月は恋をした
恋して愛して
ふと湖のように美しい青の瞳と目がった。その瞳は生まれ変わっても変わらぬ清らかで純真無垢な美しさを保っていた。その瞳に惹かれるように心の蔵がトクリと鳴る。そして、愛おしい気持ちが溢れ、自然と目尻を下げる。すると、彼女の大きな瞳が微かに見開き、同じように目尻が下り愛おしさが込められたような気がした。
ドクリ。今度は大きく三日月の胸が高鳴る。三日月は彼女の瞳から逸らせなかった。
「おん? 三日月どうしたがか?」
「あ、いや……」
何でもないと答えようとした三日月は逡巡した。そして、名残惜しげにうさぎから視線を逸らすと陸奥守と乱を見る。
「陸奥守、乱藤四郎。悪いが先に行ってもらえないか」
「おん?」
陸奥守は何を言っているのか分らないようであった。しかし、乱は何か察したのか笑顔で頷いた。それから陸奥守の手を引いて、空いている手をこちらに振ってそのまま入り口に向かって歩き出した。ついでに「じゃぁ、ごゆっくりと、ね」と言うと乱は去って行った。
残されたうさぎは戸惑うように三日月を見上げた。戸惑ううさぎに三日月は微笑みかけた。
「もう少しだけそなたと二人きりでいたくなったのでな。もう暫く時間を頂くぞ」
「え、あ、はい」
気恥ずかしげに逸らされた姿に三日月は甘いときめきに胸が疼いた。
いじらしい姿を見つめながら三日月はそっと手を差しだす。
「うさぎ殿。足元が悪い」
「ありがとう」
差し出した手に小さな手が重なった。その手を三日月は壊れものを扱うように握り返す。そして、ゆっくりと歩き出す。
「わぁ。本当に綺麗な薔薇! それによく見れば品種も違うのかな?」
「ああ。花好きの者たちが相当気合を入れていたからな」
「へぇ! そうなんだ!」
「すごぉいっ」と言いながら美しく咲き誇る薔薇たちを見つめるうさぎ。
無邪気な様はきっと彼女生来のものなのだろう。こういうところはあの幼く無垢な姫君と似ているのかもしれない。しかし、それを確認する術は三日月にはない。そもそも三日月は月の姫君と会話をしたのはたった一度きり。ならば、横にいるうさぎとセレニティを比べることなどできない。
――知りたい。
三日月の中で「欲」が生まれた。
人の形を得てからというもの欲というものに無縁であったわけではない。好きな物を食べたい、あれをしたい、これをしたいといった欲はあった。だが、それが叶わなかったら叶わないでよかった。しかし、三日月は初めてこの欲望を強く叶えたいと思ったのだ。
彼女は確かにプリンセス・セレニティである。だが、今の彼女はセレニティではなく、月野うさぎという一人の少女なのだ。水面越しでしか逢瀬ができない訳ではない。今、手を伸ばせば触れ合え、言葉を交わすことができるのだ。
三日月はどうやら難しく考えすぎていたようだ。こんがらがった糸を解して解いていく。
彼女は彼女で、彼女ではない。三日月を知っていようが、知っていまいがどうでもいい。
もう一度、始めればいい。もう一度、一から――いや、そもそもまだ何も築かれていない。初めから始めよう。
「うさぎ殿」
らしくもなく緊張に震える唇で彼女の名を呼ぶ。
彼女は三日月の様子を不思議に思うことなく「何ですか?」と首を傾げながら訊ねる。
三日月は緊張で詰まった息を小さく吐き出しながら彼女の澄んだ瞳を真っ直ぐ見据える。そして、やはり緊張で震えた唇で話し出す。
「よければ、また逢ってくれるか?」
短いひと時の最後に三日月はまた逢えると彼女に言った。だが、セレニティと再び会いまみえることはなかった。そして、今彼女と同じ魂を持つ月野うさぎという少女が目の前にいる。決して、セレニティとしてもう一度とは言わない。今、三日月が知りたいのは月野うさぎという少女なのだから。
彼女は微かに目を見開くと小さな口をきゅっと結んでしまった。それに、一抹の不安がよぎるが三日月は辛抱強く返事を待った。
