フロイド × ジャック
恋する3秒前なんてとっくに過ぎていた
極力できれば関わりになりたくない相手のひとりだった。関わったら最後、絶対に自分にとっていいことはない。しかし、関わり合いなくなくとも相手とは顔見知りだ。廊下ですれ違うこともあるし、合同授業で一緒になればジャックとてあいさつ程度はする。幸いなことに寮も、部活も、その人はジャックの直属の先輩ではない。自分から関わらないと決めたら本当に関わらず生活出来るはずだ。はずだったのに、何故かここその相手が積極的にジャックに絡んでくる。
「ウニちゃん。ソコ退いてくれる?」
図書室の奥まった場所。仕切りで区切られた机で自習をしていたジャックに背後からかけられた声。
間延びした無邪気を滲ませた声にジャックはうんざりしていた。僅かに身体をずらして半分だけ振り返れば高いところから見下ろす人がいた。
ジャックとたいして変わらない身長を持つ一学年上のフロイド・リーチ。極力関わり合いになりたくない相手。だのに最近やたら絡んで来る先輩だ。
理由がわからないが学年も違うのにやたらと遭遇するのだ。合同授業ならまだしも本当によく会う。その度に理不尽なお願いや、絡みをしてくる。
理由もわからず絡まれるのはそれなりにストレスだ。今回も適当に自分が移動すればいいとフロイドから視線を外して机に向き直る。机に広げた参考書、教科書にノートを閉じてマジカルペンを胸ポケットに差し込む。
椅子を引いて背後にじっと感じるフロイドを見る。
「どうぞ」
「……ウニちゃんどこに行くの?」
幼い子どもみたいに首を傾げるフロイド。垂れ目の愛嬌の影響だろうか少々可愛いなんて思ってしまった。心中で可愛いという感情を抱いた自分を殴りながら「寮に」と簡潔に答える。
「そこも使えるじゃん」
フロイドの白くて長い指が今までジャックが使っていた机の横を差す。
「なら、あんたがそこ使えよ」と喉までせり上がっていたが飲み込む。ここで言い返せばフロイドの無邪気な声が深海から響く低い声になる。機嫌が悪いときの彼を相手にするのはご免こうむる。それにここは基本的に静かに図書室だ。大騒ぎは出来るだけ避けたい。
言葉は飲み込んで代わりに溜息を尽きながら首を振る。
「参考にしたい本の写しは終わったんでもう平気っす」
「ふぅん。そっか」
フロイドは「じゃ、バイバイ」と手を振って言った。ジャックは頭を軽く下げて立ち去る。今日は何事もなくやり過ごせた。けれど、些か苛立ちが残った。
◆ ◆ ◆
また別の日。
「ウニちゃん。美味しそうなの食べているね」
かぶりつく前に機嫌のいい声をかけられる。けれど、変わって自分の機嫌が些か下がる気がした。
ジャックは開けていた口を閉じて目の前で微笑むフロイドを見る。
「美味しい、それ?」
「まだ食べてねぇよ」
「そうだった?」
見ていたら分かるだろう、と唇の端が引き攣るのを我慢する。
――怒るな。怒るな。フロイドに怒ったところで意味もない。
なぜ無駄に絡んで来る。行くなら少し離れた席にいる部活の後輩に絡め。態々寮の後輩でもない。部活の後輩でもないジャックに絡んで来る。
ジャックはフロイドを無視してバーガーを食べようかと思ったが――。視線を感じて大きく開いた口を閉じてフロイドに訊く。
「食べ辛いんすけど、なんすか?」
「ん? いや、美味しいのかなぁって」
「だから早く食べなよ」言われてジャックは見るなと何故か言えなくなった。何だか小さな子どものような可愛らしさに毒気が抜けたのだ。
ならと遠慮なくかぶりつく。そのまま粗食していればフロイドが「美味しい?」と訊ねて来る。ジャックは口の中身の中を飲み込んで「ああ、うまい」と返す。
「そっかぁ! なら、一口ちょーだい?」
「は、あ、おい!」
白くて大きな手に手首を掴まれてぐいっと前に引っ張られる。そして、ギザギザの歯がジャックの食べかけのバーガーに噛みついた。ジャックに負けず劣らずの大きな口が愉しげに粗食し始めたが――すぐに眉を寄せて眉間に深い皺を作った。
