それに名前をつけるには
まだ名はないけれど
「ジャック、じゃないか?」
呼ばれた名前にケーキが並ぶショーケースから顔をあげる。ショーケースの向こう側にいたのは鮮やかな若草色の髪と、黒縁の眼鏡をかけた男。見覚えのある顔。その覚えある顔にクローバーのペイントがあれば女王を冠する寮長の傍にいた――。
「トレイ、先輩っすか?」
確認するように名前を呼べば目尻を下げて「ああ。久しぶりだな」と笑った。記憶よりも随分と大人びた顔になっていた。それはそうだ。トレイが学園を卒業して三年以上経っているのだ。その間に寮も違う、部活も違う、接点の希薄な先輩と再会するなど滅多にない。むしろ、よくジャックを覚えていたというものだ。
自分を覚えていたトレイに純粋に驚いていると彼は困ったように笑う。
「俺が覚えているのに驚いているっていう顔だな」
「あ、や、まぁ」
「ウチの後輩のエースとデュースが随分世話になっていたからな」
忘れないさ、と今度は顔をくしゃとして笑うトレイ。
それにしても気さくに話しかける人だ。ジャックも大人になったからそれなりに上手く人間関係を形成していると自負している。けれど、根っから人間関係の形成が上手い人は違う。
ジャックはトレイの気安さに「は、はぁ」とし返せなかった。だが、それも失礼な気がして思わず「まだ、あいつらと連絡取ってるんすか?」と踏み込んだ質問をしてしまった。
けれど、トレイはさして気にした様子もなく「たまにな」と返し、逆に「ジャックは」と問い返して来た。
「デュースとはたまに」
テンポの切り返しに普通に返すことができた。これが接客業の成せる業なのだろうか。オクタヴィネル寮に所属していた三人組とはまた違う巧みな会話術だ。
トレイの会話術に感心していると突然「悪い」と声をかけられた。
「昔話に花が咲きかけたな。では、あらためてお客様、ご注文は?」
突然の営業モードに些かたじろぐ。それから「あー」と声を漏らし首の裏に手をやってショーケースに目を向ける。
いつもなら真剣に選ぶ美しいケーキの光景も目が滑っていく。意識がケーキだけではなくショーケースの向こう側のトレイにも向けられる。
店員が知り合いだと気まずい。在学時にエースがぼやいていたのを思い出す。それだ。非常に気まずい。原因がわかるとさらに居心地が悪くなる。早いところ撤退したい。
ジャックは目の端に映るお気に入りの給料日に食べるケーキを見る。今日は別のケーキにしようとしたけれどそれを食べよう。
「すんません。そこのシャルロット・オ・ポワールをひとつ」
「はい」という営業用だろうトレイの声にまた鳩尾のあたりがソワソワする。
知り合いに対応してもらうのがこんなに気まずいとは思わなかった。こんな体験初めてだ。地元では近所の顔見知りの店に行っても何とも思わないのに。何故、こうも落ち着きがないのだ。
「お客様。以上ですか?」
「ッ」
営業用の声をかけられて顔をあげる。そこにはどうするんだと先輩の顔をしたトレイがお盆にケーキを乗せていた。もういいのか、と気安く訊ねないのは今はいち定員として対応しているからだろう。
一応もう一度ショーケースを見て「以上です」と言う。
「はい。では、こちら一点で五八〇マドルです」
「会計はカードでお願いします」
「はい。畏まりました」
ジャックは取り出した財布からキャッシュカードを取り出す。それをチラリと見たトレイがレジに打ち込んで端末をこちらに向ける。
「では、こちらに翳してください」
端末に向けてカードを翳す。ピッと音がなると「ありがとうございます」と言ってレシートを渡して来た。受け取ると「少々お待ちください」とこちらに背を向けた。
瞬間、ジャックは肩の力を抜いてトレイを意識しないようにスマホを取り出す。特に見るものはないけれど適当にニュースの記事を開いて適当に目を通す。
早く、早く、ここから出ていきたい。スマホにも集中出来ずに見るのをやめる。そして、ソワソワし出す尻尾を何とか抑え込んで待っていると。
「はい。お待たせしました」
トンと待ちかねたケーキの入った白い箱が置かれた。
「袋はいかがしますか?」
「結構です……えっと、ありがとうございました」
小さな取っ手を掴むと「ジャック」と名前を呼ばれた。視線をケーキの箱から上げればトレイが接客用の表情から先輩らしい顔つきに戻っていた。
「また来いよ」
「あ、はい」
咄嗟の返事にトレイは「そう畏まるな」と困った顔をする。どうやらジャックが居心地の悪そうにしていたのはお見通しだったようだ。
「あの別に先輩が嫌とかじゃなくて……こう通っていたところにポンと知り合いがいたことがなくて」
「あははっ。素直だな」
まぁ、わからなくもないと言うトレイ。その表情を窺うに気を悪くしている感じはうかがえない。けれど、学生時代の頃から薄ら感じていたがどうにも掴み切れない人だ。本当は気分を悪くしているかもしれない。
