限りなく普通の恋
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
女の子の恋の結末は
二年目のウィンターホリデーを迎えた。サマーホリデーのときとは違う意味でドキドキしている。今回のウィンターホリデーでずっと片想いしていたトレイに告白すると決めた。でも、告白をする前にまずは仲直りしなければ。仲直りをしてから告白。いや、仲直りしてすぐに告白はやっぱり早かいかもしれない。いやいや、もう決めたじゃない。一度決めたなら遂行しなければ宙ぶらりんになってしまう。
「ぃッ」
すっかりと冬が始まった地元の空気は冷たかった。頬を掠める風が冷たく慌ててマフラーに顔を埋める。手が冷えると思って手袋してきたのは正解だった。正解だったけれど、外で待っていると瞬く間に体温が奪われていく。早くバス来ないかなと道路の先を睨むけれど気配がない。このまま時間通り来ないと凍えてしまいそうだ。もう、いっそ魔法でも使おうか。なんて考えていると隣に気配を感じた。その気配と共に甘い懐かしい香りがして――馴染みのある声がかけられた。
「随分寒そうだな」
ドキと心臓が一段と高鳴る。まだ本当に自分は好きなんだなと心の中の自分が苦笑した気がする。でも、本当のことだ。
だから、心臓が高鳴るのは仕方ないのだ、と手に向けていた視線をゆっくり上げる。そして、予想した通りの人の名を呼ぶ。
「トレイ……」
「元気だったか?」
喧嘩する前と相変わらず優しい表情で問いかけてくれた。柔らかく緩められた眼鏡のレンズ越しの瞳に緊張が和らぐ。
本当に好き、と思いながら「元気よ。あなたは?」と返す。それにトレイは眉を困ったように下げて「何とかな」と答えた。その答え方はマジカメの写真と関係あるのかと思うと浮上していた気分が下る。けど、今はそれじゃないでしょと自分自身に言い聞かす。
「あの、トレイ、サマーホリデーのときのことなんだけど」
「ああ。あれは俺が悪かった」
困ったままの眉で首に手を置くトレイ。あっさりと自分に否があると言うトレイにわたしは目を瞬かせる。わたしの様子にトレイは笑って言う。
「実はケイト――友達に相談してみたんだ。そしたら『ダイエット頑張っている子に信じられない!』って色々怒られたんだよ」
トレイの口から出た名前にマジカメのケイトさんであることはすぐにわかった。けど、ケイトさんのことを知っているとは言っていないから知らないふりをして聞く。それにしてもケイトさんはよく知っているし、トレイに対する説得力が羨ましくなる。
って、そうじゃない。トレイばかりに否があるんじゃない。
「トレイばっかりじゃない! それにトレイだってわたしの身体のことを心配してくれていたのに、わたしったら頑なになっていたわ」
「だから、おあいこよ」と付け足すとトレイは「そうか? でも悪かった」ともう一度謝ってくれた。だから、わたしも「わたしの方こそごめんね」と返した。
ずっと続いていたわだかまりが消えてこれなら今告白もいけるかもしれない。いやいや、いきなりはまだまずい。和解できたならもう少し、もう少し日を置いてからとウダウダ考えていると。
「そういえば今年の一年生も中々面白い奴らが入ってきたんだ」
楽しげなトレイの声にカンと頭の中で嫌な音が鳴り響いた。これは聞きたくないと身体が警告を鳴らしたのだ。けど、ここで聞かないという選択肢は選べなかった。
冷や汗を流しながら「どんな子たちなの?」と自分から話しを広げてしまった。何でそんなことするのよとギュッと手を握る。
「ああ。ウチの寮に入ってきた一年で目立っている問題児がいてな。そいつらがリドルに――」
問題児だという一年生からリドルくんの話になってホッとした。そして、もうひとつの意味でもホッとした。リドルくんを街で見かけることは殆どなかった。ただ、リドルくんのお家はわたしのうちのお得意様で、時々忙しい両親に代わって花を届けていた。その際に真剣に勉強している姿を見かけたことがあった。
でも、話しかける時間なんてリドルくんにはなかった。その中であった事件。あの事件はきっとリドルくんにも、トレイにもあまりよかった事件じゃなかった。わたしは直接関わってはいなかった。けど、何度かいいのか、いいのか、としつこくトレイたちに聞いたことがあった。トレイもチェーニャも同じ子どもなんだからいいだろという感じだった。
そのときにわたしがもっと強く言えるような子だったらリドルくんのお母さまの拘束が強くならなかったのかもしれない。トレイが思い詰めることもなかったのかもしれない。トレイはすぐに持ち直したけど――本当はきっと。
「アンジェリーナ?」
「わッ!」
名前を呼ばれると同時に叩かれた肩に想像以上驚き飛び跳ねてしまった。
トレイの話を聞きながら昔を思い返していて思考が深く潜り込んでいた。けど、それにしたって驚きすぎて恥ずかしい。
「き、聞いていたんだけど、その、あの、リドルくんのことを思うと」
「そうだよな。リドルもいい方向に進んでくれるといいな」
何か思い当たることがあったようなトレイの横顔。そこに思い詰める色はない。でも、心配しているのだろう。やっぱりトレイはあの一件以来リドルくんにちょっと甘い気がする。そこはもう少しリドルくん離れしなければいけない気がするけど、言わない。これはトレイが自主的にすべきことだから。
それにしても入ってまだ間もない一年生がリドルくんたちに影響を与えるなんてすごい。寧ろ、幼馴染でも何でもないからかもしれない。
問題児というより期待の一年生なんじゃないかしら。なんて思ってこのままこれで終わればいいなと思っていたけれどそうは簡単に進まなかった。
「そうだ。他にも面白い一年生がいるんだけどな」
ああ。その子だ。その子の話を聞きたくなかった。
カンカンカンと鳴り響く警告の鐘に耳を塞ぎたくなる。それを表に出さずに表情を崩さずに何とか、何とか、その子の話を聞く。また嫉妬でドロドロしたものが生みだされてしまうと嘆いていたけれど――。
話を聞いているうちのその子がとても大変な立場であることも理解してしまった。というか、皆女の子って気づいていないの。年頃の女の子が聞く限りオンボロな建物で生活していいわけない。もっと、もっと気にかけてあげてと願わずにはいられない。
「トレイ。その監督生さんのこと気にかけてあげてね。何だか色々大変そうだわ」
「うん。なるべくそうするつもりだ」
もう嫉妬とかそんなことよりも大変な環境で生活する監督生さんが心配になってきてしまった。彼女にもっと頼る相手が出来ますようにと願いながらわたしの嫉妬心は消え失せた。寧ろ、嫉妬してしまってごめんなさいとさえ思う。
ごめんね、と心の中で会ったこともない彼女に謝罪を零して罪悪感に苛まれるのだった。
わたしはすっかり告白することを忘れわたしはトレイと秋学期に起きたことを話し合った。そして、わたしはいつ告白するか悩む羽目になった。
* * *
ウィンターホリデーはケーキ屋も繁忙期だけれど花屋も繁忙期だった。
両親は得意先への配達に忙しくわたしが主に店番をしていた。一人で店番をしているときは作り置きのブーケの販売、すでに両親が作って置いた予約客相手に対する販売が主になる。わたしの作るブーケは学生レベルではいいかもしれないけれどまだお金を取るほどとは言い難い。常連のお客様の中でたまに依頼されたときに作るくらいだ。
「でも、本当にお金を取るにはね……」
フラワーデザイナーの両親に比べるとまだまだだ。
「ふぅ」
練習に廃棄前の花で小さな花束を作る。バランスはいいけれどもう少しこの辺りを持った方がいいかもしれない。右側の花の位置が気に入らないと直す。
直しながら悶々と浮かぶのはいつトレイに告白するか、だった。帰省してからずっと機会を失っている。それもそうだ。トレイの実家は人気のケーキ屋さんで猫の手も借りたい状況なんだ。その最中にトレイを呼び出すなんてことできやしない。
空気を読んで、と読み続けてもうニューイヤーを迎えようとしている。これでは学校に戻る前に告白できないかもしれない。それだけは避けたい。
でも、告白するならやっぱり学園に戻る前になるんじゃないか。悶々と考えながら花束のバランスを変えていると――カランとベルの音が鳴り響く。
