燃えて消えて、また
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燃え殻から生まれたものは
フロイドとの通話を強制終了した日からやる気がでない――ってなるかと思ったらそうでもなかった。結構、淡々と日々代り映えなく進んでいき、あと少しで期末試験を迎えようとしている。
代わり映えのない日々なのはフロイドが視界に入らないから。こういうとき学校が別々なのはありがたい。これが同じ学校だったらきっと気分諸々最悪だったに違いない。
――同じ学校の人を好きになって失恋したり、別れたりしたら大変なんだろうな。
瞬く間に噂が広がってあることないこと言われてきっといい気分はしない。いや、絶対にしない。改めてフロイドと同じ学校でなかったことに安心はする。
日々代わり映えしない学校生活を送りながら、このまま何事もなくフロイドが好きだった気持ちが消えていくのかなぁ、なんて思う。思うのだけれど――。
「すぐには消えない、か」
試験勉強もひと段落させてベッドに横になる。すぐにスマホを手にとって少し気持ちが落ちる。
あれから日々淡々と過ぎていくし、いうほど気分がドン底にまで落ちることはない。でも、少し前まであったフロイドからの連絡もぱったりとなくなって落ち込む自分がいる。
――イヤイヤ、自分のせいじゃん。
連絡がないのはあんな終わらせ方した自分のせいだし。そもそも普通に〝友達〟として話したいなら自分からすればいいこと。たった、それだけのこと。けれど、それだけのことが今の自分では〝まだ〟できない。
「ハァ」
こんな調子では連絡を自分から取ることができてもフロイドから「誰?」とか言われそう。あたしみたいな人魚なんてすぐに忘れられる。
「ハァ~~」
もうこんな自分が嫌になる。左右に揺れて自分の嫌なところに暫く呻きピタリと止める。それからゆっくりと起き上がってスマホで時間を確認する。
「明日、どっかでかけようかな」
誰かと約束しているわけでもないし。ちょうど試験勉強にも行き詰っていたしいい気分転換になる。
「んー」
薔薇の王国、輝石の国、陽光の国、熱砂の国、珊瑚の海、夕焼けの草原も――とディスプレイをタップしていくふと黎明の国の美術館で手が止まる。
賢者の島は黎明の国の一部でその中でも中々辺鄙なところにある。それでもロイヤルソードアカデミーとナイトレイブンカレッジがあるためか麓の街は賑わっている。
あたしの通う学校でも交流があるためにゲートが設置されている。かつ、二つの学校の生徒と出会いたいブルームノヴァの子が足しげく向くところ。そもそも二校が気晴らしに出かけるところがその麓の街くらいしかない。あたしたちの学校ほど他国へ外出する許可は中々ないらしい。
「難儀ったらないわ」
ふと、また思考がフロイドの方へと向かっているのが嫌になる。何だかここまで来るとあたしは随分とフロイドが好きだったみたい。みたい、じゃないのは分かっているけれど自分が思っているよりも根が張っていたことに驚いている。
「まぁ、行ったところで会うことなんてないし」
もうここまで思考回路が引っ張られるならいっそ行ってみよう。
そんで、まぁ、うん。すっきりするとは限らないけれど思い出にでも浸って戻って来よう。そもそも。そう。そもそも。あんな中途半端に関係を絶ってしまったのだから、ぐじぐじしてんのよ。いっそ、一回どっぷりと浸ればすっきりする――かも!
「たぶん、そう。そうそう、そうに決まってる!」
なら、フロイドが言っていたおすすめのカフェとか雑貨屋に行ってみよう。
こうしてひとつずつ、断ち切っていこう。そんな感じに自分自身を鼓舞しながら予定を立てて、休日を迎えた。
* * *
外出届を提出し、賢者の島に繋がるゲートを潜る。ゲートを通ると麓の街のある一軒家に繋がる。この一軒家は魔法で一般人が入らないようにされている。もちろん、ロイヤルソードアカデミーやナイトレイブンカレッジの生徒も入れない。とはいえ、魔力がそれなりに高い一般人には認識はできるらしい。それでも入らないように認識を逸らす魔法がかけられているとか。
とまぁ、そんな感じで学校と賢者の島を繋ぐゲートがある。その一軒家から出ると麓の街はだいぶ賑わっていた。
「ま、休日って覚悟はしてたし」
混雑というわけではないけれど人混みがそれなり。気を付けて歩かないと。この前来たときみたいに小さな子どもにぶつかってしまうかも。
「あのときのスカート気に入っていたのに……」
ぶつかった子どもが持っていたアイスがベチャッとスカートについてしまったの。子どもは顔を真っ青にしてすぐに人混みに消えてしまった。逃げて行った子どもにあっけにとられ、謝罪がなかったことに徐々に怒りが込み上げた。
とはいえ、いなくなった子どもを捕まえる気もなく。魔法でできる範囲まで落としたけれど、まぁまぁ大きなシミで魔法を使うクリーニングに出してもなんか薄っすらとシミがったし。
「うーん。新しい服でも買おうかしら」
とくに何かしたいと思っていたわけではないけれど、ちょうどいい。もしかしたら服とあたしの運命の出逢いがあるかもしれないし。
「じゃ。目的もできたことだし、行こ」
服を取り扱っているショップは確か中心地にあったはず。街では小物ばかり買うから服を買うのは新鮮な気持ち。
意気揚々とゲートの家を出て人混みに紛れた。
それから30分。目的のショップが並んでいる場所に辿り着いたところで遠くに黒い集団が目に入った。ナイトレイブンカレッジの制服集団といっても3人から4人の程度の塊。
ロイヤルソードアカデミーの白い制服も目立つけれど、ナイトレイブンカレッジの黒い制服も目立つ。というか、あの二校はどうしても目立つからしょうがない。
――ま、うちの制服も目立つけど……ん?
集団にちょっと近づいたとき奥の方に何だか見覚えのある色味が見えた。
次の瞬間、胸がざわざわしてきた。何だか口の中が急に乾いてきたような気もする。これはきっと嫌な予感とかと同じ類(たぐい)。
そっと足を後ろに引く。そのままくるりと後ろを向けば大丈夫。何も見なかった、とザワザワする胸を押さえながら小走りで逃げる。
――まだ心の準備はできてないッ!
