ジェイド × ジャック

恋に我が身は燃え上がる



 体力育成の授業の前や運動をする前に軽食を取らないといけない。燃費が悪いのは自覚済みだから、午後一番にある飛行術の授業のためにいつもより少し多めに取ることにした。
 ジェイドの前にある盆にはボロネーゼ、デラックス・テリヤキサンド、豆と野菜のスープ、フルーツがたくさん盛ったワッフルが乗っている。その量とジェイドを見て皆が目を丸くさせる。とはいっても、驚いているのは一年生だけだろう。二年生から上は別に気にしている風がない。たまに、うげぇと顔を顰める者はいるけれど。

 そんな顔をアズールもしていたなとパスタをくるくるとフォークに巻きつけていく。けれど、上手く巻けない。ジェイドは顔を顰めて念のためにと取っておいていたスプーンを手に取る。それからスプーンを使って綺麗に巻いていく。
 もう少し深い皿にしてくれればいいのに。浮かんだ愚痴をこぼす代わりに開いた口に巻いたパスタを入れる。伸びていないパスタは学食ではそれなりのレベルだと思う。
 もぐもぐと昼食を静かに取っていると横に気配がした。

  ――おや、珍しい。

 多くの生徒はジェイドの傍に寄りつくことはない。寄りつくのは余程肝っ玉の据わった生徒か、図太い生徒くらいだ。そのどちらなのだろうな。自分を不愉快にさせないなら誰でも構わないと気にせず食べ続けていると。

「ジェイド先輩、隣いいっすか?」

 かけられた声に飲み込んだパスタが喉に一瞬だけ突っかかった。ごほっと思わず噎せると声をかけた生徒が「すんません!」と謝り背中を撫でた。背中を行き交う大きな熱に心臓がキュと締まった気がした。また寿命が短くなってしまった。
 小さく最後に噎せると遠慮がちに再び声をかけてきた。

「タイミング悪かったすね」
「い、いいえ。もう大丈夫です」

 口元を手で隠しながら遠くにある彼の顔を仰ぎ見る。

「ジャックくんでしたか」
「っす」

 ジェイドの背中から手を離したジャックが頭を下げた。そして、上げた顔は眉が下り申し訳なさそうな顔だった。そんな顔見たことがない。いつもどちらかといえば歯を剥いて威嚇するような怖い顔か、苦味ばしった顔ばかりだった。自分が噎せたことで彼の新しい一面が見えたというのが何だか微妙な気持ちだ。
 ジェイドは喉の詰まりを気にするように喉を鳴らしてから「どうぞ」と隣の席を勧める。ジャックは「ありがとうございます」とジェイドの勧めに素直に従って座った。

  ――近いですね。

 めったにない距離だ。キクラゲの原木の代償と、化粧水の代償のふたつの代償。そのためにモストロ・ラウンジでアルバイトをしてもらったときはこの距離はあったかもしれない。でも、こうしら日常生活では新鮮だった。

「あんた、意外に食べるんすね」
「え」

 別の方向に動いた思考が現状にたいして動き出す。横に座ったジャックの視線を辿るとジェイドの前の方にあった。ジェイドは「ああ」と苦く笑う。

「次の授業が飛行術なので食べておかないと放課後までもたないんです」

 「燃費が悪いもので」と付け足すのも忘れない。さて、これにジャックはどんな反応をするかと待つと「わかるっす」と頷き返された。

「俺も朝イチとか、午後いちの体力育成とか、飛行術ときはなるべく多く食べてます」
「そうなんですか……ところでジャックくん」
「ん? なんすか?」

 大きく切り取ったステーキを口に運ぶ途中だったジャック。その手を止めてパチパチと瞬きしながらこちらを見つめてくる。そのままずっと見つめていてほしい、なんて柄にもないことを考えながらジャックの盆を指さす。

「午後イチの授業は体力育成なんですか?」

 「僕は飛行術があるんですけどね」さりげなく次の授業の予定を告げる。体力育成も飛行術も、どちらもバルガスの授業だ。ジェイドが次に受ける飛行術は合同授業である隣のDクラスとだ。だとすると、ジャックは午後イチに体力系の授業はないと思うが。

