アナタに不似合いなアタシ
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意味不明な恋人ができまして
好きな人からのキスという衝撃的な事件。そして、恋していることに気づかれていたと判明してから数日。その余韻はまだ残っていた。
あれからフロイドの電話は悉く無視している。すごくしつこいくらい長く着信音が鳴り響くけどサイレントにしてしまえばこちらのものだ。後々怖いけどまともにフロイドの声を聞ける気がしない。
あと暫くフロイドの電話は無視しようと決め込んでいる中でお母様からの連絡。最初はフロイドと思うほど彼の電話攻撃を喰らって危うく無視するところだった。けれど、今思えば無視すればよかった。
はらりと落ちる一房を耳にかけ直す。眼前はシャンデリアから降り注ぐ光りを受けて星粒の如く煌めいている。耳にはクラシックが流れて来るけれどあたしはひっそりと眉を顰める。
――今、誰かミスした。つか、今日呼ばれた人あんまりうまくない?
チラリと音楽団がいるところを見る。あまり知った顔がいない。音楽家の両親について周っていたおかげで有名な音楽家、将来有望な音楽家の顔は殆ど覚えている。三流になると興味がないから覚える気はないがどうやら今回は三流らしい。
両親の代理のあたしが来ていながら三流の音楽団を用意するなんて最低最悪。いや、小娘と舐められているのかもしれない。見栄を張って尊大な音楽家を呼ぶのもナンセンスだけれど、こういうところで舐めてかかる人間は大抵大成しない。
――お父様も、お母様も何で招待を受けたのかしら。
自身の両親は本当に様々な招待を受ける。勿論、演奏者としても、ただの招待客の音楽家としても、だ。あまりにも多く受けるものだからあたしたち姉妹にお鉢が回って来るのだ。お蔭で色々なパーティーに出られていい経験にはなるけれどいまひとつ両親の考えがわからない。人脈などそれほど先祖代々から受け継がれている。新しく広げるにしても下品な主催者の招待を受ける理由は何なのだろう。
ぼんやり考え、時折近寄って来る男たちをあしらいながら壁の華になる。
特に両親から誰に挨拶するように言われてはいない。もう帰ろうかなとグラスをくるくると回しているとカツンと今まで一番いい靴音が眼前に響いた。
はっと顔をあげて目を丸くさせる。
「フロイド……」
短い前髪を後ろに撫で着けいつも揺ら揺らしている色違いの一房を耳にかけている。ピアスはどうやら今日は着けていないらしい。彼があの学園に入学してからつけ始めた涼やかなピアスが好きだったのに。
いや、それどころではない。我に返ったあたしはすぐに壁から背中を離す。それから真っ直ぐにこちらを見据えるフロイドから逃げようとするが上手くいくはずがなかった。
「まぁーった」
長い腕があたしの腕を捉えた。白い手袋があたしの腕を掴んでいる。それだけであの公園の、ベンチで座ったこと、唇に触れた感触が蘇って身体が熱くなる。
赤くなる顔を隠すように顔を背けて「離して」と言う。
「だめ。そしたらお前逃げるじゃん」
なんとか逃げ出そうと腕を振ろうと動かす前にあたしの身体は強い力で引っ張られる。その拍子にグラスの中身が飛び跳ねて床にパシャと落ち、フロイドの靴を僅かに汚した。
「あ。ごめん」
咄嗟に挙げた顔をあたしは後悔した。彼の異なる色をした両目がじっとあたしだけを見ていた。感情の読めない瞳ほど怖いものはない。フロイドが何を考えているかわからない。彼はあれでいてわかりやすくて、わかりづらくて、わかりやすいのだ。どうしたの、なんて思いつつ呆然と見上げていると薄い唇が三日月のようにしなる。
「……今日だけは見逃してあげる」
これは危険だ。フロイドを前に危険を感じるなんてこと今までなかった。機嫌が悪くて八つ当たりされるかなんてことはあった。けれどこんな感覚は今までにない。
あたしはフロイドの身体を押すけれど腰に回った長い腕がそれを拒む。
「フロイド、ここ人たくさんいるから離れて」
なんとか気丈に告げる。フロイドはあたしのお願いを「やだ」と幼い返事でばっさりと切り捨てた。あたしは顔を歪める番だ。
「お願い。皆見ているからっ」
「誰も見てねぇし」とフロイドの視線が左右に動く。つられて動かすと確かに誰もあたしたちと気にしている様子はない。これは魔法だ。
「人払いの魔法?」
「そー。だーれも、オレらのこと気にしていないし、これでゆっくり話しできんね」
唇を閉じて可愛らしく首を傾げる身長百九十オーバー男子。可愛くはないはずなのに可愛く見えてしまうのは末期だ。
「はぁ。わかった。降参するから離して」
「やだって言ってんじゃん」
「ちょ、フロイド!」
腰に回った腕に力が入って抱き寄せられた。すっぽりとフロイドに抱き込まれてしまった。先ほどまで様々な種類の香水の強烈な混ざり合った香りで満ちていたのに今は違う。シプレス系の香りとそれを纏わせているフロイドの匂いで満たされていく。
――うっぅぅ! 好きな匂い過ぎる!
