アズール
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
永遠に続く取引を
ああ言えば、こう言う。アズールは彼女のそういう面を煩わしく思っていた。
彼女の方が三つも年上で成人しているからか。幼い頃の泣いていることしかできなかった自分を見ているからなのか。アズールが「是」と言っているのに年上だから、大人だからとあっさりと拒否する。
「健全なお付き合いをしましょ」
美しく整った眉を困ったように下げる。その下げ方はジェイドと異なり本当に困っているという印象を抱かせる。だから、本当に困っているのだろう。これ以上彼女を困らせるような駄々を捏ねる子どもみたいなことはしたくない。したくないが。
「健全とはどのあたりを言っているんですか」
眼鏡のブリッジを押し上げてかけ直しながら訊ねる。
彼女は両眉を下げたまま長い睫を僅かに伏せてしどろもどろしだす。周りから様々な視線を向けられ、果てには未成年の頃から大富豪にプロポーズもされているのに初心な反応だった。
この人も慣れていないんだろうな。アズールはじっと視線をあちらこちらに彷徨わす年上の恋人を見る。さてさていつも年上ぶって、経験者ぶっている彼女はどんな言葉で返すだろう。お手並み拝見とティーカップに手を伸ばす。
アズールが紅茶を一口飲んだ後、覚悟を決めたのか美しい唇が震えながら動く。とうとうか、とソーサーにカップを戻すが――。
「キス、とかはなし、よ」
「はぁ?」
震える綺麗な唇からこぼれ落ちた甘く美しい声で紡がれた言葉。まさか、そこからとアズールは意味もなく眼鏡をかけなおして透き通るような頬に薔薇を散らす恋人を見る。
「流石にそれはないんじゃないですか?」
「なくはないわ。私、年上だし成人しているから」
ノータッチと囁く恋人にアズールは間抜けに口をあんぐりと開ける。
頭が痛くなるとこめかみを揉みながら恥じらう乙女のような人魚を睨む。
「告白のときにキスしたくせに何を今さら」
「あ、あれは! 勢いよ!」
頬のみ染まっていた薔薇の色が顔や細い首筋にまで広がっていく。小さな子どもが訴えるように細い腕を上下に振っている。本当に咄嗟のときの仕草が子ども染みている人だ。
でも、中身が子ども染みているわけではない。理性がしっかりと知っているのか。倫理観がしっかりとしているのか。
人魚に理性ね、と心の中で嗤う。ウツボの兄弟が傍にいるせいか。出身地のせいか。理性なんて儚く脆いものだと思っている。いや、時と場合で総動員するときはあるが、こと今の場面でアズールが理性を優先する気はない。
「勢いで一回したならもう意味がないのでは?」
「ぅ、ぇ、でも、よ」
「でも?」
「なんです」と訊き返せば真っ赤な顔のまま歌手とは思えないほどか細い声で答えた。その内容にほくそ笑みながら「聞こえません」と言う。言うや否や潤んだ瞳で睨みつけて来る。その顔が彼女の妹そっくりで姉妹なんだなと再認識できた。
「で、なんです?」
「もう! 酷いわ! 大人をからかわないで!」
声をあげた彼女はすぐに周りを気にするがここは個室だ。政治家や芸能人様々な業界の重鎮も御用達の会員制のレストラン。会食以外にも利用ができるので彼女のような身分にはもってこいの場所だ。その場で食事だったのでアズールも制服を脱いでドレスコードに合わせた服を着ている。ついでに、万が一ということも備えてアズールは魔法を確認済みだ。
「誰も見ても、聞いてもいませんよ」
「……知っているわ」
嘘つけ。絶対忘れていただろ。そんなことを口にしないように微笑む。バツの悪い顔をする彼女は拗ねたように眉を寄せる。大人だ、年上だ、という女性のする顔じゃないだろ。
「大人なんですからこれくらいで拗ねないでください」
「拗ねていないわ……はぁ。すっかり意地悪な男の子になって」
フンと顔を背ける彼女はすっかり大人の皮がはがれている。世界の歌姫でもなく、音楽一家の名門の姫君でもなく、アズールのただの幼馴染の女の子。
もう女の子というには確かに大人になっている。けれど、やっぱり彼女は少し年上だけのお姉さん。年上であることに変わりはないけれど三つたかが三つ。その三つはもうすぐ意味のない年数となる。それをまだこの人がわかっていないだけ。
