フロイド × ジャック

サインの見逃し要注意



「あ、あのっ、フロイド、先輩……」


 名前の後に疎まし気に着けられた敬称。別に普段から呼び捨てやフルネームはざらだから気にしたこともない。とくに今フロイドのことを呼んだ声は頻繁に「先輩」という敬称を外して呼び捨てにしてくる。そもそも声の主は確固たる自分の基準により先輩であろうが何であろうが気に食わなければ噛みついて来る狼だ。でも、ごくごくたまに生意気だと思うので絞めているが性懲りもなく生意気な態度をとる。

 それにしてもいつもの呼び方と何だか違う。特にちょんちょんと引っ張られるブレザーが気になる。なんだろうと「なぁに」と振り返って声を失くす。
 普段から姿勢よく立っている耳がへにゃとへたっている。ついでにほぼ同じ身長でも猫背気味なフロイドの視線はいつも僅かに下気味だ。だのに今日は一緒に近いのは彼もまたそうであろうからだ。

  ――な、なんだよ。

 フロイドは内心動揺した。今まで見たことがないジャックが目の前にいるからだ。
 だって、彼はいつも勝気に生意気で十六歳にしては凛々しく精悍な顔立ちをしているの。だのに、今目の前にいる彼は覇気がない。美しく輝くイエローゴールドの瞳もなんだか弱々し、いつも跳ね上がっている眉尻も今日は下がっている。

 ほんとになに。フロイドは声を失ったまま一人心の中で混乱し続けた。思わずここにいないジェイドとアズールにすがるほどだった。
 ぐるぐると思考が渦潮のように回っていくフロイド。その間もジャックが窺うようにチラチラこちらを見て来る。普段なんでも物事をはっきりという口はどうした。どうしてこんな状況では動かないんだよ。なんて悪態をもちろん心の中でつきながら口を開いて閉じていく。

  ――どーすればいいの?

 珍しく直感的にも動かない身体。そして、珍しく動かない口。フロイドはこの何とも言い難い空気に耐えられなくなっていくと――。

「なん、でもないっす」
「え」

 ようやく発した声はお互いに掠れていた。フロイドは喉に手を当ててどれほど喉が渇いていたのかと思うけれどそうじゃない。
 ブレザーが引っ張られる感覚がなくなったのをいいことに身体ごと振り返るが。代わりにジャックはお辞儀をして背を向けた。待って、と引き留めようとするも素晴らしい健脚でザッと走り去ってしまった。

「え。これ、これってオレが悪ぃの?」

 違うよね、と誰に向かって同意を求めているのか自分でもわからないフロイドであった。さらに、この困惑の出来事からしばらくジャックは何とフロイドの目の前に現れることがなくなったのだ。



   ◆ ◆ ◆



 フロイドの困惑は徐々に苛立ちへと変じた。何せ自分がやらかしたことで恋人に会えないのではないのだ。あちらが起こした謎の行動でこのような状況になったのだ。今回ばかりは本当にフロイドは何も悪くない。悪くないはずなのに。

「ジャックさんに何かしでかしたんですか?」
「そうとう怒らせたようですね」
「ちげぇし!」

 ペンを動かし、タブレットを動かしながら仕事をするアズール。フロイドの真向いのソファで紅茶の準備をするジェイドが揃ってフロイドのことを悪者扱いする。だが、今回は断じてフロイドの所為ではない。

「冤罪だし。今回はウニちゃんの方が悪ぃから」
「おや。ジャックくんですか?」

 興味深そうに手を止めるジェイドにフロイドはコクコクと首を縦に動かす。

「そ! なんか、なんか、さぁ……」

 弁明しようと口を開いてあの日の出来事を話そうとすると唇がムズムズする。
 あの状況を説明してもいいものなのか。何だか。二人にだって絶対に見せない姿だ。さらに言えばプライドの高いジャックのことだから友人にも見せたことがない姿ではないか。つまり、あのときのジャックは年相応に弱っているというか――そう弱っていた。

