※ネームド

 恵みと憂いの梅雨が終わり、蝉のラブコールが騒がしい初夏がきた。今年も例年通りの猛暑だとスマホニュースが告げている。
 だが、昔ながらの漆喰の壁は外からの熱を溜めづらく、庭の苔が照り返しを防ぐから夏場でも我が家は過ごしやすい。換気の窓と扇風機さえあれば日本の夏すら敵知らずだ。
 しっかりと冷えたアイスコーヒーをお供に、私はお気に入りの縁側で仕事をこなしていた。ノートパソコンを膝の上に乗せれば、家の何処でも立派な書斎である。
 そう言えば聞こえはいいが、ただの物臭とも言えるだろう。しかし何事も極めてしまえば一種の取り柄、基、仕事の役になるものだ。

 「そうか!モニュメントだと思ってたのは、開いた状態の扉だったのか…ちっくしょう!」

 涼しげな風鈴の音を掻き消す声に、私は驚きのままにエドワードを凝視する。彼は綺麗に結われていた髪を乱暴に乱し、居間のテーブに広げだ手帳や分厚い書籍を睨んでいた。
 その顔は宛ら賢者の石の生成方法を知った時のような苦悩に満ちた色に染まっている。きっと今、エドワードの脳内では様々な方式が組まれては消されている事だろう。
 故に、私は黙して彼の決断を待つ事にしたのだった。これはエドワードの人生だから、赤の他人の私が出しゃばる事ではない。
 確かに、この数ヶ月で彼との仲は深まったと思う。それでも、問われてから答えるのと、自分から聞くのとでは話が変わってくる。
 親しき中にも礼儀あり。恋人でもない男女が一つ屋根の下で暮らすには、一定の距離を保つことが必須なのだ。決して、エドワードを嫌いになった訳でも信用出来ない訳でもない。
 ただ、裏切られるのが怖い、幻滅されたくない、束縛されたくない、そう言った感情がなかったかと問われると疑問は残る。なにせ私は人間不信のけがあるからだ。

 「こっちが『汝、運命を変えたくば門を潜れ』で、こっちは『さすれば、新たな世界へと招かれるだろう』なら…」

 思考の海に潜っていた私は、その呟きに顔を上げる。居間のテーブル上には走り書きされた紙が広げられ、エドワードの握りこまれた拳が乗っていた。
 彼は此処に来る前までクレタより西のコプトと呼ばれる地方にいたと聞いていたが、紙に記されている文字はエジプトの壁画に使われるヒエログリフだった。
 そこは原作だと自然が豊かな場所のはずで、なのに何故エジプト文化を調べているのか?と考えたものの、この世界の常識で図るのは野暮だと頭(かぶり)を振るう。
 アメストリスをアメリカやイギリスと位置付けるなら、中国と似たシン国が地続きなのも、その手前に砂漠があるのも変な話だからだ。
 そもそも、此方じゃコプトは地名ですらない。手元のパソコンでwikiを眺めていた私は、苦々しげに手帳を睨むエドワードへと視線を戻した。

 「これが人体錬成なら対価は?…くそっ!情報が少なすぎる!この『星々の約束』と『ヒヨクの片割れが巣を』の続きさえ残ってたら、もっと…」

 そう疑問を口にする事で彼は頭の中を整理しているのだろう。逆手にした親指の腹で眉間を押しやり、苦渋にまみれた声で他にも色々と呟いている。
 自分のミスに悔いるような、それでいて錬金術の新な可能性を見出だしたかのような、錬金術師ではない私には到底理解できない境地で思考を進めているようだった。
 静かにパソコンを閉じた私は、表面に汗をかいたグラスへと手を伸ばす。爽やかな苦味で喉を潤せば氷がカランと鳴り、エドワードの瞳が私へと向けられる。
 縋ると云うよりかは糸口を求めている彼に、私は何を返すべきか。私は違う方法、いや、心当たりすらなく別世界から来ているなど、謎が増えるだけで告げ辛い。
 それでも、ここまできたら対話を拒むのは不義理も甚だしい。人知れず腹を括った私はグラスをコースターに戻すと、崩していた体制を唯して言葉を紡いだ。

 「もう気づいていると思うけど、私は何も知らない。だから、これは私の想像だけど、それでもいい?」
 「ああ、今は何でもいいからヒントが欲しい」

 拳で畳を押して体の向きを変えたエドワードは少し疲れた様子で私に頷きを返す。どこか落ち着いて耳を傾けようとする彼には微かながらに違和感を感じていた。
 まるで現状を受け入れているような、そこまで考えた私は一旦思考を止めると、彼の独り言を聞きながら頭の中で組み立てていた仮設を話し始めた。

