かわいい坊やよ、さようなら
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ゆっくりと歩んでいく
アズールがオーバーブロットしたと聞いて会ったのがウィンターホリデーの初日。あれからあっという間の1か月。
あれからアズールと度々メッセージのやり取りや通話をしている。たいていアズールが気になる人の話だったり、芸術関係のお話だったりする。たまにお互いの学校生活だったりするけれど、これはたまに。
今日は久々の通話でこの時期といえば魔法士養成学校の文化祭という話の流れになって開催地はどこだっけとなったときだった。なんと、今回の開催地はナイトレイブンカレッジという。
「あら。ならモストロ・ラウンジも大繁盛になるんじゃないの」
『そうなんです――と言いたいところですが開店するのは難しいことになりまして』
「あらそうなの?」
嬉しそうな声から一転アズールの声は残念さを孕んでいる。一体何の問題があるのかと思ったがアズールがボードゲーム部に所属だったことを思い出す。ボードゲーム部には魔導工学の天才と呼ばれるイデア・シュラウドが所属していた、というのもついでに思い出す。なるほど対応が大変そうだ。そもそもボードゲームは純粋に人気がでそうだ。
「たしかに忙しそうね」
『それもありますが、ジェイドもあれで一応文化ですし。なにより、うちの寮生の多くが文化部ですからシフトを回すのが難しいんですよ』
「ああ。なるほど、なら今回は完全にお休みにするの?」
『そんな勿体ないことしません!』
やる気の満ちた声に少しスマホから離れ、そっと戻り「何かするの?」と訊ねればアズールの意気揚々とした声が聞こえる。アズール曰く、どうやら出店や移動販売を行うらしい。これなら少ない人数でも回せるだろうと。
「ただでは転ばないと流石ね」
『ええ。なにより、今回はヴィルさんやネージュ・リュバンシェがボーカル&チャンピオンシップに出場するので来場者も昨年度の倍になることは間違いなしですからね』
『売上は見込めます!』と熱気を帯びた声にわたしは思わず笑ってしまった。それにアズールも我に返ったのかわざとらしい咳払いをして調子を戻す。
『そういえば貴方も一般来場者として来るんですか?』
「もちろん。友達とはちょっと予定が合わないから一人だけれど行くわよ」
ジェマもアリアも今年度は予定があるから来場できないとか。なら一人でもと思ってレティシアやヴァネッサにもちゃんと報告済み。他にも後輩の子たちもみたいし。
あ、そういえば二人ともなんで開催地がナイトレイブンカレッジって教えてくれなかったのかしら。それとも連絡したときは知らなかったのかしら?
ちょっと考えているとアズールが怪訝な声で『……大丈夫なんですか?』と訊ねてくる。
「どういうこと?」
アズールの懸念が分からずに訊ねてみればハァとため息が聞こえる。
『貴方、真珠のように光り輝く歌姫で売れてましたよね?』
「そうね」
『そうねって、ハァ~~貴方は有名人なんです! 一人ふらふらしていては危ないでしょ!』
「そうかしら?」
『そうかしら、じゃない! まったく危機感がないんですから!』
ぴしゃりと言われてしまった。危機感がないわけではないんだけれど、とはいえ、当日は芸能関係者もたくさん来るらしいし。ミーハーなヒトも多いなら気を付けるにこしたことはないということなんだろうか。
「気をつけておくわ」
『はぁ~~~~』
随分と深いため息にこれはちょっと流石に年上であるわたしに失礼では?
ちょっとムッときて「大丈夫よ」と言うが無言の信じられないという気配。
「平気よ! ほんとに!」
『わかりました、わかりました。ですが、何かあったら連絡してください』
「え?」
わたしの反応にアズールはもう何度目かというため息をついた。
『何かあったらレティシアやヴァネッサでは対応が難しいでしょ』
「それはそうだけれど、」
『僕だったら何かと対処できますから何かあればすぐに連絡してください』
『いいですね』と念を押されてしまったからわたしは「わかったわ」と返事をするしかなかった。とはいえ、たぶんなんもないと思う――たぶん。
『おや。もうこんな時間ですか……』
「あら、ほんと長くごめんなさいね」
時計を見ると通話が始まって20分くらいは立っていた。時間管理をしているアズールには長く付き合わせてしまったわ。
けど、アズールとこうしてまた気軽に話せるようになったのは嬉しくてついつい長くなってしまう。
「ふふ。今日も楽しかったわ」
『……僕も息抜きにはなりました。ありがとうございます』
気を使ってだろうけれどそう言って貰えるのは嬉しい。
アズールの言葉に頬を緩めながら最後に「文化祭頑張ってね」と伝える。それにアズールは自信満々に返事をした。その様子がありありと目に浮かぶ。
「わたしもボードゲーム部行くからね」
『お待ちしていますよ。では、おやすみなさい』
「おやすみ」
こうした挨拶をかわせるのもまた嬉しい。ほわほわした気持ちのまま画面をタップして通話を切る。そして、すぐに手帳の2月の頁を開く。
