フロイド × ジャック

血の絡む甘いキス



 口の中に溜まる血を唾液に混じらせて吐き出す。それでも口の中に血が溜まっていく。

  ――チッ。口の中切ったか。

 ジクジク痛む傷に魔法で止血も出来ない。一年生のジャックが使える治療魔法は止血程度だ。それでも生傷の堪えない自分にはありがたい。だが、この状態ではその止血も使えない。
 ズッと鼻から流れそうになる鼻血を啜ってしまい気持ち悪くなる。顔を顰めながら切った唇から流れる血を指で拭う。強く拭ったわけでもなく痛い。

「フロイドの野郎。マジで容赦ねぇな」

 先ほどまで殴り合い喧嘩をしていた相手は容赦なく顔を狙って来ていた。寧ろ、顔攻めだった。そんなにこの顔が嫌いか。ジャックはフロイドの整った顔を避けてボディばっかり狙ったのに。それはそれで「痛ぇッッ!」と喚ていたのは見ものだった。

「はっ、ざま、ぃッッ」

 ジャックは嘲笑おうとして顔中痛くなった。あまりにも痛くてすぐ傍にあったベンチに腰掛ける。せめてハンカチに水を、とマジカルペンを取ろうとするが――。

「は、ない?」

 制服の胸ポケットに入れているマジカルペンがない。サァッ血の気が引いていく。マジカルペンは入学式に学園から配給されるものだ。卒業と同時に返還するものでなくしたら賠償問題だ。そもそもマジカルペンは賠償が利くのか。いくらなのか。

「チッ」

 計算していても埒が明かない。ジャックは痛む身体に鞭を打ってきた道を戻る。
 どうかあの喧嘩の場にフロイドがいませんように。願いながら来た道すがらマジカルペンを探すが見つからない。そうこうしている間に喧嘩した場所に辿り着く。
 ジャックはそこにいてほしない人物がいたことに目を据わらせて唸る。

「やっほ~ウニちゃぁん」

 当の本人であるフロイドはすっかり機嫌を良くして立っていた。制服は埃まみれで汚れも目立つのに、フロイドは制服の汚れもなくピンピンしている。
 彼の魔法はオクタヴィネル寮の寮長や副寮長の二人にも引けを取らない。きまぐれでムラっ毛があるだけでセンスは十二分なのだ。どうやらそのセンスは治療魔法も簡単に扱えるらしい。
 一人元気になっているフロイドがギザギザの歯を覗かせながら近づいて来る。

「おかえり。どうしたの?」
「戻って来たくて戻って来たわけじゃねぇ」
「そ~なんだ。でも、オレは大歓迎ぇ~」

 長い両腕を開いて「ギュウしていい」なんて可愛らしく聞いてくる百九十オーバー男子。可愛くないはずなのに可愛いと思うのが自分でも悔しい。さらに低くなる呻き声をフロイドは気にしない。ただ今は機嫌が非常にいいらしくニコニコした状態で自分の目の前に立っている。

「なんスか。俺、忙しいんですけど」
「そうなんだぁ。オレはてっきりマジカルペン(これ)探しに来たのかと思ったんだけど」

 「ちげぇの?」どこからともなく取り出した黄色の魔法石がついたマジカルペンを取り出す。紛れもなくサバナクロー寮生の持つマジカルペンだ。でも、それがジャックのモノだとわからない。フロイドのハッタリかもしれない。

 疑うように「俺のなんすか」と訊ねる。
 フロイドは垂れた目を瞬かせて鋭い歯を覗かせながら哂って「どうだと思う?」なんて聞き返して来る。それに苛つきながらジャックは手のひらを出す。

「確認するんで貸してください」
「ん~~。どーしよかっなぁ」

 勿体ぶるフロイドに苛立ちが募っていく。ジャックはフロイドと違って身体中が痛いのだ。保健室に行って塗り薬を貰いたいのだ。
 ジャックの苛立ちはピークに達して掴みかかるがあっさり避けられる。

「あはっ、ウニちゃんさっきより動き鈍くなってねぇ?」

 機嫌をよくするフロイドに舌を打ちならす。どうやら彼は大人しくマジカルペンを返してくれそうにない。

「返してください」
「ウニちゃんのじゃないかもよ?」

 「フェイクだったりして、あはっ」身体を揺らしながらマジカルを回すフロイド。
 ジャックはガルルと唸りながら「返せッ」と叫ぶ。フロイドは途端に眉根を寄せて「うっせぇ」と言う。それでもマジカルペンを渡す様子はない。

「おい。フロイドッ」

 先輩の敬称もつけずに呼ぶと瞳孔が僅かに小さくなる。フロイドの勘に触ったのだろう。けれど、怖くはない。そもそもこれくらいで怖がっていてはきりがない。

「チッ。さっきもそうやって吠えてさ、マジでウザい」
「あァ? お前がしつこくキス迫ってきたから気分じゃねぇって言っただけだろうが」

 最初の喧嘩の原因はフロイドが自習中のジャックを図書室から無理矢理連れだしてキスを迫ったこところにある。
 自習を邪魔されたあげく好き勝手してくるフロイドにジャックが切れた。そして、切れるジャックにフロイドが切れた。そこから殴り合いの喧嘩に発展したのだ。

