月の始まり
**3**
「三日月さん。何かいいことありましたか?」
「ん?」
共に内番をしていた秋田藤四郎が桜色を混ぜた青い瞳を煌めかせながら訊ねた。好奇心旺盛な刀剣男士は少なからずいるが秋田はずば抜けて旺盛なのだ。
しかし、三日月自身としては秋田の言うところのいいことというのが中々思い至らない。
「ん~。秋田から見れば俺はどんな風に映る?」
「そうですねぇ。なんかそわそわしていて、うきうきしています!」
鍬を置いて垂れる汗を拭い訊ね返す。
秋田も同じく鍬を置いて身振り手振りを加えて答えた。しかし、その答えは何とも抽象的で三日月は苦笑を浮かべた。
「そわそわに、うきうきか?」
「はい! えっと、なんて言うんですかね。こ~、ん~。例えばですよ」
「うんうん」
三日月にあまり伝わっていないと解ったのか秋田が例え話をしだす。
それに三日月も自身のことだというのに興味深そうに秋田の話に耳を傾けた。
「僕。いち兄が作るホットケーキがすごく好きなんです。その日はこう、身体がとても落ち着かないんです。で、心っていうんですかね。とても楽しみで楽しみでしょうがないっていう気分になるんです! そう! 三日月さんの様子はこういう感じにとても似ているんです!」
ぱっといい例えが出来たと花咲くように笑う秋田に三日月は目を見開いた。
そして、思い当たることがひとつあった。ここ最近、早朝の散歩で出逢う水面越しの名も知らぬ乙女との逢瀬だ。
少女に逢えると思うと日が昇る前に起きてしまう。少女に逢えると思うと自然と歩調が早くなる。少女に逢えると心が浮足立つ。水面が揺れて別れを察するととても寂しくなるのだ。だが、再び明日の朝出逢えると思うとその気持ちが微かに薄れ待ち遠しくなる。
この気持ちは何というのだろうか聞いたことだけはあった。
「……ああ。そうか。そうか」
「うわわっ! 三日月さん! お顔が真っ赤ですよ! どうしたんですか!」
驚き声を上げる秋田に三日月は返事をすることもできずに片手で顔を覆う。
触れる頬が熱くて、熱くてしかたない。千年以上付喪神をやってきた。だが、人間の感情――心は理解していなかったようだ。
「三日月さん?」
「いや、なに。そう気にするな」
「で、でも……」
「秋田。これは俺たちだけの秘密にしてくれ」
頼む、と小さな声で言うと大きな目を数回瞬くとにっこりほほ笑んだ。
「はい。わかりました。なんなら金打しておきますか?」
「そうだな……。うん。これは男同士の秘密にしてほしい」
「はい! では!」
ふわり、秋田の小さな手の中に彼の本体が桜の花びらと共に現れる。そして、同じように三日月の手の中にも眩い星を放ちながら彼の本体が現れた。
二人は向き合い鞘から数センチ刃を出す。
「では、秘密にしておくれよ」
「はい。僕。これでも口固いんですから――では」
カチンとひとつの音が響いた。
* * *
いつもと変わらぬ時間に布団に入った三日月の目はいやに冴えていた。
普段であればすぐに眠れるはずなのに今宵はそうはいかなかった。
「心の臓が煩いな」
昼間、秋田と行ったときの内番でのやりとりで自覚した水面の乙女への想いの所為だろうか。
「うん。眠れぬならば散歩でもするか」
いくら横になっていても眠れぬと悟った三日月は紺色の羽織を片手に部屋を後にした。
今宵の月は満月のようで雲に隠されることなく本丸や庭を照らしていた。
もちろん、三日月の散歩道も明るく照らしている。いくら審神者の力により夜目の利かぬ太刀でも夜道を歩けるようになっているとはいえ月光はありがたい。
「さすがに夜には逢えぬであろうな」
散歩のゴールはあの湖。だが、彼女と逢うのはいつも早朝の爽やかな時間。このような夜の帳が落ちた時間には逢うことなど叶わないであろう。
それが寂しくもあるが朝には逢えるのであるから良いかと三日月はいつものように湖へと歩き続きたのだった。
しばらく歩き続ければ目的地へと到着した。