いらっしゃいませ、とお客様を出迎えようと手元から顔を上げる。けど、口が動くより前に頭の中で耳元に大きく響いたジャキンという音がする。頭に鳴り響いた音に花束を手放し空になった手で咄嗟に首元を触れる。首にかかる髪が手に触れる。髪があるとわかったのにドッドッと心臓の鼓動が早く鳴って息が上がりそうになる。それに合わせて身体中から嫌な汗が吹き出して来る。息が乱れないのが不思議なくらいだ。
「なんだよ。ここはお客様に挨拶もしねぇのかよ」
カウンターを挟んでやって来たお客様と呼びたくない男。ニヤついた顔で意地悪く見下ろす。その瞳が本当に嫌い。大嫌い。
「い、いらっしゃいませ」
首から外した手を握り締めてやっと絞り出した声。
か細い声に男は「聞こえねぇよ」と悪態をつくと同時にカウンターを蹴った。蹴られた音に身体が跳ねてさらに身体が硬直した気がした。もう何年も前のことなのに。夢に見ることもなくなったのに。学校魔法が使えない男とは離れたのにここまで身体に恐怖を刻まれているとは思いもしなかった。
「おい。聞いてんのかよ、アンジェリーナ・パーカー?」
呼ばれた名前に悪寒が走る。わたしの名前を呼ばないでっ、と心の中の小さなわたしが悲鳴のように叫ぶ。けどその悲鳴は実際口から出ることはない。
乾いた口を何とか動かして「ご用はなんでしょうか」と気持ち先ほどより大きな声で尋ねる。男はにぃと口角を上げる。
「こんなところで買うもんなんてねぇよ」
「では、何でしょうか」
なら店に来ないで。この両親がいないときの店番をしているわたしのもとに来たからきっと碌なことない。早く意地悪なことをしてさっさと出ていってと嫌な空気に耐え続ける。
男は広くもないカウンターに手をついて前のめりに屈んで来た。嫌な距離感だ。でも、男は構わず厭味ったらしくひん曲がった唇を動かす。
「この俺がわざわざ来てやったんだぜ?」
「ですから、何ですか」
「おいおい。まず、その他人行儀な態度やめろよ」
わたしとしては気安い態度をやめてほしい。そして、この態度が線引きだと気づいてほしい。いや、きっとこの身勝手な男は気づかないだろう。昔もそうだったのだから。
嫌な記憶が徐々に身体を蝕んでいく。何であんな酷いことをして平然とわたしの前に顔を出せるのかしら。すべて忘れ去ったように気安い態度をしてくるのか。
「おい! 聞いてんのかっ!」
「ッ」
突然出された大声に刻まれた恐怖が身体に駆け巡る。ピリリと肌を差すような苛立ちに肩が縮こまる。
「あの、すいません。一体どのような用でしょうか。注文ですか?」
慌てて聞き返してしまった。身体が恐怖から逃げたくて口が動いてしまった。馬鹿なことを口走ってしまったとすぐに後悔するけど撤回できない。
男はニンマリと哂う。まるでそれでいいんだよ。お前はそうであれよ、と言っているようだった。わたしを弱者として見下す男。そんな男にわたしはまだ勝てないのだろうか。自分自身の弱さに嫌気が差す。
悦に入っている男を睨みつけることも出来ずに堪えることを選ぶ。
「おらよ、これ」
バッと目の前に出されたのは一枚のケバケバしい紙きれだった。チケットの形をしていることからチケットであることは予想できる。
「これは一体……」
「わかんねえ?」
男は得意げな顔になってチケットの説明を始める。どうやらこの地区のナイトクラブでニューイヤーパーティーがあるとのこと。このチケットはそのクラブの入場券らしい。
誰がそんなパーティーになど行きたくない。だから、すぐに断った。
「お店の手伝いがあるので行けないです」
「は? こんな店誰もいねぇだろ?」
辺りを見回し鼻で哂う男に眉を顰めて「今はそういう時間なんです」と言い返してしまった。普段なら何も言い返せないけれど両親が大切にしている店を貶されたくはなかった。
案の定男は気を悪くして酷い剣幕で「俺に口答えすんのかよッ!」と手を伸ばした。
男の手はあっさりわたしの肩を掴む。カウンターは男との障壁にはならなかった。
ぐっと容赦ない力に肩が痛い。でも、その痛みに耐えて振り払う。体勢を崩してカウンターに手をつく。男はその体勢のままこちらを睨みつけてきた。そのカッターのような鋭さは幼い頃のまま恐ろしく身体が震える。
体勢を直した男がカウンターの入り口に目をやる。これは逃げなければと頭ではわかっているけれど身体が震えて動かない。動け、動けと念じながらズンズンと入り口に向かう男を見ていると――。
「何をしている?」
緊張感漂う空気を裂くように割って入ってきた冷たい声。馴染みがある声なのにとても冷え冷えとした声だった。でも、わたしの身体は恐怖から解き放たれた。
「っ、とれ、い……」
震える声で店の出入り口に顔を動かす。そこにいたのはコックコートを着たトレイだった。やっぱり、よかった、と安心してしまうのはやっぱり情けない。滲みだす視界が嫌で手の甲で目を擦る。
「チッ。トレイ・クローバー」
「へぇ。俺のこと覚えていたのか――」
男の名前を冷え冷えした声でトレイが言った気がする。でも、男の名前はもう聞きたくもないし記憶に入れたくなくて聞こえないふりをした。
「アンジェリーナに構うなって言ったのを忘れたのか」
いつにない低い声で言い放つトレイ。だがその内容にわたしは聞き覚えがなかった。もしかしたら男がわたしに構わなくなったのはトレイのお蔭だったのかもしれない。てっきり、興味を失っただけだと思ったけれど違ったみたいだ。本当はトレイのお蔭だったんだ。こんなときに気づいてしまった。あとで、お礼を言わないとなんて場違いなことを頭に浮かぶ。
わたしが若干現実逃避をしている間も二人の間には緊迫感が漂っている。けど、男の方で余裕が見えない。うって変わってトレイは余裕のある態度を崩さない。だから、先に口を開いたのは余裕のあるトレイだった。
「お前変わらないな」
珍しく嘲笑うようにトレイが吐き捨てた。途端、プライドの高い男の怒鳴り声が響く。
「うるせぇ! お前は、昔からっ、くっ」
男は言葉を詰まらせた。きっと男もトレイに口では勝てないとわかっているのだろう。だから、何も言い返せない。わたしに見下すような高圧的な態度を取っておきながらなんて惨めな人なんだろう。その惨めな人にわたしは自分一人の力では勝てない。
せめて強気に言い返せるほどの力が欲しかった。もっと強い人間になりたかった。
「今すぐ出ていけ。もう金輪際アンジェリーナに近づくな。いいな」
二度目はないと言うほどの力のある声だった。それはまるで魔法を使っているようだ。けれど、魔力の気配がないからトレイ自身の力なのだろう。わたしもそれくらい強くなりたい。
男は舌打ちをすると店の出入り口に向かって荒々しく歩き出す。そして、トレイの横を横切る時に強く睨みつけた。トレイはそれを冷え冷えとした瞳で受けた。結局、男の方が負けてすぐに顔を背けて出入り口の扉を掴み出てい行った。扉を閉める際の乱暴さを物語るように激しくベルが店内に鳴り響く。
あまりの荒さにと身体が一瞬跳ねるけど、恐ろしい存在が去った安心感の方が上回った。はぁと息をついて強張っていた身体の力が抜けていく。
「大丈夫だったか」
あの冷え冷えなとした声とうって変わって優しい声をかけられた。カウンター越しにやって来たトレイを見上げれば眉を下げて心配げな顔をしていた。
さっきまでの怖いトレイもこうして心配してくえるトレイも同じトレイ。不思議だけだなとぼんやりと見上げていると名前を呼ばれる。
「アンジェリーナ? どうした? 何かされたのか?」
「あっ、ううん。肩を掴まれただけだから」
肩を、と言った瞬間にトレイの目が細まった。その鋭さにわたしは失言だったと気づき慌てて手を振る。
「だ、大丈夫! 大丈夫よ! 全然痛くないから!」
本当は薄らと痛みはあるけれど言ったらいけない気がする。わたしは必死に「大丈夫」と訴えるけど流石幼馴染のトレイ。わたしの言葉を疑いにかかる。
「ほんとうか? 嘘じゃないのか?」
嘘だろう、と暗に言っているような眼差しと言い方。トレイの抗い難い雰囲気にわたしは呻きながら「ちょっと」と返す。わたしの返事にトレイは眉を顰めた。
「すぐに治療するぞ」
「ち、治療って、平気! そこまでしなくても大丈夫よ!」
カウンターの扉を開いてやって来たトレイを止める。けど、止める間もなくトレイは長い足であっという間に眼前までやって来た。
「ほら、どっちの肩だ?」
膝を着くトレイにわたしはしどろもどろしてしまう。だって、男の子を前に肌をさらせない。それに今日の服は。
「あの、あのね、トレイ。今日の服、見て」
必死に自分の首元を指さす。わたしの指に眼鏡越しのトレイの黄色味帯びた瞳が動いて丸くなる。
