かわいい坊やよ、さようなら
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泣き虫坊やはもういない
数多の公共交通機関を乗り継いで賢者の島に到着し、最後にバスでナイトレイブンカレッジへと向かう。
バスに揺られながら従兄弟とのやり取りを思い返す。彼はわたしたちとアズールたちの仲がいいことをあまり快く思っていない。いや、快くというか心配している。
とくに妹たちがリーチ兄弟を好きになったことでさらに心配に拍車がかかっている。
過保護になっている従兄弟から学期の試験後にアズールがオーバーブロットしたという連絡。彼からのメッセージは簡潔だった。まるでただ真実を報告するようなメッセージ。
アズールたちにも心配症が発揮されたのかと思っていたけれど――。
『この際だ。縁を切ったらどうだ?』
「え?」
メッセージをもらってすぐに電話をかけると、すぐに出てくれた。何があったのか捲し立てるわたしの言葉を遮った声は低く冷たかった。
すぐに反応できなかったわたしにノアは淡々と言葉を続けていく。
『ハァ。あいつら、学園に入学してからどうもきな臭い』
「きな臭いってなによ」
『あんまりいいことしてない』
「はっきりしないわね……でも、それがどうオーバーブロットと繋がるの」
奥歯に詰まったような言い方をするノアに少し苛ついた。わたしの前だから言葉を選んでいるのかもしれないけれどはっきりしてほしい。というより、アズールがナイトレイブンカレッジでしていることとオーバーブロットの話は関係ない。
「それはそれ、これはこれ、よ。今はアズールのオーバーブロットの話をしてちょうだい」
『……だから、調子乗ってやらかしてオーバーブロットしたんだよ』
「えぇ?」
苛立った様子のノアに埒が明かない。ちょっと面倒だけれど直接アズールから話しを聞いた方がいい。
『ふん。君相手にあいつが素直に話すとは思わないけれどな』
それに反論できなかった。現にアズールはミドルスクールから隠し事が増えてきたから。いや、隠し事というよりもわたしに話すことが減って来たという感じ。妹たちには話しているのかも分からない。それを追求しようとは思わなかった。だって、アズールだって小さな男の子じゃなくてちゃんと成長しているんだから。しかも所詮わたしは赤の他人だしと考えていると何だか気分が落ちていくとノアから痛い攻撃をくらう。
『まぁ。実際に会って何も話されなかったら君はその程度ってことなんだろう』
「うっ」
嬉々としたノアの声に言葉が詰まる。アズールたちと引き離したい彼からしたらそれでいいということなんだろう。ナイトレイブンカレッジに入学してから少々性格が悪くなったんじゃないのかしら。
まったく、と思いながら根回しをすることにした。それにノアも乗り気になって話を通してくれるらしい。
簡単には通らないだろうと思ったがあっさりと許可が通った。
ただし、在学生であるノアが引率することと、生徒のほとんどが帰省するウィンターホリデー初日という条件で。
『次はナイトレイブンカレッジ前、ナイトレイブンカレッジ前』
バスのアナウンスに窓から顔を離す。坂を上がった先にあったのは仰々しい門と――従兄弟の姿だった。
バスを降りたのはわたし一人だった。ウィンターホリデーに入る当日ということもあるが、外部の人間は滅多にナイトレイブンカレッジに来ることはない。おかげでバスの中で視線を浴びることはなかった。
ここからはもう平気だろうとサングラスを外すと、門の前に居たノアが近づいてきた。
わたしたち姉妹に似た面立ちは随分と難しい顔をしている。
「久しぶり。サマーホリデー以来かしら?」
「そうだな……ハァ。行くぞ」
むっつりと不機嫌な顔でため息をついて背を向けられた。
よっぽどアズールに会わせたくないのか。それともこれ以上アズールたちに関わっていてほしくないのか。
――学校でのアズールはどんな感じなのかしら。
きな臭いとか、あまりいいこと、とかかなり濁して言っていたけれど。本当のところどうなのかしら。
わたしと話すときは充実した学園生活と言っていたし、今年度から寮長になったといるし。
――カフェの運営も始めたんだったっけ?
学生が寮内で経営できるなんてナイトレイブンカレッジはすごいわ。
やっぱり思い出す限りアズールはだいぶ忙しい生活をしているような気がするわ。名門魔法士養成学校ならきっと勉強だって忙しいはずなのに。
――それでオーバーブロットをした、とか?
いや、それなら名門と呼ばれる魔法士養成学校に通う生徒でオーバーブロットが大量に出ていてもおかしくない。魔法の使い過ぎやストレス様々な要因が絡むというオーバーブロット。
――わからないわ。
連絡する度に順調な、ということしか言っていなかったんですもの。妹たちも何か聞いている様子もなかったし。
とりあえず、アズールに直接聞くしかない。そして、わたしはオクタヴィネル寮に繋がる鏡をノアに続いて潜った。
* * *
オクタヴィネル寮は海中にあるとノアやアズールたちから聞いていたけれど――。
「すごいわ」
「お前が通っていたところだって海の中に館があっただろ」
「そうだけれど……」
柔い泡のような膜に包まれながら寮の入り口だろう生き物の口に入る。入ると包んでいた膜がパチンと消える。どうやら何事もなく寮の中に入れたみたい。
それにしても、日常的に生活する建物が海中にあるのはやっぱりすごい。きっと複雑な魔法が絡み合って建物を守っているに違いないわ。
ノアに案内されながら寮の廊下を歩く。ウィンターホリデーで多くの寮生が帰省しているためか寮の中は静かだった。注目を浴びないのはありがたいけれど海中にある寮のせいか静けさが寂しく感じる。
ひんやりと感じる寮の中をノアにくっついて行くと――。
「モストロ・ラウンジ?」
どうやら寮内にアズールが作ったというカフェに連れて来られたみたいだ。
「今やすっかりと定着したカフェ、モストロ・ラウンジ。支配人は寮長のアズール・アーシェングロット」
「定着しているっていうことは繁盛しているのね」
「……ああ」
不服そうなノアの声に苦笑する。でもアズールは流石と言うべきか。きっと他寮からもたくさんお客さんが来ているんだろう。
「うちの寮もほとんどの生徒は帰省している。たぶん、残っているのはアズールとリーチ兄弟くらいだろう」
「入るぞ」と言ってノアに続いてモストロ・ラウンジに入った。
カフェの中は薄暗かった。まるで紳士淑女の社交場のような雰囲気は学生が通うような気軽さはなかった。でも、麓の街まで行かないとカフェなどがないここには需要があるのだろうか。
