※ネームド

 「道がくせぇ…」
 「それが日本の秋だよ」

 秋の訪れを告げるように窓の外でイチョウの葉が舞う頃、朝の日課にしているランニングがら帰ってきたエドワードが、そう呟いた。
 あちらには街路樹にイチョウの木は無かったのだろうか。はたまた実を着けない種類だったのかもしれないと、細やかな疑問に興味が掻き立てられる。
 確か冷蔵庫の中に、それなら今晩は。などと想いを馳せつつ、自室に引き籠って仕事を片付けていく。そんな私とは反対に、エドワードは図書館で宇宙に付いて調べに行っていた。
 シャンバラの時同様に宇宙へ帰る希望を見いだしたのかもしれない。それか、ただの知的好奇心か。どちらにしろ彼が何かに没頭しているのは喜ばしい事だった。
 探求心を失った科学者など泳ぐのを止めたマグロに等しいだろう。つまり、生きるのを辞めたと言っても過言ではないと考えていたからだ。
 地域放送の夕方を知らせる哀愁漂う鐘の音に手を止めた私は、パチンコを閉じると夕食作りに取り掛かる。あと一時間もすればエドワードも帰ってくるだろう。
 今日は鮭のホイル焼きに、ほうれん草の胡麻和え、それから豚汁と茶碗蒸しにしよう。エドワードが和食好きになってからは、ついつい白米が進むメニューにしがちだった。
 ただ、流石に生魚、刺身を食べた時は何とも言えない顔をしていた。それでも食べ始めれば案外ペロリと間食したから口に合わなかった訳ではないのだろう。
 居間のテーブルに二人分の夕食が並んだタイミングで、玄関からエドワードの「ただいま」が響く。すっかり彼も日本語が流暢で、出会った頃の壁は感じられない。
 しかし、言葉が通じるようになってからと言うもの、お国柄の差で戸惑わされる事も増えていた。

 「今日の夕食も美味そう!ありがとな!」
 「…どういたしまして」

 堅物そうなエドワードでも日本人と比べたら物言いはストレートだったりする。色恋事は恥ずかしくても「ありがとう」や「美味しい」は、真っ直ぐに伝えてくるのだ。
 面と向かって褒められ慣れていない日本人な私からすると、そっちの方が照れくさい。羞恥心で死にそうだと思ったのは一度や二度ではなかった。
 熱くなる頬を無視して、ご飯を頬張るエドワードを盗見れば、箸の使い方が上手くなったな~と感情に浸ってしまう。すっかり、彼もこの世界に馴染んでしまった。
 最初は手合わせ錬成に似ているからか、ぎこちなかった『いただきます』の所作も、今でもこなれたものだった。

 「そうそう、街路樹のイチョウの木からね」
 「うん?」
 「実が落ちて踏まれると独特な匂いがするの」
 「ああ、あれがそうなのか」

 茶碗蒸しを手に取ったエドワードに後れ馳せながらの回答を返せば、あの匂を思い出したのか渋い顔を浮かべていく。
 だが、今しがた彼の口に吸い込まれていったスプーンの上に艶々と蒸し上げられた黄金色の粒が乗っていた事を、私は見逃さなかった。

 「でも、種の中身は美味しいでしょ?」
 「?」
 「今、エドワード君が食べたのか、そうだよ」
 「!」

 途端に口の中へと意識を集中させた彼は、しっかりと咀嚼した後にごっくんと飲み込み、どれだ?驚きの声を上げて茶碗蒸しの中を覗き込んでいた。
 行儀が悪いと知りつつも私は自分の器からギンナンを掘り起こし、エドワードの目線の高さまで持ち上げてみる。すると、梟みたいな声が帰ってきた。

 「よくあれを食おうと思ったよな~」
 「日本人の食への探求芯は錬金術師すらも凌駕するからね」

 それは言い過ぎだと云う顔をしたエドワードに、私はニヤリと口角を吊り上げてから「日本人は魚の肝すら食べるよ」と返した。

 「マジで?」
 「マジです」

 胡麻和えを食べよとした形で固まった彼に、私は堪らず笑い声を漏らす。そんな愉快な時間を楽しんでいると、裏庭からボスの鳴き声がして、途中から二人と一匹の夕食になった。