「結構すぐよね……んふふ。楽しみ」
アズールに会えるのが――と我に返って顔画熱くなる。
「や、やぁね。レティやヴァニーとも会うのは楽しみよ!」
あと、ジェイドもフロイドもとか色々誰に言っているのか分からない言い訳を口にする。それほど何だかアズールと会うことだけしか意識していなかった。
「……もう、なんなのかしらね」
やだわ。ドキドキする胸を押さえながら総合文化祭の開催日をメモして手帳を閉じた。
* * *
あっという間に全国魔法士養成学校総合文化祭の当日。僻地であるナイトレイブンカレッジでも多くの来場者がいる。きっと多くはVDCに出場するヴィル・シェーンハイトとネージュ・リュバンシェの目当てだろうけれど……。
「……これはすごい」
入場する前から周りは人、人、人、という人混みにサングラスをかけ直す。
もともと注目度の高い催しで、毎年多くの観覧者で溢れているけれど今年は段違い。よく見ればチケットの譲渡を求めるヒトもいる。チケットも入手困難レベルになっていると聞いたけれど流石世界的有名人ということかしら。
「はぁ。これは皆のところに辿り着くのも難しいかしら?」
意気揚々としていたけれど、何だか気持ちが悪くなってきた。人の波に流されながらもなんとか校内に入ったのだけれど、それがよくなかった。
校内から何とか中庭に出られたけれど……。
「はぁ……」
中庭も同じようにヒトで溢れていた。いや、よく見れば様々な学校の生徒が友だちとか家族と話しているみたい。なら、その邪魔にならないようにと端へ移動する。
にしても、移動中からチクチクと視線が身体中に刺さる。視線の中にはわたしが誰であるか探っているようなものもあるし、下品な視線もしっかりと感じる。
何とか端へと移動しながらも早く妹たちのところへと移動することを考える。今、下手に声をかけられたら上手く対処できるとは思えない。
せめて、もう少し静かなところへ行きたいわ。
無理かしら。なんて考えているとときだった自然と下へと向けていた視線に革靴のつま先が目に入った。
ああ、声をかけられちゃったと肩を落とすと同時に「大丈夫ですか」と耳に馴染んだ声が聞こえた。
ゆっくりと顔をあげるとサングラス越しに難しい顔のアズールが見えた。
難しい顔ではあるけれど知り合いに出会えて身体の力が抜ける。
「アズール……」
「随分顔色が悪いですね」
「まぁね」
実際具合が悪いし、サングラスをしていても具合が悪いのが分かるはず。というか、もう身体中から具合悪いですっていう雰囲気が出ているはず。
ふと、どうしてアズールがここに、と今更な疑問が浮かぶ。そもそもどうしてこんなタイミングよく表れた。
浮かんだ疑問を口にする前にミネラルウォーターとハンカチが差し出された。一度その二つを見て、アズールの顔を見る。特に何も言わないアズールにとりあえず受け取ることにした。
「ありがとう……」
「いいえ。にしても、まさか貴方の妹たちが言う通りになっているとは」
「ぇ?」
「きっと人混みに酔っているからよろしくって」
「まぁ」
いつの間にというかそれはそうだとしても、どうしてここが分かったのかしら。
わたしの分かりやすい視線にアズールがブリッジをあげて小さくため息をついた。
「マジカメに貴方の目撃情報が載っていましたよ」
「そうなの……」
やっぱりそういうヒトは一定数いるのね。今回は連絡する余裕もなかったからありがたかったといえるのか……いや、やっぱり、やめてほしい。とはいえ、忙しいのにアズールに余計な手間をかけさせてしまった。
「アズール。忙しい中、ごめんなさいね。あと、わざわざありがとう」
「いえ。とはいえ、この中庭は人が多いですから救護室に行きますか?」
「そんな、そこまでじゃないわ……」
休んでいれば平気と言ってみる。けれど、アズールは片方の眉を上げて目を細める。完全にわたしの言葉を信じている様子が見えない。
困ったわ。これ以上忙しいアズールに迷惑をかけられない。とはいえ、アズールもわたしが大丈夫というところが分からないと活動の支障になりそうだし。
「救護室ほどじゃないのだけれど、どこか静かなところってあるかしら」
「この状態では難しいですが……心当たりがあります」
視線を少し上に向けていたアズールの視線がわたしを捉える。先ほどまで難色を示していた瞳は少し落ち着いたように見えた。
アズールが納得いく形になったことに安心しながらもやっぱり心苦しい。
「ごめんなさいね。忙しい中、」
「今はボードゲーム部もシフト外ですから気にしないでください」
「そう」
自由時間ならそれはそれで申し訳ないのだけれど、これ以上考えるのも野暮ね。
「ルーシー。ひとまず水を飲んでから行きましょう」
指をさされてひんやりとした存在を思い出す。アズールの言われるまま水を飲むと気持ち悪い感覚が消える。ミネラルウォーター様様ね。
「ふぅ。アズールありがとう」
「ぁ、ぁあ、いえ。顔色も少しよくなりましたね」
何だかちょっと視線が忙しないアズール。どうしてかよく分からないけれど、確かにさっきより気分が良くなった気がする。これなら大丈夫と言いたいけれど。