ならば、ここはアズールが一歩引くべきなのだろう。この無自覚に我が儘な姫君に膝を折る王子様または騎士のように従うべきなのだろう。
面白くない。アズールは珊瑚の海で決められた成人に来年なる。一年待てばいいが一度キスをしてその柔らかさも甘さも知ってしまえば男子高校生であるアズールには辛い。
人魚だから余計に辛い。人魚は人間の姿になっても番いが出来れば子孫を残したくなる。そういう欲も込みでアズールは目の前の焦がれに焦がれた〝女〟に触れたいのだ。
でも、それを言ったところで余計頑なな態度をされそうなので口を噤む。
溜息をついて我が儘な人魚姫のお願いに応えることにした。
「わかりました。あなたの〝お願い〟を飲みます」
「あら、どういう風の吹き回し?」
不思議そうな少女めいた眼差しを向ける彼女に笑みを向ける。とたん、薄い肩が跳ねる。流石幼馴染というところだろうか。
「対価を要求しても?」
「はぁ。出た」
頭を振る彼女だが彼女の方こそ忘れていたのだろう。幼馴染だから、恋人だから、とこちらが不利になることをアズールが無条件に飲むわけがないと。
「ぅうん。それは私で可能なことなのよね」
「もちろんです」
芝居がかった声で頷き返す。彼女は難しい顔のままほっそりとした手を頬に当ててまた悩ましげに吐息を零す。
「わかったわ。ああ、ひとつ確認だけどいい?」
「ええ。何ですか?」
ナイトレイブンカレッジ生と取引をするような口ぶりで返す。彼女はしょうのない子という態度のままなのが癪に障るが今は気にしないでおこう。
「期限はあなたが誕生日を迎える日まで?」
「え?」
「だから、あなたが十八歳になるまででいいのね?」
意外な申し出に一瞬呆けたけれどアズールはすぐ気を持ちなおして頷く。
「はい。そのつもりです」
「そう……ならいいわ」
「はぁ」
なんの確認だったのだろう。わからず優雅に微笑むのだからこっちも警戒してしまう。すると、目を細めて優雅さに艶っぽさを含んだ笑みに変わる彼女にやはり警戒心が強く鳴る。これって恋人同士のやり取りかとさえ疑問にも思うが気を抜いてはいけない。
「で、対価は何かしら」
調子を取り戻したらしい彼女にアズールも常のような態度を取る。そして、彼女の将来さえもぎ取る対価を要求した。
「カフスボタンをオーダーメイドで作ってほしいんです」
「カフスボタン……?」
アズールの対価の意図が読めないのか怪訝な顔をする恋人。その表情にごもっともとアズールは営業スマイルのまま「鉱山ありますよね」と言った。瞬間、彼女は全てを理解したと目を見開き苦々しい表情をした。
「駄目よ。アレで作ったものなんて、あなたの将来を縛るものよ」
「だから、ですよ」
席から立ち上がって彼女の傍に立って顔を見下ろす。椅子に座ったままの彼女をアズールは立ったままでも見下ろすくらい背が伸びた。少し前は彼女の方が高かった。でも、今は身体も、手のひらも、何もかもアズールの方が大きい。成長はしている。あの泣くだけしかできなかった自分から成長している。
「それともあなたに相応しい男ではないと?」
「ないわ!」
それはないの、と首を左右に振る彼女は細い手を組んで膝に乗せる。視線さえアズールから逸らし下へ下へと移動していく。さらりと流れる絹糸のような髪。すべて美しいもので作られた美しい女。でも、どうしてもこの人はネガティブ思考になるから。
「心変わりがないなんて言えないでしょ」
ほらアズールの心容易く引っ掻き回す。柔らかい声で鋭く心を突き刺す。
「好きな人、他にできるかも」
「それはあなたにも言えることでしょ」
「ッ」
下に向けていた視線が再びアズールを捉える。同じ言葉を返しただけなのに彼女の方が酷く傷ついているような顔をする。酷いのはお互い様だというのに好きな人をわかって傷つけたという苦しさがアズールに込み上げる。
でも、この人はわからせないと本当にわからないから今だけは許されたい。
「そういうことでしょう」
違わないでしょう。言葉を塞ぐように続ければ沈痛な面持ちをする彼女。それでも視線を逸らさない彼女は瀬戸際にいるだろうか。
まったく世話のかかるひとだ。アズールは膝をついて頑なに握りしめられている両手を片手で覆う。本当に小さくなったものだ。
「あなたにならいいですよ」
