キミの隣に立つのは
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私の隣にいるヒトは?
ドロシー・ベルの姉は現代女子サッカーの世界ナンバーワンストライカーだ。よく男子サッカーの世界ナンバーワンストライカーのノエル・ノアとセットで出てくる。
10歳も離れていると経験値でも技術力でも中々勝てない。勝てるのは若さぐらいで情けなくなる。とはいえ、ミランダも次世代のストライカーと呼ばれている。残念ながら姉が現役の間はナンバーワンになれないと言われているもので嬉しくない誉め言葉だ。
でも、たまに姉とミランダの間には埋めようのないサッカーに対する執着心がある気がする。姉が一心不乱にキックの練習をしているときに引き上げようとする自分が嫌になる。その度に何度やめようとしただろうか。結局、やめられず選手までなった。
いつもやめようと思うときにミランダが思い出すのは憧れの人でもなく、選手だった両親でもなければ、越えられない壁として立ちはだかる姉ではない。
「ミラ!」
いまだに鮮明に思い出す。一度だけ本当に心の底からサッカーを嫌いになりたい。サッカーをやめたいと思ったことがある。一人になりたかったのにいつも通りサッカーボールを持って来たのは小さな男の子。
もう何もかも嫌で泣いていたミランダの名前を呼んで、キラキラした大きな双眸でいつもみたいに「サッカーしよう」と言って来た。
いつもみたいにサッカーをしてくれるだろうという期待に輝く瞳にミランダは「しない」と返事をする。そして、すぐに膝に顔を埋めたけれど男の子は引かない。
「どうして? サッカーしようよ」
「ぐずっ、したくないっ」
「どうして」
「……きらい、だから」
鼻をすすりながら吐き出すように言えば「ぇ」と驚きを含んだ声が聞こえた。そこから色々言われたくなくて両耳を塞いで「あっちいって」と言って追いやった。けれど、隣から気配は消えない。
それにイライラしてミランダは鼻をすすりながら顔を上げて「あっち行って」と言おうとして目をも開いた。大きな双眸から涙をこぼしながら「どーしてぇ」と泣きながら言った。
泣いている姿に罪悪感が刺激される。チクチクと針で刺されるような心地でミランダは震える声で「いやになったから……」と答える。すると、男の子は大きな瞳からは大きな涙の粒が出てきて丸い頬を伝ってぼろぼろ落ちていく。
目の前でぐずぐず鼻を鳴らしながら大粒の涙を零す男の子にミランダも我慢の限界が来た。ぐずぐず鼻を鳴らしながらつられるように泣く。
「あっちい゛っでよ」
「やぁだ」
ぐじぐじ涙をぬぐいながら男の子がサッカーボールを押し付ける。#ミランダ##は押し返そうとするが思いのほか力が強かった。二つも歳下の男の子に力負けした形で受け取る羽目になった。
「したくないのに……」
「ぼくはしたい。ミラとサッカーしたい。サッカーしようよぉ」
「どうして」と困惑気味男の子を見る。男の子はぐずぐずと鼻を鳴らしながら「サッカーしよ」と言い続ける。
何がそこまでさせるのか。サッカーやる子たちなら周りにたくさんいる。むしろ女の子のミラとサッカーを嫌がる子が多いのに。どうしてそこまで一緒にサッカーをすることに拘るのか。
「……ほかに一緒にサッカーする子いるでしょ」
「でも、ミラより上手い子はいないよ」
なんてことないように言う男の子にミランダは「ぇ」と声を零す。
男の子は涙を拭って目元を赤らめながら「ぼくより上手いのミラだけだから」と言う。
サッカーが上手だと褒められたことはある。でも、それは両親に似たとか、姉の妹だから、とかのおまけつき。##ミランダ#自身が上手いと言われたことはない。
「##ミラ#、とっても上手いから一番サッカー楽しいよ」
「おねえちゃんいるじゃん」
「どうしてドリーが出てくるの」
周りがいつも褒めたたえる姉を出す。すると、男の子が大きな双眸を猫のように吊り上げる。いかにも怒っていますという顔をしている。でも、ミランダは不貞腐れている最中だから気にしないからフンと鼻を鳴らして無視する。
「ぼくはミラとのサッカーが楽しいの」
「でもおねえちゃんとのサッカーの方が楽しいでしょ」
「……それは、ぅん」
「ほら!」
なんだかんだ言って男の子も姉のドリーがいれば姉を選ぶ。ミランダはとたんに込み上げる怒りに声を張り上げて立ち上がる。男の子はびっくりした顔で眉を下げた。
「だって、だって、ドリーはすごく上手いから」
「なら、おねぇちゃんとすればいいじゃん」
フンともう一度鼻を鳴らして男の子にボールを押し付け返す。男の子はその勢いに受け取ってボールとミランダを交互に見てまた泣きそうになる。
