運が悪くて運がいい

運が悪くて運がいい



 アタシは運が悪いようで運がいい。
 産まれた場所は夕焼けの草原のスラム街。家族は物心が着いた頃にすでに父さんはいなかった。母さんはいたけれどすでに身体を壊していて寝たきりの状態が多かった気がする。けれど、周りの人たちが何だかんだと言いながら助けてくれたから不幸だとは考えもしなかった。

 それから五歳くらいになった頃、母さんが亡くなった。アタシは母さんの葬儀が終えるとすぐに街を出た。母さんが死ぬ間際に隣街にあるスラム街のブッチさんという方を頼れと言ったから。近所の人曰く、同じハイエナの獣人属で母が若い頃にお世話になったらしい。そのブッチさんという方を頼ってアタシは街を出たけれど――運の悪いことに人買いに攫われてしまった。

 この瞬間、アタシは自分の人生が悪い方向に行こうとしているのに気づいた。周りの絶望した少年少女に、同じ顔をそれ以上に絶望した大人を見てアタシは恐怖に駆られる。すぐにアタシもこうなるのか。絶対に嫌だと思ったけれど、自分の力ではどうにもできない。自分の無力さをひしひしと感じていた時だった。

「わっ!」

 乗せられた車が激しく揺らいだ。同時に外から激しい攻防の音が聞こえる。どうやら襲撃にあったらしい。
 アタシはこの瞬間がチャンスだと思った。幸い手足は自由だ。後はあの強固な扉が開けば――と見た瞬間扉がバキシャンと歪な音を立てて外れた。
 パァと差し込む光りに目がやられかける。

「すまない。この暗闇じゃ、明るすぎるな」

 何とも場に会わない優しい声と共に灯りが弱まっていく。現れたのは夕焼けの草原を束ねる王族と同じ耳を持った獣人属。その両脇には自分と同じ耳を持ちハイエナの獣人属の男女がいた。ちなみに、その男女はすぐ後にアタシを引き取って家族にしてくれた。

 アタシはとても運が悪く、とても運のよかった。



   * * *



 どん底生活から瞬く間に生活が変貌して十年と少し経った。今のアタシは名家の末娘として名を連ねている。

 痩せ細った身体は肉も脂肪もついたけれど栄養不足がたたったか身体は小さいまま。でも、運動能力は高いらしく護身術程度の武術は学べた。魔力もあるから将来的に魔法士養成学校にも入れるだろう。スラム街に住んでいたときと比べるとあまりにもいい環境。だが、素晴らしい環境に胡坐をかいてはいけない。

 今後の人生は運も必要だけれどそれだけではいけない。実力が必要だ。新しい両親に新しいきょうだいはできた娘に妹と甘やかしてくれる。恥ずかしくも嬉しくもある。けれど、甘え過ぎることはできない。
 アタシはゆくゆく実力社会に飛び込むつもりだ。ならば頑張っていかねばいけない。そして、いつか憧れのジェマお姉様や母様たちのように立派な女性として社会の荒波を生きていくつもりだ。うん。一人で生涯を終えるくらいの力を作る。
 そんな一生懸命に頑張っていても駄目な日もある。

「お前が盗んだんだろ!」
「はぁ」

 アタシは絶賛窃盗の疑いをかけられている最中だ。
 またこれだ。ハイエナの獣人属あるある。何か不祥事が起きたら何故か高確率で疑われる。これは長い間培われてきたこの国特有の偏見のひとつだ。

 故郷夕焼けの草原にはいまだ多くのスラム街が点在する。もちろん王都でも普通に存在している。そして、そのスラムに住んでいる人間の多くがハイエナの獣人属だ。スラム街出身と同時に動物のハイエナの風評被害も相まって傍にハイエナの獣人属がいればいの一番に疑われるしまつ。

 やんなる。今日はジェマお姉様に贈るプレゼントの材料が足らず城下街に来ただけなのに。こんなことになるなんて。
 一人で来るんじゃなかった。でも、兄様たちに邪魔されずゆっくりと選びたかったから。けれど、まさかこんな人目のあるところで窃盗犯扱いされるなんて――運の悪いことだ。

 チラと宝石商の店主を見る。宝石を鑑定する目は今やアタシを疑う目になっている。なんて不愉快な目だ。それが顔に出たのか店主の顔が赤くなる。しまったと思ったのも束の間、怒涛の言葉が投げかけられる。アタシと同い年の少女ならびっくりして泣いてしまうかもしれないほどの怒号。でも、犯人はアタシではないので右から左へ聞き流し、アタシのビビりではない。
 一通り叫んだ店主を見てアタシは口を開く。

「あなたのお店に入っていません。アタシが入ったのはずっと向こうにある王族御用達のお店よ」
「ハッ! ハイエナの獣人属が入れる店じゃねぇだろ」

 明らかな侮蔑に眉を顰めて心の中であんただって入れねぇだろと悪態をつく。とはいえ、周りの人間も同じような顔をしている。なんて醜い人間たちだ。だが、このままでは警察を呼ばれては――いや、呼ばれた方が都合はいいかも。あー、でも警察に偏見があったら我が家を失脚させるために利用するかも。すると、やっぱり駄目だ。