好きな人の匂いなのだから当たり前。なんて片割れが脳内で言ってきた。けれど今までここまで好きな人の匂いを濃く感じたことがあるか。ない。前回の距離だって、とぐるぐる考えていると耳元で「あはっ」と笑い声が聞こえた。
「耳、真っ赤じゃん」
「ひっ」
何かが耳に突きたてられた。鋭く尖った何か。何かなんて僅かに耳にかかる息で理解できる。瞬く間に顔に熱が集まった。
「ちょ、ちょっと! 何すんのよ!」
もぞもぞとしながら何とか顔を上げて抗議する。フロイドはにやにやと愉しげに「真っ赤でなんかおいしそうだったから」なんて言い退ける。
「お、美味しそうだからって誰でも噛まないでしょ!」
「噛む訳ねぇじゃん。お前馬鹿?」
「馬鹿じゃない! も~~離して!」
「だから、やだって」
ぐいっと腕に力を入れるけど無力だった。フロイドはびくともしない。以前のキスといいこの男何がしたいのだ。
覗き込んで来るフロイドの顔を強く睨むと彼の眉が寄る。
「何だよ。お前が悪いんじゃん。また、オレからの電話無視してさ」
「うっ、そ、それは」
じぃっと拗ねた瞳で見られてはこちらの分が悪い。そこだけを言われると完全にあたしが悪いからだ。でも、その前に、だ。
「あ、あんたが! あんたがいきなりキスするから!」
「はぁ? まだそんなこと気にしてんの?」
フロイドの言葉にあたしの思考は一瞬固まる。
――まだ、そんなこと……ですって?
こちらの気持ちも知らないで、と奥歯を噛む。あたしはブレスレットを着けた左手に力を籠める。すると、ブレスレットにはめ込まれた魔法石がポワッと光り――。
「おらぁ!」
「げっ!」
低い声で叫びながら左腕を魔法で動かして突き上げた。顎を殴ろうとしたがフロイドは間一髪でのけ反った。だが、その瞬間に長い腕があたしから離れた。これ幸い。
ぐいっとフロイドの身体を押して強く、強く、親の仇を見たときくらい強く睨む。
「あんたにとってはどうでもよくてもね! あたしは違うの! もう金輪際さよなら!」
フンと鼻を鳴らして人払いの魔法を破り、自分の周りに防御壁を張る。これでもうフロイドはあたしに手を出すことができない。あたしは胸を張りながらヒールを鳴らし会場の出入り口に向かって歩き出す。途中、給仕にグラスを押し付けて引き留められる声を無視してあたしは会場を飛び出した。
* * *
足に纏わりつくドレスの裾が邪魔。今なら姉妹の片割れの足に纏わりつくのが嫌いという感覚が分る。早くあたしもこのドレスを脱ぎ出したい。可能であれば人魚の姿に戻って海の中を無我夢中に泳ぎ周りたい。
鼻の奥がツンとして、ジワリと視界がぼやけてくる。泣きそうだ。瞬きをしたらきっと目尻から温かくてしょっぱい涙が零れる。いやだ。それだけは惨め過ぎていやだ。
何とか堪えても涙は滲み出てしまって頬を伝う。
「もういや」
右から流れる涙が多い。重い腕を動かして手の甲で拭うと肌が痛かった。強く擦ってしまったのか。肌が傷ついてしまう。それも嫌だなと次から溢れて来る涙に足が止まる。
ポロポロ溢れる流れる涙が憎たらしい。両手でごしごしと拭う。きっとメイクが落ちてぐちゃぐちゃなのだろう。帰る前に直したいなんて考えていると――強い力で後ろに引っ張られた。
一瞬警戒レベルが一番高くまで引き上げられる。すぐに解けてしまっていた防御壁を張りなおそうとするがふわりと鼻を擽る香りに手が止まる。
同時に顔に力が入っていく。次いで彼から逃げるために身体を捻る。何ならもう一度魔法で力を強化して殴りつけてやろうか。よし、やろう、と魔法を使おうとしたときだった。
「ごめん」
なんて弱々しい声がした。途方にくれたような声だった。マジカルペンに込めた魔力が霧散してしまった。
もがくこともやめて戸惑っていると肩に、腰に回った腕に力が籠った。痛くはないけれど離さないと言っているような気がした。
絆される。あたしはいつもそうだ。こういうところを見せられるとあっさりと許してしまうのだ。怒りが持続しない。
ぐずっと鼻を鳴らしながら「フロイド」と名前を呼ぶ。「なぁに」間延びした返事にあたしは一人笑う。
