2020年・誕生日記念作品
今日は恋した記念日
ジャックの誕生日はきっと多くの人々が祝うだろう。もし祝いに出向いたら自分も多くの人々のうちの一人になるのだろう。警戒はされているが、それでも馴染みがあるからと贈物を贈れば彼は白い歯を見せて爽やかに笑ってくれるかもしれない。でも、それだって馴染みのある先輩の一人にすぎない。
ジェイドは彼の特別になりたかった。彼が憧れて越えたい人だと願う獅子のように、その働きを褒めたたえ兄貴と呼び慕いたいと願う鬣犬のように。彼の特別の一角になりたいと同時にその一角のさらに特別になりたかった。出来るのであれば幽霊の姫君の花婿騒動でこぼしていた生涯愛するただ一人になりたい。
「まさか、」
こんな日が来るとは思わなかった。それこそ予定調和の崩れだ。普段であれば予想外の出来事に万々歳で楽しいことは大歓迎。とはいっても、ジェイドに迷惑がかからなければ。だのに、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
別に、将来自分は番いを作り、子どもを作り、幸せな家庭を目指していたわけではない。ただひとり、大切な人を作るつもりも今のところ予定にもなかった。漠然とフロイドと、アズールとは一緒にいるのだろうなとだけ考えていた。そこへ突如として現れた銀色の狼。
ジェイドの人生設計を狂わせた狼の獣人属一年生のジャック・ハウル。絶賛ジェイドが淡い想いを傾ける相手。そして、できれば生涯の番いにしたいと憎からず考えている相手であった。
何故、と考えても恋は突然に落ちるものなのでわからない。何せジェイドも十七年しかまだ生きていないのだから。さらに言えば陸に上がって二年目だ。人間の思考回路はまだまだ理解できない。
さて、自分の心を優しくときに激しく掻き乱す好きな人の誕生日が目前に迫っていた。さりげなくでも彼の中に残る何かを残したい。すでに好きなものはリサーチ済みだ。いや、そうでなくともジャックの関連の情報はすでに収集済みだ。ジャックが喜びそうな贈物も用意できそうなのに――出来ていない。
「あ」
カチ。ピンセットで掴み損ねた葉っぱが滑った。セットしたかった位置からずれてしまった。それを見て瓶の中からピンセットを引き、机に置いてぐっと椅子の背もたれに寄りかかえる。ふいに耳元でチャリとピアスが揺れる音がした。
「いけませんね」
趣味のテラリウムもこれでは失敗してしまう。
背中を伸ばして机に肘をついて中途半端なテラリウムを見下ろす。ごちゃごちゃと考え事をしていた所為か出来があまりよくない。
「作り直しますか……あ」
パチンと頭の中で音がした。これは俗に言う閃きの音だ。妙案が浮かんだのだ。
ジェイドは人知れず笑みを浮かべる。
「フフ。早速麓の街に行きましょう」
休息日は有効活用しなければと足早に麓の街に向かった。
◆◆◆
妙案が浮かんではしゃいでいたジェイドだったが計画が頓挫しかけていた。
腕を組んで新調した瓶を見下ろす。部屋を出て行ったフロイドに「まだ考えてんの?」と言われるくらいには熟考している最中だった。
「サバナクロー寮を作るにしてもジャックくんは寮生ですし」
見飽きることはなくても新鮮味はない。では、彼の故郷がいいだろうか。生憎ジェイドは輝石の国の首都部に訪れたことはあってもジャックの故郷はない。北部の雪深い地域と訊くがそれ以上の情報はない。ネットでその光景は見ることはできるがどうにもしっくりこない。そうした人間が作った故郷は張りぼてのようなものだ。実際、ジェイドも他人が作った珊瑚の海の光景など見て白けたことがある。それもあるし、番いにしたい人の故郷を中途半端な想像力で作り上げたくない。
参ったなと思ったが不意にジェイドの故郷を思い出す。深くて暗いて冷たい海の底。ウィンターホリデーの時期は流氷が着て帰省するままならない故郷。ここに入学するまで住んでいた忘れがたき故郷。