水面は波立ことなく満月の光を受け眩しいほどに輝いている。それが朝との光景と違いまた幻想的に三日月の瞳に映った。
「夜の散歩もまた良いものだな」
これだけでも一等の価値があると三日月は湖畔に近づく。そして、いつの癖のように水面を覗き込んでしまう。その癖に三日月はひとり笑った。
「ははは。癖がつくほど逢瀬を繰り返していたか」
ピチャッと自身が映る水面に長くも骨ばった男らしいも美しい指で遊ぶ。
ピチャ、ピチャ、と指で遊ぶと波紋が徐々に静かな水面に広がっていく。
この光景も何とも良いことか、と楽しくなってきたがこれ以上無暗に崩したくないと思い指を水面から上げると――。
「な、に」
つい先ほどまで揺れる水面に映っていたのは三日月自身だ。だのに、今は白銀の美しい髪と青空の如く美しい瞳を持った水面の乙女が映っているではないか。
三日月は目を見開いたまま水面に映る名も知らぬ想い人を眺めている。それに彼女は朝と変わらない可憐な笑みを浮かべた。
「なぜ――っつ!」
不思議に三日月は呆然と眺めているとトンと誰かに背を押された。
しゃがみ込み先ほどまで水と戯れていた三日月はそのまま水面へと突っ込む形となった。
* * *
来たる衝撃に目を瞑っていた三日月であったがいくら経っても衝撃は来なかった。
恐る恐ると瞑っていた瞳を開くとそこには――。
「あの、大丈夫ですか?」
青空よりも深く清らかな瞳が心配げに三日月を見下ろしていた。
この瞳を三日月は知っている。
「水面の乙女?」
すると、水面越しに見ていたときと同じように可憐な笑みを浮かべ白い頬を赤く染めた。やはり、彼女は名も知らぬ想い人であった。
「あなた様の声はわたしの想像していた以上に素敵です」
「そなたも俺が想像していた以上に可愛らしい声だな」
ようやっと聞けた声は三日月の想像を上回るほど愛らしくて美しい。そして、実際に見る以上に青い瞳は美しく、銀糸のような髪は美しく夜空に煌めく星々のようだ。
「起きられますか? どこか具合が悪いところはないですか?」
「うん。大丈夫だが、ここはどこだ?」
周り一面水が天井から流れ覆われている。よくよく見れば天井も床も水で出来ている。
「わたしも実は解らないの」
困ったような顔をする少女も解らないようで青い瞳が不安そうに揺れる。
「そうだったのか……俺も突然誰かに背中を押され湖に突き落とされたのだが」
「あら。わたしもそうなのです! あ。なら、この世界は水面の中ということですね!」
ぱっと答えが出たと花咲くように微笑む彼女に三日月は思わず吹き出す。
「まぁ! なぜ、笑うのです!」
「いや。なんと愛らしい答えだと思ってなぁ。あい、すまない」
「もう! 酷いお方!」
プンプンという効果音が尽きそうな顔で三日月を軽く叩く少女。それを三日月は笑いながら受ける。
「いや。すまん。すまん」
「もう……そういえば、わたし、まだ名を訊いていませんでしたね。わたしの名はプリンセス・セレニティといいます。セレニティで構いません」
「そうだったな。俺の名は三日月宗近。三日月で構わん」
「三日月……まぁ。あなた三日月様というのですね」
白い頬を薄らと染めたままセレニティは微笑む。それに、三日月は何かと首を傾げる。
「いえ。わたしとあなたは色々繋がることがあるのだと、あの水面での出逢いもきっと偶然なのではないのですね。必然だったのですね」
ふふと嬉しげに目を細めて微笑むセレニティに三日月まで嬉しくなってしまう。
「そなたが言うのであればそうかもな。ふふ」
「まぁ。嘘ではないですよ! 絶対にわたしとあなたは出逢う運命だったのです!」
絶対です、と必死な様は愛らしく。三日月はひとしきり頷く。
「さて、と。この中が水面の中――というのであればどう出るかだな」
「あら。もう出ることをお考えなのですか?」
ことりと首を傾げる姿に三日月は目を瞬かせ眉を下げた。
「そなたを心配している者もいるだろう」