「あんた。ほんとに悪いと思っているの?」
「…………うん」
「間が長い!」
「思ってるって!」
ぐるりと身体がフロイドの方に回った。あたしの目にフロイドの珍しく慌てた焦った顔が映る。同時にあたしは自分の今の顔を思い出して両手で覆う。
「ちょ! なんてことすんのよ! あたし今最高にブスなのよ!」
「あ? 何が?」
「だから! メイク崩れてるの!」
泣いたし、擦ったし最悪な顔面になっている。
「……顔、見てぇんだけど」
ぐいぐいと両手を剥がしにかかる非情なフロイド。「聞いてたの! 馬鹿!」とあたしも反抗する。絶対にフロイドに見せたくないこんなひどい顔。
「……お願いだから見せて、見たい、お願い」
こいつ、自分があたしに対して最強だと思っているだろ。絶対そうだ。そんな弱々しいお願いにあたしが跳ねつけられるわけがない。なんて立って好きな人にあたしは弱いのだ。
「念を押すけどぐちゃぐちゃだから。あと、笑わらないで。笑ったら急所を膝で蹴り上げるから」
「げぇっ。お前、怖すぎ」
「いいから! 笑わないって誓いなさい!」
「はい、はーい! 誓いまーすぅ!」
なんて軽々しい誓いだろうか。いや、誓いとか言い出すあたしも同じだろうけれど。「早く、早く」と強請るフロイドに負けたあたしは両手を渋々退かした。
「わ。マジでぐちゃぐちゃだね」
「だから言ったでしょ!」
馬鹿と叩く。つか、そんな簡単に女の子にブスと言うな。
「ごめんってぇ。ま、でも今ならすぐ直るじゃん?」
「あ。その程度?」
「うん」
「よかった」と小さく声をあげる。化粧室でメイク直ししようと探し始めると腕を掴まれた。「何」と言えばフロイドが「ここにあるじゃん」と廊下の横の部屋を差した。そして、その部屋の入り口の上に〝メイクルーム〟というプレートがあった。
「やった! 直そう!」
ブレスレットを着けた手首を振って化粧バックを取り出す。それからフロイドを見る。
「じゃ、あたしは直して――」
「オレも行くぅ~」
「は?」
何でと首を傾げればフロイドは笑顔で「直してあげる」と言った。
「あんた女性のメイク直しできるの?」
「うん。なんかメイクするようになってから気になってさ」
「へぇ。器用ね」
流石というかなんというか。感心していると目尻をさらに下げて「やってあげる」とあたしは気になったので頷いてしまった。
* * *
結果。彼のメイク技術はすごかった。もしかしたら自分から上手いのではというほど綺麗に修復された。
「すごい! え。なんでこんなに綺麗に出来るのよ」
自分でしたときよりも綺麗なアイメイクをまじまじと見つめる。あたしも下手ではないはずなのに綺麗で驚く。
「へへ~。オレもやりやすかったし楽しかった!」
「どんな手入れしんの?」と肩を抱いて訊くフロイドに身体がびくっと跳ねる。
「ちょ、ちか、近い!」
言って緩やかに絡まっていた腕を外して立ち上がる。向き合いながらフロイドからじりじりと距離を取る。だが、それがフロイドは不服だったようだ。
唇をヘの字にして不満を表す。
「なんで離れんだよ」
「え、いや、だって、え、むしろ、なんで」
「ん? だって許してくれたじゃん」
「なんで離れんの」と言うフロイドにあたしは頭がこんがらがる。
「ちょ、意味が分からない。確かにもうさっきのことはいいけど、え。だからってくっつくのはやめましょうよ。あたしたち恋人じゃないんだから」
キスはしてしまったが恋人ではない。あたしはフロイドが好きだけどフロイドは違う。それは重々承知だ。今までそれなりに距離は近かったけれどここまでじゃなかった。そうだ。今日は嫌に彼は距離が近い。
何を考えているのだとフロイドを見つめると垂れた目が幼く瞬く。可愛いなんてこんなときでも考えてしまう。
「え、オレがくっつきたいからだけど?」
「だから、どうしてよ! 今までそんなことなかったじゃない!」
声を上げると「うっせぇ」と言われるが声をあげずにはいられない。それから彼は首に手をかけて視線を宙に投げる。
