再び廻り逢う
記憶の兆し
うさぎが唯一呼び起せていない刀剣男士は天下五剣にして最も美しい刀剣三日月宗近であった。
決して彼を嫌っているわけではない。しかし、うさぎは中々三日月宗近を励起できないでいた。その最中、演練でも万事屋でもどこかで三日月宗近を見かけるとうさぎは心揺さぶられて落ち着かなくなる。それが、美しさで多くの人間を惑わした刀剣故だからであろうか。
自分自身もその美しさに魅入られた人間かと思った時期もある。だが、それにしては心惹かれると同時に心が痛んだ。
チクチクと痛む心にうさぎは答えを出せていなかった。そのうさぎの心を突くささやかな痛みが今鋭い痛みとなって心臓に突き刺さった。
「うさぎちゃん! どうしたの!」
自身を見つけ出してくれた乱藤四郎の慌てた声が耳に入る。
それにうさぎはじっと見つめた先に呆然と佇む三日月宗近から視線を逸らして駆けつけた乱を見る。
少女めいた愛らしい顔が痛ましげにうさぎを見つめている。
どうしてそのような酷い顔をしているのと頭に浮かぶも声にならない。喉が引きつって乱を心配する声が出ないのだ。
「ぅっ、ぁっ」
漏れる声は言葉でもない嗚咽。何故、言葉にならない。何故、喉が引きつっている。
ポタリと何かが顎を伝う感触がした。そして、そこから伝うものがうさぎの手の甲に落ちる。手の甲に落ちた感触にゆるりと視線を下げればパタパタと次々に透明な雫が零れた。
「ぇ?」
うさぎは泣いていたのだ。その透き通るような湖のように美しい青い瞳から同じく美しい雫を零していた。
何故、と口に出さない疑問がうさぎの頭に浮かぶ。しかし、その原因を探ろうとすると酷い頭痛が起こる。その痛みは凄まじくうさぎは顔を歪めると咄嗟に額を抑えた。
「っ」
「うさぎちゃん? 頭痛いの? 具合悪くなっちゃった?」
心配さを色濃くさせた声を出す乱にうさぎは心配ないと言いたいが声は相変らず発せない。
「今日は人混みですから疲れが出たんでしょう。ねぇ、うさぎちゃん」
正面からかけられた柔らかく優しい声にうさぎは視線を上げる。
そこには変わらぬ好々爺ともいえる柔らかな笑みを浮かべた秋元翁がいた。だが、その拍子にいまだに目を見開いてこちらを見つめる三日月宗近が目に入った。
瞬間、一場面がうさぎの頭に過る。しかし、その場面はすぐさま消えて失せてしまった。あまりにも一瞬であったがうさぎの頭にその場面は色濃く残り――酷く愛おしく切なかった。
「っ」
嗚咽ばかり漏れる声にうさぎは顔を覆った。
「うさぎちゃんっ。今日は、今日はもう帰ろう。ね?」
触れる小さな手が暖かくうさぎの冷え切った身体にじんわりと馴染む。そして、うさぎは乱の提案にひとつ頷く。
「うん。じゃ、帰ろうか。お爺さん、主さんと一緒に居てくれてありがとうございます」
「いいや。なんてことないさ。うさぎちゃんもお大事に」
労わる優しい声音にうさぎは何も言葉として返すことができなくて心苦しくなる。しかし、それ以上に上回る心の痛みにうさぎは頷くことしかできない。
「三日月さんも主さんが見つかってよかったね。それに一緒に探すのを手伝ってくれてありがとう」
「いや、なに。こちらこそ主を共に探してくれて感謝している。ありがとう」
戸惑いながらもしっかりと乱に感謝の念を伝える声。
ゆったりとした落ち着きのある低い声。懐かしくて酷く焦がれた声を耳にしたときだった。うさぎの頭の中に怒涛の「記憶」が流れて来た。
流れてくる記憶に頭は痛まない。まるで納まるべくしてあらかじめ「記憶」されていたように湧き出てくる。それは脳内が覚えていたというものではない。それは、魂が――廻りに廻ったうさぎの魂が記憶していた「記憶」であった。