「あ」

 ピンピンとフロイドの頭の中で正解がはじき出された。そして、そのはじき出された正解のことを考えると早急に行動に出なければいけない。何せこれは番の一大事なのだから。

 寝そべっていたソファから起きあがり「ちょっと出かけて来る」と言って部屋を飛び出す。後ろから「門限には注意するんですよ」というジェイドの声が聞こえた気がした。

 一瞬「え、門限あったの?」とか思わなくもないが意味のないことなので記憶から消す。それよりも何よりもフロイドが今気にすべきことはジャックのことだけだった。




 今日は陸上部の活動があるはずとグラウンドに行ってみるが。

「あれ? いねぇ」

 覗き込んだグラウンドにジャックはいなかった。上級生にも負けない体躯を持っているジャックが遠目からでもわからないわけがない。三馬鹿三人組と認定されているデュースはいるのにジャックはいない。

 これはいよいよ危険だ。フロイドの背中に知らず知らずに冷や汗が流れる。
 フロイドはすぐさまグラウンドを飛び出して次の目的地に向かう。
 次に向かったのは図書館の一室でもやっぱり彼はいない。次は購買、その次は、さらに次は、とまずは学園内で彼の匂いが残っている場所を探すがいない。となると、彼がこの学園でもっとも安心する場所を考えて苦々しい気持ちが込み上げる。

「あ~。あそこ乾燥してっから行きたくねぇ~」

 でも、高確率で彼が安心する場所の棲み処としているのは所属寮のサバナクローだ。人魚のフロイドからしたら少々近寄りたくない場所だ。でも、これも番のためと鏡舎に向かって獅子の納める領地へと足を踏み入れたが――。

「ジャックくん? 帰ってないけど?」
「は?」

 下っ端じゃ話にならないとラギーを呼んでもらったがこれだ。もしかして匿っているのかとじっとフロイドと同じ垂れ目を見つめるが閉じられてしまった。

「フロイドくん相手に匿うわけないじゃん。めんどい」
「……じゃ、ウニちゃん、本当にいねぇの」
「いないよ。つか、最近、帰り遅いよ」
「部活抜きにってこと?」
「そうッス」

 理由は知らないけれど、と言いながらもこちらを窺うように見るラギー。どうやらラギーもジャックの異変をフロイドと思っているのだろう。間違っていないが滲む敵意が不愉快であった。

「なに。別にひでぇことしてねぇから」
「別にそんなこと言ってねぇけど」

 頭の後ろに両手を組みながらそっぽ向くラギーにフロイドの用事はなかった。

「ウニちゃんいないならどーでもいいや」

 おじゃましましたぁ、と言いながら床に倒れているサバナクロー生を飛び越えて行った。




 安心な棲み処であるはずの寮にいないとなるとジャックはどこにいるのか。
 サバナクロー寮の鏡の前に立って腕を組みながら首を傾げている。次はどこに向かうか。一端、オクタヴィネル寮に戻るかと思案しているとシャランと煌びやかな音がした。そして、その音にフロイドはすぐにブレザーのポケットからスマホを取り出し出る。

「ウニちゃん!」
『うっわっ』

 驚く声だけがしたが聞き間違いではないジャックだ。はた、とフロイドは気づいた。連絡、電話、メッセ、文明の利器であるスマホのことをすっかり忘れていた。これで連絡ひとつ取ればジャックの居場所など一発で辿り着けた。

 ダサ、学園中駆け周った自分がダサい、ジャックの寮まで行った自分ダサい。あまりにダサすぎて顔が熱くなる。フロイド一生の恥だ。

『あの、フロイド、先輩』
「っ!」

 また引っかかる呼び方をした。これにすぐに「なぁにウニちゃん」と返すとスマホ越しに息を飲むような音が聞こえた。もどかしい、これはなんてもどかしい。

 フロイドは「どこにいんの?」と訊ねる。それにジャックは『えっと』と口篭もると小さくでも聞き覚えのある声がした。その声は『お電話中失礼します』という低い声だった。ついでにジャックが『ジェイド先輩』と言うのでこれで彼の居場所が判明した。でも、その居場所に腹が立ってスマホを握る力が強くなった。