先ほどの名乗りでセレニティは「プリンセス」と言っていた。三日月も人間の世に長らく過ごし、且つ人の形を得て暫く経つ。彼女の名乗りにあった「プリンセス」が何を示すかは知っている。しかし、彼女がどこの世界の王族かは三日月をもってしても推測はできない。ただ、この出会いは真に不思議な縁で繋がっていることは確かであった。
「三日月様?」
「おっと、すまん。何。どうすれば帰れるか考えていてな」
先ほどの考えを打ち消すように三日月が言えばセレニティは恥ずかしそうに手を弄っていた。
「その。確かに早く帰らなければいけないのは解るのです。ですけど、その、あの」
「ん?」
「鈍いお方。わたしはあなたとまだここに居たいのです!」
「恥ずかしいのに言わせないでください」と両手で顔を隠すセレニティ。
三日月は暫しセレニティが言ったことを考え理解すると瞬く間に頬に熱が集まった。
「な、なにを」
言葉にならなかった。つい昼間に水面の乙女に恋していることを自覚した三日月。そもそも恋などしたこともないに等しい。つまり、初恋の真っただ中の三日月が早々に両想いという現状に陥ってしまったのだ。対応などできるはずもないということだ。
「――あら。三日月様、お顔が真っ赤!」
「い、いや。その、ああ……す、すまない」
「謝らないでください。わたしも女性の身ではしたなかったですね」
突然、ごめんなさい、と悲しげに告げる彼女の姿に胸が締め付けられた。
三日月はまるで何か突き動かされるように口を開いた。
「違う。そなたの想いとても嬉しかった……俺も同じであるから」
「え」
驚きに目を見開くセレニティを前に三日月は照れくさくなりながら話した。
セレニティへの想いを自覚したのは昼間なのだと。初めてした恋に想いが溢れて眠れず散歩をしていたのだと。男が赤裸々に女への想いを語るのは良いのかもわからないが三日月は溢れる想いを告げた。
「ふふ。わたしたちお互い想い合っていたのですね」
「そのようだな」
二人お互い微笑み合うとセレニティがそっと華奢な手を差し出した。
その意味が解らず首を傾げるとセレニティが甘く微笑んだ。
「よろしければ一曲踊りません?」
「踊る? 俺は踊りなど知らんのだが」
刀の付喪神故に三日月は彼女の言うところ踊りは解らない。舞は踊れるかもしれぬが人の踊りなどよく知らない。
「大丈夫です。わたしが教えますから。ほら、手を取ってください!」
「お、おいっ」
両手を引っ張られると三日月はようやく自身の身に纏っているものが戦装束であることを悟る。確かに湖に突き落とされるまでは寝間着に紺色の羽織をかけていた。
そこで三日月はひとつの答えに辿り着く。
「明晰夢、か」
「ん? どうしました?」
「いいや。なんてことない。さて、セレニティよ。俺に踊りとやらを教えてくれ」
三日月は一時の幸せな「夢」を味わおうと彼女の細い手を握り返したのだった。
その手はとても暖かく柔らかかった。
これは本当に明晰夢なのか――現実なのか――それは三日月にも、きっとセレニティにも解らない。だが、水面の上をくるくる回る二人はとても幸せに満ち足りていた。
* * *
別れはあっけなく訪れた。
バシャンと大きな水飛沫の音が聞こえると二人は自然を止まった。そして、二人は自然とこの時間の終わりを悟った。
「別れの時間のようだな」
「……はい」
セレニティの顔が解りやすく沈む。それに三日月も悲しく寂しくなる。
「そのような顔をするな」
穢れを知らない白い頬を両手で包みながら顔を上げさせた。顔をあげたセレニティの瞳はやはり悲しげで潤んでいる。
「泣くな。いつものようにきっと逢える」
「でも、また、このように逢えるとは」
「ん? それも解らぬだろう。ああ、泣くな、泣くな」
ポロポロと流れる涙を拭いながら慰めの言葉をかけるもセレニティの涙は止まらない。その涙はとても綺麗な玉なのだが哀しみを含んだ涙は見ていて辛い。
「泣きやめ。セレニティ」
そっと三日月は泣き止む呪いをかけるように彼女の額に口づけを落とす。そして、音を立てて離れると額にある上弦の月の紋様に微笑む。