「ちがう。ぼくは、ミラとしたいの!」
「サッカーが上手い人とやりたいならおねえちゃんが学校帰って来るまで待っていればいいじゃん!」
忘れていた苛立ちとサッカーへ対する嫌気。ミランダはもう止まらず二つ歳下の男の子に食って掛かる。男の子はまた目じりから大きな涙の粒を零す。その姿に胸が苦しくなる。でも、男の子が結局ミランダのことじゃなくてサッカーで人を見ていることに苦しくなる。
「もうサッカーやめるから……」
「ミラ!」
名前を呼ぶ声を無視して歩き出す。早く公園を出て行こうとすると後ろから走って来る音がした。その音に男の子が追いかけてきたことが分かる。しつこいな、と足を止めて振り返る。
「ミラ、はぁ、まってっ、はっ、まって」
「なに」
はぁはぁと息を整えながら男の子は口をまごまごさせる。もう行ってしまおうかと思ったけれど、何故か不思議と待ってみようと思った。
「ミラ。あのね。ドリーはね。ドリーはおねえさんでしょ。おねえさんの中で一番上手いからね。色々、べんきょーになるの」
「だから楽しいの」と付け足す男の子にミランダも分からない話でもなかった。年長の姉とのサッカーは勉強することばかり。だから男の子が言いたいことはよくわかった。だって、ミランダもドリーとするサッカーはそういった意味で楽しいから。
「でも、でもね。ミラとのサッカーは違うの。あ、ドリーみたいなときもあるけれど、それでもあの、楽しいの!」
必死に5歳の子がもつ言葉で伝えてくる。頬を真っ赤にさせながら必死に紡いでくれる。
ミランダは男の子とのサッカーを思い出す。他の男の子たちの中で女の子だからヤダなんて言ってきたことがない。周りの子と同じかそれ以上にサッカーをしてくれる。周りが疲れたと座り込む中、1on1になるまで続けたこともある。あの瞬間、ミランダも確かに楽しかった。
再び胸の締め付けがゆるく解けていくのを感じる中、こちらを伺う男の子に笑みを向ける。
「私もあなたとやるサッカー好きだよ」
ほろりと出た言葉は男の子に伝わったらしく、まろい頬がさらに真っ赤になる。照れくさそうに大きな目を左右に動かす。それから可愛らしくはにかみながら「一緒だね」と言う。
「そうだね」
ふふ、と笑う男の子にミランダは帰る気がすっかりなくなっていた。なんなら今からサッカーをしたいとさえ思う。
不思議だった。ついさっきまでサッカーなんてやめてやると思っていたのに。今はまたボールを蹴って走りたいと思う自分がいる。
「ミラ。サッカーしよう」
小さな手がミランダの手を掴んで引く。その小さな手が、弱い力が、再びサッカーの世界へと戻していく。
「うん。サッカーしよっか、世一」
それから何度もサッカーに嫌気がさす度に世一に引き戻された。
小学生になった世一は憧れのノエル・ノアに出会ってからさらにサッカーにのめり込んだ。おかげで技術はぐんぐんと伸びていった。悔しいことにたまに抜かれることもあった。それが悔しくて##名前1##も同じくらいサッカーにのめり込んだ。おかげで同年代の女子には負けないくらい強くなった。
そんな中、父が現役引退しアメリカに帰国することになった。姉のドリーは大学や今後のことを考えて先に帰国していたが、ミランダは日本に母と共に残っていた。だが、父が帰国するとなると戻るしか選択はない。もう駄々をこねる年齢でもないし粛々と受け入れていたが――世一は違った。
「ほんとに帰るの?」
「うん」
帰国が迫ったある日の公園で世一と1on1をしたときだった。何度も繰り返したやり取りをまた世一が始める。ミランダはそれに苦笑し頷いたと同時にボールを蹴る。ボールはころころと世一の足元に収まる。
「ミラとサッカーできなくなっちゃうのかぁ」
「そうだね」
そう思えるほどアメリカと日本は遠く離れている。そして、ミランダはもう戻って来ることはないだろうと思っている。いくら日本の女子サッカーがW杯で優勝したからといってもアメリカの方がやっぱり環境は整っている。サッカーで留学することも、こっちのプロリーグに入ることは想像ができなかった。
ぼんやりとしていると世一がボールを蹴る。コロコロとボールが転がってきてミランダの足元に収まる。そのボールを眺めていると今まで無視していた〝不安〟が込み上げてくる。
――サッカーを続けられるかな。
今後サッカーを続けるうえで姉ドリーとの比較は絶対である。避けて通れぬ道だ。ミランダは何度も、何度も、それでくじけそうになった。それでくじけるぐらいならやめろと言われたらそうだがそれでもサッカーにしがみついた。
それはサッカーをする楽しさを知っているからでもあるけれど、何よりも理由があった。