一体どうしたのか。手首を掴まれままフロイドの様子を見ていると粗食を終えたフロイドは「げぇ」と声を出した。
「これキノコ入ってんじゃん!」
「え、ああ。美味かったっす」
「ええ~! マジでぇ~」
信じられないという顔をするフロイドにジャックの耳がピンと立った。
「もしかして、あんた嫌いなのか?」
キノコ、と暗に言えばフロイドは激しく首を縦に振った。
「嫌い! まぁ、つっても正確に言えばシイタケが嫌いなんだけどぉ」
最近キノコ見たくない、と言うフロイドの片割れを思い出す。
「……でも、ジェイド先輩の部活動って」
「ほんと最悪! 部屋に持ちかえれば土くせぇし! まかないもキノコばっか!」
珍しく怒涛の不満を零すフロイド。まっとうな憤慨を零すフロイドにジャックは何だか面白いものを見た気がしてきた。
「へぇ。あんたもまともに怒ることあんだな」
「はぁ~! 何その言い方! いつもオレが理不尽な怒り方してるみてぇじゃん」
「実際そうだろう。ほら、離せよ」
ぐいっと腕を引っ張るとあっさりと大きな手が離れた。大分減ったバーガーを食べているとフロイドはジャックの前に居続けた。口の中が気になるのか飴玉を放り投げてコロコロ転がしている。このままこれで終わればいいなと思ったが終わらないのがフロイドだ。
「あ、それちょうだい」
長い腕がジャックの傍にある何かに向けられた。その先を見てジャックは声をあげたかった。けれど、口の中には齧り取ったバーガーがまだある。
何も言えずにジャックの好物である洋ナシのコンポートがフロイドの方に引っ張られる。バーガーは百歩譲って許す。けれど、好物だけは勘弁してほしい。
ジャックはフロイドが嬉々としてフォークを洋ナシに突き刺すのを見て必死に粗食する。何とか飲み込んで「待て!」と叫ぼうとしたが――。
「ん? なに?」
最後の一切れまでフロイドの口に、喉を通して彼の胃袋に入ってしまった。
思わず情けない声が出た。それにフロイドの垂れ目がパッと開いて慌て出す。
「あ、もしかして、ウニちゃんの好物?」
「そぉっすよ」
恨みがましくねっとりとした声を出す。同僚の先輩にも、同級生にも見せられない姿だ。けれど、それくらい今落ち込む出来事だった。
「ずっと楽しみにしてたのに……」
ポツリと囁けばフロイドから「ごめんね」という声が聞こえた。空になっている皿から視線を上げると珍しく申し訳なさそうな顔のフロイドがいる。その顔に不思議と怒りが凪いでいく。なぜだろうか。まるで弟妹のような雰囲気をこの年上の人魚が出しているからだろうか。
「はぁ。もういいっすよ。でも、今度からせめて俺の答え待ってください」
「うん。本当にごめんね」
「これあげる」言いながら渡してきたのは林檎味の飴玉だった。それに笑って「あざっす」と言って包みから飴玉を取り出して口に放り込んだ。
口の中に広がる林檎の味が少しだけ洋ナシを求めていた口を慰めた。
◆ ◆ ◆
「ウニちゃん」
魔法薬学の終わり廊下に出ると声をかけられた。そこにはポケットに両手を突っ込んだフロイドがいた。最近とんと絡みに来なくなったフロイド。
あれだけ鬱陶しいと思っていたフロイドを久々に見て安心する自分がいた。同時に何故か尻尾が揺れるのを必死に止めた。
フロイドはそのジャックの尻尾との攻防も知らずに長い足で近づいてくる。
「ウニちゃん。今日放課後暇だよね?」
何故最初から暇と決めつける。けれど、暇というか予定がないのは本当であった。予定がなければトレーニングでもしようと思っていたのが――。
じっと見つめるフロイドの瞳が何故か真剣というか緊張している。なぜそんな瞳をするのだろうか。わからないけれどジャックは断ってはいけないような気がした。
「予定は空いてるっすけど……あ、バイトのヘルプか?」
モストロラウンジが忙しいのか、と訊ねると首を横に振った。