涙はいまだに流れながらうさぎは覆っていた顔をゆっくりと手を外し再び――愛おしい人の顔を見つめる。ただ、それだけ先ほどと同じようで違う涙が零れた。そして、うさぎは焦がれるほど愛した人の名を呼んだ。
「三日月様」
呼ばれた人は酷く驚いた顔をして口を開いた瞬間うさぎの意識はプツリと絶えてしまった。
* * *
うさぎが万事屋にて倒れたという一報が本丸にこんのすけによって齎された。
何とか混乱が落ち着いた本丸から代表としてこんのすけとうさぎの担当官のルナと共に病院に向かったのは歌仙兼定であった。
こんのすけを肩に乗せ足早に教えられた病室に向かう。後ろでは急ぎ足の歌仙を注意するルナの声が聞こえるが歌仙はそれどころではなかった。
「出かけるときはあんなに元気だったのにっ」
そう。彼の頭の中にはすでに大切な一等大事な少女のことしかなかった。
近頃は自身の無力さに塞ぎこむことも少なくなったうさぎ。しかし、それでも彼女は何か悩みを抱えている様子に歌仙には見えた。だが、彼女はお調子者で且つドジで泣き虫なのにギリギリまで誰かに頼ろうとしないのだ。
今回の倒れた原因だって何時ぞやの月夜に見せた愁いにあるかもしれない。歌仙はやりきれない思いであった。
頼られなかったことと、不安を取り除けなかった悔しさに奥歯を噛みながら歌仙は病室へと辿り着いた。
「主!」
勢いよく開いた病室は幸い彼女以外の患者はいなかった。いや、居たとしても歌仙の視界には大切な主であるうさぎ以外は映らないのであろう。
現に、彼はうさぎの周りにいる者など視界に入っていないと言う様子で彼女が眠るベッドに近寄る。
白いベッドの上で彼女は幾分か優れない顔色をしているものの落ち着いた寝息を零していた。その様子に歌仙か安堵の溜息を零し、肩の力を抜いた。
「ふっ、ぅぅ~。うさぎ様がご無事でよかったですぅ」
へたれた声は歌仙の肩にどっしりと乗ったこんのすけであった。
こんのすけを「こんちゃん」と呼んで可愛がるうさぎはこんのすけにとってもかけがえのない主なのであろう。
「はぁ。追いついたっと。ああ、よかった。これならば明日には退院できそうね」
と、後ろからかけられた女性の声は追いついた担当官ルナのものであった。
うさぎが審神者になった頃からよくしてくれている女性の担当官。美しい黒髪は綺麗なウェーブでふわふわと靡き、金の瞳はいつも優しく時には厳しくうさぎを見つめていた。まるで母のような、姉のような存在の女性であった。そして、ルナの視線がふいにうさぎから外れたのを見て歌仙も辿る様に視線をずらしていく。
そこには乱と演練や万事屋でしか見かけたことがなかった三日月宗近が居た。さらに、視線を辿ると三日月の男らしくも美しい手はしっかりとうさぎの華奢な手を握りしめていた。
まるで想い合う者同士とも思えるような場面に歌仙の凛々しい眉が顰められると――。
「あ、か、歌仙さん、これは、うさぎちゃんが三日月さんの手を離さなくて、えっと、あのねっ」
乱が歌仙の剣呑さを読み取ったのか必死の形相で弁面を始める。
だが、それこそ歌仙にとっては面白くなく不機嫌な表情のまま乱に視線を変える。
「なんだい、乱。まるで僕がそこの三日月宗近が主に手を出したとでも言っているみたいじゃないか」
「あ、違うの?――あ、あははっ。ごめん、ごめん! ちょぉっと歌仙さんの顔がこわ――ごめんなさい」
「乱。それはどういう意味の謝罪かな?」
乱のお調子者感はどこかうさぎ譲りで歌仙はにこりと麗しい笑みを浮かべて詰め寄る。しかし、乱は唇の端を引き攣らせるだけで返事はなかった。
