ギーマ夢主の名前変換
ギーマ(BW)×固定夢主💮
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アローラの午後は、どこまでも広がる空と海を反射して、眩しいほど明るかった。
和の風情と南国の陽気さが入り交じるマリエシティの大通りには、今日ものんびりとした空気を楽しむ観光客が行き交っている。通りに面した屋台や店舗の店先には、南国らしい色鮮やかな衣服や、珍しい木彫りの土産物が所狭しと並んでいた。
そんな賑やかな通りを、フランは足元に寄り添うエナとキキを連れて歩いていた。両手には、日用品の入った紙袋がいくつか提げられている。リストに書かれていた買い物を無事に終え、彼女はほっと息をついた。
「これで全部かな。あとはギーマさんと待ち合わせて――」
大好きな人の名前を口にし、足取りが自然と軽くなったその時だった。
「ねえ、きみ」
不意に横から声をかけられ、フランは驚いて振り返った。
そこには、サングラスを頭に乗せ、いかにも旅行者らしいラフな軽装をした若い男が立っていた。見知らぬ顔に、フランは不思議そうに小首を傾げる。
「はい?」
「地元の人?この辺のおすすめの店、教えてくれない?」
人懐っこい笑顔で尋ねてくる男に、フランは申し訳なさそうに控えめな笑みを返した。
「あたしもアローラ出身ではないんですけど……」
「そうなんだ。じゃあ、観光客同士で一緒に探さない?」
「いえ、あたしは待ち合わせをしていて」
あからさまな誘い文句に、フランはやんわりと、しかし明確に断りを入れた。
しかし男は彼女の拒絶を気にした様子もなく、図々しくさらに一歩、距離を詰めてくる。
「恋人?」
「えっと……はい」
「でも、まだ来てないんだろ? 少しくらいいいじゃない」
「よくないです」
フランが警戒して一歩下がると、主の不快感を感じ取った足元のエナが、喉の奥で低く唸った。キキも長い耳をピンと立て、男の顔を鋭い赤い瞳で見上げる。
さすがに二匹のポケモンの鋭い視線と威嚇には怯んだらしい。男の肩がわずかに跳ねた。
それでも男は諦めきれないのか、すぐにまた軽い笑みを浮かべてフランを宥めようとする。
「そんな警戒しなくても。お茶するだけだって」
「ですから……」
これ以上どう断ればいいのかとフランが困惑した、その時だった。
「わたしの妻に、何か用かな?」
背後から、ひどく穏やかで、滑らかな声が落ちてきた。
だが、その聞き慣れたはずの愛しい声を聞いた瞬間、フランの背筋は歓喜とは全く別の意味で凍りついた。
男の肩越し、いつの間にかフランのすぐ後ろに、黒と白の着流しを美しく纏ったギーマが音もなく立っている。
整った口元には、品の良い、しかしひどく作り物めいた微笑みが張り付いていた。
そして、男を見下ろす空色の瞳は、背筋が凍るほどに冷えきっていた。
「ギーマさん!」
助けが来てくれたことに安堵して、弾かれたように名を呼んだ直後。
フランの頭の中に、たった今彼の口から放たれた信じがたい言葉が、一拍遅れて届いた。
――わたしの。
――妻。
「つ――」
フランは信じられないものを見るように、限界まで目を見開いた。
「妻ァッ?!」
賑やかな大通りに、フランの素っ頓狂な驚愕の声が響き渡った。
通りすがりの人々が、何事かと一斉に振り返る。足元にいたエナまでびくりと驚いて耳を立て、キキに至っては「何を今さら大きな声を出しているんだ」とでも言いたげに、呆れたようにフランを見上げた。
ギーマ自身も、彼女のあまりの反応の大きさに一瞬だけ目を瞬かせたものの、すぐに何事もなかったかのように優雅な足取りでフランの隣へ立った。
そして、その華奢な腰へ、極めて自然な動作で自身の長い腕を回す。
「そうだよ」
「そうだよ、じゃないです!」
「今は少し静かにしていてくれるかな」
「今はって――!」
フランが耳まで真っ赤になって慌てふためく横で、声をかけた観光客の男は完全に困惑した顔で二人を交互に見ていた。
「いや……でも、本人が一番驚いてるみたいだけど」
「照れているだけさ」
「照れ――」
全く照れてなどいないと反論しようとしたフランの腰を、ギーマの腕がさらにぐっと自分の方へ引き寄せる。
その引き寄せる力は、普段彼女に触れる時の優しいものより、あからさまに少し強かった。
「妻は、わたしとの待ち合わせをしている」
ギーマは、あくまで穏やかなトーンを崩さずに言う。
「先ほどから断っているようだが、それでもまだ何か用が?」
口元の微笑みは、完璧なまでに崩れない。
けれど、その声の底には、有無を言わさぬ明確な拒絶と、鋭い刃のような威圧感が込められていた。
男は、絶対的な格の違いを見せつけるギーマと、その傍らで音もなく歩み寄ってきた凄みのあるレパルダスを交互に見る。さらに鋭い牙を覗かせて唸るエナと、額の輪を淡く光らせて臨戦態勢に入るキキの姿を確認し、ようやく勝ち目がないと諦めたように両手を上げた。
