かわいい坊やよ、さようなら
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懐かしい過去を夢見る
初めて出会ったのはまだ彼がまだ泣き虫墨吐き坊やだった頃。両親の仕事で共に訪れたレストランテ。そこのオーナーであるアズールのお母様に同じ年ごろの子どもがいると聞いて紹介されたのがアズール・アーシェングロット。むっちりとした丸い頬と不安そうに眉を下げた彼が初めて会ったときのアズールだった。
「こんにちは。はじめましてルーシー・エイヴォリーです」
両親たちが仕事の話があると言って離れわたしとアズールが部屋に残された。わたしは少しだけ距離を縮めてみた。すると彼は手と下にドレスのように広がっていた8本の足をもにょもにょとさせて恥ずかしそうに下を向いてしまった。
長期戦になるかなと思ったら小さな声で「アズール・アーシェングロットです……」と小さな声で自己紹介してくれた。返事をしてくれたことが嬉しくて尾ヒレを揺らす。すると「きれいだね」とまた小さな声が聞こえた。
「きれい?」
「うん。尾ヒレ、きれいだね。いいな……」
羨ましさの籠った声は何度も聞いたことがある。例えば、美しい両親によく似た顔立ち。妬ましさが籠った眼差しと共によく言われることだった。でも、彼の視線は違う。わたしの顔ではなくわたしの尾ヒレに向かっていた。
「尾ヒレなら皆似たようなものよ」
「ぼくは違うもの……」
さっきの気恥ずかしさに動いていた8本の足を嫌そうに動かす。その彼の黒くぬるぅっとした足を初めて見た。もちろんタコを見たことがないわけじゃないけれど、タコの人魚を見るのは初めてで確かにわたしたち人魚のような鱗はない。でも、黒と紫の足はぬるりと動くと艶があるように見えた。
よく見たくてすいと泳いで近づくと、同時に彼はびくと小さく跳ねて後ろにぴゅっと下がってしまった。早い動きに目を瞬かせて我に返る。
「ごめんなさいね。ちょっと、そのよく見たくなってごめんなさい」
そもそも人魚の尾ヒレをよく見たいなんて親しい間でもめったにない。珍しい〝足〟につい失礼なことをしてしまった。
「ごめんなさい」
「いいよ。僕も見ちゃったから……」
「僕もごめんね」と言って逃げた分また戻ってくれた。ゆっくりとしたその動きが何だか可愛くて頬が緩む。
「なに……」
ちょっと不安そうな声がした。あ、と思って彼を見れば深い青の瞳がわたしを不安そうにみていた。どうして、そういう瞳をするのだろうかと思いながら「かわいくて」と答える。
「か、かわいい?」
「うん。ゆっくりと動いてこっちに近づくのがなんか可愛かったの」
「……ノロいってこと」
「え」
眉をぐっと下げて泣きそうな顔にわたしは慌てて両手を振る。どうしてそういうことにとなるのか分からなかった。
「ノロいなんて思わないわ」
「でも、僕タコだし……」
しゅん、しゅんと下がる顔に何となく彼が普段何か言われていることが分かった。それにわたしはムッと眉間に皺を作る。
「タコは俊敏な生き物よ。ノロマじゃないわ」
「でも、皆はそう言うよ」
「その子たちはタコを知らないのかもしれないわね」
「え、ぇえ……」
そうかなぁと言いたげな顔をしながらもさっきの悲壮感は薄らいでいる。
よかった、と思いながら私はすいともうひと泳ぎして近寄る。さっきよりもぐっと近くなった距離に彼は逃げることなくチラチラとわたしを見る。
「わたしと一緒に遊びましょう」
手を差し出すと彼は、アズールは、わたしより少しだけ小さな手で握り返してくれた。その柔らかい手を忘れることはなかった。
* * *
アズールと出会って数年。両親は度々アズールのお母様がオーナーを務めるレストランテで公演を行っている。その度に、わたしも連れて行ってもらっているし、今となっては双子の妹たちも一緒。
彼と妹たちの関係は心配したことにならず仲良くやっている。今ではアズールも気安く妹たちに接している。
今回も妹たちと一緒にアズールと遊ぼうと思ったのだけれど。
「あれ? アズールは?」
妹のひとりレティシアが辺りを見まわす。「いないわねぇ」ともう一人の妹のヴァネッサも辺りをきょろきょろ見まわす。わたしも倣って見まわすけれどいつもいるところにおらず――。