「ううん、違う。ちょっと、オレに付き合ってほしいんだ。いい?」
いつもならば有無を言わせないフロイドがジャックにお伺いを立てている。それだけ結構な衝撃であった。
じぃっと子どものように答えを待つフロイドにジャックは自然と肯定していた。
「大丈夫っす。えっと、ホームルーム終わったらすぐか?」
「すぐじゃなくて平気。そうだな。オープンしてからでいいよ。ゆっくり来て」
目の前の男は本当にジャックの知るフロイドなのだろうか。熱でもあるのかと失礼なことを考えるが口にしない。
「じゃ、図書室寄ってから行きます」
「分かった。じゃ、待ってるから」
唇を閉じて微笑む姿に尻尾が僅かに動きそうになる。何故、今日に限って自分の尻尾は元気なのだろうか。
よくわからない感情に振り回されながらジャックは教室へと戻った。
図書室寄って一時間。時計を見ればモストロラウンジもオープンして賑わい始めた時間だろう。ふと、もう少し後か先に行けばよかったのかもしれない。けれど、調べものも区切りが着いてしまった。もう図書室に用はない。
「……行くか」
教科書を鞄に入れて図書室を後にする。それからオクタヴィネル寮に繋がる鏡を通り、モストロラウンジに行けば今日も盛況だった。
やはりタイミングを間違えた。もう少ししたら来ようと踵を返そうとしたときだった。
「あ! ウニちゃん!」
喧騒の中から響く間延びした声にジャックの足が止まる。近づいてくる気配の方を見れば寮服を着たフロイドがこちらにやって来た。
「待ってたよぉ~」
楽しそうに微笑むフロイドに「あざっす」と答える。そして、彼の身体越しにモストロラウンジを見る。
「なんか忙しいみたいっすけど、またあとで」
「え。別にいいって、いつもこんな感じだからへーき、へーき」
「それより」と言ってフロイドに手首を掴まれ引っ張られる。
「あ、おい!」
「いーから、いーから。あ、そこのお前」
ジャックを引っ張りながらフロイドは給仕をしている寮生を止める。寮生は一瞬身体を跳ねさせながら「は、はぃ」と弱々しい返事をする。
「ちょっとオレ手が離せなくなるから何かあったらジェイドとかに言って」
「じゃ」と言うと寮生は目を瞬かせながら「は、はい!」と元気な返事をした。拍子抜けした顔を見るからにもしかしたらジャックと同じ一年生なのかもしれない。それならばフロイドを怖がってもおかしくない。
――けどそこまで怖がるもんか?
確かに機嫌の起伏とか突拍子の無いところは対応が大変だろう。けれど、何も怖がることないのにとそこに苛立ちに似た腹立たしさを覚えていると。
「ウニちゃん、どうしたの?」
「うわっ」
にょっと顔を覗き込まれた。間近に迫った顔に思わずのけ反る。
「お、驚かすなよ」
「え。オレのせい? ウニちゃんが勝手に驚いてんじゃん」
「オレ悪くねぇよ」言ってのけるフロイドにジャックは確かにとも思う。けれど、いきなり顔を覗かれるのは心臓に悪い。今もちょっとドキドキしている。
「なんか怖ぇ顔しているけど何? どうした?」
「いや、別に何でもないっす」
「ほんとに?」
じーとこちらを探る瞳を見つめ返して頷く。
「っす。何でもないっす」
「そう。じゃ、こっち来て」
離れたフロイドに手を引かれながら胸をなでおろす。だのに、まだ僅かに心臓が鼓動を打つのは何故だろうか。
わからぬままジャックはフロイドにモストロラウンジの奥へと連れて行かれた。
通されたのはVIPルームであった。入るや否やフロイドが「ここで座って待ってて!」と言って出ていってしまった。
とりあえず中々苦い思い出があるソファに座って待つ。
――結構時間経ったな。
スマホを見ればフロイドが出ていって三十分は経っていた。すぐに戻って来ると思ったが戻って来ない。どうしたのかと落ち着かない。
もしかして忘れられたのか。あのフロイドなら十二分にあり得る。
――聞きに行った方がいいか?