「悪かったよ。結婚してるなら最初からそう言ってくれればいいのに」
「言う暇がなかったんです!」
必死のフランの叫びには耳を貸さず、男はバツが悪そうに足早に人混みへと消えていった。
男の姿が雑踏の向こうへ完全に見えなくなるまで、ギーマはその背中を冷ややかな射抜くような視線で見つめていた。
そして、フランの腰に回された腕も、そのままぴたりと密着したままだ。
「ギーマさん」
「……」
「もう行きましたよ」
「ああ」
「なので、離しても大丈夫です」
「そうだね」
口ではすんなりと返事はしたものの、腰を抱く腕の力は一向に緩む気配がない。
フランは少し身をよじって顔を上げ、至近距離にあるギーマの横顔を見つめた。
通りを行き交う人々から見れば、美しい妻を抱き寄せる余裕のある夫の表情に見えるだろう。
しかし、彼を誰より知っているフランには分かった。
腰に回された腕へ、必要以上に硬い力が込められていること。
そして、男が消えた方角を見据える空色の瞳の奥に、かすかな苛立ちと、隠しきれない不安の色が残っていることを。
「ギーマさん」
「何かな」
「怒ってます?」
「少しね」
「あの人に?」
「それもある」
ギーマはようやく視線を落とし、腕の中にいるフランを見た。
「きみが何度断っても退こうとしなかったことに、腹が立った」
「……はい」
「そして、きみがわたしの知らない男に熱心に口説かれている光景を見て、思っていた以上に余裕を失ったらしい」
ギーマは己の未熟さを嘲るように、短く自嘲するように笑った。
「我ながら、大人気ない牽制だった」
「大人気ないというか……」
フランは、いまだに熱を持って赤いままの自分の頬を両手で押さえる。
「どうして、恋人じゃなくて妻なんですか!」
「恋人では弱いと思った」
「弱い?」
「あの男は、きみに恋人がいると聞いても諦めなかったのだろう?」
「そうですけど……」
「なら、もう一段強い札を切る必要がある」
「だからって妻……」
「効果はあった」
「ありましたけど!」
事実ではあるが、極端すぎる理論にフランはたまらず両手で顔を覆った。
「すごくびっくりしました……。あんなに大きな声を出しちゃって、恥ずかしい……」
「まさか、妻という一言であそこまで驚かれるとは思わなかったよ」
「驚きますよ!まだ結婚してないのに!」
「まだ、か」
ギーマの声が、ふっと少しだけ低く、艶を帯びたものになる。
その響きの変化に気づき、フランは顔を覆っていた指の隙間から、おそるおそる彼を見上げた。
「……何ですか?」
「いや」
ギーマは意味ありげに、ひどく魅力的に目を細めた。
「きみも『まだ』と言うのだね」
「え」
自分が無意識に何を口にしたか、その言葉の裏にある前提を理解し、フランの顔が火でも吹くかのようにさらに赤く染まった。
「ち、違います!言葉の流れで……!」
「そうかい?」
「そうです!」
「では、いつかはあり得ると考えているわけではない?」
「それは……」
意地悪な追及に、フランは完全に答えに詰まってしまう。否定すれば嘘になるし、肯定するにはあまりにも恥ずかしすぎる。
ギーマは、もごもごと口ごもるそんな愛らしいフランをしばらく見つめた後、ふっと表情を優しく和らげた。
「すまない。これ以上からかうのはやめよう」
「最初からからかわないでください……」
「妻と呼んだことについても、謝るよ。きみの同意もなく、勝手にそんな関係を名乗るべきではなかった」
ギーマは、独占欲に凝り固まっていた腕を、ようやくフランの腰から離した。
その代わりに、彼女を逃がさないためではなく、自身の問いへの答えを静かに待つように、そっと彼女の小さな手を取った。
「だが」
不意に、彼の声音が先ほどまでのからかうようなものから、ひどく真剣で深いものへと変わった。
「すべてが方便だったわけではない」
フランは驚いて目を瞬かせる。
「え……?」
ギーマは人通りの多い大通りの喧騒を一度見回すと、繋いだ手を引き、近くの静かな石畳の小道へとフランを優しく導いた。
高い石垣の向こうでは、アローラ特有の色鮮やかな小さな花が、穏やかな潮風に揺れている。主たちの邪魔をしてはいけないと察したのか、エナとキキ、レパルダスも少し離れた日陰の場所で空気を読んで足を止めた。
完全に二人きりというわけではない。それでも、大通りの騒々しい喧騒は遠のき、二人だけの静寂が降りてきた。
ギーマは、自身の大きな手の中にすっぽりと収まるフランの手を見下ろし、ゆっくりと、言葉を選ぶように口を開く。
「あの男を退けるために、咄嗟に妻と呼んだ。それは事実だ」
「はい」
「けれど、口にした瞬間、不思議なほど馴染む言葉だと思った」
その静かな告白に、フランの胸が、ドクンと大きく鳴る。
「わたしの妻」
その甘く重い響きを改めて耳元で言われ、フランの肩が小さく跳ねた。
「ギ、ギーマさん……!」
「今度は叫ばないでくれたね」
