NOT夢主固定(東卍)

「やさしいひとの真似ごとです」



【 きてくれ 】

 一言だけ寄越されたメッセージを見て画面をタップして閉じる。真っ暗になったディスプレイを眺めることなく顔を上げて部下たちを見る。
 今日は花の金曜日。大きな仕事を終えて皆で打ち上げを兼ねた食事をしようと帰り支度をしている最中。疲れながらもキラキラした顔をしている部下に申し訳なさを感じるけれど私が優先するのは〝彼〟の方。

「皆、ごめんなさい。急な予定が入ってしまったの」
「ええ! じゃあ! 社長行かないんですかぁ?」

 部下の中で一番若輩の女子社員がキラキラ顔を一転悲しげな顔で見て来る。愛らしい大きな瞳が寂しげに揺れるのは心苦しくなる。けれど、その一方で寂しさも何も出さなくなった彼が頭をよぎる。

「ごめんなさいね。食事代は領収書を出してもらっていいから」
「それはいいですけど……」
「おい。子どもじゃねぇんだから駄々捏ねるな」

 しょんぼりする姿に申し訳なくなっていると一番年長の部下がフォローしてくれた。彼は苦笑しながら「行ってください」と言ってくれた。それに甘えながら私はすぐに帰る準備をして車のキーを掴む。

「じゃあ、皆楽しんで来てね」

 「はい」という若干元気を失くした部下たちの返事を聞きながら私はオフィスを飛び出した。それから足早に地下駐車場へと行き車を出した。



 法定速度ギリギリを出しながら最初に向かったのはスーパー。ほんとうは彼が待っているマンションへ直行したいけれどあそこには何もない。あるのは簡易的な家具とベッドだけ。冷蔵庫はあるけれど常に使っているわけではないから空っぽ。

「きっと何も食べていないわよね」

 あそこで待っている彼はいつも冷たい。遺体に触れたことはないけれどきっとそれくらいには冷たい。とくに今日は春先だというのに真冬に戻ったように冷え込む。身体を温めなければいけない。だから、一旦スーパーに言って必要な食材を買い込むのがいつもの流れ。
 駐車場のあるスーパーに車を止めて目的のものをカゴに入れていく。いつも買うものは決まっているから迷うことはない。ただ、この時間やっぱり仕事帰りの人が多いからレジが混む。順番が来てカードでサッサと支払いを済ませる。
 レジ袋に食材を詰め込んでスーパーを後にして車に乗り込むとスマホが振動する。
 慌ててスマホを開いて見ればメッセージが一言送られてきていた。

【 はやく 】

 焦りが滲む。私は返信することなくシートベルトを着けてハンドルを握った。そして、再び法定速度ギリギリで車を出した。
 運転しながら安全運転、安全運転、と心の中で呟きながら慣れた道を突き進んだ。
 何とか事故を起こすことも、警察に止められることもなくマンションに到着した。車を駐車場に止めてレジ袋を片手にオートロックを開いてエントランスを抜ける。
 あとはエレベーターのみ。一人で乗り込んだエレベーターはいつもなら早く感じるのに今日はゆっくりに思えた。なんで最上階に近い場所に部屋があるのか。僅かな苛立ちにつま先で地面を叩くとポーンと音がした。

 着いた。

 開いた扉をすり抜けて角部屋へと向かう。貰った鍵で2箇所開ける。ようやく辿り着いた部屋は案の定真っ暗だった。その真っ暗な玄関に乱雑に脱ぎ捨てられた革靴があった。
 余裕の無さそうな脱ぎ方をされた靴の横でハイヒールを脱ぐ。綺麗に整えて脱ぎながら彼の靴を整えるべき逡巡する。でも、彼のメッセージからきっとそんな余裕はない。
 あとで整えようと思いレジ袋を揺らしながら真っ暗な廊下を突き進み、同じく真っ暗なリビングへと入る。
 真っ暗なリビングを暗闇に慣れた目で見回してソファがある場所を見る。さらに目を凝らして見れば人の気配を感じた。