「あ、あ~」
気まずそうにトレイの目が忙しなく左右に動く。察してくれたみたいだ。
「うん。あの、ちょっと難しいの」
察したトレイに言うのもあれだけど、今日の服はハイネックニット。動きやすいようにボタボタしていないピッタリタイプ。肌を見せる以前に肩だけ出すという芸当はできない。
「いや、俺が気を利かせなかったのが悪い。いや、そもそも見せろなんて年頃の女子に言うのも間違っていたな」
「い、いいのよ。心配してくれたんだもの」
服の上から応急措置の魔法をかけてもらい後はお母さんが帰ってきたら見てもらうということになった。これでこの場は何とか乗り切った話は終わりかと思ったけれど――。
「あれ? そういえばどうしてトレイがいるの?」
「お店忙しいでしょ」と花屋も繁忙期だけれどケーキ屋はその比じゃない。現にトレイはコックコートを着ている。どうして、と不思議そうに見上げればトレイが「アッ」と慌てた顔をしてカウンターに置いていたケーキボックスを見せる。それに今まで気づかないわたしもどれだけ視野が狭くなっていたのか。
苦笑して「届けてくれたのね。ありがとう」と言う。トレイもいつものように困った顔で笑った。
「いつものケーキだ」
「繁忙期なのにごめんなさい」
トレイの家が営むケーキ屋に毎日ではないがケーキを頼んでいたのだ。いつも手の空いている誰か、主にわたしが取りに行くのだけど、店内の時計を見て首を傾げる。時計の時間はまだ取りに行く時間より前だった。
「ちょっと早い?」
「あ、ああ。父さんたちがちょっと息抜きして来いって」
「そうなの?」
貴重な人手なのではと思うけどトレイのお父さんが言うなら平気なのかも。でも、息抜きならば――。
「チェーニャの方が息抜きになったんじゃないの?」
彼もロイヤルソードアカデミーから帰省しているはずだ。
「あいつの家は遠いから行くまでで休憩が終わるんじゃないかな」
「確かに」
チェーニャの家はここからワンブロック先だ。息抜きの散歩では終わってしまうのも頷ける。でも、わたしとの会話で息抜きになるのか。そもそも今日はあの人の所為で息抜きにも何もならなかっただろう。申し訳ない気持ちにかられる。
「ごめんなさい。息抜きの時間にあんな人に遇わせてしまって」
「それは気にしなくていい。むしろ俺はタイミングがよかった」
膝をついたトレイが恭しくわたしの手を取った。大きな手にドキドキしてしまう。
「アンジェリーナに何もなくてよかったよ」
ほんと、と零すトレイに泣きたくなった。
「ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。だから、気にしなくていい。本当に」
手をポンポンと叩いてくれる手は温かくて泣きそうになる。
トレイは〝あの時〟もきっと色々なことをしてわたしを守ってくれたのだ。幼馴染だからきっとしてくれるんだと思うし、トレイは世話焼きだから。
「わたしもっと強くなるわ」
あの人に負けないくらい。
「無理して強くならなくてもいい。何かあればすぐにと頼ってくれていいんだぞ」
トレイは本当に優しい。だからついこの歳まで甘えてしまっていた。きっとこの間のサマーホリデーもそのいいきっかけのひとつだったんだ。だから、間違えない。
「ねぇ。トレイ、ホリデー期間に少し時間をくれないかしら」
この環境に一区切りつけよう。
* * *
ニューイヤーも終わり結局トレイと時間が合ったのはお互い学校に戻る前日だった。
疲れ切った様子の両親に見送られて待ち合わせ場所の近所公園で待つ。
トレイはまだ来ていないのか公園に人気はない。それもそうだ。今は出勤や通学するような時間だ。けど、まだホリデー期間だから人通りはない。それに待ち合わせに選んだ公園も近所では一番広い。散歩コースも随分と離れているから散歩目的の人もたぶん来ないと思う――自信はないけど。見られたらそのときはそのときだ。腹は括っている。
けど、緊張して全然眠れなかった。できてしまった隈は綺麗に隠せているかな。目の充血は消えたかなとショルダーバックからコンパクトを取り出して確認する。
鏡に映る自分の顔をまじまじと見る。うん。意外に綺麗に消えているし、目の充血も引いている。教えてくれた先輩 のお蔭だなとしみじみとしていると――。
「まるでデート前の女の子だな」
「え?」
顔を上げると待ち人がいた。長身の身体を折って目尻を下げて笑うトレイ。楽しげなトレイにボッと顔に火が着く。
「や、やだっ! い、いつから見ていたの」
「うーん。コンパクト出す少し前。なんかソワソワして可愛かったからついな」
可愛いという言葉に嬉しさが込み上げて反論できない。でも、ソワソワしていたのを見られていたのは恥ずかしい。
わたしのしどろもどろした姿にクスクス笑い続けるトレイに抗議の声をあげる。
「もう! 来たならすぐに声かけてよ!」
「だから、可愛かったからすぐに声かけられなかったんだって」
「うぅぅ~~。そういうことは彼女に言いなさいよ」
自分で言っておいてズキと心が痛む。でも、いくら幼馴染だからって女の子に気安く可愛いなんて言っちゃ駄目だ。とはいっても、少し前はトレイにそう見られたくて必死だったのだけど。今になって可愛いなんて言われるなんて――犬猫感覚と同じだろうけど。
自分の考えで落ち込みかけるのを必死に奮い立たせる。
「隣、座っていいか?」
「うん、勿論!」
「じゃあ、遠慮なく」と隣に座ったトレイ。隣にある気配に忘れていた緊張が蘇る。心臓がドキドキして体温も上がっていく。
「あ、そのマフラー使ってくれたのね」
わたしが遅ればせながら贈った誕生日プレゼント。藍色のマフラーはこう大人っぽさがもっとトレイがカッコよく見える。本当に先輩 様様だ。
「ん? ああ。アンジェリーナの贈物だしな。今日は寒いしおろすのにもちょうどいい日だろ」
「う、うん? ええ、そうね」
何だか含みのあるような言い方だ。何だ。何だか。今日のトレイはちょっと違うような気がする。どうしたのだろう。
「どうした?」
「え、う、ううん。何でもないわ」
顔を覗き込むトレイに首を振る。トレイはそうかと離れていった。
この状況で告白するのか、と思うけれど腹を括ったのだ。この機会を失ったらわたしはきっといつまで経ってもトレイに片想いしているはずだ。そして、目の前のトレイが見知らぬ人と結ばれるときも燻った恋にウダウダ言うはずだ。でも、そんな自分にはなりたくない。
身体を斜めにしてトレイに向き合う。トレイも合わせて「なんだ」と身体を向けてくれた。本当に優しくて大好き。
大好きで大好き過ぎて色々なことを押しつけてしまうほど。そんなのは可哀想だと思う。だから、ここで女を見せるのよ。
「トレイ。わたし、あなたのこと好きなの。ずっと小さい頃から」
「大好きだったの」と言い切って顔を背ける。やっぱり最後までもたなかった。きっと頬は真っ赤に違いない。
「あの、あの、幼馴染だからって気にしないで、本当に気にしないでフってちょうだい」
潔く本当に。いっそのこと妹みたいだから無理ぐらい言ってほしい。きっぱりとはっきりとフってちょうだいとトレイの答えを待っていると。
「……これはフラないといけないのか?」
「え」と背けていた顔をトレイに向けて目を剥く。トレイの顔が真っ赤だった。さっきまで寒さで鼻の頭が赤かったけれど今は見えるところ全部赤いのではないのだろうか。
そんなトレイを見てわたしの顔もさらに赤くなってしまう。
「な、なんで、なに、その反応は?」
「い、いや。むしろ、なんでフラれると思ったんだ?」
顔を赤らめたままのトレイの疑問にわたしは意味が理解できず首を傾げる。すると、トレイが眼鏡を外して目を覆いながら深い溜息をついた。
「はぁぁ。そうか」
「え。待って、待ってちょうだい、」
一人で理解しないで、まだ全然理解できていないわたしを置いて行かないで。どういう意味なの教えて、とトレイの服をくいっと引く。
目を覆っていた手を退かして眼鏡をかけ直してトレイがわたしを見る。その顔の神妙さといったらない。何とも言えない顔って言うのかもしれない。
手を離して指をもじつかせながら「あのどういう意味?」と口に出して聞く。トレイはわたしの疑問が詰まった問いに一瞬目を泳がせたあと「俺も好きなんだけどな」とポツリと言った。照れくさそうに言うトレイなんてレアなんじゃないかしら。いや、それよりも今トレイは何て言ったの?