本心。真っ白な本心を口にする。将来歩く道は自分で決めるし、決めている。それに向けて今人脈も築いている。今、このとき学生だからと手放す時間ではない。それはようやく手を取ってくれた彼女に対してもそうだ。
これが多分アズールの愛の形。己の人生の一部を差し出すことができる相手。長い時間の一部を差し出せる相手。時間を共有し溺れたいと思う相手。それが年上ぶっているくせにガラス細工のように儚い彼女。こちらに執着という愛を向ける彼女。
「あなたに僕の時間の一部差し上げます」
だから、誰か他のモノにならないでほしい。ずっとアズールだけに執着して愛していて欲しい。その代り自分の限られた時間を差し出すから。
「僕と婚約してください」
様々な愛の形が存在する世界。それでもお互い抱き相手に向ける愛は一般的ではないだろう。それでも愛を合わせて行きたいと思う。
膝を突いたまま彼女を見上げる形で返事を待つ。彼女の答えを待つ。でも、来ないとどうしようと焦りが込み上げたとき――ふわりと微笑んだ。
「ええ。いいわ。今度会う時に贈らせてもらうわ」
無邪気さを含んだ微笑みはいつぶりだろうか。少女のような笑みに気が抜けそうになるのを取り繕う。そして、頑なに握られていた手が解けたのを見てほっそりとした手を取る。
「では、取引完了ということで」
「ふ、ふふ。婚約が取引?」
「ぇ、あ゛」
そうか。そういうことになるのか。ならこれは解消されるのか。アズールはしまったといつにない失態に恋人がいるのを前に焦る。それにまた彼女がくすくす笑ってクンと手を引く。呼ばれたアズールは再び彼女を見る。
艶っぽく目を細める彼女に鼓動が跳ねる。ふとしたときにやっぱり年上なのだと思い知らせる。たかが三年も今だけは馬鹿にできない。
「いい。アズールあなたがいました取引は、ね」
すっと音もなく美しく立ち上がった彼女。その顔は随分下にあるが威圧感を持ってアズールに迫る。
艶っぽく煌めく彼女の瞳に引き込まれながら「なんです」と返す。彼女はやはり唇に艶を乗せた笑みを浮かべて魅惑の魔女のように囁く。
「絶対に取り消しができない取引となったのよ」
もう成人したら解消の取引ではなくなった。永遠の取引を今この瞬間アズールは結んでしまった。それに後悔する日が来るなんて今のアズールはわからない。
ああ言えば、こう言う。アズールは彼女のそういう面を煩わしく思っていた。
彼女の方が三つも年上で成人しているからか。幼い頃の泣いていることしかできなかった自分を見ているからなのか。アズールが「是」と言っているのに年上だから、大人だからとあっさりと拒否する。
「健全なお付き合いをしましょ」
美しく整った眉を困ったように下げる。その下げ方はジェイドと異なり本当に困っているという印象を抱かせる。だから、本当に困っているのだろう。これ以上彼女を困らせるような駄々を捏ねる子どもみたいなことはしたくない。したくないが。
「健全とはどのあたりを言っているんですか」
眼鏡のブリッジを押し上げてかけ直しながら訊ねる。
彼女は両眉を下げたまま長い睫を僅かに伏せてしどろもどろしだす。周りから様々な視線を向けられ、果てには未成年の頃から大富豪にプロポーズもされているのに初心な反応だった。
この人も慣れていないんだろうな。アズールはじっと視線をあちらこちらに彷徨わす年上の恋人を見る。さてさていつも年上ぶって、経験者ぶっている彼女はどんな言葉で返すだろう。お手並み拝見とティーカップに手を伸ばす。
アズールが紅茶を一口飲んだ後、覚悟を決めたのか美しい唇が震えながら動く。とうとうか、とソーサーにカップを戻すが――。
「キス、とかはなし、よ」
「はぁ?」
震える綺麗な唇からこぼれ落ちた甘く美しい声で紡がれた言葉。まさか、そこからとアズールは意味もなく眼鏡をかけなおして透き通るような頬に薔薇を散らす恋人を見る。
「流石にそれはないんじゃないですか?」
「なくはないわ。私、年上だし成人しているから」
ノータッチと囁く恋人にアズールは間抜けに口をあんぐりと開ける。
頭が痛くなるとこめかみを揉みながら恥じらう乙女のような人魚を睨む。
「告白のときにキスしたくせに何を今さら」
「あ、あれは! 勢いよ!」
頬のみ染まっていた薔薇の色が顔や細い首筋にまで広がっていく。小さな子どもが訴えるように細い腕を上下に振っている。本当に咄嗟のときの仕草が子ども染みている人だ。