 「これが人体錬成の一種なら、それをしたのは星…つまり世界なんじゃないかな?」
 「世界が?」
 「そう、だからエドワード君が対価を払う訳じゃない」

 死んだ人間を蘇らせるだけが人体錬成ではない。グラトニーの体内、つまり人工的な空間から現実へと自分自身を人体錬成した彼なら、それは良く分かっているはずだ。
 手を開いたり閉じたりして何処にも欠損がない事を確かめていたエドワードが、不自然な程にあっさりと納得したような顔を浮かべ、それならばと口を開く。

 「世界が払う対価は?」
 「分からない…これは、あくまでも私の憶測だから」
 「そうだよな。でも、あながちハズレでもないんじゃねぇか」

 ごろりと寝転んだエドワードは気の抜けた声を漏らし天井の一点を睨み付ける。ここまで話せば賢い彼は気づいてしまっただろう、帰れる望みは薄い事に。
 これが世界による人体錬成なら、人間に手出しは不可能だ。何を代償に支払ったかは知らないが作中に登場した神は強大で、人間一人を攫ってくるなんて容易なことだろう。
 目的が何かは知らないが理不尽な事この上ない。私は生活の基盤がそのままだったし、元の世界に大切な人も未練もないからまだいいが、エドワードは違う。
 産まれ育った世界から連れ出され、大切な家族と引き剥がされ、終いには戻る手掛かりすらないのだから酷過ぎる。
 彼の妻は帰らぬ夫を待ち続け、唯一の肉親はエドワードを探し続けるのだ。これではシャンバラの二の舞いではないか。

 「待てよ…それなら家がある理由は?いつから、こっちにいるんだ?」

 勢いよく起き上がったエドワードに、私は言葉なく笑うしかなかった。じっとりとした視線が送られて息が詰まる。いい加減に黙秘も許されなくなっていた。
 巣が家の隠語なら、多分、ヒヨクの片割れとは私の事だろう。古代中国の伝説上には、比翼の鳥と云う雄と雌が二羽一対の生き物がいる。
 その姿から男女の仲睦まじい様子、転じて番を意味する言葉として使われたりもするのだが、エドワードの相手が私とか恐れ多くて伝える気にはなれない。
 だって、彼の相手は彼女だ。心根が強く優しい、彼の手足を支えれきた幼馴染だ。間違っても私ではない。彼が私を想う日など来る訳がないのだから。

 「ん~あのね、私はエドワード君とは別の世界から来てて」
 「はぁ?別の世界!?そんなの可笑しいだろ!それじゃ何で俺を知ってんだよ?!」
 「まぁ、そうなるよね…この世界は私のいた世界と同じで、でも一つだけ…私の知る限りでは一つだけ違っていて」
 「だぁ~あ゛!もったいぶんなって!」

 そんなつもりは毛頭なかったが、せっかちな面が出たらしい彼は四つん這いで私の所までくると、どかりと音を立てながら胡座をかいていた。
 吐け!全て洗いざらい吐きやがれ!そんな声が聞こえてきそうな圧を向けられて心臓が早鐘を打ち始める。これでは話せるものも話しづらくて仕方がない。

 「あの、えっと………私の世界には“鋼の錬金術師”って、本があるの」
 「!」
 「だから、私はエドワード君を知ってた…貴方の過去も、愛する人達の事も…知ってる」

 私は溢れ落ちそうな程に目を見開いたエドワードから顔を反らし、すっかり氷が解けて薄まったコーヒーを見下ろす。
 自分の人生が娯楽として画かれているなんて気分がいい話ではない。承認欲求が強い人間ならまだしも、彼の性格を考えれば誰彼構わず読まれて喜ぶとは考えづらかった。
 胸が痛くなるような沈黙が広がり、忘れかけていた夏の音だけが空間を支配していく。堪らず「ごめんなさい」を零した私に、彼は弱々しくだが首を降り返してくれた。

 「アンタが謝る事じゃねぇだろ」
 「でも、人の人生を勝手に覗き見るのは」
 「物語だと思ってたんだろ?だったら謝らなくていい」

 そう本人に言われては、これ以上の弁明は自己満足でしかないと素直に口を閉ざしかない。それでも、彼と出会ってから芽生えた罪悪感は消えなかった。
 自分の事より私の心を慮ってくれるエドワードは、やはり強い人だ。肩の力を抜いて微笑んでくれた彼に、私が出来る事はあるのだろうか?
 あの震えんばかりの感動をくれた主人公に一読者が返せるものがあるのなら、残りの時間を全て捧げてもいいとすら思える。そう、想ったのは間違いなく本心だった。