なんて考えていると聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。
「ジェイドに、フロイド」
ラウンジにフォーマルな雰囲気の寮服を着た二人がいた。
ジェイドとフロイドはわたしの声にいち早く反応して目を見開く。そのときの顔立ちはよく似ていた。やっぱり顔立ちは似ているのだろうと思わせる。
「え? え? 姉ちゃん? どうしたの?」
すぐさま長い足でやって来たジェイドとフロイド。
だいぶ上の方からフロイドが目を瞬かせ不思議そうに尋ねて来た。訊ねてくるのがまた意外というか――。
「ノア。あなた、もしかして話していないの?」
「ふん。それは君もだろ」
顎を上げるノアに「そうだけれど」と頬に手をあてる。そういえば完全に失念していた。ここへ来ることばかり考えていてアズールやリーチ兄弟に何も連絡していなかった。
「突然来てごめんなさいね。今日はアズールに会いに来たのよ」
「アズールですか……」
何かを察したようにジェイドの瞳がノアの方を向いた。そして少しだけ切れ長の目が細くなった。けれど、それはほんの少しのことで彼は薄い唇で微笑んだ。
「分かりました。今ならVIPルームにいると思います」
「そう」
彼の上品な微笑みはやっぱり胡散臭いが詮索するつもりは今ないようだ。
話しが長くなることがなかったのはありがたい。
「ルーシー、行く――」
「案内なら僕が引き継ぎますよ」
ノアの言葉を遮るというよりかぶせ気味にジェイドが言う。それにノアは目を細めてジェイドを睨んだ。ノアの苛立ちを孕んだ視線を受けたジェイドはけろっとしている。痛くもかゆくもないんだろ。
「急なら従姉妹の来訪だ。副寮長に案内させるわけにはいかないですよ」
「いいえ。そんな気にすることありません。それにルーシーさんとは僕も付き合いがありますし」
「そ~そ。オレたち結構仲いいんだぜ」
ジェイドに寄りかかったフロイドが楽しそうに加勢する。何が楽しいのか分からないけれど、それともノアに勝手をされたことがテリトリーを侵食されたようで面白くないのか。
嬲るつもりはないようだけれど――。
「ノア。ここまでありがとう。せっかくだしジェイドとフロイドに案内してもらうわ」
ノアは睨み合っていたジェイドから視線を外した。こちらを見るノアはわたしの妹たちとよく似た唇を思いきり下げてかなり嫌そうな顔をしてから。
「ハァ。わかった。話し合いが終わったら迎えに――」
「ご安心を。そちらも僕らがいたしますよ」
「……」
ジェイドの言葉にこれでもかと顔を顰めるノア。だが、引かないと言わんばかりに「結構だ」と返す。
「遠慮しなくていいってぇ~。オレら、そこらの雑魚な奴らと違って強いし」
「お前らは面白がってルーシーを置いていくとも限らないだろ」
「まさか! そんなことはいたしません」
眉を下げるジェイドは「信用されていないなんて」と悲しそうな表情を作る。なんとまぁ嘘くさい表情だが、それにフロイドも乗っかる。はたから見ていると面白いのだけれど、ノアはキレそうだった。
「ノア。連絡もするから。ね」
「チッ!」
「こら。舌打ちしないの」
従兄弟も普段は紳士然としているけれど年頃なのかたまにガラが悪い。注意しながらもノアが念を押すように「終わったら連絡、絶対に迎えに行くからな」と言った。
「わかったから」
納得していない様子の彼の肩を叩く。そして、何度も何度もリーチ兄弟を睨みながらモストロ・ラウンジを出て行った。
「彼からアズールの話を聞いたのですか」
頭上からかけられた声に顔を上げる。そこには何やら読めない表情をするジェイドとフロイドがいた。いや、彼らの眼差しは探るようなものだった。まるで敵か味方か。
「ええ。そうよ。驚いたわ。オーバーブロットなんてそうそうならないでしょ」
「はい。僕らも驚きました」
「でも、あんときのアズールはそりゃなるよなって感じだったよ」
「そう……」
一体それはどんな経緯だったのか。二人から聞くこともできるけれどここまできたらアズールから話しを聞きたい。
「アズールはもう大丈夫なの?」
「はい。元気になって今も秋学期の売り上げをまとめていますよ」
「あらまぁ。でも、無理はしないでほしいわ」
息をつきながら二人を見上げる。先ほどの探るような色合いの視線はない。そんな二人の左右異なる揃いの瞳を見つめて「会ってもいいのかしら?」と訊ねる。
二人は似たように瞳をしならせた。
「もちろん。何も問題はありません」
「うん。いーよ♪」
二人の明るい声に自然と肩に入っていた力が抜ける。すると、わたしの様子に二人がキャラキャラと笑う。いや、実際に笑っているのはフロイドだけなのだけれど。
「なぁにそんなに緊張した? つか、オレたちのことなんて気にしなくていーじゃん」
「緊張というか。なんか、もう二人の方が一緒にいる時間が長いじゃない」
「でも、付き合いの長さはルーシーさんたちの方でしょ」
「それでもわたしたちに話さないことは多いのよ」
「あはっ。それはあるかもね」
「アズールはルーシーさんたちにはカッコつけたがりですからね」
ジェイドに恭しく手を向けられて反射的に手を乗せてしまった。そして、隣にやって来たフロイド。挟まれる形でわたしは二人にVIPルームへと案内された。
VIPルームはラウンジよりも少し奥まった場所にあった。
「アズール! お客様だよぉ~!」
ドンドンと遠慮のないドアノックに思わず「あれ平気?」と言葉なくジェイドを見上げてしまう。ジェイドは綺麗に口角を上げて「大丈夫ですよ」と笑顔のみで返した。
そうか。もうそういうことしてもいいほど仲良しということか。腑に落ちながらフロイドがアズールの返事を待たずに勢いよくドアを開けた。
「ノックの意味……」
「建前ですよ」
「そう……」
改めて仲良しね、と思いながらジェイドにエスコートされながら中に入る。
先に入ったフロイドは長い足を組んでソファに寄りかかっていた。そして、わたしが会いに来た目的のヒトは――。
「ルーシー!」
「ッ!」
部屋に入って早々目の前にアズールが現れた。あまりの速さと近さに驚くと同時に驚愕している彼の顔色は悪くはなかった。
「元気そうでよかったわ」
エスコートしてくれたジェイドから手を離し、アズールの手に触れる。触れた瞬間引きそうになった彼の手をギュッと握る。白い手袋の上だから体温なんて分からないけれど怪我のなさそうなそこに心の底から安心する。
「よかった……」
「ルーシー……」