でも、中身が子ども染みているわけではない。理性がしっかりと知っているのか。倫理観がしっかりとしているのか。
人魚に理性ね、と心の中で嗤う。ウツボの兄弟が傍にいるせいか。出身地のせいか。理性なんて儚く脆いものだと思っている。いや、時と場合で総動員するときはあるが、こと今の場面でアズールが理性を優先する気はない。
「勢いで一回したならもう意味がないのでは?」
「ぅ、ぇ、でも、よ」
「でも?」
「なんです」と訊き返せば真っ赤な顔のまま歌手とは思えないほどか細い声で答えた。その内容にほくそ笑みながら「聞こえません」と言う。言うや否や潤んだ瞳で睨みつけて来る。その顔が彼女の妹そっくりで姉妹なんだなと再認識できた。
「で、なんです?」
「もう! 酷いわ! 大人をからかわないで!」
声をあげた彼女はすぐに周りを気にするがここは個室だ。政治家や芸能人様々な業界の重鎮も御用達の会員制のレストラン。会食以外にも利用ができるので彼女のような身分にはもってこいの場所だ。その場で食事だったのでアズールも制服を脱いでドレスコードに合わせた服を着ている。ついでに、万が一ということも備えてアズールは魔法を確認済みだ。
「誰も見ても、聞いてもいませんよ」
「……知っているわ」
嘘つけ。絶対忘れていただろ。そんなことを口にしないように微笑む。バツの悪い顔をする彼女は拗ねたように眉を寄せる。大人だ、年上だ、という女性のする顔じゃないだろ。
「大人なんですからこれくらいで拗ねないでください」
「拗ねていないわ……はぁ。すっかり意地悪な男の子になって」
フンと顔を背ける彼女はすっかり大人の皮がはがれている。世界の歌姫でもなく、音楽一家の名門の姫君でもなく、アズールのただの幼馴染の女の子。
もう女の子というには確かに大人になっている。けれど、やっぱり彼女は少し年上だけのお姉さん。年上であることに変わりはないけれど三つたかが三つ。その三つはもうすぐ意味のない年数となる。それをまだこの人がわかっていないだけ。
ならば、ここはアズールが一歩引くべきなのだろう。この無自覚に我が儘な姫君に膝を折る王子様または騎士のように従うべきなのだろう。
面白くない。アズールは珊瑚の海で決められた成人に来年なる。一年待てばいいが一度キスをしてその柔らかさも甘さも知ってしまえば男子高校生であるアズールには辛い。
人魚だから余計に辛い。人魚は人間の姿になっても番いが出来れば子孫を残したくなる。そういう欲も込みでアズールは目の前の焦がれに焦がれた〝女〟に触れたいのだ。
でも、それを言ったところで余計頑なな態度をされそうなので口を噤む。
溜息をついて我が儘な人魚姫のお願いに応えることにした。
「わかりました。あなたの〝お願い〟を飲みます」
「あら、どういう風の吹き回し?」
不思議そうな少女めいた眼差しを向ける彼女に笑みを向ける。とたん、薄い肩が跳ねる。流石幼馴染というところだろうか。
「対価を要求しても?」
「はぁ。出た」
頭を振る彼女だが彼女の方こそ忘れていたのだろう。幼馴染だから、恋人だから、とこちらが不利になることをアズールが無条件に飲むわけがないと。
「ぅうん。それは私で可能なことなのよね」
「もちろんです」
芝居がかった声で頷き返す。彼女は難しい顔のままほっそりとした手を頬に当ててまた悩ましげに吐息を零す。
「わかったわ。ああ、ひとつ確認だけどいい?」
「ええ。何ですか?」
ナイトレイブンカレッジ生と取引をするような口ぶりで返す。彼女はしょうのない子という態度のままなのが癪に障るが今は気にしないでおこう。
「期限はあなたが誕生日を迎える日まで?」
「え?」
「だから、あなたが十八歳になるまででいいのね?」
意外な申し出に一瞬呆けたけれどアズールはすぐ気を持ちなおして頷く。
「はい。そのつもりです」
「そう……ならいいわ」
「はぁ」
なんの確認だったのだろう。わからず優雅に微笑むのだからこっちも警戒してしまう。すると、目を細めて優雅さに艶っぽさを含んだ笑みに変わる彼女にやはり警戒心が強く鳴る。これって恋人同士のやり取りかとさえ疑問にも思うが気を抜いてはいけない。
「で、対価は何かしら」
調子を取り戻したらしい彼女にアズールも常のような態度を取る。そして、彼女の将来さえもぎ取る対価を要求した。