「すんません」
「気にするな」
本当にそう思っているのかもうわからない。ジャックは今度こそ素直に受け取ることにした。そこで周りに客がいないことを確認して口を開く。
「先輩はいつからここで働いているんすか?」
ジャックはここのケーキ屋の常連だ。でも、今日のこの日までトレイを見かけたことがなかった。シフト上どの時間帯でもジャックは来店することはあるがやはり見たことがなかった。それとも今まで彼のシフトと合わなかったのか。浮かんだ疑問にトレイは「今日からだ」とあっさりと答えてくれた。
「え。今日からなんすか?」
めちゃくちゃ新人感がないと感想を抱くも、すぐにトレイの実家がケーキ屋であることを思い出す。実家でも店番などをしていたとかエースたちが言っていた気がする。
「ここには修行で来ているんだ」
「そうなんすか」
トレイは眉を下げて「輝石の国(ここ)の菓子は多彩だからな」と言った。へぇ、と菓子作りの世界に詳しくないジャックは生返事で返した。
「薔薇の王国も菓子作りは盛んなんだがやっぱり一度は輝石の国で勉強したくてな」
「その向上心いいと思うっす!」
「ははっ。ありがとう」
ようやく気まずさもなくなり、ついでに知らず知らずのうちに緊張していた身体も解れた。これで家に帰って万全の状態でケーキを食べることができる。さらに、今後も気まずさもなくまたこのケーキ屋に来れそうだ。
「じゃ。俺はこれで」
「ああ。ありがとうございました。また来いよ」
営業用ではない笑みにジャックは「もちろんッス!」と元気よく答えて店を出た。そのまま意気揚々とした足取り帰った。
◆ ◆ ◆
トレイと再会して一ヶ月経ったがジャックは変わらず気に入っているケーキ屋に通っている。その間にトレイに何度か接客された。もうすっかり居心地悪くなることもなく緊張することもなくなった。
他に客がいなければ会話をする間柄にはなった。同じ学園出身で面識もあったからだろう。それでもジャックからすれば早い段階で親しくなっている気がする。
――いや、まだ親しいってわけじゃないか。
エースたちでも〝友達〟と呼べるようになったのはだいぶ時間が経ってからだ。その基準からすればトレイはまだ親しいとは言い難いかもしれない。けれど、彼の人当たりの良さのお蔭か親しいと錯覚してしまう。
それって人間としてヤバイのでは。人間関係を形成するためには有力な能力だが少々間違えれば他人の人生を壊しかねない。そんな魅力がトレイにはある。
目の前で研究するようにデザートタイプのガレットを食べる彼を見てポロと口からこぼれ落ちた。
「トレイ先輩ってモテそうっすよね」
言ってしまった。ジャックはトレイから視線を下げて目の前の皿を見てフォークとナイフを伸ばす。
中央にある半熟卵を崩し、ガレットを切って崩した卵が絡んだ野菜をくるくる巻いていく。この量は少ないなと思考を無理矢理変えて追加で何か食べようと考えながら口の中に放り込む。
なににしようかなぁと考えながら目の前の人から視線が突き刺さる。
視線を上げればトレイが何か言いたげにこちらを見つめている。口の中に放り込んだガレットを飲み込んで「なんすか」と問いかける。
「いや。それは俺の質問だろ。なんだいきなりモテるとか」
さっぱりわからないと眉を下げるトレイにこれは末期だと悟る。妹がいると言っていたがそういう注意を受けたことがないのか。
ジャックの九つ離れた妹は無自覚にモテる人はやばい、と愚痴をこぼしていた。随分とませたことを言う。だが、妹は難しい顔で無自覚にモテるひとの痴情の縺れヤバイと言った。どうやら災難なことにそれに巻き込まれたらしい。それを地獄だったと苦虫を潰した顔をした妹がなかなか印象深かった。
ふぅと息をついてジャックは「あんた優しいから」と告げる。
「優しい? 俺が?」
首を傾げる様子からやはり無自覚なようだ。無自覚程恐ろしいものはない。
ジャックは再びガレットを刻みながら話を続ける。
「いや、優しいっていうかこうなんていうか人との距離間取り方が上手いから。恋愛とか関係なしにモテそうだなって」
結局それって優しいから親切だからできるのではないだろうか。だから、ジャックは咄嗟に〝優しい〟と言ってしまった。
「あー。そう見えるのか? 俺としては〝普通〟なんだけどな」
「トレイ先輩にとっては普通かもしれないことも相手は自分に向けられた特別な〝優しさ〟だと認識しちまうもんっす。あんたにはそういう魅力みたいなもんあると思います」
しかも、依存度の高そうな優しさ。蜜のように甘く相手は感じて次から次へと欲しがってしまう。そんな魅惑の蜜だ。
「とはいっても、俺にはどうにもできることじゃない」