 普段なら食後には珈琲を入れるのだが、その日はエドワードにカシスオレンジを、私には飲みやすい日本酒を注いで、仲良くグラスを撃ち鳴らしていた。
 最近では、こうした晩酌も共にしている。とは言え、子供舌の彼は薄めに作ったカクテルぐらいしか飲まないので、専ら私の晩酌に付き合ってくれてるに過ぎないのだが。
 最初の一口目を舐めるように嗜んだ彼は、殻付きギンナンの浅皿と塩辛の小鉢を興味津々に眺めている。一応、彼の為にナッツ類も用意したのだが興味は此方にあるらしい。

 「こっちがギンナンを煎った…殻ごと焼いたやつで、こっちが魚の肝でイカを合えたものだよ」
 「すげぇ色…、こっちのギンナンはどうやって食うんだ?」
 「殻をこう、割って、中だけ…はい、どうぞ」

 薄く開いた種の合わせめに力を加えれば、ころりと美味しそうな中身が出てくる。それをエドワードの掌に転がしてやれば、しげしげと見つめた後で口に放り込んでいた。
 私は私で塩辛を摘まみ日本酒を一口含む。塩辛いイカの風味に米の甘さが絡まり、おじさん臭いと分かっていながらも熱い吐息を零れてしまう。

 「…なぁ、そんなに旨いのか?」
 「私にはね。エドワード君はギンナンどう?」
 「おう、ちょっと苦いけど悪くねぇな、これ」
 「それは良かった」

 エドワードは自分でもギンナンを割りながら食べていたが、視線は私の手元へと注がれている。探求者は好奇心が仰せいで分かりやすかった。
 食べてみる?と小鉢を差し出してみれば、恐るおそると云った風に箸を伸ばして毒々しいピンク色を摘み上げていた。確かに改めて見せられるとグロテスクではある。
 しばし塩辛と睨み合っていた彼は、意を決したのか大口を開けて箸を咥えこむ。そして、瞬く間に顔色を赤や青へ変えて叫びだしていた。

 「辛っ!!!」
 「あははははは!」

 劇薬級でも口にしたかのようなオーバーリアクションでカシスオレンジを飲み干し姿に、私は笑いを押し殺しながらもこれ見よがしに塩辛を一口つまんでいく。
 それからまた日本酒を煽って一週間ぶりの至福を噛みしめる。お酒は偶に飲むから美味しい。が、私の詩論である。何事も程々ぐらいが丁度いいのだ。
 お代わりを作り終えたエドワードは、少し色づいた頬を誤魔化すようにグラスを傾けていく。いつもより飲むペースが速いからか、金糸から覗く耳まで赤い。
 ふと、逸らされていたエドワードの瞳が私へと合わされる。グラスが静かにテーブルへと戻り、手持ち無沙汰を隠すかのように首の付け根を摩りだす。

 「なぁ………他に飲む相手とか、いねぇの?」

 その一言は余りにもぎこちなく、彼の動揺がありありと伝わってくる。先程までの何が琴線に触れたのか知らないが、重々しく聞くような事かと苦笑いが漏れてしまう。
 エドワードと暮らし初めて半年ばかり経つ。その間、私は彼以外の誰かと出掛けたり、仕事以外の電話をした事がない。その上、独りが当たり前みたいな顔で過ごしている。
 疑問に感じるのは至極当然だろう。むしろ遅いぐらいで、いままで興味がないものだと思っていたぐらいだ。

 「ん~…両親は早くに亡くなってるし、親友が私の恋人と結婚したから、今は一人だね」

 つまみをニャーニャーとネコナデ声で強請ってくるボスの頭を撫でつつ、私は平然と言い切った。当時は熟んでいた傷も、今では何も感じられないからだ。
 ぱきん、力を入れすぎて粉々になったナッツがエドワードの膝に落ちる。掃除は明日でいいかと考えている間に、テーブルの下を駆けたボスがナッツを強奪していった。

 「まぁ、よくある話だよ。今はエドワード君もいるしね」

 口を薄く開いたまま微動だにしないエドワードをよそに、私は本音を語りながらグラスを空けた。笑い話にしてもらえなかった気まずさから、アルコールに逃げたのだった。

 *

 風が雨樋を叩く物々しさにパソコンの画面から顔を上げれば、カーテンの隙間から青い稲光が走るのが分かった。
 遅れて轟いた音に雷が遠くに落ちた事を知り、ほっと息を付く。時計の短針は既に頂点を過ぎ去り、私はブルーライトカット眼鏡を外して目頭を揉み解した。
 根を詰めすぎるのも良くないと今日の作業を終えて、部屋の電気を消してからベットへと潜り込む。ノイズにも似た雨音が子守唄のように部屋を満たしていた。
 眠りのおとずれを待っていた私は、不意に耳へと届いた響きに目蓋を持ち上げる。素足と鋼が奏でるアンバランスな足音は私の部屋の前で止まると、気配を押し殺していた。
 エドワードが私の部屋を訪ねる事はあまりない。そっと布団から抜け出した私は、電気も付けずにドアの前へと立ち尽くし、緊張を解すように深呼吸を繰り返した。
 決して彼を信じていない訳ではないが、人間不信は時たまこうして顔を出す。うっすら汗をかいていた手で鍵を外すと、半身程ばかり木戸をスライドさせていく。
 部屋同様に暗い廊下には予想通りエドワードが佇んでおり、下ろしたい髪を揺らして目を見開いていた。