じっと見つめてくる美しい瞳を同じように見つめていると――ふっと目元が緩んだ。
「あの時は、そのままお別れしちゃったもんね」
三日月は息を飲む。出逢った当初以外に彼女に以前の記憶があるような雰囲気がなかった。だが、この言い方ではまるでセレニティの時のような記憶があるように見える。
「まさか、覚えていたのか?」
「え。ああ、そうだった。ちゃんとあるって言ってなかった!」
へへっと笑う彼女に三日月は肩の力だが抜ける。
「あ、いや、俺とて何も言っていなかったからな」
そう言えば、改めて考えるとあの時の三日月宗近だと言うことなく勝手に話を進めていた。これは少し恥ずかしい。
込み上げる羞恥心に顔を覆いたくなる中、彼女の青の瞳が輝くのを見た。その輝きに惹かれるように三日月は目を逸らすことができなかった。
うさぎは瞳を輝かせたまま三日月に近寄り見上げた。
「やっぱり、三日月さんはあの時の三日月様なのね」
ふわりと微笑む彼女に三日月は拒絶されなかったことに心の片隅で安堵した。
私は私だから関わらないで、と言われたら泣きそうであったからだ。その心配が無くなった三日月は彼女の返事に頷く。
「ああ。あの時、三日月宗近だ。そうか、やはりそなたがセレニティだったか」
「はい」
二人ようやく確認すると一緒に笑い出す。
「いや。そなただとは思ってはいたがいやはや」
「ふふ。あたしもあなただとは思っていたけど、全然確認していなかったや」
お互い、あの時の相手であると確信はしていたが確認はしていなかった。何だか、面白くなって二人揃って笑い続ける。
すると、うさぎが目尻の涙を拭いながら思い出したように話し出す。
「でも、そうよね。確認もなにもまだ出逢って少ししか経ってないんだもの」
言われて見ればその通りだ。だのに、三日月は早々に難しく考えていたと思うと意外にいっぱい、いっぱいになっていたということに気づく。
「俺たちはまだ始まっていなかったのかもしれんな」
「そうかも! じゃ、また始めようよ!」
うさぎが白く華奢な手を差しだしてきた。
「あたし、月野うさぎ。高校一年生になったばかりの花盛りの乙女です!」
なんちってと言いながらはにかむ姿は確かに年頃らしく愛らしい。
「俺は刀剣男士、三日月宗近。平安に生まれた刀剣だ」
そう言いながら三日月は柔い手を握った。本当ならばすぐに離した方がいいのだろうがやはり離し難くなる。
「三日月さん?」
「ああ。いや、何でもない」
そっと柔らかな温もりを手放す。
「ふふ。これからよろしくね、三日月さん」
微笑むうさぎの姿に三日月は先ほど感じた離れ難さが一層された。
そうだ。これからいつでも逢える。
三日月は先があるということの嬉しさに自然と笑みが零れた。
「これからよろしくな――うさぎ殿」
恋をした。一度目の恋の延長線上にあるような恋。だが、それは一度目とは同じではない。新しい恋であった。三日月は、もう一度美しい少女に恋をした。
* * *
季節は三度ほど廻り――ある特別な日を迎えていた。
三日月は湖の前に一人佇んでいた。
この湖は三日月がある月の姫君と出逢ったあの湖に似ていた。何度見ても似ているのはここの本丸の主が彼女だからだろうか。
「懐かしいな」
「あ、三日月さん! ここにいたの!」
湖の懐かしい姿に目を細めていると背後から少女めいた声がかけられる。
その声に振り返ればやはり予想していた刀剣男士が居た。
「おお。乱か。どうした?」
「もう! どうしたも何もないでしょ」
ふんと腰に手を当てて怒る乱に三日月は彼が何を言いたいのかすぐに理解した。
乱も三日月が何故怒られているのか分ったのだろう目をじっと据わらせた。
「三日月さん、自分が今日の主役の一人って分っていてほっつき歩いていたの?」
「なに。俺の準備など何もないだろう」
