すべて奪われたかった
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◇ 夢主視点
「どういことですか」
通話が終わったのを見計らって男に声をかける。
男は相変らず柔和な笑みを浮かべたまま「言った通りです」と返す。そうじゃない。いや、分かっている。
「私を妻にしたって意味ないと思います」
「ええ。あちらは何かあればすぐに貴方を見捨てるでしょう。でも、そんなこと僕にとってはどうでもいいんです」
「どうでも」
目を眇めると男は私にスマホを差し出す。受け取ることを一瞬だけ躊躇するけれど何もしかけているものなんてないんだから素直に受け取る。けれど、スマホが私の手に戻った瞬間手首を掴まれた。
「っ、なにをっ」
振り払おうとしても見た目に反して力が強い。さらに振りほどこうとしたのが仇となったのか掴む力が強くなった。
「いっ、く、ッ」
あまりの痛みに呻く。男にもその声が聞こえたらしく呆けた声での謝罪と共に手が放される。
痛みに手を胸に抱き寄せる。そのまま男を睨むとまだ呆けた顔のままだった。
この男は一体何だ。ジンジンする手首に唇を噛みながら「冷やしますか」と訊かれた。
「結構です。自分でやります」
「そうですか……ほんとにすいません。相変わらず細いなと思いまして」
意味が分からない。相変わらずということは薔薇を差し出したときも今みたいなことを考えていたのならゾッとする。
「……ご兄弟がお帰りになる前に帰ります」
「ええ。その方がよろしいか、と」
出し抜かれたことにもしかしたらお二人は本部で責め立てられているかもしれない。ならば、ここに来る可能性は低いが確認のために絶対に来るだろう。
「では、最後に僕の名前を――」
囁かれた名前はどこかこの男に似合わなかった。名は体を表すという蘭様と竜胆様がいらっしゃるせいかどうにもこの男が口にした名前は合わなかった。
「さて、今度こそこれにて失礼します」
お見送りは結構です、という男の言葉通り私は見送ることはなかった。
「はぁ」
やっと消えた男の気配に背もたれに深く寄り掛かる。
お二人が来るまでに手首の手当てをしないといけないのに身体が動かない。精神的な疲れが押し寄せてきて瞼が重くなる。いくら男が去ったからといって疲れて眠くなるなんて子どもじゃないのに。
「早くし手当しないと……」
けれど瞼はそっと降りてそのまま意識は溶けて消えてしまった。
「久しぶりね」
「義姐 さん」
目の前に突如亡くなった義姐さんがいた。相変わらず年齢を感じさせない愛らしい優しい顔立ちをしている。それがもとであのクソ野郎に凌辱されることになったのだけれど。それで幼い子を引き連れて死ぬとは思わなかった。私が想像するよりも弱い人だったのかもしれない。
「ねぇ。あなたはどう?」
「それは元気ってこと?」
「ええ」
「なら元気よ」
ただ今少し大変なりそうだけれど。
義姐さんは「そう」と柔らかく目尻を下げたと思ったら悪戯っ子のように微笑んだ。
「で、告白はどうするの」
「どうするって……こんなときに」
お二人だってこんな時に返事をされても困るだろう。それに私はこれからあの男の妻になるのだ。流石に告白したからどうなるってことはないんではないだろうか。つまり、私が告白の返事をするのは意味がないような。
「意味がないわけないわ。寧ろどんな形でも返して上げないと失礼よ」
「そうなるの?」
「ええ。もう、やぁね。ほんとに恋愛経験がないんだから」
「うっ」
返す言葉もない。でも、正直まだ分からない。どう答えていいのか分からない。
「わからないの」
「あら? そうなの?」
意外そうに丸い目をさらに丸くさせる義姐さん。それに幼い子どものように頷く。
「あの二人を好きか、そうじゃないか、の簡単な話じゃないの」
「それが難しいのよ」
指を弄りながら答える。それくらいシンプルだったらこの世界でも楽に恋愛が出来るんだろう。でも、出来ない。
「私はこの世界での恋が怖い、怖いの」
難しくこねくり回した結果、結局のところ私は蘭様と竜胆様と恋をするのが怖い。自分だけがお二人を深く愛したときあっさり捨てられるのが怖い。ああ、つまり何だかんだ言って私は――。
「傷つくのが怖いってことね」