「真面目なお話じゃないんですか?!」
「真面目だよ」
抗議するフランに対し、ギーマはわずかに、ひどく穏やかに微笑んだ。
けれど、彼を見つめるその空色の瞳には、一切のからかいの色はなかった。
「いつか本当に、そう呼びたいと思っている」
フランは、呼吸をすることすら忘れて息を止めた。
「フランを、わたしの妻にしたい」
「……」
「恋人として一時を共にするだけではなく、人生を共に歩く相手として、正式に隣にいてほしい」
それは、飾り気のない真っ直ぐな言葉だった。
彼が得意とする勝負師らしい洒落た比喩も、煙に巻くような曖昧な言い回しも、そこには何一つない。ただ純粋な、彼自身の剥き出しの願いだった。
フランの瞳の奥が、じんわりと熱を持ち、少しずつ潤んでいく。
「もちろん、今すぐ返事を求めるつもりはないよ」
彼女の動揺を察し、ギーマは宥めるように優しく続ける。
「わたしは一度、きみを手放した。自分の弱さから逃げ、何も言わずにきみを置いていった」
「ギーマさん……」
「そんなわたしが、再会して間もないうちから永遠を口にしても、都合がよすぎると思う」
「そんなこと……」
「あるさ」
ギーマは、過去の自身の愚かさを噛み締めるように、苦く自嘲するように笑った。
「妻にしたいというのは、きみを所有したいというだけの話ではない」
フランの小さな手を包み込む長い指に、静かに、けれど確かな力がこもる。
「きみの帰る場所になりたい。きみが苦しい時に支えたい。きみが喜ぶ日も、悲しむ日も、すべて隣で迎えたい」
「……」
「そして今度こそ、何があっても自分からその席を降りないと、形のある約束をしたい」
彼の切実な思いを受け止め、フランの白い頬を、ついに堪えきれなくなった一粒の涙が温かく伝い落ちた。
ギーマは空いた方の手を伸ばし、その涙を親指の腹で優しく拭う。
「だから、いつか」
揺るぎない光を宿した空色の瞳が、世界でただ一人、フランだけを真っ直ぐに見つめる。
「わたしがきみに相応しい男になれたと思えた時、改めて尋ねさせてほしい」
「何を、ですか?」
次に続く言葉が分かっているのに、フランは涙声で、確認するように尋ねた。
ギーマは、彼女のそんな不器用さも愛おしいとばかりに、ひどく穏やかに笑う。
「わたしの妻になってくれないか、と」
フランは、零れそうになる嗚咽を堪えるように両手で口元を押さえた。
ナンパを追い払うための、ただの口実の言葉だと思っていた。
大人気ない嫉妬から咄嗟に出た、彼らしいブラフなのだと。
けれど、その言葉の奥には。
ギーマが再会してからずっと胸の奥に抱えながら、自分がそれに値する人間ではないと自戒してまだ口にできずにいた、切実な未来への願いが隠されていたのだ。
「……あたし」
言葉を紡ぐ声が、感情で小さく震える。
「ギーマさんが、そんなこと考えてくれてるなんて、思ってませんでした」
「重かったかな」
「重いです」
率直すぎる返答に、ギーマの整った表情が不安に僅かに曇る。
フランは彼が誤解しないよう慌てて両手を伸ばし、自身を包むその大きな手をぎゅっと強く握り返した。
「でも、嫌じゃないです!」
「……」
「すごく嬉しいです」
今度はフランから、涙で潤んだ瞳で、まっすぐにギーマの顔を見上げる。
「だって、あたしも……これから先もずっと、ギーマさんの隣にいたいですから」
彼女の決意を込めた言葉に、ギーマの空色の瞳が、大きく感情を揺らした。
「今すぐ妻って呼ばれると、やっぱりびっくりしますけど」
「先ほどのように?」
「妻ァッ?!って叫んだことは忘れてください!」
感動的なムードを自ら壊すように顔を真っ赤にするフランに、ギーマは意地悪く首を振る。
「それは少し難しい注文だね」
「忘れてください!」
「可愛らしかったから、できれば覚えていたい」
「ギーマさん!」
フランがぷくっと頬を膨らませて抗議すると、ギーマは喉の奥で小さく、心底楽しそうに笑った。
その穏やかな笑みには、先ほどまで彼を支配していた男への苛立ちも、フランを繋ぎ止められるかという不安も、もう微塵も残っていなかった。
「では、当面は恋人という呼び名で我慢しよう」
「我慢なんですか?」
「ああ」
ギーマはフランの繋いだ手をそっと引き、自身の鼓動が響く胸元へ寄せた。
「本音を言えば、今すぐにでもきみをわたしの未来へ確定させてしまいたい」
隠すことなく告げられた強い独占欲に、フランの顔が一気に火照り、熱くなる。
「ただし、これは一人では決められない勝負だ」
「勝負、なんですか?」
「わたし一人の勝利条件だけを押しつけるわけにはいかないからね」
ギーマは、胸元へ引き寄せたフランの指先へ、誓いを立てるように恭しく、軽く口づけた。
「きみが心から、わたしの妻になりたいと思ってくれるまで待つよ」
大切に、宝物を扱うように告げられた言葉に、フランはしばらく黙って俯いていた。
そして、きゅっと唇を結び、少しだけ勇気を出して口を開く。