ジェイドは新調した瓶を見て微笑む。
「決まりました」
構想は決まった。スマホのスケジュール帳を確認する。ジャックの誕生日まで残り一週間だった。
「まぁ、間に合いますね」
睡眠時間は削らなくてもいけるだろう。ジェイドは腕まくりをして創作に更けることにした。
◆◆◆
意外な人に呼び止められた。にこりと微笑む姿は彼らが所属寮長よろしく胡散臭い。そう。胡散臭いはずなのに今日はどこか違う。何だろうか。何がどう違うのだろうか。
「フロイド先輩たちは?」
「いつも一緒にいるわけじゃないですよ」
八の字眉のジェイドに「ほぼ一緒にいるっすよ」という言葉を飲み込む。
「ジャックくん。お誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
何で知っていると言うなど愚問だ。誕生日を迎えた者が着る白いジャケットに、黒シャツ。それにデカデカと誕生日であることを示すサッシュ。まさに誕生日祝ってと言わんばかりの衣装なのだから。
「これは僕ら三人からのプレゼントです」
「え」
ギフト券を入れる様な封筒を差し出されて反射的に受け取る。「開けてみてください」と言われて素直に開ければ三枚の薄紫色のチケットが入っていた。
「これは……」
「モストロ・ラウンジの割引券です。期限付きですが三枚使ってください」
三枚とは太っ腹。いや、きっとアズール、ジェイド、フロイドの三人分で三枚なのだろう。太っ腹でもなんでもない。
「ありがとうございます。今度食べに行きます」
「ええ。お待ちしていますよ」
柔らかく微笑む姿は本当に待っているというように見えた。目の前の人にそういう素直な反応されると困る。
「ジャックくん」
「っす、なんすか」
名を呼ばれてジェイドを見ると何故か表情を失くしていた。ただ、それが恐ろしいとは思わなかった。何だか表情筋が固まってしまったような――緊張しているように見えた。
緊張なんて縁遠いところに居そうな人がまさかと思いながら窺う。
「なんすか、ジェイド先輩」
「……これは僕個人からのプレゼントです」
もう片方に抱えていた小さな白い箱を両手で持ち直して渡してきた。あまりにもそっと動かすので割れ物のように見えた。
ジャックは慌てて割引券をジャケットの内側に仕舞う。それから慎重なジェイドにつられるように両手でそっと受け取った。
「ありがとうございます……」
ズシリというほどではないが程よく重い。やはり割れ物なのだろうか。
高価なものだったらどうしようかとソワつくと。
「あの、ジャックくんここで開けてもらってもいいですか?」
「え」
まだ緊張感を残したジェイドに言われて目を丸くさせる。こことは、ここだろうか。
「でも、これ割れ物なんじゃ」
「……あそこのベンチに行きましょう」
一瞬周囲に視線を巡らせたジェイドがある方角を指さした。その指先を見れば確かにベンチがあった。
「わかりました」
頷けばジェイドの顔の強張りが僅かに緩む。安心したように目尻を僅かに下げた彼は小さく微笑んだ。
「いきましょうか」
その笑みがあまりにも普段のジェイドとかけ離れていてジャックの頭は混乱し始めた。
――なんだよ。今日のこの人、調子狂うぜ。
でも、それはきっとジェイドも同じような気がした。だから、ジャックは大人しく後を着いていった。
ベンチに座ってジェイドに勧められるまま箱を開ける。箱の中には瓶のようなものがはいっていた。飲み物か何かかとそっと取り出したが予想は大きく外れた。
「海……」
取り出した小瓶の中には深海が詰まっていた。一番下が藍色よりもさらに深い青で上に行くほどに薄くなっていく。美しいグラデーションであった。その中には水草のような草や、花々に小さな輝きが点滅していた。
「これ、すごいっすね」
「気に入ってくれましたか?」