ジャックはフロイドについて聞きに行こう。座り心地のいいソファから僅かに腰をあげかけると――。
「ウニちゃん! お待たせぇ~!」
バンと扉が開いて驚いて尻尾が逆立つ。急に入ってきたフロイドは片手に皿を持って入って来た。
「ホールに出たら掴まちゃってさぁ。も~サイアク」
ブツブツ文句を言いながら若干息を乱すフロイド。そこまで急いでいたのかとなんか背中がむず痒くなる。
「あれ? ウニちゃんどうしたの? あ、トイレ?」
「違います。あんたが戻って来ないから……」
「もしかして忘れたと思った? ヒドッ! 流石にオレだってそんなことしねぇーし」
唇をヘの字に曲げるフロイドに申し訳なくなった。「すんません」言って再びソファに腰をかける。
「まぁ。でも呼んでおいて待たせたのはごめん」
ジャックは目を剥いた。あのフロイドが素直に謝った。謝らない人ではないだろう。けれど、普段の理不尽さが目立ってやはり素直に謝られると新鮮だ。
「あとね。この間、洋ナシのコンポートもごめんね。カニちゃんから聞いたよ。ウニちゃん、洋ナシのコンポート大好きなんだってね」
「だから、これお詫び」手に持っていた皿がジャックの前に置かれた。そこには洋ナシのコンポートだった。けれど、そのコンポートは食堂で出るものとは違った。
食堂で時折出される洋ナシのコンポートは切りそろえられ、その上に生クリームが乗せられている。ジャックはクリームなしの方が好きだがクリームがあっても嫌いではない。
その点、フロイドが差し出した洋ナシのコンポートは半分に切りミントがちょこんと載せているシンプルな形だった。だが、この目の前にあるコンポートが故郷でよく食べていたものに近い形をしている。
「あの、これ」
コンポートから視線を上げればフロイドは笑って「オレが作ったの」と言った。
「え! マジっすか」
「そー。オレ賄いとかもよく作るんだよ。あ、でも、これは別にちゃんと作ったやつね」
賄いの延長ではない。態々作ってくれたろいうことだろうか。
「この間食べちゃったお詫び。モストロラウンジのメニューにもない。ウニちゃんのための洋ナシのコンポート」
「味わって食べてね」と言われてジャックの中で何かが開く。今まで気のせいだと誤魔化し隠していた扉だ。開いては絶対にいけない扉をジャックは開け放ってしまった。
ぶわわと熱が込み上げるのを隠したくてジャックは渡されたフォークを手に取る。
「じ、じゃ、いただきます」
一口サイズにフォークで切る。視線が痛いが今日は気にしてはいけない。フォークで差したコンポートを口に含むと――。
「あ、美味い」
故郷の母の味とはまた違う。故郷のケーキ屋で食べたのものとも違う。不思議と口に馴染む優しいけど甘い味。
ジャックは視線を上げてフロイドを見る。「先輩、美味いっす」と素直に感想を告げる。
途端に強張っていたフロイドの表情がふにゃりと崩れる。バチンとジャックの中ではじけるものがあった。心臓が痛い。痛いのにしびれるような甘さがある。その甘さはけして口に残る甘いコンポートの味ではない。
「そっか。よかった。じゃ、全部食べていいよ。あ、おかわりもあるよ~」
「ありがとうございます……」
もう早く食べて帰ろう。このままここに居ては頭が可笑しくなってしまう。
フロイドのご機嫌な視線を受け、徐々に味のわからなくなるコンポートを食べきった。
「ごちそうさまでした」
「へへ。美味しかった?」
「うまかったす」
何度も口にしたことをもう一度言えばふにゃりと子どもらしく相好を崩す。ギュンといらない音に首を振りながら「じゃ、俺は」と立ち上がり扉に向かう。
「あ、待って」
立ち上がって傍に来るフロイド。自分とほぼ変わらない目線にドキとしつつ「他に何か」と聞き返す。
「うん。ウニちゃんって洋ナシのコンポート好きなんだよね」
「っす。好物です」
「だよね。ならさ」
フロイドは顔を近づけて内緒話のように囁く。
「また作ってあげる」
「ウニちゃんだけ特別に」と付け足された言葉に「なんで」と聞き返すまえに塞がれた。
