トレイ × ジャック
香りの正体は今もわからず
あの人が纏っている匂いは甘い。同じ寮のエースや、デュースも仄かに甘い香りと、薔薇の香りを纏っているがさして気にならない。だのに、あの人はやけに甘ったるい。甘ったるい香りがするとあの人がいると辺りを探ってしまうほどだ。
病気だ。こんなの病気以外なんと言えるだろうか。ほら、今も甘い香りが鼻を擽って視線をすぐ上げて辺りを見回す。
頭ひとつ分は高い視線でも探し出せない。あの鮮やかな若草色の頭がない。どうやらまた俺はあの人を探してしまったらしい。
眉間に皺が寄る。すぐ傍に引き攣る声がしたが気にしない。右側から感じる恐怖に震える気配が鬱陶しい。舌打ちを飲み込んで知らぬふりをして足を動かす。
食堂に繋がる廊下から離れる。甘い香りは当然しなくなる。やはり、食堂に近かったかから甘い香りがしただけか。あの人はその場にいなかったのが証明された。
どうにもこうにも、何故あの人を近頃頭の片隅を占領しているのだろうか。きっかけはなんだ。駄目だ。思い出せない。ハーツラビュル寮で接点があるのはエース、デュース、魔法を教わっているリドル先輩くらいだ。ケイト先輩は同じ輝石の国がきかっけに何度か合同授業が一緒になって話した程度。あそこの副寮長であるトレイ先輩に対してはゴーストの花嫁の際にちょっと話しただけだ。その後もとくに社交辞令の挨拶程度で深い関わりという関わりはない。なのに頭の片隅にあの人がいる。
うーん、うん。悩みながら食堂を離れていくとまたあの甘い匂いだ。それも先ほどよりも濃く鮮明な匂い。
前を向けばそこにあの若葉色の頭があった。そわっと尻尾の付け根あたりが落ち着かない。本当にこの感覚はなんなのだ。意味がわからない。
「あ。ジャックじゃーん! お前、昼もう終わったの?」
飄々とした聞き慣れた声にトレイ先輩の横にエースがいたことに気づく。まさか、と驚きが身体中に駆け巡る。まさか、だ。何故、付き合いのあるエースの匂いに気づかなかった。おかしいだろ。接点の薄いトレイ先輩の方の匂いを先に嗅ぎ取った。いくら匂いが近しくても体臭は全然違う。
「おーい。ジャック、どーしたのよ?」
「具合でも悪いのか?」
覗き込まれた顔は思いの外近い。エースよりも高い位置にある顔に一歩後退る。
「ジャック?」
エースの声に「大丈夫だ」と顔を背ける。
「そう? ならいいけど。んじゃ、オレとトレイ先輩はこれから昼飯だから」
またな、と手を軽く振るエースに「ああ」と適当に返す。それから目が合ったトレイ先輩に頭を下げる。トレイ先輩は「具合が悪くなったら保健室に行けよ」と心配した言葉をかけてくれた。心配の言葉を流石に無下にすることは出来ない。軽く返事をして去っていくエースと、トレイ先輩を見送る。
二人の背中が消えたところで意識が戻るような感覚した。まるで縫い付けられたように立っていた足が動き出す。
何故、自分はわざわざ二人が消える瞬間まで見送った。普通に教室に戻ろうとしたのに何故なのかわからなかった。
這い上がるような感覚は紛れもなく恐怖だった。何かよくわからないものに犯されているような感覚が拭いとれない。けれど、それがあの人である確証はないし、する意味もない。失礼な思い付きに頭を左右に軽く振る。
「何も、何もねぇよ、な」
一人呟き目を瞬かせてようやく前を向いて歩き出す。
◆ ◆ ◆
隣を歩く二つ学年の上の先輩を見る。ハーツラビュル寮の誰もが頼りにしている我らが副寮長トレイ・クローバー先輩。自らを普通の男と称しながらも何でもそつなくこなす傍から見れば十分に出来る男に分類される先輩だ。
世話もよく焼いてくれるし、あの気難しいリドル寮長の世話もよくしている。
誰もが優秀で、いい人だというだろう。愛想だっていいし。
「なんだ。エース?」
黒縁眼鏡の向こう側。黄色味がかった瞳は同級の金の瞳とは異なり僅かに黒味帯びている。その瞳は何を考えているかオレにはわからない。だから、この先輩がジャックに何をしたいのかわかりたいとも思わない。何せ、関わったら最後巻き込まれそうだからだ。
――ああ。もう。このまま気づかなければよかった。
黄色味帯びた瞳をひたと見据えて一言だけ言ってしまう。
「あんまりジャックのこと弄らないであげてくださいよ」
余計なことを口にしたのは重々承知している。もう絶対静観していれば良かったのによく回る口が無駄なことを言ってしまった。
「んー。ま、善処はするさ」
いつも通り愛想のいい笑みにオレは何だかジャックが哀れに思えた。
――もう手遅れか。ご愁傷さま。