「あら? あれって……」
岩陰にひっそりと人工物なようなものが見えた。陰に溶け込もうとしている紫色の大きなアレは――。
「壺?」
わたしはすいすいと岩陰にひっそりと潜む壺らしきものへ泳ぎ進む。後ろから妹たちが着いて来るのを感じながら辿り着くとガリガリと削るような音が聞こえた。
この音には聞き覚えがある。学校の授業で貝殻に書き取る音だ。
「アズール?」
壺の中に彼がいることを確信しながら名前を呼ぶ。すると、黒と紫の足が見えた。そして、その足は先忙しなく貝殻に書き取りをしていた。よく見ればそれは魔術式だったり、薬草の効能だったりエレメンタリースクールの彼が学ぶには難易度が高いもののように見えた。
――わたしもまだ習ってないわ。
普通の学校にも通っているけれど、別に魔法を学ぶための家庭教師が週に何回か家に教えに来てくれる。だから、他の子よりも魔法には詳しいつもりだったけれど彼が貝殻に書いている術式は中々理解が難しかった。
一体、どうしてこんなことをし始めたのかしら。一心不乱に書き取りを続ける彼に声をかけるべきか躊躇しているときだった。
「あ、アズール」
「なんだここにいたのね♪」
後ろから妹たちが各々壺の中を覗き込んだ。それからいつものように遊びに誘うような言葉をかける。
「二人とも、ちょっと――」
「ああ~ッッッ! うるさいなぁッ!」
今まで聞いたことがないアズールの怒鳴り声が壺に響く。同時に振り返ったアズールの瞳の青い瞳が轟轟と怒りに燃えていた。その瞳で睨まれて傍にいた妹たちの気配が怯えるように揺れた気がした。そうだ。今までふざけ合ってこうして怒鳴られたことはなかったのだから。
「アズール……」
妹たちが下がるのを見てわたしは彼の名前を呼ぶ。するとハッと鋭かった両目が開いた。そして、ようやくわたしたちの姿を見たのか「ルーシー……」と名前を呼ぶと「ぁ」と小さく声を零した。
それから吊り上がっていた眉と目じりを下げて「僕、僕……」といつもの彼の声が聞こえた。突き放すような気配がなくなったことに安心しながら「大丈夫よ」と声をかける。
「わたしたちもいきなり声をかけてごめんね」
「……ルーシーたちは悪くないよ」
手にしていたペンと足が持っていたペンがおもむろに置かれる。そからずるずると壺の底に向けていた身体をこっちに向けた。
「怒鳴ってごめん」
「怖かったわ」
「耳が痛くなっちゃう」
じりじりと下がっていた妹たちも戻って気安く声をかけた。それでもさっきのアズールが怖かったのかわたしの身体にぴったりとくっついている。
アズールは居心地の悪そうにペンを指で弄り始めた。
「……ごめん」
「もういいのよ。それにしてもアズールったらすごいわね」
壺の入り口にあった貝殻をひとつ取ってみる。一瞬、タコの足が戸惑いがちに動くけれどすぐに大人しくなった。そんな動きを目の端でとらえながら貝殻に書かれたものを見る。両脇から妹たちも覗き込むけれど「わからないわ」「術式ってことはわかるけど」と言っていた。最近、魔力があることが分かった妹たちはまだ魔法の勉強を始めたばかり。わたし以上に内容が分からないらしい。
「わたしも、高等な魔法の術式ってことくらいしかわからないわ」
「姉さまも?」
「アズールは?」
妹たちがわたしから離れて壺を覗き込む。魔法に興味津々な妹たちの視線にたじろぎながらアズールが背中を向けた。
それから何か壺に当たる音がすると、背中を向けていたアズールがこっちを向いた。振り返ったアズールの手には二枚の貝殻があった。
彼は足を動かして壺から恐る恐るというように出て来た。
「これならわかると思うよ」
おずおずと差し出した二枚の貝殻を妹たちに差し出した。妹たちは貝殻を覗き込むと揃って声を上げて手に取った。
「これ! この間先生に教えてもらったやつ!」
「でも、ちょっと違うわよ。あ! 宿題の応用術式の!」
「ええ! あ! ほんとだ!」
わぁ、と揃って感嘆の声を出すと妹たちが「もらっていい!」と声を揃えた。それは流石にと止めるけれどアズールは首を縦に動かした。
「いいよ。もうとっくに覚えたし……まぁ基礎だしね」