もしかしたらフロイドじゃなくてジェイドかもしれないし、そもそも彼らではないかもしれない。そうかもしれないけど、不安は消えない。
ざわざわする胸を押さえながらあたしは逃げた。全速力とはいかないけれど逃げた。
「あ~どうしよう、どうしよう」
逃げなければという焦りが募る。とりあえず何も準備ができていない状態で会うことはできない。ただひたすら逃げたいと思った。同時に失恋の傷が重症だということを改めて突き付けられた気がする。
――とりあえず戻ろう。すぐに学校に戻ろう。
そう思うよりも早く足が勝手にゲートの家と向かっていたのに気づく。無意識の行動に笑いたい気持ちになったがそれどころじゃない。あたしは何も考えないでゲートに向かった。
観光客などの人混みを抜けるとゲートのある家が見えてほっと胸を撫で下ろす。
――あと少し……。
少しだけ気持ちが楽になって息も楽になった気がした。
これで戻れる、と安心しながらドアノブに手をかけると影がなくなった。同時に頭上で叩きつけられる酷い音がして心臓が跳ねた。
――あぁ。
悲壮な声が心の中で洩れるとドッドッと心臓の音が耳にダイレクトに響いているような気がする。荒い息は自分のものだろうか。
早くドアノブを捻って引けと念じるが身体は動かない。被食者になったものは死に物狂いで逃げないといけないのに。そんなのでは海では生きていかないというのに、手も、足も、動かない。
藻掻くこともできずにいると、ゆらりと背後の捕食者が動いた気配がして息が詰まると――。
「ひさしぶりぃ」
「ッ」
耳元に囁かれる言葉と同時にドアノブを捻るが大きな手に握り込まれ阻まれる。
たらっと汗が流れるのを感じながらそっとドアノブを掴む力を緩める。そして、斜め上を見るとにんまりと嗤う瞳と出会う。
「ふ、ふろ、ふろいど……」
「あは♪ なぁに、そんな怯えた声出してぇ」
怯えた声もなにも正真正銘怯えてんのよ、と軽口も今は叩けない。それほど背後にぴったりとくっつくフロイドが恐ろしい。
――目が笑ってないんだけど。
怖すぎる。同時にめちゃくちゃ怒っているのが分かる。いや、もう怒りを通り越した何かな気がする。じゃあ、その何かってなにって感じなんだけれど。
「もう帰んの?」
動けないあたしを無視して話しかけてくる。詰めた息を吐き出して何とか口を動かす。
「そっ、だけど」
「んー。まだ時間ある?」
首を傾げながら聞いているけれど言葉の裏から「あるよな?」という圧を感じる。断ることを許さないという圧にあたしは「うん」と頷く。
途端、にぱーとフロイドが笑う。
「そっか。なら、ちょっとオレとお茶しよ♡」
はい、と答えることしかできないあしたはまたゆっくりと頷いた。そして、フロイドはあたしの答えに非常に満足げに笑った。
* * *
てっきりカフェとかどっかお店にはいるのかと思ったら違った。
カフェに寄ることはなかった。やっぱり「お茶しよ」というのは口実だったらしい。飲み物だって飲めた気もしないからよかったと思うべきか。
あたしは手をしっかりと掴まれて海岸へ連れていかれることになった。
海岸と言っても旅客で使われる港ではなくて貨物用で使われるクレーンポートがある方。だからなのかあちらに近づくにつれて観光客で賑わう雰囲気がなくなっていく。
「こっちって来て大丈夫なの?」
「うん」
迷いない返事に不安は消えない。一体、どこに連れていかれるのか。不安な心持のまま手を引かれるままクレーンポートに足を踏み入れた。
てっきり、クレーンポートの中にあるお店にでも止まるのかと思ったらクレーンポートをずんずんと横断し続けた。ほんとうに、ほんとうに、どこに行くのか不安が募る。
「ちょ、ちょっと、ちょっと! ほんとにどこまで行くつもりなの!」
「ん~」
今度は返事らしい返事もない。でも、離すつもりはないというように手はしっかりと掴まれている。
本当は足を止めて引き留めたいけれど、フロイドの機嫌がよく分からない。ここで無理に引き留めて人の目を集めたくない。
――そんなに人はいないけれど。
地元の人ばかりとはいえイヤなものはイヤで、あたしは足を止めることはできなかった。
ずんずんクレーンポートを横断すると、人気のない狭いけれど海岸らしい場所に出る。よくみると滝のようなものまである。
賢者の島の島にもこんなところがあるんだ。なんてぼんやりと頭上の滝を見上げていると――。
「ヴァネッサ」
「ん? え?」
いつの間にかフロイドが海の中にいる。よく見なくともフロイドは本来の人魚の姿に戻っている。一体、どうしてと近づいていくと。
「っ!」
身体が何かに引っ張られ――そのまま海へと身体が落ちていった。人間の姿のままで。
人間の姿で海に落ちるなんて最悪。服も、荷物も、そのままだし、本当に最悪。いや、そんなことを心配している場合じゃない。
「はッ、は、」
必死にもがいて海から顔を出して咽ながら息を繰り返す。
溺れないように足を動かして岸の方へと向かおうとしたが、腰に長い何かが巻き付いた。すぐに検討がついた。
「フロイドっ! 離してっ!」
「やーだ」
「やだって、あんたねぇ!」
離すつもりがないフロイドにぐいぐいと引っ張られる。というか、尾ビレをこんな形に使って泳げないんじゃないの。
「フロ、やめっ」
「うっせぇな。オマエも早く戻ればいいだろ」
どうせ戻る薬持ってんだろ、と鬱陶しそうな顔で言う。なんでそんな顔をされなきゃいけないのか。若干苛立ちながら魔法で鞄に入っている魔法薬を召喚する。零れた様子はなく一安心しながらフロイドを睨む。
「戻るから離して」
「や・だ♡」
にっこり、と笑う顔がしゃらくさい。このままじゃ埒が明かない。
仕方がないからこのままの状態で薬を飲み干す。すぐに身体が変化して元の人魚の身体に戻った。
「戻ったってわけでぇ」
「ぁ、くっ!」
