※ネームド

 無事お目当てのお宝を手に入れたルパン一見は、銭形幸一との追走劇を楽しんでいた。
 今回のターゲットはフランスの画家、ウィリアム・アドルフ・ブグローの未発表作。1870年代に描かれた“ヴィーナスの誕生”と題材が同じ一点だった。
 ブグロー自らの模写とか、ヴィーナスの誕生の試作とか、噂だけで未だに発見すらされていない代物の為に、ルパンは行動を起こしていた。
 彼にとって盗みとはスリリングな楽しみであり、泥棒稼業は誇りある人生だった。故に、ターゲットは困難であればあるほど喜ばしかったのだ。
 一波乱も二波乱も起こして、やっとの思いで手に入れたブグロー直筆の手紙には、未発表の名画は教会に寄贈したと記されており、世間から隠されるよう隠されていた。
 教会の見取り図から隠し部屋があると見破ったルパンにより、絵画は数十年ぶりに日の目を浴びたのだが、牛皮に包まれていた中身を見た一行は驚愕する。
 無事にアジトへと持ち帰った未発表の名画は、思いの外痛みが激しく所々黒ずんみ、絵の具が剥離していた。これでは本物か贋作か鑑定する以前の話であった。

 どうするんだと苛立ちや困惑とも取れる声で次元大介が煙草を吹かせば、ルパンは頭をかきながら視線を宙にやって間の抜けた呻きを上げていた。
 今回の件に協力をしていたもう一人の人物、石川五ェ門も我関せずと愛刀の手入れをしているが、やはり釈然としない表情をしている。
 次元は一旦怒りを収めるとソファーに腰を沈め、悩んではいるが困っている様子のルパンが話し出すのをコーヒー片手に待った。
 しかし、待てど暮らせどルパンは口を開かず、結局は痺れを切らした次元にどやされて、ルパンは渋々ながら当てがある事を告げた。
 打開策があるにもかかわらず気落ちするルパンに、2人は不安から大丈夫なのかと問い返したが、それには大丈夫だと自信満々に答えるものだから余計に謎が深まっていく。

 ルパンが呼んだ助っ人が訪れる日、アジトで待つルパンは珍しく落ちつきがなかった。と云っても彼を良く知る人物から見ての話だ。
 何気なく時計を確認したり、カップを口に運んでから空だと気付いたり、キッチンで丁寧にコーヒーを入れたり。のんびり過ごしている風で、実際は浮足立っている。
 かと思えば、あれこれ理由を付けて出掛けようとするので、その度に次元はルパンの襟首を掴んで引き止めていた。
 黙って見守っていた五ェ門ですら呆れてしまう程に、ルパンは自分が呼んだ助っ人に会うのを避けているようだった。
 そんな時間を過ごしていると、約束の時間を短針が指したのと同時に、アジトのドアがノックされる。とっさにドアから顔を反らすルパンに代わり次元が客人を出迎えにいく。
 ドアを開いた先に待っていたのは、うら若い一人の女性だった。ルパンの女関係で良い記憶が無い次元は思わず顔を歪ませるが、丁寧なお辞儀されて表情は直ぐに戻った。

 「今日、お約束して参りました修復技師のクリスチノフ三世です」
 「クリスチノフ三世って…!あのクリスチノフか?!」

 彼女の自己紹介に驚いた次元は、堪らずルパンへと視線を向けていた。当てがあるとは聞いていたが、ここまで有力とは思ってもいなかったからだ。
 しかし、それなら何故ああも渋ったのか。当然の疑問を抱いた次元は、ただ静かに彼女とルパンを交互に見やる。なにより、あのルパンが女性を避けている事が珍しい。
 この場の全員から視線を受けられてもルパンは沈黙を貫き、彼女も笑みを浮かべるだけで言葉を発さなかった。もちろん、状況を理解していない次元も五ェ門も黙っている。

