完全無欠の包囲網
◆ ジャック視点
「ジャックくん。お久しぶりですね」
学生の頃もすでに低かった声はより深みが増しさらにそこに艶が追加されていた。ジャックは美しく揺蕩うウイスキーが入ったグラスから視線を上げる。
視線を向けた先に立っていた男は記憶しているよりも大人になっていた。当たり前だ。ジャックが彼を最後に見たのは卒業式だ。あのときジャックは十八歳、男は十九歳だった。今目の前にいる彼は十年近い歳月を重ねた大人の男になっていた。
「お久しぶりっす、ジェイド先輩」
「ふふ。その呼び方も懐かしいですね」
「くすぐったいです」と言って薄い唇に指を添えるジェイド。学生の頃もしていた仕草だのに三十代を前にした男がすると色っぽさを感じるのは何故だろうか。
ジャックと言えば二メートルを越えた体躯に顔は強面にさらに磨きがかかったというところだ。お蔭で女相手の諜報活動は役に立たない。いや、色仕掛け的に役に立たないが普通の相手ならと心の中で反論して頭を振る。普通の相手でも何故か狂うので役に立っていない。自分は仕事でしているだけなのだが相手の何の琴線に触れているのか。ジャック自身今も分からない。
「で、ジャックくんから僕に連絡をするなんて卒業後初めてではありませんか?」
席に座って注文するジェイドに我に返ったジャックは「そうっすね」と素っ気なく切り返す。そして、飲みかけのグラスを片手に取ってどう切り出すかと今さら考える。いや、彼がここに来るまでずっと考えていた。今まで相手にしてきた人間とこの男は違う。それを念頭に置きながら世間話のように切り出すことにした。
「先輩って今もアズール先輩たちと一緒に働いているんすよね?」
「はい。ただ僕自身も趣味で経営している会社がありますけど」
ジェイドは頼んだ淡いシャンパン色のカクテルを口にしながら長い睫が影を作る。
何と様になる美しい姿だろうか。ジャックは中身があれじゃなければ引く手あまただろうなと心の中で感心してグラスの中身を飲み干す。
――男も男でこういう綺麗な人の方が色仕掛けは利くんだろうなぁ。
見た目が厳つい自分ではやっぱり色仕掛けは無理だと今はっきりとした。たまにボスが無茶ぶりのごとく色仕掛けを含んだ任務を投げて来る。でも、これで断る理由が出来た。ジェイドに一人感謝していると再びジェイドが近状を訊ねるような質問を投げかけて来た。
「ジャックくんは今どんなお仕事を?」
「警察官っす」
ひとつ前の職業を答える。卒業後に数年ほど警察官として働いていた。だが、ある事件で現在の魔法執行官として派遣されたボスに見初められた。その後、難関と名高い試験をパスし魔法執行官への道を歩むこととなり今のジャックがいる。
「ほう。それは貴方らしい」
グラスから口を離し薄く微笑み切れ長の瞳さえも細くする。含みのあるジェイドの表情にジャックは用心深く口を開く。
「どうせ直近の卒業生の就職先くらい調べはついてんだろ」
「もちろん。あの学園の卒業生には優秀な方がたくさんいましたからね」
「あ、ジャックくんもですよ」と付け足すジェイドに抜け目ないなと警戒レベルを一段引き上げる。ジェイドはきっと知っているに違いない。ジャックがすでに警察官から魔法執行官と職を変えていることを。さらに魔法執行官として情報収集活動をしていることを。
無駄な警戒をするだけ時間の無駄だろう。ジャックはジェイドを真っ直ぐ見据える。
「どうせあんたは全部分かってんだろうな」
同じ母校で先輩後輩として面識のあったジャック。それを利用して情報収集して来い、と命じたのはボスだ。確かに理にかなっている。それにこの男はただの一般人ではない。いくら諜報活動が得意な執行官がいたとしてもうまく立ち回れないだろう。いや、愉しいことを好むジェイド相手ならばその方がよかったかもしれない。ただ、その執行官がこの男の沼にハマっていく可能性もない。それほど一筋縄でいかない男なのだ。いや、そもそもナイトイレブンカレッジを卒業した男たちが一筋縄でいくなんて思わないでほしい。
「さて、〝魔法執行官〟になったジャックくん。一体僕から何を聞き出したいんですか?」
