※ネームレス

 私が私として生まれてくるのは、これで三度目になる。一度目は平々凡々、取り立てて秀でたものもなく天寿を全うしていた。
 強いて付け加えるのならば、さして日本カルチャーに興味の薄かった私が、巷で大流行した漫画の一キャラクターを生涯として愛し続けた事だろうか。
 それが、そもそもの始まりと言っても過言はないのだろう。私の輪廻が狂った理由にしては些か説得力不足だが、人の祈りとは時にして呪いや奇跡を産むものだ。

 二度目は一悪鬼蔓延る大正時代を生きた。鬼殺隊士として鬼を滅し、憎き鬼舞辻無惨が屠られた世で半生を過ごした。
 等と語ったものの、私の階級は下から数えて五つ目の己(つちのと)であり、可もなく不可もない力量しか持ち合わせない一般隊士でしかなかった。
 終いには無限城での戦いが始まった日、私は利き腕と片足を骨折しており藤の花の家で身動きが取れない状態だったのだから一生の笑い種でしかない。

 三度目は二度目とは繋がらず、一度目とも異なる現代社会で性を受けた。今は中高一貫のキメツ学園に通う高校三年生である。
 平和極まりない世でも剣術は嗜んだが、それよりも筆を握りキャンバスへと向かう時間の方が圧倒的に長くなってしまった。
 描く題材は、ただ一つ。韓紅よりも美しく、高潔よりも気高い、煉獄の炎を纏う男の姿。そう、その男こそが何を隠そう一度目の私が愛した人物である。
 二度の生涯を費やしても飽き足らず、三度目すらも全身全霊で恋焦がれているのだ。彼を描き続ける事が今世の拠り所だと、窓の外で揺れた金獅子色を眺めながら思う。
 一度目は平面の存在だった彼も、前世と今世では血の通った人間として存在していた。しかし、三度目経ても尚、私は彼と一度たりとも言葉を交わしてはいなかった。
 世が世なのでストーカーと呼ばれる執念なのだが、犯罪まがいな行為はもちろん、この想いを露とする気さえないので通報される心配は無用だった。
 ただ彼が生きているだけで、私は十二分に享楽できた。故に恋仲を望んだりもない。だが、運命が私達を結ぼうとするのならば喜んで笑劇悲劇とわず演じるだろう。
 けれでも、願わくば彼には幸せになって頂きたいと、不順な私は百歩ひいて、今世は歴史教師を務める姿を見守っているのである。

 「おい、良く聞け!お前の作品がド派手に入賞したぞ!」
 「宇随先生…また勝手に応募されたのですか?」
 「あれを世に出さねぇとか教師として恥だろぉよ」

 けたたましく美術室の扉が開いたかと思えば、心底愉快と言いたげな美術教師兼美術部顧問の宇随先生が入ってくる。
 呆れ半分と諦め半分で返事しながらも、私は手を止めずにぐちゃりぐちゃりと醜い欲望の色をキャンバスへと乗せていく。

 「今回は“愛憎”か。この男も派手に愛されたもんだな」

 肩口から覗き込んできた宇随先生が顎に手を乗せつつ、浮わついた容姿とは真逆の観察眼で私の心中を言い当てる。
 そう、今回描くは愛故の憎しみだった。置いていかれる者の気も知らずに己が正義を貫く、優しくも残酷な男への憎悪を象った一枚だ。
 火消しの恋人に会いたい一心で放火を犯した八百屋お七よりも醜い、黒い炎で顔も分からず焼かれて横たわる男を一筆一筆、愛憎込めて仕上げていく。
 私には憎悪も等しく愛情であり、悲恋とて描かねばならぬ想いだった。そこに才覚を見出したと熱弁ふるうのが宇随先生なのだ。
 事ある事に私の作品をコンクールへ出すものだから、一番の力作すら私の手元にはなく、かれこれ一年と三ヶ月も昇降口奥の壁に飾られたままである。
 それは藤の花に胸上まで覆われた男が鬼火を切る絵で、宇随先生曰く美しくも鬼気迫る圧を放つらしく、到底、新入生の門出を祝うにはそぐわないものだった。
 賞を総なめした事もあり多くの生徒が足を止めていが、得に目を引いたのは葉月札の月色を反転させたような耳飾りを付けた少年である。
 この子とも生前は面識すら無かったものの、隊士だった者なら誰しもが抱くように私も感謝と敬意を持っていた。
 そんな少年が絵を前に涙ながら彼の名前を呼ぶのだから、堪らず声を掛けてしまったのは至極当然な流れと言えただろう。