「ああ。確かに、俺とそなたが出会うのは必然だったのかもしれぬな」
額にある上弦の月に、月を冠する号を持つ三日月。きっとあの出逢いは必然だったのだろう。
「お。泣き止んだな」
「……はい」
目元を赤く染めるセレニティに三日月は満足げに頷く。そして、ゆっくりと離れると辺りの水音が異様に耳につく。
「別れの時だ。また逢おう」
「はい。何れまた――っ」
「っ」
と、突然距離を詰めたセレニティに衿を掴まれた三日月。そして、頬に柔らかな唇が触れた。だが、それも一瞬の出来事であった。理解したときには愛しい乙女は離れて儚げに微笑んでいた。
「さようなら」
「セレ――」
離れた唇の寂しさを感じながら名を呼ぼうとするも激しい水音に遮られる。
もう一度名を呼ぼうとしたとき三日月は後ろから誰かに引っ張られるように倒れた。
「――づき! ――かづき! 三日月! 起きないか!」
「んぅ?」
誰かに呼ばれゆっくりと目を開くとドアップの石切丸の顔があった。
「……最悪の寝覚めだな」
「……人に心配させておいてそれはないんじゃないかな?」
ひくりと唇の端を引きつらせた石切丸。その石切丸を遠ざけながら三日月はいまだにはっきりしない意識のまま起き上がる。
「どこだ? ここは?」
「はぁ。君、自分がどこにいるのか解らないのかい」
「んん? 山の中か?」
「そう。というか、寝間着姿でふらついて山中で寝ているとか山を舐め過ぎていやいないかい」
石切丸の小言を右から左へ聞き流しながら三日月は徐々に意識を覚醒させていく。
そこでようやく三日月はようやく現実に戻って来て目を見開く。
「石切丸。ここに大きな湖がなかったか?」
「湖? いや。ここには、ないというよりも湖はこの山になかったと私は記憶しているよ」
なかったと言われて三日月は呆然とした。
セレニティと繰り返し逢瀬した湖が忽然と消えたのだ。これに驚くなという方が無理である。そして、それは彼女と永久に逢えぬことを示していた。
突然の出来事に思考が中々追いつかない。だが、心だけはとても早くに絶望を感じ取っていた。
「三日月? 大丈夫かい?」
「ああ……」
心配げに見つめる石切丸に三日月は辛うじて返事をしたが今は一人になりたかった。
あれほど逢えると言葉にしたのにもう逢うことも叶わない愛おしい人。締め付けられる心の臓が痛くて苦しくて心を無くしてしまいたくなる。だのに彼女を想う気持ちをなくしたくなかった。
「ああ。ああ。人の心とはままならぬのだな」
頬に流れる粒は彼女と同じものなのだろうか。神の末席である自身も彼女と同じ涙を流せているであろうか。
三日月はただひたすらに彼女を想い涙した。
* * *
あれから月の姫君が住まう月の王国は地球人の侵攻により滅びることとなった。
その際に、当代の女王は愛娘の自害に心を揺さぶられながら最後の力を解き放つ。そして、愛娘をはじめとした彼女を護りし戦士と共に輪廻の輪へと送り込んだ。
息絶えるその時、女王は次に魂が廻った娘に「普通の女の子」として過ごしてほしいと願いを託したのだった。
月の姫君は地球にて「普通の女の子」として誕生した。だが、運命は彼女を普通の女の子のままにしてはくれなかった。
彼女は再び月の一人の戦士として覚醒した。戦士として覚醒し、再び月のプリンセスとして覚醒した彼女は普通の女の子としてかけ離れた生活を送ることとなった。だが、それは月の主としての使命なのだろう。
闘いと平穏を繰り返しながら彼女は命を燃やして地球を、銀河系を守り続けた。そして、繰り返される闘いに命を燃やし削り続けた彼女の終わりは遠く果てることのない未来であった。一人戦い続けた彼女はひとつ願った。
「あの、ひとに、あい、たい」
そう願い呟いた彼女が息絶えるとき美しい水晶が身体から抜け出て眩いほどの光を放ったのだった。
彼女の純粋無垢な清らかな魂は再び輪廻の輪へと戻り――とある世界にて産声を上げたのだった。
2024.07.21 一部修正
「三日月さん。何かいいことありましたか?」