僅かに固さを帯びた声にジャックはジェイドを見てコクコク頷く。綺麗だ、すごい、なんだ、これは、と質問攻めするとようやく本当に彼の顔から緊張が抜け落ちた。
「これはハーバリウムというものです。硝子瓶の中に花を入れてオイル漬けにしたものです。花を枯らすことなく鑑賞することができるんです」
「へぇ。初めて見た」
まじまじと見ているとこの深い海の中で輝く光りが気になる。
「この光りは?」
「……ジャックくん。少しよろしいですか?」
「ん?」
なんだ、と訊ねる前に徐にジェイドが制服のジャケットを脱いだ。いきなりなんだと、珍しいベスト姿を見ていると――。
「失礼しますね」
「うわぁっ」
バサッとジャケットがかけられた。何だ、何だと言う前に「ジャックくん落ち着いてください」と笑いを含んだ声で言われた。
ジャックはジャケットをかけられ暗がりの中身を縮こませ唸る。
「ぐぅ。あ、あんたがなぁ」
「ほら。そんなことより、ジャックくん、見てください」
え、と視線を声がした方に向けると暗闇の中、ジェイドの顔が思いのほか近くにあった。その近い距離に心臓がひとつ鳴るとオッドアイと目が合う。だが、すぐにその瞳は三日月にしなる。
ジェイドはにこりと微笑むと「僕ではなくハーバリウムを見てください」と言う。まるで見惚れていないで瓶をみろと言われたようだった。恥ずかしさに喉を鳴らしながら手にしていた瓶を見て感嘆の声を漏らす。
「うっわ。すっげぇ、え、さっきより光りが強くなってる」
淡く輝いていたハーバリウムの光りが大きくなっている。
「これは魔力石っすか?」
「ええ。僕が拵えたものです。なので、そうですね、二週間ほどは持つと思いますよ」
「ん、え、は?」
今、彼はなんと言った。ジャックは瓶から視線を上げて近いところにいるジェイドを見る。そして、再びオッドアイを覗き込むように「あんたが作ったのか?」と訊ねる。
ジェイドは眉を八の字にしながら「ええ。アズール程魔力がないので二週間ほどが限界なんですが」と言う。いや、そうじゃないとジャックは「これ作ったのか」と瓶を掲げる。淡い光が彼を照らす。
「……はい。作りました」
少し視線が逸れる。珍しい態度にジャックはぶわっと尻尾の毛が逆立った気がする。
この人が自分のために何かを作って贈ったという事実に心がぐちゃっとなった。込み上げる想いは一体なんだろうか。
「あ、その、あ、すごい嬉しいです」
「それは、なにより」
ジャケットの暗がりの中でも僅かな光りの中、白い肌が薄らと染まっているように見えた。瞬間、込み上げたものが爆発してジャックはその瞬間恋に落ちてしまった。
単純な自分に心の中で笑い、ジャックはこのハーバリウムを一生涯彼だと思って大切にしようと決めた。
「ジェイド先輩ありがとうございます。これ大切にしますね」
「……ありがとうございます」
切れ長の目尻が嬉しそうに下がる。ジャックの胸が大きく高鳴って「ああ俺はもうずっと一人なのだな」と燃え盛り始めた恋心に泣きそうになった。
ジャックは何とか涙をのみ込んでジャケットから抜け出した。同じようにジャケットを頭から脱いだジェイドは羽織ることなく腕にかけた。
「では、僕もそろそろラウンジの方の仕事があるので」
「っす。ジェイド先輩ありがとうございます。あ、アズール先輩とフロイド先輩にも伝えておいてください」
「はい。わかりました」
彼はいつもの笑みを張り付けて優雅に頭を下げるとジャックに背を向けて去って行った。その背中を名残惜しい気分で見たジャックも彼に背を向けて去った。
ジャックは知らないのだろう。すぐ消えた壁のところでジェイドが一人蹲っているのを。彼が真っ赤な顔で淡く想いを寄せていた相手から仄かに漂う恋の匂いを限ったことを。ジャックは何も知らない。
2021.02.204 文章一部修正