今度は海の中に引っ張り込まれた。
人魚に戻ったから呼吸は問題ないけれど、こう喰われそうになる恐怖心は高まっていく。
ぐんぐんと下へと向かっていくと思ったフロイドが急に止まった。すると、キュッと尾ビレが絞め付けられる。
「ッ、」
何すんのよ、と睨む前にフロイドの顔が前の前に現れた。あまりの近さに仰け反るけれど、それさえも許さないと腕を掴まれると今度は空いた手で顔を掴まれる。
目の前のフロイドの目が三日月のように細くしなる。
「オマエのこと一度ちゃぁんと絞めようと思ってさ」
「ッ」
尾ビレが強く締められ、顔を掴む手も、腕を掴む手も力が加わる。鋭く尖った爪が僅かに肌に食い込むのが地味に痛い。
「んっ、ちょ」
「でさ、まぁ本気で絞める前にさ、聞きてぇーことがあんだけど」
「ぁ、なに」
言いながら絞めつけが緩むことはなかった。ぐっと顔を引っ張られ鼻先が触れる距離になる。流石にこれは――。
「ちょ、まって、待って」
「あァ? なんだよ」
苛立ったように目が見開くフロイドを見ながら自由な方の手を肩に置いて押す。
「近すぎるから! 近づかなくても話せるでしょ!」
「……やだ」
「や、やだって、」
さっきからなんなの。結局距離は近いまま。あたしの手もとりあえずフロイドの肩に置いたままの体勢で話すことになった。
「で、なに聞きたいことって」
「……少し前になんで勝手に切ったんだよ」
単刀直入なフロイドに逃げたくなったけれど雁字搦めで逃げ出せない。
「もしかしなくても小エビちゃんのせい?」
「くっぅ」
図星を突かれて頬が熱くなる。いや、すぐに考えれば誰だって分かる。察しのいいフロイドならすぐにバレることだ。
「つか、小エビちゃんのことだけやたらと突っかかってきたけどさぁ、」
「なに?」と言いたげなフロイドに口を噤む。
察しのいいフロイドもなんで気にかかっていたのかは分からなかったらしい。意外だと思うがこれが厄介。気になったらフロイドは飽きるかどうかしない限り引かない。
――なんで? なんで、あたしのこと気にしてんの?
ふと過った疑問にフロイドを睨むことをやめて彼の目を見つめてしまった。すると、フロイドの眉間からも皺が消えた。同じようにというよりちょっと困ったような瞳の色を見せた。
「んだよ。まさかオマエ自身が分からないとかねぇよな」
「や、それは分かるけど……あんたの思考というか行動の方が分からなくて」
「オレぇ?」
丸い目を瞬かせて眉を下げる。意味分かんねぇ、と言いたげな反応をされる。けれど、あたしの方が意味わからなくて困ってる。
「なんで、あたしのこと気にしてんの?」
「は? だって、オマエ、あの終わりかたねぇだろ」
「そうだけど……そんな気にする? あんたが?」
本音を洩らしてしまった。でも、不可解だからしかたない。フロイドが今日この時まであたしのことを気にしていたのが意外なこと過ぎる。
そう。そもそもあたしがあんな終わり方したってケロっとまた連絡し来るはず。だのに、どうしてフロイドがあたしの行動を気にしているのか。
「いつものあんたならそんなこと気にしないでケロっとした態度してるでしょ」
「は? あ? ああ? そうだっけ?」
困惑気味に首を傾げる様子からフロイド自身も気づいていなかったのか。はたまた分かっていてあえて無視していたのか。
どうして、という疑問は消えない。同時に浅ましい期待が浮かんで心の中で苦笑しながら口を開く。
「あんたがずっと小エビちゃんの話しするのがイヤだったの。しかも、あんたに〝小エビちゃんが好きなの?〟って聞いたら濁すようなこと言うでしょ。ようは嫉妬ね。恋人でもなんでもないけれど嫉妬してイヤになって強制終了させたの」
浅ましい期待を抱いて素直に感情を告げる。貴方が好きです、と言っているようなものだ。実質的な告白。
こんな告白に彼はどう応えてくれるんだろう。フロイドを見つめると彼は一瞬目を瞠る、と次の瞬間には喜色を滲ませて愉しそう微笑んだ。
予想外の反応に眉を顰めるとぐっと顔を前に引っ張られる。
「ふぅん。そっか、そーいうことね」
「ち、ちょっと、」
意味ありげな言葉と共に鼻先が触れ合う距離を越えてお互いの額が触れる。あまりの近さに自由な手でフロイドの肩を押すけれどびくともしない。
「なぁ、なぁ」
必死に距離を取ろうとしているあたしを嘲笑うようにフロイドは話しかけてくる。
なに、と眼前でしなる両目を睨む。すると、睨まれたことなど気にしていないというように目で嘲笑う。
「そうだよなぁ。あの感じ。そうだわ。そんなんだったわな」
「わかって、たの……?」
「忘れてたけど、なんとなぁくオマエ分かりやすいし」
「ッ」
分かっていたのかよ。っていうか、忘れていたとか。なんか告白損と思ったけれど、これで本当にすっきりするかもしれない。
「だから怒って切ってたわけ?」
「そう言ってんじゃないの!」
「うん、うん♪ そうだね」
これで踏ん切りがつく、と思ったらフロイドの言葉にちょっとイラっとくる。だが、こっちの苛立ちなんてお構いなしにフロイドは妙に機嫌がいい。意味が分からない。鼻歌を歌い出しそうな感じだが、機嫌がいいなら手を離してほしい。そろそろ顔というか顎がいたい。何より鋭い爪が地味に痛い。
「ねぇ。もう離して。爪が痛いんだけど」
「んー。逃げねぇならいいけど」
「逃げるわけないじゃない」
「ほんと?」
「ほんとう!」
念を押すと顔から手を、腕から手を離してくれた。けれど尾ビレから離れてはくれなかった。むしろ、すりすりと擦りつけ来て腰のあたりがゾワゾワする。
「ん、ねぇ。尾ビレも――」
「やだ」
尾ビレだけは拒否されてしまった。にんまりと笑ったまま尾ビレを緩く締め擦りつけてくる。これが何ともこそばゆくて何だか、何だか。
「ぁ、ン」
洩れた声に慌てて口を両手で抑えると顔が熱いのが分かる。