 *

 あれ以来、エドワードは元気が無かった。目に見えて明らかと言う訳ではなかったが、何処か上の空みたいで覇気が感じられない。一言で表すなら彼らしくなかった。
 ただ、それも仕方がない事だと頷けてしまうから心苦しい。帰れる見込みが限りなく薄いとなれば、流石の彼だって意気消沈して当然だろう。
 それでも諦めないのがエドワード・エルリックだと、私は身勝手にも信じていた。なのに、いつまで経っても彼が熱意と負けん気に燃えた眼を見せてくれない。
 私のスタンスは基本的に自分は自分で他人は他人だけど、彼の為に何か出来ないかと願ったばかりなのもあり、黙って指を咥えて見守るなんて出来そうになかった。
 しかし、ここで残念極まりない話をするなら私は人間関係に乏しく、記憶を漁っても役立ちそうな知恵は出てこなかった。だから、当たって砕けろと見切り発車したのである。

 「エドワード君、私ちょっと出かけくるね」
 「出かけるなんて珍しいな」
 「まぁね…それで帰ってきたら、ちょっと付き合ってくれない?」
 「かまわねぇけど…どうせ出かけんなら一緒にいくぜ?」

 ごもっともな意見ばかりに苦笑が浮かぶ。だが、ここでネタばらししてはサプライズの意味が無くなってしまう。
 どうしたものかと考えあぐねていれば、ぶっきらぼうな「分かった」が返ってくる。気遣おうとした方が逆に気遣われてしまうなんて立つ瀬がない。
 それでも、彼の好意は素直に受けとって私はスマホと財布だけを握りしめて家を出た。まぁ、出掛けると言っても往復一時間ぐらいで返ってきたのだが。
 玄関先からエドワードを呼ぶと、彼は約束通り身支度を整えて待っててくれたらしく直ぐに姿を表した。

 「どうしたんだよ…これ」
 「レンタルしてきた。エドワード君、ドライブしようか」

 真っ赤なコンパクトカーを見つめながら驚きを露にしているエドワードを助手席に押し込み、私は運転席に乗り込む。
 シートベルトの重要性を理論と法律の両面で説明してから車を発進させ、住宅の細道から大通りに出て高速の入り口へと入る。
 何処に連れていかれるのかと不安げだった彼も、静で快適な車内に感心していた。道中、ドライブスルーで軽食を挟みつつ小旅行気分で車を流していく。
 開いた窓から塩の香りがし出す頃、行き先が分かったらしいエドワードから声が漏れると同時に、視界が開けて夏の日差しで煌めく水面が露になる。
 高速を降りてからは浜辺を迂回するように走り、私は灯台や漁船が止まる港方面へとハンドルを切った。海には来たものの海水浴をしむつもりはなかった。
 機械鎧のエドワードとって海水に浸かるのは善くない。それなのに彼を此処に連れてきたのは、本でしか知らないだろう海を見せたかったからだ。

 「これが、海」
 「実物は違う?」
 「ああ…すげぇ…」

 沖縄、いや、熱海まで行けたら綺麗な青い海も見せてあげられたが、いかんせん久々の運転で約四・五時間は心身共に危険なので断念せざる得なかった。
 そう、まだ地理には疎いだろう彼にも分かるように伝えれば、「ここで十分だ」と勿体ない言葉を貰ってしまう。やっぱり頑張れば良かったな~と思う私は欲張りなのだろう。

 「なんで海に来たんだ?」
 「夏だから」

 車から降りた私達は人一人分を開けて堤防の端に腰かける。水平線の向こうへ沈んでいく夕日をエドワードと一緒に眺めるのは、初めてあった日以来だった。
 視線を横にずらせば茜色に照らされた金色が美しく煌めいていた。こうして彼の横顔を、盗み観るのが私の密かな楽しみへとなりつつある。
 そう云うと何だか変態じみて聞こえてしまうけど、あのエドワード・エルリックが息をして隣にいる事は奇跡と等しく、何度だって確かめたくなるのだ。
 そんな事をつらつらと考えていたら長く見つめ過ぎたようで、視線に気付いた彼が物言いたげな顔を向けてくる。嗚呼、もう少し目に焼き付けていたかったな。