 「…よう、久しぶりだな~」
 「ええ、ルパンお兄様とお会い出来なくて、私とって寂しかったわ」

 静寂に絶えかねてか、初めに言葉を発したのはルパンからだった。努めて明るく振り返ってはいたが、その顔は微かに引きつっている。
 可愛らしく拗ねてみせた彼女にも、ルパンは気のない詫びを入れるだけで、早々に絵画が保管されている別室へと案内していく。
 その一部始終を静かに眺めていた次元と五ェ門は、二つの意味て驚きを隠せずにいた。
 一つはルパンが彼女に対して浮ついた態度を取らなかった事。もう一つは、クリスチノフ三世と名乗った女がルパンをお兄様と呼んだ事だ。
 ブグローの未発表作を彼女に押し付けて、一足先にリビングに戻ってきたルパンを、次元は意地の悪い笑みで出迎え肩を組む。

 「珍しいもん見せてもらったぜ。説明してくれるよなぁ?」

 どうやら、不二子とは別の意味で女性に振り回されているルパンが可笑しくてならないようだった。
 あの堅物な五ェ門ですら、気だるげにソファーへ沈み込んだルパンの向かいに陣取り、無言の圧力を掛けている。
 こんな時ばっかり徒党組みやがって!とボヤきつつも、ルパンは彼女との出会いを簡単にだが話していく。

 「ほ~お、お前さんに従妹がね~」
 「じいさまには驚かされるばかりだぜ」
 「血の繋がった者に会えたにしては嬉しそうではござらぬな?」

 いつもなら良くも悪るくも現状を楽しむルパンが、今回ばかりは渋い顔を浮かべ、五ェ門の問い掛けには言い淀む。これには付き合いの長い2人も珍しさから口を閉ざしていた。

 「なんつ~か、どうもアイツには「あれはブグローの作品で間違いありませんわ」

 沈黙を割いて響いたルパンの声は、部屋に戻ってきた彼女の言葉によって最後まで続くことはなかった。ある意味でタイミングが良い彼女に、次元は怪訝そうな顔をする。
 この短時間で本当に断定したのか?と疑念に満ちた視線を送るが、彼女は素知らぬ顔でルパンの横へと腰を下ろすと、甘えるような仕草で話を切り出していく。

 「修復には5日頂ける?正確には買い出しに1日、作業に3日、報酬としてルパンお兄様との時間を1日」
 「作業自体は3日って事か?随分と腕に自信があるんだな。さすがクリスチノフ」

 彼女の言葉に次元は目を見開いたが、ルパンの方は苦笑いを零しつつも疑う素振りはなかった。その声には確かな信頼が含まれている。
 「報酬は俺とのデートだけか?」とルパンが聞けば、彼女は「かの有名な大泥棒とデート出来る事に勝る報酬はないわ」と嬉しそうに笑う。
 裏稼業の人間とは思えぬ穏やかな微笑みに、ルパンは呆れつつも交渉成立だと頷いていた。

 「ありえない話だけど、偽物だったなら報酬はいらないわ。それで問題ないでしょ?」

 終始眉を潜めて聞いていた次元へと顔を向けた彼女が、そう言い切る。変わらぬ笑顔のままだったが、その瞳は有無を言わせぬ輝きを放っていた。
 次元は帽子の唾を下ろすと無言の肯定を返し、五ェ門は元より口を挟むつもりは無いと頷く。話が纏まった事を確認した彼女は、嬉々とルパンの手を取り立ち上がった。

 「では、ルパンお兄様。そうと決まれば画材を買いに行きましょう!前金ですわ♪」
 「5日目のデートは成功報酬って訳ね…」

 まるで遊園地へ行きたいと強請る子供のように腕を引かれ、ルパンは酷く疲れた様子で重い腰を上げる。
 引きずられていくルパンに次元と五ェ門は哀れみを送っていたが決して助けには入らなかった。男女の関係に首を突っ込んでも、ろくなめに合わないからだ。