自分の口から洩れた声が何とも恥ずかしい。というか、これはきっとフロイドに聞かれた。絶対に聞かれた。
その事実が恥ずかしくてフロイドが見られずに顔を背ける。
「あはっ。今の声めっちゃいいねぇ」
「ンん゛ッ!」
耳元で囁くと同時に尾ビレが強く締められ擦りつけられた。両手で口を押えていたけれどくぐもった声はどうしても抑えられない。
遠慮なく尾ビレを締め付けられて苦しいのに、辛いのに――気持ちいい。気持ちいいと感じたことにどうしようもない羞恥心が込み上げる。
やめて、と言いたいけれど両手を外したらあられもない声が出そう。それが怖くて目を瞑ると――。
「おーしまい」
すりぃいっと最後に尾ビレを擦りつけて離された。
最後のひと撫でにビクと身体が跳ねる。最悪、とフロイドを睨むと満足そうニヤニヤしている。ほんとうに自分勝手で最低。
そっと口から両手を離すと少しだけ息が上がっている。何とか息を整えようとしたところでまたフロイドが近づいて来る。
「っ、なによ」
「そー怯えんなよ」
「だ、誰のせいだと」
「さぁ?」
フロイドの態度に苛立ちが募るがこの男はこういう男だ。苛立ってもしかたない。
とはいえ、この男あたしの質問に答えていないんじゃないか。
やり返してやるという趣旨が変わった気持ちが込み上げて今度は自分から近づく。顔を近づけるとフロイドの目が愉しそうにしなる。
「なぁに?」
「あんた、あたしの質問に答えてないでしょ」
「ハ?」
拍子抜けした顔から瞬く間に苦虫をつぶした顔になる。これはあたしが何を言っているのか分かっているらしい。なら、応えてもらおうじゃないの。
「で、どうして。あたしのこと気にしてたの」
「あ~さっきので分かんねぇの」
「は? 何が?」
面倒くさそうな顔をするフロイドの顔を両手で掴む。「ギッ」という声を無視してじっと左右色の違う双眸を見つめる。
あたしばっかりずるいじゃない、という念を送るとフロイドが観念したように目を閉じた。そして、ゆっくりと開いたら妙に真剣な色をして胸が高鳴ってしまった。
「ん~言葉にすんのは難しいかれこれでいっか」
「は? ぇ、ちょ、まっ」
フロイドの顔を掴んでいた両手が掴まれ、僅かにあった距離がぐんと縮まって――なくなった。
鼻先より近い距離、唇に柔らかな感触が当たっている。
「んんッ! んーッッ!」
思考回路が一機に爆発して尾ビレをばたつかせて離れようともがく。なにせ両手をフロイドに掴まれてしまっているから。けれど、フロイドが離してくれないし、驚いて開いた唇がより深くなってよく分からなくなると――。
「んぁっ」
フロイドから離れてくれた。ただ唇を重ねただけのキスなのに息が乱れる。勝手にキスして来たフロイドはというとなんてことない顔をしている。
「な、なにす、する」
「こうした方が手っ取り早いかなぁって」
ね、とにっこり笑うフロイドに乱れていた思考回路が纏まった。緩くなった拘束を解いて手を振りかざして――。
「いでぇええッッ!」
「引っ叩かれないだけましでしょ!」
千切る勢いで頬を捻る。フロイドの目尻に若干涙が滲んだところで引っ張るように手を離す。それに「いっでぇえ!」と叫んで頬を抑えて睨んでくる。
「あんたが悪いのッ! フンッ!」
もう考えるのも疲れた。何もかもフロイドのせいだ。
「フロイドのことなんて知らない! 戻る!」
「ぁ、おい!」
引き留めるフロイドの手をするりと抜け出して海面に向かって泳ぎ出す。
まったく何なの、何なの。答えになんかなって、なって――。なってなんかないと思いたいけれどフロイドが好きでもないヒトとキスをするか。
――いや、興味があればしそう。
ありえそう。なんて思っていると隣に気配を感じるけれど見ない。絶対に見ない。
「なぁ、なぁ……ねぇ」
「……なによ」
小さな子どもみないな声を出さないでほしい。チラと並んで泳ぐフロイドを一瞥すると表情が晴れて肩をぶつけてくる。腕のヒレが当たって痛いけれど我慢をする。
「なに」
「いきなり、ごめんね」
コテンと首を傾げるのは卑怯ではなかろうか。でも、これで一気に許す方向に流れる自分自身がイヤになる。
「なぁ。今度デートしよ」
「え? なんでよ」
「なんでって恋人同士になったから?」
「は?」
泳ぐのをやめてフロイドを見る。何がどうしてあれで恋人同士になるのか。
いや、キスまでしたのだから。そうなるのか。分からない。フロイドが分からない。
「あ、もしかして小エビちゃんのこと気にしてんの? ぜんぜんそーいうんじゃねぇから」
「いや、そうじゃなくて、や、もうなんか」
「ん?」
分からないらしいフロイドが今度は反対側に首を傾げて気が抜けた。もう何だか、なんなんだか。
「ハァ。もう、どうでもいいけど、どうせならウィンターホリデーになってからでいいんじゃない?」
「あーそうだね。その方がどっか行けそうだし。つか、お前はどうすんの?」
「ん。今年は薔薇の王国の別宅に行く」
珊瑚の海の王都に帰ることもあるけれど、基本的にウィンターホリデーは各国にある別宅で新年を迎える。今年は母様が薔薇の王国で友達と音楽会をするからということで薔薇の王国になった。
「じゃあ、薔薇の王国行こうぜ」
「いいけど、ほんとに大丈夫?」
教員もほとんど帰省するというのに生徒が他の国に外出できるのか。
楽観的なフロイドを見ながらも何だか楽しそうに気分がフワフワした。
「楽しみにしとく」
それでもなんか素直に喜ぶのはしゃくでちょっと素っ気なく答えておいた。それでもフロイドは見抜いているのかただにんまりと笑って――。
「オレも楽しみ」
今までに見たことがない声音に何だか調子が狂う気分だった。
2024.09.23
フロイドとの通話を強制終了した日からやる気がでない――ってなるかと思ったらそうでもなかった。結構、淡々と日々代り映えなく進んでいき、あと少しで期末試験を迎えようとしている。