「大丈夫だからいいという言葉は受け付けません。さ、行きますよ」
「はい……」
忙しなかった視線がわたしをロックオンしてピシャリと言われてしまった。そうね。少しだけだもの。あくまで少しだけ。
ゆっくりと立ち上がるとアズールが自然と腕を差し出してくる。スマートさに惚れ惚れしながらその腕を前と同じように取る。
「気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「わかっています。ふふ」
自分が年上だと忘れてしまうような言葉に思わず笑みがこぼれる。アズールは一瞬不思議そうな顔をしたけれど、追及することなくゆっくりとした足取りで歩き始める。
わたしを気遣った歩調に胸が暖かくなりながら歩き出す。その足はさきほどのような重さはなかった。
* * *
アズールが静かな場所にゆっくりとわたしを気遣うように案内してくれたのだ。学園の裏手側で一般入場者が入っていいのかと思ったけれど、寮長も務めるアズールがいるからいいのかしら。でも、寮長だからダメなような、と考えながらも人の気配で溢れる場所から離れていく。
しばらく歩くと木々で茂場所に入ると空気がすっきりとして気持ちがよかった。よかったのだけれど――。
「……ねぇ。アズール」
「言いたいことは分かります」
アズールの苦々しい声と同時にあちら、こちらから、男女の睦み合う甘い声が聞こえる。
これに何だかこちらが気恥ずかしくなるし、気まずくなる。
「ハァ。ルーシー」
アズールの手が腕にかけたわたしの手に重なる。それに少し驚いてしまった。ビクと跳ねた感触はアズールの手に伝わってしまっただろうか。伝わってしまっただろう。
ただ驚いただけだ、と口にしようとしても上手くでなかった。ただ心臓がなぜかドキドキと速い。
「来た道を戻ります」
「……わかったわ」
何とか出した声で頷き、アズールと共に来た道へと戻る。
来た道を戻ると言ったけれど、校舎へと戻るわけではなさそう。もはや、アズールがどこへ連れて行ってくれているのか分からない。校舎から離れる心配もあるけれど、それよりも。
「こんなに学校から離れて平気なの?」
「今の時間問題ないでしょう」
断言するアズールに少し不安になる。なにせ、校舎内外どこも人が溢れていたのだから。しかも、アズールの部活はボードーム部と、人気もあって忙しそうなのに。
「ほんと?」
「心配性ですね。ほんとに大丈夫ですから心配しないでください」
眉を下げるアズールはやっぱり大人びて見えた。さっきの皮手袋越しの手が大きかったことを思い出す。
なぜだかソワソワと落ち着かない。
「ならいいのだけれど……こんな奥に言って平気なの?」
「まぁ、ここまで入ってはいけないでしょうね」
「けど、あそこで戯れていた方々もねぇ?」と言いたげな笑みを浮かべるアズールに「なるほど」と腑に落ちてしまった。
「それに何か言われたとしても僕が貴方に学園案内していると言えばいいですし」
「あら、それいい設定ね」
「でしょう――だいぶ顔色もよくなってきましたね」
「……そうね」
確かに、頬を撫でる程よい風にだいぶ身体が楽になって来た。だから、もう戻ってもいいのだけれど、もう少しアズールと散策した気分だった。
アズールも顔色がよくなったことが分かるけれど、何も言わずわたしをどこかへと連れて行く。しばし会話を交わしたあとに静寂が訪れる。
会話がないことが苦にならない空気に穏やかな気分になっていると――いつの間にか足元には道ができていた。そして、目の前が開けた空間が出てくる。
「すごいわ」
遠くからでもはっきりと見える大きな木。この距離で大きく見えるのだからそうとう大きな木のはず。それが見えないということは相当校舎の裏側にあるということなのか。思わず、大樹とアズールを交互に見る。
「広い広いと思っていたけれど、こんな大きな木があるなんて流石ね」
「貴方の通っていた魔法士養成学校ほどではないと思いますよ」
「それは、まぁ、そうね」
わたしの魔法士養成学校は島すべてが学校の敷地だった。おかげで娯楽を求めるとなると外出必須の学校になったわけだし、こうした巨木もあったがこの大樹のような爽やかさはなく鬱蒼としていた。
「もう少し近くまで行きますか」
頷いてわたしは遠くからでも大きく見えた巨木にアズールと共に近づく。近づいたら本当に大きかった。
「すごいわ。見上げ過ぎて倒れてしまいそう」
「気をつけてくださいよ」
アズールの心配そうな声に「大丈夫」と笑って返す。
「ここ何か行事とか儀式に使ったりするの?」
「毎年ここで【星送り】が行われますよ」
「あら! こっちでも【星送り】するの!」
「あれ楽しいわよね」と続けるとアズールが目を瞬かせる。
おっと、これはどうやら学校での【星送り】に対する扱いが違うのが伺える。いったい、ナイトレイブンカレッジはどんな【星送り】をしているのか。
「やはり女子校ですから男子校と違って伝統行事の扱いが違うんですかね」
