ギーマ夢主の名前変換
ギーマ(BW)×固定夢主💮
🪙夢主の名前
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重く閉ざしていた瞼を開き、目が覚めた瞬間、最初に肌に触れたのは圧倒的なまでの静けさだった。窓の外から差し込む太陽の光はやわらかく、遠くで波が寄せては返す単調な音が、部屋の空気をゆりかごのようにゆっくりと揺らしている。夜の間に吹き込んだ湿った潮風は少しだけ冷え、カーテンの隙間から入り込んだ朝特有の澄んだ匂いが、真っ白な寝具の布地へ淡く染み込んでいた。
薄明るい、静寂に満ちた部屋。
そして、すぐ隣にあるはずの、命の温もり。
わたしは、しばらく目を開けたまま、指先一つ動かすことができなかった。
昨夜の出来事が、まるで出来の良すぎる夢のように脳裏を掠めていく。
月明かりに照らされた、夜の海沿いの道。波音の向こうから聞こえた、信じられないほどに震える声。ひどく泣き腫らした、彼女の宝石のように美しい瞳。
わたしの着流しの胸元を力強く掴み、身勝手な振る舞いを怒りながら、大粒の涙をこぼしたフラン。何もかも失った、空っぽのわたしでも、それでも好きだと真っ直ぐに言ってくれた彼女。
ギーマさんの帰る場所になる、と。そう泣きながら笑ってくれた、あの愛おしい声。
あまりにも都合がよすぎる。
すべてを放り出して逃げた敗北者のわたしにとって、あまりにも救いでありすぎる。
だからこそ、目覚めた瞬間、最初に胸をよぎったのは満ち足りた幸福などではなかった。
ぞっとするような、恐怖だった。
すべては、わたしが見た都合のいい夢だったのではないか。
あれは、酒に溺れた果ての未練と、深い罪悪感が脳に見せた、残酷な幻だったのではないか。
完全に目を覚ましたら、結局わたしはまた一人で、この冷たい寝台の中にいるのではないか。
「……」
緊張のあまり、喉がひどく渇いていた。
わたしは恐る恐る、軋む首を回すようにして、ゆっくりと隣へ視線を向けた。
そこに、フランがいた。
白いシーツにすっぽりと包まれ、少し横向きに身体を丸めて、安らかな寝息を立てている。
彼女の髪が白い枕にふわりと広がり、アローラの朝の光を受けてやわらかく光っていた。泣き腫らした目元はまだ少し赤い。はるばる海を越えてきた長旅の疲れが残っているのか、その寝息は深く、とても穏やかだった。
彼女は、いる。
確かに、このわたしの隣にいる。
それなのに、胸の奥底に巣食うドロドロとした不安は消えなかった。
本当に?
本当に、彼女は今ここにいるのか。
わたしが一度目を瞬いたら、ふっと掻き消えてしまうのではないか。
手を伸ばして触れようとしたら、幻のように朝の光の中へ溶けてしまうのではないか。
わたしは呼吸を忘れ、微かに震える手をゆっくりと伸ばした。
彼女の柔らかな髪に、そっと触れる。
指先に、滑らかな絹のような感触が絡んだ。
温かい。
次に、無防備な頬へ触れた。少し冷えた朝の空気の中でも、フランの滑らかな頬には、血の巡る確かな体温があった。
生きている、確かな温かさ。
夢ではない。幻ではない。
それでも、わたしの心はまだその奇跡を信じきれなかった。
イッシュでの最後の朝、わたしは彼女を置いていった。
隣で無防備に眠るフランに最後の口づけだけを残し、音を立てないように冷たく支度をして、一人で部屋の扉を閉めた。彼女が目を覚ました時、自分がいなくなったことを知ってどれほど傷つき、絶望するかをはっきりと分かっていながら。
その事実を考えないふりをして、ひたすら自身の惨めさから逃げた。
だから今、あの時と同じ朝が、鏡合わせのように返ってきたのだと思った。
天からの罰のように。
今度は、わたしが何も知らずに置いていかれる番なのではないか。
この甘い温もりに安心して目を閉じたら、次に目を覚ました時には、彼女の姿はどこにもないのではないか。
フランが、愛想を尽かしてわたしを置いて、どこかへ行ってしまうのではないか。
その想像をしただけで、身体の芯から血の気が引き、恐ろしいほどに冷えた。
「……フラン」
思わず、縋るようにその名前を呼んでしまった。
起こすつもりなど毛頭なかった。彼女は長旅の疲労と、昨夜の激しい感情の奔流で、きっとひどく疲労困憊しているはずだ。今はただ、静かに眠らせておくべきなのだ。
それなのに、恐怖に負けて声が漏れた。
その微かな音に反応し、フランの長いまつげが、ぴくりと震える。彼女は少しだけ眉を寄せ、ゆっくりと重い瞼を開けた。
まだ深い眠気の残る彼女の瞳が、ぼんやりと、隣にいるわたしを映し出す。
「……ギーマさん?」
その無防備な声を聞いた瞬間、胸の奥が張り裂けそうなほど痛く締めつけられた。
名前を呼ばれた。夢の中ではない。本物のフランが、わたしの隣で、確かにわたしの名を呼んだのだ。
「……起こしてしまったね」
どうにか大人としての平静を装って言う。だが、喉から出た声は、自分でも驚くほど掠れて情けない響きを持っていた。
フランは数度ぱちぱちと瞬きをして、それからわたしの顔をじっと見つめた。眠たそうだった瞳に、少しずつはっきりとした意識が戻っていく。
そして、すぐに何かを察したのだろう。彼女は勢いよく身体を起こそうとして、はだけそうになったシーツを慌てて押さえながら、こちらへ向き直った。
「ギーマさん……?」
「大丈夫だよ」
心配させまいと、反射的に言った。しかしそれは、自分でも驚くほど下手な嘘だった。勝負師としては三流以下のブラフだ。
フランは案の定、困ったように眉を下げる。
「大丈夫じゃない顔、してます」
「……」
「また、一人で怖いこと考えてましたか」