「……もう、思ってるかもしれません」
予想外の反撃に、ギーマの優雅な動きがピタリと止まった。
「フラン?」
「い、今すぐ結婚するって意味じゃないです!」
彼が何か行動を起こす前に、フランは慌てて付け加える。
「でも、いつかそうなれたらいいなって……ギーマさんと同じ家に帰って、ずっと一緒に暮らして、何年経っても隣にいられたらって、思ってます」
未来の情景を言葉にして言い終える頃には、フランの顔は耳の先まで真っ赤に茹で上がっていた。
恥ずかしさで俯きながらも、彼女はそっと手を伸ばし。
「だから……」
ギーマの着流しの袖を、遠慮がちに、けれどしっかりと小さく掴む。
「その時は、ちゃんと聞いてください」
「……ああ」
「今日みたいに、知らない人を追い払うためじゃなくて」
「ああ」
「二人きりの時に、ちゃんと」
その健気で愛らしい要求に、ギーマはもうどうにも堪えきれないというように、幸せに目を細めた。
「約束するよ」
そっと顔を近づけ、俯くフランの額へ、ひどく柔らかな口づけが落ちる。
「その時は、人生で最も大切な勝負として、正式に申し込もう」
「断られるかもしれませんよ?」
少しだけ余裕を取り戻したフランが、照れ隠しに意地悪を返してみる。
ギーマは一瞬だけ黙ってその言葉を吟味した後、フランの細い腰を再び、今度は逃げられないようにぐっと抱き寄せた。
「それは困るね」
「さっきまで余裕そうだったのに」
「きみを妻にする勝負だけは、負けを楽しむ余裕など持てそうにない」
耳元で囁かれるひどく低い本音の声に、フランの心臓が警鐘のように大きく跳ねる。
「だから、勝てるように努力するよ」
「何をするんですか?」
「きみに、毎日わたしと結婚したいと思わせる」
「それは……ずるいです」
「わたしはあくタイプの男だからね」
ギーマはさも当然のように、涼しい顔で言ってのける。
けれど、至近距離で見上げるフランには分かった。
漆黒の髪の隙間から覗く彼の耳の先が、ほんの少しだけ、熱を持ったように赤いことに。
大人の余裕があるように見せて。
彼もまた、彼女との永遠の未来を口にすることに、ひどく緊張し、心を揺らしていたのだ。
その事実が何よりも嬉しくて、フランはそっと両腕を伸ばし、ギーマの広い胸へぎゅっと抱きついた。
「ギーマさん」
「何かな」
「あたし、逃げませんから」
彼女の背中を包むギーマの腕の力が、さらに強くなる。
「誰かにナンパされたくらいで、取られたりしません」
「ああ」
「だから、次からは妻って嘘をつかなくても大丈夫です」
「そうだね」
「……でも」
フランは照れた顔を隠すように、彼の温かい胸元へ深く顔を埋める。
「いつか、本当になったら嬉しいです」
すぐには、返事がなかった。
言葉の代わりに、フランの身体を抱きしめる腕が、呼吸が苦しくなるほど、小刻みに震えるほどに強くなる。
「ギ、ギーマさん、少し苦しいです……」
「すまない」
謝罪の言葉を口にしながらも、ギーマはすぐには腕の力を緩めて彼女を離そうとはしなかった。
「今の言葉は、少々強すぎた」
「強い?」
「わたしの理性を崩すには十分な札だったよ」
彼らしい敗北の宣言に、フランは腕の中で嬉しそうに、恥ずかしそうにくすくすと笑う。
「じゃあ、あたしの勝ちですか?」
「完敗だ」
「本当に?」
「ああ」
ギーマは愛おしさを込めて、胸に埋もれるフランの髪へ深く口づける。
「そして、この敗北だけは、生涯大切にしたい」
二人の甘いやり取りを少し離れた日陰で見守りながら、エナが嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振った。
キキは「やっと終わったか」とでも言いたげに呆れたように目を細め、レパルダスは主の情けない姿に退屈そうに大きな欠伸をしている。
通りの向こうの大通りからは、相変わらず観光客たちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。
日用品の買い物も終えたことだし、そろそろ家へ帰らなければならない時間だ。
それでも二人は、周囲の喧騒を忘れたように、もう少しだけその場でお互いの温もりを確かめ合い、動かなかった。
咄嗟に口にした、まだ偽りの呼び名。
けれど、いつの日か。
それが決して嘘ではなくなる、確かな時が必ず来る。
「帰ろうか、フラン」
「はい」
ギーマは名残惜しそうに腕を解くと、改めてフランの小さな手を取り、隙間なく指を絡めた。
「わたしの恋人」
「……今は、ですね」
先ほどの彼の言葉を借りて小さく付け加えると、ギーマはしてやられたというように、幸せそうに目を細める。
「ああ」
絡めた指を、決して彼女を痛めるほど強く締めつけすぎないように。
けれど、もう二度と離れないように、確かに、しっかりと握り込む。
「今は、ね」
二人は、西に傾きかけたアローラの太陽のもと、並んで歩き出した。