最後はちょっと含みのある言い方をするアズールの表情は柔らかく戻っていた。
それに安心すると同時にどうして壺に籠って勉強をしているのか気になった。前回会ったときも勉強はしていたけれど宿題とかそれくらいだったのに。
「アズール。突然、難しい勉強なんてしてどうしたの?」
「ぇ」
アズールのやわらいだ表情が強張った。わたしはそれですぐに突いてはいけないところを突いていたことに気づいた。
「あっと、何か魔法に興味を持つことでもあったのかなって」
「……ぅん。その、この間、お店に来た人が話してくれたユニーク魔法のことが気になって」
苦し紛れのような答えのように聞こえた。でも、それ以上聞くこともできこの話を打ち切ることにした。
その日を境にアズールは会う度に自信に満ちていった。勉強をして自信がついたからかもしれないし、成長と伴いぷっくりしていた身体がすらりとしていったからかもしれない。口調もすっかりと大人びたものになり、ジェイドとフロイドという友達もできた。ちなみに彼らのことを〝友達〟というと渋面になって「違います」と言われる。
自信に満ち溢れているアズールを見ると何かひっかかるものがずっとあった。でも、それが何かわからないまま時だけは過ぎて行って――。
「ルーシー。これ見てください」
「あら、まぁ」
彼が見せてくれたのはあの有名な魔法士養成学校の入学許可書だった。それを見せるアズールは少しだけ幼い頃に似ていて可愛らしかった。
「おめでとう。じゃあ、入学前に陸の訓練所に通うことになるのかしら?」
「はい。ルーシーたちは通ってないんでしたっけ」
「ええ。両親や親族が陸生活の経験があるからね」
ある一定の年齢になると我が家は陸と海を行き来する。子どもたちは基本海での生活だったけれど、長期休みになると陸生活の両親に合わせて陸に上がっていた。だから、魔法士養成学校のブルーノヴァカレッジに通うのもなんら問題がなかった。でも、多くの珊瑚の海の子は陸に引っ越すか、アズールのように魔法士養成学校に通うか、はたまた大人になったときくらいにしか〝人間〟になる機会がない。そもそも一生を海で過ごす人魚の方が多い。
「ほんとうは訓練所に行く前に予習をしたいのですが文献がどうもよくないんですよ」
はぁ、と眉を下げるアズールはあれから変わらず勉強熱心だった。ミドルスクールの頃にはユニーク魔法を取得したらし。彼のユニーク魔法が何なのかは知らない。何度か聞いてみても濁すばかり。どうやら今後のことを考えてあまり人に話すつもりがないとか。いつもそんな感じで濁される。
――深く聞かれたくないからもう聞かないけれど。
ジェイドやフロイドのリーチ兄弟は知っているらしく。いつもその話の度に茶化す。それに妹たちは少し不満らしいけれど結局話してもらえていない。
「いいのだけれどね……あ、ジェイドとフロイドも入学許可書来たの?」
「はい。だから一緒に訓練所に行ってきます」
「助かります」とにっこりとビジネススマイルを浮かべる。そんな笑い方ばかりして、と思いながらも彼はお母様のように経営者を目指しているみたい。そのために魔法以外にもたくさん勉強しているみたい。
「アズールは勉強熱心よねぇ」
「なんですか、そんなしみじみと」
「しみじみしているのよ」
ちょっと嫌そうな顔をするアズール。最近、こういう年下扱いというか、子どもみたいな扱いがイヤみたい。そこまで小さい子ども扱いしているわけじゃないのに。
「そういえばヴァネッサとレティシアにも来たんですか?」
「ええ。わたしと同じブルームノヴァカレッジから入学許可書が来たわよ」
妹たちもこの度わたしと同じ魔法士養成学校に入学することになった。わたしは4年生に進級して学外の研修に行ってしまうから一緒に学校生活を送れないのが残念。
「あ、そうだ。陸に上がったら入学プレゼントを贈るわ」
「別に気にしなくてもいいですよ」
「幼馴染としてお祝いさせてちょうだい」
「ね」と言えばアズールは少し視線を逸らして「ならお言葉に甘えて」と返した。最近か貸し借りとかそういうのがイヤみたいだけれどこういうときのプレゼントだけは気にしないでほしい。
「ふふ。楽しみにしていてね」