本当に、彼女は鋭くなった。
いや、違う。彼女は元々、わたしのことを誰よりもよく見ていてくれたのだろう。わたしがその真っ直ぐな視線を、気づかないふりをして器用に受け流していただけなのだ。
「……少しだけ」
これ以上、彼女に誤魔化すことはできなかった。そして何より、もう誤魔化したくもなかった。
「目が覚めた時、きみが隣にいるのを見て……夢ではないかと思った」
フランの瞳が、驚きに小さく揺れる。
「夢……?」
「ああ」
わたしは彼女の頬に触れていた指先を、名残惜しむようにゆっくりと下ろした。
「昨夜の再会も、きみがわたしを探しに来てくれたことも、こんなわたしをまだ好きだと言ってくれたことも。あまりにも、わたしにとって都合がよすぎる」
「……」
「だから、目が覚めたらすべて消えているのではないかと」
ひどく情けない言葉だった。大人として、四天王として生きてきた男の言葉とは思えない。
だが、フランはそんなわたしを笑わなかった。呆れることもなく、ただ、じっと真っ直ぐにわたしを見ていた。
「きみが隣にいるのを見ても、まだ怖かった」
言葉を紡ぐたびに、喉が痛む。
「手を伸ばしたら幻のように消えてしまうのではないか。次に目を閉じたら、今度はきみがわたしを置いて、いなくなっているのではないか。……そんなことを考えていた」
フランの表情が、泣きそうにくしゃりと歪んだ。
「ギーマさん……」
「当然の罰だね」
わたしは自嘲気味に、力なく笑う。
「わたしがきみにしたことだ。何も告げずに、無防備に眠るきみを置いていった。だから今度は、わたしが置いていかれる恐怖に怯える番なのだろう」
「違います」
フランの声が、思いのほか強く、部屋の静寂を破って響いた。
わたしは驚いて目を見開く。彼女は胸元でシーツをぎゅっと握りしめながら、一片の迷いもない瞳でまっすぐこちらを見ていた。
「違います、ギーマさん」
「……フラン」
「あたしは、ギーマさんを置いていきません」
その強い断言に、胸がぎゅっと痛む。
「絶対に、何も言わずにいなくなったりしません」
フランは、布団の中から手を出して、わたしの大きな手を取った。まだ寝起きで少し温かい、華奢で小さな手。彼女はその手を両手でしっかりと包み込み、自分の胸元へ、心臓の真上へと引き寄せる。
柔らかな膨らみ越しに、彼女の心臓の鼓動が、わたしの指先へと直に伝わってきた。
とくん、とくん、と。
規則正しく、確かにそこで脈打つ、生きている命の音。
「ほら」
フランは、諭すように静かに言った。
「あたし、ここにいます」
「……」
「夢じゃないです。幻でもないです。ちゃんと、ギーマさんの傍にいます」
その言葉だけで、喉の奥が熱く詰まった。何も言葉が出ない。
フランはわたしの手を両手でしっかりと握ったまま、少しだけ身体を寄せてくる。
「あたし、置いていかれる痛みを知ってます」
その静かな一言に、胸を深く抉られた。
「朝起きて、ギーマさんがいなくて、部屋中探してもどこにもいなくて……あの時のこと、忘れられません」
「……すまない」
「謝ってほしいんじゃないです」
フランは首を横に振る。
「だから、あたしは同じことをギーマさんにしません」
大粒の涙が、彼女の瞳にじわりと滲んだ。
「どれだけ怒っても、どれだけ悲しくても、あたしはギーマさんを置いていきません。離れる時は、ちゃんと言います。帰ってくる時も、ちゃんと言います。ギーマさんが不安になるなら、何度でも言います」
「……何度でも?」
「はい」
フランは迷うことなく即答した。
「何度でもです」
彼女は、わたしの手をさらに強い力で握りしめる。
「あたしはギーマさんを離しません」
それは、昨夜の海辺で聞いたどんな熱い言葉よりも、この朝の静けさの中で、深く、重くわたしの魂に響いた。
「ギーマさんがまた怖くなっても、あたしがいなくなるかもしれないって思っても、そのたびに言います」
「……」
「ここにいます。傍にいます。帰ってきます。ギーマさんを置いていきません。絶対に離したりなんかしません」
彼女の口から紡がれるひとつひとつの言葉が、わたしの抉れた傷口に直接触れるように痛い。だが、それは同時に、傷を癒す薬のようにひどく温かかった。
罰ではなく、無条件の赦しのように。
「……きみは」
声が情けなく震えた。
「きみは、どうしてそこまで」
「好きだからです」
それは、計算も駆け引きも一切存在しない、あまりにも真っ直ぐで純粋な答えだった。
わたしは完全に言葉を失う。フランは、自身の大胆な発言に恥ずかしそうに少し頬を赤く染めながら、それでも決して目を逸らそうとはしなかった。
「ギーマさんのことが、好きだからです」
「……」
「イッシュにいた頃から、ずっと。テレビで見た時から、トレーナーになった時も、リーグで働いていた時も、ギーマさんがいなくなった後も、アローラまで探しに来た時も……ずっと、好きです」
フランの声は、感情の高ぶりから少しずつ震え始める。けれど、そのひたむきな言葉の奔流は止まらなかった。
「ギーマさんがかっこいいから好きなんじゃないです。四天王だからでも、お金があるからでも、余裕がある王子様みたいだからでもないです」
彼女は、わたしの手を自分の温かい頬へとすり寄せた。
「ギーマさんだから、好きなんです」
胸の奥で、長年かけて築き上げてきた何かの堅牢な壁が、音を立てて崩れ去った。そして、空いたその穴に、温かくて甘い何かがなだれ込むように満たされていく。
「負けても、逃げても、怖がっても、不安になっても……それでも、ギーマさんはギーマさんです」
「……フラン」
「だから、怖くなったら言ってください」