いつもの戦装束で出るだけだと言えば乱はむぅっと唇を尖らせた。
「前の懇親会で着た藍色のスーツにすればいいのにぃ~」
「はっはっは。あれもいいが俺としてはこの姿で出る意味があるからな。すまんな」
ひらひらといつもの戦装束の裾を揺らす。
すると、乱は不満気な顔を呆れたものに変える。
「まぁ、そうだよね。ボクらが口出すことじゃないよね」
「ごめんね」と素直に謝る乱に三日月は首を振る。
「なに、普通ならばうさぎに見合う姿をするべきだからな」
うさぎを孫のように可愛がっている秋元翁も三日月にスーツを着ろと口うるさく言ってきたものだった。
秋元翁は来月に現役を引退する予定だ。本来であれば三年前に引退する予定であったが、うさぎや三日月のことが心配でもう少し現役を伸ばすと告げたのだ。しかし、それももう限界が来た。今日この日を見送った後に護衛の陸奥守と秋田を残して刀剣男士を全て還し隠居することとなったのだ。
三日月もかつては他の主に仕えることなく還ろうと考えていた。しかし、今では還ることもできなくなった。
今、三日月は秋元翁の刀剣男士ではなく愛おしい少女である月野うさぎの刀剣男士となっていた。本来であれば秋元翁以外の主は考えられなかった。だが、三日月は置いて行けぬ愛しい人ができてしまった。
それを話すとき非常に緊張したが秋元翁も仲間たちも許してくれた。いや、寧ろ残れと念を押すような光景だったことを今思い出しても笑えるものだった。
ふいに隣に気配が立った。横目で見ればそこには乱が立っていた。彼は真っ直ぐに湖を見つめていた。それにつられるように三日月もまた湖を見つめると――。
「三日月さんがこの本丸に来て一年になるのかぁ」
「早いね」と言う乱に三日月も「そうだな」と返す。
「そんでもって、今日からうさぎちゃんの旦那様だもんねぇ」
揶揄いを含んだ乱の言い方に三日月はむず痒くなる。
「本当に、ほんとうぉ~に長かったよね! じれったいくらい長かったよ!」
「……そこまで言わんでもいいだろうに」
「いや。だって、三日月さんも皆に言われたじゃん」
「まぁ。そうだな」
今の仲間にも、三日月の元の仲間たちにも散々せっつかれた思い出はいくつもある。
特にうさぎの刀剣男士たちの「奪うぞ」という発言は恐ろしかった。本気の本気で三日月から奪っていきそうであったからだ。そういうことをしない仲間ではあるが本気のように見えてうさぎと恋人になる前は怖かった。
「ふふ。皆、うさぎちゃんのこと大好きだから」
だから、彼女には幸せになってもらいたいのだろう。
「幸せにしてみせよう」
「うん。一人にしないでよ」
湖から視線を逸らさぬまま三日月は頷く。
これは、歌仙にも言われたことだ。彼は初期刀で彼女がもっとも信頼する刀剣男士だ。彼にも同じように言われた。
「僕らが一振りも残らなくても君は――三日月宗近。君は主を、あの子を連れてどこまで逃げて生き延びろ。彼女を一人にすることは許さない」
これは夫婦になることを歌仙に報告したときに告げられた言葉。いや、彼だけではない。うさぎの刀剣男士たち皆から口を揃えて言われた言葉であった。
それを告げるときの皆の目は真っ直ぐであった。あの誠実な目を見て裏切ることなどできない。そもそも三日月は彼女を一人にさせることは絶対にしたくなかった。
故に、この恰好なのだ。戦装束はその誓いを立てるため。彼女の夫となろうとも三日月は刀剣男士。歴史修正主義者の放つ朔行軍から歴史を護る使命がある。そして、それは彼女を護ることにも繋がる。些細な歴史さえ変えてはならぬ。彼女が消える可能性を全て護ろう。うさぎを何ものから護ろう。
「護るぞ。決して一人にはしない」
一人に等させてやるものかと誓いを口にすると下の方で小さな笑い声が聞こえた。
それに何故笑うのだと訊ねようとすると――。
「へぇ。改めて聞くとまた熱が籠っているね」
「あ、歌仙さん」
