※ネームド

 リゼンブールを経った後、俺はアメストリスを抜けて、クレタの更に西へと旅を続けていた。
 その道中で原住民がコプトと呼ぶ地方に、扉の中心に巨大な瞳がある石造の話を聴き、俺は逸る気持ちを抱えながら調べにいくところだった。
 地元の人間に案内を頼んだが、ことごとく「神聖な場所だから近づいてはならない!」と忠告され、結局は地図片手に向かう羽目になっていた。
 トランクを担ぎながら顎の下に滴る汗を手の甲で拭い、草木が生い茂る山道を掻き分ければ、ぽっかりと空いた場合に苔むした遺跡が姿を表す。
 中央には、日差しを浴びて白く輝く巨体な石像が鎮座している。その身籠った自身の腹を抱き込む女性像を取り込むように柱が円を描いて建てられていた。
 間違いない、これは錬金術に関する遺跡だと、確信めいたものがあった。来た道の近くにトランクと置き、俺は柱の外側を観察しながら一周する。
 よくよく見てみると柱の一つ一つに絵のような文字が刻まれいる。所々、かけたり風化したりと分かりづらかったが可能な限り手帳へと掻き写していく。
 その間に何かが起こる事はなく、云うほどの危険は感じられなかった。それでも、あり得ないなんて事はあり得ないと油断だけはせずにいた。
 今は俺一人、頼れる弟はいない。これで、もしもの事があった日には、またウィンリィを泣かせてしまう。そうなったらアルに何を言われるか。
 石像の前には細長いレリーフが二対、向かい合わせで立っていた。外側は平だったが、内側にはびっしりと文様が描かれている。
 俺はレリーフの内容を詳しく調べる為、まるで通路のような其処に足を踏み入れた瞬間、青白い電光を伴う錬成反応に包まれていく。

 「なっ?!」

 そして気づいた時には、見たこともない場所に立っていた。
 辺りには錬金術よりも純度の高いガラスが大量に使われ、立っているのが不思議な程に高い建物が見渡す限り並んでいる。
 目眩を覚えて半歩踏み出せば、これまた未知の技術で固められた灰色の道が、何処までも果てしなく続いていた。
 町行く人々は馴染み深い服装をしていたが雰囲気は異なっている。走り去っていく自動車らしき乗り物も驚く程に静かで早い。
 直感的に、ここがアメストリスから遥か遠く離れた国だと気づき、体が困惑と緊張で固まってしまう。それなのに口元だけは好奇心で歪んでいった。
 どくどくどくと喧しい心臓を服の上から握り締めていると、真横から老人の声が真横から飛んでくる。だが、それは一度も聞いた事のない言語だった。
 正直、何を言っているのかは解らなかったが、胸元を押さえる俺の手へと向けられた顔には心配の色が浮かんでいた。
 だから思いきって軍服に似た制服の老人に話しかけると、皺の刻まれた目元が大きく開かれ、申し訳なさそうに眉が潜められる。
 この反応を、俺は以前にも経験した事があった。それは、ウィンリィに錬金術の仕組みを話した時や、ウィンリィが機械鎧の魅力を語る際にアルが見せた顔と同じ。
 つまり、言葉は知っているが意味は分からないと云う表情だ。だが、それは悪い情報でもない。言語が認知されてるなら話せる人がいる可能性だってある。
 いつの間にか出来上がっていた人集りに向けて、俺は「誰か俺の話している言葉が分かる奴はいないか!?」と問い掛けた。
 しかし、皆一様に顔を反らすばかりで答えてくれる人間はいない。小さな音で舌打ちを溢すと隣で困惑していた老人が数歩下がっていく。
 不安な気持ちは確かにあったが、今までの人生を考えれば乗り越えられる気がしていたし、俺には帰りを待ってくれている人達がいたからと気丈に振る舞えた。
 それでも、言葉すら通じない見知らぬ場所で、帰り方を探さなきゃいけないのは、先の見えない暗闇に落とされたような気分だった。
 異質なものを見るような瞳に囲まれ、俺の胸はズキズキと痛みだす。少しだけ、イシュヴァール人の気持ちが解ってしまう。

 「エドワード・エルリック!」

 だから、その声を聴いた瞬間、俺は驚きよりも先に安堵を覚えていた。
 俺を知っているなら帰り方も教えてくれるかもしれない。そう迷いなく声の元へ向かえば、伸びてきた手によって人混みの中から引っ張り出される。
 そのまま俺の腕を引いて歩きだした女の顔には見覚えがなかった。手当たり次第に投げかけた疑問にも返事は帰ってこなかったが、その手を振り解く事は出来なかった。
 連れてこられた先の公園でも無視され続けたが、それでも俺は女を信じてみることにした。俺を助けてくれた女の手は暖かくて、悪い奴には思えなかったからだ。