「春千夜……」

 彼の名前を呼ぶが返事はない。これはいつものことだ。私は出入り口のすぐ傍にあるキッチンにレジ袋を置いてから近寄る。

「春千夜」

 ソファの横に立つと彼が横たわっているのが辛うじて分かる。そのまま足元から移動して顔がある場所まで来てもう一度名前を呼ぶ。

「春千夜。大丈夫?」
「ン……」

 返事らしい返事があったけれど身体が動く気配がない。死んではいない。でも、死にそうなんだろう。彼がこうなるときはいつも何かの限界がときだけ。そのときだけ彼はこの部屋に来て、私を呼ぶ。
 身じろぎもしない彼の肩に触れる。触れた肩は服越しでも熱をあまり感じない。それはそうだ。こんな冷えた部屋でこんな薄着でいるのだから。そもそも彼は基礎体温が低い。これじゃ体調が悪くなる一方だ。私は彼の方に振れたまま体調を崩した子どもに声をかけるように優しく彼の名前を囁く。

「春千夜。ごはん食べられる?」

 頭を左右に振ったような気がした。今はどうやら食欲はないらしい。なら次は、ともう一度彼に声をかける。

「お風呂は入った?」

 また頭が左右に振れる。やっぱりそうだ。だって、香水にアルコールの匂いに他にもよくわからない匂いがする。身体を温めるためにも必要だけれどこの匂いたちも彼からそぎ落とさないといけない。

「お風呂入ってきて。その間にごはん作るから」

 そっと冷えた肩から手を離すと「まて」とか掠れた細い声が聞こえた。私はすぐに「なに?」と返す。すると、春千夜の身体が動く気配がした。

「おまえとはいる」

 上体を起こした春千夜が私を真っ直ぐみながら掠れた声で言う。先ほどのか細さはない。けれど疲れが滲んだような、どこか心ここにあらずの声に聞こえた。そして、要求された声に「やっぱり」と思いながら私は彼から見えているか分からないけれど笑みを浮かべる。

「分かったわ。じゃあ、ちょっと準備してくる」
「ん、」

 頷いた彼は再びソファに横になってしまった。それから長い足を器用に折りたたんで丸まってしまった。少しだけ調子が上がったかなと安心して私は彼から離れて一度キッチンに戻り食材を冷蔵庫に入れる。それから風呂の支度を始めた。



 浴室に響く換気の音を耳にしながら湯船に浸かる。じんわり滲む気持ちよさに息をつきながら背後の彼を窺う。
 春千夜は微動だにせず私に抱き着いている。背中に男の骨ばった身体が当たる。筋肉はあるだろうけれど背丈のわりにはやっぱり薄い身体だと思う。だから代謝が悪いんじゃないかと思う。これで温かくなったかしら。
 腰に回る彼の腕に触れてみる。あれほど冷えていた身体は温かいお湯のお蔭で熱が出て来たような気がする。

「だいぶ温かくなってきたわね」

 でも、あと少し湯船に浸かっていた方がいいかしらね。長くて骨ばった細い指に自分の指を絡める。そうしたらもう少し温まるかと思ったから。
 握り返されることはないと思った指は反して握り返された。その様子を上から見つめて頬を緩めているともう片方の腕で抱き寄せられた。より密着した濡れた身体に慣れているはずなのに身体の熱が静かに上がる。
 孕む熱の温度を気取られないように平静を保つ。けれど顔のすぐ横に迫っている彼の薄い唇から零れる吐息が頬を掠めて中々難しい。

「あちぃ」
「っ、くっついているからよ」

 掠れた声に何とか零れそうになった声を耐えて平静を保って答える。離れるかなと思ったけれど絡んだ指をより絡めて手を握ってくるし、より私の身体は彼の身体にくっつく。

「あついんでしょ」
「あちぃ」
「もう、なら少し離れたら?」
「それは、やだ」

 「やだ」ともう一度言うと微動だにしなくなった。もしかしてのぼせたんじゃないでしょうね。何とか身体を動かして彼を見ようとする。でも彼がそれを許さないと拘束を強めて来る。これじゃ様子も窺えない。