「今日は体力育成も、飛行術もないっす」
「……では、この量はいつも?」
「うっす!」

 何かおかしなところでも、と言いたいような顔だった。ジェイドは拍子抜けした瞬間笑いが込み上げてきた。

「ふっふふ。なるほど、そうですか、ははっ」
「なんすか、いきなり」

 意味も分からず笑われたのが不愉快だったのかジャックは目を眇める。ジェイドは込み上げる笑を飲み込む。それから「すいません」と謝りながら目尻に浮かんだ涙を拭う。

「あんたの笑いのツボがわかんねぇ」

 運び途中だったステーキの切れ端を大きな口に運んだ。チラリと覗いた尖った犬歯は自分とはまた違った鋭さのようだった。
 触れてみたいかも、なんてことを考えながらジェイドも食事を再開する。
 お互い特別な会話はなかった。大量の昼食を黙々と食べ続けたが、ジェイドは何度か気づかれないようにジャックの様子を窺う。
 食べるスピードにサバナクロー寮生特有な早さはない。ジャックはゆっくりと味わうように食べている。その速度はひとりだからなのか。時折昼食を共にしている一年生たちのときでは彼はもっと違うのだろうか。何度か見かけたことがあるが――。

「あ。ジェイド先輩」

 無心で食べていたデラックス・テリヤキサンド。その最後のひと欠片を飲み込んだところだった。何ですか、と口を開く前だった唇の端に何かが触れて拭うように動いたのは。
 ぐいっと拭われた感覚になんだとジャックを見つめ続けていれば。

「ついてるっすよ」

 ほら、と親指を見せるジャック。確かに、その指はサンドウィッチに使っているテリヤキのソースが付着している。

「ほんとうですね……すいません」
「いいっすよ」

 ジェイドに親指を見せ終わったジャックはテーブルにある紙ナプキンで指を拭った。
 創作物の定番的な流れにはならないのか。なんて馬鹿なことを考えながら凝視してしまう。彼はそれから素知らぬ顔でスパークリングウォーターに口をつけていた。まるで慣れていますという感じに他の人にも同じことをしているのだろうか。たとえば、と浮かぶ顔が頭に浮かんで今度は胸がズキズキ痛くなる。
 嫌だな、とすぐに頭に浮かぶ面子を消すように小さく頭を振る。それから胸の痛みを消すように口を開く。

「ジャックくんは綺麗に食べていますね」
「そうっすか?」
「ええ」

 唇の端に着いてもいない。皿にデカデカとあったステーキもソースまで綺麗になくなっている。両親の教育の賜物だろうか。そういえば、モストロ・ラウンジに来店したときもとても綺麗にケーキを食べていた。

「そういえばデザートは頼まなかったんですか?」

 洋ナシのコンポートが好きなジャックは甘い物も好む。昼食にデザートを買うことも多いくらいに。でも、今日の彼の前にはデザートがない。ジャックはジェイドを訝しむことなく首を振った。

「今月は金欠なんでこれだけっす」

 僅かに伏せる耳に今度は心臓がキュンとする。そういうところ獣人属は卑怯だ。表情よりも如実に伝わるからほんとに卑怯。
 もう胸がいっぱいだった。これ以上食欲は起きなそうだ。

「ジャックくん。では、これどうぞ」

 デザートに頼んだフルーツがたくさん飾られたワッフルを彼に向けて動かす。それにジャックは困惑した顔を見せた。

「いや、貰えないっす」
「いいんです。僕、ちょっとお腹いっぱいになってしまって、いけませんね」

 頭を振って困った顔をしてみせる。できれば彼に熱を持ち始めた耳に気づかれたくない。だから、一刻も早くここから立ち去りたい。願わくば、空き教室まで待ってほしい。
 こういときは自分の種族である人魚が恨めしくなる。人間になっても人魚の体温は低く、ジェイドも例に漏れず平均体温が低い。だから、こういときにすぐ肌に出てしまうのだ。

「フルーツもありますし口の中もサッパリすると思いますよ」

 貰ってくださいませんか、とさらに皿を押す。
 ジャックは暫し視線を天井に向けて考えるそぶりをして溜息をついた。

「食べ物は粗末にできねぇからな」

 ジェイドが押しつけた皿を受け取った。それからワッフルようのナイフとフォークを受け取ってくれた。これで任務終了。ジェイドは口早に「……では、僕は準備がありますので」と言う。

「あ、お代は」
「結構ですよ」

 でも、と言い募るジャックにピンと来た。こちらから「いつぞやのワッフル」と言われるのを警戒しているのか。ジェイドは胸の前に手を置いて微笑んで。

「今後何も申しません。気にしないでこちらのワッフルを食べてあげてください」

 そう告げればジャックは目を丸くして口をポカンと開けた。これはまた珍しい顔を見たものだと立ち去ることを忘れて見ていると。

「ふははっ。そうっすか。なら、素直に受け取ります」

 珍しい笑い声と顔に今度はこちらが目を丸くする番だった。また心臓が締め付けられて苦しくなる。同時に静かに上がっていた体温がギュンと音を上げて上昇した。このままではジェイドは大惨事になってしまう。
 何故笑われたのかわからない。けれど、それを追求している場合ではない。ジェイドは固まった笑顔のまま「今度こそ失礼します」と言う。
 ジャックは「ああ」と言ってニヤリと悪い顔をして――。

