トレイ × ジャック

始まりの洋ナシのコンポート



「あ! いたいた、トレイ!」
「はい」

 調子のいい声に呼ばれてクリームを掻き混ぜながら振り返る。そこにいたのはひとつ上の先輩エース・トラッポラがいた。寮長、と呼びかけてトレイは困ったという顔を作る。

「えっと、すいません。エース先輩って今は」
「…………副寮長だよ」

 途端に不機嫌に眉間に皺を作るエースにトレイは苦笑を浮かべる。現在、このハーツラビュル寮は寮長と副寮長を担当する者が一ヶ月ごとに変わっている。他の寮ではありえないが寮長と副寮長の実力が拮抗しているためかこのような異常事態が起きている。周りはもう慣れているのか誰も、決闘に付き合う学園長すら何も言わない。
 それでいいのかと入学時は思ったが今はもう慣れたものだ。さて、何かと問題が起こるナイトレイブンカレッジに入学して半年。ケーキが作れることから一年ながら厨房の担当を任されているトレイは首を傾げる。

「何か用ですかエース副寮長」
「副寮長いらねぇよ!」

 「先輩でいいっつーの」ブツブツ言いながら近づくエースはトレイの前に立つ頃にはカラと戻っていた。本当に感情の切り替えの早い人だ。そう思いながら「あのさ」と話し出すエースに「はい」と返す。

「昨日、洋ナシのコンポートの乗ったケーキ作ったろ?」
「ぇ、あ、はい。作りました」

 突然の質問に戸惑いながら答える。ますますエースの目的がわからず困惑の眼差しを向ける。だが、エースはそのトレイの視線を介さないのか自分本位に話しを進めていく。

「オレのダチに洋ナシのコンポート好きなヤツいんだよ。だから、残っていたらわけてほしいんだけどいい?」
「はい。まだ残っていますけど――そのままでいいんですか?」

 コンポートで日持ちするから寮長と副寮長の軽いデザートに出そう残していたもの。とはいえ、ケーキにするには少ない。でも、軽いデザートくらいは作れる。だが、エースは首を横に振った。

「だいじょーぶ。一人だけだし……なぁんかあいつ今年に入ってからすげぇ疲れているみてぇだからさぁ」

 友達想いなのか、意外だな、など様々な感想が浮かぶ。とはいえ、この人の友人は誰だろうか。気になる。同僚のデュースではないことは確かだ。なら他にいるか。エースの周りの人物を思い出しながら思わずそれらしい人の名前を出す。

「ポムフィオーレ寮の寮長ですか」
「は?」

 ポカンと口を開けたエースはパチパチと瞬きをして吹き出した。声をあげて笑うからそこまでおかしなこといったかとトレイが眉を顰める番となった。それに気づいたのか何とか笑いを堪えたエースは「ちげぇよ」と答えた。

「あいつ、確か梨嫌いだし」
「なら」
「んー。それって答えねぇと駄目?」

 まだ続けんの、と牽制にも似た突き放す声。トレイは締まったと口を慌てて噤む。その選択が功を奏したのかエースが首を掻きながら「あ~あ、悪い」と謝罪を口にした。

「いえ、俺も踏み込み過ぎました」
「や。得体の知れないヤツに食べさせるの、お前も嫌だろ」

 半分正解で半分は単純な興味。どう答えようかとトレイが黙っているうちにエースがまた口を開く。

「でも、すぐにわかるよ」
「え」

 にんまりと猫のように微笑む顔はロイヤルソードアカデミーに通う幼馴染を彷彿させる。その面影を見ながらどういう意味か聞き返すと「そのうちわかるって」と言われて答えはくれなかった。結局その日トレイは洋ナシのコンポートを提供するだけに終わった。

「誰が食べるんだろう」

 片付けをしながらあの洋ナシのコンポートの行方が気になった。普段であれば気にならないのに不思議なことにずっとトレイの頭の片隅に残り続けた。



   ◆ ◆ ◆



 頭の片隅に残した洋ナシのコンポートの提供先。少々気になりながらも日常を日々過ごしていたときだった。

「おい」

 廊下を歩いていたときに低く剣呑とした声に引き留められた。何かやらかした記憶はない。やるなら寮長と副寮長の問題児コンビではないか。もしやその報復か。寮生に当たるなよと様々なことを考えながら振り返ってトレイは目を見開く。
 振り返った先に立っていたのは立派な三角の耳を持った獣人属だった。一件犬の獣人属にも見える姿だがトレイは彼の種族を知っている。

「ジャック・ハウル寮長」

 狼の獣人属、ジャック・ハウル。二年生でありながら荒くれ者が集まるサバナクロー寮を統べる男。立派な体躯はハーツラビュル寮には滅多にいない。その二メートルはあるのではと思う身長を見上げる。

「あの、俺に何か用ですか?」

 サバナクロー寮の生徒との間に何も問題を起したことはない。それとも寮長または副寮長への言付けだろうか。いや、確か寮長のデュースと部活も同じだと言うし態々トレイに言うことはないだろう。一体何だと険しい顔立ちを見つめると凛々しい眉がピクと動いてきつく結ばれた薄い唇が動く。