真っ先にアズールが訊ねてきた。たしかに何かにつけてイベントをしていたけれど、それは高校生くらいの年代なら男女共に関係ない気がするけれど。
「こっちでは【星送り】は人気ないの?」
「そうですね。まず、多くの生徒が全校生徒分の願い星を収集且つ舞を踊る【スターゲイザー】には選ばれたくないという状態」
「全校生徒分なんてそれは大変ね」
「そうでしょうね。でも、他人の願い事を訊けるなんてめったにないので僕はぜひ選ばれてみたいものですがね」
「たしかに、そうよね。でも、そうなると本当の願いを口にする生徒もきっと少ないんでしょうね」
自分が努力すれば叶いそうな願い。将来ではなく目先の願い事をお願いする生徒の方が圧倒的多いんだろう。実際、わたしもそうした願い事を【願い星】に込めていたから。
ふと、そういえば子どもの頃一度だけアズールと【星送り】をしたことがあった。
「小さい頃、一度だけあなたと【星送り】したわね」
「はい。一度だけですが、覚えていましたか」
「今思い出したけど……あなたは覚えていたのね」
「もちろん」
はっきりと告げるアズールの瞳は懐かしさが滲んでいた。正直、まだふっくらとしていて泣き虫の坊やだった頃のアズールだから忘れたい過去のひとつかと思っていた。
「あなたとの思い出はちゃんと覚えていますよ」
わたしの中を見透かしたような言葉をかけられた。わたしが分かりやすいのか、アズールの勘がいいのか。どちらも当たっているのか。なんて、どうでもよくて彼の言葉が嬉しくて胸が暖かくなる。
「そう言ってくれて嬉しいわ」
言っているうちに頬が熱くなるし、照れてアズールが見られない。それでも、しっかりと伝える。
「ほんとうに嬉しい」
噛みしめるように言ってじわじわと気恥ずかしさが増していく。これはもう戻った方がいい。
「アズール、ここまで連れてきてくれてありがとう。もう、戻りましょう」
パッと彼の方を見るとなんか顔が見えなかった。眼鏡がないと顔を覆えないはずだから、眼鏡を取っているのかしら。あ、よく見るともう片方に眼鏡があるわ。
けど、どうしたのかしら。もしかしてアズールの方が具合悪くなってしまったのかしら。
「アズールの方が具合悪くなったの? もう少し休んでいく?」
「いえ……いえ、なんでもありません」
平気です、と言って顔から手を退かしたアズールの顔は少し赤い。アズールもわたしたち姉妹に負けず劣らず白い肌をしているから赤くなると分かりやすい。
「顔が赤いじゃない。大丈夫なの?」
「平気です。これは、その、とりあえず大丈夫ですから」
眼鏡をかけ直したアズールがレンズ越しにじっと見下ろしてくる。
何か言いたげな瞳にじっと見つめ返すと大きなため息をつかれた。
「貴方は手ごわい」
「へ?」
「強敵です」
「ぇえ?」
ハァとまたため息をつくアズールにどういう意味か訊ねる前に腕を差し出される。反射的に腕を取るとアズールがまた何とも言い難い顔で「戻りましょう」と告げる。
「ええ。けど、結局今のはどういう意味なの?」
「まだ言いません」
フンと鼻を鳴らすアズールにこれは拗ねたのか。でも、何で一体どういうことなのか分からない。よく分からない状態ながら歩く。
来た時と同じようにアズールはゆっくりとした歩調。合わせてくれることがたまらなく嬉しくて、この時間が、流れる空気がたまらなく〝好き〟だと思った。
校舎に近づくと人の気配が感じ、賑やかな歓声も聞こえ始める。もうすぐこの時間が終わると思うと寂しい。
「もし、レティシアかヴァネッサのところに行くなら案内しますよ」
アズールからの提案はとても嬉しかったけれど、流石にこれ以上アズールを拘束することはできない。わたしは〝一緒にいたい〟という気持ちを堪えて首を横に振る。
「ありがとう。でも、もう大丈夫よ」
「……そうですか。まぁ、無理はしないでくださいね」
「ええ。無理しないわ」
そう言って会話が途切れる。そして、校舎に戻る前とアズールの方を見る。
「ここまでありがとう。とても助かったわ」
そっと手をアズールの腕から手を離す。それに名残惜しい気持ちが込み上げるがぐっと耐える。
「じゃ、残りの時間も頑張ってね」
「はい。貴方も気を付けてくださいね」
頷いて別れようと思ったけれど、ひとつ彼に告げたいことがあった。
「アズール」
「はい。なんですか」
「また、一緒に散策しましょうね」
彼の深海のように深い瞳が瞠ったけれど、すぐに弓なりにしなった。
「ぜひ、行きましょう」
その返答に嬉しくなって子どもみたいに「約束よ」と告げた。アズールはわたしの子どもっぽい言葉を指摘することなく「わかりました」と答えてくれた。
アズールとできた〝次〟の約束が今から待ち遠しい気持ちになった。
わたしのアズールに対する気持ちはゆっくりと、ゆっくりと、変化していった。
最終的にそれは深い愛に変わり、それを告げた頃にはアズールは学生ではなくなっていた。そして、より大人になった顔で「手ごわかった」と笑った。
待たせて悪かったな、と思うけれど、ゆっくりとしたわたしの歩みに付き合ってくれた彼のことをとても愛おしく思った。
「アズール、これからもよろしくね」