ジャックの誕生日はきっと多くの人々が祝うだろう。もし祝いに出向いたら自分も多くの人々のうちの一人になるのだろう。警戒はされているが、それでも馴染みがあるからと贈物を贈れば彼は白い歯を見せて爽やかに笑ってくれるかもしれない。でも、それだって馴染みのある先輩の一人にすぎない。
ジェイドは彼の特別になりたかった。彼が憧れて越えたい人だと願う獅子のように、その働きを褒めたたえ兄貴と呼び慕いたいと願う鬣犬のように。彼の特別の一角になりたいと同時にその一角のさらに特別になりたかった。出来るのであれば幽霊の姫君の花婿騒動でこぼしていた生涯愛するただ一人になりたい。
「まさか、」
こんな日が来るとは思わなかった。それこそ予定調和の崩れだ。普段であれば予想外の出来事に万々歳で楽しいことは大歓迎。とはいっても、ジェイドに迷惑がかからなければ。だのに、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
別に、将来自分は番いを作り、子どもを作り、幸せな家庭を目指していたわけではない。ただひとり、大切な人を作るつもりも今のところ予定にもなかった。漠然とフロイドと、アズールとは一緒にいるのだろうなとだけ考えていた。そこへ突如として現れた銀色の狼。
ジェイドの人生設計を狂わせた狼の獣人属一年生のジャック・ハウル。絶賛ジェイドが淡い想いを傾ける相手。そして、できれば生涯の番いにしたいと憎からず考えている相手であった。
何故、と考えても恋は突然に落ちるものなのでわからない。何せジェイドも十七年しかまだ生きていないのだから。さらに言えば陸に上がって二年目だ。人間の思考回路はまだまだ理解できない。
さて、自分の心を優しくときに激しく掻き乱す好きな人の誕生日が目前に迫っていた。さりげなくでも彼の中に残る何かを残したい。すでに好きなものはリサーチ済みだ。いや、そうでなくともジャックの関連の情報はすでに収集済みだ。ジャックが喜びそうな贈物も用意できそうなのに――出来ていない。
「あ」
カチ。ピンセットで掴み損ねた葉っぱが滑った。セットしたかった位置からずれてしまった。それを見て瓶の中からピンセットを引き、机に置いてぐっと椅子の背もたれに寄りかかえる。ふいに耳元でチャリとピアスが揺れる音がした。
「いけませんね」
趣味のテラリウムもこれでは失敗してしまう。
背中を伸ばして机に肘をついて中途半端なテラリウムを見下ろす。ごちゃごちゃと考え事をしていた所為か出来があまりよくない。
「作り直しますか……あ」
パチンと頭の中で音がした。これは俗に言う閃きの音だ。妙案が浮かんだのだ。
ジェイドは人知れず笑みを浮かべる。
「フフ。早速麓の街に行きましょう」
休息日は有効活用しなければと足早に麓の街に向かった。
◆◆◆
妙案が浮かんではしゃいでいたジェイドだったが計画が頓挫しかけていた。
腕を組んで新調した瓶を見下ろす。部屋を出て行ったフロイドに「まだ考えてんの?」と言われるくらいには熟考している最中だった。
「サバナクロー寮を作るにしてもジャックくんは寮生ですし」
見飽きることはなくても新鮮味はない。では、彼の故郷がいいだろうか。生憎ジェイドは輝石の国の首都部に訪れたことはあってもジャックの故郷はない。北部の雪深い地域と訊くがそれ以上の情報はない。ネットでその光景は見ることはできるがどうにもしっくりこない。そうした人間が作った故郷は張りぼてのようなものだ。実際、ジェイドも他人が作った珊瑚の海の光景など見て白けたことがある。それもあるし、番いにしたい人の故郷を中途半端な想像力で作り上げたくない。
参ったなと思ったが不意にジェイドの故郷を思い出す。深くて暗いて冷たい海の底。ウィンターホリデーの時期は流氷が着て帰省するままならない故郷。ここに入学するまで住んでいた忘れがたき故郷。
ジェイドは新調した瓶を見て微笑む。