彼女は、涙の滲んだ瞳でわたしを上目遣いに見上げる。
「夢かもしれないって思ったら、あたしを呼んでください。不安になったら、手を伸ばしてください。あたし、ちゃんと返事します。ちゃんと握り返します」
「わたしが、夜中に何度も確かめたら?」
「何度でも起きます」
「きみが眠れなくなる」
「それでもいいです」
「……よくないだろう」
「じゃあ、寝たままでも分かるように、ぎゅっと抱きしめてください」
そのあまりにも無防備な提案に、思わず息が止まった。
フランは自分で言ってからその言葉の意味に気づいたのか、みるみるうちに顔全体をマトマの実のように真っ赤に染め上げた。
「あっ……今のは、その……!」
「フラン」
「はい……」
「それは、かなり危険な提案だね」
「や、やっぱり今のなしで……!」
「なしにはできないな」
わたしはようやく、肩の力が抜け、少しだけ自然に笑うことができた。
その笑みを見て、フランの慌てふためいていた表情がほんの少しだけ安堵に緩む。
ああ。彼女は今、不器用ながらも必死にわたしを安心させようとしてくれているのだ。昨夜、あれほどまでに大声で泣いて怒ったばかりだというのに。長い旅の疲れも、わたしに置いていかれた深い傷も、まだ完全に癒えてなどいないはずなのに。
それでも彼女は、わたしの身勝手な不安をすべて包み込むように、その小さな手を伸ばしてくれている。
わたしは、どれだけこの子に愛されているのだろう。どれだけこの子に救われているのだろう。
「……フラン」
「はい」
「抱きしめてもいいかな」
彼女は目をパチパチと瞬かせた。それから、安心させるように小さく頷く。
「はい」
その愛らしい返事が終わるより先に、わたしは彼女の華奢な身体を腕の中へ引き寄せ、抱き締めた。
昨夜のように、逃がさないためではない。あの夜のように、これが最後にするためでもない。ただ、確かめるために。
ここにいる。フランがいる。このわたしの腕の中に。
「……温かい」
自分でも気づかぬうちに、本音が言葉となって零れ落ちていた。
フランは、わたしの胸に頬をぴったりと寄せたまま、小さく笑い声を立てる。
「生きてますから」
「ああ」
「ちゃんと、ここにいますから」
「ああ……」
彼女の背中に回した腕へ、無意識のうちに少しだけ力がこもる。フランは苦しがることなく、むしろ心地よさそうにこちらへ身を預けてくれた。
「ギーマさん」
「うん」
「あたし、昨日言いましたよね。ギーマさんの帰る場所になるって」
「ああ」
「朝になっても、変わってません」
彼女は、わたしの胸元で少しだけ顔を上げ、真剣な眼差しを向けてきた。
「一晩寝たら気が変わるような、そんな軽い気持ちじゃないです」
「……」
「ずっとです。ずっと、ギーマさんの帰る場所になります」
その宣言は、窓から差し込むアローラの朝の光の中で、あまりにも純粋で眩しかった。
「でも、帰る場所っていうのは……ギーマさんだけが帰ってくる場所じゃないと思うんです」
「どういう意味だい?」
「あたしも、帰ってくるんです」
フランは少し恥ずかしそうに頬を染め、それでも一生懸命に言葉を探して紡ぐ。
「あたしも、ギーマさんのところに帰ってきます。買い物に行っても、仕事に行っても、誰かに会いに行っても……ちゃんと帰ってきます」
「……」
「だから、あたしが少し見えなくなっても、いなくなったって勝手に決めつけないでください」
それはこの上なく優しい言葉だった。だが、同時に少しだけわたしを叱るような、凛とした響きもあった。
「ギーマさんは、すぐ一人で悪い方に決めちゃうから」
「……返す言葉もないね」
「これからは、一人で悪い方に決めつける前に、あたしに聞いてください」
「聞く?」
「はい」
フランは真剣そのものの顔で言った。
「フランはちゃんと帰ってくるのか、って」
胸が、愛おしさで締めつけられる。
「そうしたら、あたしは言います」
彼女は、わたしの背中に回していた手を、わたしの着流し越しにぎゅっと力強く握った。
「帰ってきますって。ギーマさんのところに、何度でも帰ってきますって」
こらえきれず、喉が微かに震えた。
「……きみは、本当に」
「はい?」
「反則ばかりだ」
フランはきょとんとした後、少しだけ不満げに頬を膨らませた。
「真面目に言ってるのに」
「分かっているよ」
「分かってない顔です」
「分かっている」
わたしは愛おしさを込めて、彼女の白い額にそっと唇を落とした。フランの身体が驚いたようにぴくりと跳ねる。その初々しい反応すら、ひどく懐かしくて、愛おしい。
「だから、効きすぎて困っているんだ」
「……効きすぎ?」
「ああ」
わたしは彼女の髪に頬を寄せた。
「きみの言葉は、わたしの一番弱いところへ、恐ろしいほど正確に届く」
「それは……痛いですか?」
「痛いよ」
嘘偽りなく正直に答える。フランの身体が不安げに少し強張った。だから、すぐに言葉を続けた。
「だが、温かい」
「……」
「痛いほど、温かいんだ」
彼女の腕が、安堵したようにわたしの背中へそっと回される。
「じゃあ、何度でも言います」
「……」
「ギーマさんが怖くなくなるまで。怖くなっても、すぐに戻ってこられるまで。何度でも」
フランは、わたしの胸に顔を埋めたまま、ひとつひとつの言葉を確かめるようにゆっくりと言った。
「あたしはギーマさんが好きです」
ひとつ。
「あたしは、ギーマさんの傍にいます」
もうひとつ。
「あたしは、ギーマさんを離しません」
またひとつ。
「ギーマさんが何も持ってなくても、弱くても、不安になっても……あたしは、ギーマさんを置いていきません」