2025.06.23
アズールがオーバーブロットしたと聞いて会ったのがウィンターホリデーの初日。あれからあっという間の1か月。
あれからアズールと度々メッセージのやり取りや通話をしている。たいていアズールが気になる人の話だったり、芸術関係のお話だったりする。たまにお互いの学校生活だったりするけれど、これはたまに。
今日は久々の通話でこの時期といえば魔法士養成学校の文化祭という話の流れになって開催地はどこだっけとなったときだった。なんと、今回の開催地はナイトレイブンカレッジという。
「あら。ならモストロ・ラウンジも大繁盛になるんじゃないの」
『そうなんです――と言いたいところですが開店するのは難しいことになりまして』
「あらそうなの?」
嬉しそうな声から一転アズールの声は残念さを孕んでいる。一体何の問題があるのかと思ったがアズールがボードゲーム部に所属だったことを思い出す。ボードゲーム部には魔導工学の天才と呼ばれるイデア・シュラウドが所属していた、というのもついでに思い出す。なるほど対応が大変そうだ。そもそもボードゲームは純粋に人気がでそうだ。
「たしかに忙しそうね」
『それもありますが、ジェイドもあれで一応文化ですし。なにより、うちの寮生の多くが文化部ですからシフトを回すのが難しいんですよ』
「ああ。なるほど、なら今回は完全にお休みにするの?」
『そんな勿体ないことしません!』
やる気の満ちた声に少しスマホから離れ、そっと戻り「何かするの?」と訊ねればアズールの意気揚々とした声が聞こえる。アズール曰く、どうやら出店や移動販売を行うらしい。これなら少ない人数でも回せるだろうと。
「ただでは転ばないと流石ね」
『ええ。なにより、今回はヴィルさんやネージュ・リュバンシェがボーカル&チャンピオンシップに出場するので来場者も昨年度の倍になることは間違いなしですからね』
『売上は見込めます!』と熱気を帯びた声にわたしは思わず笑ってしまった。それにアズールも我に返ったのかわざとらしい咳払いをして調子を戻す。
『そういえば貴方も一般来場者として来るんですか?』
「もちろん。友達とはちょっと予定が合わないから一人だけれど行くわよ」
ジェマもアリアも今年度は予定があるから来場できないとか。なら一人でもと思ってレティシアやヴァネッサにもちゃんと報告済み。他にも後輩の子たちもみたいし。
あ、そういえば二人ともなんで開催地がナイトレイブンカレッジって教えてくれなかったのかしら。それとも連絡したときは知らなかったのかしら?
ちょっと考えているとアズールが怪訝な声で『……大丈夫なんですか?』と訊ねてくる。
「どういうこと?」
アズールの懸念が分からずに訊ねてみればハァとため息が聞こえる。
『貴方、真珠のように光り輝く歌姫で売れてましたよね?』
「そうね」
『そうねって、ハァ~~貴方は有名人なんです! 一人ふらふらしていては危ないでしょ!』
「そうかしら?」
『そうかしら、じゃない! まったく危機感がないんですから!』
ぴしゃりと言われてしまった。危機感がないわけではないんだけれど、とはいえ、当日は芸能関係者もたくさん来るらしいし。ミーハーなヒトも多いなら気を付けるにこしたことはないということなんだろうか。
「気をつけておくわ」
『はぁ~~~~』
随分と深いため息にこれはちょっと流石に年上であるわたしに失礼では?
ちょっとムッときて「大丈夫よ」と言うが無言の信じられないという気配。
「平気よ! ほんとに!」
『わかりました、わかりました。ですが、何かあったら連絡してください』
「え?」
わたしの反応にアズールはもう何度目かというため息をついた。
『何かあったらレティシアやヴァネッサでは対応が難しいでしょ』
「それはそうだけれど、」
『僕だったら何かと対処できますから何かあればすぐに連絡してください』
『いいですね』と念を押されてしまったからわたしは「わかったわ」と返事をするしかなかった。とはいえ、たぶんなんもないと思う――たぶん。
『おや。もうこんな時間ですか……』
「あら、ほんと長くごめんなさいね」
時計を見ると通話が始まって20分くらいは立っていた。時間管理をしているアズールには長く付き合わせてしまったわ。
けど、アズールとこうしてまた気軽に話せるようになったのは嬉しくてついつい長くなってしまう。
「ふふ。今日も楽しかったわ」
『……僕も息抜きにはなりました。ありがとうございます』
気を使ってだろうけれどそう言って貰えるのは嬉しい。
アズールの言葉に頬を緩めながら最後に「文化祭頑張ってね」と伝える。それにアズールは自信満々に返事をした。その様子がありありと目に浮かぶ。
「わたしもボードゲーム部行くからね」
『お待ちしていますよ。では、おやすみなさい』
「おやすみ」
こうした挨拶をかわせるのもまた嬉しい。ほわほわした気持ちのまま画面をタップして通話を切る。そして、すぐに手帳の2月の頁を開く。
「結構すぐよね……んふふ。楽しみ」
アズールに会えるのが――と我に返って顔画熱くなる。
