2020年・誕生日記念
甘い菫の粒をあなたに
ジャックは図書室である本を睨みつけていた。大きな手で一枚の頁をペラペラと捲って中身を検分して、必要な個所をメモして閉じる。
「ハァ。時間的に厳しいな」
取ったメモを睨みつけながらマジカルペンをジャケットの胸ポケットにしまう。メモの切れ端の内容は呪文と注意すべき点を数個。これだけでも一年生であるジャックには難しい魔法だった。さらに、そこに慣れない菓子作りが入る。
「……やるしかねぇ」
難しい魔法でも、初めての菓子作りでもジャックはやる気に満ち溢れていた。何事もコツコツ――やるには時間がないが全力を尽くそう。そうすればきっと実は結ばれるだろう。
「うっし。行くか」
胎に気合を入れてジャックは立ち上がる。やるべきことは決まっている。ならば、時間は有効的に使わなければいけない。
ジャックは本を書架に戻し静かに、それでも慌ただしく図書室を後にした。
◆ ◆ ◆
植物園の一角。ジャックはプランターを前に険しい顔をさらに剣呑とさせていた。
「勝負は一度きり……」
別の花で何度も練習した。可哀想なことに何度か花を成長させ過ぎて枯らしてしまった。サボテンを栽培することが趣味を持つジャックとしては、無理矢理植物を成長させることに引け目を感じていた。でも今回は魔法を使うしかない。
「スミレがこの季節だったらな……」
ジャックが欲しい花はスミレ。だが、今は十月。季節が半年もずれている。もちろん、外部で購入できる。検索すればスミレの花を取り扱っている花屋もある。けれど、時間がかかる。何せこのナイトレイブンカレッジのある賢者の島は辺境の地だ。購入から届くまで時間がかかり必要とする時間に間に合わない。なにより、だ。
――せっかくなら俺が育てたやつで作りたいしな。
ジャックは恋人にあるものをプレゼントしたかった。自分の誕生日に甘い大輪の薔薇を贈ってくれた恋人。あれに負けぬくらい素敵な贈物を捧げたかった。なら、自分が育てたスミレで作った恋人の好物のスミレの砂糖漬けを贈りたい。
「はぁあ」
身体に入った力を抜いてマジカルペンをプランターの上に翳す。それから何度も何度も繰り返し覚えた呪文を口にする。
「flowering―目覚めよ―」
黄色の魔法石から緑色の淡い輝きが溢れ出す。その淡い輝きはまるで砂糖のように細かく魔法石の周りに浮いている。
その様を見てジャックは「しっ」とマジカルペンを握る手を僅かに緩める。すると、肩の力が本格に抜けて身体が軽くなる。
ジャックはプランターの上に翳したマジカルペンをゆっくり横に移動させる。魔法石から零れ落ちる淡い緑の輝きはしっとりとした土に優雅に降りていく。
同じことを二回、三回続けると――しっとりした土の中から元気よく小さな芽が顔を出した。それから瞬く間にプランター一面に青々とした小さな芽で埋め尽くされる。
この光景に自分でもわかるくらい尻尾が忙しなく動いている。でも、まだまだこれからだ。ジャックはじっと見つめていると中央の瑞々しい芽が俄かに震え出し。
「あっ!」
思わず歓喜の声が出た。
瑞々しい若葉は一気に成長して紫色の花を咲かせた。そして、鮮やかな紫につられるように若葉たちは紫の花を咲かせた。
一面の緑は一面の紫に変わった。この光景にジャックは達成感が込み上げて拳を作って肘を引く。
「っしゃッ! これであとは菓子作りだけだぜ!」
ジャックは色鮮やかな紫のスミレを摘み始めた。
◆ ◆ ◆
ジャックは手先が器用な方ではない。けれど不器用でもなかった。失敗しても何度か練習するうちに普通にこなせるようになる。故に、魔法薬学や、錬金術もしっかりと予習をしているおかげで大きな失敗はない。料理だって習っているうちに簡単なものは作れる腕前になった。
菓子作りもそうだろうと高をくくっていたが――菓子作りは奥深かった。
「これで最後か」
目の下に隈をこさえたジャックは掠れた声で呟く。綺麗な紫の花を咲かせたスミレは残りわずかとなっていた。何故ここまで減ったのかジャックにもよくわからない。嘘だ。わからないわけではない。
――まさかここまで失敗すると思うかよッッ!