「ん~~。この間チューしてからもっとしたいなって」
「……そこら辺の雌にしなさいよ」
侮蔑の眼差しを向けるとフロイドが顔を顰めて「違うっての! お前としたいの!」叫んだ。あたしは自分の耳を疑った。思わず頭を叩いてトントンとしてしまった。
「水入ってないわね……」
それでも疑念というのは納まらない。疑いの眼差しをフロイドに向けると彼は気に食わないという眼差しで返して来る。
「はぁ? 信じられないのかよ?」
「信じられないわ……え。意味わからない」
それはきっとあたしがフロイドに抱く恋情ではない。欲情が先行しているというのにもそういう気配が薄い。フロイドがわからない。
「どういう意味? それは、ねぇ、フロイド」
「あ~。ジェイドたちに訊いたら〝恋〟なんじゃないかって言ってた」
「は?」
何その言い方。あたしからしたらフロイドのそれは恋情なんていうものではない。首を振って「違う」と言う。
「違う。それは違うわ。フロイド、違うわ」
「んだよ」
怪訝に片目を細めるフロイドにあたしは唇を一度噛んで緩める。
「あんたのそれは恋じゃない……」
「……お前にわかんの?」
「フロイドよりは」
「じゃ。教えて」
「え」とフロイドが長い足ですぐにあたしの前に立つ。彼はじぃっとこちらを見下ろす。今の彼は純粋にわからないことを訊ねる子どものような無垢な瞳をしている。
「ちげぇっていうなら教えろよ」
なんて無茶は話しだろうか。恋というのは教わって抱く感情なのだろうか。
「そんな、無理を、恋っていうのは人によって抱き方が違うんだから」
「ならさぁ、否定なんてできねぇじゃん」
「そうでしょ」フロイドの瞳から幼さが消えていく。
――どうしよう。このままじゃ、ああ。どうすればいいのっ!
助けてくれる姉様も、片割れも、友達もいない。この場をあたし一人で掻い潜らなければいけないなんて酷な話だろうか。
「なぁ」
「っ」
耳元に近くでかけられた声に息がつまる。辛うじて「なに」と返事が出来たけど次はどうだろうか。
「なぁ……お前ってオレのこと好きでしょ」
それは以前の去り際にも言われたことと同じだった。指摘された恋心に顔にまた熱が集まって隠れたくなる。けれど、彼の瞳を見ていれば逸らすこともできない。
「なんで……わかったの?」
「うん? んー。だって、オレだけ違うじゃん」
「え?」
そこまであからさまに違う態度をとっていた気がしない。ジェイドにだって、アズールにだってあたしは変わらない。
「そんな、全然、だって、あたし」
「オレだけ特別だったでしょ」
「特別……そんなに?」
「違った。つか、姉妹揃ってそういうとこ似てるし笑える」
にこっと笑うフロイドに肩の力が抜けていく。
「そう。そうなの……ならあんたの抱くそれが違うってわかるでしょ」
「ええ。なんでそーなんだよ」
げぇって声をあげるフロイドにあたしは困惑する。
「だって、」
「だって、だって、うるせぇな。つか、お前はさ、オレとチューとエッチとかしたいなって思ったりすんでしょ。ちげぇーの?」
「なぁっ!」
ダイレクトなフロイドの言葉に目を丸くする。だが、否定はできないので言い返せない。
にぃっと目尻を下げるフロイドは「ほらかわらねぇじゃん」と言った。それが悔しくてすかさず「違う」と叫ぶ。
「ちが、そうじゃ、違う!」
「何が、どう違わねぇって?」
「な、別にキスとかそういう、その、その先のことかはぁ~~」
したくないわけじゃないし、想像したこともある。だから、どうしても言い返せない。言葉が詰まって口が無駄に動いてしまう。
「ほら! なら、オレのもきっとお前と同じ?」
「っ、ぅぅ~~」
小首を傾げるフロイドにあたしは完敗だった。
フロイドもあたしのそれを見抜いたのか嬉しげに両手で頬を包んできた。
「へへ。じゃ、オレたち今日から恋人じゃん!」
言った矢先にフロイドから可愛らしい音を立ててキスをされた。間近楽しそうに目を細めるフロイドにあたしはもう何もすることができなかった。
――どーしたらこれで恋人になるのよ!