代わり映えのない日々なのはフロイドが視界に入らないから。こういうとき学校が別々なのはありがたい。これが同じ学校だったらきっと気分諸々最悪だったに違いない。
――同じ学校の人を好きになって失恋したり、別れたりしたら大変なんだろうな。
瞬く間に噂が広がってあることないこと言われてきっといい気分はしない。いや、絶対にしない。改めてフロイドと同じ学校でなかったことに安心はする。
日々代わり映えしない学校生活を送りながら、このまま何事もなくフロイドが好きだった気持ちが消えていくのかなぁ、なんて思う。思うのだけれど――。
「すぐには消えない、か」
試験勉強もひと段落させてベッドに横になる。すぐにスマホを手にとって少し気持ちが落ちる。
あれから日々淡々と過ぎていくし、いうほど気分がドン底にまで落ちることはない。でも、少し前まであったフロイドからの連絡もぱったりとなくなって落ち込む自分がいる。
――イヤイヤ、自分のせいじゃん。
連絡がないのはあんな終わらせ方した自分のせいだし。そもそも普通に〝友達〟として話したいなら自分からすればいいこと。たった、それだけのこと。けれど、それだけのことが今の自分では〝まだ〟できない。
「ハァ」
こんな調子では連絡を自分から取ることができてもフロイドから「誰?」とか言われそう。あたしみたいな人魚なんてすぐに忘れられる。
「ハァ~~」
もうこんな自分が嫌になる。左右に揺れて自分の嫌なところに暫く呻きピタリと止める。それからゆっくりと起き上がってスマホで時間を確認する。
「明日、どっかでかけようかな」
誰かと約束しているわけでもないし。ちょうど試験勉強にも行き詰っていたしいい気分転換になる。
「んー」
薔薇の王国、輝石の国、陽光の国、熱砂の国、珊瑚の海、夕焼けの草原も――とディスプレイをタップしていくふと黎明の国の美術館で手が止まる。
賢者の島は黎明の国の一部でその中でも中々辺鄙なところにある。それでもロイヤルソードアカデミーとナイトレイブンカレッジがあるためか麓の街は賑わっている。
あたしの通う学校でも交流があるためにゲートが設置されている。かつ、二つの学校の生徒と出会いたいブルームノヴァの子が足しげく向くところ。そもそも二校が気晴らしに出かけるところがその麓の街くらいしかない。あたしたちの学校ほど他国へ外出する許可は中々ないらしい。
「難儀ったらないわ」
ふと、また思考がフロイドの方へと向かっているのが嫌になる。何だかここまで来るとあたしは随分とフロイドが好きだったみたい。みたい、じゃないのは分かっているけれど自分が思っているよりも根が張っていたことに驚いている。
「まぁ、行ったところで会うことなんてないし」
もうここまで思考回路が引っ張られるならいっそ行ってみよう。
そんで、まぁ、うん。すっきりするとは限らないけれど思い出にでも浸って戻って来よう。そもそも。そう。そもそも。あんな中途半端に関係を絶ってしまったのだから、ぐじぐじしてんのよ。いっそ、一回どっぷりと浸ればすっきりする――かも!
「たぶん、そう。そうそう、そうに決まってる!」
なら、フロイドが言っていたおすすめのカフェとか雑貨屋に行ってみよう。
こうしてひとつずつ、断ち切っていこう。そんな感じに自分自身を鼓舞しながら予定を立てて、休日を迎えた。
* * *
外出届を提出し、賢者の島に繋がるゲートを潜る。ゲートを通ると麓の街のある一軒家に繋がる。この一軒家は魔法で一般人が入らないようにされている。もちろん、ロイヤルソードアカデミーやナイトレイブンカレッジの生徒も入れない。とはいえ、魔力がそれなりに高い一般人には認識はできるらしい。それでも入らないように認識を逸らす魔法がかけられているとか。
とまぁ、そんな感じで学校と賢者の島を繋ぐゲートがある。その一軒家から出ると麓の街はだいぶ賑わっていた。
「ま、休日って覚悟はしてたし」
混雑というわけではないけれど人混みがそれなり。気を付けて歩かないと。この前来たときみたいに小さな子どもにぶつかってしまうかも。
「あのときのスカート気に入っていたのに……」
ぶつかった子どもが持っていたアイスがベチャッとスカートについてしまったの。子どもは顔を真っ青にしてすぐに人混みに消えてしまった。逃げて行った子どもにあっけにとられ、謝罪がなかったことに徐々に怒りが込み上げた。
とはいえ、いなくなった子どもを捕まえる気もなく。魔法でできる範囲まで落としたけれど、まぁまぁ大きなシミで魔法を使うクリーニングに出してもなんか薄っすらとシミがったし。
「うーん。新しい服でも買おうかしら」
とくに何かしたいと思っていたわけではないけれど、ちょうどいい。もしかしたら服とあたしの運命の出逢いがあるかもしれないし。
「じゃ。目的もできたことだし、行こ」
服を取り扱っているショップは確か中心地にあったはず。街では小物ばかり買うから服を買うのは新鮮な気持ち。
意気揚々とゲートの家を出て人混みに紛れた。
それから30分。目的のショップが並んでいる場所に辿り着いたところで遠くに黒い集団が目に入った。ナイトレイブンカレッジの制服集団といっても3人から4人の程度の塊。
ロイヤルソードアカデミーの白い制服も目立つけれど、ナイトレイブンカレッジの黒い制服も目立つ。というか、あの二校はどうしても目立つからしょうがない。
――ま、うちの制服も目立つけど……ん?
集団にちょっと近づいたとき奥の方に何だか見覚えのある色味が見えた。
次の瞬間、胸がざわざわしてきた。何だか口の中が急に乾いてきたような気もする。これはきっと嫌な予感とかと同じ類(たぐい)。
そっと足を後ろに引く。そのままくるりと後ろを向けば大丈夫。何も見なかった、とザワザワする胸を押さえながら小走りで逃げる。
――まだ心の準備はできてないッ!