真っ直ぐ見据えた先にいるのはとても愉しげな顔をしたジェイドだった。そのワクワクした様子は学生の頃と変わらない。この男は、といつの間にかつめていた息を吐き出して汗が滲む項を拭う。
この男はジャックとの駆け引きを愉しんでいる。とはいえ、ジャックがいまだにそうしたことに不得意でとも織り込み済みのはずだ。
「ったく、あんたは本当にやり辛い」
「褒め言葉として受け取って起きます――でも、僕は今とても楽しいです」
「ッ」
僅かに身を乗り出したジェイドにジャックは得も言えぬ寒気に襲われる。背筋に悪寒が走る。魔法執行官となって何度となく修羅場を切り抜けて来た。でも、今背筋にヒヤリと寄り添う悪寒は違う。これは十年ほど前にまだ黒い制服を身に纏った魔法士の卵と呼ばれていた頃に味わったものだ。
「怖がらないで」
低い柔らかい声をジャックの優秀な耳が拾う。一瞬子どものように馬鹿にしているのかと思える。台詞。だが、違う。これは違う。ジャックは冷や汗を流しながらジェイドを睨む。だが、薄い唇の隙間から鋭い牙を覗かせるウツボの人魚は目を細めるばかり。
このままでは本来の目的が達成できない。ジャックは視線を逸らしてグラスの中身を飲み干す。そして、気を取り直してジェイドを見やる。
「あくどい商売しているわけじゃねぇだろ」
「もちろん。真っ白な健全企業です」
身元が露見していることを踏まえてジャックは遠慮なく切り出す。質問をされたジェイド余裕な態度のまま耳から落ちた一房異なる色の髪の毛をかけ直す。その仕草の色に目を眇めながら「けどある組織の人間からここの名前が上がった」とカウンターを叩く。
「おや。そうなんですか」
ジェイドはカウンター越しのバーテンダーを見る。つられるようにバーテンダーを見る。バーテンダーはグラスを拭く手を止めて「特になにもありませんでした」と答えた。それからまた素知らぬ顔でグラスを拭き続けた。
「だ、そうです」
微笑むジェイドにジャックは心の中で舌打ちをする。一筋縄で行かないと思っていた。そもそも学生の頃だってジェイドをはじめとしたオクタヴィネル寮に口で勝てた試しがない。だが、それでもやらなければいけない。
ジャックが所属する班は今「違法魔法道具取引」の調査をしていた。
魔法道具は作成や錬成できる魔法士は限られている。よって、多くの魔法道具は希少価値のついたプレミアものであった。中には一介の魔法士や一般人が手を出したらこの世とおさらばしてしまうものだってある。それを補完するのも魔法庁の役目であったりする。だが、ここ数年粗悪な魔法道具が裏社会で出回っている。それを使い抗争も起きている。おまけに、最近表社会にまで出て来て事件を引き起こしている。これに早急な解決を魔法庁が求めた。そうしてジャックは残業上等という生活をしている。
さて、そこでジャックの所属する班である一人の男を確保した。その男は裏社会の下っ端というには重要な情報を持っていた。男は裏取引の準備をする場所を知っているというのだ。会合場所はとあるバーだと。
「ここで疚しいことは一切しておりません。勿論、その場の提供もしていません」
愉しそうにニヤついていた顔が途端に真顔になる。その真意の読めない表情に一瞬目を瞠るがジェイドが嘘をついているとは思えなかった。とは言うのもその下っ端のことについて調べはついていた。その男はナイトレイブンカレッジを退学した魔法士の端くれみたいな奴だった。しかも退学理由にひとつにアズールたちの存在があった。これを機にみみっちい復讐をしようとしたらしい。本当にみみっちい。
「分かってるっす。それにあんたらならもっと現実的な稼ぎ方をするに違いねぇ。そもそもアズール先輩じゃなくてジェイド先輩の名前を出して来た時点で可笑しいと思ったんだ」
足を組み直してすっかり空になったグラスを見下ろす。学生時代の記憶にあるジェイドはアズールと異なり金儲けに興味はないと言っていた。彼が興味あるのは面白いこと。それがどんな危険であっても面白ければ手を出す。だが、今回の違法魔法道具の取引にそのような旨味は一切ない。
「それにそんなことが無断で違法行為が行われているとなれば――あんたはとっくに絞めているだろうなって」