 クリスチノフ三世は、宣言通りに3日でブグローの未発表作を蘇らせた。
 色褪せた肌には血が通い、息吹を吹き返した女神はキャンバスの中で神々しく佇んでいる。技術的な知識が無くても、これが本物だと頷ける出来栄えだった。
 全幅の信用は寄せられなかったものの、裏の業界で認められた技術を疑っていた訳じゃない。それでも、クリスチノフ三世の実力がこれ程とは思っていなかったのだ。
 依頼初日は買い出しにかこつけルパンを連れまわし、戻って来てからは作業を始めるでもなく、あれやこれやと他愛ない話を繰り広げていた。
 女は煩わしそうなルパンなどお構いなしに喋ってはいたが、要所要所に相手の興味を引くワードを含ませ、自然と受け答えがしたくなるよう計算して話していた。
 元々おしゃべり好きのルパンは見事に女の術中にはまり、ふと我に返ってから苦い顔を浮かべていた。それを何度も繰り返すのだから呆れてものも言えん。
 それから名残惜しそうに帰っていくまで、女は片時もルパンの傍を離れなかった。それこそトイレの時以外は、だ。
 そりゃあ女好きでも煩わしく思うだろう。なにより、相手は従妹で恋愛対象にすらならない。ああも熱烈に来られては困るだろう。
 だが、他にもルパンが女を煙たがる理由があるような気がしていた。そう感じたのは長年相棒をしてきたからかもしれねぇ。

 2日目の早朝に来た女は、ルパンへの挨拶もそこそこに絵画の修復を始めていた。1日目との違いに驚きはしたが、仕事とプライベートは分ける事に安堵する。
 女は恐ろしい集中力で筆を走らせ、お昼を過ぎても休む素振りはなかった。誰かが時間を知らせれば一杯だけコーヒーを呑み、また直ぐに作業へ戻っていく。
 あんなにもべったりだったルパンにすら二言三言で、まるで別人か二重人格かと疑いたくなる有様だった。だからと言って自身で定めた期間に追われている様子もなかった。
 少し興味が湧いたのもあり夕食時に部屋を覗いてみれば、女は一途に絵画と向き合っていた。その視線はルパンに向けるものとよく似ていたが、全く異なる熱も発していた。
 恋い焦がれる少女のようであり、欲情を抱えた狩人の瞳。並々ならぬ情熱で絵画と対峙する女を好ましく思ったのは、職人としての気迫を見たからだろう。

 「おい、朝から何も食べてないんだろう。もう夕食時だぜ」
 「あら?もうそんな時間なのね」

 流れるように動き続けていた手が止まり、俺を一瞥してから時計を見た女は、疲れた様子もなく答える。
 夕食はどうするかと問えば、買ってきてあると如何にも女が好きそうなテイクアウトの紙袋を持ち上げていた。そんな値段と中身の量が伴わないもんで本当に腹が膨れるか疑問だ。
 女の斜め向かいに座りながら、俺は買い置きのカップラーメンを啜っていた。なんとも空しい気持ちにさせられたが、気にしたら負けだと安っぽいスープを飲み込んでいく。
 その間、会話は一切なく淡々とした食事が進んでいる。ルパンの傍ではおしゃべりな女だが、意外にも沈黙を苦にはしていなかった。

 「これからまだ作業するのか?」
 「ええ、遅くならない程度に」

 ルパン以外の人間に興味がないだけかとも思ったが、こうやって話しかけてみれば当然のように返事が返ってくるし視線も合う。朝だって挨拶をされた覚えがあった。
 ルパンといる時が異常なだけで、本来はこっちが素なのだろう。食後のコーヒーを俺の分まで入れてくるあたり、ルパンへの盲目っぷりがよく分かるってもんだった。

 「お前さん、何でそこまでルパンに固執する?従妹だからとか、そんな理由じゃ無いんだろう?」

 そう聞いたのは単なる興味本意からだ。相棒の従妹という事や、クリスチノフに関する話にも興味はあったが、何よりルパンに固執する理由の方が気になった。
 警察の誇り、功績への憧れ、敵意に嫉妬。大泥棒であるが故、ルパンに固執する輩は多いが、この女の抱く感情は他のどれとも異なって映る。