こういうところは全くうさぎによく似ている。乱の様子にフォローを入れると歌仙は再び彼の隣に座る三日月宗近に戻す。
すると、彼は歌仙の視線に困惑と戸惑いを滲ませた表情を見せた。
その情けなさの滲む姿に歌仙は眉間に皺を一瞬作るもすぐに引っ込め頭を下げた。
「僕の主が迷惑をかけた。そして、こうして病院にまで付き添ってくれてありがとう。感謝してもしつくせない」
「いや。俺は何もしていないさ。感謝なら俺の主に言ってくれ」
つい先ほどの垣間見せた貫禄のない姿とは想像もできないしっかりとした声に歌仙は目を丸くさせた。そして、やはり三日月という刀剣男士は腹の読めぬ付喪神であるとも改めて認識できた。
「三日月宗近様。あなたの審神者様はどこへ?」
「ああ。主なら医者に呼ばれて話を聞いているところだ」
「あら。そこまでしていただいていたのですね」
ルナが申し訳ないといった表情をするのを三日月は緩やかに首を振った。
「なに。主も気にしてはいないさ。主は、この娘を大層気に入ったようでな心底心配してすぐに帰ることもできなかったからな」
ついっと上弦の月が浮かぶと言われる美しい瞳を眠り続けるうさぎに向けた。
その視線に込められた熱に歌仙は再び瞠目した。そして、その瞳に込められた意味を計りかねた。
どうにもかける言葉も見つからずに考え込んでいると病室が開く音がした。
「おや。うさぎちゃんの刀剣男士と担当官がいらしたのかな?」
扉の方を見ればそこには杖をついた紳士然とした翁がいた。
どうやらこの翁が三日月宗近の主にして歌仙の主うさぎを助けてくれた審神者のようだ。
「まぁ。うさぎちゃんを助けてくれたのは秋元様でいらっしゃったのですね」
と、歌仙の横で驚いた声を上げたのはルナであった。どうやら彼女は目の前の秋元という翁を知っているようだ。
「あなたはこの方とは知り合いなのかい?」
「いえ。直接的には私の同僚が担当を務めている方でうさぎちゃんの配属する支部のトップクラスに在籍する審神者なのよ。それに、この――朔行軍との戦いの黎明期より戦っている審神者様よ」
「そうだったのかい。これは本当に僕の主がご迷惑をおかけいたしました」
「いやいや。なんてことないよ。さて、うさぎちゃんの刀剣男士に、担当官が来たのならもう大丈夫だね。三日月、私たちはお暇しよう」
目尻を下げて微笑む秋元翁は三日月に声をかける。それに、三日月はひとつ頷いて再び熱い瞳で眠り続けるうさぎを見る。
離れがたそうな三日月に歌仙は思わず口をついてしまった。
「後日、主を連れてお礼をしたいのだがよろしいかな?」
歌仙は三日月を見ることなく彼の主に訊ねる。すると、好々爺は目じりを下げて歌仙の提案を受け入れてくれた。
「そこまでしなくとも――と言いたいのですが私も元気になったうさぎちゃんの姿が見たいのでどうぞ遊びに来てくださいな」
是非歓迎させてくださいと何だかすごいことになりそうな言葉に歌仙は苦笑を零す。
「なら。僕らもとびきりの土産を用意しなくては。ね、乱」
「うん! そうだね。三日月さん、うさぎちゃんきっとすぐに良くなってすぐに逢えるよ」
と、乱がいまだにうさぎの手を握る続ける三日月に告げる。すると、三日月の女性にも勝らぬ美しい肌がさっと朱をさし目に見えて狼狽しだす。
「な、いや、別に、俺は、そのっ」
「おや。なんだい。君は僕の主に逢いたくないのかい?」
あまりの狼狽ぶりに思わず悪戯心が働くと今度は三日月の顔が青ざめる。何とも器用な刀剣男士だと心の中で笑っていると彼は狼狽するのもやめてしまった。そして、一度深呼吸を繰り返すと美しいと称される瞳が真っ直ぐに歌仙を見つめた。