お代わり、とバーテンダーに言う。バーテンダーは閉じていた瞳を開いてふっとやわらげた。それに何か答えを得た気がした。
「やっぱり絞めた後か」
「さぁ、どうでしょう?」
「しらばっくれるな」
そう詰め寄るもジェイドははぐらかすような態度をする。人魚らしい態度のままカランとグラスを揺らすと涼やかな氷はシャンパン色の液体の中でゆらりと溶けていた。まるでその様子はジェイドのもったいぶった態度と同じように見えた。
「はぁ。まぁ確認できただけでいいっす」
「おや? 追及はもう終わりですか?」
「どうせ答えねぇだろ」
つまらないですねと言いたげな顔を半眼で睨むと目の前に気配を感じた。それに向ければ静かにたたずむバーテンダーだった。バーテンダーと目が合うと柔らかく目尻が下り「どうぞ」と言われた。下に視線を向けると美しい琥珀色が再びグラスで煌めていた。
「ありがとうございます」
「いえ」
そう目礼するとバーテンダーは再び定位置に戻る。ジャックはそれを見送って溜息をついてグラスを手にする。
「ここの酒は美味いな」
「おや。本当にお話は終わりですか?」
「これ以上話しても情報をくれなさそうだからな」
自分の手腕がないとも言うがジェイド相手に延長戦は体力の無駄遣いだ。もしもっと情報を得たいなら日を改めた方がいい。ただ、延長戦になりやすいのがネックとなる。だから、本当はもう少し情報になりえるものを手土産にしたいが。
「今度、お時間ありますか?」
「あ?」
グラスに口を着けたままジェイドを見る。彼は中々に読み取れない微笑みを浮かべていた。これにジャックは警戒の体勢を取る。手にしていたグラスをカウンターに置きジェイド見すえる。
「何考えてやがる」
「酷いですねぇ。僕はジャックくんの〝お仕事〟のお手伝いをしようと思っているんですよ」
弓なりにしなるジェイドの左右異なる色の瞳。この愉悦に綻ぶ様にジャックは警戒するが一種特別な信頼があった。ジェイドは興味を持ったものにはとことん追求する。だが、それが自分以外の人間に特になる場合ただで提供する男でもない。ジャックは逡巡するけれど考えるまでもない。
「対価は俺のボスに請求してくれ」
「ふふ。話しが早くて助かりますが――それはお断りします」
「は?」
予想外な返答にジャックは片眉を上げ怪訝な面持ちでジェイドを見る。ジェイドは「それじゃつまらないです」と牙を見せた。ジャックは瞬時に心の中で下を打ち鳴らした。どうやらジャック自身に対価を払わせるつもりだ。やっぱり安くない男だ。だが、ここで引にはジェイドの人脈は惜しい。やはりジャックは瞬時に答えを導き出した。
「分かった。俺が支払う。つっても、魔法執行官の給料もたかがしれている。金でなくたって俺の階級はまだ下っ端だからな。碌な情報も持ってねぇ」
「ふふ。分かっていますよ」
「そこは安心してください」と言うけれど怪しいところだ。
ジャックはもう後戻りできないことに苛立ちながらグラスの中身を飲み干す。そして、バーテンダーに「もう一杯」と言う。
「そんなに飲んで平気なんですか?」
「これくらい何ともねぇっす」
フンと鼻を鳴らしながらウイスキーのお代わりを持つ。そして、舌に残るウイスキーにふと先ほど話しかけたことを思い出す。
「どこ産のウイスキーなんだ?」
「知りたいですか?」
「まぁな。できれば買いたいくらいだ」
「それはそれは。ふふ、オーナーとしては嬉しい限りです」
純粋に喜ぶジェイドにようやっと任務の話が終わったと肩の力を抜く。そして、再び置かれたグラスに注がれた琥珀を見つめる。やはりとても美しいウイスキーだ。これは相当高いんだろうか。でも、これくらいなら今の給料なら十分買える。
「いつでも飲み来てください」
「教えてくれねぇんすか?」
「上客を逃すのは惜しいので」
「ボトルキープはしておきますよ」という甘い誘い文句にそれはいいなと思った。ただ、ここは今捜査上に上がっているバーだ。まだ当分通うことはできない。
「早く終わればいいですね」
「そうだな」
この酒も早く純粋に楽しみたいものだ。そう思いながらこれから怒涛の勤務時間に気分が疲れながら飲み干した。
「ジャックくん。お久しぶりですね」