愛の言葉が、ひとつずつ積み重なっていく。まるで、崩れかけたわたしの心の足場を、一枚ずつ丁寧に補強していくように。わたしの中の根深い恐怖が、その言葉の確かな重みで少しずつ形を変え、溶けていく。
「……フラン」
もう、その愛しい名前を呼ぶだけで精一杯だった。彼女は胸の中から顔を上げる。
「はい」
「わたしは、きみに甘えてしまっているね」
「甘えてくださいって言いました」
「限度があるだろう」
「じゃあ、その限度も一緒に考えます」
「わたしは面倒な男だよ」
「知ってます」
「何度言うんだい、それは」
「ギーマさんが何度も確認するからです」
フランは、少しだけ悪戯っぽく笑った。泣きそうなほどに優しい、包み込むような笑みだった。
「何度確認しても、答えは同じです」
「……」
「あたしは、ギーマさんが好きです」
また、言われた。そのたびに胸の奥が熱く、満たされていく。
わたしは、彼女の頬に優しく触れた。
「なら、わたしも何度でも言おう」
「え?」
「フラン」
「はい」
「わたしは、きみを愛している」
フランの顔が、火でも吹くかのように一瞬で真っ赤に染まった。先ほどまであれほど頼もしく大人びた態度でわたしを包み込んでいたのに、そのたった一言でいとも簡単に動揺してしまう。それが、どうしようもなく彼女らしくて愛おしい。
「ギ、ギーマさん……朝からそれは……!」
「朝だから言ったんだ」
「どういう理屈ですか……!」
「目覚めて最初に、きみに伝えたかった」
フランの口が、小さく開いたまま硬直する。やがて、彼女は耳の先まで赤くして恥ずかしそうに俯いた。
「……そういうの、ずるいです」
「わたしはずるい男だからね」
「知ってます……」
その声が、極度の恥ずかしさで小さく震えている。わたしはそんな彼女を、愛おしさのままに抱きしめ直した。
「でも、嬉しい?」
少し意地悪に耳元で問うと、フランはしばらくの間、恥じらうように黙っていた。そして、わたしの胸に額をぐりぐりと押し当てる。
「……嬉しいです」
ひどく小さな声。だが、それは確かな彼女の本音だ。
それだけで、わたしの胸の奥に眩しい朝日が差し込んだようだった。どれほど莫大な財を失っても、どれほど高い地位を失っても。この一言があるだけで、わたしはまだ絶望せずに自分の足で立てるのかもしれない。大げさではなく、心からそう思った。
「ギーマさん」
「うん?」
フランは、わたしの胸に頬を寄せたまま、宣言するように言った。
「ギーマさんが不安じゃなくなるまで。今日は一日、ずっと一緒にいます」
「きみは疲れているだろう。休むべきだ」
「だから、一緒に休みます」
彼女は当たり前のことのように言った。
「朝ごはんを食べて、ポケモンたちも休ませて、それから……ギーマさんがよければ、少しだけ海を見に行きたいです」
「海を?」
「はい」
フランは顔を上げる。
「あたし、昨日の夜の海、ちゃんと覚えておきたいんです」
「……」
「ギーマさんと再会できた、大切な場所だから」
またしても、息が止まる。彼女は何気なく、こういうことを言うのだ。こちらの心臓を正確に撃ち抜くような、真っ直ぐすぎる言葉を。
「……そうだね」
わたしは心の底から微笑んだ。
「では、朝食の後で一緒に行こう」
「はい」
「手を繋いでも?」
フランは一瞬ピタリと固まり、またぽっと赤くなる。
「……はい」
「離さないよ」
その念を押すような言葉に、彼女は少しだけ真剣な、凛とした顔つきになった。
「離さないでください」
そして、わたしの手をしっかりと握る。
「あたしも、離しません」
朝の光が、部屋の中の隅々にまで満ちていく。
昨夜は、冷たい月明かりの中で彼女を抱きしめた。今朝は、温かい朝日の中で彼女の愛の言葉に包まれている。どちらも、決して夢ではない。
フランはここにいる。わたしの傍に。
そして、わたしもここにいる。彼女の隣に。
「……フラン」
「はい」
「もう少しだけ、このままでいてくれるかい」
彼女は、まるで最初からそのつもりだったというように深く頷いた。
「もちろんです」
そして、わたしの胸に安心しきったように頬を寄せる。
「足りるまで、どうぞ」
昨夜と同じ言葉。けれど、朝の光の中で聞くそれは、絶望の淵にあった昨夜とはまた違う、穏やかな温かさを持っていた。
わたしは彼女を抱きしめる。今度は、幻がどうか確かめるためではない。彼女が傍にいるというこの幸福な現実を、少しずつ自分の中へ染み込ませていくために。
フランは、わたしの背中をゆっくりと撫でた。子どもをあやすような、不器用で、けれどひどく優しい手つきだった。
「大丈夫ですよ、ギーマさん」
彼女は何度目かの約束を、また静かに口にする。
「あたしは、ここにいます」
波音が遠くで心地よく揺れる。朝日が白いシーツを眩しく照らす。フランの確かな温もりが腕の中にある。
わたしはゆっくりと目を閉じた。今度は、ちっとも怖くなかった。目を閉じても、彼女の温かい手がわたしの背にある。彼女のやわらかな声が、耳元にある。彼女の命の鼓動が、胸の近くにある。
「……ああ」
小さく、心からの安堵とともに答える。
「ここに、いるね」
「はい」
フランは、一片の迷いもなく言った。
「ずっと、います」
その言葉の響きに身を委ねながら、わたしはようやく、あのイッシュの朝からずっと続いていた暗く冷たい悪夢が、少しずつほどけていくのを感じた。
彼女を置いて逃げた朝。置いていかれるかもしれないと怯えた朝。そして、彼女が傍にいると優しく教えてくれた朝。
勝負師の勘というものが、時に残酷なほど正確に破滅を告げるのなら。今、この腕の中にある確かな温もりは、きっと全く別のものを告げている。