「決まりました」
構想は決まった。スマホのスケジュール帳を確認する。ジャックの誕生日まで残り一週間だった。
「まぁ、間に合いますね」
睡眠時間は削らなくてもいけるだろう。ジェイドは腕まくりをして創作に更けることにした。
◆◆◆
意外な人に呼び止められた。にこりと微笑む姿は彼らが所属寮長よろしく胡散臭い。そう。胡散臭いはずなのに今日はどこか違う。何だろうか。何がどう違うのだろうか。
「フロイド先輩たちは?」
「いつも一緒にいるわけじゃないですよ」
八の字眉のジェイドに「ほぼ一緒にいるっすよ」という言葉を飲み込む。
「ジャックくん。お誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
何で知っていると言うなど愚問だ。誕生日を迎えた者が着る白いジャケットに、黒シャツ。それにデカデカと誕生日であることを示すサッシュ。まさに誕生日祝ってと言わんばかりの衣装なのだから。
「これは僕ら三人からのプレゼントです」
「え」
ギフト券を入れる様な封筒を差し出されて反射的に受け取る。「開けてみてください」と言われて素直に開ければ三枚の薄紫色のチケットが入っていた。
「これは……」
「モストロ・ラウンジの割引券です。期限付きですが三枚使ってください」
三枚とは太っ腹。いや、きっとアズール、ジェイド、フロイドの三人分で三枚なのだろう。太っ腹でもなんでもない。
「ありがとうございます。今度食べに行きます」
「ええ。お待ちしていますよ」
柔らかく微笑む姿は本当に待っているというように見えた。目の前の人にそういう素直な反応されると困る。
「ジャックくん」
「っす、なんすか」
名を呼ばれてジェイドを見ると何故か表情を失くしていた。ただ、それが恐ろしいとは思わなかった。何だか表情筋が固まってしまったような――緊張しているように見えた。
緊張なんて縁遠いところに居そうな人がまさかと思いながら窺う。
「なんすか、ジェイド先輩」
「……これは僕個人からのプレゼントです」
もう片方に抱えていた小さな白い箱を両手で持ち直して渡してきた。あまりにもそっと動かすので割れ物のように見えた。
ジャックは慌てて割引券をジャケットの内側に仕舞う。それから慎重なジェイドにつられるように両手でそっと受け取った。
「ありがとうございます……」
ズシリというほどではないが程よく重い。やはり割れ物なのだろうか。
高価なものだったらどうしようかとソワつくと。
「あの、ジャックくんここで開けてもらってもいいですか?」
「え」
まだ緊張感を残したジェイドに言われて目を丸くさせる。こことは、ここだろうか。
「でも、これ割れ物なんじゃ」
「……あそこのベンチに行きましょう」
一瞬周囲に視線を巡らせたジェイドがある方角を指さした。その指先を見れば確かにベンチがあった。
「わかりました」
頷けばジェイドの顔の強張りが僅かに緩む。安心したように目尻を僅かに下げた彼は小さく微笑んだ。
「いきましょうか」
その笑みがあまりにも普段のジェイドとかけ離れていてジャックの頭は混乱し始めた。
――なんだよ。今日のこの人、調子狂うぜ。
でも、それはきっとジェイドも同じような気がした。だから、ジャックは大人しく後を着いていった。
ベンチに座ってジェイドに勧められるまま箱を開ける。箱の中には瓶のようなものがはいっていた。飲み物か何かかとそっと取り出したが予想は大きく外れた。
「海……」
取り出した小瓶の中には深海が詰まっていた。一番下が藍色よりもさらに深い青で上に行くほどに薄くなっていく。美しいグラデーションであった。その中には水草のような草や、花々に小さな輝きが点滅していた。
「これ、すごいっすね」
「気に入ってくれましたか?」
