ジェイド × ジャック

ああ、怖がらないで



 ジャックは昼寝から目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。目を閉じる前は確かに母と一緒にいたのに。見たことのない明らかに自分の家ではない匂いに満ちる部屋。この間嫌いな注射をしに行った病院と似た匂いもする。この状況は〝子ども〟のジャックを不安に駆り立てるのに十分だった。

「おか、おかぁさん?」

 恐る恐る呼んでみるも返事はない。返事がないとさらに不安が募る。

「おかーさんっ、おかあさんッ! おとうさんッ! おとーさんッ!」

 何度も、何度も呼んでも母はおろか父さえも出てこない。ジャックは怖さに尻尾を丸めて腰に回す。ここにもういたくはないと丁寧にかけられたブランケットを外してベッドから降りようとしたが。

「た、たかぃ」

 ぷらん、と小さな足が揺れる先にある床は随分遠くにあった。いつもはぴょんと跳ねれば届く高さなのに今は遠い。

「ぇ、え、ぁ、おかあさぁんっ!」

 呼んでも来ない母を呼んでついに涙腺が崩壊した。キャンキャンと声をあげて泣けばいつも母か父が駆けつけてくれる。でも、今日はどんなに泣いても誰も来ない。ならばもっといっぱい声をあげなければとさらに大きな声を上げて泣いていると――。

「おや。どうしたんですか?」

 聞き慣れぬ低い声に泣いていたジャックはふいに止まる。しゃくりを上げながら声がする方を向けばやはり知らない男の人がいた。
 突然見知らぬ場所に来て、呼んでも来ない両親、そこへ見知らぬ怖そうな男の人が出て来た。これにジャックの限界の糸がプチと途切れた。

「ふぇ、ふっ、うぇええええええっっっっ! やぁだぁあああああああっっっっ!」



    ◆ ◆ ◆



「おやおや。困りましたね」

 ジェイドは困り眉になって爆音で泣き喚く仔狼ことジャックを遠くから見つめる。本来泣いているなら近寄って慰めたい。だが、あまりにも爆音で泣き喚くため耳が潰れそうで近づけない。現に今も一応離れたのに耳が痛い。

「どうやら中身まで幼児になってしまったみたいですね」

 ふぅと溜息をついてキャンキャン泣き続けるジャックを見やる。



 ことの始まりはつい二時間ほど前の魔法薬学の実験室。そこで行われていた実験は発芽に一ヶ月かかる魔法植物に成長薬をかけて発芽させるというもの。この実験での課題はその『成長薬』であった。発芽させる植物に合わせて精製するために二年生が一年生を補佐する形式で行われた。
 ジェイドはジャックとペアとなり順調に薬を精製していたのだがここはナイトレイブンカレッジ。一日一回は何かしら騒動が起きると言っても過言ではない魔法士養成学校。さらに実験には失敗がつきもの。

「うわっ! やべっ!」

 どこから聞こえた声にいち早く反応したのはやはりジャック。どこからともなく明らかに何かが起きそうな声にジェイドが振り返る前に引っ張られた。そして、立場を入れ替える形でジャックがジェイドのところに立つと。

「ッ!」
「ジャックくん!」

 バシャなんて比じゃない。バッシャンである。小さな鍋の中身がジャックの大きな身体に全てかかったのだ。その光景を目にしたジェイドがマジカルペンを片手に駆け寄るよりも早くジャックの身体は眩い魔法の粉に包まれ真白に輝いた。

「ッ、」

 あまりの眩さに目を瞑るがその輝きはすぐに収束し消えていく。ジェイドはすぐに目を慣らしてジャックを確認しようとしたがそこに姿はなかった。いや、なかったのではない。ジャックが立っていた場所にいたのは小さな、小さなジャックだった。

「ジャックくんっ」

 我に返ったジェイドはすぐにジャックに駆け寄る。実験着ごと抱き上げるとくたっと身体の力が抜けていた。その様子に一瞬息を飲んだがすぐに穏やかな呼吸が聞こえて来た。小さなジャックはどうやら気を失っているだけだったようだ。