ボールから視線をあげて俯いている世一を見る。
ミランダは世一とするサッカーが好きだった。正直誰かに拘ってサッカーをするのは違うのだと思う。サッカーに限らず何かを続けるのに他人に依存してはいけない。だから、ここが分かれ道なのだと思う。
「世一とするサッカーが一番好きだったわ」
再びボールを蹴る。ころころと転がっていくボールを眺めながら小さく息を吐きだす。
「これから私のサッカーに世一はいないのよね」
「え! なんで!」
小さな囁きに倍の返事が返って来る。##名前1##は目を見開く。
「だ、だって、アメリカに行くし、そもそも今後続けられるかわからないもの」
「ええ! 続けないの!」
「え、わか、わからないけれど……」
世一が大きな両目を見開いたかと思ったら猫のように目じりを吊り上げた。
「だめ! サッカーやめるのなしだから!」
家族全員サッカーに関わっているからといってミランダまでサッカーの道を選ぶことはない。強制力はない。それはよく両親が言っていることだ。だからもし、ミランダが別の道を選ぶときは応援してくれる。だのに、目の前の幼馴染だけは許さない。
「サッカーできない怪我をしたなら仕方ないけれど……それはすごく悲しいけれど……でも、それ以外はやめないでぼくはミラのサッカーすごく好きだから」
「っ」
よく一緒にサッカーするのを好きだと世一は繰り返していた。けれど、ミランダのサッカーを好きだと言ったのは初めてだった。それが単純にとても単純にミランダの心臓を射抜いた。ミランダは自分の単純さが嫌になった。だから少し意地悪したい気持ちがこみ上げた。
「でも、サッカーを続けても私は女の子で、世一は男の子だから大人になったら一緒にできないよ」
サッカーに限らず基本スポーツは男女別。それに、と続ける。
「私はアメリカに行くし、世一は日本でしょ」
「でも、ぼく将来は海外行くよ」
そうなることになんら疑問を持たない瞳はキラキラ煌めいていた。
「けど、行くのはヨーロッパでしょ。知ってると思うけれど女子サッカーはアメリカが一番なのよ。だからプレイしている場所は結局違うわ」
「でも、オフシーズにできるよ」
「それは、そうだけれど」
地球儀ではお隣に見えるアメリカと欧州だけれど実際は違う。距離は以外日本とアメリカぐらいの遠い距離だ。こうして公園に集まってすぐできると思っているのはどうしてだ。
ミランダはなんだか意地になってしまった。
「でも! 大人なら結婚しているかもしれないし、恋人とかいるかもしれないわ。だから、オフシーズンにずっと世一とサッカーできないと思うの……」
大人になったらなんて今のミランダには正直想像できない。サッカーを続けていても結婚や恋人がいたらオフシーズンはきっと一緒に居たくなるはず。実際両親がどちらも現役時代はそうだったらしい。
「ミラ……好きな人いるの?」
「へ?」
突然の質問に間抜けな声が出ると同時に足元にボールが転がって来た。慌ててボールを受け取ってもう一度世一を見る。世一はあまり見ない難しい顔をしていた。
「好きな人いるの?」
一瞬、サッカーをする世一が頭に過ったけれど、違うと心の中で必死に叫ぶ。そう。違う。世一はサッカーをする大切な友達。そう心の中で繰り返してから「いないよ」と答える。とたん世一の顔が晴れる。
「なんだ! じゃあ平気だよ!」
何が平気なのか。ミランダは首を傾げながらボールを蹴る。ころころ転がったボールは世一が足元に収めた瞬間だった。
「そうだ! ぼくと結婚すればいいよ!」
「へぇ?」
キラキラした両目にまろい頬を赤く染めながら満面の笑みを浮かべる世一。突然の提案にミランダは再び間抜けな声を出す。そして、一瞬でもそれはいい案だと思ってしまったことに頬を赤らめる。
「な、なんでそうなるのっ」
「え。だってそうしたらずっとミラとサッカーできるでしょ」
首を傾げてボールを蹴って来る世一。その考えにミランダはちょっと落ち込む自分がいた。やっぱり世一の人生の中心はサッカーなのだと。けれど、それはとても世一らしいと思うし、そのサッカーの一部に自分がいるとなると――。
「サッカーやめられないじゃない」
「む! だからやめちゃだめだって!」
むんと目じりを吊り上げる世一に苦笑を零す。
「やめないよ……でも、確かに結婚すればずっとサッカーできるね」
「でしょ!」
「でもね」
パァアアと表情を輝かせる世一に。それにミランダの悔しさゆえの悪戯心がうごめく。
「結婚するのは世一が日本代表になったらね」
世一が大きな両目をパチパチしながら「なるけど」なんて簡単に言う。なんて自信なのかしら。
「そう。じゃあ、世一が代表にもならずW杯にも出られなかったら今の話はなしだからね」