彼の声に顔を上げる。そこにはちょっと困ったように眉を下げたアズールがいた。顔立ちは大人びて来たけれどこういうところは子どもの頃のようで懐かしく感じる。
「さて。僕らは退席しますのでごゆっくり。フロイド、行きますよ」
「はい、はぁ~い! 姉ちゃんも、アズールもごゆっくりぃ♪」
二人の声に我に返ると同時にアズールの手がすり抜けていく。それはもう早く。
そんなにイヤだったのかなと思いながらも出ていこうとする二人に声をかける。
「ジェイド、フロイド。案内ありがとう」
「いいえ。ああ。せっかくですし紅茶でもご用意しますか?」
「なんならデザートも付けよっか?」
何だかワクワクしている二人に首を傾げたくなるが首を横に振る。
「心遣いありがとう。でも大丈夫よ。話したらすぐに帰るつもりだから」
「それは残念。最近美味しい紅茶の茶葉を見つけたのですが」
「フフ。ならまた今度。妹たちと一緒にいただくわ」
妹たちのことを出すとフロイドもジェイドもちょっと反応が変わる。それが面白くて笑うと二人はそそくさと出て行った。あらあら。
「お楽しみなところ失礼します」
そうだった。そうだったと本来の目的を思い出す。アズールを見ればスンとした表情をしていた。真剣とはちょっと違うようなそれを探っていると「どうぞ」と座るように勧められた。「ありがとう」と言って座る。そして、向かい側にアズールが座ったのを見て口を開く。
「アズール。ノアからあなたがオーバーブロットしたと聞いたわ」
「ッ!」
アズールの整った眉毛が寄って眉間に皺を作る。険しい表情からきっと緘口令のようなものがしかれていたのでしょう。同時にわたしに知られたくなったのがありありと伝わって来る。それがとても悲しく思えてならなかった。
「ノアから連絡をもらって驚いたし、とても心配したわ」
「……ご心配をかけました。でも、僕はこの通りピンピンしています」
「病院には?」
「ええ。もちろん行きました。しっかりと魔法医術士に診てもらってカウンセリングも終えています」
「そうなの……」
何も心配ないと張り付けたよそ行きの笑みを向けるアズール。一線を引くための笑みを向けられてがっかりする自分がいる。
成長すればするほどアズールとの距離が生れて深まっていく。
アズールは妹たちにもそうなのか。それともわたしにだけ距離を作っていくのか。可愛い妹たちにそれを訊くこともできずにいた。だって、妹たちにはなかった、ジェイドやフロイドたちと変わらなかったら――。
――寂しいわ。
寂しい。悲しい。
男の子だからある程度の年齢になれば距離ができるとは思うの。でも、同い年の妹たちとは仲良しだったら。そんな、そんな寂しいし、悲しいわ。というか、もうわたしだけに距離ができるのならば何かしてしまったの。何かやらかして距離ができてしまったの。
――だから義理でこう付き合ってるとか?
いや、それならアズールとの距離感って微妙なのよ。ほんと。分からない。分からないわ。
「ルーシー?」
怪訝に満ちたアズールの声に我に返る。
ふと、彼を見れば眉を顰めている。人の話聞いてんのか、っていう顔よね。でも、聞いていたところで「大丈夫」、「問題ない」と言っているだけだし。
なんだかここに来てわたし拗ねてきているわね。拗ねているわ。
「ちょっと拗ねているのよ」
「ハ?」
「そう。わたし拗ねているのよ」
「は、はぁ」
わけが分からんなという顔をするアズール。分からないでしょうね、なんて若干キレながらわたしは立ち上がって彼が座るソファに行く。そして、そのまま隣に座る。
すると、アズールはギョッと音がしそうなほど目を見開きわたしから距離を取る。そんな露骨に取らなくてもいいのに。
「な、なんですかいきなり」
「はっきりとしようかと思ってね」
「はっきり、ですか?」
「ええ。そうよ」
はぁ、と生返事をするアズールとの距離を詰めようとしてやめた。どうせ露骨に逃げるんだもの。それにやっぱり成人した大人が未成年に詰めるのもよくないしね。
――なら、今のわたしの行動もダメよね。
今後改めないと。大人らしい行動を胸に刻みながらアズールを真っすぐ見据える。
彼の視線は何だか落ち着かない。視線をどこにしようか迷っている様子だった。
こっちを見てほしいけれど、仕方ない。姿勢を正すとちょっと心臓が苦しい。もしかしたらわたしとアズールの友人関係は終わってしまうかもしれない。
いや、それならもう仕方ない。わたしは決死の思いで口を開く。
「アズール。その、なんか距離あるわよね」
「は?」
はっきり、というには聞き方が悪かったわ。
呆けた顔をするアズールにわたしはワザとらしく咳払いをする。
「その、なんか、子どもの頃みたいにあまり話してくれなくなったわよね」
「ぁ、ああ。そういうことですか。それはそうでしょ」
案外あっさりとアズールは認めた。それはそうでしょう、というのはわたしだってそう。何でもかんでも話すことじゃないのは性別とか年齢とか色々ある。あるのだけれど。
「わたしも分かっているつもりよ。でも、今回のオーバーブロットのことは……」
「流石にオーバーブロットしましたって報告なんてできないでしょう」
「そうだけれど……そうだけれど」
「なんですか」
苛立った様子で眼鏡のブリッジを上げるアズールにわたしは肩を落とす。
「そうね。何でもかんでも話すのがいい関係というわけではないものね」
でもね。何も知らなすぎるというのも寂しいものよ。
けど、これをアズールにどういっていいか分からない。分からないから――。
「成長と共に距離はできるものよね。子どもの頃のように何でも話す間柄でもなくなる。でもね。でもね。何かあったら相談はしてほしいのよ」
そうか。そうね。相談。相談してほしいのよね。ちょっと頼ってほしいのよね。
「それは貴方も、でしょう」
「え」
今度はわたしが呆けてしまう番だった。アズールが何だかもの言いたげなというよりももの申すというわたしと同じような心意気を感じる。
「僕、17歳になりました。そして今年度からオクタヴィネル寮の寮長にもなりましたし、モストロ・ラウンジの支配人です」
「ええ。カフェの運営も上手くいっているみたいね」
「はい! もちろん!」
にっこりと笑うアズールにわたしは首を傾げる。とても頑張っているわ。やっぱりこれだけ頑張っているからオーバーブロットになってしまったんじゃないかしら。
なんて考えているとまたアズールがブリッジを上げた。
「ちなみに僕は生徒の皆さんの困りごとの手助けもしているんです」
「あら。そうなの」
「はい。秋学期の終わりからは少々手法を変えましたが」