頭を抱えるほどジャックは失敗した。繊細な花びらがジャックの大きな手で千切れてしまったり、日陰干しがうまく行かなかったり、風に飛ばされたり――様々なことが起きた。
ふぅと息をついてギンギンの目でスミレを見下ろす。可憐なスミレは残り数輪しかない。これで失敗したらどうしようという不安は振り払う。
「これが最後だっ」
絶対に失敗しない。絶対に、だ。ジャックは気合を入れてさらに目をぎらつかせ気合を入れ直した。
慎重に慎重を重ねた結果――無事に完成した。
「や、やったぜ!」
砂糖で綺麗にコーティングされたスミレの小さな花。数えるほどしかないけれど見事綺麗なスミレの砂糖漬けが出来たと自負している。
「味見できねぇのがな」
腕を組んで見下ろす。味見が出来ない分、味の保証が出来ないのが問題だ。材料を見れば問題ないのはわかる。けれど料理も調味料などのちょっとしたさじ加減で味がかわる。菓子作りも同じはずだ。
スミレの砂糖漬けは単純な材料だった。砂糖の甘さとバニラエッセンスがほんのりと香る程度だとは思う。
「これでいいのか?」
ひとつだけでも食べておくか。けれど、ひとつ食べただけで数が減る。ここまできたら数も何もないかもしれない。
「ぐぅぅぅ」
唸りながら首をもたげる。ひとつ、ひとつだけやはり味見しよう。
ジャックは革の手袋を取って小さな花を摘まむ。
指にしっかりと砂糖の感触がする。ちゃんと固まったようだ。ジャックは緊張した面持ちでその小さな花を口に入れた。
「甘ぇ」
スミレの砂糖漬けは初めて食べた。そもそも恋人がこれを好きだと言わない限り、知ることもなかったかもしれない。世の中には花も菓子になるのかと驚いたものだ。
もごもごと口を動かし続けると、スミレの砂糖漬けはいつの間にか消えていた。
大丈夫そうだな」
膨らんでいた不安は霧散していた。
「トレイ先輩のご両親ほどはいかねぇと思うけど」
美味しいと、あの人に言ってもらえたら嬉しいと思う自分がいる。
「不味かったら不味かったで申し訳ねぇしな」
うんうん、と頷きながらジャックは購買部で購入した小さな箱を手に取る。そして、そっと優しくスミレの砂糖漬けを仕舞った。
◆ ◆ ◆
「トレイ先輩! お誕生日おめでとうございます! 流石三年目っす。違和感が全然ねぇっす!」
着せられていた感が拭えないエースやジャックとは段違いに似合っている。
そう褒め言葉を言えば恋人のトレイは困ったように笑い頬を掻いた。
「ありがとう。いや、もう三年目だしな」
着せられた感もなくなるよ、と言う。つまり、三年目で羞恥心やら何やらが諦めがつくということなのだろうか。ジャックは来年もやっぱり着るのかと肩を落とす。
「ジャックも三年も居れば色々毒されるから大丈夫だ」
「それって大丈夫なんすか」
「ああ。大丈夫だ」
綺麗にウィンクを決めるトレイは若干胡散臭い。その胡散臭い様はアズールとも勝らずとも劣らず。
「で、ジャック。俺に何の用だ?」
一瞬にして胡散臭さを失くしたトレイは珍しくワクワクした雰囲気を出す。その様子がちょっと普段の大人びた彼から離れて可愛く見てしまった。二つも年上なのに。
普段とは違う年相応にも見えるトレイを見たジャックの緊張がほぐれる。
「あの、これ誕生日プレゼントっす」
手に持っていた小さな袋をトレイに差し出す。
「わざわざありがとう」
少しだけ弾んだ声と共にジャックの手から袋を受け取った。
「見てもいいか?」
「はい……あっ! やっ、ちょっと待ってください」
「ん?」
首を傾げるトレイを他所にジャックは座れる場所を探す。鏡舎の傍にはベンチがない。どうしたものかと考えてパッとひとつ思いつく。