「ふふっ、そうね」
お二人に飽きられたくなくて、忘れられたくなくて、嫌われたくなくて、好きって認められない。怖くて向き合うことに逃げている。
「もう随分と臆病ね。はぁ。ちゃんと恋愛していればそんなことなかったのにね」
申し訳なさそうに眉を八の字にさせる義姐さん。私は頭を左右に振る。だって、父さんや兄さんが止めても恋愛できるわ。昔からこっちの世界の恋愛を知ったつもりでいて誰にも恋をしなかった自分が悪いのよ。
「つけよ」
「そう……それじゃ、結局どうするの?」
「……断るわ」
あら、と義姐さんが残念そうな顔をする。でも、小さく微笑んで「いいの?」と訊ねて来る。私は「ええ」と返事をする。
「それがいいわ」
また逃げるの、という声は霞の先に消えていく。起きる。何となくそんな気がして私はそのまま目を閉じた。
遠くで名前を呼ばれ、身体が揺さぶられている気がする。もう、目を覚ますから揺らさないでよね。
誰に言うでもなく言いながら私は瞼を押し上げると同時に聴覚が復活した。
「橙子!」
「ん、ぅ、りんど、ぅ、さま?」
眩しい光りに目を眇めながら何とか目を開く。すると、目の前に竜胆様の顔が何となく見えた。竜胆様の顔は心配と安堵が綯交ぜとなっていた。
「どうしたんですか」
「どうしたって、オマエなぁ」
ハァと溜息をつく竜胆様の視線が下に向くとつり上がり眉がギュッとまん中に寄った。どうしたのかしらと思う意図もなく手首に痛みが走った。
痛みに呻き声を零して下を見れば男に掴まれた手首を竜胆様の手が触れていた。冷やす前に寝たからまだ何もしていなかった。これはしまった。
「これどうしたんだよ」
「掴まれただけです」
「だからってこんなになるかよ」
手首を撫でる指は優しかった。痛いのに少し擽ったいなと思ったら竜胆様の手が離れた。同時に膝を着いていた竜胆様が立ち上がった。
「氷持ってくる」
「あ、自分で行きます」
「いい。オマエは座ってろよ」
言うや否や竜胆様はキッチンへと向かって行った。その背中を見送ってふと蘭様の姿が見当たらないことに気づく。もしかして、竜胆様だけいらしたのかしら。
――会いたかったな。
自分の頭に浮かんだ言葉に驚いた。今までどちらかいないときだってたくさんあった。だのに、ここでどうして竜胆様だけでは足りないと思うのだろうか。
何もかもさっき見てしまった夢のせいに違いない。竜胆様だけでもいらしてくださったんだから揃っていないことに落ち込むな。贅沢な思考を持った自分をすぐに窘める。
脳内で自分に説教をしていると傍に気配を感じた。竜胆様が戻って来たのかと顔を上げて目を見開く。
「……蘭様」
「ん。そうだけど」
薄い唇で微笑む蘭様の白い頬には血のようなものが付着している。いや、顔だけではなくよく見ればオーダーメイドスーツや、手の甲にだって血が付着している。それにいつもの蘭様が身に着けている香水の代わりに血の匂いと硝煙のような匂いがする。
「蘭様、どうし」
「あ、兄貴やっと戻って来た」
不穏な空気を纏う蘭様の背後から先ほどと変わらない様子で声をかける。どうやら竜胆様は蘭様が何をしてこちらに来たのか分かっているご様子。とはいえ、この雰囲気でいつも通りに声をかけるのは――。
「ああ。ったく、やっぱり出来損ないは再教育じゃなくて処分でもいいな」
「ま、それは今のことが終わってからでよくね?」
「だな。で、橙子」
竜胆様に向けていた顔が再び私に向けられる。その顔はいつもより感情が読みづらい。でも、私を捉える瞳は冷たくでも熱かった。
「はい」
冷たく熱い矛盾を孕んだ瞳から目を逸らすことなく返事をする。私の返事に蘭様の美しい形をした唇で描かれた笑みが深まる。そして、随分高いところにあった蘭様の顔が近くなると同時に血に濡れたソファの背もたれを掴んだ。
「今からするぞ」
は、と零れそうなった声は唇を塞がれて生まれることはなかった。ただ代わりに突然のキスに耐えられず鼻にかかる声が塞がれた口内で生まれる。でも、それも中途半端に開いた口をこじ開けるように侵入してきた蘭様の舌に絡め取られてしまった。
「あー。兄貴、そいつ手首痛めてるんだけどダメ?」
流れもよく分らないキスを振りほどけないでいると竜胆様の場違いな声が聞こえる。というか、蘭様は私とキスしているから応えられないんじゃと思ったら舌が止まってすぅっと引いて行った。