「ん?」
共に内番をしていた秋田藤四郎が桜色を混ぜた青い瞳を煌めかせながら訊ねた。好奇心旺盛な刀剣男士は少なからずいるが秋田はずば抜けて旺盛なのだ。
しかし、三日月自身としては秋田の言うところのいいことというのが中々思い至らない。
「ん~。秋田から見れば俺はどんな風に映る?」
「そうですねぇ。なんかそわそわしていて、うきうきしています!」
鍬を置いて垂れる汗を拭い訊ね返す。
秋田も同じく鍬を置いて身振り手振りを加えて答えた。しかし、その答えは何とも抽象的で三日月は苦笑を浮かべた。
「そわそわに、うきうきか?」
「はい! えっと、なんて言うんですかね。こ~、ん~。例えばですよ」
「うんうん」
三日月にあまり伝わっていないと解ったのか秋田が例え話をしだす。
それに三日月も自身のことだというのに興味深そうに秋田の話に耳を傾けた。
「僕。いち兄が作るホットケーキがすごく好きなんです。その日はこう、身体がとても落ち着かないんです。で、心っていうんですかね。とても楽しみで楽しみでしょうがないっていう気分になるんです! そう! 三日月さんの様子はこういう感じにとても似ているんです!」
ぱっといい例えが出来たと花咲くように笑う秋田に三日月は目を見開いた。
そして、思い当たることがひとつあった。ここ最近、早朝の散歩で出逢う水面越しの名も知らぬ乙女との逢瀬だ。
少女に逢えると思うと日が昇る前に起きてしまう。少女に逢えると思うと自然と歩調が早くなる。少女に逢えると心が浮足立つ。水面が揺れて別れを察するととても寂しくなるのだ。だが、再び明日の朝出逢えると思うとその気持ちが微かに薄れ待ち遠しくなる。
この気持ちは何というのだろうか聞いたことだけはあった。
「……ああ。そうか。そうか」
「うわわっ! 三日月さん! お顔が真っ赤ですよ! どうしたんですか!」
驚き声を上げる秋田に三日月は返事をすることもできずに片手で顔を覆う。
触れる頬が熱くて、熱くてしかたない。千年以上付喪神をやってきた。だが、人間の感情――心は理解していなかったようだ。
「三日月さん?」
「いや、なに。そう気にするな」
「で、でも……」
「秋田。これは俺たちだけの秘密にしてくれ」
頼む、と小さな声で言うと大きな目を数回瞬くとにっこりほほ笑んだ。
「はい。わかりました。なんなら金打しておきますか?」
「そうだな……。うん。これは男同士の秘密にしてほしい」
「はい! では!」
ふわり、秋田の小さな手の中に彼の本体が桜の花びらと共に現れる。そして、同じように三日月の手の中にも眩い星を放ちながら彼の本体が現れた。
二人は向き合い鞘から数センチ刃を出す。
「では、秘密にしておくれよ」
「はい。僕。これでも口固いんですから――では」
カチンとひとつの音が響いた。
* * *
いつもと変わらぬ時間に布団に入った三日月の目はいやに冴えていた。
普段であればすぐに眠れるはずなのに今宵はそうはいかなかった。
「心の臓が煩いな」
昼間、秋田と行ったときの内番でのやりとりで自覚した水面の乙女への想いの所為だろうか。
「うん。眠れぬならば散歩でもするか」
いくら横になっていても眠れぬと悟った三日月は紺色の羽織を片手に部屋を後にした。
今宵の月は満月のようで雲に隠されることなく本丸や庭を照らしていた。
もちろん、三日月の散歩道も明るく照らしている。いくら審神者の力により夜目の利かぬ太刀でも夜道を歩けるようになっているとはいえ月光はありがたい。
「さすがに夜には逢えぬであろうな」
散歩のゴールはあの湖。だが、彼女と逢うのはいつも早朝の爽やかな時間。このような夜の帳が落ちた時間には逢うことなど叶わないであろう。
それが寂しくもあるが朝には逢えるのであるから良いかと三日月はいつものように湖へと歩き続きたのだった。
しばらく歩き続ければ目的地へと到着した。
水面は波立ことなく満月の光を受け眩しいほどに輝いている。それが朝との光景と違いまた幻想的に三日月の瞳に映った。