「思考錯誤しているのね」
すごいわ。でも、寮長の仕事、支配人としての仕事、勉強も頑張って大丈夫なのかしら。
魔法の鍛錬もすればきっと疲れが溜まるわ。ううん。これだとまたオーバーブロットしてしまうんじゃないかしら。
「無理はしないでね」
「していません。むしろ毎日充実しています……その、ですから」
「うん。なにかしら」
何か話そうとしているアズールの言葉を待つと――。
「僕は昔の泣き虫でノロマなタコの坊やじゃないんですよ!」
勢いを増したアズールに身体を仰け反らせ目を瞠る。
そんなの知っているのに。泣き虫を克服したのも。ノロマじゃないのも。もう坊やという雰囲気じゃないも十分理解している。そんな力強く言わなくても知っているのに。
「そうね。あなたは泣くよりもたくさん勉強して頑張ったわね。体型だって食べるものを見直して頑張っているし。運動も頑張っているんでしょ。知っているわ」
「う。そこまで言われるとなんだか」
言葉にして伝えると、アズールは気まずそうにする。そんな彼の様子に首を傾げる。
「あなたがとんでもなく努力しているのは知っているわ。だから今のあなたがあるんでしょ」
「はい……じゃなくて!」
「え。違うの?」
「違わないです。だから、その僕のことタコの坊やって思わないなら」
白いアズールの頬が薄っすらと染まる。そして、何だか口をもごもごしてから真っすぐとわたしを見て――。
「貴方も僕のこと頼ってください」
頼る――頼る? その言葉がわたしに強い刺激を与えたような気がする。
――なに、かしら。何なのかしら。
落ち着かない。真っすぐ見つめてくるアズールの視線から逃げたくなった。
僅かに腰を浮かすとぐっと腕を掴まれ引き戻された。
「貴方と対等になりたいんです」
深い海のような瞳が必死に見えた。
対等。そんなの昔から、と思っていたけれどわたしたちの前には年齢があった。そして、小さい頃にわたしとアズールは出会っている。出会ったばかりのアズールはまだわたしよりも小さくてぽっちゃりと丸く可愛らしかった。弟のように、とまでは思っていないけれど護るべき子どもだったとは思う。
もうわたしが護るような坊やではない。そうか。アズールの言う〝坊や〟とはこういう意味だったのか。でも――。
「対等、と言ってもわたしは成人した大人で、あなたは17歳の未成年よ」
だから対等というのは難しく、頼るというのは難しい。
アズールの顔が歪んで曇る。彼が求める答えでなかったことは明白。でもね。
「でもね。あなたは今確実に頼もしいヒトになりつつあるわ」
「え」
眼鏡のレンズの向こう側ですっかり大人びた目が丸くなる。すると、それは子どもの頃と似た幼さが見える。そういうところを見るとまだまだだとは思う。
「ふふ。対等というのはまだ少し難しいわ。けれど、そうね。もうあなたは確かに護ってあげたいと思った坊やではないわね」
「そんなこと思っていたんですか……いえ、薄っすらわかってはいましたが」
むっとしたアズールにそういうところもまだまだね、と思う。けれど、確実に目の前の男の子は大人に近づいている。実際、もうわたしよりもうんと背が高いし、わたしの腕を掴んだ手も大きい。
さっきの不可解な刺激がわたしの中でもぞもぞするが今は引っ込んでいてほしい。
「アズール。何かあったら相談させてもらうわ。だから、あなたも遠慮なく相談してね」
「……ハァ。わかりました」
そっとアズールの手が腕から外れると思ったらその手がするりと私の手を掴んだ。
大きくなったと思った手は改めて本当に大きかった。わたしの手なんか片手で綺麗に包まれてしまった。
――な、何かしら。
今さらながら何だか心臓に悪い気がする。あれかしらアズールが未成年と改めて認識したからかしら。
「長居はできないでしょう。帰るのであればエスコートしますよ」
「ぁ、ありがとう」
エスコート。そうか。エスコートね。それならおかしくとも何ともないわ。
安心しながら彼の手に自分自身の手をゆだねた。
* * *
アズールに手を引かれVIPルームを出るとジェイドとフロイドが何か準備をしていた。
「おや。もうお話合いは終わりで?」
「なぁーんだ。もっと続きそうだったらコレ持って突入したのにぃ」
残念という顔をする二人はお茶とケーキの準備をしていた。
これを持って突入されたら隣り合って座っていたのを見られていたのか。そう思うと早く切り上げてよかったと思う。
「でも、せっかくですし。どうですかルーシーさん」
「ふふ。嬉しいけれど長居はできないから」
「え~でも学園長なんかバケーションに行っていねぇしいいんじゃね?」
え。外部のヒトが来るのにさっさとバケーションに行ったの。いや、きっと他に日直の先生がいるから行ったんだと思うけれど。ちょっと不安だわ。
「それなら尚更早く外部から来たわたしは出て行った方がいいわ」
今度は本当に残念そうな二人に意外に懐かれているのかと思った。そういえば、二人の近状も気になるし、妹たちとどうなっているのかも気になる。でも、やっぱり長居は無用。
「あ。そういえば、姉ちゃんって闇の鏡使って来た感じ?」
首を傾げるフロイドにわたしは首を横に振る。
「ちゃんと公共交通機関を使って来たわ」
「それはお疲れ様です。もしや今日中にお帰りになるつもりで」
「いいえ。今日は麓の街で泊まる予定よ」
流石に賢者の島に来るまで半日以上は時間がかかる。今日は賢者の島に泊まって明日の朝にここを経つつもりだった。
「とはいえ、麓の街での時間はあるから散策しようかなとは思っているわ」
「それなら僕が案内しましょうか」
近い距離のアズールがずいっと顔を寄せてくる。その距離に驚いて思わず仰け反ってしまった。いや、だって、近いんだもの。
「でも、あなた忙しいっていうし」
「少しの時間なら大丈夫ですよ」
「ね」と圧のある微笑みにわたしは思わず頷いてしまった。
「なら、お願い。あ、バスの時間は」
「今日までは通常ダイヤですからあと少しで到着しますよ」
「タイミングよかったですね」
「ねぇ~」
含みを孕んだジェイドとフロイドに何だか背中がもぞもぞする。
これはいけないのではと我に返る。
――別にデートでもなんでもないんだし平気よ。
いや、デートという言葉が浮かぶのはいけない。成人女性と未成年の青年。行動と言動には気を付けないと。
「ルーシー。行きますよ」
「ぇ、ええ。あ、ジェイド、フロイド。元気でね」
「はい。ルーシーさんも」
「元気でねぇ~」
上品に手を振るジェイド、元気よく手を振るフロイド。何だかニヤニヤした目と笑顔にまだ背中が落ち着かない中、アズールに手を引かれわたしは歩き始めた。