ここから先、わたしはもう一人で殻に閉じこもって逃げなくていい。不安になれば、彼女の名前を呼べばいい。怖くなれば、手を伸ばせばいい。彼女はきっと、何度でも強く握り返してくれる。
そしてわたしもまた、何度でも帰るのだ。
愛する彼女のところへ。フランという、わたしの絶対的な帰る場所へ。
薄明るい、静寂に満ちた部屋。
そして、すぐ隣にあるはずの、命の温もり。
わたしは、しばらく目を開けたまま、指先一つ動かすことができなかった。
昨夜の出来事が、まるで出来の良すぎる夢のように脳裏を掠めていく。
月明かりに照らされた、夜の海沿いの道。波音の向こうから聞こえた、信じられないほどに震える声。ひどく泣き腫らした、彼女の宝石のように美しい瞳。
わたしの着流しの胸元を力強く掴み、身勝手な振る舞いを怒りながら、大粒の涙をこぼしたフラン。何もかも失った、空っぽのわたしでも、それでも好きだと真っ直ぐに言ってくれた彼女。
ギーマさんの帰る場所になる、と。そう泣きながら笑ってくれた、あの愛おしい声。
あまりにも都合がよすぎる。
すべてを放り出して逃げた敗北者のわたしにとって、あまりにも救いでありすぎる。
だからこそ、目覚めた瞬間、最初に胸をよぎったのは満ち足りた幸福などではなかった。
ぞっとするような、恐怖だった。
すべては、わたしが見た都合のいい夢だったのではないか。
あれは、酒に溺れた果ての未練と、深い罪悪感が脳に見せた、残酷な幻だったのではないか。
完全に目を覚ましたら、結局わたしはまた一人で、この冷たい寝台の中にいるのではないか。
「……」
緊張のあまり、喉がひどく渇いていた。
わたしは恐る恐る、軋む首を回すようにして、ゆっくりと隣へ視線を向けた。
そこに、フランがいた。
白いシーツにすっぽりと包まれ、少し横向きに身体を丸めて、安らかな寝息を立てている。
彼女の髪が白い枕にふわりと広がり、アローラの朝の光を受けてやわらかく光っていた。泣き腫らした目元はまだ少し赤い。はるばる海を越えてきた長旅の疲れが残っているのか、その寝息は深く、とても穏やかだった。
彼女は、いる。
確かに、このわたしの隣にいる。
それなのに、胸の奥底に巣食うドロドロとした不安は消えなかった。
本当に?
本当に、彼女は今ここにいるのか。
わたしが一度目を瞬いたら、ふっと掻き消えてしまうのではないか。
手を伸ばして触れようとしたら、幻のように朝の光の中へ溶けてしまうのではないか。
わたしは呼吸を忘れ、微かに震える手をゆっくりと伸ばした。
彼女の柔らかな髪に、そっと触れる。
指先に、滑らかな絹のような感触が絡んだ。
温かい。
次に、無防備な頬へ触れた。少し冷えた朝の空気の中でも、フランの滑らかな頬には、血の巡る確かな体温があった。
生きている、確かな温かさ。
夢ではない。幻ではない。
それでも、わたしの心はまだその奇跡を信じきれなかった。
イッシュでの最後の朝、わたしは彼女を置いていった。
隣で無防備に眠るフランに最後の口づけだけを残し、音を立てないように冷たく支度をして、一人で部屋の扉を閉めた。彼女が目を覚ました時、自分がいなくなったことを知ってどれほど傷つき、絶望するかをはっきりと分かっていながら。
その事実を考えないふりをして、ひたすら自身の惨めさから逃げた。
だから今、あの時と同じ朝が、鏡合わせのように返ってきたのだと思った。
天からの罰のように。
今度は、わたしが何も知らずに置いていかれる番なのではないか。
この甘い温もりに安心して目を閉じたら、次に目を覚ました時には、彼女の姿はどこにもないのではないか。
フランが、愛想を尽かしてわたしを置いて、どこかへ行ってしまうのではないか。
その想像をしただけで、身体の芯から血の気が引き、恐ろしいほどに冷えた。
「……フラン」
思わず、縋るようにその名前を呼んでしまった。
起こすつもりなど毛頭なかった。彼女は長旅の疲労と、昨夜の激しい感情の奔流で、きっとひどく疲労困憊しているはずだ。今はただ、静かに眠らせておくべきなのだ。
それなのに、恐怖に負けて声が漏れた。
その微かな音に反応し、フランの長いまつげが、ぴくりと震える。彼女は少しだけ眉を寄せ、ゆっくりと重い瞼を開けた。
まだ深い眠気の残る彼女の瞳が、ぼんやりと、隣にいるわたしを映し出す。
「……ギーマさん?」
その無防備な声を聞いた瞬間、胸の奥が張り裂けそうなほど痛く締めつけられた。
名前を呼ばれた。夢の中ではない。本物のフランが、わたしの隣で、確かにわたしの名を呼んだのだ。
「……起こしてしまったね」
どうにか大人としての平静を装って言う。だが、喉から出た声は、自分でも驚くほど掠れて情けない響きを持っていた。
フランは数度ぱちぱちと瞬きをして、それからわたしの顔をじっと見つめた。眠たそうだった瞳に、少しずつはっきりとした意識が戻っていく。
そして、すぐに何かを察したのだろう。彼女は勢いよく身体を起こそうとして、はだけそうになったシーツを慌てて押さえながら、こちらへ向き直った。
「ギーマさん……?」
「大丈夫だよ」
心配させまいと、反射的に言った。しかしそれは、自分でも驚くほど下手な嘘だった。勝負師としては三流以下のブラフだ。
フランは案の定、困ったように眉を下げる。
「大丈夫じゃない顔、してます」
「……」
「また、一人で怖いこと考えてましたか」
本当に、彼女は鋭くなった。
いや、違う。彼女は元々、わたしのことを誰よりもよく見ていてくれたのだろう。わたしがその真っ直ぐな視線を、気づかないふりをして器用に受け流していただけなのだ。
「……少しだけ」
これ以上、彼女に誤魔化すことはできなかった。そして何より、もう誤魔化したくもなかった。