チュッと音を立てて離れたフロイドの瞳が笑うのを呆然と見つめる。
「ウニちゃんだけの特別、だからね」
内緒だよ、という言葉を最後にジャックは部屋を飛び出した。
それからフロイドはさらにしつこく絡み、それから逃げながら絡み取られるジャックが見られるようになったらしい。
極力できれば関わりになりたくない相手のひとりだった。関わったら最後、絶対に自分にとっていいことはない。しかし、関わり合いなくなくとも相手とは顔見知りだ。廊下ですれ違うこともあるし、合同授業で一緒になればジャックとてあいさつ程度はする。幸いなことに寮も、部活も、その人はジャックの直属の先輩ではない。自分から関わらないと決めたら本当に関わらず生活出来るはずだ。はずだったのに、何故かここその相手が積極的にジャックに絡んでくる。
「ウニちゃん。ソコ退いてくれる?」
図書室の奥まった場所。仕切りで区切られた机で自習をしていたジャックに背後からかけられた声。
間延びした無邪気を滲ませた声にジャックはうんざりしていた。僅かに身体をずらして半分だけ振り返れば高いところから見下ろす人がいた。
ジャックとたいして変わらない身長を持つ一学年上のフロイド・リーチ。極力関わり合いになりたくない相手。だのに最近やたら絡んで来る先輩だ。
理由がわからないが学年も違うのにやたらと遭遇するのだ。合同授業ならまだしも本当によく会う。その度に理不尽なお願いや、絡みをしてくる。
理由もわからず絡まれるのはそれなりにストレスだ。今回も適当に自分が移動すればいいとフロイドから視線を外して机に向き直る。机に広げた参考書、教科書にノートを閉じてマジカルペンを胸ポケットに差し込む。
椅子を引いて背後にじっと感じるフロイドを見る。
「どうぞ」
「……ウニちゃんどこに行くの?」
幼い子どもみたいに首を傾げるフロイド。垂れ目の愛嬌の影響だろうか少々可愛いなんて思ってしまった。心中で可愛いという感情を抱いた自分を殴りながら「寮に」と簡潔に答える。
「そこも使えるじゃん」
フロイドの白くて長い指が今までジャックが使っていた机の横を差す。
「なら、あんたがそこ使えよ」と喉までせり上がっていたが飲み込む。ここで言い返せばフロイドの無邪気な声が深海から響く低い声になる。機嫌が悪いときの彼を相手にするのはご免こうむる。それにここは基本的に静かに図書室だ。大騒ぎは出来るだけ避けたい。
言葉は飲み込んで代わりに溜息を尽きながら首を振る。
「参考にしたい本の写しは終わったんでもう平気っす」
「ふぅん。そっか」
フロイドは「じゃ、バイバイ」と手を振って言った。ジャックは頭を軽く下げて立ち去る。今日は何事もなくやり過ごせた。けれど、些か苛立ちが残った。
◆ ◆ ◆
また別の日。
「ウニちゃん。美味しそうなの食べているね」
かぶりつく前に機嫌のいい声をかけられる。けれど、変わって自分の機嫌が些か下がる気がした。
ジャックは開けていた口を閉じて目の前で微笑むフロイドを見る。
「美味しい、それ?」
「まだ食べてねぇよ」
「そうだった?」
見ていたら分かるだろう、と唇の端が引き攣るのを我慢する。
――怒るな。怒るな。フロイドに怒ったところで意味もない。
なぜ無駄に絡んで来る。行くなら少し離れた席にいる部活の後輩に絡め。態々寮の後輩でもない。部活の後輩でもないジャックに絡んで来る。
ジャックはフロイドを無視してバーガーを食べようかと思ったが――。視線を感じて大きく開いた口を閉じてフロイドに訊く。
「食べ辛いんすけど、なんすか?」
「ん? いや、美味しいのかなぁって」
「だから早く食べなよ」言われてジャックは見るなと何故か言えなくなった。何だか小さな子どものような可愛らしさに毒気が抜けたのだ。
ならと遠慮なくかぶりつく。そのまま粗食していればフロイドが「美味しい?」と訊ねて来る。ジャックは口の中身の中を飲み込んで「ああ、うまい」と返す。
「そっかぁ! なら、一口ちょーだい?」