 「私は貴方を知っている。理由は話せない」
 「話せるなら、もっと早く答えろよな!」

 少々響きは固いが、それは間違いなくアメストリス語だった。言葉が通じないのでは?と、不安になり始めていたものだから、ついつい言葉尻が強くなってしまう。

 「ってか、なでだよ?!あんたは何もんなんだ!?」
 「錬金術師なら自分で調べて」

 リンに似ている人々がいる此処はシン国の近くなのか。何故、女は俺に知っているのか。何一つとして女は教えてはくれなかった。
 俺の質問には答えず言いたいことだけ伝えてくる女に、腹が立たなかったと言えば嘘になるが、それよりも燃えるような高揚感に襲われていた。
 出来ないの?そう暗に喧嘩を売られて逃げるエドワード様ではない。ニヤリと笑い返した俺に、女は安堵したような微笑みを浮かべるのだ。

 *

 あれから機関車のようなモノに乗せられ、俺は未知の技術に感嘆を溢していた。動く写真に、喋る機械。まるで魔法のようだと錬金術師らしからぬ感想を抱いてしまう。
 心躍る異国文化を冷静に観察していれば、初めにいた場所とは雰囲気の異なる街へと付いていた。国が違えど夕焼けの赤さは変わらなと、アメストリスより明るい空を仰ぎ見る。
 俺は斜め前を歩く女の横顔を盗見ながら、ひっそりと溜息を吐いていく。何を思って俺を助けたのだろう。もちろん感謝はしているが、あまりにも言葉数が少なすぎて読めない。
 なのに、時より女から向けられる眼差しはくすぐったくなる程に優しく、懐かしい記憶と重なって胸を締め上げてくる。母さんや師匠と同じ、子を憂う瞳の理由が分からなかった。
 どうしてアンタが、そんな顔をするんだよ。言いたい事も聞きたい事も何一つ伝えられなのが、こんなにも歯痒いとは知らなかった。だから、視線を合わせる事にためらいを感じた。
 それでも女の態度は変わらないままだった。俺の左足を見ても眉一つ動かさなかった。表情が乏しいだけかと思ったが、俺が猫に絡まれていた時は自然な笑顔を浮かべていた。
 好きに使っていいと言われた部屋は、普段物置きとして使っているようだが、布団を引くには十分なスペースがあって閉鎖感は感じられなかった。
 出された食事も旨くて、至れり尽くせりすぎて少し戸惑ったのは言うまでもない。初対面の俺にここまでしてくれる女の優しさに戸惑うばかりだった。

 それが丁度一ヶ月前の話だ。女との生活は穏やかで、知的欲求を満たすには事欠かない日々だった。しかし、俺がここに来た理由は分らずじまいのままだ。
 むしろ、帰り方どころか謎が深まっている。唯一の手掛かりは数少ない所持品である手帳に書き記した遺跡の文字と、いつの間にやらポケットに入っていた見知らぬ鍵だけ。
 あれから毎日のように図書館で調べものを続け、今じゃ外出も買い物も一人で行けるほどだった。おかげで、この国の言葉である日本語も大分話せるようになってきた。
 だが、それよりも先に知るべき事があった。それが、女の名前だった。名前だぞ名前!普通、最初に教えるもんだろうがぁ!
 聞かなかった俺も悪いが、気付いた時にはタイミングを逃していたのだ。よく分からん気恥ずかしさもあって訪ねられないまま一か月近く過ぎてしまった。

 「俺、まだアンタの名前…聞いてねぇんだけど」
 「ん?ああ、そうだね」

 悶々と悩み続けるのにも疲れた俺は、等々、直接問うことにしたのだ。まだ言いなれない朝の挨拶を送ってから、廊下兼縁側で珈琲を飲む彼女の横に腰かけていた。
 この国、日本には降水量が増える梅雨と云うものまであった。オートメイルの俺にとっては大佐同様に湿度は厄介なのだが、この家の雨に塗れた庭を眺める時間は嫌いじゃなかった。
 紫陽花と言うらしい花が咲き誇り、苔の絨毯が青々と瑞々しく、白地に青花水瓶へと雨粒が落ちる音は心地よい。見た目は違えど故居のリゼンブールを思い起こさせる風景だった。
 ついつい腰を降ろしてしまった俺は、足に障ることも忘れて手に持っていた一冊の文庫本を広げた。物置にあった剣と魔法なる世界の本は、暇つぶしには丁度いい。
 俺は左足の膝上を撫でながら静かに言葉の続きを待ち続ける。相手も言い出すタイミングを逃したのかと思っていたけれど、これは完全に忘れていた人間の反応だった。
 それには文句の一つでも言ってやりたかったが、ちらりと伺い見た彼女はシチューみたいに蕩ける微笑みを浮かべていたものだから、つい口籠ってしまう。