「いや。また、逢いたいな」
その込められた想いの深さが垣間見られた。
あまりの深い想いに歌仙は一瞬瞠目し溜息を吐いた。
「はぁ。まったく、主はどうも罪な女性になってしまったようだねぇ」
やれやれと首を振りながらも心の底では寂しさが湧き出た。
つい、つい、先日まで歌仙が大切で大事にしていた姫君は月を冠する付喪神をいっちょ前に射止めてしまったようだ。まだまだ、女の子だと思っていたのにと親心のような、兄心のような複雑さが生まれる。
はぁともう一度深い息を吐き出して歌仙は隣に立つルナに声をかける。
「君に取り計らってもらうことになるがいいかな?」
「ええ。いいわよ。任せて頂戴」
茶目っ気たっぷりのウィンクひとつ投げる彼女に歌仙も笑みを浮かべる。そして、最後に先ほどよりも大分血色の戻り安らかに眠るうさぎに歌仙は微笑みかけたのだった。
* * *
先ほどまで護ってやりたくなるほど華奢な手を握っていた己の手を見下ろしていた。本当に、本当に、先ほどまで自分が恋焦がれ続けていた者の手を握っていたのだろうか。
まさか夢ではないだろうか。と、信じられない想いで握ったり閉じたりを繰り返していると前を歩く主の笑う声が小さく届く。
「ふふっ。そんなにあの子と離れがたかったのかい?」
「あ、いや――まぁ、そうだな」
見透かされたような問いかけに三日月は素直に答える。長い付き合いの主には何でもお見通しといったところなのだろう。
「そうかい。もしかしてあの子がずっと、それはもぉずぅっと探していたお相手なのかい」
「……そこまでお見通しというやつか。さすが主だな」
隠し事はできんなと笑っているとふいに主の足が止まる。そして、ゆっくりとした動作で振り返った。振り返った主は好々爺というなりを潜めじっと何かを探るような鋭い目を向けてくる。
「三日月。私は――僕はもうすぐ引退する」
「……ああ。それは先月聞いたな」
朔行軍との戦が始まった黎明期より審神者をしていた主。すでに彼の身体は刀剣男士を纏め上げ指揮を執るには難しいほど老いていた。故に、彼は先月引退することを宣言した。詳しい時期は決まっていないが着々と彼の引退は進められている。そして、主秋元の引退の準備が着々と進められている中、刀剣男士は刀解されるか、現世に残るかと同じように選択を求められていた。
その中、三日月はいまだにどちらにするか迷っていたのだが――。
「三日月。自分の行くべき道に悩んでいるのならいくらでも相談に乗る。お前は長い時を過ごし過ぎて少しばかり自分のことに無頓着だ。いいかい。お前は、お前たち刀剣男士は自身で道を選べる。もちろん、僕が審神者をやめるときに大本に戻るもよしだ。だがね。もしも、もしもだ。まだやり残していることを放っておいてほしくないんだ」
自分勝手で悪いね、と苦笑する主は三日月や刀剣男士たちのことを十分に思っていてくれているのが伝わる。本当に三日月の主はよい主だ。故に、三日月はこの主以外の審神者を主に持ちたくはないと何度も思ったのだ。
「三日月。まだ時間はあるからゆっくりと考えて答えを出しなさい。いいかい――あの子を、うさぎちゃんを哀しませてはいけないよ」
いいね、と今日だけ爺馬鹿にでもなったのか鋭い眼光を見せる主に三日月は苦笑を零した。
「ああ。そうならない選択をしたいな」
と、三日月は先ほどまであった温もりを確かめるように手を握りしめたのだった。
2024.07.21 改題、一部修正