 「鍵は此処に置いてくが、あまり遅くなるなよ」
 「はい、ありがとうございます」

 本来なら受験生であるずの私が絵だけに没頭していられるのは、偏に宇随先生の口添えで将来が約束されているからだ。故に作品を好き勝手されても文句が言えないのである。
 このように順風満帆な学園生活を謳歌している私だが、最近になって少々気がかりな事柄もできた。それは件の彼と視線が交わるようになった事だ。
 再度述べるが三度目経ても尚、私と彼は言葉を交わした事がない。にも拘わらず、その他大勢のうちだった私を、あの炎を宿した瞳が探しているのだ。
 一度目は当然だが、二度目も会った事はなかった。一般隊士と柱に接点などあるはずがなく、藤の花の家や蝶屋敷でも鉢合わせもない。
 三度目でやっと顔は合わせをしたものの、今世ですら挨拶を受けてお辞儀を返すだけの生徒と先生である。会話らしいものは皆無だと断言してもいい。
 そのような状況で気が引けたのならば、とっくのむかしに私達の仲は深まっていただろう。絶世の美女なら露知らず、中の中である私には無縁の話である。
 こうなった経緯に心当たりが無いと言えば嘘にはなるが、それがどう転じて今に繋がるのかが分からない為に確信など持てない状態だった。

 「うむ!やはり残っていたか!」
 
 ガラリと戸が鳴き、本日二度目ましての訪問者が黄昏時には似つかわしくない明るさで声を上げる。どうやら、よもやよもやな展開は、まだ続くらしい。
 意中の彼こと歴史教師の姿を一瞥した私は、次に時計へと視線を移す。下校時間の10分前だと知った私は、軽いお辞儀を返してから道具類を片付け始めた。
 多少遅れたとて美術教師に贔屓されている私には何ら問題ないのだが、そのような免罪符など品行方正を地で行く彼には関係のない話であろう。
 普段の彼ならば「熱心なのは感心するが、もう遅い!早く帰りない!」と告げて立ち去りそうなのに、今日に限って黙したままで此方へと踏み出してくる。
 これには私も意表を突かれ、手にしていた筆で空中に一本線を引いていた。言葉無き拒絶が彼の歩みを止めさせ、互いの間に重たい空気を落としていく。
 多くの生徒から慕われる彼にとって稀有な経験だったのだろう、その顔からは一切の感情が削り落とされた無が浮かんでいる。