「あー、めんどくさ」

 小さな声で本音を口にすると「シシっ」と癖のある笑い声が聞こえた。
 誰が笑ったのよ、と聞こえた方角を見た瞬間――牙を見せつけるように男の子が哂っていた。何、と睨むより前にそこからぬっと何かが出てきた。

 ぬっと出てきた何かは人間だった。地面に倒れた人間は女で顔を真っ青にさせていた。もしかして窃盗犯と睨んでいるとどこからともなく茶色の袋が出て来て、緩んだ口からキラキラと宝石が零れた。途端女が「あ!」と声を出す。そして、店主が「盗まれた宝石……」とぬかしやがる。

 アタシは地面に転がっている女に近づいて「あんたがしたの?」と一応訊ね。すると、自分の立場も弁えず睨んできた。睨みたいのはアタシなんだけど。その意味を込めて睨み返せば女が怯んで命乞いを始めた。

「ち、違う! わたしは違うの!」
「あー共犯でもいるの?」
「きょう、はんは、いないけれど」
「そ、」

 口篭もる女にもう面倒臭い。それにアタシがこれ以上ここに居ても意味はない。なにせこれで嫌疑は晴れたはずだ。後は店主が警察を呼ぶ適当すればいい。

「アタシもういいですよね」
「あ、ぇ、ああ…‥」

 気まずそうな店主に謝罪は望めないだろう。店の名前は覚えたし今度どうにかしてやろう。そう心に決めて背を向けて人混みに入る。

 それにしてもさっき犯人を突き出したのはあの男の子なのだろうか。せめてその男の子にお礼を言いたい。あの笑い声を探せばいいかな。いや、それは流石に難しい。
 どうやって探そうかなと考えながら歩いていると――。

「ちょっと今度はあんたが被害に合うッスよ」

 かけられた声に前を向くと頭の後ろで手を組んだ男の子がいた。その男の子はアタシが探していた子だ。頭に巻かれた黄色のバンダナがさっき見たものと同じだ。

「あんた、不用心過ぎ」

 垂れた目がアタシ越しに何か見る。その目に映るのは何かなんて想像がつく。どうやらつけられていたらしい。全然気づかなかった。どうやら窃盗の疑いが晴れて気が緩んでしまったらしい。
 舌打ちをすると「シシシ」と笑う声がしてまた男の子を見た。やっぱりその笑い方はあの男の子と同じだ。

「これ次第で安全な場所まで送り届けるけど?」

 下品に指でコインの形を作る男の子にアタシは頷く。

「お代は弾むわ。お願い」
「話が早い! んじゃ、こっちッス!」
「ぇ、わっ」

 想像以上に大きな手が手首を掴んで走り出した。あまりの早さに足を絡めないように必死に動かした。でも、それ以上にアタシの意識は手首に向かっていた。

 年頃の男の子との交流はなかったわけではない。どうしても興味は湧かなかった。たぶん、スラム街を一度経験している所為だろうか。同世代の男の子たちがとても頼りなく、また甘く見えた。勿論、そうじゃない聡い子もいたけれどどうにも気性が合わなかった。
 だから今まで初恋と呼ばれる初恋をしてこなかった。いや、でも、初恋に近い感情を抱いたことはある。今も憧れ続けるジェマお姉様。だからと言って女の子相手に恋愛感情を抱くことはなかった。だから、アタシはそうなんだろうって思っていたのだけれど。
 何故か掴まれた部分から体温が上がっていくような気がする。たかが手首を掴まれたくらいで。よく分らない変化に混乱しながらもアタシは必死に足を動かした。




 暫く走り続けると先ほどの治安の悪い気配が消える。賑やかで活発な雰囲気は城下町の中心地だ。
 緩やかになっていく速度はついに止まる。息を整えていると手首から熱が離れる。手が離れたのだ。

「ま、ここまで来れば大丈夫っしょ」

 手を離した男の子がくるりと振り返る。そして、その手を頭に向けて伸ばしてバンダナの結び目を解いた。パラリと頭から外れた頭にピコンとアタシと同じ耳が現れた。

「あなたもハイエナの獣人属だったの?」
「そんなとこ」

 だから助けてくれたのかしら。そう見るけれどそんなじゃないというように首を横に振られた。男の子は「あんた持ってそうだったから」と言った。それから男の子は愛想よく笑って手を出しだ。