ジャックはマジカルペンを取り出し二人の上にパンとひとつ魔法を放つ。魔法は瞬く間に二人を囲うようにして広がる。
「防御魔法? どうしたんだ?」
「いきなりすんません。けど、小さくて軽いものなんで飛ぶ可能性があって」
「なるほど……うん。綺麗に防壁が作れているな」
「ありがとうございます!」
自分の得意な魔法を褒められて思わず尻尾を振ってしまう。風を巻き起こしそうな尾を慌てて押さえつける。
「ははっ。元気な尻尾だな」
「うぐっ、その俺の尻尾はいいんで……どうぞ」
尻尾を抑えながら中身を指さす。
トレイはクスクス笑いながら袋の中から優しい手つきで小さな箱を取り出した。
先ほど解れた緊張がぶり返してきた。ここまで心臓が早くなったのはいつぶりだろうか。
じぃっと彼の一挙一動を見つめているとその手が箱に蓋を開けた。
「あ、これは」
眼鏡のレンズの奥で目が見開いた。パチパチと動く度に心臓が痛くなる。
「食べてみていいか?」
「も、もちろんっす! その、ご両親ほどの味はでないと思うんすけど……」
態々言うことではないのに緊張と込み上げた不安で余計なことを口走ってしまった。ジャックはトレイを窺うと口元を抑えて笑いをこらえていた。
「先輩!」
「いや、その、悪い、ふっ、はっ。でも、わかる、わかるぞ、その今のお前の心境」
震える声で言われてもちっとも感じない。ぐぅっと喉を鳴らせばトレイがわざとらしく咳払いをした。
「ンンッ! じゃ、貰うな」
「どうぞ……」
ささっと食べてください。早くしてくれと込めればトレイがスミレをひと摘まみし口に放り込んだ。
彼はまるでジャックが味見したときのように口をもごもご動いている。静かな雰囲気。ジャックの心臓の音がトレイに届いてしまうのではないかとさえ思うほどだ。
じぃっとトレイの言葉を待っていると口の動きが止まった。そして、眼鏡のレンズの奥にある黄色の瞳と合った。
「うん。うまいぞ」
下がる目尻にジャックは自然と伏せていた耳がピンと立ち、尻尾が動き出す。
「ほ、ほんとうっすか!」
「ああ。初めて作ったのか?」
「は、はい! あの、最初はもっとたくさん作ってプレゼントしたかったんですけど」
「ふふ。失敗したか?」
先ほどよりも柔らかくて優しい色の瞳に恥ずかしくなる。それでも素直にジャックは答える。
「はい。恥ずかしいっすけど」
「そんなことないぞ。俺だって、お前に贈った薔薇は何度も失敗したから」
「え! そうなんすか!」
「でなきゃ倒れないさ」
眉を下げて困ったように笑うトレイにジャックは目を見開く。
「トレイ先輩が失敗っすか? お菓子作りならなんでも作れるかと」
「はははっ! 流石に俺もそこまで完璧に菓子作りができるわけじゃないさ!」
何度も何度も失敗してあの甘くて大輪の薔薇が完成したのか。それを贈られた自分がすごく想われていたのだと改めて自覚した。
「う、うわっ。なんか、うれ、嬉しいっす」
「俺もすごく嬉しいさ」
ありがとう、という言葉にこちらも満たされた気持ちになる。
「ジャック。今度一緒に菓子作りでもするか?」
「っ! はい!」
緊張も、不安も何もかも飛んだ。そして、ジャックはトレイと菓子作りデートするために暫し菓子作りにハマったのだった。
ジャックは図書室である本を睨みつけていた。大きな手で一枚の頁をペラペラと捲って中身を検分して、必要な個所をメモして閉じる。
「ハァ。時間的に厳しいな」
取ったメモを睨みつけながらマジカルペンをジャケットの胸ポケットにしまう。メモの切れ端の内容は呪文と注意すべき点を数個。これだけでも一年生であるジャックには難しい魔法だった。さらに、そこに慣れない菓子作りが入る。