いつか本当の夫婦として、同じ名前で同じ道を歩く、確かな未来へ向かって。
和の風情と南国の陽気さが入り交じるマリエシティの大通りには、今日ものんびりとした空気を楽しむ観光客が行き交っている。通りに面した屋台や店舗の店先には、南国らしい色鮮やかな衣服や、珍しい木彫りの土産物が所狭しと並んでいた。
そんな賑やかな通りを、フランは足元に寄り添うエナとキキを連れて歩いていた。両手には、日用品の入った紙袋がいくつか提げられている。リストに書かれていた買い物を無事に終え、彼女はほっと息をついた。
「これで全部かな。あとはギーマさんと待ち合わせて――」
大好きな人の名前を口にし、足取りが自然と軽くなったその時だった。
「ねえ、きみ」
不意に横から声をかけられ、フランは驚いて振り返った。
そこには、サングラスを頭に乗せ、いかにも旅行者らしいラフな軽装をした若い男が立っていた。見知らぬ顔に、フランは不思議そうに小首を傾げる。
「はい?」
「地元の人?この辺のおすすめの店、教えてくれない?」
人懐っこい笑顔で尋ねてくる男に、フランは申し訳なさそうに控えめな笑みを返した。
「あたしもアローラ出身ではないんですけど……」
「そうなんだ。じゃあ、観光客同士で一緒に探さない?」
「いえ、あたしは待ち合わせをしていて」
あからさまな誘い文句に、フランはやんわりと、しかし明確に断りを入れた。
しかし男は彼女の拒絶を気にした様子もなく、図々しくさらに一歩、距離を詰めてくる。
「恋人?」
「えっと……はい」
「でも、まだ来てないんだろ? 少しくらいいいじゃない」
「よくないです」
フランが警戒して一歩下がると、主の不快感を感じ取った足元のエナが、喉の奥で低く唸った。キキも長い耳をピンと立て、男の顔を鋭い赤い瞳で見上げる。
さすがに二匹のポケモンの鋭い視線と威嚇には怯んだらしい。男の肩がわずかに跳ねた。
それでも男は諦めきれないのか、すぐにまた軽い笑みを浮かべてフランを宥めようとする。
「そんな警戒しなくても。お茶するだけだって」
「ですから……」
これ以上どう断ればいいのかとフランが困惑した、その時だった。
「わたしの妻に、何か用かな?」
背後から、ひどく穏やかで、滑らかな声が落ちてきた。
だが、その聞き慣れたはずの愛しい声を聞いた瞬間、フランの背筋は歓喜とは全く別の意味で凍りついた。
男の肩越し、いつの間にかフランのすぐ後ろに、黒と白の着流しを美しく纏ったギーマが音もなく立っている。
整った口元には、品の良い、しかしひどく作り物めいた微笑みが張り付いていた。
そして、男を見下ろす空色の瞳は、背筋が凍るほどに冷えきっていた。
「ギーマさん!」
助けが来てくれたことに安堵して、弾かれたように名を呼んだ直後。
フランの頭の中に、たった今彼の口から放たれた信じがたい言葉が、一拍遅れて届いた。
――わたしの。
――妻。
「つ――」
フランは信じられないものを見るように、限界まで目を見開いた。
「妻ァッ?!」
賑やかな大通りに、フランの素っ頓狂な驚愕の声が響き渡った。
通りすがりの人々が、何事かと一斉に振り返る。足元にいたエナまでびくりと驚いて耳を立て、キキに至っては「何を今さら大きな声を出しているんだ」とでも言いたげに、呆れたようにフランを見上げた。
ギーマ自身も、彼女のあまりの反応の大きさに一瞬だけ目を瞬かせたものの、すぐに何事もなかったかのように優雅な足取りでフランの隣へ立った。
そして、その華奢な腰へ、極めて自然な動作で自身の長い腕を回す。
「そうだよ」
「そうだよ、じゃないです!」
「今は少し静かにしていてくれるかな」
「今はって――!」
フランが耳まで真っ赤になって慌てふためく横で、声をかけた観光客の男は完全に困惑した顔で二人を交互に見ていた。
「いや……でも、本人が一番驚いてるみたいだけど」
「照れているだけさ」
「照れ――」
全く照れてなどいないと反論しようとしたフランの腰を、ギーマの腕がさらにぐっと自分の方へ引き寄せる。
その引き寄せる力は、普段彼女に触れる時の優しいものより、あからさまに少し強かった。
「妻は、わたしとの待ち合わせをしている」
ギーマは、あくまで穏やかなトーンを崩さずに言う。
「先ほどから断っているようだが、それでもまだ何か用が?」
口元の微笑みは、完璧なまでに崩れない。
けれど、その声の底には、有無を言わさぬ明確な拒絶と、鋭い刃のような威圧感が込められていた。
男は、絶対的な格の違いを見せつけるギーマと、その傍らで音もなく歩み寄ってきた凄みのあるレパルダスを交互に見る。さらに鋭い牙を覗かせて唸るエナと、額の輪を淡く光らせて臨戦態勢に入るキキの姿を確認し、ようやく勝ち目がないと諦めたように両手を上げた。
「悪かったよ。結婚してるなら最初からそう言ってくれればいいのに」
「言う暇がなかったんです!」
必死のフランの叫びには耳を貸さず、男はバツが悪そうに足早に人混みへと消えていった。