「よかった」

 ジェイドはひと安心して胸を撫でおろす。そして、ふいに襲い掛かってきた焦燥感はアズールのオーバーブロットのときのようであった。何も無さそうでよかった安心感さえも同じで思わず苦笑を零しつつジェイドはジャックを抱え直す。そこへ近づいて来た険しい表情をしたクルーウェルに腕の中のジャックを見せる。

「成長薬を被って仔犬になったのか」
「そのようです。今はただ気を失っているようです」

 そもそもジャックが被ったのは成長薬ですらなかったと見える。けど、今はそれよりも、植物にかける成長薬の失敗薬を人間がかかっても大丈夫なのか。さらにジャックは獣人属だ。身体的に何かこれ以上問題はないのだろうか。

「とりあえず保健室に連れて行け。俺もすぐ行く」
「はい」

 言われなくとも、というようにジェイドは実験着を魔法で脱いで実験室を後にした。
 それからクルーウェルの見立てで問題はないとなった。それでもジャックはすぐに目覚めることはなかった。その後も様子を見に何度も何度も来ているときにジャックが目を覚ました。だが、まさかここまで盛大に泣かれるとは露ほど考えていなかった。

「困りましたねぇ」

 ズキズキ痛む胸の痛みを隠しながら困ったように呟く。すると背後でカツンという高飛車な靴音がした。振り返るとそこには様子を見に来たクルーウェルがいた。

「何があった。リーチ・兄」

 兄ではないが、と思いながらジェイドは苦笑しながら「泣かれてしまいました」と言う。険しい顔をさらに険しくさせながらクルーウェルはジェイドの横を通り過ぎる。子どもが苦手そうに見えるのに大丈夫なのかと引き留めずに行かせると――。

「ぎゃあああああああああッッッ! くんにゃぁあああああああッッッ!」
「うぐっ」
「わぁ」

 結果、さらに甲高く泣き出した。もう傍から見れば十中八九可哀想と言われるほど耳を伏せて、尻尾を身体に巻きつけている。ついでに短い腕を必死に振って距離を取ろうとしている。なんて無駄な、いや健気なことだ。

「おい。もしかして中身まで後退したのか!」
「そのようで、僕も兼ね同じように泣かれました」
「先に言え!」

 耳を塞ぐクルーウェルにジェイドは笑むだけ。

「さて、どうしましょうか」
「どうもこうも泣き止ませるしかないだろう」

 ふぅと息をつくと指揮棒を手に取って魔法を行使しようとするが――。

「やああああああああああッッッ! おかあああああさああああああんッッッ!」

 悪趣味なマジカルペンが仇となった。ぶたれると思ったのかさらに雄叫びを上げて泣くジャック。

「クルーウェル先生、悪趣味がたたりましたね」
「シット」

 珍しく傷ついたような顔をするクルーウェルに面白いものを見た気分になる。けれど、その奥で泣き喚く仔狼を見ればそう言っていられない。そもそも〝恋人〟であるジャックが自分を守って小さくなったのだ。今回ばかりは面倒くさくてもジェイドが面倒みようと考えていたが。

「これは難しいかもしれないですね」

 そのジェイドの考えは見事的を射たものとなった。



    ◆ ◆ ◆



「おやおや。ジャックくん、随分めそめそしていますね」
「ああ。先ほどクルーウェル先生と会ってしまったようですよ」

 真正面に座るアズールにやはりと頷きながらジャックを見る。
 ガヤガヤと昼食の騒めきの中、注目を集めるテーブルを見る。そこにはこの学園にはいるはずのない幼児を中心にして座っている。
 幼児ことジャックは折れた耳を伏せてまだ恐ろしさが残っているのだろうか大きな瞳がうるうるしている。その顔で抱き着かれているラギーは至極面倒くさそうにしながらも絆されているのが見え見えだ。いや、そもそもラギーは隠しているがあれでジャックを大層可愛がっている。さらに、その横に座って気にもかけていないような顔をしているレオナだって同類だ。