2024.12.02
数多の公共交通機関を乗り継いで賢者の島に到着し、最後にバスでナイトレイブンカレッジへと向かう。
バスに揺られながら従兄弟とのやり取りを思い返す。彼はわたしたちとアズールたちの仲がいいことをあまり快く思っていない。いや、快くというか心配している。
とくに妹たちがリーチ兄弟を好きになったことでさらに心配に拍車がかかっている。
過保護になっている従兄弟から学期の試験後にアズールがオーバーブロットしたという連絡。彼からのメッセージは簡潔だった。まるでただ真実を報告するようなメッセージ。
アズールたちにも心配症が発揮されたのかと思っていたけれど――。
『この際だ。縁を切ったらどうだ?』
「え?」
メッセージをもらってすぐに電話をかけると、すぐに出てくれた。何があったのか捲し立てるわたしの言葉を遮った声は低く冷たかった。
すぐに反応できなかったわたしにノアは淡々と言葉を続けていく。
『ハァ。あいつら、学園に入学してからどうもきな臭い』
「きな臭いってなによ」
『あんまりいいことしてない』
「はっきりしないわね……でも、それがどうオーバーブロットと繋がるの」
奥歯に詰まったような言い方をするノアに少し苛ついた。わたしの前だから言葉を選んでいるのかもしれないけれどはっきりしてほしい。というより、アズールがナイトレイブンカレッジでしていることとオーバーブロットの話は関係ない。
「それはそれ、これはこれ、よ。今はアズールのオーバーブロットの話をしてちょうだい」
『……だから、調子乗ってやらかしてオーバーブロットしたんだよ』
「えぇ?」
苛立った様子のノアに埒が明かない。ちょっと面倒だけれど直接アズールから話しを聞いた方がいい。
『ふん。君相手にあいつが素直に話すとは思わないけれどな』
それに反論できなかった。現にアズールはミドルスクールから隠し事が増えてきたから。いや、隠し事というよりもわたしに話すことが減って来たという感じ。妹たちには話しているのかも分からない。それを追求しようとは思わなかった。だって、アズールだって小さな男の子じゃなくてちゃんと成長しているんだから。しかも所詮わたしは赤の他人だしと考えていると何だか気分が落ちていくとノアから痛い攻撃をくらう。
『まぁ。実際に会って何も話されなかったら君はその程度ってことなんだろう』
「うっ」
嬉々としたノアの声に言葉が詰まる。アズールたちと引き離したい彼からしたらそれでいいということなんだろう。ナイトレイブンカレッジに入学してから少々性格が悪くなったんじゃないのかしら。
まったく、と思いながら根回しをすることにした。それにノアも乗り気になって話を通してくれるらしい。
簡単には通らないだろうと思ったがあっさりと許可が通った。
ただし、在学生であるノアが引率することと、生徒のほとんどが帰省するウィンターホリデー初日という条件で。
『次はナイトレイブンカレッジ前、ナイトレイブンカレッジ前』
バスのアナウンスに窓から顔を離す。坂を上がった先にあったのは仰々しい門と――従兄弟の姿だった。
バスを降りたのはわたし一人だった。ウィンターホリデーに入る当日ということもあるが、外部の人間は滅多にナイトレイブンカレッジに来ることはない。おかげでバスの中で視線を浴びることはなかった。
ここからはもう平気だろうとサングラスを外すと、門の前に居たノアが近づいてきた。
わたしたち姉妹に似た面立ちは随分と難しい顔をしている。
「久しぶり。サマーホリデー以来かしら?」
「そうだな……ハァ。行くぞ」
むっつりと不機嫌な顔でため息をついて背を向けられた。
よっぽどアズールに会わせたくないのか。それともこれ以上アズールたちに関わっていてほしくないのか。
――学校でのアズールはどんな感じなのかしら。
きな臭いとか、あまりいいこと、とかかなり濁して言っていたけれど。本当のところどうなのかしら。
わたしと話すときは充実した学園生活と言っていたし、今年度から寮長になったといるし。
――カフェの運営も始めたんだったっけ?
学生が寮内で経営できるなんてナイトレイブンカレッジはすごいわ。
やっぱり思い出す限りアズールはだいぶ忙しい生活をしているような気がするわ。名門魔法士養成学校ならきっと勉強だって忙しいはずなのに。
――それでオーバーブロットをした、とか?
いや、それなら名門と呼ばれる魔法士養成学校に通う生徒でオーバーブロットが大量に出ていてもおかしくない。魔法の使い過ぎやストレス様々な要因が絡むというオーバーブロット。
――わからないわ。
連絡する度に順調な、ということしか言っていなかったんですもの。妹たちも何か聞いている様子もなかったし。
とりあえず、アズールに直接聞くしかない。そして、わたしはオクタヴィネル寮に繋がる鏡をノアに続いて潜った。
* * *
オクタヴィネル寮は海中にあるとノアやアズールたちから聞いていたけれど――。
「すごいわ」
「お前が通っていたところだって海の中に館があっただろ」
「そうだけれど……」
柔い泡のような膜に包まれながら寮の入り口だろう生き物の口に入る。入ると包んでいた膜がパチンと消える。どうやら何事もなく寮の中に入れたみたい。
それにしても、日常的に生活する建物が海中にあるのはやっぱりすごい。きっと複雑な魔法が絡み合って建物を守っているに違いないわ。
ノアに案内されながら寮の廊下を歩く。ウィンターホリデーで多くの寮生が帰省しているためか寮の中は静かだった。注目を浴びないのはありがたいけれど海中にある寮のせいか静けさが寂しく感じる。
ひんやりと感じる寮の中をノアにくっついて行くと――。
「モストロ・ラウンジ?」
どうやら寮内にアズールが作ったというカフェに連れて来られたみたいだ。
「今やすっかりと定着したカフェ、モストロ・ラウンジ。支配人は寮長のアズール・アーシェングロット」
「定着しているっていうことは繁盛しているのね」
「……ああ」
不服そうなノアの声に苦笑する。でもアズールは流石と言うべきか。きっと他寮からもたくさんお客さんが来ているんだろう。
「うちの寮もほとんどの生徒は帰省している。たぶん、残っているのはアズールとリーチ兄弟くらいだろう」
「入るぞ」と言ってノアに続いてモストロ・ラウンジに入った。
カフェの中は薄暗かった。まるで紳士淑女の社交場のような雰囲気は学生が通うような気軽さはなかった。でも、麓の街まで行かないとカフェなどがないここには需要があるのだろうか。