もしかしたらフロイドじゃなくてジェイドかもしれないし、そもそも彼らではないかもしれない。そうかもしれないけど、不安は消えない。
ざわざわする胸を押さえながらあたしは逃げた。全速力とはいかないけれど逃げた。
「あ~どうしよう、どうしよう」
逃げなければという焦りが募る。とりあえず何も準備ができていない状態で会うことはできない。ただひたすら逃げたいと思った。同時に失恋の傷が重症だということを改めて突き付けられた気がする。
――とりあえず戻ろう。すぐに学校に戻ろう。
そう思うよりも早く足が勝手にゲートの家と向かっていたのに気づく。無意識の行動に笑いたい気持ちになったがそれどころじゃない。あたしは何も考えないでゲートに向かった。
観光客などの人混みを抜けるとゲートのある家が見えてほっと胸を撫で下ろす。
――あと少し……。
少しだけ気持ちが楽になって息も楽になった気がした。
これで戻れる、と安心しながらドアノブに手をかけると影がなくなった。同時に頭上で叩きつけられる酷い音がして心臓が跳ねた。
――あぁ。
悲壮な声が心の中で洩れるとドッドッと心臓の音が耳にダイレクトに響いているような気がする。荒い息は自分のものだろうか。
早くドアノブを捻って引けと念じるが身体は動かない。被食者になったものは死に物狂いで逃げないといけないのに。そんなのでは海では生きていかないというのに、手も、足も、動かない。
藻掻くこともできずにいると、ゆらりと背後の捕食者が動いた気配がして息が詰まると――。
「ひさしぶりぃ」
「ッ」
耳元に囁かれる言葉と同時にドアノブを捻るが大きな手に握り込まれ阻まれる。
たらっと汗が流れるのを感じながらそっとドアノブを掴む力を緩める。そして、斜め上を見るとにんまりと嗤う瞳と出会う。
「ふ、ふろ、ふろいど……」
「あは♪ なぁに、そんな怯えた声出してぇ」
怯えた声もなにも正真正銘怯えてんのよ、と軽口も今は叩けない。それほど背後にぴったりとくっつくフロイドが恐ろしい。
――目が笑ってないんだけど。
怖すぎる。同時にめちゃくちゃ怒っているのが分かる。いや、もう怒りを通り越した何かな気がする。じゃあ、その何かってなにって感じなんだけれど。
「もう帰んの?」
動けないあたしを無視して話しかけてくる。詰めた息を吐き出して何とか口を動かす。
「そっ、だけど」
「んー。まだ時間ある?」
首を傾げながら聞いているけれど言葉の裏から「あるよな?」という圧を感じる。断ることを許さないという圧にあたしは「うん」と頷く。
途端、にぱーとフロイドが笑う。
「そっか。なら、ちょっとオレとお茶しよ♡」
はい、と答えることしかできないあしたはまたゆっくりと頷いた。そして、フロイドはあたしの答えに非常に満足げに笑った。
* * *
てっきりカフェとかどっかお店にはいるのかと思ったら違った。
カフェに寄ることはなかった。やっぱり「お茶しよ」というのは口実だったらしい。飲み物だって飲めた気もしないからよかったと思うべきか。
あたしは手をしっかりと掴まれて海岸へ連れていかれることになった。
海岸と言っても旅客で使われる港ではなくて貨物用で使われるクレーンポートがある方。だからなのかあちらに近づくにつれて観光客で賑わう雰囲気がなくなっていく。
「こっちって来て大丈夫なの?」
「うん」
迷いない返事に不安は消えない。一体、どこに連れていかれるのか。不安な心持のまま手を引かれるままクレーンポートに足を踏み入れた。
てっきり、クレーンポートの中にあるお店にでも止まるのかと思ったらクレーンポートをずんずんと横断し続けた。ほんとうに、ほんとうに、どこに行くのか不安が募る。
「ちょ、ちょっと、ちょっと! ほんとにどこまで行くつもりなの!」
「ん~」
今度は返事らしい返事もない。でも、離すつもりはないというように手はしっかりと掴まれている。
本当は足を止めて引き留めたいけれど、フロイドの機嫌がよく分からない。ここで無理に引き留めて人の目を集めたくない。
――そんなに人はいないけれど。
地元の人ばかりとはいえイヤなものはイヤで、あたしは足を止めることはできなかった。
ずんずんクレーンポートを横断すると、人気のない狭いけれど海岸らしい場所に出る。よくみると滝のようなものまである。
賢者の島の島にもこんなところがあるんだ。なんてぼんやりと頭上の滝を見上げていると――。
「ヴァネッサ」
「ん? え?」
いつの間にかフロイドが海の中にいる。よく見なくともフロイドは本来の人魚の姿に戻っている。一体、どうしてと近づいていくと。
「っ!」
身体が何かに引っ張られ――そのまま海へと身体が落ちていった。人間の姿のままで。
人間の姿で海に落ちるなんて最悪。服も、荷物も、そのままだし、本当に最悪。いや、そんなことを心配している場合じゃない。
「はッ、は、」
必死にもがいて海から顔を出して咽ながら息を繰り返す。
溺れないように足を動かして岸の方へと向かおうとしたが、腰に長い何かが巻き付いた。すぐに検討がついた。
「フロイドっ! 離してっ!」
「やーだ」
「やだって、あんたねぇ!」
離すつもりがないフロイドにぐいぐいと引っ張られる。というか、尾ビレをこんな形に使って泳げないんじゃないの。
「フロ、やめっ」
「うっせぇな。オマエも早く戻ればいいだろ」
どうせ戻る薬持ってんだろ、と鬱陶しそうな顔で言う。なんでそんな顔をされなきゃいけないのか。若干苛立ちながら魔法で鞄に入っている魔法薬を召喚する。零れた様子はなく一安心しながらフロイドを睨む。
「戻るから離して」
「や・だ♡」
にっこり、と笑う顔がしゃらくさい。このままじゃ埒が明かない。
仕方がないからこのままの状態で薬を飲み干す。すぐに身体が変化して元の人魚の身体に戻った。