僅かに固さを帯びた声にジャックはジェイドを見てコクコク頷く。綺麗だ、すごい、なんだ、これは、と質問攻めするとようやく本当に彼の顔から緊張が抜け落ちた。
「これはハーバリウムというものです。硝子瓶の中に花を入れてオイル漬けにしたものです。花を枯らすことなく鑑賞することができるんです」
「へぇ。初めて見た」
まじまじと見ているとこの深い海の中で輝く光りが気になる。
「この光りは?」
「……ジャックくん。少しよろしいですか?」
「ん?」
なんだ、と訊ねる前に徐にジェイドが制服のジャケットを脱いだ。いきなりなんだと、珍しいベスト姿を見ていると――。
「失礼しますね」
「うわぁっ」
バサッとジャケットがかけられた。何だ、何だと言う前に「ジャックくん落ち着いてください」と笑いを含んだ声で言われた。
ジャックはジャケットをかけられ暗がりの中身を縮こませ唸る。
「ぐぅ。あ、あんたがなぁ」
「ほら。そんなことより、ジャックくん、見てください」
え、と視線を声がした方に向けると暗闇の中、ジェイドの顔が思いのほか近くにあった。その近い距離に心臓がひとつ鳴るとオッドアイと目が合う。だが、すぐにその瞳は三日月にしなる。
ジェイドはにこりと微笑むと「僕ではなくハーバリウムを見てください」と言う。まるで見惚れていないで瓶をみろと言われたようだった。恥ずかしさに喉を鳴らしながら手にしていた瓶を見て感嘆の声を漏らす。
「うっわ。すっげぇ、え、さっきより光りが強くなってる」
淡く輝いていたハーバリウムの光りが大きくなっている。
「これは魔力石っすか?」
「ええ。僕が拵えたものです。なので、そうですね、二週間ほどは持つと思いますよ」
「ん、え、は?」
今、彼はなんと言った。ジャックは瓶から視線を上げて近いところにいるジェイドを見る。そして、再びオッドアイを覗き込むように「あんたが作ったのか?」と訊ねる。
ジェイドは眉を八の字にしながら「ええ。アズール程魔力がないので二週間ほどが限界なんですが」と言う。いや、そうじゃないとジャックは「これ作ったのか」と瓶を掲げる。淡い光が彼を照らす。
「……はい。作りました」
少し視線が逸れる。珍しい態度にジャックはぶわっと尻尾の毛が逆立った気がする。
この人が自分のために何かを作って贈ったという事実に心がぐちゃっとなった。込み上げる想いは一体なんだろうか。
「あ、その、あ、すごい嬉しいです」
「それは、なにより」
ジャケットの暗がりの中でも僅かな光りの中、白い肌が薄らと染まっているように見えた。瞬間、込み上げたものが爆発してジャックはその瞬間恋に落ちてしまった。
単純な自分に心の中で笑い、ジャックはこのハーバリウムを一生涯彼だと思って大切にしようと決めた。
「ジェイド先輩ありがとうございます。これ大切にしますね」
「……ありがとうございます」
切れ長の目尻が嬉しそうに下がる。ジャックの胸が大きく高鳴って「ああ俺はもうずっと一人なのだな」と燃え盛り始めた恋心に泣きそうになった。
ジャックは何とか涙をのみ込んでジャケットから抜け出した。同じようにジャケットを頭から脱いだジェイドは羽織ることなく腕にかけた。
「では、僕もそろそろラウンジの方の仕事があるので」
「っす。ジェイド先輩ありがとうございます。あ、アズール先輩とフロイド先輩にも伝えておいてください」
「はい。わかりました」
彼はいつもの笑みを張り付けて優雅に頭を下げるとジャックに背を向けて去って行った。その背中を名残惜しい気分で見たジャックも彼に背を向けて去った。
ジャックは知らないのだろう。すぐ消えた壁のところでジェイドが一人蹲っているのを。彼が真っ赤な顔で淡く想いを寄せていた相手から仄かに漂う恋の匂いを限ったことを。ジャックは何も知らない。
2021.02.204 文章一部修正
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