「そうっすね。だから、何かあったらすぐに警察に相談してください」
「大袈裟だな」
困った顔で笑うトレイにふぅとフォークを置く。そして、楽観視している相手を見据える。
「今まで被害がなかったかもしれないけれど、もう先輩は成人した大人なんだ」
世界は広がり接する人も増えていく。蜜を配る相手が増えれば厄介な人間に遭遇する確率もあがる。
「警察が大袈裟っていうなら……あ、デュース。デュースに相談してください」
デュースは卒業後に警察官になった。まだ交番勤務らしいが相談相手にちょうどいい。
「いや、流石に後輩に相談もなぁ」
首に手を回すトレイにジャックはまた溜息をつく。
「後輩でも本職の警察官です。あいつもすぐに突っ走る年齢じゃなくなったんで、力になるっすよ」
「相談する価値はあります」と告げてもトレイは渋い顔をする。けど、痴情の縺れになってからでは遅いし、ジャックも知り合いに対して「ほらみたことか」なんて思いたくない。
「刺されたなんていう理由でニュースに流れる先輩は観たくないっす」
言って置いたフォークを再び手に取る。残ったガレットを一気に口に入れていく。
最後の最後まで綺麗に食べ終えてナプキンで口を拭く。
「で、この後どこに行きたいんすか?」
「ああ。最近見た記事で紹介されていたチョコレート専門店なんだけど」
トレイがスマホでその店を見せてもらってジャックは頷く。
「その店なら行ったことあります。妹もそこのチョコレートかけたナッツが好きなんでよく土産に買っていきます」
「妹思いだな。それでも、ジャックは本当に色んなとこ知っているな」
感心の眼差しを向けるトレイに尻尾の付け根がソワソワする。こういう素直なところがソワソワする。自分の直属の先輩たちにないタイプでどう受け取っていいか時々わからなくなる。
「そこの店混むんでサッサと行きましょう」
「わかった」
伝票を持って席を立った瞬間、首筋に何か感じた。
咄嗟に周りを見るけれど何もない。注意深く窺うがカフェには人が多くちょっとしたことで視線を受ける。紛れ込んでわからない。
「ジャック? どうしたんだ?」
「いえ、何でもないっす」
気のせいではないだろう。けれど、出どころがわからない。ならば、敢えて泳がせとくか。
――もしかしてもうトレイ先輩もう誰かに……。
防犯ブザーを持たせるべきか。ジャックはそのとき真剣に考えたのだった。
◆ ◆ ◆
ジャックの予想は意外にすぐに当たった。
いつも通りに仕事帰りにケーキ屋に行くとショーケースの向こう側に落ち着きない店員がいた。落ち着きのない店員は何度か接客してもらった女性の店員だ。いつもは元気よく「いらっしゃいませ」と声をかけるのにジャックの姿を見ると挨拶も言わずに青ざめた顔で手招きした。
「す、すいまっ、お客様、お客様はトレイさんの後輩さんですよね」
「え、あ、そうっすけど」
店員に気おされる形で頷けば「よかった! 助かりました!」と声をあげ「実は」と話し出した。その内容にジャックは眉を寄せて低く唸った。
その唸り声で女性店員の身体が跳ねたのでやめた。そして、険しい顔もやめて「どこに?」と短く訊ねる。
店員はすぐに店の裏と答えた。そして、すぐ脇の道に入れば裏に入れると言ってくれた。それから「警察……」と言って首を振る。
「それは少し待ってください。ただ、もし何かあったらすぐ連絡できるようお願いします」
「は、はい! その、今日は女性がしかいなくて、それに腕っぷしも良くないメンバーで」
お願いします、と蚊の鳴く声に頷いて店を飛び出す。そして、言われた通りに脇道に入って駆けると店の裏にすぐに辿り着けたのだが。
「どうしたんだ? ジャック?」
キョトンとした顔のトレイしかいなかった。他には誰もいない。トレイしかいない。
「どうしたって、あんた酷い形相の女性客に連れて行かれたっていうから」
先ほどの女性店員曰く、凄まじい形相の女性客にトレイが店の裏に連れて行かれたという。興奮した様子で獣人属。男で魔法が使えるトレイでも何かあったらどうしようと言うのだ。
ジャックはとうとうあの優しさの毒が回った客かと思って駆けてきたのだ。だというのに、目の前の人は平然と怪我もなく立っていた。
「怪我とか、ないんすか?」
トレイの目の前に立ってあちこち見る。けど、怪我も汚れひとつもない。
「はは。ないよ。なんとも全然問題なかったぞ」
「ちょっと魔法使ったけどな」眼鏡のつるに触れながら言うトレイ。
ジャックは何ともなかったことに胸をなでおろす。
「はぁ。何より無事でよかったっすけど……女はトレイ先輩と一緒に死んでほしいとかそんなタイプだったんスか?」
凄まじい形相の興奮した女なんてそんなイメージしかない。けれど、ジャックの予想は違ったのかトレイは目を瞬かせて声を上げて笑った。
「ははっ! いやいや、違うよ。そんなんじゃなかった」