学生の頃もすでに低かった声はより深みが増しさらにそこに艶が追加されていた。ジャックは美しく揺蕩うウイスキーが入ったグラスから視線を上げる。
視線を向けた先に立っていた男は記憶しているよりも大人になっていた。当たり前だ。ジャックが彼を最後に見たのは卒業式だ。あのときジャックは十八歳、男は十九歳だった。今目の前にいる彼は十年近い歳月を重ねた大人の男になっていた。
「お久しぶりっす、ジェイド先輩」
「ふふ。その呼び方も懐かしいですね」
「くすぐったいです」と言って薄い唇に指を添えるジェイド。学生の頃もしていた仕草だのに三十代を前にした男がすると色っぽさを感じるのは何故だろうか。
ジャックと言えば二メートルを越えた体躯に顔は強面にさらに磨きがかかったというところだ。お蔭で女相手の諜報活動は役に立たない。いや、色仕掛け的に役に立たないが普通の相手ならと心の中で反論して頭を振る。普通の相手でも何故か狂うので役に立っていない。自分は仕事でしているだけなのだが相手の何の琴線に触れているのか。ジャック自身今も分からない。
「で、ジャックくんから僕に連絡をするなんて卒業後初めてではありませんか?」
席に座って注文するジェイドに我に返ったジャックは「そうっすね」と素っ気なく切り返す。そして、飲みかけのグラスを片手に取ってどう切り出すかと今さら考える。いや、彼がここに来るまでずっと考えていた。今まで相手にしてきた人間とこの男は違う。それを念頭に置きながら世間話のように切り出すことにした。
「先輩って今もアズール先輩たちと一緒に働いているんすよね?」
「はい。ただ僕自身も趣味で経営している会社がありますけど」
ジェイドは頼んだ淡いシャンパン色のカクテルを口にしながら長い睫が影を作る。
何と様になる美しい姿だろうか。ジャックは中身があれじゃなければ引く手あまただろうなと心の中で感心してグラスの中身を飲み干す。
――男も男でこういう綺麗な人の方が色仕掛けは利くんだろうなぁ。
見た目が厳つい自分ではやっぱり色仕掛けは無理だと今はっきりとした。たまにボスが無茶ぶりのごとく色仕掛けを含んだ任務を投げて来る。でも、これで断る理由が出来た。ジェイドに一人感謝していると再びジェイドが近状を訊ねるような質問を投げかけて来た。
「ジャックくんは今どんなお仕事を?」
「警察官っす」
ひとつ前の職業を答える。卒業後に数年ほど警察官として働いていた。だが、ある事件で現在の魔法執行官として派遣されたボスに見初められた。その後、難関と名高い試験をパスし魔法執行官への道を歩むこととなり今のジャックがいる。
「ほう。それは貴方らしい」
グラスから口を離し薄く微笑み切れ長の瞳さえも細くする。含みのあるジェイドの表情にジャックは用心深く口を開く。
「どうせ直近の卒業生の就職先くらい調べはついてんだろ」
「もちろん。あの学園の卒業生には優秀な方がたくさんいましたからね」
「あ、ジャックくんもですよ」と付け足すジェイドに抜け目ないなと警戒レベルを一段引き上げる。ジェイドはきっと知っているに違いない。ジャックがすでに警察官から魔法執行官と職を変えていることを。さらに魔法執行官として情報収集活動をしていることを。
無駄な警戒をするだけ時間の無駄だろう。ジャックはジェイドを真っ直ぐ見据える。
「どうせあんたは全部分かってんだろうな」
同じ母校で先輩後輩として面識のあったジャック。それを利用して情報収集して来い、と命じたのはボスだ。確かに理にかなっている。それにこの男はただの一般人ではない。いくら諜報活動が得意な執行官がいたとしてもうまく立ち回れないだろう。いや、愉しいことを好むジェイド相手ならばその方がよかったかもしれない。ただ、その執行官がこの男の沼にハマっていく可能性もない。それほど一筋縄でいかない男なのだ。いや、そもそもナイトイレブンカレッジを卒業した男たちが一筋縄でいくなんて思わないでほしい。
「さて、〝魔法執行官〟になったジャックくん。一体僕から何を聞き出したいんですか?」
真っ直ぐ見据えた先にいるのはとても愉しげな顔をしたジェイドだった。そのワクワクした様子は学生の頃と変わらない。この男は、といつの間にかつめていた息を吐き出して汗が滲む項を拭う。