「ウニちゃん、ぜってぇ~にそこから動くなよ」

 戸惑うジャックの声を無視して電話を切る。そして、すぐ傍にあるオクタヴィネル寮の鏡を潜った。



   ◆ ◆ ◆



 ズンズンと自室へと向かうと途中でジェイドと遭遇した。ジェイドは涼しい顔で「おかえりなさい」と言うので「ただいまッッ」とだけ返した。でも、後で文句は言う。絶対に言うとひと睨みしてからズンズンと大股で廊下を歩き続けた。

 でも、その怒りも自室を前にして自然と引いた。部屋の中から落ち着かない気配で待っているジャックの姿を想像して思わず面白くなってしまった。
 さて、実際のジャックはどうなっているのか。扉に手をかけていざ部屋の中へ。




「ウーニちゃん! お待たせぇ~」

 部屋に入ると落ち着かなそうに椅子に座っているジャックがいた。ジャックはふわふわと尻尾を揺らしながら「フロイド先輩」と呼ぶ。本当に呼び捨てするほど元気がないようだ。あの小生意気さが懐かしくなってきた。だから早く元気にしよう。
 フロイドは部屋の中に入り近づきながら両腕を広げる。

「ほら、ウニちゃん、ど~ぞ」

 目の前にやって来て「ん」と促す。当のジャックは目を真ん丸にして固まってしまった。
 尻尾まで固まるからフロイドは小首をかしげて「どーしたの?」と訊ねる。それにピルと耳が動いたから聞こえたのだろう。固まっていた身体がゆっくりと解けいくのが見えた。
 硬直が解けたジャックは首に手を置いて「あ~」と低く唸る。そして、またチラチラとフロイドを見る。今さら何を窺うのか。自分が想像していた展開にならず苛立ちが込み上げる。

「なにウニちゃん。ぎゅ~って絞めるんじゃないよ。ぎゅ~って抱きしめてあげる」

 ほら、と促すように腕を揺さぶって見せればジャックの耳がふにゃと下がった。思っても見ない反応に目を見開いて自分の考えが外れていたかと焦ったが。

「あ、じゃ、すんません、けど」

 遠慮がちにおずおずとあの腕が伸びて来る。
 このもどかしい瞬間たるや。フロイドは我慢できずに腕の中に閉じ込めたくなった。けれど、今日は我慢。我慢。せっかくジャックが自分から甘えに来てくれているのだ。何がどうあれ甘えようとしているのだ。

 ぐっと動きそうになる身体を抑えこむ。そして、ジャックがフロイドの身体に腕を回した瞬間ようやくそっと抱きしめ返した。
 椅子に座っているから上から抱き込むようになったがどうやらそれも安心したらしい。ジャックの緊張に強張っていた背中から力が抜ける。
 フロイドは元気なく伏せている耳の傍に頬を当て背中からそっと撫でるように手を動かす。背中を移動した手を項に置き長い襟足を混ぜるように撫でる。

「ウニちゃん、疲れちゃったの?」
「や、ま、ぅ~、わからない、っす」
「そっか」

 自分でも驚くほどの声にフロイドは身体がムズムズしてくる。でも、そのムズムズに何とか耐える。それからとくに会話もなくフロイドはとりあえずジャックを撫で続けたし、ジャックは無言のままそれを受容し続けた。

 時間にすればそう長くなかったかもしれないし、長かったかもしれない。
 くくいとブレザーを引かれてフロイドは身体を離すと顔を赤くしたままのジャックがいた。身長の加減から滅多に見ることが出来ない上目遣いで「ありがとうございました」と言った。

「もういいの?」
「っす」

 首を縦に動かすのを見てフロイドは「じゃーさ」と言いながらベッドに向かって座る。フロイドの行動につられるように身体をベッドの方に向けたジャックは「なんすか」と聞いて来た。その声がいつものようにちょっと素っ気なさそうだけれどいつも通りになって嬉しくなる。

「元気が出たウニちゃん。今度はオレを元気にしてよ~」

 ね、と首を傾げればジャックは視線を斜めに向けたがすぐに「……何がいいんだよ」と聞き返した。それにフロイドの機嫌は急激に上がり思わず自分から抱き着いたのだった。


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