「は、あ、おい!」
白くて大きな手に手首を掴まれてぐいっと前に引っ張られる。そして、ギザギザの歯がジャックの食べかけのバーガーに噛みついた。ジャックに負けず劣らずの大きな口が愉しげに粗食し始めたが――すぐに眉を寄せて眉間に深い皺を作った。
一体どうしたのか。手首を掴まれままフロイドの様子を見ていると粗食を終えたフロイドは「げぇ」と声を出した。
「これキノコ入ってんじゃん!」
「え、ああ。美味かったっす」
「ええ~! マジでぇ~」
信じられないという顔をするフロイドにジャックの耳がピンと立った。
「もしかして、あんた嫌いなのか?」
キノコ、と暗に言えばフロイドは激しく首を縦に振った。
「嫌い! まぁ、つっても正確に言えばシイタケが嫌いなんだけどぉ」
最近キノコ見たくない、と言うフロイドの片割れを思い出す。
「……でも、ジェイド先輩の部活動って」
「ほんと最悪! 部屋に持ちかえれば土くせぇし! まかないもキノコばっか!」
珍しく怒涛の不満を零すフロイド。まっとうな憤慨を零すフロイドにジャックは何だか面白いものを見た気がしてきた。
「へぇ。あんたもまともに怒ることあんだな」
「はぁ~! 何その言い方! いつもオレが理不尽な怒り方してるみてぇじゃん」
「実際そうだろう。ほら、離せよ」
ぐいっと腕を引っ張るとあっさりと大きな手が離れた。大分減ったバーガーを食べているとフロイドはジャックの前に居続けた。口の中が気になるのか飴玉を放り投げてコロコロ転がしている。このままこれで終わればいいなと思ったが終わらないのがフロイドだ。
「あ、それちょうだい」
長い腕がジャックの傍にある何かに向けられた。その先を見てジャックは声をあげたかった。けれど、口の中には齧り取ったバーガーがまだある。
何も言えずにジャックの好物である洋ナシのコンポートがフロイドの方に引っ張られる。バーガーは百歩譲って許す。けれど、好物だけは勘弁してほしい。
ジャックはフロイドが嬉々としてフォークを洋ナシに突き刺すのを見て必死に粗食する。何とか飲み込んで「待て!」と叫ぼうとしたが――。
「ん? なに?」
最後の一切れまでフロイドの口に、喉を通して彼の胃袋に入ってしまった。
思わず情けない声が出た。それにフロイドの垂れ目がパッと開いて慌て出す。
「あ、もしかして、ウニちゃんの好物?」
「そぉっすよ」
恨みがましくねっとりとした声を出す。同僚の先輩にも、同級生にも見せられない姿だ。けれど、それくらい今落ち込む出来事だった。
「ずっと楽しみにしてたのに……」
ポツリと囁けばフロイドから「ごめんね」という声が聞こえた。空になっている皿から視線を上げると珍しく申し訳なさそうな顔のフロイドがいる。その顔に不思議と怒りが凪いでいく。なぜだろうか。まるで弟妹のような雰囲気をこの年上の人魚が出しているからだろうか。
「はぁ。もういいっすよ。でも、今度からせめて俺の答え待ってください」
「うん。本当にごめんね」
「これあげる」言いながら渡してきたのは林檎味の飴玉だった。それに笑って「あざっす」と言って包みから飴玉を取り出して口に放り込んだ。
口の中に広がる林檎の味が少しだけ洋ナシを求めていた口を慰めた。
◆ ◆ ◆
「ウニちゃん」
魔法薬学の終わり廊下に出ると声をかけられた。そこにはポケットに両手を突っ込んだフロイドがいた。最近とんと絡みに来なくなったフロイド。
あれだけ鬱陶しいと思っていたフロイドを久々に見て安心する自分がいた。同時に何故か尻尾が揺れるのを必死に止めた。
フロイドはそのジャックの尻尾との攻防も知らずに長い足で近づいてくる。
「ウニちゃん。今日放課後暇だよね?」
何故最初から暇と決めつける。けれど、暇というか予定がないのは本当であった。予定がなければトレーニングでもしようと思っていたのが――。
じっと見つめるフロイドの瞳が何故か真剣というか緊張している。なぜそんな瞳をするのだろうか。わからないけれどジャックは断ってはいけないような気がした。