うさぎが唯一呼び起せていない刀剣男士は天下五剣にして最も美しい刀剣三日月宗近であった。
決して彼を嫌っているわけではない。しかし、うさぎは中々三日月宗近を励起できないでいた。その最中、演練でも万事屋でもどこかで三日月宗近を見かけるとうさぎは心揺さぶられて落ち着かなくなる。それが、美しさで多くの人間を惑わした刀剣故だからであろうか。
自分自身もその美しさに魅入られた人間かと思った時期もある。だが、それにしては心惹かれると同時に心が痛んだ。
チクチクと痛む心にうさぎは答えを出せていなかった。そのうさぎの心を突くささやかな痛みが今鋭い痛みとなって心臓に突き刺さった。
「うさぎちゃん! どうしたの!」
自身を見つけ出してくれた乱藤四郎の慌てた声が耳に入る。
それにうさぎはじっと見つめた先に呆然と佇む三日月宗近から視線を逸らして駆けつけた乱を見る。
少女めいた愛らしい顔が痛ましげにうさぎを見つめている。
どうしてそのような酷い顔をしているのと頭に浮かぶも声にならない。喉が引きつって乱を心配する声が出ないのだ。
「ぅっ、ぁっ」
漏れる声は言葉でもない嗚咽。何故、言葉にならない。何故、喉が引きつっている。
ポタリと何かが顎を伝う感触がした。そして、そこから伝うものがうさぎの手の甲に落ちる。手の甲に落ちた感触にゆるりと視線を下げればパタパタと次々に透明な雫が零れた。
「ぇ?」
うさぎは泣いていたのだ。その透き通るような湖のように美しい青い瞳から同じく美しい雫を零していた。
何故、と口に出さない疑問がうさぎの頭に浮かぶ。しかし、その原因を探ろうとすると酷い頭痛が起こる。その痛みは凄まじくうさぎは顔を歪めると咄嗟に額を抑えた。
「っ」
「うさぎちゃん? 頭痛いの? 具合悪くなっちゃった?」
心配さを色濃くさせた声を出す乱にうさぎは心配ないと言いたいが声は相変らず発せない。
「今日は人混みですから疲れが出たんでしょう。ねぇ、うさぎちゃん」
正面からかけられた柔らかく優しい声にうさぎは視線を上げる。
そこには変わらぬ好々爺ともいえる柔らかな笑みを浮かべた秋元翁がいた。だが、その拍子にいまだに目を見開いてこちらを見つめる三日月宗近が目に入った。
瞬間、一場面がうさぎの頭に過る。しかし、その場面はすぐさま消えて失せてしまった。あまりにも一瞬であったがうさぎの頭にその場面は色濃く残り――酷く愛おしく切なかった。
「っ」
嗚咽ばかり漏れる声にうさぎは顔を覆った。
「うさぎちゃんっ。今日は、今日はもう帰ろう。ね?」
触れる小さな手が暖かくうさぎの冷え切った身体にじんわりと馴染む。そして、うさぎは乱の提案にひとつ頷く。
「うん。じゃ、帰ろうか。お爺さん、主さんと一緒に居てくれてありがとうございます」
「いいや。なんてことないさ。うさぎちゃんもお大事に」
労わる優しい声音にうさぎは何も言葉として返すことができなくて心苦しくなる。しかし、それ以上に上回る心の痛みにうさぎは頷くことしかできない。
「三日月さんも主さんが見つかってよかったね。それに一緒に探すのを手伝ってくれてありがとう」
「いや、なに。こちらこそ主を共に探してくれて感謝している。ありがとう」
戸惑いながらもしっかりと乱に感謝の念を伝える声。
ゆったりとした落ち着きのある低い声。懐かしくて酷く焦がれた声を耳にしたときだった。うさぎの頭の中に怒涛の「記憶」が流れて来た。
流れてくる記憶に頭は痛まない。まるで納まるべくしてあらかじめ「記憶」されていたように湧き出てくる。それは脳内が覚えていたというものではない。それは、魂が――廻りに廻ったうさぎの魂が記憶していた「記憶」であった。
