最期を迎えるその日まで
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◆ 竜胆視点
短い音が連続して鳴り続ける。
不愉快なアラーム音に意識を覚醒させられて眉を顰める。そのまま手探りでスマホを探しそこでようやく不愉快な音が止まる。
この部屋でアラームの音で起こされるのは最初こそ慣れなかった。だって、ここで目覚めるときは控えめの柔らかい声で目覚めていたから。
けど、人間ってもんは不思議なもんで慣れない、慣れない、と思っていても意外にもすぐに慣れてしまった。その瞬間、またひとつ何か大切なものを壊された気分になって最悪の寝起きになる。つまり、今日も最悪ってこと。
「最悪になるならここで起きるなって話なんだけな」
仰向けになって身体を伸ばして起き上がる。
昨夜ここに来たときと同じスーツに着替えてリビングに出る。リビングはすっかりと人の気配が消え失せてしまった。それもそのはず。ここの住人は昨年の冬に差し掛かった頃に出て行ったから。
生活していた痕跡も、匂いも、何もかも消えていく。それが堪らなくイヤで、堪らなく寂しくて、切ない。ガキの頃だってこんなこと感じたことがない。人生で初めての経験だ。
リビングを横目にキッチンへと歩いていく。埃がないのはあいつの元部下で今は兄貴とオレの部下が定期的に掃除しに来ているからだろ。
正直、その掃除はありがた迷惑だ。住人のいない場所を掃除すればどうなる? 痕跡が、本人がそこにいた気配が余計に消えていく。
やっぱり、やめさせるか。けど、止める度に二人は首を横に振る。頑固なところが元主に本当によく似ている。だから、結局強制的に止めることができない。それに、二人の反応すらすでにこの感情を紛らわすものになっている。
食器棚から適当にグラスを取って冷えたミネラルウォーターを注ぐ。そのまま一口、二口飲んで残りは流しに捨てる。
まだ事務所に行くには早い時間だ。ならシャワーでも浴びようかと思ったけれど着替えはないし。やっぱり事務所でシャワーを浴びよ。
時間を潰すならスマホでもいいけれど――。
オレはそういう時間いつも〝あの部屋〟に行く。
リビングを後にしてオレが向かった部屋はまだ一番あいつの気配が濃く残る場所。あいつが使っていた部屋。あいつの、橙子の自室。
扉を開けるとまだあいつの匂いが薄らと鼻を擽る。なんか、部屋の匂いを嗅ぐって変態がしているみたいだな。いや、別に、ほら、そういうことはしてねぇし。
まだ変態じゃないと念じながらドレッサーの椅子に腰かける。そこから意外に部屋の全体が見える。
ぼんやりと部屋を眺めながらドレッサーに頬杖をつく。
ここは手ぇつけてねぇんだな。
あいつは一張羅の着物だけを身に纏い出て行った。まぁ、そもそも最後はホテルにいたから何か持っていくことなんてできねぇけど。チラとドレッサーに綺麗に鎮座している化粧品たちを見る。
煌びやかな化粧品はあいつ自身が購入したものもあれば、オレや兄貴がプレゼントしたものもある。その中で、一番目に見えて減っているものに手を伸ばして目の前に持ってくる。
「これどうしてんだろうな」
香水瓶を揺らすと中に入っている液体がちゃぽ、ちゃぽ、揺れる。それを眺めてから徐にキャップを開ける。とたんに懐かしさを覚えて自嘲が漏れる。
キャップを手の中に転がしながら空中にワンプッシュしてみる。さっき覚えた懐かしさがより鮮明になる。夜の濃い時間。あいつは仕事のときこの匂いを好んで身に纏っていた。
込み上げるものに苛立って頭を掻きむしる。
「あ゛~~だっせぇっ! マジでだっせぇ!」
しめっぽすぎる。毎回この流れになるのどうにかしてぇ。でも、どうしてもあいつの影を探してしまう。しめっぽいし、ダサい。どうにかしてる。だのに、ここに来るのを止められないし、処分の命令をだせねぇ。
「兄貴がひと思いにどうにかしてくれればよぉ」