「カフスボタンをオーダーメイドで作ってほしいんです」
「カフスボタン……?」
アズールの対価の意図が読めないのか怪訝な顔をする恋人。その表情にごもっともとアズールは営業スマイルのまま「鉱山ありますよね」と言った。瞬間、彼女は全てを理解したと目を見開き苦々しい表情をした。
「駄目よ。アレで作ったものなんて、あなたの将来を縛るものよ」
「だから、ですよ」
席から立ち上がって彼女の傍に立って顔を見下ろす。椅子に座ったままの彼女をアズールは立ったままでも見下ろすくらい背が伸びた。少し前は彼女の方が高かった。でも、今は身体も、手のひらも、何もかもアズールの方が大きい。成長はしている。あの泣くだけしかできなかった自分から成長している。
「それともあなたに相応しい男ではないと?」
「ないわ!」
それはないの、と首を左右に振る彼女は細い手を組んで膝に乗せる。視線さえアズールから逸らし下へ下へと移動していく。さらりと流れる絹糸のような髪。すべて美しいもので作られた美しい女。でも、どうしてもこの人はネガティブ思考になるから。
「心変わりがないなんて言えないでしょ」
ほらアズールの心容易く引っ掻き回す。柔らかい声で鋭く心を突き刺す。
「好きな人、他にできるかも」
「それはあなたにも言えることでしょ」
「ッ」
下に向けていた視線が再びアズールを捉える。同じ言葉を返しただけなのに彼女の方が酷く傷ついているような顔をする。酷いのはお互い様だというのに好きな人をわかって傷つけたという苦しさがアズールに込み上げる。
でも、この人はわからせないと本当にわからないから今だけは許されたい。
「そういうことでしょう」
違わないでしょう。言葉を塞ぐように続ければ沈痛な面持ちをする彼女。それでも視線を逸らさない彼女は瀬戸際にいるだろうか。
まったく世話のかかるひとだ。アズールは膝をついて頑なに握りしめられている両手を片手で覆う。本当に小さくなったものだ。
「あなたにならいいですよ」
本心。真っ白な本心を口にする。将来歩く道は自分で決めるし、決めている。それに向けて今人脈も築いている。今、このとき学生だからと手放す時間ではない。それはようやく手を取ってくれた彼女に対してもそうだ。
これが多分アズールの愛の形。己の人生の一部を差し出すことができる相手。長い時間の一部を差し出せる相手。時間を共有し溺れたいと思う相手。それが年上ぶっているくせにガラス細工のように儚い彼女。こちらに執着という愛を向ける彼女。
「あなたに僕の時間の一部差し上げます」
だから、誰か他のモノにならないでほしい。ずっとアズールだけに執着して愛していて欲しい。その代り自分の限られた時間を差し出すから。
「僕と婚約してください」
様々な愛の形が存在する世界。それでもお互い抱き相手に向ける愛は一般的ではないだろう。それでも愛を合わせて行きたいと思う。
膝を突いたまま彼女を見上げる形で返事を待つ。彼女の答えを待つ。でも、来ないとどうしようと焦りが込み上げたとき――ふわりと微笑んだ。
「ええ。いいわ。今度会う時に贈らせてもらうわ」
無邪気さを含んだ微笑みはいつぶりだろうか。少女のような笑みに気が抜けそうになるのを取り繕う。そして、頑なに握られていた手が解けたのを見てほっそりとした手を取る。
「では、取引完了ということで」
「ふ、ふふ。婚約が取引?」
「ぇ、あ゛」
そうか。そういうことになるのか。ならこれは解消されるのか。アズールはしまったといつにない失態に恋人がいるのを前に焦る。それにまた彼女がくすくす笑ってクンと手を引く。呼ばれたアズールは再び彼女を見る。
艶っぽく目を細める彼女に鼓動が跳ねる。ふとしたときにやっぱり年上なのだと思い知らせる。たかが三年も今だけは馬鹿にできない。
「いい。アズールあなたがいました取引は、ね」
すっと音もなく美しく立ち上がった彼女。その顔は随分下にあるが威圧感を持ってアズールに迫る。
艶っぽく煌めく彼女の瞳に引き込まれながら「なんです」と返す。彼女はやはり唇に艶を乗せた笑みを浮かべて魅惑の魔女のように囁く。
「絶対に取り消しができない取引となったのよ」
もう成人したら解消の取引ではなくなった。永遠の取引を今この瞬間アズールは結んでしまった。それに後悔する日が来るなんて今のアズールはわからない。
2/3ページ