涙はいまだに流れながらうさぎは覆っていた顔をゆっくりと手を外し再び――愛おしい人の顔を見つめる。ただ、それだけ先ほどと同じようで違う涙が零れた。そして、うさぎは焦がれるほど愛した人の名を呼んだ。
「三日月様」
呼ばれた人は酷く驚いた顔をして口を開いた瞬間うさぎの意識はプツリと絶えてしまった。
* * *
うさぎが万事屋にて倒れたという一報が本丸にこんのすけによって齎された。
何とか混乱が落ち着いた本丸から代表としてこんのすけとうさぎの担当官のルナと共に病院に向かったのは歌仙兼定であった。
こんのすけを肩に乗せ足早に教えられた病室に向かう。後ろでは急ぎ足の歌仙を注意するルナの声が聞こえるが歌仙はそれどころではなかった。
「出かけるときはあんなに元気だったのにっ」
そう。彼の頭の中にはすでに大切な一等大事な少女のことしかなかった。
近頃は自身の無力さに塞ぎこむことも少なくなったうさぎ。しかし、それでも彼女は何か悩みを抱えている様子に歌仙には見えた。だが、彼女はお調子者で且つドジで泣き虫なのにギリギリまで誰かに頼ろうとしないのだ。
今回の倒れた原因だって何時ぞやの月夜に見せた愁いにあるかもしれない。歌仙はやりきれない思いであった。
頼られなかったことと、不安を取り除けなかった悔しさに奥歯を噛みながら歌仙は病室へと辿り着いた。
「主!」
勢いよく開いた病室は幸い彼女以外の患者はいなかった。いや、居たとしても歌仙の視界には大切な主であるうさぎ以外は映らないのであろう。
現に、彼はうさぎの周りにいる者など視界に入っていないと言う様子で彼女が眠るベッドに近寄る。
白いベッドの上で彼女は幾分か優れない顔色をしているものの落ち着いた寝息を零していた。その様子に歌仙か安堵の溜息を零し、肩の力を抜いた。
「ふっ、ぅぅ~。うさぎ様がご無事でよかったですぅ」
へたれた声は歌仙の肩にどっしりと乗ったこんのすけであった。
こんのすけを「こんちゃん」と呼んで可愛がるうさぎはこんのすけにとってもかけがえのない主なのであろう。
「はぁ。追いついたっと。ああ、よかった。これならば明日には退院できそうね」
と、後ろからかけられた女性の声は追いついた担当官ルナのものであった。
うさぎが審神者になった頃からよくしてくれている女性の担当官。美しい黒髪は綺麗なウェーブでふわふわと靡き、金の瞳はいつも優しく時には厳しくうさぎを見つめていた。まるで母のような、姉のような存在の女性であった。そして、ルナの視線がふいにうさぎから外れたのを見て歌仙も辿る様に視線をずらしていく。
そこには乱と演練や万事屋でしか見かけたことがなかった三日月宗近が居た。さらに、視線を辿ると三日月の男らしくも美しい手はしっかりとうさぎの華奢な手を握りしめていた。
まるで想い合う者同士とも思えるような場面に歌仙の凛々しい眉が顰められると――。
「あ、か、歌仙さん、これは、うさぎちゃんが三日月さんの手を離さなくて、えっと、あのねっ」
乱が歌仙の剣呑さを読み取ったのか必死の形相で弁面を始める。
だが、それこそ歌仙にとっては面白くなく不機嫌な表情のまま乱に視線を変える。
「なんだい、乱。まるで僕がそこの三日月宗近が主に手を出したとでも言っているみたいじゃないか」
「あ、違うの?――あ、あははっ。ごめん、ごめん! ちょぉっと歌仙さんの顔がこわ――ごめんなさい」
「乱。それはどういう意味の謝罪かな?」
乱のお調子者感はどこかうさぎ譲りで歌仙はにこりと麗しい笑みを浮かべて詰め寄る。しかし、乱は唇の端を引き攣らせるだけで返事はなかった。