「飛行術頑張ってください」

 あと、落ちないように、と意地の悪い顔で意地の悪いことを言ったのだ。
 今日はどうしたのやら。彼の色々な表情を脳内に納めることになった。ついでにもう身体は限界だった。早くこの場を去らなければいけない。
 では、と短く震える声で言って背を向けた。その瞬間からジェイドの足は早かった。すぐに空の食器をカウンターに置いて、早足で食堂を出た。
 廊下をさらに早足で移動する。その最中にリドルの声が聞こえた気がするが今は足を止める余裕はない。早く身体の中心から爆発しそうな熱を発散したい。けれど、その大惨事を人目のつかないところで出来ればしたい。だから、足は止まらなかった。


  ◆ ◆ ◆


 食堂からだいぶ離れ空き教室が目立つ棟に入る。ジェイドは奥まった教室に飛び込むようにして入り込んだ。そして、雑に扉を閉めてさらに魔法で鍵を固く施錠すると――。
 ドバと汗が滲み出た。抑え込んでいた熱が一気に溢れ出したのだ。

「はぁ~~」

 ジェイドは扉を背にしてズルズルと座り込むとジャケットの前とベストの前を開ける。それからネクタイの結び目をぐっと指で下げて緩める。続いて、第一釦、第二釦を外して首回りをに晒す。これで少し涼しくなったと感じながら最後に熱の籠る頬を手で扇ぐ。

 一体全体ジャックはどうしたのやら。何故いつも見せない表情を一挙サービスのように見せてきたのだろうか。ジェイドとジャックの中は何もないくらい何もなかったのに。一体全体なぜ、なんてぐるぐる考えながら熱い息が唇の隙間からこぼれる。

「熱い……」

 黒い手袋を取って額から滲む汗を拭う。これからさらに運動するのにどうしてくれよう。せっかく摂取したエネルギーもこれでパァだ。

「ぁあ。クソ」

 まだ熱い頬を手で扇ぎつつ立ち上がる。身体の中で精製された熱は何とか頬の熱として消化することができた。つぅっとこめかみから流れる汗を手のひらでさらに拭う。
 これもなにもかもジャックのせいだ。

  ――何で、何で僕がこんなめにっ。

 ジェイドはジャックに静かにそして燻るような恋をしている最中だ。最初は自分自身に湧き出た恋情を面白がって予想外な出来事に楽しんでいた。けれど、今はそんな余裕もない。言い包めばあっさりと絆されると思っていた相手が意外に鈍感で手強かった。ついでに、彼の周りの人間もまた手強い。こちらの感情を見透かしたようにニヤニヤと手を回して来る。さすが獣人属というか、なかなか攻略できない。俄然燃えると思っていたのが遠い過去のようだ。近頃この一進一退もしない恋にお手上げ状態だった。
 その中で、先ほどの触れ合いはジェイドの身体に悪かった。お蔭で久々に処理できない熱に襲われる羽目になった。

「はぁ~~~~」

 熱を発散させるために息を吐き出し、スマホを取り出す。時間はもうすぐ予鈴だ。この熱を帯びたまま飛行術に出るなんて無理だ。

「今日は飛行術のテストでしたね……どうせ再試ですし」

 もういっか、と久々にサボることにした。
 ジェイドは熱を冷ますためにこのまま教室に居座り続けることにした。その間も身体の中は熱が生み出されていく。どうすればいいのだろうか。いつまでこうしていればいいのか。
 ぼんやりと思考を明後日の方向にやりながらそっと目を閉じた。視界から情報がなくなればもっと楽かもしれないと思った。だけど、全然そんなことはなかった。寧ろ、思考がクリアになって余計身体の中心から生み出される熱を意識してしまう。

 早く解放されたい。でも、まだこの熱に浮かされたいと思う馬鹿な自分もいる。何だろうな。なんて、思うけど何となくわかっている。この間、ジャックとの数少ない親密なやり取りに浸れるからだ。なんと、悲しい。
 好きなアイドルの新着写真一枚で一ヶ月頑張れる。モストロ・ラウンジでどこかの寮生が言っていた。それに近い感情がわかる日がくるなんて。