「じゃあ、何だったんすか」
純粋に聞いたつもりがトレイは口を閉じて微笑んで「本当なんてことのない」と言った。どうやらジャックに理由を聞かせるつもりはないらしい。現に眼鏡の奥のジャックとよく似た色の瞳が有無を言わさぬ力でこちらを見ている。
ならば訊かぬが吉。ジャックは話しを逸らすためにジャケットの裏側に手を伸ばす。そして、名刺ケースを取り出して中かから一枚の紙を取り出す。
「これあげます」
「ん? なんだ、ジャックも警察官だったのか」
名刺を受け取ったトレイの目が瞬かせながら言う。ジャックはそれに渋い顔をする。
「いや、厳密にいうと警察所属の陸上選手っす」
「へぇ。そんな採用もあるのか」
「っす」
ジャックはデュースと異なる採用をされている。警察の仕事もこなすけれど本職的には陸上選手の方だった。
「輝石の国 にいる間は頼ってください」
「そうだな。今度、自分で対処できないことになったら頼むよ」
以前と違いすんなりとトレイは受け入れた。余程今日のことが堪えたのかもしれない。
「すぐに連絡くださいよ。何かあってからじゃ遅いんすから」
「あ、何なら今日は送るっす」と言えばトレイは困った顔をした。
「おいおい。流石に俺は何もできない女の子じゃないんだぞ」
「いや、女だから男だからとかこのご時世関係ないッスよ」
暫くは様子見た方がと言うがトレイは首を横に振った。
「いいよ。シフトも被らないしお前もそれじゃ疲れるだろう」
「なら、ここら辺を巡回してもらいます」
「はは。気遣いありがとう。けど、本当に大丈夫だから」
「な」と年上の顔で言われてはもう言い返せない。学園を卒業すれば二歳差など大したことないと思っていたが先輩と後輩という上下関係には響かないらしい。
「わかりました。なら、防犯ブザー持ってくれませんか?」
「お前、俺のこと話し聞いていたか?」
はぁと溜息をついて頭を振るトレイにこちらは真剣なのにとモヤモヤするジャック。
けれど、ジャックはそのモヤモヤも度を超した心配の意味も今はまだわからなかった。
◆ ◆ ◆
ジャックが駆けつける少し前の時間。
トレイは凄まじい形相をした女性と相対していた。傍から見れば痴情の縺れの一種のような光景だ。
「何で最近店を出る時間が遅いんですか……ずっと、ずっと待っていたのに」
ギラギラした瞳にトレイは困った顔をする。明らかに異様な女性を前にしても冷静だったし、微笑みを浮かべる余裕さえあった。
――あー、これがジャックのやつが言っていた勘違い的なあれか?
思っていた以上に煩わしいな。笑顔を崩さず店を出るときに着けたブレスレットにはめ込まれた魔法石を念のため確認する。なにせパッと見た様子では相手が魔法士かわからない。それにこのご時世素人でも使える魔法薬もある。用心にこしたことはない。すぐに魔法を発動できるようにしながら女性に声をかける。
「店の事情です」
男手が少なくなってしまったので。実際本当だ。独立した者もいるし、身体を崩しして辞めた店員もいた。そこに上手く修行の名目で男手であるトレイが入ったのだ。遅くまでやるのに暫く夜のシフトに配置されたのだ。けれど、女性は「嘘ッ!」と大きな声で叫ぶんだ。
「嘘も何も真実です」
そもそも真実だろうが、嘘だろうが目の前の女性に一切関係はない。
トレイの公然とした態度に女性のギラギラした目が変わっていく。凄まじい形相は鳴りを潜め雰囲気が弱々しくなっていく。
「でも、でもっ」
おどおどしだす女性にトレイは面倒くささが上回った。ブレスレットについた魔法石に触れてひとつ呪文を唱える。
キラキラ粒が出て女性の身体を包む。女性は突然の煌めきに驚いてトレイに助けを求めるように目を向ける。
その目にトレイは微笑むが一体女性にはどんな風に見えたのだろうか。絶望に揺らめく瞳を見てもう来るなよと念じた。
「一回で成功させたいんだ。暴れるんじゃないぞ」
「じゃあ」パチンと指を鳴らす。パァッと光り輝き女性は消え失せた。
僅かに重くなる身体によろつきながら息を吐く。
「こっちは〝親切〟で声をかけただけなのに」
今更になって思い出す先ほどの女性。ここに来たばかりの時に駅で蹲っていたところ声をかけただけだ。大丈夫だと言うが青ざめた顔をしていたので駅員を呼んだ。ただ、それだけだ。
「それが〝優しさ〟だって?」
自分が思う優しさは違う。優しさとは――汚れている。自分の願望を込めた優しさだから綺麗じゃない。まだ、何でもない人に対する〝普通〟の親切心の方が綺麗だ。
トレイが優しくしたいと思うときはきっと――願望があるとき。だから、綺麗なものではない。
「わかってないよな。ジャックは」
背後から迫りくる気配に小さく笑いトレイは助けに来るジャクを待った。
2021.02.21 改題