なんて考えていると聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。
「ジェイドに、フロイド」
ラウンジにフォーマルな雰囲気の寮服を着た二人がいた。
ジェイドとフロイドはわたしの声にいち早く反応して目を見開く。そのときの顔立ちはよく似ていた。やっぱり顔立ちは似ているのだろうと思わせる。
「え? え? 姉ちゃん? どうしたの?」
すぐさま長い足でやって来たジェイドとフロイド。
だいぶ上の方からフロイドが目を瞬かせ不思議そうに尋ねて来た。訊ねてくるのがまた意外というか――。
「ノア。あなた、もしかして話していないの?」
「ふん。それは君もだろ」
顎を上げるノアに「そうだけれど」と頬に手をあてる。そういえば完全に失念していた。ここへ来ることばかり考えていてアズールやリーチ兄弟に何も連絡していなかった。
「突然来てごめんなさいね。今日はアズールに会いに来たのよ」
「アズールですか……」
何かを察したようにジェイドの瞳がノアの方を向いた。そして少しだけ切れ長の目が細くなった。けれど、それはほんの少しのことで彼は薄い唇で微笑んだ。
「分かりました。今ならVIPルームにいると思います」
「そう」
彼の上品な微笑みはやっぱり胡散臭いが詮索するつもりは今ないようだ。
話しが長くなることがなかったのはありがたい。
「ルーシー、行く――」
「案内なら僕が引き継ぎますよ」
ノアの言葉を遮るというよりかぶせ気味にジェイドが言う。それにノアは目を細めてジェイドを睨んだ。ノアの苛立ちを孕んだ視線を受けたジェイドはけろっとしている。痛くもかゆくもないんだろ。
「急なら従姉妹の来訪だ。副寮長に案内させるわけにはいかないですよ」
「いいえ。そんな気にすることありません。それにルーシーさんとは僕も付き合いがありますし」
「そ~そ。オレたち結構仲いいんだぜ」
ジェイドに寄りかかったフロイドが楽しそうに加勢する。何が楽しいのか分からないけれど、それともノアに勝手をされたことがテリトリーを侵食されたようで面白くないのか。
嬲るつもりはないようだけれど――。
「ノア。ここまでありがとう。せっかくだしジェイドとフロイドに案内してもらうわ」
ノアは睨み合っていたジェイドから視線を外した。こちらを見るノアはわたしの妹たちとよく似た唇を思いきり下げてかなり嫌そうな顔をしてから。
「ハァ。わかった。話し合いが終わったら迎えに――」
「ご安心を。そちらも僕らがいたしますよ」
「……」
ジェイドの言葉にこれでもかと顔を顰めるノア。だが、引かないと言わんばかりに「結構だ」と返す。
「遠慮しなくていいってぇ~。オレら、そこらの雑魚な奴らと違って強いし」
「お前らは面白がってルーシーを置いていくとも限らないだろ」
「まさか! そんなことはいたしません」
眉を下げるジェイドは「信用されていないなんて」と悲しそうな表情を作る。なんとまぁ嘘くさい表情だが、それにフロイドも乗っかる。はたから見ていると面白いのだけれど、ノアはキレそうだった。
「ノア。連絡もするから。ね」
「チッ!」
「こら。舌打ちしないの」
従兄弟も普段は紳士然としているけれど年頃なのかたまにガラが悪い。注意しながらもノアが念を押すように「終わったら連絡、絶対に迎えに行くからな」と言った。
「わかったから」
納得していない様子の彼の肩を叩く。そして、何度も何度もリーチ兄弟を睨みながらモストロ・ラウンジを出て行った。
「彼からアズールの話を聞いたのですか」
頭上からかけられた声に顔を上げる。そこには何やら読めない表情をするジェイドとフロイドがいた。いや、彼らの眼差しは探るようなものだった。まるで敵か味方か。
「ええ。そうよ。驚いたわ。オーバーブロットなんてそうそうならないでしょ」
「はい。僕らも驚きました」
「でも、あんときのアズールはそりゃなるよなって感じだったよ」
「そう……」
一体それはどんな経緯だったのか。二人から聞くこともできるけれどここまできたらアズールから話しを聞きたい。
「アズールはもう大丈夫なの?」
「はい。元気になって今も秋学期の売り上げをまとめていますよ」
「あらまぁ。でも、無理はしないでほしいわ」
息をつきながら二人を見上げる。先ほどの探るような色合いの視線はない。そんな二人の左右異なる揃いの瞳を見つめて「会ってもいいのかしら?」と訊ねる。
二人は似たように瞳をしならせた。
「もちろん。何も問題はありません」
「うん。いーよ♪」
二人の明るい声に自然と肩に入っていた力が抜ける。すると、わたしの様子に二人がキャラキャラと笑う。いや、実際に笑っているのはフロイドだけなのだけれど。
「なぁにそんなに緊張した? つか、オレたちのことなんて気にしなくていーじゃん」
「緊張というか。なんか、もう二人の方が一緒にいる時間が長いじゃない」
「でも、付き合いの長さはルーシーさんたちの方でしょ」
「それでもわたしたちに話さないことは多いのよ」
「あはっ。それはあるかもね」
「アズールはルーシーさんたちにはカッコつけたがりですからね」
ジェイドに恭しく手を向けられて反射的に手を乗せてしまった。そして、隣にやって来たフロイド。挟まれる形でわたしは二人にVIPルームへと案内された。
VIPルームはラウンジよりも少し奥まった場所にあった。
「アズール! お客様だよぉ~!」
ドンドンと遠慮のないドアノックに思わず「あれ平気?」と言葉なくジェイドを見上げてしまう。ジェイドは綺麗に口角を上げて「大丈夫ですよ」と笑顔のみで返した。
そうか。もうそういうことしてもいいほど仲良しということか。腑に落ちながらフロイドがアズールの返事を待たずに勢いよくドアを開けた。
「ノックの意味……」
「建前ですよ」
「そう……」
改めて仲良しね、と思いながらジェイドにエスコートされながら中に入る。
先に入ったフロイドは長い足を組んでソファに寄りかかっていた。そして、わたしが会いに来た目的のヒトは――。
「ルーシー!」
「ッ!」
部屋に入って早々目の前にアズールが現れた。あまりの速さと近さに驚くと同時に驚愕している彼の顔色は悪くはなかった。
「元気そうでよかったわ」
エスコートしてくれたジェイドから手を離し、アズールの手に触れる。触れた瞬間引きそうになった彼の手をギュッと握る。白い手袋の上だから体温なんて分からないけれど怪我のなさそうなそこに心の底から安心する。
「よかった……」
「ルーシー……」
彼の声に顔を上げる。そこにはちょっと困ったように眉を下げたアズールがいた。顔立ちは大人びて来たけれどこういうところは子どもの頃のようで懐かしく感じる。