「わかりたくなかったです。はぁーーッ」

 嫌いな授業の前からモチベーションが低くなっていたが、今はより低くなっている。でも、次の修行は錬金術だ。こっそりと試したいことがあるから出よう。
 そんなこんなようやく熱が納まって来た頃にちょうど授業の終了を告げる鐘が鳴る。
 ジェイドは立ち上がって乱した服を手早く直していく。手袋もし埃を落としたら準備終わり。最後に胸ポケットからマジカルペンを取り出して鍵を開けた。



 廊下に出て歩き続けた。暫くすると授業を終えた生徒たちが見えて来る。疲れたと零す生徒たちに混じり教室に教科書や実験着を取りに向かう。
 そこで運動着の生徒が混じり出したところで――。

「ジェイド。サボった?」

 後ろからドンと衝撃がやって来る。その衝撃に僅かに身体を揺らす。

「フロイド。飛行術お疲れさまです」
「そーでもなかったよ。つか、珍しいじゃん。どしたの?」
「……ちょっと具合が悪かったんです」

 「大丈夫?」なんて顔を覗き込んで来る垂れた目。心配しているというよりも興味深いという色だ。その瞳を覗き込む様に答える。
 フロイドはこちらの答えに暫し口を閉じてから「ふぅん」と返した。すっかり、興味を失ったようだ。そして、ジェイドから離れて「オレもさーぼろッ!」と波に逆らうようにどっかに行ってしまった。

 その背中を見送って再び歩き出す。すると、前方から来る人物に足が自然に止まる。周りは突然止まったジェイドに訝しげな視線を送る。でも、周りのことなど気にしていられない。すぐにでもフロイドと同じ方向に行きたくなって来た。でも、彼の目とすっかり合ってしまったのだ。
 逃げられないと観念して再び歩き出す。だが、同じくらいの身長で足の長さだ。すぐに目の前に手ごわい後輩と向き合うことになった。
 ジェイドはぐっと顎を引いてにこやかに笑みを浮かべた唇を動かして名を呼ぶ。

「ジャックくん。二年生の階までいかがしました?」

 真剣な眼差しがジェイドに注がれる。

  ――これはまたいけませんね。

 早く退散しよう。ジェイドは口早に「誰かお探しですか?」と問いかける。ジャックは首を振って「あんたに用があるんだ」と返して来た。

「僕に?」

 予想外というような様子を見せる。この反応は半分本当で、半分嘘。だって、真っ直ぐジェイドのもとに来たのだ。自分に用事があるって期待しても何らおかしくない。
 また心臓の鼓動が早くなる。震えそうになる声を何とか律して「何でしょうか」と返す。

「これ」

 ジャックが紙袋を差し出してきた。ジェイドは顎に手を当てて「それは」と訊ねる。ジャックはピンと姿勢のいい耳を僅かに伏せて気まずげな顔をする。

「あんた、さっきの飛行術いなかったよな」
「え」

 何故、ジャックがそれを知っている。目を瞬かせてジャックを見れば「教室から見えるから」と簡潔に答えてなるほどと頷く。
 どうやら運動場が見える場所の授業だったらしい。

「僕が落ちないか見ていたんですか?」
「まぁな」

 あっさり答えるジャックに先輩の矜持がちょっと傷つく。あと、好きな人からそんな情けない姿を想像されるのもちょっとまだ十七歳の心が傷つく。

「それで僕を笑うつもりだったんですか」

 「酷い人です」と言って泣き真似をしてみせる。しくしくといつぞやのように。

「あー。すんません。今時間ないんでそれやめてください」
「おや。ノリが悪い」
「いや。ほんとうに時間ないんで」

 あっさりとブツ切るジャックは「これ」ともう一度紙袋を押し付けるように動かす。
 その紙袋をジェイドは受け取る。紙袋は少しずっしりと重かった。

「開けても?」
「はい。あ、でも、もう時間ないんで俺は」
「あ、はい」

 じゃ、と頭を下げるジャックにジェイドは拍子抜けする。本日二度目だ。そして、あの大きな身体で人にぶつからないように去っていく。

「何だったんでしょう……」

 言って歩きながら紙袋を開けて覗き込む。そして、目を見開いて笑いが込み上げる。

「ふっ。ふふ。僕はどういう風に見られているんでしょうねぇ」

 紙袋にサンドウィッチが入っていた。

「もしかしてワッフル食べられなくて出られなかったと思っているんですかね」

 ふ、ふふ、と次から次へと笑いが込み上げる。周りから少々視線を感じるけれどジェイドは無視して唇から耐えられなかった笑いを零し続けた。



2021.02.04 一部文章修正
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