「ジャック、じゃないか?」
呼ばれた名前にケーキが並ぶショーケースから顔をあげる。ショーケースの向こう側にいたのは鮮やかな若草色の髪と、黒縁の眼鏡をかけた男。見覚えのある顔。その覚えある顔にクローバーのペイントがあれば女王を冠する寮長の傍にいた――。
「トレイ、先輩っすか?」
確認するように名前を呼べば目尻を下げて「ああ。久しぶりだな」と笑った。記憶よりも随分と大人びた顔になっていた。それはそうだ。トレイが学園を卒業して三年以上経っているのだ。その間に寮も違う、部活も違う、接点の希薄な先輩と再会するなど滅多にない。むしろ、よくジャックを覚えていたというものだ。
自分を覚えていたトレイに純粋に驚いていると彼は困ったように笑う。
「俺が覚えているのに驚いているっていう顔だな」
「あ、や、まぁ」
「ウチの後輩のエースとデュースが随分世話になっていたからな」
忘れないさ、と今度は顔をくしゃとして笑うトレイ。
それにしても気さくに話しかける人だ。ジャックも大人になったからそれなりに上手く人間関係を形成していると自負している。けれど、根っから人間関係の形成が上手い人は違う。
ジャックはトレイの気安さに「は、はぁ」とし返せなかった。だが、それも失礼な気がして思わず「まだ、あいつらと連絡取ってるんすか?」と踏み込んだ質問をしてしまった。
けれど、トレイはさして気にした様子もなく「たまにな」と返し、逆に「ジャックは」と問い返して来た。
「デュースとはたまに」
テンポの切り返しに普通に返すことができた。これが接客業の成せる業なのだろうか。オクタヴィネル寮に所属していた三人組とはまた違う巧みな会話術だ。
トレイの会話術に感心していると突然「悪い」と声をかけられた。
「昔話に花が咲きかけたな。では、あらためてお客様、ご注文は?」
突然の営業モードに些かたじろぐ。それから「あー」と声を漏らし首の裏に手をやってショーケースに目を向ける。
いつもなら真剣に選ぶ美しいケーキの光景も目が滑っていく。意識がケーキだけではなくショーケースの向こう側のトレイにも向けられる。
店員が知り合いだと気まずい。在学時にエースがぼやいていたのを思い出す。それだ。非常に気まずい。原因がわかるとさらに居心地が悪くなる。早いところ撤退したい。
ジャックは目の端に映るお気に入りの給料日に食べるケーキを見る。今日は別のケーキにしようとしたけれどそれを食べよう。
「すんません。そこのシャルロット・オ・ポワールをひとつ」
「はい」という営業用だろうトレイの声にまた鳩尾のあたりがソワソワする。
知り合いに対応してもらうのがこんなに気まずいとは思わなかった。こんな体験初めてだ。地元では近所の顔見知りの店に行っても何とも思わないのに。何故、こうも落ち着きがないのだ。
「お客様。以上ですか?」
「ッ」
営業用の声をかけられて顔をあげる。そこにはどうするんだと先輩の顔をしたトレイがお盆にケーキを乗せていた。もういいのか、と気安く訊ねないのは今はいち定員として対応しているからだろう。
一応もう一度ショーケースを見て「以上です」と言う。
「はい。では、こちら一点で五八〇マドルです」
「会計はカードでお願いします」
「はい。畏まりました」
ジャックは取り出した財布からキャッシュカードを取り出す。それをチラリと見たトレイがレジに打ち込んで端末をこちらに向ける。
「では、こちらに翳してください」
端末に向けてカードを翳す。ピッと音がなると「ありがとうございます」と言ってレシートを渡して来た。受け取ると「少々お待ちください」とこちらに背を向けた。
瞬間、ジャックは肩の力を抜いてトレイを意識しないようにスマホを取り出す。特に見るものはないけれど適当にニュースの記事を開いて適当に目を通す。
早く、早く、ここから出ていきたい。スマホにも集中出来ずに見るのをやめる。そして、ソワソワし出す尻尾を何とか抑え込んで待っていると。
「はい。お待たせしました」
トンと待ちかねたケーキの入った白い箱が置かれた。
「袋はいかがしますか?」
「結構です……えっと、ありがとうございました」
小さな取っ手を掴むと「ジャック」と名前を呼ばれた。視線をケーキの箱から上げればトレイが接客用の表情から先輩らしい顔つきに戻っていた。
「また来いよ」
「あ、はい」
咄嗟の返事にトレイは「そう畏まるな」と困った顔をする。どうやらジャックが居心地の悪そうにしていたのはお見通しだったようだ。
「あの別に先輩が嫌とかじゃなくて……こう通っていたところにポンと知り合いがいたことがなくて」
「あははっ。素直だな」
まぁ、わからなくもないと言うトレイ。その表情を窺うに気を悪くしている感じはうかがえない。けれど、学生時代の頃から薄ら感じていたがどうにも掴み切れない人だ。本当は気分を悪くしているかもしれない。