「まったくひねくれた面倒な保護者たちですね」

 そう思いませんか、と傍に居るフロイドとアズールに同意を求めると同時に溜息をつかれた。何という酷い反応か。

「なぁ~ジェイドぉ」
「なんですフロイド」

 もしゃもしゃと隣で何か食べていたフロイドが唐突に声をかけてきた。今忙しいので後にしてほしいが無視するとそれはそれで面倒なので返事をする。

「なんで双眼鏡なんて使ってんの?」
「野鳥の観察です」
「一応言っておきますが食堂に野鳥はいませんよ」
「ここはピーチクパーチク煩い鳥が多いもので」

 アズールのわかりきった言葉に内心では「わかっていますよ」と答える。だが、こうしなければ幼児となっていまだに戻らないジャックの様子がわからない。

「あー、ジェイドも嫌われてるんだもんね」
「嫌われているのはクルーウェル先生だけです」

 「僕は苦手意識を持たれているだけです」と付け足すのも忘れない。
 ジェイドは出会いがしらの印象が最悪だったのかいまだに苦手意識を抱かれている。本来世話を焼くはずだったジェイドは結局世話を焼くことができなかった。ラギーに「なにしてんの」と飽きられる始末。いや、ジェイド自身は世話を焼くつもりだったのだ。可愛い恋人だし、可愛い後輩だし。可愛いジャックはジェイドが近づくと傍に居る誰かの足に隠れてしまうのだ。それも可愛いがフロイドの影に隠れた瞬間はちょっと傷ついた。
 そのときはジェイド以上に印象が最悪だったクルーウェルの嫌われっぷりを見ると慰められる。それでも何度も言うが小さくなっても恋人に避けられるような態度取られるとジェイドでも辛い。

「いつもならあらゆる手段を使いますけど」
「小さいウニちゃんにそんなことしたらほんとに嫌われんじゃねぇの?」
「そうでしょうね」

 わかっている。フロイドやアズールが言うことはわかる。だから、ジェイドは静観の構えを取って大人しく双眼鏡で覗いているのだ。

「まぁ、食堂で双眼鏡はやめた方がいいですよ」
「うん。ストーカーみてぇだし」

 容赦ない身内にジェイドはやっと双眼鏡をデーブルに置いた。



   ◆ ◆ ◆



「こんにちは。ジャックくん」

 ジャックはちょっと苦手な人と遭遇してしまった。でも、挨拶されたならば挨拶は返さないといけない両親の言いつけ通り苦手な人の目を見て何とか口を動かした。

「こ、こんにちは」

 ぺこと下げた頭を上げて挨拶をしてきた人を見る。その人は切れ長の目を見開いて嬉しそうに微笑んだ。

「隣、座ってもいいですか?」
「ぇ、えっと、いいよ」

 ベンチはとっても広く空いている。なら断ってはいけない。こういう場所はジャック一人だけの場所ではないこともちゃんと教わっている。「どうぞ」と勧めるとちょっと苦手な人ことジェイドは距離を取って座ってくれた。それでもジャックはちょっと落ち着かない。

「ここで一人待っていたんですか?」

 話しかけて来たジェイドを見上げながら「うん」と頷く。「誰を?」と訊かれるのでジャックは「えっと」とまごつきながら返す。

「ラギーにいちゃんと、レオナにいちゃん、いっしょにせんせーによばれたから」
「おや。なら一緒に行けばよかったのでは?」
「えと、ね。すぐ戻るからって、それにさっきまで、かんとくせーたちいたから」

 眉をキュッと寄せるジェイドに慌てて付け足す。それでもその人の眉の間にある皺はなくならない。

「それでも危険では――ああ。なるほど」
「ん?」

 さらりと一部だけ違う髪の毛が揺れた。眉間に出来た皺が綺麗になくなって目尻のつり上がりも消えた。

「さすがレオナさんですね」
「レオナにーちゃんがどーしたの?」
「すごい魔法士だということです」
「ん? んん? そーだね」

 よくわからないけれどレオナがすごいことは小さなジャックでもわかっている。ぶっきらぼうな人でもあの人はせがんだら遊んでくれることも知っている。きっと優しい人なのだと思う。それを一度ラギーに言ったら笑って頭を撫でられた。