「夜の散歩もまた良いものだな」
これだけでも一等の価値があると三日月は湖畔に近づく。そして、いつの癖のように水面を覗き込んでしまう。その癖に三日月はひとり笑った。
「ははは。癖がつくほど逢瀬を繰り返していたか」
ピチャッと自身が映る水面に長くも骨ばった男らしいも美しい指で遊ぶ。
ピチャ、ピチャ、と指で遊ぶと波紋が徐々に静かな水面に広がっていく。
この光景も何とも良いことか、と楽しくなってきたがこれ以上無暗に崩したくないと思い指を水面から上げると――。
「な、に」
つい先ほどまで揺れる水面に映っていたのは三日月自身だ。だのに、今は白銀の美しい髪と青空の如く美しい瞳を持った水面の乙女が映っているではないか。
三日月は目を見開いたまま水面に映る名も知らぬ想い人を眺めている。それに彼女は朝と変わらない可憐な笑みを浮かべた。
「なぜ――っつ!」
不思議に三日月は呆然と眺めているとトンと誰かに背を押された。
しゃがみ込み先ほどまで水と戯れていた三日月はそのまま水面へと突っ込む形となった。
* * *
来たる衝撃に目を瞑っていた三日月であったがいくら経っても衝撃は来なかった。
恐る恐ると瞑っていた瞳を開くとそこには――。
「あの、大丈夫ですか?」
青空よりも深く清らかな瞳が心配げに三日月を見下ろしていた。
この瞳を三日月は知っている。
「水面の乙女?」
すると、水面越しに見ていたときと同じように可憐な笑みを浮かべ白い頬を赤く染めた。やはり、彼女は名も知らぬ想い人であった。
「あなた様の声はわたしの想像していた以上に素敵です」
「そなたも俺が想像していた以上に可愛らしい声だな」
ようやっと聞けた声は三日月の想像を上回るほど愛らしくて美しい。そして、実際に見る以上に青い瞳は美しく、銀糸のような髪は美しく夜空に煌めく星々のようだ。
「起きられますか? どこか具合が悪いところはないですか?」
「うん。大丈夫だが、ここはどこだ?」
周り一面水が天井から流れ覆われている。よくよく見れば天井も床も水で出来ている。
「わたしも実は解らないの」
困ったような顔をする少女も解らないようで青い瞳が不安そうに揺れる。
「そうだったのか……俺も突然誰かに背中を押され湖に突き落とされたのだが」
「あら。わたしもそうなのです! あ。なら、この世界は水面の中ということですね!」
ぱっと答えが出たと花咲くように微笑む彼女に三日月は思わず吹き出す。
「まぁ! なぜ、笑うのです!」
「いや。なんと愛らしい答えだと思ってなぁ。あい、すまない」
「もう! 酷いお方!」
プンプンという効果音が尽きそうな顔で三日月を軽く叩く少女。それを三日月は笑いながら受ける。
「いや。すまん。すまん」
「もう……そういえば、わたし、まだ名を訊いていませんでしたね。わたしの名はプリンセス・セレニティといいます。セレニティで構いません」
「そうだったな。俺の名は三日月宗近。三日月で構わん」
「三日月……まぁ。あなた三日月様というのですね」
白い頬を薄らと染めたままセレニティは微笑む。それに、三日月は何かと首を傾げる。
「いえ。わたしとあなたは色々繋がることがあるのだと、あの水面での出逢いもきっと偶然なのではないのですね。必然だったのですね」
ふふと嬉しげに目を細めて微笑むセレニティに三日月まで嬉しくなってしまう。
「そなたが言うのであればそうかもな。ふふ」
「まぁ。嘘ではないですよ! 絶対にわたしとあなたは出逢う運命だったのです!」
絶対です、と必死な様は愛らしく。三日月はひとしきり頷く。
「さて、と。この中が水面の中――というのであればどう出るかだな」
「あら。もう出ることをお考えなのですか?」
ことりと首を傾げる姿に三日月は目を瞬かせ眉を下げた。
「そなたを心配している者もいるだろう」
先ほどの名乗りでセレニティは「プリンセス」と言っていた。三日月も人間の世に長らく過ごし、且つ人の形を得て暫く経つ。彼女の名乗りにあった「プリンセス」が何を示すかは知っている。しかし、彼女がどこの世界の王族かは三日月をもってしても推測はできない。ただ、この出会いは真に不思議な縁で繋がっていることは確かであった。