本当に意味がわからない。けれど、どうしても大好きな人だった。
2021.1.26 一部文章修正
好きな人からのキスという衝撃的な事件。そして、恋していることに気づかれていたと判明してから数日。その余韻はまだ残っていた。
あれからフロイドの電話は悉く無視している。すごくしつこいくらい長く着信音が鳴り響くけどサイレントにしてしまえばこちらのものだ。後々怖いけどまともにフロイドの声を聞ける気がしない。
あと暫くフロイドの電話は無視しようと決め込んでいる中でお母様からの連絡。最初はフロイドと思うほど彼の電話攻撃を喰らって危うく無視するところだった。けれど、今思えば無視すればよかった。
はらりと落ちる一房を耳にかけ直す。眼前はシャンデリアから降り注ぐ光りを受けて星粒の如く煌めいている。耳にはクラシックが流れて来るけれどあたしはひっそりと眉を顰める。
――今、誰かミスした。つか、今日呼ばれた人あんまりうまくない?
チラリと音楽団がいるところを見る。あまり知った顔がいない。音楽家の両親について周っていたおかげで有名な音楽家、将来有望な音楽家の顔は殆ど覚えている。三流になると興味がないから覚える気はないがどうやら今回は三流らしい。
両親の代理のあたしが来ていながら三流の音楽団を用意するなんて最低最悪。いや、小娘と舐められているのかもしれない。見栄を張って尊大な音楽家を呼ぶのもナンセンスだけれど、こういうところで舐めてかかる人間は大抵大成しない。
――お父様も、お母様も何で招待を受けたのかしら。
自身の両親は本当に様々な招待を受ける。勿論、演奏者としても、ただの招待客の音楽家としても、だ。あまりにも多く受けるものだからあたしたち姉妹にお鉢が回って来るのだ。お蔭で色々なパーティーに出られていい経験にはなるけれどいまひとつ両親の考えがわからない。人脈などそれほど先祖代々から受け継がれている。新しく広げるにしても下品な主催者の招待を受ける理由は何なのだろう。
ぼんやり考え、時折近寄って来る男たちをあしらいながら壁の華になる。
特に両親から誰に挨拶するように言われてはいない。もう帰ろうかなとグラスをくるくると回しているとカツンと今まで一番いい靴音が眼前に響いた。
はっと顔をあげて目を丸くさせる。
「フロイド……」
短い前髪を後ろに撫で着けいつも揺ら揺らしている色違いの一房を耳にかけている。ピアスはどうやら今日は着けていないらしい。彼があの学園に入学してからつけ始めた涼やかなピアスが好きだったのに。
いや、それどころではない。我に返ったあたしはすぐに壁から背中を離す。それから真っ直ぐにこちらを見据えるフロイドから逃げようとするが上手くいくはずがなかった。
「まぁーった」
長い腕があたしの腕を捉えた。白い手袋があたしの腕を掴んでいる。それだけであの公園の、ベンチで座ったこと、唇に触れた感触が蘇って身体が熱くなる。
赤くなる顔を隠すように顔を背けて「離して」と言う。
「だめ。そしたらお前逃げるじゃん」
なんとか逃げ出そうと腕を振ろうと動かす前にあたしの身体は強い力で引っ張られる。その拍子にグラスの中身が飛び跳ねて床にパシャと落ち、フロイドの靴を僅かに汚した。
「あ。ごめん」
咄嗟に挙げた顔をあたしは後悔した。彼の異なる色をした両目がじっとあたしだけを見ていた。感情の読めない瞳ほど怖いものはない。フロイドが何を考えているかわからない。彼はあれでいてわかりやすくて、わかりづらくて、わかりやすいのだ。どうしたの、なんて思いつつ呆然と見上げていると薄い唇が三日月のようにしなる。
「……今日だけは見逃してあげる」
これは危険だ。フロイドを前に危険を感じるなんてこと今までなかった。機嫌が悪くて八つ当たりされるかなんてことはあった。けれどこんな感覚は今までにない。
あたしはフロイドの身体を押すけれど腰に回った長い腕がそれを拒む。
「フロイド、ここ人たくさんいるから離れて」
なんとか気丈に告げる。フロイドはあたしのお願いを「やだ」と幼い返事でばっさりと切り捨てた。あたしは顔を歪める番だ。
「お願い。皆見ているからっ」
「誰も見てねぇし」とフロイドの視線が左右に動く。つられて動かすと確かに誰もあたしたちと気にしている様子はない。これは魔法だ。
「人払いの魔法?」
「そー。だーれも、オレらのこと気にしていないし、これでゆっくり話しできんね」
唇を閉じて可愛らしく首を傾げる身長百九十オーバー男子。可愛くはないはずなのに可愛く見えてしまうのは末期だ。
「はぁ。わかった。降参するから離して」
「やだって言ってんじゃん」
「ちょ、フロイド!」
腰に回った腕に力が入って抱き寄せられた。すっぽりとフロイドに抱き込まれてしまった。先ほどまで様々な種類の香水の強烈な混ざり合った香りで満ちていたのに今は違う。シプレス系の香りとそれを纏わせているフロイドの匂いで満たされていく。
――うっぅぅ! 好きな匂い過ぎる!