「目が覚めた時、きみが隣にいるのを見て……夢ではないかと思った」
フランの瞳が、驚きに小さく揺れる。
「夢……?」
「ああ」
わたしは彼女の頬に触れていた指先を、名残惜しむようにゆっくりと下ろした。
「昨夜の再会も、きみがわたしを探しに来てくれたことも、こんなわたしをまだ好きだと言ってくれたことも。あまりにも、わたしにとって都合がよすぎる」
「……」
「だから、目が覚めたらすべて消えているのではないかと」
ひどく情けない言葉だった。大人として、四天王として生きてきた男の言葉とは思えない。
だが、フランはそんなわたしを笑わなかった。呆れることもなく、ただ、じっと真っ直ぐにわたしを見ていた。
「きみが隣にいるのを見ても、まだ怖かった」
言葉を紡ぐたびに、喉が痛む。
「手を伸ばしたら幻のように消えてしまうのではないか。次に目を閉じたら、今度はきみがわたしを置いて、いなくなっているのではないか。……そんなことを考えていた」
フランの表情が、泣きそうにくしゃりと歪んだ。
「ギーマさん……」
「当然の罰だね」
わたしは自嘲気味に、力なく笑う。
「わたしがきみにしたことだ。何も告げずに、無防備に眠るきみを置いていった。だから今度は、わたしが置いていかれる恐怖に怯える番なのだろう」
「違います」
フランの声が、思いのほか強く、部屋の静寂を破って響いた。
わたしは驚いて目を見開く。彼女は胸元でシーツをぎゅっと握りしめながら、一片の迷いもない瞳でまっすぐこちらを見ていた。
「違います、ギーマさん」
「……フラン」
「あたしは、ギーマさんを置いていきません」
その強い断言に、胸がぎゅっと痛む。
「絶対に、何も言わずにいなくなったりしません」
フランは、布団の中から手を出して、わたしの大きな手を取った。まだ寝起きで少し温かい、華奢で小さな手。彼女はその手を両手でしっかりと包み込み、自分の胸元へ、心臓の真上へと引き寄せる。
柔らかな膨らみ越しに、彼女の心臓の鼓動が、わたしの指先へと直に伝わってきた。
とくん、とくん、と。
規則正しく、確かにそこで脈打つ、生きている命の音。
「ほら」
フランは、諭すように静かに言った。
「あたし、ここにいます」
「……」
「夢じゃないです。幻でもないです。ちゃんと、ギーマさんの傍にいます」
その言葉だけで、喉の奥が熱く詰まった。何も言葉が出ない。
フランはわたしの手を両手でしっかりと握ったまま、少しだけ身体を寄せてくる。
「あたし、置いていかれる痛みを知ってます」
その静かな一言に、胸を深く抉られた。
「朝起きて、ギーマさんがいなくて、部屋中探してもどこにもいなくて……あの時のこと、忘れられません」
「……すまない」
「謝ってほしいんじゃないです」
フランは首を横に振る。
「だから、あたしは同じことをギーマさんにしません」
大粒の涙が、彼女の瞳にじわりと滲んだ。
「どれだけ怒っても、どれだけ悲しくても、あたしはギーマさんを置いていきません。離れる時は、ちゃんと言います。帰ってくる時も、ちゃんと言います。ギーマさんが不安になるなら、何度でも言います」
「……何度でも?」
「はい」
フランは迷うことなく即答した。
「何度でもです」
彼女は、わたしの手をさらに強い力で握りしめる。
「あたしはギーマさんを離しません」
それは、昨夜の海辺で聞いたどんな熱い言葉よりも、この朝の静けさの中で、深く、重くわたしの魂に響いた。
「ギーマさんがまた怖くなっても、あたしがいなくなるかもしれないって思っても、そのたびに言います」
「……」
「ここにいます。傍にいます。帰ってきます。ギーマさんを置いていきません。絶対に離したりなんかしません」
彼女の口から紡がれるひとつひとつの言葉が、わたしの抉れた傷口に直接触れるように痛い。だが、それは同時に、傷を癒す薬のようにひどく温かかった。
罰ではなく、無条件の赦しのように。
「……きみは」
声が情けなく震えた。
「きみは、どうしてそこまで」
「好きだからです」
それは、計算も駆け引きも一切存在しない、あまりにも真っ直ぐで純粋な答えだった。
わたしは完全に言葉を失う。フランは、自身の大胆な発言に恥ずかしそうに少し頬を赤く染めながら、それでも決して目を逸らそうとはしなかった。
「ギーマさんのことが、好きだからです」
「……」
「イッシュにいた頃から、ずっと。テレビで見た時から、トレーナーになった時も、リーグで働いていた時も、ギーマさんがいなくなった後も、アローラまで探しに来た時も……ずっと、好きです」
フランの声は、感情の高ぶりから少しずつ震え始める。けれど、そのひたむきな言葉の奔流は止まらなかった。
「ギーマさんがかっこいいから好きなんじゃないです。四天王だからでも、お金があるからでも、余裕がある王子様みたいだからでもないです」
彼女は、わたしの手を自分の温かい頬へとすり寄せた。
「ギーマさんだから、好きなんです」
胸の奥で、長年かけて築き上げてきた何かの堅牢な壁が、音を立てて崩れ去った。そして、空いたその穴に、温かくて甘い何かがなだれ込むように満たされていく。
「負けても、逃げても、怖がっても、不安になっても……それでも、ギーマさんはギーマさんです」
「……フラン」
「だから、怖くなったら言ってください」
彼女は、涙の滲んだ瞳でわたしを上目遣いに見上げる。
「夢かもしれないって思ったら、あたしを呼んでください。不安になったら、手を伸ばしてください。あたし、ちゃんと返事します。ちゃんと握り返します」
「わたしが、夜中に何度も確かめたら?」
「何度でも起きます」
「きみが眠れなくなる」