「ええ! 絶対になるし、W杯にも出る!」
ミランダがボールを蹴りだす。それは世一に向かってではなく、ゴール。世一はミランダの動きにすぐに気づいて同じように走り出す。この瞬間がミランダはすごく好きだった。だからもうできないと思うと寂しくて悲しかった。
「ああ。やっぱり世一とするサッカーが一番好きよ」
「うん! ぼくもミラとのサッカーが一番だよ」
そうキラキラ輝く笑顔を見せる世一にミランダは初めて切なくて泣きたい気分になった。
そのやり取りから数日後、両親と共にアメリカに帰国した。
あれからミランダのサッカーを続けた。アメリカは日本にいたときよりも刺激のある環境であり充実していた。おかげで15歳という年齢で代表に選出された。その後も姉を筆頭としたライバルに恵まれ順風満帆のサッカー人生を進んでいた。ただ、何かが足りなかった。ずっと何か物足りなかった。その理由をミランダはちゃんと理解していた。
「やっと、かな」
サッカーW杯カタール大会。グループステージ日本対ドイツ。その対戦をミランダはバレないように多くの観客に混じって観戦していた。若手を中心とした日本代表がジャイアントキリングを起こし1位通過を成し遂げた。とはいえ、まだまだグループステージであり日本の鬼門はベスト16。それを越えなければいけない。だというのに、ミランダは胸がいっぱいになる。
「早く、早く、ここまで来てね……世一」
ゴールを決めてピッチをかける一人の青年をミランダ愛おしげに見つめた。
* * *
サッカーを愛しているかといえば愛している。でもミランダが何よりも愛しているのは世一との一緒にするサッカー。
彼とサッカーをしたい。
これが物足りなさの正体。そして、その気持ちは歳を重ねるほどに強くなっていく。
強くなれば強くなるほど物足りなさの思いが強くなる。
――早く、早く来てちょうだい、世一。
だがミランダの願望とは裏腹に世一のサッカー人生はある時点で足踏みを始める。
世一の才能は砕かれようとしていたのだ。あの時ほど日本サッカーを恨んだことはない。だが世一のサッカー人生が途絶えようとしていたとき彼の才能は再び輝きを始めた。再びミランダの愛する世一に戻ったのだ。そのときは心の底から安堵した。おかげでサッカーにも集中できて成績が良かったのはやっぱり情けない。
ミランダは世一とのサッカーを愛しているし、サッカーをする世一を愛している。
だからまた彼とサッカーをしたい。あの約束はだから都合がいい。世一が覚えているか分からないけれど、上手く有効活用したい。ああ、でも、その前にまた彼の才能は砕かれることがないように守らないと。だからBLTVであれだけ世一に絡んでいたいけ好かないカイザーにも釘を指した。とはいえ、世一の負けん気はとても強かったらしくよほどのことがない限り問題はなかったみたいだ。
ブルーロックプロジェクトの後、海外へと飛んだ世一。どうなるかと思ったがスタメンに選ばれるほどの活躍をしている。そして、U-20代表からオリンピック代表へ選出されついにW杯代表に選出された。とうとう##名前1##と同じ立場にやって来た。
「世一」
ミランダは十数年ぶりに世一に対面することになった。柄にもなく緊張して、心臓の鼓動が早くなっている気がした。こんなの初めて代表に選出されたときだってしなかった。
久々に読んだ彼の名前。そして、小さい頃から変わらない綺麗な青い瞳がミランダを捉えると――。
「ミラ!」
久々に呼ばれた名前。声は子どもの頃と比べると低くなっていた。それから挨拶の軽いハグをすると身体が子どものそれとは全然違った。それはそうだ。彼はもう20歳を超えた青年なのだから。瞳は大きいけれどそれでも頬から顎のラインはシャープになっている。そう。大人なのだと――ミランダはここでようやく世一をしっかりと男性として認識した。
瞬く間になんだか気持ちがふわふわしていく。それでも何とかしっかりと言葉を交わすけれど、ドリーが来たことで少し気が緩んだのがいけなかった。
「貴方の記事とか動画見る度に『世一またカッコよくなってる!』って褒めてたのに」
「ちょ、ちょっと! ドリー!」
ぎょっと目を向いて姉を見ればいたずらっ子の顔をしている。ドリーはミランダ以上に彼女の感情に敏感だった。これからいじられることを悟る。どうしようかと考え込む前に蜂楽たちに話がそらされ安堵する。だが、それでもドリーは忘れていなかった。
「そうだ。ミラ、貴方たしか世一に話しがあるんじゃなかったの?」
ほんとなんなの。ミランダはドリーを凝視する。だが、彼女は美しく艶笑を浮かべるだけ。
――ナイスアシストだと思っているの?