こういうところは全くうさぎによく似ている。乱の様子にフォローを入れると歌仙は再び彼の隣に座る三日月宗近に戻す。
すると、彼は歌仙の視線に困惑と戸惑いを滲ませた表情を見せた。
その情けなさの滲む姿に歌仙は眉間に皺を一瞬作るもすぐに引っ込め頭を下げた。
「僕の主が迷惑をかけた。そして、こうして病院にまで付き添ってくれてありがとう。感謝してもしつくせない」
「いや。俺は何もしていないさ。感謝なら俺の主に言ってくれ」
つい先ほどの垣間見せた貫禄のない姿とは想像もできないしっかりとした声に歌仙は目を丸くさせた。そして、やはり三日月という刀剣男士は腹の読めぬ付喪神であるとも改めて認識できた。
「三日月宗近様。あなたの審神者様はどこへ?」
「ああ。主なら医者に呼ばれて話を聞いているところだ」
「あら。そこまでしていただいていたのですね」
ルナが申し訳ないといった表情をするのを三日月は緩やかに首を振った。
「なに。主も気にしてはいないさ。主は、この娘を大層気に入ったようでな心底心配してすぐに帰ることもできなかったからな」
ついっと上弦の月が浮かぶと言われる美しい瞳を眠り続けるうさぎに向けた。
その視線に込められた熱に歌仙は再び瞠目した。そして、その瞳に込められた意味を計りかねた。
どうにもかける言葉も見つからずに考え込んでいると病室が開く音がした。
「おや。うさぎちゃんの刀剣男士と担当官がいらしたのかな?」
扉の方を見ればそこには杖をついた紳士然とした翁がいた。
どうやらこの翁が三日月宗近の主にして歌仙の主うさぎを助けてくれた審神者のようだ。
「まぁ。うさぎちゃんを助けてくれたのは秋元様でいらっしゃったのですね」
と、歌仙の横で驚いた声を上げたのはルナであった。どうやら彼女は目の前の秋元という翁を知っているようだ。
「あなたはこの方とは知り合いなのかい?」
「いえ。直接的には私の同僚が担当を務めている方でうさぎちゃんの配属する支部のトップクラスに在籍する審神者なのよ。それに、この――朔行軍との戦いの黎明期より戦っている審神者様よ」
「そうだったのかい。これは本当に僕の主がご迷惑をおかけいたしました」
「いやいや。なんてことないよ。さて、うさぎちゃんの刀剣男士に、担当官が来たのならもう大丈夫だね。三日月、私たちはお暇しよう」
目尻を下げて微笑む秋元翁は三日月に声をかける。それに、三日月はひとつ頷いて再び熱い瞳で眠り続けるうさぎを見る。
離れがたそうな三日月に歌仙は思わず口をついてしまった。
「後日、主を連れてお礼をしたいのだがよろしいかな?」
歌仙は三日月を見ることなく彼の主に訊ねる。すると、好々爺は目じりを下げて歌仙の提案を受け入れてくれた。
「そこまでしなくとも――と言いたいのですが私も元気になったうさぎちゃんの姿が見たいのでどうぞ遊びに来てくださいな」
是非歓迎させてくださいと何だかすごいことになりそうな言葉に歌仙は苦笑を零す。
「なら。僕らもとびきりの土産を用意しなくては。ね、乱」
「うん! そうだね。三日月さん、うさぎちゃんきっとすぐに良くなってすぐに逢えるよ」
と、乱がいまだにうさぎの手を握る続ける三日月に告げる。すると、三日月の女性にも勝らぬ美しい肌がさっと朱をさし目に見えて狼狽しだす。
「な、いや、別に、俺は、そのっ」
「おや。なんだい。君は僕の主に逢いたくないのかい?」
あまりの狼狽ぶりに思わず悪戯心が働くと今度は三日月の顔が青ざめる。何とも器用な刀剣男士だと心の中で笑っていると彼は狼狽するのもやめてしまった。そして、一度深呼吸を繰り返すと美しいと称される瞳が真っ直ぐに歌仙を見つめた。