 「私の名前はカツリ、カツリ・イシガネ」

 やっと知りえた喜びからか口元は勝手に緩む。ひっそりと名を繰り返していれば、無性に腹の底がこそばゆくなった。俺はこの笑みを向けられると、どうしていいか分からなくなる。
 目を反らしたいのに一秒でも見つめていたくて、胸が早鐘を打ち出すのだ。吊られて溶け出しそうになった頬に力を籠めると、俺は気を紛らわせるように別の疑問を口にしていた。

 「仕事、何をしてる?ずっと家にいる」
 「私の仕事は翻訳家。英語…アメストリス語を日本語に訳す仕事だよ。今、エドワード君が持っているソレとか」
 「へ~」

 彼女はどんな質問にも嫌な顔一つせずに答えてくれる。自身の事は勿論、ここでの常識やルール、物の名前からの仕組みまで色々聞いたが、その度に丁寧な説明が返してくれた。
 専門的な知識が無いものですら触り程度は教えてくれるから、図書館での本探しも用意だった。そうして様々な知識を得た俺は、この世界が別世界であると気づいていた。
 事細かく詳細に記されたな世界地図を初めて見た時は、思わず乾いた笑いが漏れた。何処を探してもアメストリスの名はなく、絶望に似た焦燥感に襲われたのだった。
 そして、俺が知った事を彼女も気づいている。図書館で世界地図を見たことを告げた時には、普段と変わらぬ声で「そう」と返しつつも、酷く寂しそうな顔をしていたからだ。
 隠していた訳じゃないのだろう。それでも直向きに黙秘しているアイツは、俺以上に悲嘆な表情を浮かべていた。それからだ、彼女に対して想うところが増えたのは。

 「ソレ、読まない方がいいよ」
 「何で?」
 「困ると思うから」
 「…何で?」
 「読めば分かる」

 読まない方がいいと告げておいて、問えば反対の言葉を返してくるのだから、なんだそれと睨みたくもなる。しかし、それでも彼女は揶揄うでもなく庭先を眺めていた。
 訳が分からんと頭を掻きながらも、俺は読みかけの本へと意識を戻す。物語の中では主人公が、上半身は人間の女性で下半身は魚の人魚と呼ばれるモンスターと出会っていた。
 船上と海面で行われる会話に視線を走らせつつ、また右足を擦っていく。どうしても雨の日や湿度の高い日は古傷が鈍く痛むから、こうして労わるのは癖のようなものだった。
 ページを捲る為に手を離したタイミングで、オートメイルの付け根に自分以外の体温が触れる。そこには、ケロイドの跡を滑る白い手があった。
 瞠目する俺をよそに、彼女は鋼の足を見つめたまま何も語らない。ひきつった肌に掌の熱を注ぎ込むような動きに首の後が途端に熱くなる。
 それでも退かす気にはなれず、俺はくすぐったさを飲み込みながら読書に戻った。石の板を重ねた屋根に、ぽつりぽつりと雨粒が落ちる音色だけが辺りを満たしていく。
 雨の日は憂鬱しいだけで何一つ楽しい記憶はなかった。体を取り戻す旅の頃は、雨と共に自分達の無力さを嫌って程に突き付けられたものだ。
 それなのに今は不思議と安心感すら感じている。肌越しの優しさを甘受していれば、互いの熱が交じり合い境目が薄れていく。それが堪らなく心地よかった。
 微睡みにも似た心地で文字を追っていた俺は、不意な展開に目玉をひんむき、けたたましく本を閉じていた。ドドドドと心臓は騒がしく、顔は火が出そうな程に暑い。

 「だから、貴方は困ると言ったのに」
 「こ!…この、話、な、思って…」

 濃厚なキスシーンがあるならあると言ってくれ。俺は真っ赤だろう顔を本で隠しながら馬鹿正直に狼狽えていた。いつの間にやら彼女の手も離れている。
 それでも、ごめんごめんと平謝りで本を奪っていこうとする手から逃れたのは、なけなしの意地だった。俺だって、もう大人なんだ!これぐらい平気だ!
 しばし沈黙を交わした後、彼女は「珈琲、入れてくる」と微笑んでから腰を上げた。その後姿を見送った俺は、まだ感触の残る太腿を抱き寄せてから、羞恥心を噛み殺したのだった。
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