好きな人の匂いなのだから当たり前。なんて片割れが脳内で言ってきた。けれど今までここまで好きな人の匂いを濃く感じたことがあるか。ない。前回の距離だって、とぐるぐる考えていると耳元で「あはっ」と笑い声が聞こえた。
「耳、真っ赤じゃん」
「ひっ」
何かが耳に突きたてられた。鋭く尖った何か。何かなんて僅かに耳にかかる息で理解できる。瞬く間に顔に熱が集まった。
「ちょ、ちょっと! 何すんのよ!」
もぞもぞとしながら何とか顔を上げて抗議する。フロイドはにやにやと愉しげに「真っ赤でなんかおいしそうだったから」なんて言い退ける。
「お、美味しそうだからって誰でも噛まないでしょ!」
「噛む訳ねぇじゃん。お前馬鹿?」
「馬鹿じゃない! も~~離して!」
「だから、やだって」
ぐいっと腕に力を入れるけど無力だった。フロイドはびくともしない。以前のキスといいこの男何がしたいのだ。
覗き込んで来るフロイドの顔を強く睨むと彼の眉が寄る。
「何だよ。お前が悪いんじゃん。また、オレからの電話無視してさ」
「うっ、そ、それは」
じぃっと拗ねた瞳で見られてはこちらの分が悪い。そこだけを言われると完全にあたしが悪いからだ。でも、その前に、だ。
「あ、あんたが! あんたがいきなりキスするから!」
「はぁ? まだそんなこと気にしてんの?」
フロイドの言葉にあたしの思考は一瞬固まる。
――まだ、そんなこと……ですって?
こちらの気持ちも知らないで、と奥歯を噛む。あたしはブレスレットを着けた左手に力を籠める。すると、ブレスレットにはめ込まれた魔法石がポワッと光り――。
「おらぁ!」
「げっ!」
低い声で叫びながら左腕を魔法で動かして突き上げた。顎を殴ろうとしたがフロイドは間一髪でのけ反った。だが、その瞬間に長い腕があたしから離れた。これ幸い。
ぐいっとフロイドの身体を押して強く、強く、親の仇を見たときくらい強く睨む。
「あんたにとってはどうでもよくてもね! あたしは違うの! もう金輪際さよなら!」
フンと鼻を鳴らして人払いの魔法を破り、自分の周りに防御壁を張る。これでもうフロイドはあたしに手を出すことができない。あたしは胸を張りながらヒールを鳴らし会場の出入り口に向かって歩き出す。途中、給仕にグラスを押し付けて引き留められる声を無視してあたしは会場を飛び出した。
* * *
足に纏わりつくドレスの裾が邪魔。今なら姉妹の片割れの足に纏わりつくのが嫌いという感覚が分る。早くあたしもこのドレスを脱ぎ出したい。可能であれば人魚の姿に戻って海の中を無我夢中に泳ぎ周りたい。
鼻の奥がツンとして、ジワリと視界がぼやけてくる。泣きそうだ。瞬きをしたらきっと目尻から温かくてしょっぱい涙が零れる。いやだ。それだけは惨め過ぎていやだ。
何とか堪えても涙は滲み出てしまって頬を伝う。
「もういや」
右から流れる涙が多い。重い腕を動かして手の甲で拭うと肌が痛かった。強く擦ってしまったのか。肌が傷ついてしまう。それも嫌だなと次から溢れて来る涙に足が止まる。
ポロポロ溢れる流れる涙が憎たらしい。両手でごしごしと拭う。きっとメイクが落ちてぐちゃぐちゃなのだろう。帰る前に直したいなんて考えていると――強い力で後ろに引っ張られた。
一瞬警戒レベルが一番高くまで引き上げられる。すぐに解けてしまっていた防御壁を張りなおそうとするがふわりと鼻を擽る香りに手が止まる。
同時に顔に力が入っていく。次いで彼から逃げるために身体を捻る。何ならもう一度魔法で力を強化して殴りつけてやろうか。よし、やろう、と魔法を使おうとしたときだった。
「ごめん」
なんて弱々しい声がした。途方にくれたような声だった。マジカルペンに込めた魔力が霧散してしまった。
もがくこともやめて戸惑っていると肩に、腰に回った腕に力が籠った。痛くはないけれど離さないと言っているような気がした。
絆される。あたしはいつもそうだ。こういうところを見せられるとあっさりと許してしまうのだ。怒りが持続しない。
ぐずっと鼻を鳴らしながら「フロイド」と名前を呼ぶ。「なぁに」間延びした返事にあたしは一人笑う。
「あんた。ほんとに悪いと思っているの?」