「すんません」
「気にするな」
本当にそう思っているのかもうわからない。ジャックは今度こそ素直に受け取ることにした。そこで周りに客がいないことを確認して口を開く。
「先輩はいつからここで働いているんすか?」
ジャックはここのケーキ屋の常連だ。でも、今日のこの日までトレイを見かけたことがなかった。シフト上どの時間帯でもジャックは来店することはあるがやはり見たことがなかった。それとも今まで彼のシフトと合わなかったのか。浮かんだ疑問にトレイは「今日からだ」とあっさりと答えてくれた。
「え。今日からなんすか?」
めちゃくちゃ新人感がないと感想を抱くも、すぐにトレイの実家がケーキ屋であることを思い出す。実家でも店番などをしていたとかエースたちが言っていた気がする。
「ここには修行で来ているんだ」
「そうなんすか」
トレイは眉を下げて「輝石の国(ここ)の菓子は多彩だからな」と言った。へぇ、と菓子作りの世界に詳しくないジャックは生返事で返した。
「薔薇の王国も菓子作りは盛んなんだがやっぱり一度は輝石の国で勉強したくてな」
「その向上心いいと思うっす!」
「ははっ。ありがとう」
ようやく気まずさもなくなり、ついでに知らず知らずのうちに緊張していた身体も解れた。これで家に帰って万全の状態でケーキを食べることができる。さらに、今後も気まずさもなくまたこのケーキ屋に来れそうだ。
「じゃ。俺はこれで」
「ああ。ありがとうございました。また来いよ」
営業用ではない笑みにジャックは「もちろんッス!」と元気よく答えて店を出た。そのまま意気揚々とした足取り帰った。
◆ ◆ ◆
トレイと再会して一ヶ月経ったがジャックは変わらず気に入っているケーキ屋に通っている。その間にトレイに何度か接客された。もうすっかり居心地悪くなることもなく緊張することもなくなった。
他に客がいなければ会話をする間柄にはなった。同じ学園出身で面識もあったからだろう。それでもジャックからすれば早い段階で親しくなっている気がする。
――いや、まだ親しいってわけじゃないか。
エースたちでも〝友達〟と呼べるようになったのはだいぶ時間が経ってからだ。その基準からすればトレイはまだ親しいとは言い難いかもしれない。けれど、彼の人当たりの良さのお蔭か親しいと錯覚してしまう。
それって人間としてヤバイのでは。人間関係を形成するためには有力な能力だが少々間違えれば他人の人生を壊しかねない。そんな魅力がトレイにはある。
目の前で研究するようにデザートタイプのガレットを食べる彼を見てポロと口からこぼれ落ちた。
「トレイ先輩ってモテそうっすよね」
言ってしまった。ジャックはトレイから視線を下げて目の前の皿を見てフォークとナイフを伸ばす。
中央にある半熟卵を崩し、ガレットを切って崩した卵が絡んだ野菜をくるくる巻いていく。この量は少ないなと思考を無理矢理変えて追加で何か食べようと考えながら口の中に放り込む。
なににしようかなぁと考えながら目の前の人から視線が突き刺さる。
視線を上げればトレイが何か言いたげにこちらを見つめている。口の中に放り込んだガレットを飲み込んで「なんすか」と問いかける。
「いや。それは俺の質問だろ。なんだいきなりモテるとか」
さっぱりわからないと眉を下げるトレイにこれは末期だと悟る。妹がいると言っていたがそういう注意を受けたことがないのか。
ジャックの九つ離れた妹は無自覚にモテる人はやばい、と愚痴をこぼしていた。随分とませたことを言う。だが、妹は難しい顔で無自覚にモテるひとの痴情の縺れヤバイと言った。どうやら災難なことにそれに巻き込まれたらしい。それを地獄だったと苦虫を潰した顔をした妹がなかなか印象深かった。
ふぅと息をついてジャックは「あんた優しいから」と告げる。
「優しい? 俺が?」
首を傾げる様子からやはり無自覚なようだ。無自覚程恐ろしいものはない。
ジャックは再びガレットを刻みながら話を続ける。
「いや、優しいっていうかこうなんていうか人との距離間取り方が上手いから。恋愛とか関係なしにモテそうだなって」
結局それって優しいから親切だからできるのではないだろうか。だから、ジャックは咄嗟に〝優しい〟と言ってしまった。
「あー。そう見えるのか? 俺としては〝普通〟なんだけどな」
「トレイ先輩にとっては普通かもしれないことも相手は自分に向けられた特別な〝優しさ〟だと認識しちまうもんっす。あんたにはそういう魅力みたいなもんあると思います」
しかも、依存度の高そうな優しさ。蜜のように甘く相手は感じて次から次へと欲しがってしまう。そんな魅惑の蜜だ。
「とはいっても、俺にはどうにもできることじゃない」
「そうっすね。だから、何かあったらすぐに警察に相談してください」
「大袈裟だな」