この男はジャックとの駆け引きを愉しんでいる。とはいえ、ジャックがいまだにそうしたことに不得意でとも織り込み済みのはずだ。
「ったく、あんたは本当にやり辛い」
「褒め言葉として受け取って起きます――でも、僕は今とても楽しいです」
「ッ」
僅かに身を乗り出したジェイドにジャックは得も言えぬ寒気に襲われる。背筋に悪寒が走る。魔法執行官となって何度となく修羅場を切り抜けて来た。でも、今背筋にヒヤリと寄り添う悪寒は違う。これは十年ほど前にまだ黒い制服を身に纏った魔法士の卵と呼ばれていた頃に味わったものだ。
「怖がらないで」
低い柔らかい声をジャックの優秀な耳が拾う。一瞬子どものように馬鹿にしているのかと思える。台詞。だが、違う。これは違う。ジャックは冷や汗を流しながらジェイドを睨む。だが、薄い唇の隙間から鋭い牙を覗かせるウツボの人魚は目を細めるばかり。
このままでは本来の目的が達成できない。ジャックは視線を逸らしてグラスの中身を飲み干す。そして、気を取り直してジェイドを見やる。
「あくどい商売しているわけじゃねぇだろ」
「もちろん。真っ白な健全企業です」
身元が露見していることを踏まえてジャックは遠慮なく切り出す。質問をされたジェイド余裕な態度のまま耳から落ちた一房異なる色の髪の毛をかけ直す。その仕草の色に目を眇めながら「けどある組織の人間からここの名前が上がった」とカウンターを叩く。
「おや。そうなんですか」
ジェイドはカウンター越しのバーテンダーを見る。つられるようにバーテンダーを見る。バーテンダーはグラスを拭く手を止めて「特になにもありませんでした」と答えた。それからまた素知らぬ顔でグラスを拭き続けた。
「だ、そうです」
微笑むジェイドにジャックは心の中で舌打ちをする。一筋縄で行かないと思っていた。そもそも学生の頃だってジェイドをはじめとしたオクタヴィネル寮に口で勝てた試しがない。だが、それでもやらなければいけない。
ジャックが所属する班は今「違法魔法道具取引」の調査をしていた。
魔法道具は作成や錬成できる魔法士は限られている。よって、多くの魔法道具は希少価値のついたプレミアものであった。中には一介の魔法士や一般人が手を出したらこの世とおさらばしてしまうものだってある。それを補完するのも魔法庁の役目であったりする。だが、ここ数年粗悪な魔法道具が裏社会で出回っている。それを使い抗争も起きている。おまけに、最近表社会にまで出て来て事件を引き起こしている。これに早急な解決を魔法庁が求めた。そうしてジャックは残業上等という生活をしている。
さて、そこでジャックの所属する班である一人の男を確保した。その男は裏社会の下っ端というには重要な情報を持っていた。男は裏取引の準備をする場所を知っているというのだ。会合場所はとあるバーだと。
「ここで疚しいことは一切しておりません。勿論、その場の提供もしていません」
愉しそうにニヤついていた顔が途端に真顔になる。その真意の読めない表情に一瞬目を瞠るがジェイドが嘘をついているとは思えなかった。とは言うのもその下っ端のことについて調べはついていた。その男はナイトレイブンカレッジを退学した魔法士の端くれみたいな奴だった。しかも退学理由にひとつにアズールたちの存在があった。これを機にみみっちい復讐をしようとしたらしい。本当にみみっちい。
「分かってるっす。それにあんたらならもっと現実的な稼ぎ方をするに違いねぇ。そもそもアズール先輩じゃなくてジェイド先輩の名前を出して来た時点で可笑しいと思ったんだ」
足を組み直してすっかり空になったグラスを見下ろす。学生時代の記憶にあるジェイドはアズールと異なり金儲けに興味はないと言っていた。彼が興味あるのは面白いこと。それがどんな危険であっても面白ければ手を出す。だが、今回の違法魔法道具の取引にそのような旨味は一切ない。
「それにそんなことが無断で違法行為が行われているとなれば――あんたはとっくに絞めているだろうなって」
お代わり、とバーテンダーに言う。バーテンダーは閉じていた瞳を開いてふっとやわらげた。それに何か答えを得た気がした。