今、トレイは「俺も好きなんだけどな」と言った気がした。〝スキ〟という言葉をわたしは頭の中で反芻する。すき、スキ、好き――トレイのそれはどれを指すの。
「トレイの……好きは、どういう意味? というかわたしに対して?」
「アンジェリーナが俺に対する好きと同じで、お前に対して言ってる」
「わたしがトレイに対する好きと同じで、わたしに言っている」
「うん。同じで、アンジェリーナに言ってる」
わたしがトレイに対する〝好き〟と同じで、わたしに対して言っている。それはつまりそういうことなの。カチと繋がった瞬間ボンと頭の中にある箱が弾け飛んだ。
「ぇ、ぅ、や、な、なに、それ知らないんだけど」
「ああ、うん。伝わっていなかったみたいだからな」
頭の後ろに手をやるトレイに何故かカチンと頭に来た。
「つ、伝わらないわよ! 今までのあなたの態度と行動のどこに好きな女の子に対するものがあったと思うのよ!」
「え、全部だけど」
「ぜ、ぜ、全部ですって!」
きょとんと可愛い顔をするトレイに小さくキュンと音がする。けど、今はそれどこじゃない。わたしはトレイの腕に掴みかかって片手を拳にする。この震える拳は決して殴るためではない。うん。そうじゃない。
「トレイ、あなたの今までの行動も態度も全部幼馴染の範疇よ!」
「そうみたいだな」
「そうみたいだな、ですって!」
簡単に納得されては困る。いや、困らないけれど。むしろなんでそんなに簡単に受け入られるの。わたしなんてキャパオーバーしたままなのに。
「もう随分前からお前しか見ていないんだけどな」
伝わっていなかったかと残念そうに言うトレイ。残念そうだけどなんてことを告白してくれるのか。わたしの容量はもう限界を超えているというのに。
「全然わからなかったか?」
ずいっと身体を寄せて覗き込んで来るトレイに呻き声が出た。
「お、幼馴染だから仲良くしてくれているのかと思ったわ」
「そうか……幼馴染が徒になったのか」
眉を顰めたトレイを見て咄嗟にコートを掴む。
「徒じゃないわ。幼馴染じゃなきゃきっとわたしは……わたしは」
トレイの視界の端にもなかった。いや、認識してくれてもただの女子の一人。トレイは優しいから親切にしてくれるけどそこに甘い関係はきっと生まれなかった。わたしもトレイは遠い存在の男の子として憧れを含ませた初恋で終わっていたかもしれない。ここまできっと想いを募らせて片想いなんてしていなかった。
「幼馴染じゃなきゃこの歳まであなたに片想いなんてしていないわ」
「ただの憧れで小さい頃の初恋で終わっていたはずよ」苦笑を浮かべて言う。トレイは顰めていた眉を解いて目を丸くさせる。その顔はやっぱり可愛く見て笑いが込み上げる。
「ふふ。どうしたのよ。あなただってわたしが幼馴染じゃなきゃただの顔見知り程度の女の子だったはずよ」
「いや……そうなるか?」
「そうよ」
きっとそう。だって、わたしは平々凡々な女の子だから。トレイの頭の片隅にいるかどうかレベルの女の子かもしれないし。記憶にもなないかもしれない。うん、きっとそうだ。
「トレイと幼馴染になれたのは奇跡だったのね」
奇跡が連鎖して今トレイはわたしを認識していると思うとこのときを大切にしなければ。
うんうん、としみじみとしていると「あ~悪いがいいか?」と声をかけられた。
「なに? トレイ」
「いや、何か話が終わりそうな流れだから……俺、告白されたよな」
頬を掻きながら確認するトレイに〝イエス〟と答える。その返事に複雑な顔のまま「俺も告白したよな」と言ってくるので立ち上がる。
「忘れていたのに!」
「やっぱり! 現実逃避していたな!」
「何となくね!」
同じく立ち上がってわたしの肩を掴んで詰め寄るトレイ。そのトレイから逃げようとするけれど体格差諸々勝てるわけがない。
「もう! わたしの聞き間違いだって思わせてよ!」
「おいおい、人の告白を勝手になかったことにするんじゃない」
「だって、そうしないと頭がおかしくなりそうなのよ!」
思い出してまた顔が熱くなってくる。だって、だって、トレイがわたしを好きなのってやっぱり間違いだと思う。わたしの勝手な片想いがみせた最後の幻影なんじゃないかな。
「もしかして魔法が見せる幻覚!」
「幻覚じゃない! あーほら! 実体だ!」
ぐいっと身体と腕が引っ張られる。踵が浮いているのにちゃんと立っていられるのは何で。頬にくっつく厚手の布の感触はなに。わたしの体温と溶け合う別の熱はなに。
「ほら、いるだろ」
耳元で囁かれる声に二度目のキャパが越えた。
「し、死にそう」
「死んでくれるなよ」
「なぁ」ギュッと背中に回った腕に力が籠って距離がもっと近くなる。心臓の音まで溶けあってしまいそうな心地がする。
「俺はお前の告白に〝OK〟だ……で、アンジェリーナは?」
「そんな、そんな、わかりきったこと」
「告白をなかったことにした罰だ」
罰と言われては反論できない。確かに、告白してくれたのになかったことにされるのは辛い。わたしだったら辛くて死んじゃう。
わたしは身体の間にある腕をもごもご動かして広い背中に腕を回す。ぐっとわたしからもくっつく。
「ご、ごめんなさい」
「それは告白の答え?」
「ち、違う! そのなかったにしたことを先に謝りたかったの……告白はもちろん〝OK〟よ」
はじめに告白したのはこっちなのよ、という気持ちを込めて抱き着く。
「う、ぁ、あの、本当にいいの?」
「何がだ?」
「彼女、わたしでいいの……」
恥ずかしくない、とは聞けなかった。聞く勇気もなかった。でも、言わなかった意味をきっとトレイは気づいてくれると甘えてしまう。いつかその甘えをなくして何でも聞けるようになりたい。けど、今だけはまだ甘えさせて、とドキドキしながら答えを待つ。
「いいに決まってるだろ。なんで自信がないんだ」
笑いを含んだ声にわたしは「ないわよ」と返す。
「どうして」
「……ふ、太っていたの。それでからかわれたこともあるし」
「その話に戻るのか? 言っておくとお前が太っていようが太っていまいが俺にあまり関係はない」
「頑張ってダイエットしているアンジェリーナには悪いが」と付け足された。それは嬉しいような複雑な気分がした。本当なら素直に喜べばいいのに。きっとダイエットして外見だけでも変わる自分に満足を覚えてしまったからだ。
中身も磨かないとただの張りぼてと変わりないのかもしれない。先輩 たちが言っていた素敵なレディに自分は程遠いに違いない。
「そもそも体型を馬鹿にする奴らなんてその程度のレベルなんだ。気にするな――それが難しいんだろうけどな」
背中をポンポンと優しく叩いた。トレイは何とかわたしのコンプレックスを理解しようとしてくれている。ならば、わたしも意識を一歩踏み出さなければ。
「トレイが言っていたことは先輩 にも言われた」
「そうだったか。なら、俺が言うことはもうないな。俺もこの間は無神経だったよ」
「いいのよ……もう、いいのよ」
「わたしも適度に気にするわ」と付け足す。今まで無理なことはしていなかったけど太り過ぎるのもいけないから。
「トレイのケーキを気兼ねなく食べられるようには戻るわ」
「それは……今は気兼ねなく食べられないのか?」
「一応、お腹周りが気になるからね。ちょっと調整が必要なの」
トレイのケーキは生クリームがたっぷりだから次の日の体重の増加が目も当てられない。だから、ちょっと気にして調整して食べないといけない。
「なら、やめろって言いたくなるな」
「今理解を示してくれたのは何なの?」
「だから言わないだろ」
珍しく駄々をこねるような言い方をするトレイ。可愛い反応だなと思ってクスクス腕の中で笑っていると抱きしめる腕が強くなって苦しい。
「トレイ、苦しい」
「悪い」
言ってようやくわたしとトレイの間に距離が出来た。身体が寒くなって寂しくなる。
「寒いのか?」
顔をあげれば片眉と口角を上げてイジワルそうな顔をしていた。その顔にからかわれていることはすぐにわかる。幼馴染で、好きな人なんだから。だから、わたしもイジワル返してやる。
もう一回わたしよりも大きな身体に抱きつく。ギュウとあらん限りの力で抱き着いてそのままでトレイの顔を見上げて精いっぱいイジワルに笑ってみせる。
「寒いわ。だからトレイが温め」
どうだ。どうだ。わたしだってこのくらいの背伸びはできるんだ。一歳はしょせん一歳の歳の差。大きな差なんてきっとないはず。トレイが人並みに付き合いの経験がないなら。でも、やっぱりトレイならありえそう。
ちょっと悲しい気持ちになっていると、ぐぃっと身体が離された。無理矢理剥がされたことに別の悲しさが押し寄せる。行動に移しすぎたかも知れない。
駄目だったかなと思っているのも束の間だった。
「アンジェリーナがそこまで言うなら責任取らないといけないな」