「今年からハーツラビュルのケーキ担当になったトレイ・クローバーで間違いないか」
「え、あ、はい。確かに俺です」

 まさか他寮でただの一生徒である自分の名前を知っているとは。いや、存在を知られているとは全く思わなかった。

「エースたちがケーキ作れる奴が入って来たって騒いでいたからな」

 覚えている。まるでトレイの疑問に答えるようにジャックが答える。
 そういえば、ケーキを作れるのを知ったときのエースたちがとても騒いでいた。まさか、他寮の寮長にまで知れ渡っているとは。少々気恥ずかしさを覚える。だが、一体それがサバナクロー寮の寮長に何の関係があるのか。サバナクロー寮でティーパーティなんて聞いたことがないが――。
 じっと思わず自分と似た色をした瞳を見る。鋭い眼つきをした眼差しが僅かに戸惑いを滲ませた。

「突然で悪ぃんだがこの間の洋ナシのコンポートはお前が作ったんだよな?」
「へ」

 まさかの切り出しに思わず失礼な声を出してしまった。慌てて口をつぐむが獣人属の前では意味はないだろう。あの大きな耳はしっかりとトレイの声を拾ってしまったようで喉が低く唸る声が聞こえる。

「す、すいません」
「いや。構わねぇよ」

 はぁと腕を組むジャックは気恥ずかしそうに視線を逸らした。あれほど堂々としている人でもそういう顔をするのか新鮮な心持ちで見ているとまた口が動く。

「あの洋ナシのコンポート美味かった」

 今度は飲み込んだ失礼な声。それでも驚きを隠すことが出来ずに自分よりも高い位置にある顔を凝視してしまった。トレイの驚愕をたっぷりと含んだ眼差しを受けたジャックの目元が赤らんだように見えた。
 ドッと心臓が跳ねたような気がする。意外過ぎる一面も滂沱ともいえる情報に頭も感情も追いつかなくなってきた。

「あ、あのジャック先輩」
「いや。わかる。色々言いてぇことはわかる」

 皆まで言うな。そう言いたいように手を前に出すジャック。トレイは何と言っていいか。ただ、悪い感情を抱いていないことだけは伝えたいと思った。

「その、よかったです……」

 何がよかったんだ。自分で自分の発言に突っ込みを入れる。だが、もう口から出てしまったのでどうにもならない。機嫌を損ねなければいいがと見ていると顰めた顔が僅かに緩んだ。その顔を見ただけで心臓がまた跳ねた。
 うわぁ。やめてくれ。何に対してかわからないけれどトレイはそう訴えたかった。もうそんな顔を見せないでくれと思う理由はわからないけれどそう思わずにはいられなかった。

「先輩……今度はよかったらタルトとかで食べませんか」
「は?」

 緩んだ顔から一転ポカンとした顔。見た目のいかつさと険しい顔つきで年齢より上に見えたジャック。彼がたった一歳しか変わらない人なのだと再認識した。
 鋭い目を瞬かせた後にキュッと唇を引き結んで顎を上げる。考えるような仕草に今さら自分の言葉に胃がキリキリして来た。

「気安くすいません。忘れてく――」
「いや……」

 斜め上を見つめていた瞳がトレイを捉えた。それだけで落ち着かなくなる。相手がサバナクロー寮の寮長だからという訳ではもうないのは薄々気づいている。でも、よくはわからない。
 ジャックの次の言葉を待っているとフッと息を零した彼が口角を上げて目尻を下げた。この人がエースたちと仲がいいのが何となくわかった気がする。同時にトレイは初めて他人に意識され続けたいと思った。

「お前がいいなら……食べていみてぇな」
「ぜひっ!」

 噛みしめるように言うジャックに対して前のめりに答えてしまった。恥ずかしい。とても恥ずかしい。でも、それほどの意気込みがあったから。
 恥ずかしさに赤くなる顔を隠すように腕を前にやると「ははっ」と笑い声が聞こえた。前を見れば口元を大きな手で隠しているジャックがいた。

「ふっ、なんか、おま、お前、エースやデュースと聞いていたのと違うな」
「えっ」

 気恥ずかしさも消えてその発言が気になった。一体あの二人は何言ったんだ。デュースならばまだいい風に捉えてくれているだろうがエースはわからない。ああ見えて他人をよく見ている人だ。あの見透かすような猫の目がますます苦手になる。

「そう。難しい顔すんなよ。悪い話じゃねぇから」
「……いや、別に」

 別に平気ですと言い切ることも出来ずに頭を掻く。そこへ「なぁ」と声をかけられて再びジャックを見る。ジャックは再び照れくさそうな顔で爆弾を落とした。

「よかったら作り方教えてくれねぇか」

 実家のと違った味で美味かったんだ。そう気恥ずかしそうに告げる狼の獣人属にトレイはコンと落ちる音がした。

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