 「次元さんは宗教感をお持ちの方?」
 「…いいや、そんなもん持ってても腹の足しにもならんしな」
 「では自分自身以外で信頼しているものは?」
 「さっきから話が見えねーな…、自分自身以外で信頼できるのは、これだけだ」

 俺はジャケットの上から愛銃のワルサーP38に手を当てて、そう答えた。視線を手元から女に戻すと、終始穏やかだった顔は満々の笑顔に塗り替えられていた。

 「私にとってのルパンお兄様は、そういう存在よ」

 釈然としない答えに苛立ちを覚えたが、その幸せを象ったような笑みに二の句は続かなかった。何も言えずにいると、五ェ門共々出かけていたルパンが帰ってくる。
 女はルパンに「おかえりなさい」と告げてから作業へ戻っていった。結局あれから話す機会は無く、求めていた答えも得られないまま5日目の朝を迎えていた。
 完成したブグローの未発表作は、名義を伏せてオークションに出すと世間を大いに驚愕させ、瞬く間に本物である事が証明されたのだった。
 その知らせを聞いた女は直ぐにルパンを連れ、アメリカ合衆国・首都ワシントンへと飛んでいた。俺は次の仕事もある為ルパンに同行したが、五ェ門は修行の旅へ戻っていった。
 デートとか言ってた割に、飛行機を降りて向かった先は国立自然史博物館だった。そこにあるナポレオン1世が皇后マリア・ルイーザに贈った宝石をルパンに見せたかったらしい。
 何故、そこにまで俺が同行しているかと言うと、ルパンがどうしてもと言うからであって、つまり嫌々連れてこられたのだ。
 厳重なケースに守られて鎮座する、エメラルドとダイヤモンドを惜しみなく使った金色のティアラは、王室の名に相応しい存在感を放っている。

 「これをルパンお兄様と見たかったの」
 「こいつは、すげ~なぁ」

 純粋な感想を零した俺の横で、ルパンが神妙な表情でティアラを見つめていた。どうかしたか?と聞く俺には答えず、ルパンは女を見下ろしながら口を開いた。

 「確か、最近になってトルコ石から本来のエメラルドに作り直されたらしいな」
 「流石ルパンお兄様!ええ、その通りよ」

 その指摘に女は手を打ち鳴らすと瞳を輝かせた。唖然とする俺とは反対に、ルパンの眉間には皺が寄っていく。それは何かが引っかかっている時の顔だった。
 俺達の間で妙な空気が流れだした頃、背後からルパ~ン!と、出来れば関わりたくない人物の声が聞こえてくる。声の正体は、厄介事の根源・峰不二子である。

 「ルパンにお願いがあって探してたのよ~」
 「不二子ちゃんのお願いなら俺様何でも聞いちゃう!もちろんご褒美は…ヌフフフ」

 鼻の下を伸ばす相棒を一瞥し、俺は耐えきれなかった溜息を零す。嫌な予想に眩暈がしてきて、思わず帽子ごと頭を抱えていた。
 ふと視界の端に映った女は、意外な事に不二子を微笑ましそうに見ていた。不二子の方は女に気づかず、ティアラを目ざとく見つけて駆け寄っていく。

 「マリー・ルイーズのティアラね!最近修繕されたって聞いてたけど、こんなに綺麗だなんて!」

 すっかりティアラに心奪われた不二子は、当初の目的も告げずにティアラが欲しいと言い出していた。体を密着させておねだりする不二子に、ルパンがNOと答える事は略無い。
 また面倒な事に成ったと溜息を付いていれば、女が出口に向かって歩き出す。それには流石のルパンも、だらしない顔を引き締めて女を引き留めるように名前を呼んでいた。

 「こうなると分ってて俺を連れてきな」
 「そうよ。だって美しく生まれ変わったのに、女性を着飾れないなんて可哀想でしょ?」

 喰えない奴だと思ったのはルパンだけではない。やっぱり、ろくなめに合わんと身に染みて俺は痛感するのだった。
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