乱につられて振り返ればそこには正装した歌仙がいた。
歌仙は腕を組んで満足げに笑みを浮かべていた。
「一時はどうなるかと思ったけどこうして特別な日を迎えられてよかったよ」
「はは。何だか、耳が痛いなぁ」
「悪いね。でも、それも今日までだから」
初期刀の歌仙はやはり一番にうさぎを想っていたのだろう。誰よりも、三日月のじれったさに小言めいたことを言って来た。だが、それも今日までのようだ。
「さて、三日月殿。そろそろ時間だ。主が待っている」
「ほう。もうそのような時間か」
緊張を解そうと散歩をしていたがどうやら時間が随分と経っていたようだ。
再び緊張が戻るかと思ったが戻らなかった。もしかしたら先ほどの誓いが効いたのかもしれない。
「ふふ。安心して任せられる顔になったね」
「うんうん。これならボクらも安心してうさぎちゃんを嫁がせることができるよ」
「とはいっても住むのはここだけど」と茶目っ気たっぷりなウィンクをする乱に歌仙も、三日月も思わず笑う。
「さぁ、行こう」
「ああ」
三日月は歌仙に連れられるまま彼女の待つところに向かった。
まっさらな青空に時折桜の花びらがはらはらと舞う。
その中、二つの本丸に所属する刀剣男士。そして、審神者の秋元翁、秋元翁の担当官のアルテミス、うさぎの担当官ルナが庭園に集まっていた。その庭園は特別な日に誂えたものとなっており、普段はない真っ白なガゼボが中心にあった。
そして、そのガゼボの前には金糸の美しい髪を持ち真白のドレスを身に纏った本丸の主、月野うさぎと現在、うさぎの刀剣男士となった戦装束の三日月宗近が立っていた。
二人はお互い幸せそうに微笑み、周りもまた同じように幸せに満ちた二人を暖かく見守っていた。
この特別な日に長い時を経て月の姫君であった女の子と恋焦がれ続けた月を冠する刀剣のカミが――今、結ばれた。
2024.07.21
ふと湖のように美しい青の瞳と目がった。その瞳は生まれ変わっても変わらぬ清らかで純真無垢な美しさを保っていた。その瞳に惹かれるように心の蔵がトクリと鳴る。そして、愛おしい気持ちが溢れ、自然と目尻を下げる。すると、彼女の大きな瞳が微かに見開き、同じように目尻が下り愛おしさが込められたような気がした。
ドクリ。今度は大きく三日月の胸が高鳴る。三日月は彼女の瞳から逸らせなかった。
「おん? 三日月どうしたがか?」
「あ、いや……」
何でもないと答えようとした三日月は逡巡した。そして、名残惜しげにうさぎから視線を逸らすと陸奥守と乱を見る。
「陸奥守、乱藤四郎。悪いが先に行ってもらえないか」
「おん?」
陸奥守は何を言っているのか分らないようであった。しかし、乱は何か察したのか笑顔で頷いた。それから陸奥守の手を引いて、空いている手をこちらに振ってそのまま入り口に向かって歩き出した。ついでに「じゃぁ、ごゆっくりと、ね」と言うと乱は去って行った。
残されたうさぎは戸惑うように三日月を見上げた。戸惑ううさぎに三日月は微笑みかけた。
「もう少しだけそなたと二人きりでいたくなったのでな。もう暫く時間を頂くぞ」
「え、あ、はい」
気恥ずかしげに逸らされた姿に三日月は甘いときめきに胸が疼いた。
いじらしい姿を見つめながら三日月はそっと手を差しだす。
「うさぎ殿。足元が悪い」
「ありがとう」
差し出した手に小さな手が重なった。その手を三日月は壊れものを扱うように握り返す。そして、ゆっくりと歩き出す。
「わぁ。本当に綺麗な薔薇! それによく見れば品種も違うのかな?」
「ああ。花好きの者たちが相当気合を入れていたからな」
「へぇ! そうなんだ!」
「すごぉいっ」と言いながら美しく咲き誇る薔薇たちを見つめるうさぎ。