「さて。僕らは退席しますのでごゆっくり。フロイド、行きますよ」
「はい、はぁ~い! 姉ちゃんも、アズールもごゆっくりぃ♪」
二人の声に我に返ると同時にアズールの手がすり抜けていく。それはもう早く。
そんなにイヤだったのかなと思いながらも出ていこうとする二人に声をかける。
「ジェイド、フロイド。案内ありがとう」
「いいえ。ああ。せっかくですし紅茶でもご用意しますか?」
「なんならデザートも付けよっか?」
何だかワクワクしている二人に首を傾げたくなるが首を横に振る。
「心遣いありがとう。でも大丈夫よ。話したらすぐに帰るつもりだから」
「それは残念。最近美味しい紅茶の茶葉を見つけたのですが」
「フフ。ならまた今度。妹たちと一緒にいただくわ」
妹たちのことを出すとフロイドもジェイドもちょっと反応が変わる。それが面白くて笑うと二人はそそくさと出て行った。あらあら。
「お楽しみなところ失礼します」
そうだった。そうだったと本来の目的を思い出す。アズールを見ればスンとした表情をしていた。真剣とはちょっと違うようなそれを探っていると「どうぞ」と座るように勧められた。「ありがとう」と言って座る。そして、向かい側にアズールが座ったのを見て口を開く。
「アズール。ノアからあなたがオーバーブロットしたと聞いたわ」
「ッ!」
アズールの整った眉毛が寄って眉間に皺を作る。険しい表情からきっと緘口令のようなものがしかれていたのでしょう。同時にわたしに知られたくなったのがありありと伝わって来る。それがとても悲しく思えてならなかった。
「ノアから連絡をもらって驚いたし、とても心配したわ」
「……ご心配をかけました。でも、僕はこの通りピンピンしています」
「病院には?」
「ええ。もちろん行きました。しっかりと魔法医術士に診てもらってカウンセリングも終えています」
「そうなの……」
何も心配ないと張り付けたよそ行きの笑みを向けるアズール。一線を引くための笑みを向けられてがっかりする自分がいる。
成長すればするほどアズールとの距離が生れて深まっていく。
アズールは妹たちにもそうなのか。それともわたしにだけ距離を作っていくのか。可愛い妹たちにそれを訊くこともできずにいた。だって、妹たちにはなかった、ジェイドやフロイドたちと変わらなかったら――。
――寂しいわ。
寂しい。悲しい。
男の子だからある程度の年齢になれば距離ができるとは思うの。でも、同い年の妹たちとは仲良しだったら。そんな、そんな寂しいし、悲しいわ。というか、もうわたしだけに距離ができるのならば何かしてしまったの。何かやらかして距離ができてしまったの。
――だから義理でこう付き合ってるとか?
いや、それならアズールとの距離感って微妙なのよ。ほんと。分からない。分からないわ。
「ルーシー?」
怪訝に満ちたアズールの声に我に返る。
ふと、彼を見れば眉を顰めている。人の話聞いてんのか、っていう顔よね。でも、聞いていたところで「大丈夫」、「問題ない」と言っているだけだし。
なんだかここに来てわたし拗ねてきているわね。拗ねているわ。
「ちょっと拗ねているのよ」
「ハ?」
「そう。わたし拗ねているのよ」
「は、はぁ」
わけが分からんなという顔をするアズール。分からないでしょうね、なんて若干キレながらわたしは立ち上がって彼が座るソファに行く。そして、そのまま隣に座る。
すると、アズールはギョッと音がしそうなほど目を見開きわたしから距離を取る。そんな露骨に取らなくてもいいのに。
「な、なんですかいきなり」
「はっきりとしようかと思ってね」
「はっきり、ですか?」
「ええ。そうよ」
はぁ、と生返事をするアズールとの距離を詰めようとしてやめた。どうせ露骨に逃げるんだもの。それにやっぱり成人した大人が未成年に詰めるのもよくないしね。
――なら、今のわたしの行動もダメよね。
今後改めないと。大人らしい行動を胸に刻みながらアズールを真っすぐ見据える。
彼の視線は何だか落ち着かない。視線をどこにしようか迷っている様子だった。
こっちを見てほしいけれど、仕方ない。姿勢を正すとちょっと心臓が苦しい。もしかしたらわたしとアズールの友人関係は終わってしまうかもしれない。
いや、それならもう仕方ない。わたしは決死の思いで口を開く。
「アズール。その、なんか距離あるわよね」
「は?」
はっきり、というには聞き方が悪かったわ。
呆けた顔をするアズールにわたしはワザとらしく咳払いをする。
「その、なんか、子どもの頃みたいにあまり話してくれなくなったわよね」
「ぁ、ああ。そういうことですか。それはそうでしょ」
案外あっさりとアズールは認めた。それはそうでしょう、というのはわたしだってそう。何でもかんでも話すことじゃないのは性別とか年齢とか色々ある。あるのだけれど。
「わたしも分かっているつもりよ。でも、今回のオーバーブロットのことは……」
「流石にオーバーブロットしましたって報告なんてできないでしょう」
「そうだけれど……そうだけれど」
「なんですか」
苛立った様子で眼鏡のブリッジを上げるアズールにわたしは肩を落とす。
「そうね。何でもかんでも話すのがいい関係というわけではないものね」
でもね。何も知らなすぎるというのも寂しいものよ。
けど、これをアズールにどういっていいか分からない。分からないから――。
「成長と共に距離はできるものよね。子どもの頃のように何でも話す間柄でもなくなる。でもね。でもね。何かあったら相談はしてほしいのよ」
そうか。そうね。相談。相談してほしいのよね。ちょっと頼ってほしいのよね。
「それは貴方も、でしょう」
「え」
今度はわたしが呆けてしまう番だった。アズールが何だかもの言いたげなというよりももの申すというわたしと同じような心意気を感じる。
「僕、17歳になりました。そして今年度からオクタヴィネル寮の寮長にもなりましたし、モストロ・ラウンジの支配人です」
「ええ。カフェの運営も上手くいっているみたいね」
「はい! もちろん!」
にっこりと笑うアズールにわたしは首を傾げる。とても頑張っているわ。やっぱりこれだけ頑張っているからオーバーブロットになってしまったんじゃないかしら。
なんて考えているとまたアズールがブリッジを上げた。
「ちなみに僕は生徒の皆さんの困りごとの手助けもしているんです」
「あら。そうなの」
「はい。秋学期の終わりからは少々手法を変えましたが」
「思考錯誤しているのね」