最悪と思ったら世一はそのままドリーに言われるまま庭園にミランダを連れ出して行く。
ミランダはここに記者がいないことを感謝した。若い男女が庭園に出ればあらぬ噂が立って明日になればSNSで大炎上だ。
そんなことを考えている中、世一は呑気に「ガゼボってなに」とか聞いて来る。さらに、肩を抱いてきたり、手を繋いできたり。今夜初めて世一を男としてしっかり認識したミランダのキャパはとうに超えていた。
ガゼボの中のベンチ。隣に座る世一はやっぱり大人の男になっていた。これからもっと大人の男に近づいていくのかと思うとミランダの心臓は果はたして持つのだろうか。
そんな中で始まった会話で張り詰めた空気がほどけていく。ミランダはふと口を開く。
「小さい頃の約束って多くの場合無効になるわよね」
覚えているという意味を込めて遠まわしに綺麗な青い双眸を見つめて尋ねる。
ミランダの遠まわし言葉の意味をしっかりと受け取った世一。彼は幼い頃の約束を覚えていた。てっきり忘れていると思った。だって、それくらいの些細なやり取り。そもそもサッカーをやるうえできっと世一には関係のない約束だったはず。
ミランダの心臓は俄かに騒がしくなる中、唇を動かそうとしたときだった。
「邪魔するぞ」
いけ好かない低いドイツ語が割って入って来た。
ドロシー・ベルの姉は現代女子サッカーの世界ナンバーワンストライカーだ。よく男子サッカーの世界ナンバーワンストライカーのノエル・ノアとセットで出てくる。
10歳も離れていると経験値でも技術力でも中々勝てない。勝てるのは若さぐらいで情けなくなる。とはいえ、ミランダも次世代のストライカーと呼ばれている。残念ながら姉が現役の間はナンバーワンになれないと言われているもので嬉しくない誉め言葉だ。
でも、たまに姉とミランダの間には埋めようのないサッカーに対する執着心がある気がする。姉が一心不乱にキックの練習をしているときに引き上げようとする自分が嫌になる。その度に何度やめようとしただろうか。結局、やめられず選手までなった。
いつもやめようと思うときにミランダが思い出すのは憧れの人でもなく、選手だった両親でもなければ、越えられない壁として立ちはだかる姉ではない。
「ミラ!」
いまだに鮮明に思い出す。一度だけ本当に心の底からサッカーを嫌いになりたい。サッカーをやめたいと思ったことがある。一人になりたかったのにいつも通りサッカーボールを持って来たのは小さな男の子。
もう何もかも嫌で泣いていたミランダの名前を呼んで、キラキラした大きな双眸でいつもみたいに「サッカーしよう」と言って来た。
いつもみたいにサッカーをしてくれるだろうという期待に輝く瞳にミランダは「しない」と返事をする。そして、すぐに膝に顔を埋めたけれど男の子は引かない。
「どうして? サッカーしようよ」
「ぐずっ、したくないっ」
「どうして」
「……きらい、だから」
鼻をすすりながら吐き出すように言えば「ぇ」と驚きを含んだ声が聞こえた。そこから色々言われたくなくて両耳を塞いで「あっちいって」と言って追いやった。けれど、隣から気配は消えない。
それにイライラしてミランダは鼻をすすりながら顔を上げて「あっち行って」と言おうとして目をも開いた。大きな双眸から涙をこぼしながら「どーしてぇ」と泣きながら言った。
泣いている姿に罪悪感が刺激される。チクチクと針で刺されるような心地でミランダは震える声で「いやになったから……」と答える。すると、男の子は大きな瞳からは大きな涙の粒が出てきて丸い頬を伝ってぼろぼろ落ちていく。
目の前でぐずぐず鼻を鳴らしながら大粒の涙を零す男の子にミランダも我慢の限界が来た。ぐずぐず鼻を鳴らしながらつられるように泣く。
「あっちい゛っでよ」
「やぁだ」
ぐじぐじ涙をぬぐいながら男の子がサッカーボールを押し付ける。#ミランダ##は押し返そうとするが思いのほか力が強かった。二つも歳下の男の子に力負けした形で受け取る羽目になった。
「したくないのに……」
「ぼくはしたい。ミラとサッカーしたい。サッカーしようよぉ」
「どうして」と困惑気味男の子を見る。男の子はぐずぐずと鼻を鳴らしながら「サッカーしよ」と言い続ける。
何がそこまでさせるのか。サッカーやる子たちなら周りにたくさんいる。むしろ女の子のミラとサッカーを嫌がる子が多いのに。どうしてそこまで一緒にサッカーをすることに拘るのか。
「……ほかに一緒にサッカーする子いるでしょ」
「でも、ミラより上手い子はいないよ」
なんてことないように言う男の子にミランダは「ぇ」と声を零す。
男の子は涙を拭って目元を赤らめながら「ぼくより上手いのミラだけだから」と言う。
サッカーが上手だと褒められたことはある。でも、それは両親に似たとか、姉の妹だから、とかのおまけつき。##ミランダ#自身が上手いと言われたことはない。
「##ミラ#、とっても上手いから一番サッカー楽しいよ」
「おねえちゃんいるじゃん」
「どうしてドリーが出てくるの」
周りがいつも褒めたたえる姉を出す。すると、男の子が大きな双眸を猫のように吊り上げる。いかにも怒っていますという顔をしている。でも、ミランダは不貞腐れている最中だから気にしないからフンと鼻を鳴らして無視する。
「ぼくはミラとのサッカーが楽しいの」