あの人が纏っている匂いは甘い。同じ寮のエースや、デュースも仄かに甘い香りと、薔薇の香りを纏っているがさして気にならない。だのに、あの人はやけに甘ったるい。甘ったるい香りがするとあの人がいると辺りを探ってしまうほどだ。
病気だ。こんなの病気以外なんと言えるだろうか。ほら、今も甘い香りが鼻を擽って視線をすぐ上げて辺りを見回す。
頭ひとつ分は高い視線でも探し出せない。あの鮮やかな若草色の頭がない。どうやらまた俺はあの人を探してしまったらしい。
眉間に皺が寄る。すぐ傍に引き攣る声がしたが気にしない。右側から感じる恐怖に震える気配が鬱陶しい。舌打ちを飲み込んで知らぬふりをして足を動かす。
食堂に繋がる廊下から離れる。甘い香りは当然しなくなる。やはり、食堂に近かったかから甘い香りがしただけか。あの人はその場にいなかったのが証明された。
どうにもこうにも、何故あの人を近頃頭の片隅を占領しているのだろうか。きっかけはなんだ。駄目だ。思い出せない。ハーツラビュル寮で接点があるのはエース、デュース、魔法を教わっているリドル先輩くらいだ。ケイト先輩は同じ輝石の国がきかっけに何度か合同授業が一緒になって話した程度。あそこの副寮長であるトレイ先輩に対してはゴーストの花嫁の際にちょっと話しただけだ。その後もとくに社交辞令の挨拶程度で深い関わりという関わりはない。なのに頭の片隅にあの人がいる。
うーん、うん。悩みながら食堂を離れていくとまたあの甘い匂いだ。それも先ほどよりも濃く鮮明な匂い。
前を向けばそこにあの若葉色の頭があった。そわっと尻尾の付け根あたりが落ち着かない。本当にこの感覚はなんなのだ。意味がわからない。
「あ。ジャックじゃーん! お前、昼もう終わったの?」
飄々とした聞き慣れた声にトレイ先輩の横にエースがいたことに気づく。まさか、と驚きが身体中に駆け巡る。まさか、だ。何故、付き合いのあるエースの匂いに気づかなかった。おかしいだろ。接点の薄いトレイ先輩の方の匂いを先に嗅ぎ取った。いくら匂いが近しくても体臭は全然違う。
「おーい。ジャック、どーしたのよ?」
「具合でも悪いのか?」
覗き込まれた顔は思いの外近い。エースよりも高い位置にある顔に一歩後退る。
「ジャック?」
エースの声に「大丈夫だ」と顔を背ける。
「そう? ならいいけど。んじゃ、オレとトレイ先輩はこれから昼飯だから」
またな、と手を軽く振るエースに「ああ」と適当に返す。それから目が合ったトレイ先輩に頭を下げる。トレイ先輩は「具合が悪くなったら保健室に行けよ」と心配した言葉をかけてくれた。心配の言葉を流石に無下にすることは出来ない。軽く返事をして去っていくエースと、トレイ先輩を見送る。
二人の背中が消えたところで意識が戻るような感覚した。まるで縫い付けられたように立っていた足が動き出す。
何故、自分はわざわざ二人が消える瞬間まで見送った。普通に教室に戻ろうとしたのに何故なのかわからなかった。
這い上がるような感覚は紛れもなく恐怖だった。何かよくわからないものに犯されているような感覚が拭いとれない。けれど、それがあの人である確証はないし、する意味もない。失礼な思い付きに頭を左右に軽く振る。
「何も、何もねぇよ、な」
一人呟き目を瞬かせてようやく前を向いて歩き出す。
◆ ◆ ◆
隣を歩く二つ学年の上の先輩を見る。ハーツラビュル寮の誰もが頼りにしている我らが副寮長トレイ・クローバー先輩。自らを普通の男と称しながらも何でもそつなくこなす傍から見れば十分に出来る男に分類される先輩だ。
世話もよく焼いてくれるし、あの気難しいリドル寮長の世話もよくしている。
誰もが優秀で、いい人だというだろう。愛想だっていいし。
「なんだ。エース?」
黒縁眼鏡の向こう側。黄色味がかった瞳は同級の金の瞳とは異なり僅かに黒味帯びている。その瞳は何を考えているかオレにはわからない。だから、この先輩がジャックに何をしたいのかわかりたいとも思わない。何せ、関わったら最後巻き込まれそうだからだ。
――ああ。もう。このまま気づかなければよかった。
黄色味帯びた瞳をひたと見据えて一言だけ言ってしまう。
「あんまりジャックのこと弄らないであげてくださいよ」
余計なことを口にしたのは重々承知している。もう絶対静観していれば良かったのによく回る口が無駄なことを言ってしまった。
「んー。ま、善処はするさ」
いつも通り愛想のいい笑みにオレは何だかジャックが哀れに思えた。
――もう手遅れか。ご愁傷さま。
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