「三日月様?」
「おっと、すまん。何。どうすれば帰れるか考えていてな」
先ほどの考えを打ち消すように三日月が言えばセレニティは恥ずかしそうに手を弄っていた。
「その。確かに早く帰らなければいけないのは解るのです。ですけど、その、あの」
「ん?」
「鈍いお方。わたしはあなたとまだここに居たいのです!」
「恥ずかしいのに言わせないでください」と両手で顔を隠すセレニティ。
三日月は暫しセレニティが言ったことを考え理解すると瞬く間に頬に熱が集まった。
「な、なにを」
言葉にならなかった。つい昼間に水面の乙女に恋していることを自覚した三日月。そもそも恋などしたこともないに等しい。つまり、初恋の真っただ中の三日月が早々に両想いという現状に陥ってしまったのだ。対応などできるはずもないということだ。
「――あら。三日月様、お顔が真っ赤!」
「い、いや。その、ああ……す、すまない」
「謝らないでください。わたしも女性の身ではしたなかったですね」
突然、ごめんなさい、と悲しげに告げる彼女の姿に胸が締め付けられた。
三日月はまるで何か突き動かされるように口を開いた。
「違う。そなたの想いとても嬉しかった……俺も同じであるから」
「え」
驚きに目を見開くセレニティを前に三日月は照れくさくなりながら話した。
セレニティへの想いを自覚したのは昼間なのだと。初めてした恋に想いが溢れて眠れず散歩をしていたのだと。男が赤裸々に女への想いを語るのは良いのかもわからないが三日月は溢れる想いを告げた。
「ふふ。わたしたちお互い想い合っていたのですね」
「そのようだな」
二人お互い微笑み合うとセレニティがそっと華奢な手を差し出した。
その意味が解らず首を傾げるとセレニティが甘く微笑んだ。
「よろしければ一曲踊りません?」
「踊る? 俺は踊りなど知らんのだが」
刀の付喪神故に三日月は彼女の言うところ踊りは解らない。舞は踊れるかもしれぬが人の踊りなどよく知らない。
「大丈夫です。わたしが教えますから。ほら、手を取ってください!」
「お、おいっ」
両手を引っ張られると三日月はようやく自身の身に纏っているものが戦装束であることを悟る。確かに湖に突き落とされるまでは寝間着に紺色の羽織をかけていた。
そこで三日月はひとつの答えに辿り着く。
「明晰夢、か」
「ん? どうしました?」
「いいや。なんてことない。さて、セレニティよ。俺に踊りとやらを教えてくれ」
三日月は一時の幸せな「夢」を味わおうと彼女の細い手を握り返したのだった。
その手はとても暖かく柔らかかった。
これは本当に明晰夢なのか――現実なのか――それは三日月にも、きっとセレニティにも解らない。だが、水面の上をくるくる回る二人はとても幸せに満ち足りていた。
* * *
別れはあっけなく訪れた。
バシャンと大きな水飛沫の音が聞こえると二人は自然を止まった。そして、二人は自然とこの時間の終わりを悟った。
「別れの時間のようだな」
「……はい」
セレニティの顔が解りやすく沈む。それに三日月も悲しく寂しくなる。
「そのような顔をするな」
穢れを知らない白い頬を両手で包みながら顔を上げさせた。顔をあげたセレニティの瞳はやはり悲しげで潤んでいる。
「泣くな。いつものようにきっと逢える」
「でも、また、このように逢えるとは」
「ん? それも解らぬだろう。ああ、泣くな、泣くな」
ポロポロと流れる涙を拭いながら慰めの言葉をかけるもセレニティの涙は止まらない。その涙はとても綺麗な玉なのだが哀しみを含んだ涙は見ていて辛い。
「泣きやめ。セレニティ」
そっと三日月は泣き止む呪いをかけるように彼女の額に口づけを落とす。そして、音を立てて離れると額にある上弦の月の紋様に微笑む。
「ああ。確かに、俺とそなたが出会うのは必然だったのかもしれぬな」