男の姿が雑踏の向こうへ完全に見えなくなるまで、ギーマはその背中を冷ややかな射抜くような視線で見つめていた。
そして、フランの腰に回された腕も、そのままぴたりと密着したままだ。
「ギーマさん」
「……」
「もう行きましたよ」
「ああ」
「なので、離しても大丈夫です」
「そうだね」
口ではすんなりと返事はしたものの、腰を抱く腕の力は一向に緩む気配がない。
フランは少し身をよじって顔を上げ、至近距離にあるギーマの横顔を見つめた。
通りを行き交う人々から見れば、美しい妻を抱き寄せる余裕のある夫の表情に見えるだろう。
しかし、彼を誰より知っているフランには分かった。
腰に回された腕へ、必要以上に硬い力が込められていること。
そして、男が消えた方角を見据える空色の瞳の奥に、かすかな苛立ちと、隠しきれない不安の色が残っていることを。
「ギーマさん」
「何かな」
「怒ってます?」
「少しね」
「あの人に?」
「それもある」
ギーマはようやく視線を落とし、腕の中にいるフランを見た。
「きみが何度断っても退こうとしなかったことに、腹が立った」
「……はい」
「そして、きみがわたしの知らない男に熱心に口説かれている光景を見て、思っていた以上に余裕を失ったらしい」
ギーマは己の未熟さを嘲るように、短く自嘲するように笑った。
「我ながら、大人気ない牽制だった」
「大人気ないというか……」
フランは、いまだに熱を持って赤いままの自分の頬を両手で押さえる。
「どうして、恋人じゃなくて妻なんですか!」
「恋人では弱いと思った」
「弱い?」
「あの男は、きみに恋人がいると聞いても諦めなかったのだろう?」
「そうですけど……」
「なら、もう一段強い札を切る必要がある」
「だからって妻……」
「効果はあった」
「ありましたけど!」
事実ではあるが、極端すぎる理論にフランはたまらず両手で顔を覆った。
「すごくびっくりしました……。あんなに大きな声を出しちゃって、恥ずかしい……」
「まさか、妻という一言であそこまで驚かれるとは思わなかったよ」
「驚きますよ!まだ結婚してないのに!」
「まだ、か」
ギーマの声が、ふっと少しだけ低く、艶を帯びたものになる。
その響きの変化に気づき、フランは顔を覆っていた指の隙間から、おそるおそる彼を見上げた。
「……何ですか?」
「いや」
ギーマは意味ありげに、ひどく魅力的に目を細めた。
「きみも『まだ』と言うのだね」
「え」
自分が無意識に何を口にしたか、その言葉の裏にある前提を理解し、フランの顔が火でも吹くかのようにさらに赤く染まった。
「ち、違います!言葉の流れで……!」
「そうかい?」
「そうです!」
「では、いつかはあり得ると考えているわけではない?」
「それは……」
意地悪な追及に、フランは完全に答えに詰まってしまう。否定すれば嘘になるし、肯定するにはあまりにも恥ずかしすぎる。
ギーマは、もごもごと口ごもるそんな愛らしいフランをしばらく見つめた後、ふっと表情を優しく和らげた。
「すまない。これ以上からかうのはやめよう」
「最初からからかわないでください……」
「妻と呼んだことについても、謝るよ。きみの同意もなく、勝手にそんな関係を名乗るべきではなかった」
ギーマは、独占欲に凝り固まっていた腕を、ようやくフランの腰から離した。
その代わりに、彼女を逃がさないためではなく、自身の問いへの答えを静かに待つように、そっと彼女の小さな手を取った。
「だが」
不意に、彼の声音が先ほどまでのからかうようなものから、ひどく真剣で深いものへと変わった。
「すべてが方便だったわけではない」
フランは驚いて目を瞬かせる。
「え……?」
ギーマは人通りの多い大通りの喧騒を一度見回すと、繋いだ手を引き、近くの静かな石畳の小道へとフランを優しく導いた。
高い石垣の向こうでは、アローラ特有の色鮮やかな小さな花が、穏やかな潮風に揺れている。主たちの邪魔をしてはいけないと察したのか、エナとキキ、レパルダスも少し離れた日陰の場所で空気を読んで足を止めた。
完全に二人きりというわけではない。それでも、大通りの騒々しい喧騒は遠のき、二人だけの静寂が降りてきた。
ギーマは、自身の大きな手の中にすっぽりと収まるフランの手を見下ろし、ゆっくりと、言葉を選ぶように口を開く。
「あの男を退けるために、咄嗟に妻と呼んだ。それは事実だ」
「はい」
「けれど、口にした瞬間、不思議なほど馴染む言葉だと思った」
その静かな告白に、フランの胸が、ドクンと大きく鳴る。
「わたしの妻」
その甘く重い響きを改めて耳元で言われ、フランの肩が小さく跳ねた。
「ギ、ギーマさん……!」
「今度は叫ばないでくれたね」
「真面目なお話じゃないんですか?!」
「真面目だよ」
抗議するフランに対し、ギーマはわずかに、ひどく穏やかに微笑んだ。
けれど、彼を見つめるその空色の瞳には、一切のからかいの色はなかった。