「や、やぁね。レティやヴァニーとも会うのは楽しみよ!」
あと、ジェイドもフロイドもとか色々誰に言っているのか分からない言い訳を口にする。それほど何だかアズールと会うことだけしか意識していなかった。
「……もう、なんなのかしらね」
やだわ。ドキドキする胸を押さえながら総合文化祭の開催日をメモして手帳を閉じた。
* * *
あっという間に全国魔法士養成学校総合文化祭の当日。僻地であるナイトレイブンカレッジでも多くの来場者がいる。きっと多くはVDCに出場するヴィル・シェーンハイトとネージュ・リュバンシェの目当てだろうけれど……。
「……これはすごい」
入場する前から周りは人、人、人、という人混みにサングラスをかけ直す。
もともと注目度の高い催しで、毎年多くの観覧者で溢れているけれど今年は段違い。よく見ればチケットの譲渡を求めるヒトもいる。チケットも入手困難レベルになっていると聞いたけれど流石世界的有名人ということかしら。
「はぁ。これは皆のところに辿り着くのも難しいかしら?」
意気揚々としていたけれど、何だか気持ちが悪くなってきた。人の波に流されながらもなんとか校内に入ったのだけれど、それがよくなかった。
校内から何とか中庭に出られたけれど……。
「はぁ……」
中庭も同じようにヒトで溢れていた。いや、よく見れば様々な学校の生徒が友だちとか家族と話しているみたい。なら、その邪魔にならないようにと端へ移動する。
にしても、移動中からチクチクと視線が身体中に刺さる。視線の中にはわたしが誰であるか探っているようなものもあるし、下品な視線もしっかりと感じる。
何とか端へと移動しながらも早く妹たちのところへと移動することを考える。今、下手に声をかけられたら上手く対処できるとは思えない。
せめて、もう少し静かなところへ行きたいわ。
無理かしら。なんて考えているとときだった自然と下へと向けていた視線に革靴のつま先が目に入った。
ああ、声をかけられちゃったと肩を落とすと同時に「大丈夫ですか」と耳に馴染んだ声が聞こえた。
ゆっくりと顔をあげるとサングラス越しに難しい顔のアズールが見えた。
難しい顔ではあるけれど知り合いに出会えて身体の力が抜ける。
「アズール……」
「随分顔色が悪いですね」
「まぁね」
実際具合が悪いし、サングラスをしていても具合が悪いのが分かるはず。というか、もう身体中から具合悪いですっていう雰囲気が出ているはず。
ふと、どうしてアズールがここに、と今更な疑問が浮かぶ。そもそもどうしてこんなタイミングよく表れた。
浮かんだ疑問を口にする前にミネラルウォーターとハンカチが差し出された。一度その二つを見て、アズールの顔を見る。特に何も言わないアズールにとりあえず受け取ることにした。
「ありがとう……」
「いいえ。にしても、まさか貴方の妹たちが言う通りになっているとは」
「ぇ?」
「きっと人混みに酔っているからよろしくって」
「まぁ」
いつの間にというかそれはそうだとしても、どうしてここが分かったのかしら。
わたしの分かりやすい視線にアズールがブリッジをあげて小さくため息をついた。
「マジカメに貴方の目撃情報が載っていましたよ」
「そうなの……」
やっぱりそういうヒトは一定数いるのね。今回は連絡する余裕もなかったからありがたかったといえるのか……いや、やっぱり、やめてほしい。とはいえ、忙しいのにアズールに余計な手間をかけさせてしまった。
「アズール。忙しい中、ごめんなさいね。あと、わざわざありがとう」
「いえ。とはいえ、この中庭は人が多いですから救護室に行きますか?」
「そんな、そこまでじゃないわ……」
休んでいれば平気と言ってみる。けれど、アズールは片方の眉を上げて目を細める。完全にわたしの言葉を信じている様子が見えない。
困ったわ。これ以上忙しいアズールに迷惑をかけられない。とはいえ、アズールもわたしが大丈夫というところが分からないと活動の支障になりそうだし。
「救護室ほどじゃないのだけれど、どこか静かなところってあるかしら」
「この状態では難しいですが……心当たりがあります」
視線を少し上に向けていたアズールの視線がわたしを捉える。先ほどまで難色を示していた瞳は少し落ち着いたように見えた。
アズールが納得いく形になったことに安心しながらもやっぱり心苦しい。
「ごめんなさいね。忙しい中、」
「今はボードゲーム部もシフト外ですから気にしないでください」
「そう」
自由時間ならそれはそれで申し訳ないのだけれど、これ以上考えるのも野暮ね。
「ルーシー。ひとまず水を飲んでから行きましょう」
指をさされてひんやりとした存在を思い出す。アズールの言われるまま水を飲むと気持ち悪い感覚が消える。ミネラルウォーター様様ね。
「ふぅ。アズールありがとう」
「ぁ、ぁあ、いえ。顔色も少しよくなりましたね」
何だかちょっと視線が忙しないアズール。どうしてかよく分からないけれど、確かにさっきより気分が良くなった気がする。これなら大丈夫と言いたいけれど。
「大丈夫だからいいという言葉は受け付けません。さ、行きますよ」
「はい……」