「いや。また、逢いたいな」
その込められた想いの深さが垣間見られた。
あまりの深い想いに歌仙は一瞬瞠目し溜息を吐いた。
「はぁ。まったく、主はどうも罪な女性になってしまったようだねぇ」
やれやれと首を振りながらも心の底では寂しさが湧き出た。
つい、つい、先日まで歌仙が大切で大事にしていた姫君は月を冠する付喪神をいっちょ前に射止めてしまったようだ。まだまだ、女の子だと思っていたのにと親心のような、兄心のような複雑さが生まれる。
はぁともう一度深い息を吐き出して歌仙は隣に立つルナに声をかける。
「君に取り計らってもらうことになるがいいかな?」
「ええ。いいわよ。任せて頂戴」
茶目っ気たっぷりのウィンクひとつ投げる彼女に歌仙も笑みを浮かべる。そして、最後に先ほどよりも大分血色の戻り安らかに眠るうさぎに歌仙は微笑みかけたのだった。
* * *
先ほどまで護ってやりたくなるほど華奢な手を握っていた己の手を見下ろしていた。本当に、本当に、先ほどまで自分が恋焦がれ続けていた者の手を握っていたのだろうか。
まさか夢ではないだろうか。と、信じられない想いで握ったり閉じたりを繰り返していると前を歩く主の笑う声が小さく届く。
「ふふっ。そんなにあの子と離れがたかったのかい?」
「あ、いや――まぁ、そうだな」
見透かされたような問いかけに三日月は素直に答える。長い付き合いの主には何でもお見通しといったところなのだろう。
「そうかい。もしかしてあの子がずっと、それはもぉずぅっと探していたお相手なのかい」
「……そこまでお見通しというやつか。さすが主だな」
隠し事はできんなと笑っているとふいに主の足が止まる。そして、ゆっくりとした動作で振り返った。振り返った主は好々爺というなりを潜めじっと何かを探るような鋭い目を向けてくる。
「三日月。私は――僕はもうすぐ引退する」
「……ああ。それは先月聞いたな」
朔行軍との戦が始まった黎明期より審神者をしていた主。すでに彼の身体は刀剣男士を纏め上げ指揮を執るには難しいほど老いていた。故に、彼は先月引退することを宣言した。詳しい時期は決まっていないが着々と彼の引退は進められている。そして、主秋元の引退の準備が着々と進められている中、刀剣男士は刀解されるか、現世に残るかと同じように選択を求められていた。
その中、三日月はいまだにどちらにするか迷っていたのだが――。
「三日月。自分の行くべき道に悩んでいるのならいくらでも相談に乗る。お前は長い時を過ごし過ぎて少しばかり自分のことに無頓着だ。いいかい。お前は、お前たち刀剣男士は自身で道を選べる。もちろん、僕が審神者をやめるときに大本に戻るもよしだ。だがね。もしも、もしもだ。まだやり残していることを放っておいてほしくないんだ」
自分勝手で悪いね、と苦笑する主は三日月や刀剣男士たちのことを十分に思っていてくれているのが伝わる。本当に三日月の主はよい主だ。故に、三日月はこの主以外の審神者を主に持ちたくはないと何度も思ったのだ。
「三日月。まだ時間はあるからゆっくりと考えて答えを出しなさい。いいかい――あの子を、うさぎちゃんを哀しませてはいけないよ」
いいね、と今日だけ爺馬鹿にでもなったのか鋭い眼光を見せる主に三日月は苦笑を零した。
「ああ。そうならない選択をしたいな」
と、三日月は先ほどまであった温もりを確かめるように手を握りしめたのだった。
2024.07.21 改題、一部修正
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