「返せ」

 無駄な喧嘩は嫌いだ。さらに言えば恋人と第二ラウンドなんてまっぴらごめんだ。これ以上無駄なことはしたくない。ジャックが大人しく引けばいいかもしれないが引きたくない。絶対に屈しない。

「返せ」
「返せ、返せってさぁ。それしか言えねぇのかよ」

 マジカルペンをフロイドは渡す気配はない。ならばやはり実力行使になる。ジャックは身体の痛みも忘れて掴みかかる。
 フロイドはジャックの腕を最小の動きで避ける。それを見越してすぐに腕を横に動かし避けたフロイドに向ける。

「うげっ、」

 ガシッと掴んだジャケットにフロイドは顔を歪める。これにジャックは口角を上げる。

「捕まえたぜ」

 引っ張ってマジカルペンに手を伸ばすが瞬間黄色の魔法石が光り輝く。その輝きにジャックはすぐにフロイドを突き飛ばす。おかげで寸でのところで魔法石から放たれた風魔法を避けることができた。

「魔法なんて使うなよ」
「魔法士見習いだからいいじゃん」

 私闘に魔法を使うのは厳禁だろうと思うがフロイドに聞くはずがない。あと少しだったのにと舌打ちをしながら眼前の男を睨み付ける。

「睨み付けるばっか。つまんねぇ」
「なら、返せ」
「だから、それしか言えねぇの?」

 「それも飽きた」と人のマジカルペンを投げ飛ばしてキャッチ始めた。マジカルペンで遊ぶなと言いたいがジャックの苛立ちは二度目のピークをどうやら超えてしまったようだ。

「盛ったところで持久力もねぇくせにうるせぇんだよ」

 喧嘩も、セックスも、と低く囁いた貶しはフロイドの耳が拾ったようだ。
 フロイドから笑みが消え瞳孔の小さくなったオッドアイがこちらを見ている。その顔に向かって嘲笑うように「なんだよ? 本当だろう」と言ってやる。

「あ? んだよ、自分の性欲棚上げすんじゃねぇよ」

 マジカルペンで遊ぶのをやめたフロイドがコキと首を鳴らす。
 ジャックは鼻で哂う。こちとら苛立ちのピークも超えて気が短くなっているのだ。だから、叩きのめすことにした。

「お前も大概だろ。ウツボは本来一夫多妻らしいからな……つーわりには本当に体力ねぇけど」

 嘲笑えばフロイドが舌を鋭く打った。確実に苛ついている顔だ。

「性欲有り余りすぎて勝手に腰振ってる奴がうるせぇよ」
「それに煽られる奴がうるせぇ」

 お互い苛立ちを孕んだ目で睨み合い――同じように拳を振り上げた。



「グッ」

 長い足で足払いをされてジャックは地面に仰向けに倒れる。フロイドとことなり最初の喧嘩の傷が治っていない状態で喧嘩したのがいけない。ジャックはすでに満身創痍だった。

  ――クソッ。

 自分から兆発しておいてこの様だ。腹が立つ。もはやフロイドに対してよりも自分の無様さに腹が立って来た。
 すぐに起き上がろうとしたけれど――フロイドに邪魔をされる。屈んで長い指でジャックの太い首を掴んで地面に押さえつける。その力は単純にフロイドの力なのか。はたまた魔法を使っているのかわからない。

「カッ、はっ」

 息苦しい中でもジャックは目の前に顔を寄せるフロイドを睨み付ける。
 今度は容赦なく殴ったフロイドの顔は青あざもあれば、裂傷で血を流していた。可愛い顔が残念だなと嘲笑いたいけど息が苦しくて出来ない。辛うじて息が出来るけれど苦しい。

「ねぇ、苦しい?」

 切れた唇の端を舐めてフロイドが恍惚とした瞳で聞いてくる。さっきまで怒りが滲んでいた瞳が瞬くまに艶やかに輝く。この瞳はヤバイ。碌なことが起きない。
 フロイドの手首を掴んでもがくがやはり体勢が悪いのか力が入らない。

「ウニちゃん」

 名前を読んだフロイドのオッドアイが目の前にある。
 喉の圧迫が消えたのに呼吸が苦しい。口の中に差しこまれた長い何かが口の中に血を塗りたくった。濃くなる血の味に吐き出したいけれど出来なかった。飲み込めと言わんばかりに自分の血ではない血が注ぎ込まれる。血が混ざり喉に伝い吐き気が込み上げる。

「んんーッ、んむーーーッッ!」

 気持ち悪さにフロイドの肩を押すけれどその腕を取られて地面に押し付けられる。その間も血と唾液がさらに混ざっていく。吐き出せない血に気持ち悪さが込み上げていくが。

  ――なん、なんなんだ?