困った顔で笑うトレイにふぅとフォークを置く。そして、楽観視している相手を見据える。
「今まで被害がなかったかもしれないけれど、もう先輩は成人した大人なんだ」
世界は広がり接する人も増えていく。蜜を配る相手が増えれば厄介な人間に遭遇する確率もあがる。
「警察が大袈裟っていうなら……あ、デュース。デュースに相談してください」
デュースは卒業後に警察官になった。まだ交番勤務らしいが相談相手にちょうどいい。
「いや、流石に後輩に相談もなぁ」
首に手を回すトレイにジャックはまた溜息をつく。
「後輩でも本職の警察官です。あいつもすぐに突っ走る年齢じゃなくなったんで、力になるっすよ」
「相談する価値はあります」と告げてもトレイは渋い顔をする。けど、痴情の縺れになってからでは遅いし、ジャックも知り合いに対して「ほらみたことか」なんて思いたくない。
「刺されたなんていう理由でニュースに流れる先輩は観たくないっす」
言って置いたフォークを再び手に取る。残ったガレットを一気に口に入れていく。
最後の最後まで綺麗に食べ終えてナプキンで口を拭く。
「で、この後どこに行きたいんすか?」
「ああ。最近見た記事で紹介されていたチョコレート専門店なんだけど」
トレイがスマホでその店を見せてもらってジャックは頷く。
「その店なら行ったことあります。妹もそこのチョコレートかけたナッツが好きなんでよく土産に買っていきます」
「妹思いだな。それでも、ジャックは本当に色んなとこ知っているな」
感心の眼差しを向けるトレイに尻尾の付け根がソワソワする。こういう素直なところがソワソワする。自分の直属の先輩たちにないタイプでどう受け取っていいか時々わからなくなる。
「そこの店混むんでサッサと行きましょう」
「わかった」
伝票を持って席を立った瞬間、首筋に何か感じた。
咄嗟に周りを見るけれど何もない。注意深く窺うがカフェには人が多くちょっとしたことで視線を受ける。紛れ込んでわからない。
「ジャック? どうしたんだ?」
「いえ、何でもないっす」
気のせいではないだろう。けれど、出どころがわからない。ならば、敢えて泳がせとくか。
――もしかしてもうトレイ先輩もう誰かに……。
防犯ブザーを持たせるべきか。ジャックはそのとき真剣に考えたのだった。
◆ ◆ ◆
ジャックの予想は意外にすぐに当たった。
いつも通りに仕事帰りにケーキ屋に行くとショーケースの向こう側に落ち着きない店員がいた。落ち着きのない店員は何度か接客してもらった女性の店員だ。いつもは元気よく「いらっしゃいませ」と声をかけるのにジャックの姿を見ると挨拶も言わずに青ざめた顔で手招きした。
「す、すいまっ、お客様、お客様はトレイさんの後輩さんですよね」
「え、あ、そうっすけど」
店員に気おされる形で頷けば「よかった! 助かりました!」と声をあげ「実は」と話し出した。その内容にジャックは眉を寄せて低く唸った。
その唸り声で女性店員の身体が跳ねたのでやめた。そして、険しい顔もやめて「どこに?」と短く訊ねる。
店員はすぐに店の裏と答えた。そして、すぐ脇の道に入れば裏に入れると言ってくれた。それから「警察……」と言って首を振る。
「それは少し待ってください。ただ、もし何かあったらすぐ連絡できるようお願いします」
「は、はい! その、今日は女性がしかいなくて、それに腕っぷしも良くないメンバーで」
お願いします、と蚊の鳴く声に頷いて店を飛び出す。そして、言われた通りに脇道に入って駆けると店の裏にすぐに辿り着けたのだが。
「どうしたんだ? ジャック?」
キョトンとした顔のトレイしかいなかった。他には誰もいない。トレイしかいない。
「どうしたって、あんた酷い形相の女性客に連れて行かれたっていうから」
先ほどの女性店員曰く、凄まじい形相の女性客にトレイが店の裏に連れて行かれたという。興奮した様子で獣人属。男で魔法が使えるトレイでも何かあったらどうしようと言うのだ。
ジャックはとうとうあの優しさの毒が回った客かと思って駆けてきたのだ。だというのに、目の前の人は平然と怪我もなく立っていた。
「怪我とか、ないんすか?」
トレイの目の前に立ってあちこち見る。けど、怪我も汚れひとつもない。
「はは。ないよ。なんとも全然問題なかったぞ」
「ちょっと魔法使ったけどな」眼鏡のつるに触れながら言うトレイ。
ジャックは何ともなかったことに胸をなでおろす。
「はぁ。何より無事でよかったっすけど……女はトレイ先輩と一緒に死んでほしいとかそんなタイプだったんスか?」
凄まじい形相の興奮した女なんてそんなイメージしかない。けれど、ジャックの予想は違ったのかトレイは目を瞬かせて声を上げて笑った。
「ははっ! いやいや、違うよ。そんなんじゃなかった」
「じゃあ、何だったんすか」