「やっぱり絞めた後か」
「さぁ、どうでしょう?」
「しらばっくれるな」
そう詰め寄るもジェイドははぐらかすような態度をする。人魚らしい態度のままカランとグラスを揺らすと涼やかな氷はシャンパン色の液体の中でゆらりと溶けていた。まるでその様子はジェイドのもったいぶった態度と同じように見えた。
「はぁ。まぁ確認できただけでいいっす」
「おや? 追及はもう終わりですか?」
「どうせ答えねぇだろ」
つまらないですねと言いたげな顔を半眼で睨むと目の前に気配を感じた。それに向ければ静かにたたずむバーテンダーだった。バーテンダーと目が合うと柔らかく目尻が下り「どうぞ」と言われた。下に視線を向けると美しい琥珀色が再びグラスで煌めていた。
「ありがとうございます」
「いえ」
そう目礼するとバーテンダーは再び定位置に戻る。ジャックはそれを見送って溜息をついてグラスを手にする。
「ここの酒は美味いな」
「おや。本当にお話は終わりですか?」
「これ以上話しても情報をくれなさそうだからな」
自分の手腕がないとも言うがジェイド相手に延長戦は体力の無駄遣いだ。もしもっと情報を得たいなら日を改めた方がいい。ただ、延長戦になりやすいのがネックとなる。だから、本当はもう少し情報になりえるものを手土産にしたいが。
「今度、お時間ありますか?」
「あ?」
グラスに口を着けたままジェイドを見る。彼は中々に読み取れない微笑みを浮かべていた。これにジャックは警戒の体勢を取る。手にしていたグラスをカウンターに置きジェイド見すえる。
「何考えてやがる」
「酷いですねぇ。僕はジャックくんの〝お仕事〟のお手伝いをしようと思っているんですよ」
弓なりにしなるジェイドの左右異なる色の瞳。この愉悦に綻ぶ様にジャックは警戒するが一種特別な信頼があった。ジェイドは興味を持ったものにはとことん追求する。だが、それが自分以外の人間に特になる場合ただで提供する男でもない。ジャックは逡巡するけれど考えるまでもない。
「対価は俺のボスに請求してくれ」
「ふふ。話しが早くて助かりますが――それはお断りします」
「は?」
予想外な返答にジャックは片眉を上げ怪訝な面持ちでジェイドを見る。ジェイドは「それじゃつまらないです」と牙を見せた。ジャックは瞬時に心の中で下を打ち鳴らした。どうやらジャック自身に対価を払わせるつもりだ。やっぱり安くない男だ。だが、ここで引にはジェイドの人脈は惜しい。やはりジャックは瞬時に答えを導き出した。
「分かった。俺が支払う。つっても、魔法執行官の給料もたかがしれている。金でなくたって俺の階級はまだ下っ端だからな。碌な情報も持ってねぇ」
「ふふ。分かっていますよ」
「そこは安心してください」と言うけれど怪しいところだ。
ジャックはもう後戻りできないことに苛立ちながらグラスの中身を飲み干す。そして、バーテンダーに「もう一杯」と言う。
「そんなに飲んで平気なんですか?」
「これくらい何ともねぇっす」
フンと鼻を鳴らしながらウイスキーのお代わりを持つ。そして、舌に残るウイスキーにふと先ほど話しかけたことを思い出す。
「どこ産のウイスキーなんだ?」
「知りたいですか?」
「まぁな。できれば買いたいくらいだ」
「それはそれは。ふふ、オーナーとしては嬉しい限りです」
純粋に喜ぶジェイドにようやっと任務の話が終わったと肩の力を抜く。そして、再び置かれたグラスに注がれた琥珀を見つめる。やはりとても美しいウイスキーだ。これは相当高いんだろうか。でも、これくらいなら今の給料なら十分買える。
「いつでも飲み来てください」
「教えてくれねぇんすか?」
「上客を逃すのは惜しいので」
「ボトルキープはしておきますよ」という甘い誘い文句にそれはいいなと思った。ただ、ここは今捜査上に上がっているバーだ。まだ当分通うことはできない。
「早く終わればいいですね」
「そうだな」
この酒も早く純粋に楽しみたいものだ。そう思いながらこれから怒涛の勤務時間に気分が疲れながら飲み干した。
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