 唇の端から唾液と共に零れる血の味に酔い始める。気持ち悪いのにその血の味に気分が高揚していく。舌と舌が擦れる度に血の味がさらに絡まっていく。僅かに喉に下がる血。吐き出したい。気持ち悪い。だのに――。

「オレの血おいしかった?」

 パッと離れたフロイドの恍惚に塗れた顔にジャックは腹が立って殴り飛ばしていた。
 「イッテェ~~~~!」と叫ぶフロイドを横目にして起き上がり唾を吐き出す。そして、ジャックは遠慮なくフロイドに拳を振り上げた。第三ラウンドに始まりだった。


   ◆ ◆ ◆


 ジャックは薬品のキツイ匂いに囲まれたベッドで目覚めた。起きてからというもの身体のあちこちが痛い。ピリピリと痛む傷はしっかりと治療されているようだが痛いものは痛い。

「いってぇ」
「ウニちゃんが悪いんだかんね」

 ベッドの傍に座って拗ねた声を出すフロイドに「おまえも、だろ、ぐっ」呻きながら上体を起こす。
 痛みに呻き声を上げているとドスッと何かが視界に入り込んできた。フロイドの状態が倒れたのだ。その衝撃に「うっ」と呻くとフロイドの顔がぐりんとこちらに向けられた。
 垂れた目を瞬かせるとふにゃと眉が下る。

「ごめん……」

 その情けない声に別の意味での呻き声をあげそうになる。惚れた弱みとはよく言ったものだ。フロイドのこういう状態にジャックはどんどん弱くなっていく。

「別にいいっすよ。俺も煽っちまったし」

 包帯をぐるぐる巻かれた腕を動かして形のいい頭に手のひらを乗せる。それにふにゃと笑うフロイドは可愛いが腹が立つので柔らかくて触り心地のいい髪の毛を乱してやる。

「ちょ、流石にそれはやめろし」

 むすっと唇を尖らせながらフロイドの同じくらい大きな手が重なった。その手に傷跡はない。綺麗に自分で治したのだろうか。

「あんだけ俺のこと殴ったのに綺麗っすね」
「簡単に治せるし……ねぇ、ウニちゃん」

 蜜ように甘く低い声に呼ばれてジャックは観念した。

「なんすか」
「はい。マジカルペン返す」

 プランとどこからともなく取り出した黄色の魔法石がついた万年筆。

「は、はぁ」

 キスでも強請られると思いきやマジカルペンを返すとは拍子抜け。気の抜けた返事が出た。だが、返されるならばありがたく受け取る。

「ありがとうございます」
「うん。これちゃんとウニちゃんのだから」

 偽物じゃないよ、と付け足すフロイドにわかった、とだけ返す。戻ったマジカルペンを手にしてジャックは「で、他に何だ」と返す。
 フロイドはジャックの手を握りながらじぃっと見つめて「チューしたい」と言った。それから「だめ?」甘えん坊の子どものような顔をさらしながら付け足す。言っている内容は子どもらしくないのだけれど随分と可愛らしいおねだりだ。
 ジャックは深く溜息をついて頷く。その瞬間、首に噛みつかれたときの出来た傷が痛んだ。

「いいっすよ、もう」
「っ! やった!」

 パッと絡んだ手を離して上体を起こす。嬉々として立ち上がったフロイドが長い腕を伸ばす。どこに向かうのだと身構えていると――。
 ギシッとベッドがもう一人の男の身体に耐えるように鳴る。

「壊れねぇよな」
「大丈夫じゃね?」

 組み敷くフロイドはクスクス楽しそうに笑う。その顔がどんどん近づいて来る。
 あと少しで唇が触れるというところでジャックは「あ」と声を上げてフロイドを押しやる。

「おい」

 低い声に「いや、ちょっと待ってください」と言って自分の唇に触れる。すると、やはりピリピリと痛い。この状況でキスしたら死ぬ。何がって唇が。

「あのキスやっぱり後でいいっすか? 唇切れて痛いんで」
「……ちょっと待って」

 むすっとした顔のフロイドがぐんと勢いをつけて上体を起こす。ギシギシと嫌な音がなる。壊れないか不安になっていると何か呪文が聞こえた。
 瞬く間に魔法の細やかな光りがジャックに降り注ぐ。何だと目を瞬かせる。だが、ジャックが状況を確認する前にギシッと大きな音がしてフロイドの顔が前に現れた。
 だから、待てと唇を開くと声もなく塞がれた。遠慮のなく押し付けられた唇に死ぬかと思ったが死ななかった。どうらや先ほどの魔法で治療されたらしい。簡単に難しい治療魔法を使うなんてすごい。
 ああ。それにしても血の味のしないキスの方が数千倍いい。あの血の味はもうご免こうむると口に差しこまれた舌に自分から絡み返した。



2021.02.04 一部文章修正
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