「え、う、わぁっ」
何をと言う前にわたしはまたトレイの腕の中に引っ張り込まれた。コートの前が空いたのかさっきと肌に触れる感触が違うし、温かさが違う。さらに言えばトレイの匂いが濃くなったようなというちょっと変態なのではとセルフツッコミをしてしまう。
ドキドキと忘れていたように心臓が早鐘を打つ。とても忙しなくて心臓が破裂してしまうんではないかと思う。
「あ、あの、トレイ、も、もういいわ」
「なんだ? 遠慮することないんだぞ?」
クスクス笑いを含んだ声にからかい半分なのがわかる。けど、今はそれに怒ることもできない。もう、耐えられない。本当に、本当に、キャパオーバー。
「も、もう、無理……」
「は? あ、おい! アンジェリーナ! おい!」
トレイの慌てた声ですらもう遠い。のぼせたような感覚で意識がブッツリと途切れた。
こうして覚悟を決めて迎えたウィンターホリデーは呆気なく幕を閉じた。せっかくずっと片想いしていた男の子と恋人になれたのに。情けない閉幕にわたしは学校が始まって悶え続ける羽目になるのだった。
二年目のウィンターホリデーを迎えた。サマーホリデーのときとは違う意味でドキドキしている。今回のウィンターホリデーでずっと片想いしていたトレイに告白すると決めた。でも、告白をする前にまずは仲直りしなければ。仲直りをしてから告白。いや、仲直りしてすぐに告白はやっぱり早かいかもしれない。いやいや、もう決めたじゃない。一度決めたなら遂行しなければ宙ぶらりんになってしまう。
「ぃッ」
すっかりと冬が始まった地元の空気は冷たかった。頬を掠める風が冷たく慌ててマフラーに顔を埋める。手が冷えると思って手袋してきたのは正解だった。正解だったけれど、外で待っていると瞬く間に体温が奪われていく。早くバス来ないかなと道路の先を睨むけれど気配がない。このまま時間通り来ないと凍えてしまいそうだ。もう、いっそ魔法でも使おうか。なんて考えていると隣に気配を感じた。その気配と共に甘い懐かしい香りがして――馴染みのある声がかけられた。
「随分寒そうだな」
ドキと心臓が一段と高鳴る。まだ本当に自分は好きなんだなと心の中の自分が苦笑した気がする。でも、本当のことだ。
だから、心臓が高鳴るのは仕方ないのだ、と手に向けていた視線をゆっくり上げる。そして、予想した通りの人の名を呼ぶ。
「トレイ……」
「元気だったか?」
喧嘩する前と相変わらず優しい表情で問いかけてくれた。柔らかく緩められた眼鏡のレンズ越しの瞳に緊張が和らぐ。
本当に好き、と思いながら「元気よ。あなたは?」と返す。それにトレイは眉を困ったように下げて「何とかな」と答えた。その答え方はマジカメの写真と関係あるのかと思うと浮上していた気分が下る。けど、今はそれじゃないでしょと自分自身に言い聞かす。
「あの、トレイ、サマーホリデーのときのことなんだけど」
「ああ。あれは俺が悪かった」
困ったままの眉で首に手を置くトレイ。あっさりと自分に否があると言うトレイにわたしは目を瞬かせる。わたしの様子にトレイは笑って言う。
「実はケイト――友達に相談してみたんだ。そしたら『ダイエット頑張っている子に信じられない!』って色々怒られたんだよ」
トレイの口から出た名前にマジカメのケイトさんであることはすぐにわかった。けど、ケイトさんのことを知っているとは言っていないから知らないふりをして聞く。それにしてもケイトさんはよく知っているし、トレイに対する説得力が羨ましくなる。
って、そうじゃない。トレイばかりに否があるんじゃない。
「トレイばっかりじゃない! それにトレイだってわたしの身体のことを心配してくれていたのに、わたしったら頑なになっていたわ」
「だから、おあいこよ」と付け足すとトレイは「そうか? でも悪かった」ともう一度謝ってくれた。だから、わたしも「わたしの方こそごめんね」と返した。
ずっと続いていたわだかまりが消えてこれなら今告白もいけるかもしれない。いやいや、いきなりはまだまずい。和解できたならもう少し、もう少し日を置いてからとウダウダ考えていると。
「そういえば今年の一年生も中々面白い奴らが入ってきたんだ」
楽しげなトレイの声にカンと頭の中で嫌な音が鳴り響いた。これは聞きたくないと身体が警告を鳴らしたのだ。けど、ここで聞かないという選択肢は選べなかった。
冷や汗を流しながら「どんな子たちなの?」と自分から話しを広げてしまった。何でそんなことするのよとギュッと手を握る。
「ああ。ウチの寮に入ってきた一年で目立っている問題児がいてな。そいつらがリドルに――」
問題児だという一年生からリドルくんの話になってホッとした。そして、もうひとつの意味でもホッとした。リドルくんを街で見かけることは殆どなかった。ただ、リドルくんのお家はわたしのうちのお得意様で、時々忙しい両親に代わって花を届けていた。その際に真剣に勉強している姿を見かけたことがあった。
でも、話しかける時間なんてリドルくんにはなかった。その中であった事件。あの事件はきっとリドルくんにも、トレイにもあまりよかった事件じゃなかった。わたしは直接関わってはいなかった。けど、何度かいいのか、いいのか、としつこくトレイたちに聞いたことがあった。トレイもチェーニャも同じ子どもなんだからいいだろという感じだった。
そのときにわたしがもっと強く言えるような子だったらリドルくんのお母さまの拘束が強くならなかったのかもしれない。トレイが思い詰めることもなかったのかもしれない。トレイはすぐに持ち直したけど――本当はきっと。
「アンジェリーナ?」
「わッ!」
名前を呼ばれると同時に叩かれた肩に想像以上驚き飛び跳ねてしまった。
トレイの話を聞きながら昔を思い返していて思考が深く潜り込んでいた。けど、それにしたって驚きすぎて恥ずかしい。
「き、聞いていたんだけど、その、あの、リドルくんのことを思うと」
「そうだよな。リドルもいい方向に進んでくれるといいな」
何か思い当たることがあったようなトレイの横顔。そこに思い詰める色はない。でも、心配しているのだろう。やっぱりトレイはあの一件以来リドルくんにちょっと甘い気がする。そこはもう少しリドルくん離れしなければいけない気がするけど、言わない。これはトレイが自主的にすべきことだから。
それにしても入ってまだ間もない一年生がリドルくんたちに影響を与えるなんてすごい。寧ろ、幼馴染でも何でもないからかもしれない。
問題児というより期待の一年生なんじゃないかしら。なんて思ってこのままこれで終わればいいなと思っていたけれどそうは簡単に進まなかった。
「そうだ。他にも面白い一年生がいるんだけどな」
ああ。その子だ。その子の話を聞きたくなかった。
カンカンカンと鳴り響く警告の鐘に耳を塞ぎたくなる。それを表に出さずに表情を崩さずに何とか、何とか、その子の話を聞く。また嫉妬でドロドロしたものが生みだされてしまうと嘆いていたけれど――。
話を聞いているうちのその子がとても大変な立場であることも理解してしまった。というか、皆女の子って気づいていないの。年頃の女の子が聞く限りオンボロな建物で生活していいわけない。もっと、もっと気にかけてあげてと願わずにはいられない。
「トレイ。その監督生さんのこと気にかけてあげてね。何だか色々大変そうだわ」
「うん。なるべくそうするつもりだ」
もう嫉妬とかそんなことよりも大変な環境で生活する監督生さんが心配になってきてしまった。彼女にもっと頼る相手が出来ますようにと願いながらわたしの嫉妬心は消え失せた。寧ろ、嫉妬してしまってごめんなさいとさえ思う。
ごめんね、と心の中で会ったこともない彼女に謝罪を零して罪悪感に苛まれるのだった。
わたしはすっかり告白することを忘れわたしはトレイと秋学期に起きたことを話し合った。そして、わたしはいつ告白するか悩む羽目になった。
* * *
ウィンターホリデーはケーキ屋も繁忙期だけれど花屋も繁忙期だった。
両親は得意先への配達に忙しくわたしが主に店番をしていた。一人で店番をしているときは作り置きのブーケの販売、すでに両親が作って置いた予約客相手に対する販売が主になる。わたしの作るブーケは学生レベルではいいかもしれないけれどまだお金を取るほどとは言い難い。常連のお客様の中でたまに依頼されたときに作るくらいだ。
「でも、本当にお金を取るにはね……」
フラワーデザイナーの両親に比べるとまだまだだ。
「ふぅ」
練習に廃棄前の花で小さな花束を作る。バランスはいいけれどもう少しこの辺りを持った方がいいかもしれない。右側の花の位置が気に入らないと直す。