「予定は空いてるっすけど……あ、バイトのヘルプか?」
モストロラウンジが忙しいのか、と訊ねると首を横に振った。
「ううん、違う。ちょっと、オレに付き合ってほしいんだ。いい?」
いつもならば有無を言わせないフロイドがジャックにお伺いを立てている。それだけ結構な衝撃であった。
じぃっと子どものように答えを待つフロイドにジャックは自然と肯定していた。
「大丈夫っす。えっと、ホームルーム終わったらすぐか?」
「すぐじゃなくて平気。そうだな。オープンしてからでいいよ。ゆっくり来て」
目の前の男は本当にジャックの知るフロイドなのだろうか。熱でもあるのかと失礼なことを考えるが口にしない。
「じゃ、図書室寄ってから行きます」
「分かった。じゃ、待ってるから」
唇を閉じて微笑む姿に尻尾が僅かに動きそうになる。何故、今日に限って自分の尻尾は元気なのだろうか。
よくわからない感情に振り回されながらジャックは教室へと戻った。
図書室寄って一時間。時計を見ればモストロラウンジもオープンして賑わい始めた時間だろう。ふと、もう少し後か先に行けばよかったのかもしれない。けれど、調べものも区切りが着いてしまった。もう図書室に用はない。
「……行くか」
教科書を鞄に入れて図書室を後にする。それからオクタヴィネル寮に繋がる鏡を通り、モストロラウンジに行けば今日も盛況だった。
やはりタイミングを間違えた。もう少ししたら来ようと踵を返そうとしたときだった。
「あ! ウニちゃん!」
喧騒の中から響く間延びした声にジャックの足が止まる。近づいてくる気配の方を見れば寮服を着たフロイドがこちらにやって来た。
「待ってたよぉ~」
楽しそうに微笑むフロイドに「あざっす」と答える。そして、彼の身体越しにモストロラウンジを見る。
「なんか忙しいみたいっすけど、またあとで」
「え。別にいいって、いつもこんな感じだからへーき、へーき」
「それより」と言ってフロイドに手首を掴まれ引っ張られる。
「あ、おい!」
「いーから、いーから。あ、そこのお前」
ジャックを引っ張りながらフロイドは給仕をしている寮生を止める。寮生は一瞬身体を跳ねさせながら「は、はぃ」と弱々しい返事をする。
「ちょっとオレ手が離せなくなるから何かあったらジェイドとかに言って」
「じゃ」と言うと寮生は目を瞬かせながら「は、はい!」と元気な返事をした。拍子抜けした顔を見るからにもしかしたらジャックと同じ一年生なのかもしれない。それならばフロイドを怖がってもおかしくない。
――けどそこまで怖がるもんか?
確かに機嫌の起伏とか突拍子の無いところは対応が大変だろう。けれど、何も怖がることないのにとそこに苛立ちに似た腹立たしさを覚えていると。
「ウニちゃん、どうしたの?」
「うわっ」
にょっと顔を覗き込まれた。間近に迫った顔に思わずのけ反る。
「お、驚かすなよ」
「え。オレのせい? ウニちゃんが勝手に驚いてんじゃん」
「オレ悪くねぇよ」言ってのけるフロイドにジャックは確かにとも思う。けれど、いきなり顔を覗かれるのは心臓に悪い。今もちょっとドキドキしている。
「なんか怖ぇ顔しているけど何? どうした?」
「いや、別に何でもないっす」
「ほんとに?」
じーとこちらを探る瞳を見つめ返して頷く。
「っす。何でもないっす」
「そう。じゃ、こっち来て」
離れたフロイドに手を引かれながら胸をなでおろす。だのに、まだ僅かに心臓が鼓動を打つのは何故だろうか。
わからぬままジャックはフロイドにモストロラウンジの奥へと連れて行かれた。
通されたのはVIPルームであった。入るや否やフロイドが「ここで座って待ってて!」と言って出ていってしまった。
とりあえず中々苦い思い出があるソファに座って待つ。
――結構時間経ったな。
スマホを見ればフロイドが出ていって三十分は経っていた。すぐに戻って来ると思ったが戻って来ない。どうしたのかと落ち着かない。
もしかして忘れられたのか。あのフロイドなら十二分にあり得る。
――聞きに行った方がいいか?