「春千夜、だいじょうぶ?」
「まだな」
「やだ。その言い方、危ないわよ」
「へいき、だ」

 そのまま押し黙ってしまった。やだ。食事もしてないし。具合悪くなって意識を失っていたらいくら細身の彼だとしても運ぶのは難しい。本当に大丈夫と心配で手をにぎにぎとしていると煩いというように封じられた。
 あ、まだ平気そう。ひと安心したら少しだけ眠くなる。湯船の温かさと久々の人肌も徐々に身体の強張りが解けて行った。
 こうして春千夜と二人でギリギリまで湯船に浸かり続けた。



 のぼせるのを何とか回避して今度は二人で食事をする。お互いラフな部屋着に着替えて向き合って食事をする。とはいっても、春千夜の手は中々動かない。
 前回も殆ど食べられなかった。
 食事の無理強いはできない。これ以上は難しいかなとスプーンを置いて彼に問いかける。

「ムリならいいのよ」
「や、食うよ」

 緩く頭を左右に振ると改めてスプーンを手にした。そのスプーンで野菜が沢山入ったスープを掬う。春千夜は何度か手を止めながらもスープをゆっくりと口に運んでいった。
 食事をする彼を見て安堵しながら私も自分で作ったスープを口に運んだ。
 いつも私が先に食べた終わり、片付けに入る。じっと見ているのもプレッシャーになるし。ただ、先に片付けるも昔の給食の居残りみたいでどうかと思うけれど……仕方なし。
 食器を流しに入れて残ったスープを保存容器に入れる。これは後で彼に持たせるもの。受け取るだろうけれど食べるかは彼の気分次第。たぶん、ムリだろうけれど。
 保存容器に入れると流しで音がする。横を向けば春千夜が食器を入れているところだった。

「食べれた?」
「ああ……」

 大分血色の良くなった顔を見ながら「洗うからゆっくりしていたら」と言う。それに頭を横に振るときもあるけれど今回は余程疲れたのか縦に頭を動かした。彼はそのままゆっくりとした足取りでリビングへと戻って行った。
 リビングに行く彼を見送って私は後片付けを始める。
 後片付けも食事が少ないとすぐに終わる。すべて終えてリビングを覗けばソファに肘掛けにもたれかかって目を閉じた春千夜が見えた。
 このまま寝室に行かずにそこで寝るかな。ならブランケットくらいあった方がいいわよね。私はそのままリビングにいくことなく寝室に行く。あまり寝室で眠らない彼のことを考えてブランケットはすぐに取り出しやすいところにあるはずだったけれど――。

「あら。どこかしら?」

 いつも置いているところにない。何で、と少し探して思い出す。この間来た時にクリーニングに出したんだ。それから自分の家に持って帰ろうと車に乗せたまま。

「車に取りに行こうかしら……」

 でもこの部屋に入ったら不用意に春千夜の視界から消えたくない。ここに来る習慣ができる前の初期に一度車に忘れ物を取りに行ったときのことだ。今みたいに寝ているからと思ってメモを残して部屋を出て行ってことがある。けれどほんの二十分もかからなかったのに部屋に戻ったときの彼は酷く取り乱していた。
 目を見開いて汗を滲ませて私を探していた。私が慌てて駆け寄ると怒鳴り散らかしてそれが終わると子どもみたいに泣いて抱き着いて来た。さらにそれが終わると今度は寝室に連れ込まれて手酷く抱かれた。情緒不安定なんてもんじゃなかった。それから私はここに来た時彼から不用意に離れないようにしている。
 だから今日はもう仕方ない。