「でもおねえちゃんとのサッカーの方が楽しいでしょ」
「……それは、ぅん」
「ほら!」
なんだかんだ言って男の子も姉のドリーがいれば姉を選ぶ。ミランダはとたんに込み上げる怒りに声を張り上げて立ち上がる。男の子はびっくりした顔で眉を下げた。
「だって、だって、ドリーはすごく上手いから」
「なら、おねぇちゃんとすればいいじゃん」
フンともう一度鼻を鳴らして男の子にボールを押し付け返す。男の子はその勢いに受け取ってボールとミランダを交互に見てまた泣きそうになる。
「ちがう。ぼくは、ミラとしたいの!」
「サッカーが上手い人とやりたいならおねえちゃんが学校帰って来るまで待っていればいいじゃん!」
忘れていた苛立ちとサッカーへ対する嫌気。ミランダはもう止まらず二つ歳下の男の子に食って掛かる。男の子はまた目じりから大きな涙の粒を零す。その姿に胸が苦しくなる。でも、男の子が結局ミランダのことじゃなくてサッカーで人を見ていることに苦しくなる。
「もうサッカーやめるから……」
「ミラ!」
名前を呼ぶ声を無視して歩き出す。早く公園を出て行こうとすると後ろから走って来る音がした。その音に男の子が追いかけてきたことが分かる。しつこいな、と足を止めて振り返る。
「ミラ、はぁ、まってっ、はっ、まって」
「なに」
はぁはぁと息を整えながら男の子は口をまごまごさせる。もう行ってしまおうかと思ったけれど、何故か不思議と待ってみようと思った。
「ミラ。あのね。ドリーはね。ドリーはおねえさんでしょ。おねえさんの中で一番上手いからね。色々、べんきょーになるの」
「だから楽しいの」と付け足す男の子にミランダも分からない話でもなかった。年長の姉とのサッカーは勉強することばかり。だから男の子が言いたいことはよくわかった。だって、ミランダもドリーとするサッカーはそういった意味で楽しいから。
「でも、でもね。ミラとのサッカーは違うの。あ、ドリーみたいなときもあるけれど、それでもあの、楽しいの!」
必死に5歳の子がもつ言葉で伝えてくる。頬を真っ赤にさせながら必死に紡いでくれる。
ミランダは男の子とのサッカーを思い出す。他の男の子たちの中で女の子だからヤダなんて言ってきたことがない。周りの子と同じかそれ以上にサッカーをしてくれる。周りが疲れたと座り込む中、1on1になるまで続けたこともある。あの瞬間、ミランダも確かに楽しかった。
再び胸の締め付けがゆるく解けていくのを感じる中、こちらを伺う男の子に笑みを向ける。
「私もあなたとやるサッカー好きだよ」
ほろりと出た言葉は男の子に伝わったらしく、まろい頬がさらに真っ赤になる。照れくさそうに大きな目を左右に動かす。それから可愛らしくはにかみながら「一緒だね」と言う。
「そうだね」
ふふ、と笑う男の子にミランダは帰る気がすっかりなくなっていた。なんなら今からサッカーをしたいとさえ思う。
不思議だった。ついさっきまでサッカーなんてやめてやると思っていたのに。今はまたボールを蹴って走りたいと思う自分がいる。
「ミラ。サッカーしよう」
小さな手がミランダの手を掴んで引く。その小さな手が、弱い力が、再びサッカーの世界へと戻していく。
「うん。サッカーしよっか、世一」
それから何度もサッカーに嫌気がさす度に世一に引き戻された。
小学生になった世一は憧れのノエル・ノアに出会ってからさらにサッカーにのめり込んだ。おかげで技術はぐんぐんと伸びていった。悔しいことにたまに抜かれることもあった。それが悔しくて##名前1##も同じくらいサッカーにのめり込んだ。おかげで同年代の女子には負けないくらい強くなった。
そんな中、父が現役引退しアメリカに帰国することになった。姉のドリーは大学や今後のことを考えて先に帰国していたが、ミランダは日本に母と共に残っていた。だが、父が帰国するとなると戻るしか選択はない。もう駄々をこねる年齢でもないし粛々と受け入れていたが――世一は違った。
「ほんとに帰るの?」
「うん」
帰国が迫ったある日の公園で世一と1on1をしたときだった。何度も繰り返したやり取りをまた世一が始める。ミランダはそれに苦笑し頷いたと同時にボールを蹴る。ボールはころころと世一の足元に収まる。
「ミラとサッカーできなくなっちゃうのかぁ」
「そうだね」
そう思えるほどアメリカと日本は遠く離れている。そして、ミランダはもう戻って来ることはないだろうと思っている。いくら日本の女子サッカーがW杯で優勝したからといってもアメリカの方がやっぱり環境は整っている。サッカーで留学することも、こっちのプロリーグに入ることは想像ができなかった。
ぼんやりとしていると世一がボールを蹴る。コロコロとボールが転がってきてミランダの足元に収まる。そのボールを眺めていると今まで無視していた〝不安〟が込み上げてくる。
――サッカーを続けられるかな。
今後サッカーを続けるうえで姉ドリーとの比較は絶対である。避けて通れぬ道だ。ミランダは何度も、何度も、それでくじけそうになった。それでくじけるぐらいならやめろと言われたらそうだがそれでもサッカーにしがみついた。
それはサッカーをする楽しさを知っているからでもあるけれど、何よりも理由があった。
ボールから視線をあげて俯いている世一を見る。