「…………うん」
「間が長い!」
「思ってるって!」
ぐるりと身体がフロイドの方に回った。あたしの目にフロイドの珍しく慌てた焦った顔が映る。同時にあたしは自分の今の顔を思い出して両手で覆う。
「ちょ! なんてことすんのよ! あたし今最高にブスなのよ!」
「あ? 何が?」
「だから! メイク崩れてるの!」
泣いたし、擦ったし最悪な顔面になっている。
「……顔、見てぇんだけど」
ぐいぐいと両手を剥がしにかかる非情なフロイド。「聞いてたの! 馬鹿!」とあたしも反抗する。絶対にフロイドに見せたくないこんなひどい顔。
「……お願いだから見せて、見たい、お願い」
こいつ、自分があたしに対して最強だと思っているだろ。絶対そうだ。そんな弱々しいお願いにあたしが跳ねつけられるわけがない。なんて立って好きな人にあたしは弱いのだ。
「念を押すけどぐちゃぐちゃだから。あと、笑わらないで。笑ったら急所を膝で蹴り上げるから」
「げぇっ。お前、怖すぎ」
「いいから! 笑わないって誓いなさい!」
「はい、はーい! 誓いまーすぅ!」
なんて軽々しい誓いだろうか。いや、誓いとか言い出すあたしも同じだろうけれど。「早く、早く」と強請るフロイドに負けたあたしは両手を渋々退かした。
「わ。マジでぐちゃぐちゃだね」
「だから言ったでしょ!」
馬鹿と叩く。つか、そんな簡単に女の子にブスと言うな。
「ごめんってぇ。ま、でも今ならすぐ直るじゃん?」
「あ。その程度?」
「うん」
「よかった」と小さく声をあげる。化粧室でメイク直ししようと探し始めると腕を掴まれた。「何」と言えばフロイドが「ここにあるじゃん」と廊下の横の部屋を差した。そして、その部屋の入り口の上に〝メイクルーム〟というプレートがあった。
「やった! 直そう!」
ブレスレットを着けた手首を振って化粧バックを取り出す。それからフロイドを見る。
「じゃ、あたしは直して――」
「オレも行くぅ~」
「は?」
何でと首を傾げればフロイドは笑顔で「直してあげる」と言った。
「あんた女性のメイク直しできるの?」
「うん。なんかメイクするようになってから気になってさ」
「へぇ。器用ね」
流石というかなんというか。感心していると目尻をさらに下げて「やってあげる」とあたしは気になったので頷いてしまった。
* * *
結果。彼のメイク技術はすごかった。もしかしたら自分から上手いのではというほど綺麗に修復された。
「すごい! え。なんでこんなに綺麗に出来るのよ」
自分でしたときよりも綺麗なアイメイクをまじまじと見つめる。あたしも下手ではないはずなのに綺麗で驚く。
「へへ~。オレもやりやすかったし楽しかった!」
「どんな手入れしんの?」と肩を抱いて訊くフロイドに身体がびくっと跳ねる。
「ちょ、ちか、近い!」
言って緩やかに絡まっていた腕を外して立ち上がる。向き合いながらフロイドからじりじりと距離を取る。だが、それがフロイドは不服だったようだ。
唇をヘの字にして不満を表す。
「なんで離れんだよ」
「え、いや、だって、え、むしろ、なんで」
「ん? だって許してくれたじゃん」
「なんで離れんの」と言うフロイドにあたしは頭がこんがらがる。
「ちょ、意味が分からない。確かにもうさっきのことはいいけど、え。だからってくっつくのはやめましょうよ。あたしたち恋人じゃないんだから」
キスはしてしまったが恋人ではない。あたしはフロイドが好きだけどフロイドは違う。それは重々承知だ。今までそれなりに距離は近かったけれどここまでじゃなかった。そうだ。今日は嫌に彼は距離が近い。
何を考えているのだとフロイドを見つめると垂れた目が幼く瞬く。可愛いなんてこんなときでも考えてしまう。
「え、オレがくっつきたいからだけど?」
「だから、どうしてよ! 今までそんなことなかったじゃない!」
声を上げると「うっせぇ」と言われるが声をあげずにはいられない。それから彼は首に手をかけて視線を宙に投げる。
「ん~~。この間チューしてからもっとしたいなって」
「……そこら辺の雌にしなさいよ」