直しながら悶々と浮かぶのはいつトレイに告白するか、だった。帰省してからずっと機会を失っている。それもそうだ。トレイの実家は人気のケーキ屋さんで猫の手も借りたい状況なんだ。その最中にトレイを呼び出すなんてことできやしない。
空気を読んで、と読み続けてもうニューイヤーを迎えようとしている。これでは学校に戻る前に告白できないかもしれない。それだけは避けたい。
でも、告白するならやっぱり学園に戻る前になるんじゃないか。悶々と考えながら花束のバランスを変えていると――カランとベルの音が鳴り響く。
いらっしゃいませ、とお客様を出迎えようと手元から顔を上げる。けど、口が動くより前に頭の中で耳元に大きく響いたジャキンという音がする。頭に鳴り響いた音に花束を手放し空になった手で咄嗟に首元を触れる。首にかかる髪が手に触れる。髪があるとわかったのにドッドッと心臓の鼓動が早く鳴って息が上がりそうになる。それに合わせて身体中から嫌な汗が吹き出して来る。息が乱れないのが不思議なくらいだ。
「なんだよ。ここはお客様に挨拶もしねぇのかよ」
カウンターを挟んでやって来たお客様と呼びたくない男。ニヤついた顔で意地悪く見下ろす。その瞳が本当に嫌い。大嫌い。
「い、いらっしゃいませ」
首から外した手を握り締めてやっと絞り出した声。
か細い声に男は「聞こえねぇよ」と悪態をつくと同時にカウンターを蹴った。蹴られた音に身体が跳ねてさらに身体が硬直した気がした。もう何年も前のことなのに。夢に見ることもなくなったのに。学校魔法が使えない男とは離れたのにここまで身体に恐怖を刻まれているとは思いもしなかった。
「おい。聞いてんのかよ、アンジェリーナ・パーカー?」
呼ばれた名前に悪寒が走る。わたしの名前を呼ばないでっ、と心の中の小さなわたしが悲鳴のように叫ぶ。けどその悲鳴は実際口から出ることはない。
乾いた口を何とか動かして「ご用はなんでしょうか」と気持ち先ほどより大きな声で尋ねる。男はにぃと口角を上げる。
「こんなところで買うもんなんてねぇよ」
「では、何でしょうか」
なら店に来ないで。この両親がいないときの店番をしているわたしのもとに来たからきっと碌なことない。早く意地悪なことをしてさっさと出ていってと嫌な空気に耐え続ける。
男は広くもないカウンターに手をついて前のめりに屈んで来た。嫌な距離感だ。でも、男は構わず厭味ったらしくひん曲がった唇を動かす。
「この俺がわざわざ来てやったんだぜ?」
「ですから、何ですか」
「おいおい。まず、その他人行儀な態度やめろよ」
わたしとしては気安い態度をやめてほしい。そして、この態度が線引きだと気づいてほしい。いや、きっとこの身勝手な男は気づかないだろう。昔もそうだったのだから。
嫌な記憶が徐々に身体を蝕んでいく。何であんな酷いことをして平然とわたしの前に顔を出せるのかしら。すべて忘れ去ったように気安い態度をしてくるのか。
「おい! 聞いてんのかっ!」
「ッ」
突然出された大声に刻まれた恐怖が身体に駆け巡る。ピリリと肌を差すような苛立ちに肩が縮こまる。
「あの、すいません。一体どのような用でしょうか。注文ですか?」
慌てて聞き返してしまった。身体が恐怖から逃げたくて口が動いてしまった。馬鹿なことを口走ってしまったとすぐに後悔するけど撤回できない。
男はニンマリと哂う。まるでそれでいいんだよ。お前はそうであれよ、と言っているようだった。わたしを弱者として見下す男。そんな男にわたしはまだ勝てないのだろうか。自分自身の弱さに嫌気が差す。
悦に入っている男を睨みつけることも出来ずに堪えることを選ぶ。
「おらよ、これ」
バッと目の前に出されたのは一枚のケバケバしい紙きれだった。チケットの形をしていることからチケットであることは予想できる。
「これは一体……」
「わかんねえ?」
男は得意げな顔になってチケットの説明を始める。どうやらこの地区のナイトクラブでニューイヤーパーティーがあるとのこと。このチケットはそのクラブの入場券らしい。
誰がそんなパーティーになど行きたくない。だから、すぐに断った。
「お店の手伝いがあるので行けないです」
「は? こんな店誰もいねぇだろ?」
辺りを見回し鼻で哂う男に眉を顰めて「今はそういう時間なんです」と言い返してしまった。普段なら何も言い返せないけれど両親が大切にしている店を貶されたくはなかった。
案の定男は気を悪くして酷い剣幕で「俺に口答えすんのかよッ!」と手を伸ばした。
男の手はあっさりわたしの肩を掴む。カウンターは男との障壁にはならなかった。
ぐっと容赦ない力に肩が痛い。でも、その痛みに耐えて振り払う。体勢を崩してカウンターに手をつく。男はその体勢のままこちらを睨みつけてきた。そのカッターのような鋭さは幼い頃のまま恐ろしく身体が震える。
体勢を直した男がカウンターの入り口に目をやる。これは逃げなければと頭ではわかっているけれど身体が震えて動かない。動け、動けと念じながらズンズンと入り口に向かう男を見ていると――。
「何をしている?」
緊張感漂う空気を裂くように割って入ってきた冷たい声。馴染みがある声なのにとても冷え冷えとした声だった。でも、わたしの身体は恐怖から解き放たれた。
「っ、とれ、い……」
震える声で店の出入り口に顔を動かす。そこにいたのはコックコートを着たトレイだった。やっぱり、よかった、と安心してしまうのはやっぱり情けない。滲みだす視界が嫌で手の甲で目を擦る。
「チッ。トレイ・クローバー」
「へぇ。俺のこと覚えていたのか――」
男の名前を冷え冷えした声でトレイが言った気がする。でも、男の名前はもう聞きたくもないし記憶に入れたくなくて聞こえないふりをした。
「アンジェリーナに構うなって言ったのを忘れたのか」
いつにない低い声で言い放つトレイ。だがその内容にわたしは聞き覚えがなかった。もしかしたら男がわたしに構わなくなったのはトレイのお蔭だったのかもしれない。てっきり、興味を失っただけだと思ったけれど違ったみたいだ。本当はトレイのお蔭だったんだ。こんなときに気づいてしまった。あとで、お礼を言わないとなんて場違いなことを頭に浮かぶ。
わたしが若干現実逃避をしている間も二人の間には緊迫感が漂っている。けど、男の方で余裕が見えない。うって変わってトレイは余裕のある態度を崩さない。だから、先に口を開いたのは余裕のあるトレイだった。
「お前変わらないな」
珍しく嘲笑うようにトレイが吐き捨てた。途端、プライドの高い男の怒鳴り声が響く。
「うるせぇ! お前は、昔からっ、くっ」
男は言葉を詰まらせた。きっと男もトレイに口では勝てないとわかっているのだろう。だから、何も言い返せない。わたしに見下すような高圧的な態度を取っておきながらなんて惨めな人なんだろう。その惨めな人にわたしは自分一人の力では勝てない。
せめて強気に言い返せるほどの力が欲しかった。もっと強い人間になりたかった。
「今すぐ出ていけ。もう金輪際アンジェリーナに近づくな。いいな」
二度目はないと言うほどの力のある声だった。それはまるで魔法を使っているようだ。けれど、魔力の気配がないからトレイ自身の力なのだろう。わたしもそれくらい強くなりたい。
男は舌打ちをすると店の出入り口に向かって荒々しく歩き出す。そして、トレイの横を横切る時に強く睨みつけた。トレイはそれを冷え冷えとした瞳で受けた。結局、男の方が負けてすぐに顔を背けて出入り口の扉を掴み出てい行った。扉を閉める際の乱暴さを物語るように激しくベルが店内に鳴り響く。
あまりの荒さにと身体が一瞬跳ねるけど、恐ろしい存在が去った安心感の方が上回った。はぁと息をついて強張っていた身体の力が抜けていく。
「大丈夫だったか」
あの冷え冷えなとした声とうって変わって優しい声をかけられた。カウンター越しにやって来たトレイを見上げれば眉を下げて心配げな顔をしていた。
さっきまでの怖いトレイもこうして心配してくえるトレイも同じトレイ。不思議だけだなとぼんやりと見上げていると名前を呼ばれる。
「アンジェリーナ? どうした? 何かされたのか?」
「あっ、ううん。肩を掴まれただけだから」
肩を、と言った瞬間にトレイの目が細まった。その鋭さにわたしは失言だったと気づき慌てて手を振る。
「だ、大丈夫! 大丈夫よ! 全然痛くないから!」
本当は薄らと痛みはあるけれど言ったらいけない気がする。わたしは必死に「大丈夫」と訴えるけど流石幼馴染のトレイ。わたしの言葉を疑いにかかる。
「ほんとうか? 嘘じゃないのか?」
嘘だろう、と暗に言っているような眼差しと言い方。トレイの抗い難い雰囲気にわたしは呻きながら「ちょっと」と返す。わたしの返事にトレイは眉を顰めた。
「すぐに治療するぞ」
「ち、治療って、平気! そこまでしなくても大丈夫よ!」