「今日はこっちで寝てもらいましょう」

 次来たときにちゃんと持って来よう。そうして後ろを振り返って驚きに目を見開く。

「春千夜?」

 さっきまでソファでうたた寝をしていた春千夜がいた。扉の縁に寄り掛かるその顔は無だった。ここに来るとき表情筋は休みがちになるけれどそれでもストンと感情が抜け落ちた顔をしている。

「どうしたの?」
「……どっかいったのかと思った」

 私は目を瞬いた。そんな以前は部屋の中に入れば平気だったのに。それとも今日はさらに神経が過敏になっているのかしら。

「ごめんなさい。ブランケットを探していたんだけどクリーニングに出して車に忘れていたみたい」
「取りに行くか?」
「春千夜がソファで寝たいならね」

 意外な提案だったけれどせっかく温まった身体を冷やしたくない。彼の身体も冷やしたくない。だから春千夜がここで寝てくれるなら取りに行かなくても平気だ。

「ここでいい……」

 言うなり「歯磨いて来る」と言ってふらふら去って行った。よかった、と思うと同時にもう寝るのと思う。部屋の時計を見ればもう11時を指すところだった。健康的な就寝時間だ。けれど、今の彼にはいいのかもしれない。

「私も歯磨こう」

 もちろん。彼が終わったらね。その間にすぐ寝れるようにメイキングしておこうと忙しなく動き始めた。



 寝室にベッドはひとつだけしかない。ふたつ置ける広さではないというのはあるけれど元々彼の部屋だからひとつしかない。ここは私たち二人のための部屋ではない。
 本来なら彼一人だけのためのベッドで私が寝るのは抱かれるときが大体だ。でも、今日みたいにただ寄り添い合って寝ることもある。
 目の前の綺麗な寝顔を見ながら私は彼に体温が戻ってよかったと思う。できればもっと温かくなってほしい。懐に潜る。そのまま彼の薄い身体に腕を回す。
 鼻を擽る彼の匂いは大分すっきりしていた。香水の匂いもなく、煙草の匂いもなく、アルコールに変な匂いもない。今は私と同じボディソープの柔らかい匂いだけ。
 その香りと、彼の体温で眠気が誘われる。ここ最近忙しくて睡眠時間も削っていたからあっさり眠くなる。私は静かに瞼を下ろした。すると案外あっさりと眠りについた。

 彼に呼ばれた日はいつも出会った頃の夢を見る。

 春千夜との出会いは中学生に上がったばかりの頃。ボロボロだった彼を拾ったのがきっかけ。でも、たった一度だけだと思っていた出会いは何故かそのあと偶然というには頻繁に会うことになった。その縁は続き大人になった今も続いている。けれど、少年少女の頃とは違う。彼と、私の身の回りの変化もそうだけれど彼とは唇を重ね、肌を重ねるまでの関係になっていた。
 何故、と思うほどの関係の変わりよう。不思議とその関係の変化に戸惑うこともなかった。何故だかこれが自然の流れと受け入れる私がいた。不思議すぎる。でも、不思議じゃない。世界の理と言っても過言じゃない。

 彼のことを心の底から愛している。

 と、言えたら簡単でいいのに。彼に対して愛しているという言葉では言い表せない。ただ愛おしくは思う。他の誰よりも優先したくなるほどの愛おしさはある。これをただの〝愛〟とは言い難い。難しい。だから深く考えない。ただ彼が求めるままに都合のいい女という体でいる。それが一番いいから。
 だから今日も私は愛おしく思う彼に呼ばれるままやって来て夜を過ごした。
 そしてきっと目が覚めたら彼はいない。



「ほら、いない」

 目が覚める。目の前にもぬけの殻のベッドに気配が何もない部屋。昨夜残ったスープを入れた保存容器もない。

「元気になったのかしら、ね」

 彼が元気になったのならそれでいいし、また元気がなくなったら呼んでくれればいい。そう。それでいい。

「また来るから、ね」

 都合がいい女としてまた、ね。




**タイトル**
お題配布サイト『alkalism』様から
お題『my girl』より
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