すごいわ。でも、寮長の仕事、支配人としての仕事、勉強も頑張って大丈夫なのかしら。
魔法の鍛錬もすればきっと疲れが溜まるわ。ううん。これだとまたオーバーブロットしてしまうんじゃないかしら。
「無理はしないでね」
「していません。むしろ毎日充実しています……その、ですから」
「うん。なにかしら」
何か話そうとしているアズールの言葉を待つと――。
「僕は昔の泣き虫でノロマなタコの坊やじゃないんですよ!」
勢いを増したアズールに身体を仰け反らせ目を瞠る。
そんなの知っているのに。泣き虫を克服したのも。ノロマじゃないのも。もう坊やという雰囲気じゃないも十分理解している。そんな力強く言わなくても知っているのに。
「そうね。あなたは泣くよりもたくさん勉強して頑張ったわね。体型だって食べるものを見直して頑張っているし。運動も頑張っているんでしょ。知っているわ」
「う。そこまで言われるとなんだか」
言葉にして伝えると、アズールは気まずそうにする。そんな彼の様子に首を傾げる。
「あなたがとんでもなく努力しているのは知っているわ。だから今のあなたがあるんでしょ」
「はい……じゃなくて!」
「え。違うの?」
「違わないです。だから、その僕のことタコの坊やって思わないなら」
白いアズールの頬が薄っすらと染まる。そして、何だか口をもごもごしてから真っすぐとわたしを見て――。
「貴方も僕のこと頼ってください」
頼る――頼る? その言葉がわたしに強い刺激を与えたような気がする。
――なに、かしら。何なのかしら。
落ち着かない。真っすぐ見つめてくるアズールの視線から逃げたくなった。
僅かに腰を浮かすとぐっと腕を掴まれ引き戻された。
「貴方と対等になりたいんです」
深い海のような瞳が必死に見えた。
対等。そんなの昔から、と思っていたけれどわたしたちの前には年齢があった。そして、小さい頃にわたしとアズールは出会っている。出会ったばかりのアズールはまだわたしよりも小さくてぽっちゃりと丸く可愛らしかった。弟のように、とまでは思っていないけれど護るべき子どもだったとは思う。
もうわたしが護るような坊やではない。そうか。アズールの言う〝坊や〟とはこういう意味だったのか。でも――。
「対等、と言ってもわたしは成人した大人で、あなたは17歳の未成年よ」
だから対等というのは難しく、頼るというのは難しい。
アズールの顔が歪んで曇る。彼が求める答えでなかったことは明白。でもね。
「でもね。あなたは今確実に頼もしいヒトになりつつあるわ」
「え」
眼鏡のレンズの向こう側ですっかり大人びた目が丸くなる。すると、それは子どもの頃と似た幼さが見える。そういうところを見るとまだまだだとは思う。
「ふふ。対等というのはまだ少し難しいわ。けれど、そうね。もうあなたは確かに護ってあげたいと思った坊やではないわね」
「そんなこと思っていたんですか……いえ、薄っすらわかってはいましたが」
むっとしたアズールにそういうところもまだまだね、と思う。けれど、確実に目の前の男の子は大人に近づいている。実際、もうわたしよりもうんと背が高いし、わたしの腕を掴んだ手も大きい。
さっきの不可解な刺激がわたしの中でもぞもぞするが今は引っ込んでいてほしい。
「アズール。何かあったら相談させてもらうわ。だから、あなたも遠慮なく相談してね」
「……ハァ。わかりました」
そっとアズールの手が腕から外れると思ったらその手がするりと私の手を掴んだ。
大きくなったと思った手は改めて本当に大きかった。わたしの手なんか片手で綺麗に包まれてしまった。
――な、何かしら。
今さらながら何だか心臓に悪い気がする。あれかしらアズールが未成年と改めて認識したからかしら。
「長居はできないでしょう。帰るのであればエスコートしますよ」
「ぁ、ありがとう」
エスコート。そうか。エスコートね。それならおかしくとも何ともないわ。
安心しながら彼の手に自分自身の手をゆだねた。
* * *
アズールに手を引かれVIPルームを出るとジェイドとフロイドが何か準備をしていた。
「おや。もうお話合いは終わりで?」
「なぁーんだ。もっと続きそうだったらコレ持って突入したのにぃ」
残念という顔をする二人はお茶とケーキの準備をしていた。
これを持って突入されたら隣り合って座っていたのを見られていたのか。そう思うと早く切り上げてよかったと思う。
「でも、せっかくですし。どうですかルーシーさん」
「ふふ。嬉しいけれど長居はできないから」
「え~でも学園長なんかバケーションに行っていねぇしいいんじゃね?」
え。外部のヒトが来るのにさっさとバケーションに行ったの。いや、きっと他に日直の先生がいるから行ったんだと思うけれど。ちょっと不安だわ。
「それなら尚更早く外部から来たわたしは出て行った方がいいわ」
今度は本当に残念そうな二人に意外に懐かれているのかと思った。そういえば、二人の近状も気になるし、妹たちとどうなっているのかも気になる。でも、やっぱり長居は無用。
「あ。そういえば、姉ちゃんって闇の鏡使って来た感じ?」
首を傾げるフロイドにわたしは首を横に振る。
「ちゃんと公共交通機関を使って来たわ」
「それはお疲れ様です。もしや今日中にお帰りになるつもりで」
「いいえ。今日は麓の街で泊まる予定よ」
流石に賢者の島に来るまで半日以上は時間がかかる。今日は賢者の島に泊まって明日の朝にここを経つつもりだった。
「とはいえ、麓の街での時間はあるから散策しようかなとは思っているわ」
「それなら僕が案内しましょうか」
近い距離のアズールがずいっと顔を寄せてくる。その距離に驚いて思わず仰け反ってしまった。いや、だって、近いんだもの。
「でも、あなた忙しいっていうし」
「少しの時間なら大丈夫ですよ」
「ね」と圧のある微笑みにわたしは思わず頷いてしまった。
「なら、お願い。あ、バスの時間は」
「今日までは通常ダイヤですからあと少しで到着しますよ」
「タイミングよかったですね」
「ねぇ~」
含みを孕んだジェイドとフロイドに何だか背中がもぞもぞする。
これはいけないのではと我に返る。
――別にデートでもなんでもないんだし平気よ。
いや、デートという言葉が浮かぶのはいけない。成人女性と未成年の青年。行動と言動には気を付けないと。
「ルーシー。行きますよ」
「ぇ、ええ。あ、ジェイド、フロイド。元気でね」
「はい。ルーシーさんも」
「元気でねぇ~」
上品に手を振るジェイド、元気よく手を振るフロイド。何だかニヤニヤした目と笑顔にまだ背中が落ち着かない中、アズールに手を引かれわたしは歩き始めた。
2024.12.02