カウンターの扉を開いてやって来たトレイを止める。けど、止める間もなくトレイは長い足であっという間に眼前までやって来た。
「ほら、どっちの肩だ?」
膝を着くトレイにわたしはしどろもどろしてしまう。だって、男の子を前に肌をさらせない。それに今日の服は。
「あの、あのね、トレイ。今日の服、見て」
必死に自分の首元を指さす。わたしの指に眼鏡越しのトレイの黄色味帯びた瞳が動いて丸くなる。
「あ、あ~」
気まずそうにトレイの目が忙しなく左右に動く。察してくれたみたいだ。
「うん。あの、ちょっと難しいの」
察したトレイに言うのもあれだけど、今日の服はハイネックニット。動きやすいようにボタボタしていないピッタリタイプ。肌を見せる以前に肩だけ出すという芸当はできない。
「いや、俺が気を利かせなかったのが悪い。いや、そもそも見せろなんて年頃の女子に言うのも間違っていたな」
「い、いいのよ。心配してくれたんだもの」
服の上から応急措置の魔法をかけてもらい後はお母さんが帰ってきたら見てもらうということになった。これでこの場は何とか乗り切った話は終わりかと思ったけれど――。
「あれ? そういえばどうしてトレイがいるの?」
「お店忙しいでしょ」と花屋も繁忙期だけれどケーキ屋はその比じゃない。現にトレイはコックコートを着ている。どうして、と不思議そうに見上げればトレイが「アッ」と慌てた顔をしてカウンターに置いていたケーキボックスを見せる。それに今まで気づかないわたしもどれだけ視野が狭くなっていたのか。
苦笑して「届けてくれたのね。ありがとう」と言う。トレイもいつものように困った顔で笑った。
「いつものケーキだ」
「繁忙期なのにごめんなさい」
トレイの家が営むケーキ屋に毎日ではないがケーキを頼んでいたのだ。いつも手の空いている誰か、主にわたしが取りに行くのだけど、店内の時計を見て首を傾げる。時計の時間はまだ取りに行く時間より前だった。
「ちょっと早い?」
「あ、ああ。父さんたちがちょっと息抜きして来いって」
「そうなの?」
貴重な人手なのではと思うけどトレイのお父さんが言うなら平気なのかも。でも、息抜きならば――。
「チェーニャの方が息抜きになったんじゃないの?」
彼もロイヤルソードアカデミーから帰省しているはずだ。
「あいつの家は遠いから行くまでで休憩が終わるんじゃないかな」
「確かに」
チェーニャの家はここからワンブロック先だ。息抜きの散歩では終わってしまうのも頷ける。でも、わたしとの会話で息抜きになるのか。そもそも今日はあの人の所為で息抜きにも何もならなかっただろう。申し訳ない気持ちにかられる。
「ごめんなさい。息抜きの時間にあんな人に遇わせてしまって」
「それは気にしなくていい。むしろ俺はタイミングがよかった」
膝をついたトレイが恭しくわたしの手を取った。大きな手にドキドキしてしまう。
「アンジェリーナに何もなくてよかったよ」
ほんと、と零すトレイに泣きたくなった。
「ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。だから、気にしなくていい。本当に」
手をポンポンと叩いてくれる手は温かくて泣きそうになる。
トレイは〝あの時〟もきっと色々なことをしてわたしを守ってくれたのだ。幼馴染だからきっとしてくれるんだと思うし、トレイは世話焼きだから。
「わたしもっと強くなるわ」
あの人に負けないくらい。
「無理して強くならなくてもいい。何かあればすぐにと頼ってくれていいんだぞ」
トレイは本当に優しい。だからついこの歳まで甘えてしまっていた。きっとこの間のサマーホリデーもそのいいきっかけのひとつだったんだ。だから、間違えない。
「ねぇ。トレイ、ホリデー期間に少し時間をくれないかしら」
この環境に一区切りつけよう。
* * *
ニューイヤーも終わり結局トレイと時間が合ったのはお互い学校に戻る前日だった。
疲れ切った様子の両親に見送られて待ち合わせ場所の近所公園で待つ。
トレイはまだ来ていないのか公園に人気はない。それもそうだ。今は出勤や通学するような時間だ。けど、まだホリデー期間だから人通りはない。それに待ち合わせに選んだ公園も近所では一番広い。散歩コースも随分と離れているから散歩目的の人もたぶん来ないと思う――自信はないけど。見られたらそのときはそのときだ。腹は括っている。
けど、緊張して全然眠れなかった。できてしまった隈は綺麗に隠せているかな。目の充血は消えたかなとショルダーバックからコンパクトを取り出して確認する。
鏡に映る自分の顔をまじまじと見る。うん。意外に綺麗に消えているし、目の充血も引いている。教えてくれた
「まるでデート前の女の子だな」
「え?」
顔を上げると待ち人がいた。長身の身体を折って目尻を下げて笑うトレイ。楽しげなトレイにボッと顔に火が着く。
「や、やだっ! い、いつから見ていたの」
「うーん。コンパクト出す少し前。なんかソワソワして可愛かったからついな」
可愛いという言葉に嬉しさが込み上げて反論できない。でも、ソワソワしていたのを見られていたのは恥ずかしい。
わたしのしどろもどろした姿にクスクス笑い続けるトレイに抗議の声をあげる。
「もう! 来たならすぐに声かけてよ!」
「だから、可愛かったからすぐに声かけられなかったんだって」
「うぅぅ~~。そういうことは彼女に言いなさいよ」
自分で言っておいてズキと心が痛む。でも、いくら幼馴染だからって女の子に気安く可愛いなんて言っちゃ駄目だ。とはいっても、少し前はトレイにそう見られたくて必死だったのだけど。今になって可愛いなんて言われるなんて――犬猫感覚と同じだろうけど。
自分の考えで落ち込みかけるのを必死に奮い立たせる。
「隣、座っていいか?」
「うん、勿論!」
「じゃあ、遠慮なく」と隣に座ったトレイ。隣にある気配に忘れていた緊張が蘇る。心臓がドキドキして体温も上がっていく。
「あ、そのマフラー使ってくれたのね」
わたしが遅ればせながら贈った誕生日プレゼント。藍色のマフラーはこう大人っぽさがもっとトレイがカッコよく見える。本当に
「ん? ああ。アンジェリーナの贈物だしな。今日は寒いしおろすのにもちょうどいい日だろ」
「う、うん? ええ、そうね」
何だか含みのあるような言い方だ。何だ。何だか。今日のトレイはちょっと違うような気がする。どうしたのだろう。
「どうした?」
「え、う、ううん。何でもないわ」
顔を覗き込むトレイに首を振る。トレイはそうかと離れていった。
この状況で告白するのか、と思うけれど腹を括ったのだ。この機会を失ったらわたしはきっといつまで経ってもトレイに片想いしているはずだ。そして、目の前のトレイが見知らぬ人と結ばれるときも燻った恋にウダウダ言うはずだ。でも、そんな自分にはなりたくない。
身体を斜めにしてトレイに向き合う。トレイも合わせて「なんだ」と身体を向けてくれた。本当に優しくて大好き。
大好きで大好き過ぎて色々なことを押しつけてしまうほど。そんなのは可哀想だと思う。だから、ここで女を見せるのよ。
「トレイ。わたし、あなたのこと好きなの。ずっと小さい頃から」
「大好きだったの」と言い切って顔を背ける。やっぱり最後までもたなかった。きっと頬は真っ赤に違いない。
「あの、あの、幼馴染だからって気にしないで、本当に気にしないでフってちょうだい」
潔く本当に。いっそのこと妹みたいだから無理ぐらい言ってほしい。きっぱりとはっきりとフってちょうだいとトレイの答えを待っていると。
「……これはフラないといけないのか?」
「え」と背けていた顔をトレイに向けて目を剥く。トレイの顔が真っ赤だった。さっきまで寒さで鼻の頭が赤かったけれど今は見えるところ全部赤いのではないのだろうか。
そんなトレイを見てわたしの顔もさらに赤くなってしまう。
「な、なんで、なに、その反応は?」
「い、いや。むしろ、なんでフラれると思ったんだ?」
顔を赤らめたままのトレイの疑問にわたしは意味が理解できず首を傾げる。すると、トレイが眼鏡を外して目を覆いながら深い溜息をついた。
「はぁぁ。そうか」
「え。待って、待ってちょうだい、」
一人で理解しないで、まだ全然理解できていないわたしを置いて行かないで。どういう意味なの教えて、とトレイの服をくいっと引く。
目を覆っていた手を退かして眼鏡をかけ直してトレイがわたしを見る。その顔の神妙さといったらない。何とも言えない顔って言うのかもしれない。
手を離して指をもじつかせながら「あのどういう意味?」と口に出して聞く。トレイはわたしの疑問が詰まった問いに一瞬目を泳がせたあと「俺も好きなんだけどな」とポツリと言った。照れくさそうに言うトレイなんてレアなんじゃないかしら。いや、それよりも今トレイは何て言ったの?