ジャックはフロイドについて聞きに行こう。座り心地のいいソファから僅かに腰をあげかけると――。
「ウニちゃん! お待たせぇ~!」
バンと扉が開いて驚いて尻尾が逆立つ。急に入ってきたフロイドは片手に皿を持って入って来た。
「ホールに出たら掴まちゃってさぁ。も~サイアク」
ブツブツ文句を言いながら若干息を乱すフロイド。そこまで急いでいたのかとなんか背中がむず痒くなる。
「あれ? ウニちゃんどうしたの? あ、トイレ?」
「違います。あんたが戻って来ないから……」
「もしかして忘れたと思った? ヒドッ! 流石にオレだってそんなことしねぇーし」
唇をヘの字に曲げるフロイドに申し訳なくなった。「すんません」言って再びソファに腰をかける。
「まぁ。でも呼んでおいて待たせたのはごめん」
ジャックは目を剥いた。あのフロイドが素直に謝った。謝らない人ではないだろう。けれど、普段の理不尽さが目立ってやはり素直に謝られると新鮮だ。
「あとね。この間、洋ナシのコンポートもごめんね。カニちゃんから聞いたよ。ウニちゃん、洋ナシのコンポート大好きなんだってね」
「だから、これお詫び」手に持っていた皿がジャックの前に置かれた。そこには洋ナシのコンポートだった。けれど、そのコンポートは食堂で出るものとは違った。
食堂で時折出される洋ナシのコンポートは切りそろえられ、その上に生クリームが乗せられている。ジャックはクリームなしの方が好きだがクリームがあっても嫌いではない。
その点、フロイドが差し出した洋ナシのコンポートは半分に切りミントがちょこんと載せているシンプルな形だった。だが、この目の前にあるコンポートが故郷でよく食べていたものに近い形をしている。
「あの、これ」
コンポートから視線を上げればフロイドは笑って「オレが作ったの」と言った。
「え! マジっすか」
「そー。オレ賄いとかもよく作るんだよ。あ、でも、これは別にちゃんと作ったやつね」
賄いの延長ではない。態々作ってくれたろいうことだろうか。
「この間食べちゃったお詫び。モストロラウンジのメニューにもない。ウニちゃんのための洋ナシのコンポート」
「味わって食べてね」と言われてジャックの中で何かが開く。今まで気のせいだと誤魔化し隠していた扉だ。開いては絶対にいけない扉をジャックは開け放ってしまった。
ぶわわと熱が込み上げるのを隠したくてジャックは渡されたフォークを手に取る。
「じ、じゃ、いただきます」
一口サイズにフォークで切る。視線が痛いが今日は気にしてはいけない。フォークで差したコンポートを口に含むと――。
「あ、美味い」
故郷の母の味とはまた違う。故郷のケーキ屋で食べたのものとも違う。不思議と口に馴染む優しいけど甘い味。
ジャックは視線を上げてフロイドを見る。「先輩、美味いっす」と素直に感想を告げる。
途端に強張っていたフロイドの表情がふにゃりと崩れる。バチンとジャックの中ではじけるものがあった。心臓が痛い。痛いのにしびれるような甘さがある。その甘さはけして口に残る甘いコンポートの味ではない。
「そっか。よかった。じゃ、全部食べていいよ。あ、おかわりもあるよ~」
「ありがとうございます……」
もう早く食べて帰ろう。このままここに居ては頭が可笑しくなってしまう。
フロイドのご機嫌な視線を受け、徐々に味のわからなくなるコンポートを食べきった。
「ごちそうさまでした」
「へへ。美味しかった?」
「うまかったす」
何度も口にしたことをもう一度言えばふにゃりと子どもらしく相好を崩す。ギュンといらない音に首を振りながら「じゃ、俺は」と立ち上がり扉に向かう。
「あ、待って」
立ち上がって傍に来るフロイド。自分とほぼ変わらない目線にドキとしつつ「他に何か」と聞き返す。
「うん。ウニちゃんって洋ナシのコンポート好きなんだよね」
「っす。好物です」
「だよね。ならさ」
フロイドは顔を近づけて内緒話のように囁く。
「また作ってあげる」
「ウニちゃんだけ特別に」と付け足された言葉に「なんで」と聞き返すまえに塞がれた。
チュッと音を立てて離れたフロイドの瞳が笑うのを呆然と見つめる。
「ウニちゃんだけの特別、だからね」
内緒だよ、という言葉を最後にジャックは部屋を飛び出した。
それからフロイドはさらにしつこく絡み、それから逃げながら絡み取られるジャックが見られるようになったらしい。