「では、遠慮なく楽しみにしていますよ」
そんな会話をしたのはもう、もう、ずっと前のような気がした。
* * *
「ん、んんぅ」
あまり好きじゃない音が耳元で響いている。音の発信源を探りながらベッドに手を這わせると硬くて薄い板が手に当たった。それを表にしてまた手探りで画面をタップすると煩い音が鳴りやんだ。
そのままもう一度眠気がトロトロ降りてくる。けれど必死に押しやって何とか重い瞼を上げるとカーテンの隙間から零れる朝日が僅かに見えた。
「あさ……あさぁ」
昨夜はずっと参考書にタブレットを覗き込んでいたからまだ脳みそが疲れている。疲れているけれど、懐かしい夢を見た。
「ちいさいころのあずーる……」
それだけじゃなかったけれど久々に彼を見た気がする。夢の中だけれど。そもそも彼を夢で見たのはほとんど初めてな気がする。
「なんかいやなことあるのかしら……」
うんしょ、と何とか身体を起こして目を瞬かせる。それから身体を伸ばしてストレッチをする。ようやく起きて来た頭でベッドに腰かける。
「ふぁ。久々に連絡とってみようかしら」
寮対抗マジフト大会も、ハロウィンも終わって、試験も終わったはず。とはいえ、彼は今年から寮長になったし、カフェの支配人もやっているらしくて多忙なのは変わらない。
「返信あるかしら」
首を傾げながらスマホを手に取ってメッセージアプリを立ち上げようとしたら。
「あら。ノアからだわ」
わたしたちの従兄弟でアズールたちと同じナイトレイブンカレッジに通っているノア。彼はたまにアズールやジェイドにフロイド。果てにはヴァネッサやレティシアの情報を報告してくれる。とても心配性の従兄弟。
秋学期が終わるからその報告かなと思ってアプリを立ち上げると――。
「ぇ」
そこに書かれているある名前と単語にわたしの思考回路は一時停止した。その単名前と語というのは――。
「アズールが、オーバーブロット……?」
声に出した言葉に血の気が一気に引いてこれからの予定がすべて真っ白になった。
そして、わたしは迷いなくナイトレイブンカレッジに入れるように根回しを始め。ウィンターホリデー初日に入場を許可されたのだった。
2024.02.05
初めて出会ったのはまだ彼がまだ泣き虫墨吐き坊やだった頃。両親の仕事で共に訪れたレストランテ。そこのオーナーであるアズールのお母様に同じ年ごろの子どもがいると聞いて紹介されたのがアズール・アーシェングロット。むっちりとした丸い頬と不安そうに眉を下げた彼が初めて会ったときのアズールだった。
「こんにちは。はじめましてルーシー・エイヴォリーです」
両親たちが仕事の話があると言って離れわたしとアズールが部屋に残された。わたしは少しだけ距離を縮めてみた。すると彼は手と下にドレスのように広がっていた8本の足をもにょもにょとさせて恥ずかしそうに下を向いてしまった。
長期戦になるかなと思ったら小さな声で「アズール・アーシェングロットです……」と小さな声で自己紹介してくれた。返事をしてくれたことが嬉しくて尾ヒレを揺らす。すると「きれいだね」とまた小さな声が聞こえた。
「きれい?」
「うん。尾ヒレ、きれいだね。いいな……」
羨ましさの籠った声は何度も聞いたことがある。例えば、美しい両親によく似た顔立ち。妬ましさが籠った眼差しと共によく言われることだった。でも、彼の視線は違う。わたしの顔ではなくわたしの尾ヒレに向かっていた。
「尾ヒレなら皆似たようなものよ」
「ぼくは違うもの……」
さっきの気恥ずかしさに動いていた8本の足を嫌そうに動かす。その彼の黒くぬるぅっとした足を初めて見た。もちろんタコを見たことがないわけじゃないけれど、タコの人魚を見るのは初めてで確かにわたしたち人魚のような鱗はない。でも、黒と紫の足はぬるりと動くと艶があるように見えた。
よく見たくてすいと泳いで近づくと、同時に彼はびくと小さく跳ねて後ろにぴゅっと下がってしまった。早い動きに目を瞬かせて我に返る。
「ごめんなさいね。ちょっと、そのよく見たくなってごめんなさい」
そもそも人魚の尾ヒレをよく見たいなんて親しい間でもめったにない。珍しい〝足〟につい失礼なことをしてしまった。
「ごめんなさい」