ミランダは世一とするサッカーが好きだった。正直誰かに拘ってサッカーをするのは違うのだと思う。サッカーに限らず何かを続けるのに他人に依存してはいけない。だから、ここが分かれ道なのだと思う。
「世一とするサッカーが一番好きだったわ」
再びボールを蹴る。ころころと転がっていくボールを眺めながら小さく息を吐きだす。
「これから私のサッカーに世一はいないのよね」
「え! なんで!」
小さな囁きに倍の返事が返って来る。##名前1##は目を見開く。
「だ、だって、アメリカに行くし、そもそも今後続けられるかわからないもの」
「ええ! 続けないの!」
「え、わか、わからないけれど……」
世一が大きな両目を見開いたかと思ったら猫のように目じりを吊り上げた。
「だめ! サッカーやめるのなしだから!」
家族全員サッカーに関わっているからといってミランダまでサッカーの道を選ぶことはない。強制力はない。それはよく両親が言っていることだ。だからもし、ミランダが別の道を選ぶときは応援してくれる。だのに、目の前の幼馴染だけは許さない。
「サッカーできない怪我をしたなら仕方ないけれど……それはすごく悲しいけれど……でも、それ以外はやめないでぼくはミラのサッカーすごく好きだから」
「っ」
よく一緒にサッカーするのを好きだと世一は繰り返していた。けれど、ミランダのサッカーを好きだと言ったのは初めてだった。それが単純にとても単純にミランダの心臓を射抜いた。ミランダは自分の単純さが嫌になった。だから少し意地悪したい気持ちがこみ上げた。
「でも、サッカーを続けても私は女の子で、世一は男の子だから大人になったら一緒にできないよ」
サッカーに限らず基本スポーツは男女別。それに、と続ける。
「私はアメリカに行くし、世一は日本でしょ」
「でも、ぼく将来は海外行くよ」
そうなることになんら疑問を持たない瞳はキラキラ煌めいていた。
「けど、行くのはヨーロッパでしょ。知ってると思うけれど女子サッカーはアメリカが一番なのよ。だからプレイしている場所は結局違うわ」
「でも、オフシーズにできるよ」
「それは、そうだけれど」
地球儀ではお隣に見えるアメリカと欧州だけれど実際は違う。距離は以外日本とアメリカぐらいの遠い距離だ。こうして公園に集まってすぐできると思っているのはどうしてだ。
ミランダはなんだか意地になってしまった。
「でも! 大人なら結婚しているかもしれないし、恋人とかいるかもしれないわ。だから、オフシーズンにずっと世一とサッカーできないと思うの……」
大人になったらなんて今のミランダには正直想像できない。サッカーを続けていても結婚や恋人がいたらオフシーズンはきっと一緒に居たくなるはず。実際両親がどちらも現役時代はそうだったらしい。
「ミラ……好きな人いるの?」
「へ?」
突然の質問に間抜けな声が出ると同時に足元にボールが転がって来た。慌ててボールを受け取ってもう一度世一を見る。世一はあまり見ない難しい顔をしていた。
「好きな人いるの?」
一瞬、サッカーをする世一が頭に過ったけれど、違うと心の中で必死に叫ぶ。そう。違う。世一はサッカーをする大切な友達。そう心の中で繰り返してから「いないよ」と答える。とたん世一の顔が晴れる。
「なんだ! じゃあ平気だよ!」
何が平気なのか。ミランダは首を傾げながらボールを蹴る。ころころ転がったボールは世一が足元に収めた瞬間だった。
「そうだ! ぼくと結婚すればいいよ!」
「へぇ?」
キラキラした両目にまろい頬を赤く染めながら満面の笑みを浮かべる世一。突然の提案にミランダは再び間抜けな声を出す。そして、一瞬でもそれはいい案だと思ってしまったことに頬を赤らめる。
「な、なんでそうなるのっ」
「え。だってそうしたらずっとミラとサッカーできるでしょ」
首を傾げてボールを蹴って来る世一。その考えにミランダはちょっと落ち込む自分がいた。やっぱり世一の人生の中心はサッカーなのだと。けれど、それはとても世一らしいと思うし、そのサッカーの一部に自分がいるとなると――。
「サッカーやめられないじゃない」
「む! だからやめちゃだめだって!」
むんと目じりを吊り上げる世一に苦笑を零す。
「やめないよ……でも、確かに結婚すればずっとサッカーできるね」
「でしょ!」
「でもね」
パァアアと表情を輝かせる世一に。それにミランダの悔しさゆえの悪戯心がうごめく。
「結婚するのは世一が日本代表になったらね」
世一が大きな両目をパチパチしながら「なるけど」なんて簡単に言う。なんて自信なのかしら。
「そう。じゃあ、世一が代表にもならずW杯にも出られなかったら今の話はなしだからね」
「ええ! 絶対になるし、W杯にも出る!」
ミランダがボールを蹴りだす。それは世一に向かってではなく、ゴール。世一はミランダの動きにすぐに気づいて同じように走り出す。この瞬間がミランダはすごく好きだった。だからもうできないと思うと寂しくて悲しかった。
「ああ。やっぱり世一とするサッカーが一番好きよ」
「うん! ぼくもミラとのサッカーが一番だよ」
そうキラキラ輝く笑顔を見せる世一にミランダは初めて切なくて泣きたい気分になった。
そのやり取りから数日後、両親と共にアメリカに帰国した。