「……やるしかねぇ」
難しい魔法でも、初めての菓子作りでもジャックはやる気に満ち溢れていた。何事もコツコツ――やるには時間がないが全力を尽くそう。そうすればきっと実は結ばれるだろう。
「うっし。行くか」
胎に気合を入れてジャックは立ち上がる。やるべきことは決まっている。ならば、時間は有効的に使わなければいけない。
ジャックは本を書架に戻し静かに、それでも慌ただしく図書室を後にした。
◆ ◆ ◆
植物園の一角。ジャックはプランターを前に険しい顔をさらに剣呑とさせていた。
「勝負は一度きり……」
別の花で何度も練習した。可哀想なことに何度か花を成長させ過ぎて枯らしてしまった。サボテンを栽培することが趣味を持つジャックとしては、無理矢理植物を成長させることに引け目を感じていた。でも今回は魔法を使うしかない。
「スミレがこの季節だったらな……」
ジャックが欲しい花はスミレ。だが、今は十月。季節が半年もずれている。もちろん、外部で購入できる。検索すればスミレの花を取り扱っている花屋もある。けれど、時間がかかる。何せこのナイトレイブンカレッジのある賢者の島は辺境の地だ。購入から届くまで時間がかかり必要とする時間に間に合わない。なにより、だ。
――せっかくなら俺が育てたやつで作りたいしな。
ジャックは恋人にあるものをプレゼントしたかった。自分の誕生日に甘い大輪の薔薇を贈ってくれた恋人。あれに負けぬくらい素敵な贈物を捧げたかった。なら、自分が育てたスミレで作った恋人の好物のスミレの砂糖漬けを贈りたい。
「はぁあ」
身体に入った力を抜いてマジカルペンをプランターの上に翳す。それから何度も何度も繰り返し覚えた呪文を口にする。
「flowering―目覚めよ―」
黄色の魔法石から緑色の淡い輝きが溢れ出す。その淡い輝きはまるで砂糖のように細かく魔法石の周りに浮いている。
その様を見てジャックは「しっ」とマジカルペンを握る手を僅かに緩める。すると、肩の力が本格に抜けて身体が軽くなる。
ジャックはプランターの上に翳したマジカルペンをゆっくり横に移動させる。魔法石から零れ落ちる淡い緑の輝きはしっとりとした土に優雅に降りていく。
同じことを二回、三回続けると――しっとりした土の中から元気よく小さな芽が顔を出した。それから瞬く間にプランター一面に青々とした小さな芽で埋め尽くされる。
この光景に自分でもわかるくらい尻尾が忙しなく動いている。でも、まだまだこれからだ。ジャックはじっと見つめていると中央の瑞々しい芽が俄かに震え出し。
「あっ!」
思わず歓喜の声が出た。
瑞々しい若葉は一気に成長して紫色の花を咲かせた。そして、鮮やかな紫につられるように若葉たちは紫の花を咲かせた。
一面の緑は一面の紫に変わった。この光景にジャックは達成感が込み上げて拳を作って肘を引く。
「っしゃッ! これであとは菓子作りだけだぜ!」
ジャックは色鮮やかな紫のスミレを摘み始めた。
◆ ◆ ◆
ジャックは手先が器用な方ではない。けれど不器用でもなかった。失敗しても何度か練習するうちに普通にこなせるようになる。故に、魔法薬学や、錬金術もしっかりと予習をしているおかげで大きな失敗はない。料理だって習っているうちに簡単なものは作れる腕前になった。
菓子作りもそうだろうと高をくくっていたが――菓子作りは奥深かった。
「これで最後か」
目の下に隈をこさえたジャックは掠れた声で呟く。綺麗な紫の花を咲かせたスミレは残りわずかとなっていた。何故ここまで減ったのかジャックにもよくわからない。嘘だ。わからないわけではない。
――まさかここまで失敗すると思うかよッッ!