「いつか本当に、そう呼びたいと思っている」
フランは、呼吸をすることすら忘れて息を止めた。
「フランを、わたしの妻にしたい」
「……」
「恋人として一時を共にするだけではなく、人生を共に歩く相手として、正式に隣にいてほしい」
それは、飾り気のない真っ直ぐな言葉だった。
彼が得意とする勝負師らしい洒落た比喩も、煙に巻くような曖昧な言い回しも、そこには何一つない。ただ純粋な、彼自身の剥き出しの願いだった。
フランの瞳の奥が、じんわりと熱を持ち、少しずつ潤んでいく。
「もちろん、今すぐ返事を求めるつもりはないよ」
彼女の動揺を察し、ギーマは宥めるように優しく続ける。
「わたしは一度、きみを手放した。自分の弱さから逃げ、何も言わずにきみを置いていった」
「ギーマさん……」
「そんなわたしが、再会して間もないうちから永遠を口にしても、都合がよすぎると思う」
「そんなこと……」
「あるさ」
ギーマは、過去の自身の愚かさを噛み締めるように、苦く自嘲するように笑った。
「妻にしたいというのは、きみを所有したいというだけの話ではない」
フランの小さな手を包み込む長い指に、静かに、けれど確かな力がこもる。
「きみの帰る場所になりたい。きみが苦しい時に支えたい。きみが喜ぶ日も、悲しむ日も、すべて隣で迎えたい」
「……」
「そして今度こそ、何があっても自分からその席を降りないと、形のある約束をしたい」
彼の切実な思いを受け止め、フランの白い頬を、ついに堪えきれなくなった一粒の涙が温かく伝い落ちた。
ギーマは空いた方の手を伸ばし、その涙を親指の腹で優しく拭う。
「だから、いつか」
揺るぎない光を宿した空色の瞳が、世界でただ一人、フランだけを真っ直ぐに見つめる。
「わたしがきみに相応しい男になれたと思えた時、改めて尋ねさせてほしい」
「何を、ですか?」
次に続く言葉が分かっているのに、フランは涙声で、確認するように尋ねた。
ギーマは、彼女のそんな不器用さも愛おしいとばかりに、ひどく穏やかに笑う。
「わたしの妻になってくれないか、と」
フランは、零れそうになる嗚咽を堪えるように両手で口元を押さえた。
ナンパを追い払うための、ただの口実の言葉だと思っていた。
大人気ない嫉妬から咄嗟に出た、彼らしいブラフなのだと。
けれど、その言葉の奥には。
ギーマが再会してからずっと胸の奥に抱えながら、自分がそれに値する人間ではないと自戒してまだ口にできずにいた、切実な未来への願いが隠されていたのだ。
「……あたし」
言葉を紡ぐ声が、感情で小さく震える。
「ギーマさんが、そんなこと考えてくれてるなんて、思ってませんでした」
「重かったかな」
「重いです」
率直すぎる返答に、ギーマの整った表情が不安に僅かに曇る。
フランは彼が誤解しないよう慌てて両手を伸ばし、自身を包むその大きな手をぎゅっと強く握り返した。
「でも、嫌じゃないです!」
「……」
「すごく嬉しいです」
今度はフランから、涙で潤んだ瞳で、まっすぐにギーマの顔を見上げる。
「だって、あたしも……これから先もずっと、ギーマさんの隣にいたいですから」
彼女の決意を込めた言葉に、ギーマの空色の瞳が、大きく感情を揺らした。
「今すぐ妻って呼ばれると、やっぱりびっくりしますけど」
「先ほどのように?」
「妻ァッ?!って叫んだことは忘れてください!」
感動的なムードを自ら壊すように顔を真っ赤にするフランに、ギーマは意地悪く首を振る。
「それは少し難しい注文だね」
「忘れてください!」
「可愛らしかったから、できれば覚えていたい」
「ギーマさん!」
フランがぷくっと頬を膨らませて抗議すると、ギーマは喉の奥で小さく、心底楽しそうに笑った。
その穏やかな笑みには、先ほどまで彼を支配していた男への苛立ちも、フランを繋ぎ止められるかという不安も、もう微塵も残っていなかった。
「では、当面は恋人という呼び名で我慢しよう」
「我慢なんですか?」
「ああ」
ギーマはフランの繋いだ手をそっと引き、自身の鼓動が響く胸元へ寄せた。
「本音を言えば、今すぐにでもきみをわたしの未来へ確定させてしまいたい」
隠すことなく告げられた強い独占欲に、フランの顔が一気に火照り、熱くなる。
「ただし、これは一人では決められない勝負だ」
「勝負、なんですか?」
「わたし一人の勝利条件だけを押しつけるわけにはいかないからね」
ギーマは、胸元へ引き寄せたフランの指先へ、誓いを立てるように恭しく、軽く口づけた。
「きみが心から、わたしの妻になりたいと思ってくれるまで待つよ」
大切に、宝物を扱うように告げられた言葉に、フランはしばらく黙って俯いていた。
そして、きゅっと唇を結び、少しだけ勇気を出して口を開く。
「……もう、思ってるかもしれません」
予想外の反撃に、ギーマの優雅な動きがピタリと止まった。
「フラン?」
「い、今すぐ結婚するって意味じゃないです!」