無邪気な様はきっと彼女生来のものなのだろう。こういうところはあの幼く無垢な姫君と似ているのかもしれない。しかし、それを確認する術は三日月にはない。そもそも三日月は月の姫君と会話をしたのはたった一度きり。ならば、横にいるうさぎとセレニティを比べることなどできない。
――知りたい。
三日月の中で「欲」が生まれた。
人の形を得てからというもの欲というものに無縁であったわけではない。好きな物を食べたい、あれをしたい、これをしたいといった欲はあった。だが、それが叶わなかったら叶わないでよかった。しかし、三日月は初めてこの欲望を強く叶えたいと思ったのだ。
彼女は確かにプリンセス・セレニティである。だが、今の彼女はセレニティではなく、月野うさぎという一人の少女なのだ。水面越しでしか逢瀬ができない訳ではない。今、手を伸ばせば触れ合え、言葉を交わすことができるのだ。
三日月はどうやら難しく考えすぎていたようだ。こんがらがった糸を解して解いていく。
彼女は彼女で、彼女ではない。三日月を知っていようが、知っていまいがどうでもいい。
もう一度、始めればいい。もう一度、一から――いや、そもそもまだ何も築かれていない。初めから始めよう。
「うさぎ殿」
らしくもなく緊張に震える唇で彼女の名を呼ぶ。
彼女は三日月の様子を不思議に思うことなく「何ですか?」と首を傾げながら訊ねる。
三日月は緊張で詰まった息を小さく吐き出しながら彼女の澄んだ瞳を真っ直ぐ見据える。そして、やはり緊張で震えた唇で話し出す。
「よければ、また逢ってくれるか?」
短いひと時の最後に三日月はまた逢えると彼女に言った。だが、セレニティと再び会いまみえることはなかった。そして、今彼女と同じ魂を持つ月野うさぎという少女が目の前にいる。決して、セレニティとしてもう一度とは言わない。今、三日月が知りたいのは月野うさぎという少女なのだから。
彼女は微かに目を見開くと小さな口をきゅっと結んでしまった。それに、一抹の不安がよぎるが三日月は辛抱強く返事を待った。
じっと見つめてくる美しい瞳を同じように見つめていると――ふっと目元が緩んだ。
「あの時は、そのままお別れしちゃったもんね」
三日月は息を飲む。出逢った当初以外に彼女に以前の記憶があるような雰囲気がなかった。だが、この言い方ではまるでセレニティの時のような記憶があるように見える。
「まさか、覚えていたのか?」
「え。ああ、そうだった。ちゃんとあるって言ってなかった!」
へへっと笑う彼女に三日月は肩の力だが抜ける。
「あ、いや、俺とて何も言っていなかったからな」
そう言えば、改めて考えるとあの時の三日月宗近だと言うことなく勝手に話を進めていた。これは少し恥ずかしい。
込み上げる羞恥心に顔を覆いたくなる中、彼女の青の瞳が輝くのを見た。その輝きに惹かれるように三日月は目を逸らすことができなかった。
うさぎは瞳を輝かせたまま三日月に近寄り見上げた。
「やっぱり、三日月さんはあの時の三日月様なのね」
ふわりと微笑む彼女に三日月は拒絶されなかったことに心の片隅で安堵した。
私は私だから関わらないで、と言われたら泣きそうであったからだ。その心配が無くなった三日月は彼女の返事に頷く。
「ああ。あの時、三日月宗近だ。そうか、やはりそなたがセレニティだったか」
「はい」
二人ようやく確認すると一緒に笑い出す。
「いや。そなただとは思ってはいたがいやはや」
「ふふ。あたしもあなただとは思っていたけど、全然確認していなかったや」
お互い、あの時の相手であると確信はしていたが確認はしていなかった。何だか、面白くなって二人揃って笑い続ける。
すると、うさぎが目尻の涙を拭いながら思い出したように話し出す。
「でも、そうよね。確認もなにもまだ出逢って少ししか経ってないんだもの」
言われて見ればその通りだ。だのに、三日月は早々に難しく考えていたと思うと意外にいっぱい、いっぱいになっていたということに気づく。
「俺たちはまだ始まっていなかったのかもしれんな」