頭を抱えるほどジャックは失敗した。繊細な花びらがジャックの大きな手で千切れてしまったり、日陰干しがうまく行かなかったり、風に飛ばされたり――様々なことが起きた。
ふぅと息をついてギンギンの目でスミレを見下ろす。可憐なスミレは残り数輪しかない。これで失敗したらどうしようという不安は振り払う。
「これが最後だっ」
絶対に失敗しない。絶対に、だ。ジャックは気合を入れてさらに目をぎらつかせ気合を入れ直した。
慎重に慎重を重ねた結果――無事に完成した。
「や、やったぜ!」
砂糖で綺麗にコーティングされたスミレの小さな花。数えるほどしかないけれど見事綺麗なスミレの砂糖漬けが出来たと自負している。
「味見できねぇのがな」
腕を組んで見下ろす。味見が出来ない分、味の保証が出来ないのが問題だ。材料を見れば問題ないのはわかる。けれど料理も調味料などのちょっとしたさじ加減で味がかわる。菓子作りも同じはずだ。
スミレの砂糖漬けは単純な材料だった。砂糖の甘さとバニラエッセンスがほんのりと香る程度だとは思う。
「これでいいのか?」
ひとつだけでも食べておくか。けれど、ひとつ食べただけで数が減る。ここまできたら数も何もないかもしれない。
「ぐぅぅぅ」
唸りながら首をもたげる。ひとつ、ひとつだけやはり味見しよう。
ジャックは革の手袋を取って小さな花を摘まむ。
指にしっかりと砂糖の感触がする。ちゃんと固まったようだ。ジャックは緊張した面持ちでその小さな花を口に入れた。
「甘ぇ」
スミレの砂糖漬けは初めて食べた。そもそも恋人がこれを好きだと言わない限り、知ることもなかったかもしれない。世の中には花も菓子になるのかと驚いたものだ。
もごもごと口を動かし続けると、スミレの砂糖漬けはいつの間にか消えていた。
大丈夫そうだな」
膨らんでいた不安は霧散していた。
「トレイ先輩のご両親ほどはいかねぇと思うけど」
美味しいと、あの人に言ってもらえたら嬉しいと思う自分がいる。
「不味かったら不味かったで申し訳ねぇしな」
うんうん、と頷きながらジャックは購買部で購入した小さな箱を手に取る。そして、そっと優しくスミレの砂糖漬けを仕舞った。
◆ ◆ ◆
「トレイ先輩! お誕生日おめでとうございます! 流石三年目っす。違和感が全然ねぇっす!」
着せられていた感が拭えないエースやジャックとは段違いに似合っている。
そう褒め言葉を言えば恋人のトレイは困ったように笑い頬を掻いた。
「ありがとう。いや、もう三年目だしな」
着せられた感もなくなるよ、と言う。つまり、三年目で羞恥心やら何やらが諦めがつくということなのだろうか。ジャックは来年もやっぱり着るのかと肩を落とす。
「ジャックも三年も居れば色々毒されるから大丈夫だ」
「それって大丈夫なんすか」
「ああ。大丈夫だ」
綺麗にウィンクを決めるトレイは若干胡散臭い。その胡散臭い様はアズールとも勝らずとも劣らず。
「で、ジャック。俺に何の用だ?」
一瞬にして胡散臭さを失くしたトレイは珍しくワクワクした雰囲気を出す。その様子がちょっと普段の大人びた彼から離れて可愛く見てしまった。二つも年上なのに。
普段とは違う年相応にも見えるトレイを見たジャックの緊張がほぐれる。
「あの、これ誕生日プレゼントっす」
手に持っていた小さな袋をトレイに差し出す。
「わざわざありがとう」
少しだけ弾んだ声と共にジャックの手から袋を受け取った。
「見てもいいか?」
「はい……あっ! やっ、ちょっと待ってください」
「ん?」