侮蔑の眼差しを向けるとフロイドが顔を顰めて「違うっての! お前としたいの!」叫んだ。あたしは自分の耳を疑った。思わず頭を叩いてトントンとしてしまった。
「水入ってないわね……」
それでも疑念というのは納まらない。疑いの眼差しをフロイドに向けると彼は気に食わないという眼差しで返して来る。
「はぁ? 信じられないのかよ?」
「信じられないわ……え。意味わからない」
それはきっとあたしがフロイドに抱く恋情ではない。欲情が先行しているというのにもそういう気配が薄い。フロイドがわからない。
「どういう意味? それは、ねぇ、フロイド」
「あ~。ジェイドたちに訊いたら〝恋〟なんじゃないかって言ってた」
「は?」
何その言い方。あたしからしたらフロイドのそれは恋情なんていうものではない。首を振って「違う」と言う。
「違う。それは違うわ。フロイド、違うわ」
「んだよ」
怪訝に片目を細めるフロイドにあたしは唇を一度噛んで緩める。
「あんたのそれは恋じゃない……」
「……お前にわかんの?」
「フロイドよりは」
「じゃ。教えて」
「え」とフロイドが長い足ですぐにあたしの前に立つ。彼はじぃっとこちらを見下ろす。今の彼は純粋にわからないことを訊ねる子どものような無垢な瞳をしている。
「ちげぇっていうなら教えろよ」
なんて無茶は話しだろうか。恋というのは教わって抱く感情なのだろうか。
「そんな、無理を、恋っていうのは人によって抱き方が違うんだから」
「ならさぁ、否定なんてできねぇじゃん」
「そうでしょ」フロイドの瞳から幼さが消えていく。
――どうしよう。このままじゃ、ああ。どうすればいいのっ!
助けてくれる姉様も、片割れも、友達もいない。この場をあたし一人で掻い潜らなければいけないなんて酷な話だろうか。
「なぁ」
「っ」
耳元に近くでかけられた声に息がつまる。辛うじて「なに」と返事が出来たけど次はどうだろうか。
「なぁ……お前ってオレのこと好きでしょ」
それは以前の去り際にも言われたことと同じだった。指摘された恋心に顔にまた熱が集まって隠れたくなる。けれど、彼の瞳を見ていれば逸らすこともできない。
「なんで……わかったの?」
「うん? んー。だって、オレだけ違うじゃん」
「え?」
そこまであからさまに違う態度をとっていた気がしない。ジェイドにだって、アズールにだってあたしは変わらない。
「そんな、全然、だって、あたし」
「オレだけ特別だったでしょ」
「特別……そんなに?」
「違った。つか、姉妹揃ってそういうとこ似てるし笑える」
にこっと笑うフロイドに肩の力が抜けていく。
「そう。そうなの……ならあんたの抱くそれが違うってわかるでしょ」
「ええ。なんでそーなんだよ」
げぇって声をあげるフロイドにあたしは困惑する。
「だって、」
「だって、だって、うるせぇな。つか、お前はさ、オレとチューとエッチとかしたいなって思ったりすんでしょ。ちげぇーの?」
「なぁっ!」
ダイレクトなフロイドの言葉に目を丸くする。だが、否定はできないので言い返せない。
にぃっと目尻を下げるフロイドは「ほらかわらねぇじゃん」と言った。それが悔しくてすかさず「違う」と叫ぶ。
「ちが、そうじゃ、違う!」
「何が、どう違わねぇって?」
「な、別にキスとかそういう、その、その先のことかはぁ~~」
したくないわけじゃないし、想像したこともある。だから、どうしても言い返せない。言葉が詰まって口が無駄に動いてしまう。
「ほら! なら、オレのもきっとお前と同じ?」
「っ、ぅぅ~~」
小首を傾げるフロイドにあたしは完敗だった。
フロイドもあたしのそれを見抜いたのか嬉しげに両手で頬を包んできた。
「へへ。じゃ、オレたち今日から恋人じゃん!」
言った矢先にフロイドから可愛らしい音を立ててキスをされた。間近楽しそうに目を細めるフロイドにあたしはもう何もすることができなかった。
――どーしたらこれで恋人になるのよ!
本当に意味がわからない。けれど、どうしても大好きな人だった。
2021.1.26 一部文章修正
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