 「君は俺の事が好きなのだと思っていた」

 聞きようによっては自惚れ甚だしい言葉だが、そう思うに足る熱烈な視線を送っていた自覚はあった。故に、彼が気づいていたとしても驚きはしなかった。

 「…今の発言は教師にあるまじきものだったな。すまない!」

 だが、こうして己の立場を心得ている彼ならば、気づいたとしても思春期特有の気の迷いだと観て観ぬふりができたはずだ。そう考えれば考える程に呼吸は乱れていく。

 「君に一つ聞きたい事があってだな…いいだろうか?」

 これではいけないと微笑みの能面を張り付けて頷けば、彼が少し安堵したように肩から力を抜く。しかし、その唇は斬首台よろしく私の理性を刈り取ろうとしていた。

 「竈門少年と何を?」

 もし、この場に炭治郎さんが居たならば、私の香りにむせかえっていたに違いない。それ程に今、私は欲望に塗れていた。
 彼が聞いているのは二週間前の出来事であり、彼が私を意識する切欠けになっている事件の話だろう。それは微笑ましい日常の一幕ながら厄介極まりないものだった。
 言葉にするだけならば『購買帰りの生徒が廊下で彼とぶつかり、トマトジュースをぶちまけた』だけである。ただ如何せん場所とタイミングが本当に悪かった。
 腹部を真っ赤に染めあげた彼を、運悪く通りかかった炭治郎さんが目撃してしまい、長男だからと云う謎理論を掲げる少年の顔から血の気を奪ったのだ。
 当然、顔面蒼白に等しい炭治郎さんを周りは心配していたし、生徒思いな彼も少年の異変に眼(まなこ)を見開いていた。
 それが不憫でならなかった私は、背後から伸ばした手で炭治郎さんの視界を遮り、耳元で「此処は学園」の「あれはトマトジュース」だと言い聞かせたのだ。
 その助け船が功を奏したのか炭治郎さんは数分とせずに顔色を戻して心配をかけた面々へと頭を下げていた。それからだ、彼と視線が交わるようになったのは。
 彼は誠実で堅実な性格だが、その瞳は恐ろしく本能的だった。それを、この身で受けるようになったのだから堪ったものではない。
 今も真っ直ぐ私へと向けられる視線に、心臓は早鐘を打ち、呼吸を用いても引かぬ熱が全身を襲う。嗚呼、もう無理だと理性が悲鳴を上げる。

 「杏 寿 郎 さ ん」
 「っ!」

 齢(よわい)十八とは思えぬ艶めかしい声が出ていた。男を知らぬ若気の身で、このような声を出すなど、はしたないと怒られてしまうだろうか。
 されとて、もう遅い。彼を呼ぶだげで果ててしまいそうな私に耐え性があるはずもない。こうなると分かっていたから彼と話そうとはしなかったのに。

 「一等お慕い申しております」
 「ぁ…そ、そうか…ぃや、だが、俺は」

 するりと口から漏れていた告白に、彼は酷く狼狽え、血管の浮き上がった顔を片手で覆っていく。その心を躍る表情に思わず舌なめずをしかけていた。
 だが、なけなしの自制心を引き寄せて体裁を取り繕った私は、何食わぬ顔で帰り仕度を整えてから美術室の鍵へと手を伸ばした。

 「ですが、拒絶も思案も嫉妬すらも必要はありません」
 「………嫉妬か。君には、そう聞こえたのか」

 目尻は吊り上げつつも眉を力なく緩ませた彼は、普段からじゃ想像が付かない声量で呟いていた。
 互いの本意を正しく図り知るには、余りにも私達の関係は虚無だった。しかし、それも私にとっては粗末な問題でしかない。
 律儀な拒絶の言葉も、心遣いからくる思案も、嫉妬じみた感情すらも、ただ身勝手に愛してるだけの私には関係なかったからだ。
 自分が歪んでる事など百も承知な上で、私は私の想うがままに生きている。でなければ二度も死を経験した後に正気は保てなかっただろう。
 彼への病的な愛情こそ私が歪んでいて狂ってはいない証明なのだ。

 「先生、そのような顔はしない方がいいですよ」
 「?」
 「とって喰われても知りませんから」

 私の吐息にも似た囁きで彼の顏(かんばせ)が瞬く間に色付いていく。駄目だと言ったそばから美味しそうな表情を浮かべる彼が愛らしく愛おしい。

 「それとも食べられたいのですか?」

 猫が鼠を狙うように、私が一歩、彼へと歩み寄れば、彼が半歩、後ろへと下がる。これ以上は私に隙を見せては開けない、そう理解できただろう。

 「戸締り、よろしくお願いしますね」
 「ぅむ!気を付けて帰りなさい!」
 「ええ、さようなら」

 満足げに微笑んだ私は彼の手に鍵を落ちしてから、その横を通り抜けていく。背後では「よもや、よもや…不甲斐ない」と聴こえたが、決して振り向かなかった。
 だって、もし振り替えようものなら今度こそ押さえが利かなくなるだろう。ここで彼の唇にかぶり付いては今までの我慢が水の泡である。そんなの勿体ないではないか。
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