 「どうしたの、エドワード君」
 「っ………中、入ってもいいか?」

 険しい顔で苦しげに呟いた彼は自分の溢した言葉にすら酷く動揺していた。私が一言でも発しようものなら脱兎の如く逃げていってしまいそうだった。
 だからと言って二つ返事など出来なかった私は、小さな子供をあやすように微笑みかけると、エドワードの固く握られた拳へと手を伸ばしていく。

 「理由を聞かせてくれる?」
 「…足が…痛くて……寝れない、から………さすって、くれ」
 「いいよ、おいで」

 人一人が十分通れるぐらいに扉を開き、迷子のような瞳をした彼を招き入れる。彼を私の部屋に入れるのは初めての事だった。
 ベッドの縁に腰掛けた私は繋いだままの手を引き寄せると、自分の隣にエドワードを座らせる。そして、服の上から機械鎧の繋ぎ目へと触れていく。
 エドワードが息を呑むのが分かり、まるで私の方が彼を誘惑しているようだと苦笑いが溢れてしまう。でも、あまり悪い気はしなかった。
 だって、あの“エドワード・エルリック”が、辛い時に誰かを頼り、その相手に選ばれたのだから、こんなに喜ばしい事はないだろう。
 厚手の布越しでも分かるほど冷えきっていた肌を丁寧に摩っていると、肩に軽い重みが落とされる。頬を撫でる金髪からは自分と同じシャンプーの香りがしていた。

 「なぁ、名前…呼んでくれ」
 「エドワード君」
 「…くんは、いらない」
 「………エドワード」
 「もう一回」
 「エドワード」
 「もう一回だけ」
 「何度だって呼ぶよ、エド」
 「っ!」

 エドワードは前髪を握りしめると、何かに耐えるかのように奥歯を噛み締めていく。それには見ている此方の胸までもが痛くなる。
 彼は怖い夢を観て泣くような人ではないだろうが、この世界で唯一エドワードを知る存在に縋りたくなる程には参っているのかもしれない。
 それならばと立ち上がった私は彼をベットの奥へと押しやり、と言っても実際に押せるだけの力はないので自主的に動いてもらい、二人仲良く布団に潜り込んだ。

 「今日は一緒に寝よう」
 「………いいのか?」
 「エドは紳士だって信じてる」
 「…ああ」

 彼の綺麗な瞳が真っ直ぐに私を捕らえ、彫刻のような物悲しい表情を作る。その心を今の私が汲み取る事は出来なかった。
 エドワードの逞しい腕が私の腰を抱き寄せ、鼻先が胸元へと埋められていく。そこからは一切の疚しさは感じられず、ただただくすぐったさで胸が熱くなった。
 だから私も彼の頭に頬を摺り寄せ、求められるがままに足を絡めて抱き締め返していた。まだまだ冷たい右足に想いを馳せながら、私はエドワードの旋毛に口付けを落とす。

 朝、目が覚めるとエドワードの姿はなく、ちょうど玄関の戸が閉じられる音が響いていた。手探りで見つけたスマホを点灯させれば、彼が走りにいく時間を示している。
 カーテンの向こうからは清々しい雀の囀りが聞こえ、夜の内に嵐がさった事を教えてくれた。こんな日のジョギングは嘸かし気持ちがいいだろうと、私は重たい頭を持ち上げた。
 それにしてもメンタルが強いな~と思う気持ちはあったが、彼と暮らし始めてから起きるようになった時間に目を覚めた私も、人の事は言えないのだろう。
 盛大な欠伸を零しつつ洗面台へと向かい、帰ってきた彼が気まずくならないように、一口食べたら美味しいと笑ってくれるような朝食を作りにいく。
 それが私達らしく、これからの生活だと思っていた。そう、当然のように信じてしまっていたのだ。

 その三日後、エドワードは姿を消した。たった一行の『行ってくる』を残して。
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