額にある上弦の月に、月を冠する号を持つ三日月。きっとあの出逢いは必然だったのだろう。
「お。泣き止んだな」
「……はい」
目元を赤く染めるセレニティに三日月は満足げに頷く。そして、ゆっくりと離れると辺りの水音が異様に耳につく。
「別れの時だ。また逢おう」
「はい。何れまた――っ」
「っ」
と、突然距離を詰めたセレニティに衿を掴まれた三日月。そして、頬に柔らかな唇が触れた。だが、それも一瞬の出来事であった。理解したときには愛しい乙女は離れて儚げに微笑んでいた。
「さようなら」
「セレ――」
離れた唇の寂しさを感じながら名を呼ぼうとするも激しい水音に遮られる。
もう一度名を呼ぼうとしたとき三日月は後ろから誰かに引っ張られるように倒れた。
「――づき! ――かづき! 三日月! 起きないか!」
「んぅ?」
誰かに呼ばれゆっくりと目を開くとドアップの石切丸の顔があった。
「……最悪の寝覚めだな」
「……人に心配させておいてそれはないんじゃないかな?」
ひくりと唇の端を引きつらせた石切丸。その石切丸を遠ざけながら三日月はいまだにはっきりしない意識のまま起き上がる。
「どこだ? ここは?」
「はぁ。君、自分がどこにいるのか解らないのかい」
「んん? 山の中か?」
「そう。というか、寝間着姿でふらついて山中で寝ているとか山を舐め過ぎていやいないかい」
石切丸の小言を右から左へ聞き流しながら三日月は徐々に意識を覚醒させていく。
そこでようやく三日月はようやく現実に戻って来て目を見開く。
「石切丸。ここに大きな湖がなかったか?」
「湖? いや。ここには、ないというよりも湖はこの山になかったと私は記憶しているよ」
なかったと言われて三日月は呆然とした。
セレニティと繰り返し逢瀬した湖が忽然と消えたのだ。これに驚くなという方が無理である。そして、それは彼女と永久に逢えぬことを示していた。
突然の出来事に思考が中々追いつかない。だが、心だけはとても早くに絶望を感じ取っていた。
「三日月? 大丈夫かい?」
「ああ……」
心配げに見つめる石切丸に三日月は辛うじて返事をしたが今は一人になりたかった。
あれほど逢えると言葉にしたのにもう逢うことも叶わない愛おしい人。締め付けられる心の臓が痛くて苦しくて心を無くしてしまいたくなる。だのに彼女を想う気持ちをなくしたくなかった。
「ああ。ああ。人の心とはままならぬのだな」
頬に流れる粒は彼女と同じものなのだろうか。神の末席である自身も彼女と同じ涙を流せているであろうか。
三日月はただひたすらに彼女を想い涙した。
* * *
あれから月の姫君が住まう月の王国は地球人の侵攻により滅びることとなった。
その際に、当代の女王は愛娘の自害に心を揺さぶられながら最後の力を解き放つ。そして、愛娘をはじめとした彼女を護りし戦士と共に輪廻の輪へと送り込んだ。
息絶えるその時、女王は次に魂が廻った娘に「普通の女の子」として過ごしてほしいと願いを託したのだった。
月の姫君は地球にて「普通の女の子」として誕生した。だが、運命は彼女を普通の女の子のままにしてはくれなかった。
彼女は再び月の一人の戦士として覚醒した。戦士として覚醒し、再び月のプリンセスとして覚醒した彼女は普通の女の子としてかけ離れた生活を送ることとなった。だが、それは月の主としての使命なのだろう。
闘いと平穏を繰り返しながら彼女は命を燃やして地球を、銀河系を守り続けた。そして、繰り返される闘いに命を燃やし削り続けた彼女の終わりは遠く果てることのない未来であった。一人戦い続けた彼女はひとつ願った。
「あの、ひとに、あい、たい」
そう願い呟いた彼女が息絶えるとき美しい水晶が身体から抜け出て眩いほどの光を放ったのだった。
彼女の純粋無垢な清らかな魂は再び輪廻の輪へと戻り――とある世界にて産声を上げたのだった。
2024.07.21 一部修正
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