「ジャックくん。僕のこと怖いですか?」

 ラギーに頭を撫でられたことを思い出していたら不意にそんなことを訊ねられた。僅かに緊張した空気にジャックは「ぇ、えっと」と咄嗟に出なかった。でも、怖いわけではない。ただ、苦手というか気まずい。出会い頭にいきなり泣いて喚いて拒絶してしまったことが。
 ジェイドは眉を下げて少し悲しげに目を伏せた。ジャックは慌てた。大人も悲しくなるのか。泣くのか。子どもジャックの中にはそんなこと全然浮かばなかったから。

「ちが、ちがうんだ。おにーちゃんのことは、こわくない」
「本当ですか?」

 うん、うん、と首を動かす。その答えがよかったのかわからないけれど切れ長なの瞳が溶けた。じんわりと溶けた色違いの瞳は甘そうだなとジャックの大きな目に映った。

「なら、僕とお友だちになりませんか?」
「お友だち? ジェイドにぃちゃんと?」
「はい」

 「友だち……いいよ」と返せば薄い唇がほろりと綻ぶ。なんで子どもの自分と友達になって嬉しいのか。ジェイドという人はどうしてここまで嬉しそうにしているのか。ジャックは尻尾が落ち着かない心地がした。

「あの、ジェイドにーちゃん、ごめんな」
「何がです?」

 小首を傾げるジェイドにジャックは恐る恐る近づいて隣に座り直す。落ち着きのない尻尾を抱いて見上げる。

「ここに来たときにビックリしてジェイドにーちゃん見て泣いちゃって。ジェイドにーちゃんはあのおじちゃんと違って何もしなかったのに」

 隣で「ふぐっ」って声が聞こえたけれどジェイドは綺麗な笑みのままだった。僅かに唇の端が引き攣っているような気がするけれど。

「どーしたんだ?」
「い、いえ、なんでもないですよ」
「ん。でさ、ジェイドにーちゃんただ心配してくれたのにごめんな」
「そんなこと気にしなくていいんですよ」

 ふわっと頭を優しく撫でられる感触にジャックは既視感を覚えた。

「ジェイドにーちゃん、おれのあたまなでたことある?」
「おや。どうしてですか?」

 最後に折れた耳の根元を撫でるのも慣れている感じがした。

「なんか、んー、なんか、んぅんぅ~~~」

 どう言葉にしていいかわからない。自分が持ちうる言葉ではこの感じを説明することができなかった。

「なんか、うまかった?」

 とりあえず出した答えにジェイドが堪えきれず笑い吹き出した。それにさすがのジャックも恥ずかしくなった。

「わ、わらうなよ!」
「ふっ、ふふっ、いえ、その、ふっふふ、ごめんなさい」
「だから、わらう――ッ!」

 「笑うなッ!」と怒ろうとした瞬間ジャックはカツという怖い音を耳が拾った。

「ん、ジャックくん、どうし――ああ」

 ジェイドの声と共にカツカツという音と嫌な匂いが近づいて来る。

「フフ。ジャックくん、よければどうぞ」

 伸ばされる腕に縋りつくように飛びつく。そして、その腕の中でギュッと身体も尻尾も丸めて折れた耳も伏せる。
 こうしてジェイドはジャックにとって怖い人から逃げるシェルターのひとつになった。



   ◆ ◆ ◆


 ジェイドが小さなジャックと友達になった二日後。ジャックは元に戻った。しかし、小さな子どもだった頃の記憶はなかったようだ。だが、周りは可愛いジャックの動画をたくさん残していたため自分のやらかしに顔を赤らめたり、青ざめたりと大忙しだった。
 大きくなっても可愛い恋人が戻って来た。ジェイドは若干疲れ気味のジャックの頭をそっと撫でる。

「な、なんすか、ジェイド先輩」
「いえ、少し撫でたくて」

 いいこ、いいこ、とはいかないけれどいつものように気持ちよくなるように撫でていると。ジャックが「なんか」と話し出した。「なんです?」と問えば首が僅かに傾いて。

「……なんか前から思っていたんすけど、ジェイド先輩の撫でかたって懐かしいんすよね」

 「何でっすかね」と首を傾げるジャックにジェイドはただ笑みを深めたのだった。

「さぁ、何故でしょうね」



2021.11.09 加筆修正
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