「それでもいいです」
「……よくないだろう」
「じゃあ、寝たままでも分かるように、ぎゅっと抱きしめてください」
そのあまりにも無防備な提案に、思わず息が止まった。
フランは自分で言ってからその言葉の意味に気づいたのか、みるみるうちに顔全体をマトマの実のように真っ赤に染め上げた。
「あっ……今のは、その……!」
「フラン」
「はい……」
「それは、かなり危険な提案だね」
「や、やっぱり今のなしで……!」
「なしにはできないな」
わたしはようやく、肩の力が抜け、少しだけ自然に笑うことができた。
その笑みを見て、フランの慌てふためいていた表情がほんの少しだけ安堵に緩む。
ああ。彼女は今、不器用ながらも必死にわたしを安心させようとしてくれているのだ。昨夜、あれほどまでに大声で泣いて怒ったばかりだというのに。長い旅の疲れも、わたしに置いていかれた深い傷も、まだ完全に癒えてなどいないはずなのに。
それでも彼女は、わたしの身勝手な不安をすべて包み込むように、その小さな手を伸ばしてくれている。
わたしは、どれだけこの子に愛されているのだろう。どれだけこの子に救われているのだろう。
「……フラン」
「はい」
「抱きしめてもいいかな」
彼女は目をパチパチと瞬かせた。それから、安心させるように小さく頷く。
「はい」
その愛らしい返事が終わるより先に、わたしは彼女の華奢な身体を腕の中へ引き寄せ、抱き締めた。
昨夜のように、逃がさないためではない。あの夜のように、これが最後にするためでもない。ただ、確かめるために。
ここにいる。フランがいる。このわたしの腕の中に。
「……温かい」
自分でも気づかぬうちに、本音が言葉となって零れ落ちていた。
フランは、わたしの胸に頬をぴったりと寄せたまま、小さく笑い声を立てる。
「生きてますから」
「ああ」
「ちゃんと、ここにいますから」
「ああ……」
彼女の背中に回した腕へ、無意識のうちに少しだけ力がこもる。フランは苦しがることなく、むしろ心地よさそうにこちらへ身を預けてくれた。
「ギーマさん」
「うん」
「あたし、昨日言いましたよね。ギーマさんの帰る場所になるって」
「ああ」
「朝になっても、変わってません」
彼女は、わたしの胸元で少しだけ顔を上げ、真剣な眼差しを向けてきた。
「一晩寝たら気が変わるような、そんな軽い気持ちじゃないです」
「……」
「ずっとです。ずっと、ギーマさんの帰る場所になります」
その宣言は、窓から差し込むアローラの朝の光の中で、あまりにも純粋で眩しかった。
「でも、帰る場所っていうのは……ギーマさんだけが帰ってくる場所じゃないと思うんです」
「どういう意味だい?」
「あたしも、帰ってくるんです」
フランは少し恥ずかしそうに頬を染め、それでも一生懸命に言葉を探して紡ぐ。
「あたしも、ギーマさんのところに帰ってきます。買い物に行っても、仕事に行っても、誰かに会いに行っても……ちゃんと帰ってきます」
「……」
「だから、あたしが少し見えなくなっても、いなくなったって勝手に決めつけないでください」
それはこの上なく優しい言葉だった。だが、同時に少しだけわたしを叱るような、凛とした響きもあった。
「ギーマさんは、すぐ一人で悪い方に決めちゃうから」
「……返す言葉もないね」
「これからは、一人で悪い方に決めつける前に、あたしに聞いてください」
「聞く?」
「はい」
フランは真剣そのものの顔で言った。
「フランはちゃんと帰ってくるのか、って」
胸が、愛おしさで締めつけられる。
「そうしたら、あたしは言います」
彼女は、わたしの背中に回していた手を、わたしの着流し越しにぎゅっと力強く握った。
「帰ってきますって。ギーマさんのところに、何度でも帰ってきますって」
こらえきれず、喉が微かに震えた。
「……きみは、本当に」
「はい?」
「反則ばかりだ」
フランはきょとんとした後、少しだけ不満げに頬を膨らませた。
「真面目に言ってるのに」
「分かっているよ」
「分かってない顔です」
「分かっている」
わたしは愛おしさを込めて、彼女の白い額にそっと唇を落とした。フランの身体が驚いたようにぴくりと跳ねる。その初々しい反応すら、ひどく懐かしくて、愛おしい。
「だから、効きすぎて困っているんだ」
「……効きすぎ?」
「ああ」
わたしは彼女の髪に頬を寄せた。
「きみの言葉は、わたしの一番弱いところへ、恐ろしいほど正確に届く」
「それは……痛いですか?」
「痛いよ」
嘘偽りなく正直に答える。フランの身体が不安げに少し強張った。だから、すぐに言葉を続けた。
「だが、温かい」
「……」
「痛いほど、温かいんだ」
彼女の腕が、安堵したようにわたしの背中へそっと回される。
「じゃあ、何度でも言います」
「……」
「ギーマさんが怖くなくなるまで。怖くなっても、すぐに戻ってこられるまで。何度でも」
フランは、わたしの胸に顔を埋めたまま、ひとつひとつの言葉を確かめるようにゆっくりと言った。
「あたしはギーマさんが好きです」
ひとつ。
「あたしは、ギーマさんの傍にいます」
もうひとつ。
「あたしは、ギーマさんを離しません」
またひとつ。
「ギーマさんが何も持ってなくても、弱くても、不安になっても……あたしは、ギーマさんを置いていきません」
愛の言葉が、ひとつずつ積み重なっていく。まるで、崩れかけたわたしの心の足場を、一枚ずつ丁寧に補強していくように。わたしの中の根深い恐怖が、その言葉の確かな重みで少しずつ形を変え、溶けていく。
「……フラン」
もう、その愛しい名前を呼ぶだけで精一杯だった。彼女は胸の中から顔を上げる。
「はい」