 「んだよ…俺の顔に何か付いてんのか?」
 「眼と鼻と口と」
 「そうじゃねぇよ!」

 細波に合わせて冗談を返せばエドワードは歯茎を露にして吠えたが、私の零した笑い声を聞くなり直ぐさま怒りを納めてしまう。ほら、やはり彼は何処が可笑しい。

 「エドワード君は帰りたくないの?」
 「………」

 ずっと気になっていた事を問えば、返ってくるのは肯定じみた沈黙だった。予想以上の返事に、夏の始まりから抱いていた予感が確信へと変わる。
 エドワード・エルリックは元の世界に帰る事を諦めていた。なぜと疑問が喉から飛び出しそうになるも、安易に聞いていいものかと眉間に皺が寄ってしまう。
 彼には待ってくれてる人達がいるのに、どうして?あんなにも苦労して手に入れた幸せを易々と手放してしまうなんて、どう考えたって彼らしくない。
 膝を抱えて半分以上沈んでいた夕日を見送っていれば、エドワードは後ろに手を付き体を預けると、溜息よりもはっきりとした母音を吐き出していく。

 「別に…返りたくない訳じゃねぇよ、ただ…」
 「疲れちゃった?」
 「…そう、なのかもな」

 父が家を出ていき母が亡くなり、過ちの代償に手足と弟の体が持ってかれ、幼い少女は救えず優しい大人を失い、希望の石は絶望の象徴に変わり。
 多くの絶望を乗り越えて大団円を迎えた先が異世界などメリーバッドでしかない。理不尽に中指を立てられない程、彼は疲れてしまっているようだった。

 「弟さん、悲しむよ」
 「文句言いつつ探してくれんだろうな~」
 「お嫁さん、泣いちゃうよ」
 「そうだ………はぁあ?!嫁!?」

 しんみりしていた空気が一転、エドワードの叫び声が響き渡る。彼に眼光鋭く睨まれたものの赤面顔では差して怖くない。
 それよりも、いや、なによりも新たに湧いた疑念の方が個人的には恐ろしい。問い返そうとする声が震えてしまう。まさかとは思うが、そんな事ありえるのだろうか。

 「………もしかして、プロポーズしてないの?」
 「だ!?誰が誰に?!」
 「エドワード・エルリックがウィンリィ・ロックベルに」
 「フルネームで言うな!」

 立ち上がってまで叫ぶ彼を見上げるのは首が痛く、底知れぬ呆れも相まって私は額を膝に擦り付けていた。
 物語が現実なら私の知る原作とも異なるだろうとは思っていたが、こんな容で起こるとは誰が想像できただろう。結婚願望のない私ですら幼馴染みさんが不憫でならない。
 言葉は汚いが糞ほど長い溜息を漏らした私に、エドワードは罰が悪かったそうに呻いていたが、ドンっと座り直してから苦々しく二の句を絞り出した。

 「ぉ、れと、あいつ…結婚してたのか………その、本…では」
 「うん…、エドワード君似の男の子と、彼女さん似の女の子が産まれてた」
 「!?!?」

 膝に頭を預けたままで横を向けば、信じられないとばかりに面食らうエドワードが口をぱくぱくしている。狼狽したいのは此方だと目が据わっていくのが自分でも分かった。

 「どうして?彼女もエドワード君を「アイツか選んだのは………アルだ」

 その一言で、今度は私の方が絶句する。そうか、そんな可能性もあったのかと胸の奥が鋼を飲み込んだように重くなる。
 エドワードが素敵な男に成長したのだから、彼の弟だって素敵な男性に成長していても可笑しくない。そこに絶対的な差など無かったのだろう。
 例えば、心を通わせる瞬間の有無が兄ではなく、弟とあったのならば十分にありえる未来だ。ありえないなんて事は、ありえないのだから。

 「ご、めん…私、知った風な…こと」
 「気にすんな……確かに驚いたけど、もう吹っ切れてんだ、だから…」

 とっくに辺りは漁港独特の暗闇で包み込まれていた。夜釣りを楽しむ釣り人もいない夜は恐ろしく静かで、私の中の醜い感情が溶け出してしまいそうになる。
 暗がりにぼんやりと浮かぶエドワードを眺めながら、伸ばした手は迷いなく彼の頬へと触れていた。指先で触れた熱に奥歯を噛み、滑り落ちるように一撫でして離す。

 「冷えてる…ご飯食べて帰ろう」
 「…ぉ、おう。サシミ?ってやつ食ってみてー」

 この淡い気持ちには蓋をして墓まで持って行こう。そう心に決め、私は無理やり話を終わらせていた。
 私の知るエドワードよりも残してきたものが少ないとは云え、やはり彼には帰る事を諦めては欲しくなかった。しかし、これも所詮は私のエゴに過ぎない。
 何もかもを背負い込んだようなエドワードの笑みを見つめながら、私はジクジクと痛む心を無視して微笑みを返したのだった。
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