純粋に聞いたつもりがトレイは口を閉じて微笑んで「本当なんてことのない」と言った。どうやらジャックに理由を聞かせるつもりはないらしい。現に眼鏡の奥のジャックとよく似た色の瞳が有無を言わさぬ力でこちらを見ている。
ならば訊かぬが吉。ジャックは話しを逸らすためにジャケットの裏側に手を伸ばす。そして、名刺ケースを取り出して中かから一枚の紙を取り出す。
「これあげます」
「ん? なんだ、ジャックも警察官だったのか」
名刺を受け取ったトレイの目が瞬かせながら言う。ジャックはそれに渋い顔をする。
「いや、厳密にいうと警察所属の陸上選手っす」
「へぇ。そんな採用もあるのか」
「っす」
ジャックはデュースと異なる採用をされている。警察の仕事もこなすけれど本職的には陸上選手の方だった。
「
「そうだな。今度、自分で対処できないことになったら頼むよ」
以前と違いすんなりとトレイは受け入れた。余程今日のことが堪えたのかもしれない。
「すぐに連絡くださいよ。何かあってからじゃ遅いんすから」
「あ、何なら今日は送るっす」と言えばトレイは困った顔をした。
「おいおい。流石に俺は何もできない女の子じゃないんだぞ」
「いや、女だから男だからとかこのご時世関係ないッスよ」
暫くは様子見た方がと言うがトレイは首を横に振った。
「いいよ。シフトも被らないしお前もそれじゃ疲れるだろう」
「なら、ここら辺を巡回してもらいます」
「はは。気遣いありがとう。けど、本当に大丈夫だから」
「な」と年上の顔で言われてはもう言い返せない。学園を卒業すれば二歳差など大したことないと思っていたが先輩と後輩という上下関係には響かないらしい。
「わかりました。なら、防犯ブザー持ってくれませんか?」
「お前、俺のこと話し聞いていたか?」
はぁと溜息をついて頭を振るトレイにこちらは真剣なのにとモヤモヤするジャック。
けれど、ジャックはそのモヤモヤも度を超した心配の意味も今はまだわからなかった。
◆ ◆ ◆
ジャックが駆けつける少し前の時間。
トレイは凄まじい形相をした女性と相対していた。傍から見れば痴情の縺れの一種のような光景だ。
「何で最近店を出る時間が遅いんですか……ずっと、ずっと待っていたのに」
ギラギラした瞳にトレイは困った顔をする。明らかに異様な女性を前にしても冷静だったし、微笑みを浮かべる余裕さえあった。
――あー、これがジャックのやつが言っていた勘違い的なあれか?
思っていた以上に煩わしいな。笑顔を崩さず店を出るときに着けたブレスレットにはめ込まれた魔法石を念のため確認する。なにせパッと見た様子では相手が魔法士かわからない。それにこのご時世素人でも使える魔法薬もある。用心にこしたことはない。すぐに魔法を発動できるようにしながら女性に声をかける。
「店の事情です」
男手が少なくなってしまったので。実際本当だ。独立した者もいるし、身体を崩しして辞めた店員もいた。そこに上手く修行の名目で男手であるトレイが入ったのだ。遅くまでやるのに暫く夜のシフトに配置されたのだ。けれど、女性は「嘘ッ!」と大きな声で叫ぶんだ。
「嘘も何も真実です」
そもそも真実だろうが、嘘だろうが目の前の女性に一切関係はない。
トレイの公然とした態度に女性のギラギラした目が変わっていく。凄まじい形相は鳴りを潜め雰囲気が弱々しくなっていく。
「でも、でもっ」
おどおどしだす女性にトレイは面倒くささが上回った。ブレスレットについた魔法石に触れてひとつ呪文を唱える。
キラキラ粒が出て女性の身体を包む。女性は突然の煌めきに驚いてトレイに助けを求めるように目を向ける。
その目にトレイは微笑むが一体女性にはどんな風に見えたのだろうか。絶望に揺らめく瞳を見てもう来るなよと念じた。
「一回で成功させたいんだ。暴れるんじゃないぞ」
「じゃあ」パチンと指を鳴らす。パァッと光り輝き女性は消え失せた。
僅かに重くなる身体によろつきながら息を吐く。
「こっちは〝親切〟で声をかけただけなのに」
今更になって思い出す先ほどの女性。ここに来たばかりの時に駅で蹲っていたところ声をかけただけだ。大丈夫だと言うが青ざめた顔をしていたので駅員を呼んだ。ただ、それだけだ。
「それが〝優しさ〟だって?」
自分が思う優しさは違う。優しさとは――汚れている。自分の願望を込めた優しさだから綺麗じゃない。まだ、何でもない人に対する〝普通〟の親切心の方が綺麗だ。
トレイが優しくしたいと思うときはきっと――願望があるとき。だから、綺麗なものではない。
「わかってないよな。ジャックは」
背後から迫りくる気配に小さく笑いトレイは助けに来るジャクを待った。
2021.02.21 改題
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