「わたしは、きみに甘えてしまっているね」
「甘えてくださいって言いました」
「限度があるだろう」
「じゃあ、その限度も一緒に考えます」
「わたしは面倒な男だよ」
「知ってます」
「何度言うんだい、それは」
「ギーマさんが何度も確認するからです」
フランは、少しだけ悪戯っぽく笑った。泣きそうなほどに優しい、包み込むような笑みだった。
「何度確認しても、答えは同じです」
「……」
「あたしは、ギーマさんが好きです」
また、言われた。そのたびに胸の奥が熱く、満たされていく。
わたしは、彼女の頬に優しく触れた。
「なら、わたしも何度でも言おう」
「え?」
「フラン」
「はい」
「わたしは、きみを愛している」
フランの顔が、火でも吹くかのように一瞬で真っ赤に染まった。先ほどまであれほど頼もしく大人びた態度でわたしを包み込んでいたのに、そのたった一言でいとも簡単に動揺してしまう。それが、どうしようもなく彼女らしくて愛おしい。
「ギ、ギーマさん……朝からそれは……!」
「朝だから言ったんだ」
「どういう理屈ですか……!」
「目覚めて最初に、きみに伝えたかった」
フランの口が、小さく開いたまま硬直する。やがて、彼女は耳の先まで赤くして恥ずかしそうに俯いた。
「……そういうの、ずるいです」
「わたしはずるい男だからね」
「知ってます……」
その声が、極度の恥ずかしさで小さく震えている。わたしはそんな彼女を、愛おしさのままに抱きしめ直した。
「でも、嬉しい?」
少し意地悪に耳元で問うと、フランはしばらくの間、恥じらうように黙っていた。そして、わたしの胸に額をぐりぐりと押し当てる。
「……嬉しいです」
ひどく小さな声。だが、それは確かな彼女の本音だ。
それだけで、わたしの胸の奥に眩しい朝日が差し込んだようだった。どれほど莫大な財を失っても、どれほど高い地位を失っても。この一言があるだけで、わたしはまだ絶望せずに自分の足で立てるのかもしれない。大げさではなく、心からそう思った。
「ギーマさん」
「うん?」
フランは、わたしの胸に頬を寄せたまま、宣言するように言った。
「ギーマさんが不安じゃなくなるまで。今日は一日、ずっと一緒にいます」
「きみは疲れているだろう。休むべきだ」
「だから、一緒に休みます」
彼女は当たり前のことのように言った。
「朝ごはんを食べて、ポケモンたちも休ませて、それから……ギーマさんがよければ、少しだけ海を見に行きたいです」
「海を?」
「はい」
フランは顔を上げる。
「あたし、昨日の夜の海、ちゃんと覚えておきたいんです」
「……」
「ギーマさんと再会できた、大切な場所だから」
またしても、息が止まる。彼女は何気なく、こういうことを言うのだ。こちらの心臓を正確に撃ち抜くような、真っ直ぐすぎる言葉を。
「……そうだね」
わたしは心の底から微笑んだ。
「では、朝食の後で一緒に行こう」
「はい」
「手を繋いでも?」
フランは一瞬ピタリと固まり、またぽっと赤くなる。
「……はい」
「離さないよ」
その念を押すような言葉に、彼女は少しだけ真剣な、凛とした顔つきになった。
「離さないでください」
そして、わたしの手をしっかりと握る。
「あたしも、離しません」
朝の光が、部屋の中の隅々にまで満ちていく。
昨夜は、冷たい月明かりの中で彼女を抱きしめた。今朝は、温かい朝日の中で彼女の愛の言葉に包まれている。どちらも、決して夢ではない。
フランはここにいる。わたしの傍に。
そして、わたしもここにいる。彼女の隣に。
「……フラン」
「はい」
「もう少しだけ、このままでいてくれるかい」
彼女は、まるで最初からそのつもりだったというように深く頷いた。
「もちろんです」
そして、わたしの胸に安心しきったように頬を寄せる。
「足りるまで、どうぞ」
昨夜と同じ言葉。けれど、朝の光の中で聞くそれは、絶望の淵にあった昨夜とはまた違う、穏やかな温かさを持っていた。
わたしは彼女を抱きしめる。今度は、幻がどうか確かめるためではない。彼女が傍にいるというこの幸福な現実を、少しずつ自分の中へ染み込ませていくために。
フランは、わたしの背中をゆっくりと撫でた。子どもをあやすような、不器用で、けれどひどく優しい手つきだった。
「大丈夫ですよ、ギーマさん」
彼女は何度目かの約束を、また静かに口にする。
「あたしは、ここにいます」
波音が遠くで心地よく揺れる。朝日が白いシーツを眩しく照らす。フランの確かな温もりが腕の中にある。
わたしはゆっくりと目を閉じた。今度は、ちっとも怖くなかった。目を閉じても、彼女の温かい手がわたしの背にある。彼女のやわらかな声が、耳元にある。彼女の命の鼓動が、胸の近くにある。
「……ああ」
小さく、心からの安堵とともに答える。
「ここに、いるね」
「はい」
フランは、一片の迷いもなく言った。
「ずっと、います」
その言葉の響きに身を委ねながら、わたしはようやく、あのイッシュの朝からずっと続いていた暗く冷たい悪夢が、少しずつほどけていくのを感じた。
彼女を置いて逃げた朝。置いていかれるかもしれないと怯えた朝。そして、彼女が傍にいると優しく教えてくれた朝。
勝負師の勘というものが、時に残酷なほど正確に破滅を告げるのなら。今、この腕の中にある確かな温もりは、きっと全く別のものを告げている。
ここから先、わたしはもう一人で殻に閉じこもって逃げなくていい。不安になれば、彼女の名前を呼べばいい。怖くなれば、手を伸ばせばいい。彼女はきっと、何度でも強く握り返してくれる。
そしてわたしもまた、何度でも帰るのだ。
愛する彼女のところへ。フランという、わたしの絶対的な帰る場所へ。