今、トレイは「俺も好きなんだけどな」と言った気がした。〝スキ〟という言葉をわたしは頭の中で反芻する。すき、スキ、好き――トレイのそれはどれを指すの。
「トレイの……好きは、どういう意味? というかわたしに対して?」
「アンジェリーナが俺に対する好きと同じで、お前に対して言ってる」
「わたしがトレイに対する好きと同じで、わたしに言っている」
「うん。同じで、アンジェリーナに言ってる」
わたしがトレイに対する〝好き〟と同じで、わたしに対して言っている。それはつまりそういうことなの。カチと繋がった瞬間ボンと頭の中にある箱が弾け飛んだ。
「ぇ、ぅ、や、な、なに、それ知らないんだけど」
「ああ、うん。伝わっていなかったみたいだからな」
頭の後ろに手をやるトレイに何故かカチンと頭に来た。
「つ、伝わらないわよ! 今までのあなたの態度と行動のどこに好きな女の子に対するものがあったと思うのよ!」
「え、全部だけど」
「ぜ、ぜ、全部ですって!」
きょとんと可愛い顔をするトレイに小さくキュンと音がする。けど、今はそれどこじゃない。わたしはトレイの腕に掴みかかって片手を拳にする。この震える拳は決して殴るためではない。うん。そうじゃない。
「トレイ、あなたの今までの行動も態度も全部幼馴染の範疇よ!」
「そうみたいだな」
「そうみたいだな、ですって!」
簡単に納得されては困る。いや、困らないけれど。むしろなんでそんなに簡単に受け入られるの。わたしなんてキャパオーバーしたままなのに。
「もう随分前からお前しか見ていないんだけどな」
伝わっていなかったかと残念そうに言うトレイ。残念そうだけどなんてことを告白してくれるのか。わたしの容量はもう限界を超えているというのに。
「全然わからなかったか?」
ずいっと身体を寄せて覗き込んで来るトレイに呻き声が出た。
「お、幼馴染だから仲良くしてくれているのかと思ったわ」
「そうか……幼馴染が徒になったのか」
眉を顰めたトレイを見て咄嗟にコートを掴む。
「徒じゃないわ。幼馴染じゃなきゃきっとわたしは……わたしは」
トレイの視界の端にもなかった。いや、認識してくれてもただの女子の一人。トレイは優しいから親切にしてくれるけどそこに甘い関係はきっと生まれなかった。わたしもトレイは遠い存在の男の子として憧れを含ませた初恋で終わっていたかもしれない。ここまできっと想いを募らせて片想いなんてしていなかった。
「幼馴染じゃなきゃこの歳まであなたに片想いなんてしていないわ」
「ただの憧れで小さい頃の初恋で終わっていたはずよ」苦笑を浮かべて言う。トレイは顰めていた眉を解いて目を丸くさせる。その顔はやっぱり可愛く見て笑いが込み上げる。
「ふふ。どうしたのよ。あなただってわたしが幼馴染じゃなきゃただの顔見知り程度の女の子だったはずよ」
「いや……そうなるか?」
「そうよ」
きっとそう。だって、わたしは平々凡々な女の子だから。トレイの頭の片隅にいるかどうかレベルの女の子かもしれないし。記憶にもなないかもしれない。うん、きっとそうだ。
「トレイと幼馴染になれたのは奇跡だったのね」
奇跡が連鎖して今トレイはわたしを認識していると思うとこのときを大切にしなければ。
うんうん、としみじみとしていると「あ~悪いがいいか?」と声をかけられた。
「なに? トレイ」
「いや、何か話が終わりそうな流れだから……俺、告白されたよな」
頬を掻きながら確認するトレイに〝イエス〟と答える。その返事に複雑な顔のまま「俺も告白したよな」と言ってくるので立ち上がる。
「忘れていたのに!」
「やっぱり! 現実逃避していたな!」
「何となくね!」
同じく立ち上がってわたしの肩を掴んで詰め寄るトレイ。そのトレイから逃げようとするけれど体格差諸々勝てるわけがない。
「もう! わたしの聞き間違いだって思わせてよ!」
「おいおい、人の告白を勝手になかったことにするんじゃない」
「だって、そうしないと頭がおかしくなりそうなのよ!」
思い出してまた顔が熱くなってくる。だって、だって、トレイがわたしを好きなのってやっぱり間違いだと思う。わたしの勝手な片想いがみせた最後の幻影なんじゃないかな。
「もしかして魔法が見せる幻覚!」
「幻覚じゃない! あーほら! 実体だ!」
ぐいっと身体と腕が引っ張られる。踵が浮いているのにちゃんと立っていられるのは何で。頬にくっつく厚手の布の感触はなに。わたしの体温と溶け合う別の熱はなに。
「ほら、いるだろ」
耳元で囁かれる声に二度目のキャパが越えた。
「し、死にそう」
「死んでくれるなよ」
「なぁ」ギュッと背中に回った腕に力が籠って距離がもっと近くなる。心臓の音まで溶けあってしまいそうな心地がする。
「俺はお前の告白に〝OK〟だ……で、アンジェリーナは?」
「そんな、そんな、わかりきったこと」
「告白をなかったことにした罰だ」
罰と言われては反論できない。確かに、告白してくれたのになかったことにされるのは辛い。わたしだったら辛くて死んじゃう。
わたしは身体の間にある腕をもごもご動かして広い背中に腕を回す。ぐっとわたしからもくっつく。
「ご、ごめんなさい」
「それは告白の答え?」
「ち、違う! そのなかったにしたことを先に謝りたかったの……告白はもちろん〝OK〟よ」
はじめに告白したのはこっちなのよ、という気持ちを込めて抱き着く。
「う、ぁ、あの、本当にいいの?」
「何がだ?」
「彼女、わたしでいいの……」
恥ずかしくない、とは聞けなかった。聞く勇気もなかった。でも、言わなかった意味をきっとトレイは気づいてくれると甘えてしまう。いつかその甘えをなくして何でも聞けるようになりたい。けど、今だけはまだ甘えさせて、とドキドキしながら答えを待つ。
「いいに決まってるだろ。なんで自信がないんだ」
笑いを含んだ声にわたしは「ないわよ」と返す。
「どうして」
「……ふ、太っていたの。それでからかわれたこともあるし」
「その話に戻るのか? 言っておくとお前が太っていようが太っていまいが俺にあまり関係はない」
「頑張ってダイエットしているアンジェリーナには悪いが」と付け足された。それは嬉しいような複雑な気分がした。本当なら素直に喜べばいいのに。きっとダイエットして外見だけでも変わる自分に満足を覚えてしまったからだ。
中身も磨かないとただの張りぼてと変わりないのかもしれない。
「そもそも体型を馬鹿にする奴らなんてその程度のレベルなんだ。気にするな――それが難しいんだろうけどな」
背中をポンポンと優しく叩いた。トレイは何とかわたしのコンプレックスを理解しようとしてくれている。ならば、わたしも意識を一歩踏み出さなければ。
「トレイが言っていたことは
「そうだったか。なら、俺が言うことはもうないな。俺もこの間は無神経だったよ」
「いいのよ……もう、いいのよ」
「わたしも適度に気にするわ」と付け足す。今まで無理なことはしていなかったけど太り過ぎるのもいけないから。
「トレイのケーキを気兼ねなく食べられるようには戻るわ」
「それは……今は気兼ねなく食べられないのか?」
「一応、お腹周りが気になるからね。ちょっと調整が必要なの」
トレイのケーキは生クリームがたっぷりだから次の日の体重の増加が目も当てられない。だから、ちょっと気にして調整して食べないといけない。
「なら、やめろって言いたくなるな」
「今理解を示してくれたのは何なの?」
「だから言わないだろ」
珍しく駄々をこねるような言い方をするトレイ。可愛い反応だなと思ってクスクス腕の中で笑っていると抱きしめる腕が強くなって苦しい。
「トレイ、苦しい」
「悪い」
言ってようやくわたしとトレイの間に距離が出来た。身体が寒くなって寂しくなる。
「寒いのか?」
顔をあげれば片眉と口角を上げてイジワルそうな顔をしていた。その顔にからかわれていることはすぐにわかる。幼馴染で、好きな人なんだから。だから、わたしもイジワル返してやる。
もう一回わたしよりも大きな身体に抱きつく。ギュウとあらん限りの力で抱き着いてそのままでトレイの顔を見上げて精いっぱいイジワルに笑ってみせる。
「寒いわ。だからトレイが温め」
どうだ。どうだ。わたしだってこのくらいの背伸びはできるんだ。一歳はしょせん一歳の歳の差。大きな差なんてきっとないはず。トレイが人並みに付き合いの経験がないなら。でも、やっぱりトレイならありえそう。
ちょっと悲しい気持ちになっていると、ぐぃっと身体が離された。無理矢理剥がされたことに別の悲しさが押し寄せる。行動に移しすぎたかも知れない。
駄目だったかなと思っているのも束の間だった。
「アンジェリーナがそこまで言うなら責任取らないといけないな」
「え、う、わぁっ」
何をと言う前にわたしはまたトレイの腕の中に引っ張り込まれた。コートの前が空いたのかさっきと肌に触れる感触が違うし、温かさが違う。さらに言えばトレイの匂いが濃くなったようなというちょっと変態なのではとセルフツッコミをしてしまう。
ドキドキと忘れていたように心臓が早鐘を打つ。とても忙しなくて心臓が破裂してしまうんではないかと思う。
「あ、あの、トレイ、も、もういいわ」
「なんだ? 遠慮することないんだぞ?」
クスクス笑いを含んだ声にからかい半分なのがわかる。けど、今はそれに怒ることもできない。もう、耐えられない。本当に、本当に、キャパオーバー。
「も、もう、無理……」
「は? あ、おい! アンジェリーナ! おい!」
トレイの慌てた声ですらもう遠い。のぼせたような感覚で意識がブッツリと途切れた。
こうして覚悟を決めて迎えたウィンターホリデーは呆気なく幕を閉じた。せっかくずっと片想いしていた男の子と恋人になれたのに。情けない閉幕にわたしは学校が始まって悶え続ける羽目になるのだった。