「戻ったってわけでぇ」
「ぁ、くっ!」
今度は海の中に引っ張り込まれた。
人魚に戻ったから呼吸は問題ないけれど、こう喰われそうになる恐怖心は高まっていく。
ぐんぐんと下へと向かっていくと思ったフロイドが急に止まった。すると、キュッと尾ビレが絞め付けられる。
「ッ、」
何すんのよ、と睨む前にフロイドの顔が前の前に現れた。あまりの近さに仰け反るけれど、それさえも許さないと腕を掴まれると今度は空いた手で顔を掴まれる。
目の前のフロイドの目が三日月のように細くしなる。
「オマエのこと一度ちゃぁんと絞めようと思ってさ」
「ッ」
尾ビレが強く締められ、顔を掴む手も、腕を掴む手も力が加わる。鋭く尖った爪が僅かに肌に食い込むのが地味に痛い。
「んっ、ちょ」
「でさ、まぁ本気で絞める前にさ、聞きてぇーことがあんだけど」
「ぁ、なに」
言いながら絞めつけが緩むことはなかった。ぐっと顔を引っ張られ鼻先が触れる距離になる。流石にこれは――。
「ちょ、まって、待って」
「あァ? なんだよ」
苛立ったように目が見開くフロイドを見ながら自由な方の手を肩に置いて押す。
「近すぎるから! 近づかなくても話せるでしょ!」
「……やだ」
「や、やだって、」
さっきからなんなの。結局距離は近いまま。あたしの手もとりあえずフロイドの肩に置いたままの体勢で話すことになった。
「で、なに聞きたいことって」
「……少し前になんで勝手に切ったんだよ」
単刀直入なフロイドに逃げたくなったけれど雁字搦めで逃げ出せない。
「もしかしなくても小エビちゃんのせい?」
「くっぅ」
図星を突かれて頬が熱くなる。いや、すぐに考えれば誰だって分かる。察しのいいフロイドならすぐにバレることだ。
「つか、小エビちゃんのことだけやたらと突っかかってきたけどさぁ、」
「なに?」と言いたげなフロイドに口を噤む。
察しのいいフロイドもなんで気にかかっていたのかは分からなかったらしい。意外だと思うがこれが厄介。気になったらフロイドは飽きるかどうかしない限り引かない。
――なんで? なんで、あたしのこと気にしてんの?
ふと過った疑問にフロイドを睨むことをやめて彼の目を見つめてしまった。すると、フロイドの眉間からも皺が消えた。同じようにというよりちょっと困ったような瞳の色を見せた。
「んだよ。まさかオマエ自身が分からないとかねぇよな」
「や、それは分かるけど……あんたの思考というか行動の方が分からなくて」
「オレぇ?」
丸い目を瞬かせて眉を下げる。意味分かんねぇ、と言いたげな反応をされる。けれど、あたしの方が意味わからなくて困ってる。
「なんで、あたしのこと気にしてんの?」
「は? だって、オマエ、あの終わりかたねぇだろ」
「そうだけど……そんな気にする? あんたが?」
本音を洩らしてしまった。でも、不可解だからしかたない。フロイドが今日この時まであたしのことを気にしていたのが意外なこと過ぎる。
そう。そもそもあたしがあんな終わり方したってケロっとまた連絡し来るはず。だのに、どうしてフロイドがあたしの行動を気にしているのか。
「いつものあんたならそんなこと気にしないでケロっとした態度してるでしょ」
「は? あ? ああ? そうだっけ?」
困惑気味に首を傾げる様子からフロイド自身も気づいていなかったのか。はたまた分かっていてあえて無視していたのか。
どうして、という疑問は消えない。同時に浅ましい期待が浮かんで心の中で苦笑しながら口を開く。
「あんたがずっと小エビちゃんの話しするのがイヤだったの。しかも、あんたに〝小エビちゃんが好きなの?〟って聞いたら濁すようなこと言うでしょ。ようは嫉妬ね。恋人でもなんでもないけれど嫉妬してイヤになって強制終了させたの」
浅ましい期待を抱いて素直に感情を告げる。貴方が好きです、と言っているようなものだ。実質的な告白。
こんな告白に彼はどう応えてくれるんだろう。フロイドを見つめると彼は一瞬目を瞠る、と次の瞬間には喜色を滲ませて愉しそう微笑んだ。
予想外の反応に眉を顰めるとぐっと顔を前に引っ張られる。
「ふぅん。そっか、そーいうことね」
「ち、ちょっと、」
意味ありげな言葉と共に鼻先が触れ合う距離を越えてお互いの額が触れる。あまりの近さに自由な手でフロイドの肩を押すけれどびくともしない。
「なぁ、なぁ」
必死に距離を取ろうとしているあたしを嘲笑うようにフロイドは話しかけてくる。
なに、と眼前でしなる両目を睨む。すると、睨まれたことなど気にしていないというように目で嘲笑う。
「そうだよなぁ。あの感じ。そうだわ。そんなんだったわな」
「わかって、たの……?」
「忘れてたけど、なんとなぁくオマエ分かりやすいし」
「ッ」
分かっていたのかよ。っていうか、忘れていたとか。なんか告白損と思ったけれど、これで本当にすっきりするかもしれない。
「だから怒って切ってたわけ?」
「そう言ってんじゃないの!」
「うん、うん♪ そうだね」
これで踏ん切りがつく、と思ったらフロイドの言葉にちょっとイラっとくる。だが、こっちの苛立ちなんてお構いなしにフロイドは妙に機嫌がいい。意味が分からない。鼻歌を歌い出しそうな感じだが、機嫌がいいなら手を離してほしい。そろそろ顔というか顎がいたい。何より鋭い爪が地味に痛い。
「ねぇ。もう離して。爪が痛いんだけど」
「んー。逃げねぇならいいけど」
「逃げるわけないじゃない」
「ほんと?」
「ほんとう!」
念を押すと顔から手を、腕から手を離してくれた。けれど尾ビレから離れてはくれなかった。むしろ、すりすりと擦りつけ来て腰のあたりがゾワゾワする。
「ん、ねぇ。尾ビレも――」
「やだ」
尾ビレだけは拒否されてしまった。にんまりと笑ったまま尾ビレを緩く締め擦りつけてくる。これが何ともこそばゆくて何だか、何だか。
