは否定しない」
「もう……」
恥ずかしさに耐えかねたように、フランはギーマの広い胸元へ顔を埋めて隠してしまった。
ギーマはその愛おしい背中を、あたたかな手つきでゆっくりと撫で下ろす。
視界の端。
ソファの傍らにぽつんと取り残された、小さな過去の自分。
考えてみれば不思議なものだ。
かつて彼女が遠い場所から憧れ、愛してくれた自分の姿。
今なおこうして大切に手元に残されていると知れば、本来ならば素直に喜ぶべき過去の遺物であるはずなのに。
今の自分は。
他ならぬ過去の己にすら、彼女の愛情の一片たりとも譲り渡したくはないのだから。
「フラン」
「はい」
「そのぬいぐるみを大切にするなとは言わないよ」
「本当ですか?」
「ああ。きみの思い出だからね」
ギーマは目を細め、静かに微笑んだ。
「ただし」
「ただし?」
「それを抱いているところをわたしが見たら、今後も同じように構ってもらう」
「……ギーマさんを?」
「もちろん」
「毎回?」
「ああ」
「大人気ない……」
「何度でも言ってくれて構わないぜ」
ギーマは彼女の頭を引き寄せ、額へともう一度愛おしさを込めた口づけを落とした。
「その代わり、今のわたしの方が好きだということも、何度でも聞かせてほしい」
フランは驚いたように目を丸くし。
それから、胸が締め付けられるほど優しく、温かな笑顔を咲かせた。
「何度でも言いますよ」
「うん」
「昔のギーマさんも大好きです」
「……そこは必要かな」
「でも」
フランはさらに身体を寄せて、彼の胸元へすり寄るように頬をうずめた。
「今のギーマさんは、もっともっと大好きです」
そのまっすぐな一言で。
あれほど大人気なく胸を痛めていた小さな嫉妬は、跡形もなく消え去っていた。
「……そう」
ギーマの声が、どこまでも甘く滑らかに鼓膜を揺らす。
「それならいい」
「単純ですね」
「きみに関しては、そうなのかもしなくもない」
「じゃあ、ぬいにも優しくしてくださいね」
フランは胸元からそっと腕を伸ばし、ソファの上にいた昔のギーマを拾い上げた。
その布人形へ向けられるギーマの視線。
数秒の無言の対峙ののち。
「……善処しよう」
「まだ妬いてる!」
可憐な笑い声が、陽だまりの広がる部屋いっぱいに響き渡った。
結局その日。
役目を終えた小さなギーマのぬいぐるみは部屋の棚の上へと戻され。
代わりに本物のギーマは、その穴埋めを主張するかのように、フランの隣から頑として離れようとはしなかった。
細い腰に腕を回し続け。
耳元で何度も愛おしそうに名前を囁き。
額や頬、果ては唇へと幾度も口づけを重ねて。
ぬいぐるみには決して真似できない方法で、己の温もりと存在感を余すことなく彼女に刻み込んでいく。
そんな愛おしい恋人の熱に包まれながら、フランは何度も顔を真っ赤に染め、心の中で可笑しそうに呟かないではいられなかった。
——昔のギーマさんにまでヤキモチを妬くなんて。
今のギーマさんは、あの頃の誰からも遠かった背中よりも、ずっとずっと可愛らしく愛おしい人になったのだと。