「いいよ。僕も見ちゃったから……」
「僕もごめんね」と言って逃げた分また戻ってくれた。ゆっくりとしたその動きが何だか可愛くて頬が緩む。
「なに……」
ちょっと不安そうな声がした。あ、と思って彼を見れば深い青の瞳がわたしを不安そうにみていた。どうして、そういう瞳をするのだろうかと思いながら「かわいくて」と答える。
「か、かわいい?」
「うん。ゆっくりと動いてこっちに近づくのがなんか可愛かったの」
「……ノロいってこと」
「え」
眉をぐっと下げて泣きそうな顔にわたしは慌てて両手を振る。どうしてそういうことにとなるのか分からなかった。
「ノロいなんて思わないわ」
「でも、僕タコだし……」
しゅん、しゅんと下がる顔に何となく彼が普段何か言われていることが分かった。それにわたしはムッと眉間に皺を作る。
「タコは俊敏な生き物よ。ノロマじゃないわ」
「でも、皆はそう言うよ」
「その子たちはタコを知らないのかもしれないわね」
「え、ぇえ……」
そうかなぁと言いたげな顔をしながらもさっきの悲壮感は薄らいでいる。
よかった、と思いながら私はすいともうひと泳ぎして近寄る。さっきよりもぐっと近くなった距離に彼は逃げることなくチラチラとわたしを見る。
「わたしと一緒に遊びましょう」
手を差し出すと彼は、アズールは、わたしより少しだけ小さな手で握り返してくれた。その柔らかい手を忘れることはなかった。
* * *
アズールと出会って数年。両親は度々アズールのお母様がオーナーを務めるレストランテで公演を行っている。その度に、わたしも連れて行ってもらっているし、今となっては双子の妹たちも一緒。
彼と妹たちの関係は心配したことにならず仲良くやっている。今ではアズールも気安く妹たちに接している。
今回も妹たちと一緒にアズールと遊ぼうと思ったのだけれど。
「あれ? アズールは?」
妹のひとりレティシアが辺りを見まわす。「いないわねぇ」ともう一人の妹のヴァネッサも辺りをきょろきょろ見まわす。わたしも倣って見まわすけれどいつもいるところにおらず――。
「あら? あれって……」
岩陰にひっそりと人工物なようなものが見えた。陰に溶け込もうとしている紫色の大きなアレは――。
「壺?」
わたしはすいすいと岩陰にひっそりと潜む壺らしきものへ泳ぎ進む。後ろから妹たちが着いて来るのを感じながら辿り着くとガリガリと削るような音が聞こえた。
この音には聞き覚えがある。学校の授業で貝殻に書き取る音だ。
「アズール?」
壺の中に彼がいることを確信しながら名前を呼ぶ。すると、黒と紫の足が見えた。そして、その足は先忙しなく貝殻に書き取りをしていた。よく見ればそれは魔術式だったり、薬草の効能だったりエレメンタリースクールの彼が学ぶには難易度が高いもののように見えた。
――わたしもまだ習ってないわ。
普通の学校にも通っているけれど、別に魔法を学ぶための家庭教師が週に何回か家に教えに来てくれる。だから、他の子よりも魔法には詳しいつもりだったけれど彼が貝殻に書いている術式は中々理解が難しかった。
一体、どうしてこんなことをし始めたのかしら。一心不乱に書き取りを続ける彼に声をかけるべきか躊躇しているときだった。
「あ、アズール」
「なんだここにいたのね♪」
後ろから妹たちが各々壺の中を覗き込んだ。それからいつものように遊びに誘うような言葉をかける。
「二人とも、ちょっと――」
「ああ~ッッッ! うるさいなぁッ!」
今まで聞いたことがないアズールの怒鳴り声が壺に響く。同時に振り返ったアズールの瞳の青い瞳が轟轟と怒りに燃えていた。その瞳で睨まれて傍にいた妹たちの気配が怯えるように揺れた気がした。そうだ。今までふざけ合ってこうして怒鳴られたことはなかったのだから。
「アズール……」
妹たちが下がるのを見てわたしは彼の名前を呼ぶ。するとハッと鋭かった両目が開いた。そして、ようやくわたしたちの姿を見たのか「ルーシー……」と名前を呼ぶと「ぁ」と小さく声を零した。
それから吊り上がっていた眉と目じりを下げて「僕、僕……」といつもの彼の声が聞こえた。突き放すような気配がなくなったことに安心しながら「大丈夫よ」と声をかける。