「ぁ、ン」
洩れた声に慌てて口を両手で抑えると顔が熱いのが分かる。
自分の口から洩れた声が何とも恥ずかしい。というか、これはきっとフロイドに聞かれた。絶対に聞かれた。
その事実が恥ずかしくてフロイドが見られずに顔を背ける。
「あはっ。今の声めっちゃいいねぇ」
「ンん゛ッ!」
耳元で囁くと同時に尾ビレが強く締められ擦りつけられた。両手で口を押えていたけれどくぐもった声はどうしても抑えられない。
遠慮なく尾ビレを締め付けられて苦しいのに、辛いのに――気持ちいい。気持ちいいと感じたことにどうしようもない羞恥心が込み上げる。
やめて、と言いたいけれど両手を外したらあられもない声が出そう。それが怖くて目を瞑ると――。
「おーしまい」
すりぃいっと最後に尾ビレを擦りつけて離された。
最後のひと撫でにビクと身体が跳ねる。最悪、とフロイドを睨むと満足そうニヤニヤしている。ほんとうに自分勝手で最低。
そっと口から両手を離すと少しだけ息が上がっている。何とか息を整えようとしたところでまたフロイドが近づいて来る。
「っ、なによ」
「そー怯えんなよ」
「だ、誰のせいだと」
「さぁ?」
フロイドの態度に苛立ちが募るがこの男はこういう男だ。苛立ってもしかたない。
とはいえ、この男あたしの質問に答えていないんじゃないか。
やり返してやるという趣旨が変わった気持ちが込み上げて今度は自分から近づく。顔を近づけるとフロイドの目が愉しそうにしなる。
「なぁに?」
「あんた、あたしの質問に答えてないでしょ」
「ハ?」
拍子抜けした顔から瞬く間に苦虫をつぶした顔になる。これはあたしが何を言っているのか分かっているらしい。なら、応えてもらおうじゃないの。
「で、どうして。あたしのこと気にしてたの」
「あ~さっきので分かんねぇの」
「は? 何が?」
面倒くさそうな顔をするフロイドの顔を両手で掴む。「ギッ」という声を無視してじっと左右色の違う双眸を見つめる。
あたしばっかりずるいじゃない、という念を送るとフロイドが観念したように目を閉じた。そして、ゆっくりと開いたら妙に真剣な色をして胸が高鳴ってしまった。
「ん~言葉にすんのは難しいかれこれでいっか」
「は? ぇ、ちょ、まっ」
フロイドの顔を掴んでいた両手が掴まれ、僅かにあった距離がぐんと縮まって――なくなった。
鼻先より近い距離、唇に柔らかな感触が当たっている。
「んんッ! んーッッ!」
思考回路が一機に爆発して尾ビレをばたつかせて離れようともがく。なにせ両手をフロイドに掴まれてしまっているから。けれど、フロイドが離してくれないし、驚いて開いた唇がより深くなってよく分からなくなると――。
「んぁっ」
フロイドから離れてくれた。ただ唇を重ねただけのキスなのに息が乱れる。勝手にキスして来たフロイドはというとなんてことない顔をしている。
「な、なにす、する」
「こうした方が手っ取り早いかなぁって」
ね、とにっこり笑うフロイドに乱れていた思考回路が纏まった。緩くなった拘束を解いて手を振りかざして――。
「いでぇええッッ!」
「引っ叩かれないだけましでしょ!」
千切る勢いで頬を捻る。フロイドの目尻に若干涙が滲んだところで引っ張るように手を離す。それに「いっでぇえ!」と叫んで頬を抑えて睨んでくる。
「あんたが悪いのッ! フンッ!」
もう考えるのも疲れた。何もかもフロイドのせいだ。
「フロイドのことなんて知らない! 戻る!」
「ぁ、おい!」
引き留めるフロイドの手をするりと抜け出して海面に向かって泳ぎ出す。
まったく何なの、何なの。答えになんかなって、なって――。なってなんかないと思いたいけれどフロイドが好きでもないヒトとキスをするか。
――いや、興味があればしそう。
ありえそう。なんて思っていると隣に気配を感じるけれど見ない。絶対に見ない。
「なぁ、なぁ……ねぇ」
「……なによ」
小さな子どもみないな声を出さないでほしい。チラと並んで泳ぐフロイドを一瞥すると表情が晴れて肩をぶつけてくる。腕のヒレが当たって痛いけれど我慢をする。
「なに」
「いきなり、ごめんね」
コテンと首を傾げるのは卑怯ではなかろうか。でも、これで一気に許す方向に流れる自分自身がイヤになる。
「なぁ。今度デートしよ」
「え? なんでよ」
「なんでって恋人同士になったから?」
「は?」
泳ぐのをやめてフロイドを見る。何がどうしてあれで恋人同士になるのか。
いや、キスまでしたのだから。そうなるのか。分からない。フロイドが分からない。
「あ、もしかして小エビちゃんのこと気にしてんの? ぜんぜんそーいうんじゃねぇから」
「いや、そうじゃなくて、や、もうなんか」
「ん?」
分からないらしいフロイドが今度は反対側に首を傾げて気が抜けた。もう何だか、なんなんだか。
「ハァ。もう、どうでもいいけど、どうせならウィンターホリデーになってからでいいんじゃない?」
「あーそうだね。その方がどっか行けそうだし。つか、お前はどうすんの?」
「ん。今年は薔薇の王国の別宅に行く」
珊瑚の海の王都に帰ることもあるけれど、基本的にウィンターホリデーは各国にある別宅で新年を迎える。今年は母様が薔薇の王国で友達と音楽会をするからということで薔薇の王国になった。
「じゃあ、薔薇の王国行こうぜ」
「いいけど、ほんとに大丈夫?」
教員もほとんど帰省するというのに生徒が他の国に外出できるのか。
楽観的なフロイドを見ながらも何だか楽しそうに気分がフワフワした。
「楽しみにしとく」
それでもなんか素直に喜ぶのはしゃくでちょっと素っ気なく答えておいた。それでもフロイドは見抜いているのかただにんまりと笑って――。
「オレも楽しみ」
今までに見たことがない声音に何だか調子が狂う気分だった。
2024.09.23