「お代」

 男の子の守銭奴っぷりに溜息が出そうになる。でも彼のお蔭でアタシは助かったのだ。

「ちょっと待って……」

 言いながら鞄から財布を取り出そうとしたときだった。鞄の底にあるものを入れていたことを思い出す。そして、それを渡す方が現金よりもいいのではと思った。

「ねぇ。キャッシュの方がいい?」
「え。もしかして持ってない感じ?」

 訝しむ男の子に首を振ってアタシは鞄の中から箱を何とか開ける。そして、入っていた家門の彫られたペンダントを取り出して手の中に隠すようにして鞄から出す。

「はい。こっちの方がきっといいわ」

 男の子は訝しみながら手のひらを差し出す。想像していたように大きな手のひらにアタシは握っていたものを落とす。

「あげる」
「ぇ、うげっ!」

 男の子が大きな目をさらに見開いて手のひらに落とされたものを見る。それから隠すように慌ててぎゅっと握りしめてアタシを見た。

「ちょ、こ、これって、オレが貰っていいもんなんスかッ!」
「いいわ。もし何かあったときに――あーそうね。ちょっと待って」

 鞄の中から手帳を取り出してメモのところにサインと下賜したことを書く。その部分をちぎって彼に渡す。

「このメモがあれば大丈夫よ」
「いやいや! そうじゃないッス!」
「いいのよ。あ、でも厳重に保管してね」
「聞いているッスか!」
「あんたこそ聞いているの?」

 しっかりと話しを聞いてと言えば青ざめたままの彼は「キャッシュで」と言い出す。

「キャッシュの方がって……あ、なら宝石の部分だけでも貰っていって」

 「簡単に外れるから」と言えばさらに左右に激しく首を振った。

「いらないッス! もう! お礼ならキャッシュでお願いします!」
「……お礼なんだけど」
「こんなお礼流石に色々取り扱いが面倒ッス!」

 「はいッ!」と突き返す男の子に仕方ないと受け取って鞄に投げ込む。代わりに財布を取り出すと――。

「あれを投げ込んだよ。うわぁ……」
「うっ、うるさいわね。はい、これでいい?」
「お! たっくさーん! はい! 毎度あり!」

 現金はなんともあっさりと受け取った。でも、本当に犯人の件を考えればあのペンダントを貰ってほしかった。

「本当に宝石だけでも貰う気ないの?」
「しつこいッスねぇ」

 「いらないッス」と断固とした態度を取られてしまえばアタシは引くしかない。

「あなたのお蔭で疑いも晴れたのに……」
「あ、やっぱり気づいていたんスか?」

 お金を仕舞った彼はシシシと笑う。

「まぁね。でも、あなたのような人どうしてアタシなんか助けたの?」
「ん? そりゃ名家のご令嬢を救えばたんまり謝礼がもらえんだろうなって」
「そこまで知ってたの?」
「うん。前に一度見かけたからね」

 本当にそれだけなのかしら。短い時間でもわかるほどこの男の子は損得勘定で動くタイプだ。そんな子がいくらお嬢様だからってあんな面倒事に首を突っ込むかしら。

「おかしな人。あんたみたいな人は面倒事に首突っ込まないタイプでしょうに」
「んー。でも、見返りがたくさんありそうだったから」

 いやそうかもしれない。それで犯人まで捜すか普通。そして、突き出すか。けれどこれ以上詮索しても何も出そうにない。男の子も言いそうにないし。でも、腑に落ちないから。

「なら、やっぱり」
「あー。貰えないって」
「でも……んー。なら、このブローチもらって」
「え」

 胸元に着けていたブローチを外す。このブローチは貰ってくれなかったペンダントよりは高価ではないし家紋もない。アタシが初めて選んだ宝石とデザインで出来ているただのブローチだ。

「暮らしの元手にしてもいいし――」

 一瞬男の子の顔を見る。その顔は何だかここで終わるような子には到底見えなかった。だから、ひとつ付け足した。

「あんたが成り上がるときの元手でもいいわ」

 ポンとブローチを投げると男の子はパシと受け取った。

「今度こそ返品不可だから」
「え、いや、でもさ」
「いいから。さっきのメモも渡すから」

 「はい」とメモを渡すと男の子は躊躇しながらも受け取った。そして、メモと一緒にブローチをデニムのポケットに入れた。

「……オレが成り上がるように見えるッスか?」
「ええ。十分、あんたは成り上がるわ」

 アタシの感がこの子は出世するって言っている。大物になるかは分からないけれどたぶんハイエナの獣人属とか関係なく上にいける。ああ、だからアタシはこの男の子のことが気になるのかもしれない。
 じっと期待で見つめれば男の子の視線がそれて「ふぅん」と素っ気ない声を出した。

「ま。オレもそのつもりだから」
「そう。じゃ、アタシ行くわ」
「ん。ここなら安全でしょ」

 「オレもバイトの時間だし」と言って腕時計を見た。アタシはふとこの子の名前を知らなかったことに気づく。アタシは先に自分の名前を告げてーー。

「あなたは?」
「……ラギー・ブッチ」

 え、と思わず男の子を凝視する。けれど、男の子――ラギーは気にすることなく「じゃ」と背を向けた。引き留めたいけれど生活のためだろうアルバイトに遅刻させることはできない。だから、アタシはその小さな背中に向かって「気をつけて、いってらっしゃい」と言うしかなかった。でも、その声にラギーは驚いたように肩越しに振り返って笑った。

「シシ。ありがと、いってきます」

 その笑顔に彼の名前をアタシは忘れることはできなかった。そして、彼の姿をナイトレイブンカレッジ寮対抗マジフト大会で見つけることになるなんて思いもよらなかった。



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