「わたしたちもいきなり声をかけてごめんね」
「……ルーシーたちは悪くないよ」
手にしていたペンと足が持っていたペンがおもむろに置かれる。そからずるずると壺の底に向けていた身体をこっちに向けた。
「怒鳴ってごめん」
「怖かったわ」
「耳が痛くなっちゃう」
じりじりと下がっていた妹たちも戻って気安く声をかけた。それでもさっきのアズールが怖かったのかわたしの身体にぴったりとくっついている。
アズールは居心地の悪そうにペンを指で弄り始めた。
「……ごめん」
「もういいのよ。それにしてもアズールったらすごいわね」
壺の入り口にあった貝殻をひとつ取ってみる。一瞬、タコの足が戸惑いがちに動くけれどすぐに大人しくなった。そんな動きを目の端でとらえながら貝殻に書かれたものを見る。両脇から妹たちも覗き込むけれど「わからないわ」「術式ってことはわかるけど」と言っていた。最近、魔力があることが分かった妹たちはまだ魔法の勉強を始めたばかり。わたし以上に内容が分からないらしい。
「わたしも、高等な魔法の術式ってことくらいしかわからないわ」
「姉さまも?」
「アズールは?」
妹たちがわたしから離れて壺を覗き込む。魔法に興味津々な妹たちの視線にたじろぎながらアズールが背中を向けた。
それから何か壺に当たる音がすると、背中を向けていたアズールがこっちを向いた。振り返ったアズールの手には二枚の貝殻があった。
彼は足を動かして壺から恐る恐るというように出て来た。
「これならわかると思うよ」
おずおずと差し出した二枚の貝殻を妹たちに差し出した。妹たちは貝殻を覗き込むと揃って声を上げて手に取った。
「これ! この間先生に教えてもらったやつ!」
「でも、ちょっと違うわよ。あ! 宿題の応用術式の!」
「ええ! あ! ほんとだ!」
わぁ、と揃って感嘆の声を出すと妹たちが「もらっていい!」と声を揃えた。それは流石にと止めるけれどアズールは首を縦に動かした。
「いいよ。もうとっくに覚えたし……まぁ基礎だしね」
最後はちょっと含みのある言い方をするアズールの表情は柔らかく戻っていた。
それに安心すると同時にどうして壺に籠って勉強をしているのか気になった。前回会ったときも勉強はしていたけれど宿題とかそれくらいだったのに。
「アズール。突然、難しい勉強なんてしてどうしたの?」
「ぇ」
アズールのやわらいだ表情が強張った。わたしはそれですぐに突いてはいけないところを突いていたことに気づいた。
「あっと、何か魔法に興味を持つことでもあったのかなって」
「……ぅん。その、この間、お店に来た人が話してくれたユニーク魔法のことが気になって」
苦し紛れのような答えのように聞こえた。でも、それ以上聞くこともできこの話を打ち切ることにした。
その日を境にアズールは会う度に自信に満ちていった。勉強をして自信がついたからかもしれないし、成長と伴いぷっくりしていた身体がすらりとしていったからかもしれない。口調もすっかりと大人びたものになり、ジェイドとフロイドという友達もできた。ちなみに彼らのことを〝友達〟というと渋面になって「違います」と言われる。
自信に満ち溢れているアズールを見ると何かひっかかるものがずっとあった。でも、それが何かわからないまま時だけは過ぎて行って――。
「ルーシー。これ見てください」
「あら、まぁ」
彼が見せてくれたのはあの有名な魔法士養成学校の入学許可書だった。それを見せるアズールは少しだけ幼い頃に似ていて可愛らしかった。
「おめでとう。じゃあ、入学前に陸の訓練所に通うことになるのかしら?」
「はい。ルーシーたちは通ってないんでしたっけ」
「ええ。両親や親族が陸生活の経験があるからね」
ある一定の年齢になると我が家は陸と海を行き来する。子どもたちは基本海での生活だったけれど、長期休みになると陸生活の両親に合わせて陸に上がっていた。だから、魔法士養成学校のブルーノヴァカレッジに通うのもなんら問題がなかった。でも、多くの珊瑚の海の子は陸に引っ越すか、アズールのように魔法士養成学校に通うか、はたまた大人になったときくらいにしか〝人間〟になる機会がない。そもそも一生を海で過ごす人魚の方が多い。