彼が何か行動を起こす前に、フランは慌てて付け加える。
「でも、いつかそうなれたらいいなって……ギーマさんと同じ家に帰って、ずっと一緒に暮らして、何年経っても隣にいられたらって、思ってます」
未来の情景を言葉にして言い終える頃には、フランの顔は耳の先まで真っ赤に茹で上がっていた。
恥ずかしさで俯きながらも、彼女はそっと手を伸ばし。
「だから……」
ギーマの着流しの袖を、遠慮がちに、けれどしっかりと小さく掴む。
「その時は、ちゃんと聞いてください」
「……ああ」
「今日みたいに、知らない人を追い払うためじゃなくて」
「ああ」
「二人きりの時に、ちゃんと」
その健気で愛らしい要求に、ギーマはもうどうにも堪えきれないというように、幸せに目を細めた。
「約束するよ」
そっと顔を近づけ、俯くフランの額へ、ひどく柔らかな口づけが落ちる。
「その時は、人生で最も大切な勝負として、正式に申し込もう」
「断られるかもしれませんよ?」
少しだけ余裕を取り戻したフランが、照れ隠しに意地悪を返してみる。
ギーマは一瞬だけ黙ってその言葉を吟味した後、フランの細い腰を再び、今度は逃げられないようにぐっと抱き寄せた。
「それは困るね」
「さっきまで余裕そうだったのに」
「きみを妻にする勝負だけは、負けを楽しむ余裕など持てそうにない」
耳元で囁かれるひどく低い本音の声に、フランの心臓が警鐘のように大きく跳ねる。
「だから、勝てるように努力するよ」
「何をするんですか?」
「きみに、毎日わたしと結婚したいと思わせる」
「それは……ずるいです」
「わたしはあくタイプの男だからね」
ギーマはさも当然のように、涼しい顔で言ってのける。
けれど、至近距離で見上げるフランには分かった。
漆黒の髪の隙間から覗く彼の耳の先が、ほんの少しだけ、熱を持ったように赤いことに。
大人の余裕があるように見せて。
彼もまた、彼女との永遠の未来を口にすることに、ひどく緊張し、心を揺らしていたのだ。
その事実が何よりも嬉しくて、フランはそっと両腕を伸ばし、ギーマの広い胸へぎゅっと抱きついた。
「ギーマさん」
「何かな」
「あたし、逃げませんから」
彼女の背中を包むギーマの腕の力が、さらに強くなる。
「誰かにナンパされたくらいで、取られたりしません」
「ああ」
「だから、次からは妻って嘘をつかなくても大丈夫です」
「そうだね」
「……でも」
フランは照れた顔を隠すように、彼の温かい胸元へ深く顔を埋める。
「いつか、本当になったら嬉しいです」
すぐには、返事がなかった。
言葉の代わりに、フランの身体を抱きしめる腕が、呼吸が苦しくなるほど、小刻みに震えるほどに強くなる。
「ギ、ギーマさん、少し苦しいです……」
「すまない」
謝罪の言葉を口にしながらも、ギーマはすぐには腕の力を緩めて彼女を離そうとはしなかった。
「今の言葉は、少々強すぎた」
「強い?」
「わたしの理性を崩すには十分な札だったよ」
彼らしい敗北の宣言に、フランは腕の中で嬉しそうに、恥ずかしそうにくすくすと笑う。
「じゃあ、あたしの勝ちですか?」
「完敗だ」
「本当に?」
「ああ」
ギーマは愛おしさを込めて、胸に埋もれるフランの髪へ深く口づける。
「そして、この敗北だけは、生涯大切にしたい」
二人の甘いやり取りを少し離れた日陰で見守りながら、エナが嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振った。
キキは「やっと終わったか」とでも言いたげに呆れたように目を細め、レパルダスは主の情けない姿に退屈そうに大きな欠伸をしている。
通りの向こうの大通りからは、相変わらず観光客たちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。
日用品の買い物も終えたことだし、そろそろ家へ帰らなければならない時間だ。
それでも二人は、周囲の喧騒を忘れたように、もう少しだけその場でお互いの温もりを確かめ合い、動かなかった。
咄嗟に口にした、まだ偽りの呼び名。
けれど、いつの日か。
それが決して嘘ではなくなる、確かな時が必ず来る。
「帰ろうか、フラン」
「はい」
ギーマは名残惜しそうに腕を解くと、改めてフランの小さな手を取り、隙間なく指を絡めた。
「わたしの恋人」
「……今は、ですね」
先ほどの彼の言葉を借りて小さく付け加えると、ギーマはしてやられたというように、幸せそうに目を細める。
「ああ」
絡めた指を、決して彼女を痛めるほど強く締めつけすぎないように。
けれど、もう二度と離れないように、確かに、しっかりと握り込む。
「今は、ね」
二人は、西に傾きかけたアローラの太陽のもと、並んで歩き出した。
いつか本当の夫婦として、同じ名前で同じ道を歩く、確かな未来へ向かって。
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