こういうときにオレを使うなよ、と幻聴が聞こえる。けど、こういうときにスパッと切り捨てられるのが兄貴という人間だ。だのに、あの兄貴でさえここの処分に積極的ではなくこのままにしている。
「ほんとすげぇ女だよ」
ほんと付き合っていた女でもよほどのことがない限り覚えていないオレら兄弟をここまでさせるんだから。マジですげぇ。尊敬するわ。
「またそんな嘘おしゃって」
クスクス笑う幻影が見えるなんてオレも相当じゃねぇか。
自分自身にドン引きした。つか、ぜってぇないだろうけどこんな兄貴がいたら絶対にドン引く。だから、兄貴もこんなオレを見たらぜってぇにドン引くだろう。
流石にそれはないだろうと青ざめながらオレは慌てて橙子の部屋を後にした。
それから事務所についてシャワーを浴び終えると兄貴が来た。ほんのり香る知らない女もんの香水に首を傾げる。
「あれ? 兄貴シャワー浴びて来なかったのかよ」
「ああ。女がうざ――ぁ?」
ジャケットを脱いだ兄貴が徐に鼻を動かして眉を顰めた。
「オマエ、あいつの香水使ったのか?」
ぽかんと口を開いて間抜けな顔を晒してしまった。いや、確かにワンプッシュ空気に吹きかけた。僅かに纏っていたのは分かるがもうシャワーを浴びた後だ。何だったらスーツだってさっさと部下にクリーニングに出すように言ったんだけど。
スンと周りの匂いを嗅いでみても自分の匂いしかしない。
「そんなにする?」
「結構匂いするぞ」
「え~? あれだけで着くか?」
オレ自身眉を顰めれば兄貴が溜息をついた。
「オマエ、これってあいつが仕事のときに着けていたやつだろ。結構濃いぞ」
「そうだっけ?」
いや、結構持続力あるなとは思ったけれどそうだったけ。もうそこまで記憶が曖昧になっていたか。寄せた眉を解く代わりに兄貴は心配げだった。
「オマエも大概重症だよな」
オマエも、っていうことは兄貴自身も何かしらで重症なのか。いや、兄弟揃って一人の女が忘れられないのだから相当重症なのだろうけど。
「もうあいつがすげぇ女たってことだよ」
そう言えば兄貴は目を丸くして久々に毒気が抜けたように笑った。こういう顔をさせたのも結局あいつだからやっぱり橙子はすげぇ女だ。
短い音が連続して鳴り続ける。
不愉快なアラーム音に意識を覚醒させられて眉を顰める。そのまま手探りでスマホを探しそこでようやく不愉快な音が止まる。
この部屋でアラームの音で起こされるのは最初こそ慣れなかった。だって、ここで目覚めるときは控えめの柔らかい声で目覚めていたから。
けど、人間ってもんは不思議なもんで慣れない、慣れない、と思っていても意外にもすぐに慣れてしまった。その瞬間、またひとつ何か大切なものを壊された気分になって最悪の寝起きになる。つまり、今日も最悪ってこと。
「最悪になるならここで起きるなって話なんだけな」
仰向けになって身体を伸ばして起き上がる。
昨夜ここに来たときと同じスーツに着替えてリビングに出る。リビングはすっかりと人の気配が消え失せてしまった。それもそのはず。ここの住人は昨年の冬に差し掛かった頃に出て行ったから。
生活していた痕跡も、匂いも、何もかも消えていく。それが堪らなくイヤで、堪らなく寂しくて、切ない。ガキの頃だってこんなこと感じたことがない。人生で初めての経験だ。
リビングを横目にキッチンへと歩いていく。埃がないのはあいつの元部下で今は兄貴とオレの部下が定期的に掃除しに来ているからだろ。
正直、その掃除はありがた迷惑だ。住人のいない場所を掃除すればどうなる? 痕跡が、本人がそこにいた気配が余計に消えていく。
やっぱり、やめさせるか。けど、止める度に二人は首を横に振る。頑固なところが元主に本当によく似ている。だから、結局強制的に止めることができない。それに、二人の反応すらすでにこの感情を紛らわすものになっている。
食器棚から適当にグラスを取って冷えたミネラルウォーターを注ぐ。そのまま一口、二口飲んで残りは流しに捨てる。
まだ事務所に行くには早い時間だ。ならシャワーでも浴びようかと思ったけれど着替えはないし。やっぱり事務所でシャワーを浴びよ。