「ほんとうは訓練所に行く前に予習をしたいのですが文献がどうもよくないんですよ」
はぁ、と眉を下げるアズールはあれから変わらず勉強熱心だった。ミドルスクールの頃にはユニーク魔法を取得したらし。彼のユニーク魔法が何なのかは知らない。何度か聞いてみても濁すばかり。どうやら今後のことを考えてあまり人に話すつもりがないとか。いつもそんな感じで濁される。
――深く聞かれたくないからもう聞かないけれど。
ジェイドやフロイドのリーチ兄弟は知っているらしく。いつもその話の度に茶化す。それに妹たちは少し不満らしいけれど結局話してもらえていない。
「いいのだけれどね……あ、ジェイドとフロイドも入学許可書来たの?」
「はい。だから一緒に訓練所に行ってきます」
「助かります」とにっこりとビジネススマイルを浮かべる。そんな笑い方ばかりして、と思いながらも彼はお母様のように経営者を目指しているみたい。そのために魔法以外にもたくさん勉強しているみたい。
「アズールは勉強熱心よねぇ」
「なんですか、そんなしみじみと」
「しみじみしているのよ」
ちょっと嫌そうな顔をするアズール。最近、こういう年下扱いというか、子どもみたいな扱いがイヤみたい。そこまで小さい子ども扱いしているわけじゃないのに。
「そういえばヴァネッサとレティシアにも来たんですか?」
「ええ。わたしと同じブルームノヴァカレッジから入学許可書が来たわよ」
妹たちもこの度わたしと同じ魔法士養成学校に入学することになった。わたしは4年生に進級して学外の研修に行ってしまうから一緒に学校生活を送れないのが残念。
「あ、そうだ。陸に上がったら入学プレゼントを贈るわ」
「別に気にしなくてもいいですよ」
「幼馴染としてお祝いさせてちょうだい」
「ね」と言えばアズールは少し視線を逸らして「ならお言葉に甘えて」と返した。最近か貸し借りとかそういうのがイヤみたいだけれどこういうときのプレゼントだけは気にしないでほしい。
「ふふ。楽しみにしていてね」
「では、遠慮なく楽しみにしていますよ」
そんな会話をしたのはもう、もう、ずっと前のような気がした。
* * *
「ん、んんぅ」
あまり好きじゃない音が耳元で響いている。音の発信源を探りながらベッドに手を這わせると硬くて薄い板が手に当たった。それを表にしてまた手探りで画面をタップすると煩い音が鳴りやんだ。
そのままもう一度眠気がトロトロ降りてくる。けれど必死に押しやって何とか重い瞼を上げるとカーテンの隙間から零れる朝日が僅かに見えた。
「あさ……あさぁ」
昨夜はずっと参考書にタブレットを覗き込んでいたからまだ脳みそが疲れている。疲れているけれど、懐かしい夢を見た。
「ちいさいころのあずーる……」
それだけじゃなかったけれど久々に彼を見た気がする。夢の中だけれど。そもそも彼を夢で見たのはほとんど初めてな気がする。
「なんかいやなことあるのかしら……」
うんしょ、と何とか身体を起こして目を瞬かせる。それから身体を伸ばしてストレッチをする。ようやく起きて来た頭でベッドに腰かける。
「ふぁ。久々に連絡とってみようかしら」
寮対抗マジフト大会も、ハロウィンも終わって、試験も終わったはず。とはいえ、彼は今年から寮長になったし、カフェの支配人もやっているらしくて多忙なのは変わらない。
「返信あるかしら」
首を傾げながらスマホを手に取ってメッセージアプリを立ち上げようとしたら。
「あら。ノアからだわ」
わたしたちの従兄弟でアズールたちと同じナイトレイブンカレッジに通っているノア。彼はたまにアズールやジェイドにフロイド。果てにはヴァネッサやレティシアの情報を報告してくれる。とても心配性の従兄弟。
秋学期が終わるからその報告かなと思ってアプリを立ち上げると――。
「ぇ」
そこに書かれているある名前と単語にわたしの思考回路は一時停止した。その単名前と語というのは――。
「アズールが、オーバーブロット……?」
声に出した言葉に血の気が一気に引いてこれからの予定がすべて真っ白になった。
そして、わたしは迷いなくナイトレイブンカレッジに入れるように根回しを始め。ウィンターホリデー初日に入場を許可されたのだった。
2024.02.05