「そうかも! じゃ、また始めようよ!」
うさぎが白く華奢な手を差しだしてきた。
「あたし、月野うさぎ。高校一年生になったばかりの花盛りの乙女です!」
なんちってと言いながらはにかむ姿は確かに年頃らしく愛らしい。
「俺は刀剣男士、三日月宗近。平安に生まれた刀剣だ」
そう言いながら三日月は柔い手を握った。本当ならばすぐに離した方がいいのだろうがやはり離し難くなる。
「三日月さん?」
「ああ。いや、何でもない」
そっと柔らかな温もりを手放す。
「ふふ。これからよろしくね、三日月さん」
微笑むうさぎの姿に三日月は先ほど感じた離れ難さが一層された。
そうだ。これからいつでも逢える。
三日月は先があるということの嬉しさに自然と笑みが零れた。
「これからよろしくな――うさぎ殿」
恋をした。一度目の恋の延長線上にあるような恋。だが、それは一度目とは同じではない。新しい恋であった。三日月は、もう一度美しい少女に恋をした。
* * *
季節は三度ほど廻り――ある特別な日を迎えていた。
三日月は湖の前に一人佇んでいた。
この湖は三日月がある月の姫君と出逢ったあの湖に似ていた。何度見ても似ているのはここの本丸の主が彼女だからだろうか。
「懐かしいな」
「あ、三日月さん! ここにいたの!」
湖の懐かしい姿に目を細めていると背後から少女めいた声がかけられる。
その声に振り返ればやはり予想していた刀剣男士が居た。
「おお。乱か。どうした?」
「もう! どうしたも何もないでしょ」
ふんと腰に手を当てて怒る乱に三日月は彼が何を言いたいのかすぐに理解した。
乱も三日月が何故怒られているのか分ったのだろう目をじっと据わらせた。
「三日月さん、自分が今日の主役の一人って分っていてほっつき歩いていたの?」
「なに。俺の準備など何もないだろう」
いつもの戦装束で出るだけだと言えば乱はむぅっと唇を尖らせた。
「前の懇親会で着た藍色のスーツにすればいいのにぃ~」
「はっはっは。あれもいいが俺としてはこの姿で出る意味があるからな。すまんな」
ひらひらといつもの戦装束の裾を揺らす。
すると、乱は不満気な顔を呆れたものに変える。
「まぁ、そうだよね。ボクらが口出すことじゃないよね」
「ごめんね」と素直に謝る乱に三日月は首を振る。
「なに、普通ならばうさぎに見合う姿をするべきだからな」
うさぎを孫のように可愛がっている秋元翁も三日月にスーツを着ろと口うるさく言ってきたものだった。
秋元翁は来月に現役を引退する予定だ。本来であれば三年前に引退する予定であったが、うさぎや三日月のことが心配でもう少し現役を伸ばすと告げたのだ。しかし、それももう限界が来た。今日この日を見送った後に護衛の陸奥守と秋田を残して刀剣男士を全て還し隠居することとなったのだ。
三日月もかつては他の主に仕えることなく還ろうと考えていた。しかし、今では還ることもできなくなった。
今、三日月は秋元翁の刀剣男士ではなく愛おしい少女である月野うさぎの刀剣男士となっていた。本来であれば秋元翁以外の主は考えられなかった。だが、三日月は置いて行けぬ愛しい人ができてしまった。
それを話すとき非常に緊張したが秋元翁も仲間たちも許してくれた。いや、寧ろ残れと念を押すような光景だったことを今思い出しても笑えるものだった。
ふいに隣に気配が立った。横目で見ればそこには乱が立っていた。彼は真っ直ぐに湖を見つめていた。それにつられるように三日月もまた湖を見つめると――。
「三日月さんがこの本丸に来て一年になるのかぁ」
「早いね」と言う乱に三日月も「そうだな」と返す。
「そんでもって、今日からうさぎちゃんの旦那様だもんねぇ」
揶揄いを含んだ乱の言い方に三日月はむず痒くなる。
「本当に、ほんとうぉ~に長かったよね! じれったいくらい長かったよ!」
「……そこまで言わんでもいいだろうに」