あれからミランダのサッカーを続けた。アメリカは日本にいたときよりも刺激のある環境であり充実していた。おかげで15歳という年齢で代表に選出された。その後も姉を筆頭としたライバルに恵まれ順風満帆のサッカー人生を進んでいた。ただ、何かが足りなかった。ずっと何か物足りなかった。その理由をミランダはちゃんと理解していた。
「やっと、かな」
サッカーW杯カタール大会。グループステージ日本対ドイツ。その対戦をミランダはバレないように多くの観客に混じって観戦していた。若手を中心とした日本代表がジャイアントキリングを起こし1位通過を成し遂げた。とはいえ、まだまだグループステージであり日本の鬼門はベスト16。それを越えなければいけない。だというのに、ミランダは胸がいっぱいになる。
「早く、早く、ここまで来てね……世一」
ゴールを決めてピッチをかける一人の青年をミランダ愛おしげに見つめた。
* * *
サッカーを愛しているかといえば愛している。でもミランダが何よりも愛しているのは世一との一緒にするサッカー。
彼とサッカーをしたい。
これが物足りなさの正体。そして、その気持ちは歳を重ねるほどに強くなっていく。
強くなれば強くなるほど物足りなさの思いが強くなる。
――早く、早く来てちょうだい、世一。
だがミランダの願望とは裏腹に世一のサッカー人生はある時点で足踏みを始める。
世一の才能は砕かれようとしていたのだ。あの時ほど日本サッカーを恨んだことはない。だが世一のサッカー人生が途絶えようとしていたとき彼の才能は再び輝きを始めた。再びミランダの愛する世一に戻ったのだ。そのときは心の底から安堵した。おかげでサッカーにも集中できて成績が良かったのはやっぱり情けない。
ミランダは世一とのサッカーを愛しているし、サッカーをする世一を愛している。
だからまた彼とサッカーをしたい。あの約束はだから都合がいい。世一が覚えているか分からないけれど、上手く有効活用したい。ああ、でも、その前にまた彼の才能は砕かれることがないように守らないと。だからBLTVであれだけ世一に絡んでいたいけ好かないカイザーにも釘を指した。とはいえ、世一の負けん気はとても強かったらしくよほどのことがない限り問題はなかったみたいだ。
ブルーロックプロジェクトの後、海外へと飛んだ世一。どうなるかと思ったがスタメンに選ばれるほどの活躍をしている。そして、U-20代表からオリンピック代表へ選出されついにW杯代表に選出された。とうとう##名前1##と同じ立場にやって来た。
「世一」
ミランダは十数年ぶりに世一に対面することになった。柄にもなく緊張して、心臓の鼓動が早くなっている気がした。こんなの初めて代表に選出されたときだってしなかった。
久々に読んだ彼の名前。そして、小さい頃から変わらない綺麗な青い瞳がミランダを捉えると――。
「ミラ!」
久々に呼ばれた名前。声は子どもの頃と比べると低くなっていた。それから挨拶の軽いハグをすると身体が子どものそれとは全然違った。それはそうだ。彼はもう20歳を超えた青年なのだから。瞳は大きいけれどそれでも頬から顎のラインはシャープになっている。そう。大人なのだと――ミランダはここでようやく世一をしっかりと男性として認識した。
瞬く間になんだか気持ちがふわふわしていく。それでも何とかしっかりと言葉を交わすけれど、ドリーが来たことで少し気が緩んだのがいけなかった。
「貴方の記事とか動画見る度に『世一またカッコよくなってる!』って褒めてたのに」
「ちょ、ちょっと! ドリー!」
ぎょっと目を向いて姉を見ればいたずらっ子の顔をしている。ドリーはミランダ以上に彼女の感情に敏感だった。これからいじられることを悟る。どうしようかと考え込む前に蜂楽たちに話がそらされ安堵する。だが、それでもドリーは忘れていなかった。
「そうだ。ミラ、貴方たしか世一に話しがあるんじゃなかったの?」
ほんとなんなの。ミランダはドリーを凝視する。だが、彼女は美しく艶笑を浮かべるだけ。
――ナイスアシストだと思っているの?
最悪と思ったら世一はそのままドリーに言われるまま庭園にミランダを連れ出して行く。
ミランダはここに記者がいないことを感謝した。若い男女が庭園に出ればあらぬ噂が立って明日になればSNSで大炎上だ。
そんなことを考えている中、世一は呑気に「ガゼボってなに」とか聞いて来る。さらに、肩を抱いてきたり、手を繋いできたり。今夜初めて世一を男としてしっかり認識したミランダのキャパはとうに超えていた。
ガゼボの中のベンチ。隣に座る世一はやっぱり大人の男になっていた。これからもっと大人の男に近づいていくのかと思うとミランダの心臓は果はたして持つのだろうか。
そんな中で始まった会話で張り詰めた空気がほどけていく。ミランダはふと口を開く。
「小さい頃の約束って多くの場合無効になるわよね」
覚えているという意味を込めて遠まわしに綺麗な青い双眸を見つめて尋ねる。
ミランダの遠まわし言葉の意味をしっかりと受け取った世一。彼は幼い頃の約束を覚えていた。てっきり忘れていると思った。だって、それくらいの些細なやり取り。そもそもサッカーをやるうえできっと世一には関係のない約束だったはず。
ミランダの心臓は俄かに騒がしくなる中、唇を動かそうとしたときだった。
「邪魔するぞ」
いけ好かない低いドイツ語が割って入って来た。