忙しなかった視線がわたしをロックオンしてピシャリと言われてしまった。そうね。少しだけだもの。あくまで少しだけ。
ゆっくりと立ち上がるとアズールが自然と腕を差し出してくる。スマートさに惚れ惚れしながらその腕を前と同じように取る。
「気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「わかっています。ふふ」
自分が年上だと忘れてしまうような言葉に思わず笑みがこぼれる。アズールは一瞬不思議そうな顔をしたけれど、追及することなくゆっくりとした足取りで歩き始める。
わたしを気遣った歩調に胸が暖かくなりながら歩き出す。その足はさきほどのような重さはなかった。
* * *
アズールが静かな場所にゆっくりとわたしを気遣うように案内してくれたのだ。学園の裏手側で一般入場者が入っていいのかと思ったけれど、寮長も務めるアズールがいるからいいのかしら。でも、寮長だからダメなような、と考えながらも人の気配で溢れる場所から離れていく。
しばらく歩くと木々で茂場所に入ると空気がすっきりとして気持ちがよかった。よかったのだけれど――。
「……ねぇ。アズール」
「言いたいことは分かります」
アズールの苦々しい声と同時にあちら、こちらから、男女の睦み合う甘い声が聞こえる。
これに何だかこちらが気恥ずかしくなるし、気まずくなる。
「ハァ。ルーシー」
アズールの手が腕にかけたわたしの手に重なる。それに少し驚いてしまった。ビクと跳ねた感触はアズールの手に伝わってしまっただろうか。伝わってしまっただろう。
ただ驚いただけだ、と口にしようとしても上手くでなかった。ただ心臓がなぜかドキドキと速い。
「来た道を戻ります」
「……わかったわ」
何とか出した声で頷き、アズールと共に来た道へと戻る。
来た道を戻ると言ったけれど、校舎へと戻るわけではなさそう。もはや、アズールがどこへ連れて行ってくれているのか分からない。校舎から離れる心配もあるけれど、それよりも。
「こんなに学校から離れて平気なの?」
「今の時間問題ないでしょう」
断言するアズールに少し不安になる。なにせ、校舎内外どこも人が溢れていたのだから。しかも、アズールの部活はボードーム部と、人気もあって忙しそうなのに。
「ほんと?」
「心配性ですね。ほんとに大丈夫ですから心配しないでください」
眉を下げるアズールはやっぱり大人びて見えた。さっきの皮手袋越しの手が大きかったことを思い出す。
なぜだかソワソワと落ち着かない。
「ならいいのだけれど……こんな奥に言って平気なの?」
「まぁ、ここまで入ってはいけないでしょうね」
「けど、あそこで戯れていた方々もねぇ?」と言いたげな笑みを浮かべるアズールに「なるほど」と腑に落ちてしまった。
「それに何か言われたとしても僕が貴方に学園案内していると言えばいいですし」
「あら、それいい設定ね」
「でしょう――だいぶ顔色もよくなってきましたね」
「……そうね」
確かに、頬を撫でる程よい風にだいぶ身体が楽になって来た。だから、もう戻ってもいいのだけれど、もう少しアズールと散策した気分だった。
アズールも顔色がよくなったことが分かるけれど、何も言わずわたしをどこかへと連れて行く。しばし会話を交わしたあとに静寂が訪れる。
会話がないことが苦にならない空気に穏やかな気分になっていると――いつの間にか足元には道ができていた。そして、目の前が開けた空間が出てくる。
「すごいわ」
遠くからでもはっきりと見える大きな木。この距離で大きく見えるのだからそうとう大きな木のはず。それが見えないということは相当校舎の裏側にあるということなのか。思わず、大樹とアズールを交互に見る。
「広い広いと思っていたけれど、こんな大きな木があるなんて流石ね」
「貴方の通っていた魔法士養成学校ほどではないと思いますよ」
「それは、まぁ、そうね」
わたしの魔法士養成学校は島すべてが学校の敷地だった。おかげで娯楽を求めるとなると外出必須の学校になったわけだし、こうした巨木もあったがこの大樹のような爽やかさはなく鬱蒼としていた。
「もう少し近くまで行きますか」
頷いてわたしは遠くからでも大きく見えた巨木にアズールと共に近づく。近づいたら本当に大きかった。
「すごいわ。見上げ過ぎて倒れてしまいそう」
「気をつけてくださいよ」
アズールの心配そうな声に「大丈夫」と笑って返す。
「ここ何か行事とか儀式に使ったりするの?」
「毎年ここで【星送り】が行われますよ」
「あら! こっちでも【星送り】するの!」
「あれ楽しいわよね」と続けるとアズールが目を瞬かせる。
おっと、これはどうやら学校での【星送り】に対する扱いが違うのが伺える。いったい、ナイトレイブンカレッジはどんな【星送り】をしているのか。
「やはり女子校ですから男子校と違って伝統行事の扱いが違うんですかね」
真っ先にアズールが訊ねてきた。たしかに何かにつけてイベントをしていたけれど、それは高校生くらいの年代なら男女共に関係ない気がするけれど。
「こっちでは【星送り】は人気ないの?」