「いや。だって、三日月さんも皆に言われたじゃん」
「まぁ。そうだな」
今の仲間にも、三日月の元の仲間たちにも散々せっつかれた思い出はいくつもある。
特にうさぎの刀剣男士たちの「奪うぞ」という発言は恐ろしかった。本気の本気で三日月から奪っていきそうであったからだ。そういうことをしない仲間ではあるが本気のように見えてうさぎと恋人になる前は怖かった。
「ふふ。皆、うさぎちゃんのこと大好きだから」
だから、彼女には幸せになってもらいたいのだろう。
「幸せにしてみせよう」
「うん。一人にしないでよ」
湖から視線を逸らさぬまま三日月は頷く。
これは、歌仙にも言われたことだ。彼は初期刀で彼女がもっとも信頼する刀剣男士だ。彼にも同じように言われた。
「僕らが一振りも残らなくても君は――三日月宗近。君は主を、あの子を連れてどこまで逃げて生き延びろ。彼女を一人にすることは許さない」
これは夫婦になることを歌仙に報告したときに告げられた言葉。いや、彼だけではない。うさぎの刀剣男士たち皆から口を揃えて言われた言葉であった。
それを告げるときの皆の目は真っ直ぐであった。あの誠実な目を見て裏切ることなどできない。そもそも三日月は彼女を一人にさせることは絶対にしたくなかった。
故に、この恰好なのだ。戦装束はその誓いを立てるため。彼女の夫となろうとも三日月は刀剣男士。歴史修正主義者の放つ朔行軍から歴史を護る使命がある。そして、それは彼女を護ることにも繋がる。些細な歴史さえ変えてはならぬ。彼女が消える可能性を全て護ろう。うさぎを何ものから護ろう。
「護るぞ。決して一人にはしない」
一人に等させてやるものかと誓いを口にすると下の方で小さな笑い声が聞こえた。
それに何故笑うのだと訊ねようとすると――。
「へぇ。改めて聞くとまた熱が籠っているね」
「あ、歌仙さん」
乱につられて振り返ればそこには正装した歌仙がいた。
歌仙は腕を組んで満足げに笑みを浮かべていた。
「一時はどうなるかと思ったけどこうして特別な日を迎えられてよかったよ」
「はは。何だか、耳が痛いなぁ」
「悪いね。でも、それも今日までだから」
初期刀の歌仙はやはり一番にうさぎを想っていたのだろう。誰よりも、三日月のじれったさに小言めいたことを言って来た。だが、それも今日までのようだ。
「さて、三日月殿。そろそろ時間だ。主が待っている」
「ほう。もうそのような時間か」
緊張を解そうと散歩をしていたがどうやら時間が随分と経っていたようだ。
再び緊張が戻るかと思ったが戻らなかった。もしかしたら先ほどの誓いが効いたのかもしれない。
「ふふ。安心して任せられる顔になったね」
「うんうん。これならボクらも安心してうさぎちゃんを嫁がせることができるよ」
「とはいっても住むのはここだけど」と茶目っ気たっぷりなウィンクをする乱に歌仙も、三日月も思わず笑う。
「さぁ、行こう」
「ああ」
三日月は歌仙に連れられるまま彼女の待つところに向かった。
まっさらな青空に時折桜の花びらがはらはらと舞う。
その中、二つの本丸に所属する刀剣男士。そして、審神者の秋元翁、秋元翁の担当官のアルテミス、うさぎの担当官ルナが庭園に集まっていた。その庭園は特別な日に誂えたものとなっており、普段はない真っ白なガゼボが中心にあった。
そして、そのガゼボの前には金糸の美しい髪を持ち真白のドレスを身に纏った本丸の主、月野うさぎと現在、うさぎの刀剣男士となった戦装束の三日月宗近が立っていた。
二人はお互い幸せそうに微笑み、周りもまた同じように幸せに満ちた二人を暖かく見守っていた。
この特別な日に長い時を経て月の姫君であった女の子と恋焦がれ続けた月を冠する刀剣のカミが――今、結ばれた。
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