首を傾げるトレイを他所にジャックは座れる場所を探す。鏡舎の傍にはベンチがない。どうしたものかと考えてパッとひとつ思いつく。
ジャックはマジカルペンを取り出し二人の上にパンとひとつ魔法を放つ。魔法は瞬く間に二人を囲うようにして広がる。
「防御魔法? どうしたんだ?」
「いきなりすんません。けど、小さくて軽いものなんで飛ぶ可能性があって」
「なるほど……うん。綺麗に防壁が作れているな」
「ありがとうございます!」
自分の得意な魔法を褒められて思わず尻尾を振ってしまう。風を巻き起こしそうな尾を慌てて押さえつける。
「ははっ。元気な尻尾だな」
「うぐっ、その俺の尻尾はいいんで……どうぞ」
尻尾を抑えながら中身を指さす。
トレイはクスクス笑いながら袋の中から優しい手つきで小さな箱を取り出した。
先ほど解れた緊張がぶり返してきた。ここまで心臓が早くなったのはいつぶりだろうか。
じぃっと彼の一挙一動を見つめているとその手が箱に蓋を開けた。
「あ、これは」
眼鏡のレンズの奥で目が見開いた。パチパチと動く度に心臓が痛くなる。
「食べてみていいか?」
「も、もちろんっす! その、ご両親ほどの味はでないと思うんすけど……」
態々言うことではないのに緊張と込み上げた不安で余計なことを口走ってしまった。ジャックはトレイを窺うと口元を抑えて笑いをこらえていた。
「先輩!」
「いや、その、悪い、ふっ、はっ。でも、わかる、わかるぞ、その今のお前の心境」
震える声で言われてもちっとも感じない。ぐぅっと喉を鳴らせばトレイがわざとらしく咳払いをした。
「ンンッ! じゃ、貰うな」
「どうぞ……」
ささっと食べてください。早くしてくれと込めればトレイがスミレをひと摘まみし口に放り込んだ。
彼はまるでジャックが味見したときのように口をもごもご動いている。静かな雰囲気。ジャックの心臓の音がトレイに届いてしまうのではないかとさえ思うほどだ。
じぃっとトレイの言葉を待っていると口の動きが止まった。そして、眼鏡のレンズの奥にある黄色の瞳と合った。
「うん。うまいぞ」
下がる目尻にジャックは自然と伏せていた耳がピンと立ち、尻尾が動き出す。
「ほ、ほんとうっすか!」
「ああ。初めて作ったのか?」
「は、はい! あの、最初はもっとたくさん作ってプレゼントしたかったんですけど」
「ふふ。失敗したか?」
先ほどよりも柔らかくて優しい色の瞳に恥ずかしくなる。それでも素直にジャックは答える。
「はい。恥ずかしいっすけど」
「そんなことないぞ。俺だって、お前に贈った薔薇は何度も失敗したから」
「え! そうなんすか!」
「でなきゃ倒れないさ」
眉を下げて困ったように笑うトレイにジャックは目を見開く。
「トレイ先輩が失敗っすか? お菓子作りならなんでも作れるかと」
「はははっ! 流石に俺もそこまで完璧に菓子作りができるわけじゃないさ!」
何度も何度も失敗してあの甘くて大輪の薔薇が完成したのか。それを贈られた自分がすごく想われていたのだと改めて自覚した。
「う、うわっ。なんか、うれ、嬉しいっす」
「俺もすごく嬉しいさ」
ありがとう、という言葉にこちらも満たされた気持ちになる。
「ジャック。今度一緒に菓子作りでもするか?」
「っ! はい!」
緊張も、不安も何もかも飛んだ。そして、ジャックはトレイと菓子作りデートするために暫し菓子作りにハマったのだった。
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