「そうですね。まず、多くの生徒が全校生徒分の願い星を収集且つ舞を踊る【スターゲイザー】には選ばれたくないという状態」
「全校生徒分なんてそれは大変ね」
「そうでしょうね。でも、他人の願い事を訊けるなんてめったにないので僕はぜひ選ばれてみたいものですがね」
「たしかに、そうよね。でも、そうなると本当の願いを口にする生徒もきっと少ないんでしょうね」
自分が努力すれば叶いそうな願い。将来ではなく目先の願い事をお願いする生徒の方が圧倒的多いんだろう。実際、わたしもそうした願い事を【願い星】に込めていたから。
ふと、そういえば子どもの頃一度だけアズールと【星送り】をしたことがあった。
「小さい頃、一度だけあなたと【星送り】したわね」
「はい。一度だけですが、覚えていましたか」
「今思い出したけど……あなたは覚えていたのね」
「もちろん」
はっきりと告げるアズールの瞳は懐かしさが滲んでいた。正直、まだふっくらとしていて泣き虫の坊やだった頃のアズールだから忘れたい過去のひとつかと思っていた。
「あなたとの思い出はちゃんと覚えていますよ」
わたしの中を見透かしたような言葉をかけられた。わたしが分かりやすいのか、アズールの勘がいいのか。どちらも当たっているのか。なんて、どうでもよくて彼の言葉が嬉しくて胸が暖かくなる。
「そう言ってくれて嬉しいわ」
言っているうちに頬が熱くなるし、照れてアズールが見られない。それでも、しっかりと伝える。
「ほんとうに嬉しい」
噛みしめるように言ってじわじわと気恥ずかしさが増していく。これはもう戻った方がいい。
「アズール、ここまで連れてきてくれてありがとう。もう、戻りましょう」
パッと彼の方を見るとなんか顔が見えなかった。眼鏡がないと顔を覆えないはずだから、眼鏡を取っているのかしら。あ、よく見るともう片方に眼鏡があるわ。
けど、どうしたのかしら。もしかしてアズールの方が具合悪くなってしまったのかしら。
「アズールの方が具合悪くなったの? もう少し休んでいく?」
「いえ……いえ、なんでもありません」
平気です、と言って顔から手を退かしたアズールの顔は少し赤い。アズールもわたしたち姉妹に負けず劣らず白い肌をしているから赤くなると分かりやすい。
「顔が赤いじゃない。大丈夫なの?」
「平気です。これは、その、とりあえず大丈夫ですから」
眼鏡をかけ直したアズールがレンズ越しにじっと見下ろしてくる。
何か言いたげな瞳にじっと見つめ返すと大きなため息をつかれた。
「貴方は手ごわい」
「へ?」
「強敵です」
「ぇえ?」
ハァとまたため息をつくアズールにどういう意味か訊ねる前に腕を差し出される。反射的に腕を取るとアズールがまた何とも言い難い顔で「戻りましょう」と告げる。
「ええ。けど、結局今のはどういう意味なの?」
「まだ言いません」
フンと鼻を鳴らすアズールにこれは拗ねたのか。でも、何で一体どういうことなのか分からない。よく分からない状態ながら歩く。
来た時と同じようにアズールはゆっくりとした歩調。合わせてくれることがたまらなく嬉しくて、この時間が、流れる空気がたまらなく〝好き〟だと思った。
校舎に近づくと人の気配が感じ、賑やかな歓声も聞こえ始める。もうすぐこの時間が終わると思うと寂しい。
「もし、レティシアかヴァネッサのところに行くなら案内しますよ」
アズールからの提案はとても嬉しかったけれど、流石にこれ以上アズールを拘束することはできない。わたしは〝一緒にいたい〟という気持ちを堪えて首を横に振る。
「ありがとう。でも、もう大丈夫よ」
「……そうですか。まぁ、無理はしないでくださいね」
「ええ。無理しないわ」
そう言って会話が途切れる。そして、校舎に戻る前とアズールの方を見る。
「ここまでありがとう。とても助かったわ」
そっと手をアズールの腕から手を離す。それに名残惜しい気持ちが込み上げるがぐっと耐える。
「じゃ、残りの時間も頑張ってね」
「はい。貴方も気を付けてくださいね」
頷いて別れようと思ったけれど、ひとつ彼に告げたいことがあった。
「アズール」
「はい。なんですか」
「また、一緒に散策しましょうね」
彼の深海のように深い瞳が瞠ったけれど、すぐに弓なりにしなった。
「ぜひ、行きましょう」
その返答に嬉しくなって子どもみたいに「約束よ」と告げた。アズールはわたしの子どもっぽい言葉を指摘することなく「わかりました」と答えてくれた。
アズールとできた〝次〟の約束が今から待ち遠しい気持ちになった。
わたしのアズールに対する気持ちはゆっくりと、ゆっくりと、変化していった。
最終的にそれは深い愛に変わり、それを告げた頃にはアズールは学生ではなくなっていた。そして、より大人になった顔で「手ごわかった」と笑った。
待たせて悪かったな、と思うけれど、ゆっくりとしたわたしの歩みに付き合ってくれた彼のことをとても愛おしく思った。
「アズール、これからもよろしくね」
2025.06.23
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