時間を潰すならスマホでもいいけれど――。
オレはそういう時間いつも〝あの部屋〟に行く。
リビングを後にしてオレが向かった部屋はまだ一番あいつの気配が濃く残る場所。あいつが使っていた部屋。あいつの、橙子の自室。
扉を開けるとまだあいつの匂いが薄らと鼻を擽る。なんか、部屋の匂いを嗅ぐって変態がしているみたいだな。いや、別に、ほら、そういうことはしてねぇし。
まだ変態じゃないと念じながらドレッサーの椅子に腰かける。そこから意外に部屋の全体が見える。
ぼんやりと部屋を眺めながらドレッサーに頬杖をつく。
ここは手ぇつけてねぇんだな。
あいつは一張羅の着物だけを身に纏い出て行った。まぁ、そもそも最後はホテルにいたから何か持っていくことなんてできねぇけど。チラとドレッサーに綺麗に鎮座している化粧品たちを見る。
煌びやかな化粧品はあいつ自身が購入したものもあれば、オレや兄貴がプレゼントしたものもある。その中で、一番目に見えて減っているものに手を伸ばして目の前に持ってくる。
「これどうしてんだろうな」
香水瓶を揺らすと中に入っている液体がちゃぽ、ちゃぽ、揺れる。それを眺めてから徐にキャップを開ける。とたんに懐かしさを覚えて自嘲が漏れる。
キャップを手の中に転がしながら空中にワンプッシュしてみる。さっき覚えた懐かしさがより鮮明になる。夜の濃い時間。あいつは仕事のときこの匂いを好んで身に纏っていた。
込み上げるものに苛立って頭を掻きむしる。
「あ゛~~だっせぇっ! マジでだっせぇ!」
しめっぽすぎる。毎回この流れになるのどうにかしてぇ。でも、どうしてもあいつの影を探してしまう。しめっぽいし、ダサい。どうにかしてる。だのに、ここに来るのを止められないし、処分の命令をだせねぇ。
「兄貴がひと思いにどうにかしてくれればよぉ」
こういうときにオレを使うなよ、と幻聴が聞こえる。けど、こういうときにスパッと切り捨てられるのが兄貴という人間だ。だのに、あの兄貴でさえここの処分に積極的ではなくこのままにしている。
「ほんとすげぇ女だよ」
ほんと付き合っていた女でもよほどのことがない限り覚えていないオレら兄弟をここまでさせるんだから。マジですげぇ。尊敬するわ。
「またそんな嘘おしゃって」
クスクス笑う幻影が見えるなんてオレも相当じゃねぇか。
自分自身にドン引きした。つか、ぜってぇないだろうけどこんな兄貴がいたら絶対にドン引く。だから、兄貴もこんなオレを見たらぜってぇにドン引くだろう。
流石にそれはないだろうと青ざめながらオレは慌てて橙子の部屋を後にした。
それから事務所についてシャワーを浴び終えると兄貴が来た。ほんのり香る知らない女もんの香水に首を傾げる。
「あれ? 兄貴シャワー浴びて来なかったのかよ」
「ああ。女がうざ――ぁ?」
ジャケットを脱いだ兄貴が徐に鼻を動かして眉を顰めた。
「オマエ、あいつの香水使ったのか?」
ぽかんと口を開いて間抜けな顔を晒してしまった。いや、確かにワンプッシュ空気に吹きかけた。僅かに纏っていたのは分かるがもうシャワーを浴びた後だ。何だったらスーツだってさっさと部下にクリーニングに出すように言ったんだけど。
スンと周りの匂いを嗅いでみても自分の匂いしかしない。
「そんなにする?」
「結構匂いするぞ」
「え~? あれだけで着くか?」
オレ自身眉を顰めれば兄貴が溜息をついた。
「オマエ、これってあいつが仕事のときに着けていたやつだろ。結構濃いぞ」
「そうだっけ?」
いや、結構持続力あるなとは思ったけれどそうだったけ。もうそこまで記憶が曖昧になっていたか。寄せた眉を解く代わりに兄貴は心配げだった。
「オマエも大概重症だよな」
オマエも、っていうことは兄貴自身も何かしらで重症なのか。いや、兄弟揃って一人の女が忘れられないのだから相当重症なのだろうけど。
「もうあいつがすげぇ女たってことだよ」
そう言えば兄貴は目を丸くして久々に毒気が抜けたように笑った。こういう顔をさせたのも結局あいつだからやっぱり橙子はすげぇ女だ。