「あ? 怪我?」
「そ。なんか強く掴まれたらしい。熱いし冷やした方がよくね」
息を整えようとする私の傍らでなんてことの無いような会話がされる。それに参加も出来ずにいると名前を呼ばれる。
「は、はぃ、はっ」
「手」
乱れた髪を耳にかけながら顔をあげれば真顔の蘭様に言われた。私は痛めた手を差し出すと竜胆様がその手を取った。
「ほら」
「あーけど氷なんか当ててたらできねぇじゃん」
「少し待つのは?」
「オマエは我慢できんの?」
質問で質問を返す蘭様。竜胆様は冷やした方がいいと言っていたけれど難しい顔をして――。
「ムリ、オレもしてぇもん」
「なら後でいいだろ。別に折れてねぇんだし」
「だな」
私の意見はここで聞くと言うことはしないらしい。まぁ、そうだろうと整った息でお二人の会話を聞いていると揃って顔がこちらを向いた。
「な、なんですか」
「つーことで手首は我慢しろ」
「あとで何でもしてやるからいいよな」
もう決定事項というような蘭様と竜胆様。しかもどっちも申し訳なさそうな顔をしていない。竜胆様なんてさっきの心配はどこへという感じだ。けれど、正直私も自分の手首はどうでもいい。それよりも――。
じっと、返事もせずにお二人を見つめる。人間が三人いる中無言の時間が続くと蘭様と竜胆様がまた揃って目尻を下げて妖しく微笑んだ。
「どういことですか」
通話が終わったのを見計らって男に声をかける。
男は相変らず柔和な笑みを浮かべたまま「言った通りです」と返す。そうじゃない。いや、分かっている。
「私を妻にしたって意味ないと思います」
「ええ。あちらは何かあればすぐに貴方を見捨てるでしょう。でも、そんなこと僕にとってはどうでもいいんです」
「どうでも」
目を眇めると男は私にスマホを差し出す。受け取ることを一瞬だけ躊躇するけれど何もしかけているものなんてないんだから素直に受け取る。けれど、スマホが私の手に戻った瞬間手首を掴まれた。
「っ、なにをっ」
振り払おうとしても見た目に反して力が強い。さらに振りほどこうとしたのが仇となったのか掴む力が強くなった。
「いっ、く、ッ」
あまりの痛みに呻く。男にもその声が聞こえたらしく呆けた声での謝罪と共に手が放される。
痛みに手を胸に抱き寄せる。そのまま男を睨むとまだ呆けた顔のままだった。
この男は一体何だ。ジンジンする手首に唇を噛みながら「冷やしますか」と訊かれた。
「結構です。自分でやります」
「そうですか……ほんとにすいません。相変わらず細いなと思いまして」
意味が分からない。相変わらずということは薔薇を差し出したときも今みたいなことを考えていたのならゾッとする。
「……ご兄弟がお帰りになる前に帰ります」
「ええ。その方がよろしいか、と」
出し抜かれたことにもしかしたらお二人は本部で責め立てられているかもしれない。ならば、ここに来る可能性は低いが確認のために絶対に来るだろう。
「では、最後に僕の名前を――」
囁かれた名前はどこかこの男に似合わなかった。名は体を表すという蘭様と竜胆様がいらっしゃるせいかどうにもこの男が口にした名前は合わなかった。
「さて、今度こそこれにて失礼します」
お見送りは結構です、という男の言葉通り私は見送ることはなかった。
「はぁ」
やっと消えた男の気配に背もたれに深く寄り掛かる。
お二人が来るまでに手首の手当てをしないといけないのに身体が動かない。精神的な疲れが押し寄せてきて瞼が重くなる。いくら男が去ったからといって疲れて眠くなるなんて子どもじゃないのに。
「早くし手当しないと……」
けれど瞼はそっと降りてそのまま意識は溶けて消えてしまった。
「久しぶりね」
「
目の前に突如亡くなった義姐さんがいた。相変わらず年齢を感じさせない愛らしい優しい顔立ちをしている。それがもとであのクソ野郎に凌辱されることになったのだけれど。それで幼い子を引き連れて死ぬとは思わなかった。私が想像するよりも弱い人だったのかもしれない。
「ねぇ。あなたはどう?」
「それは元気ってこと?」
「ええ」
「なら元気よ」
ただ今少し大変なりそうだけれど。
義姐さんは「そう」と柔らかく目尻を下げたと思ったら悪戯っ子のように微笑んだ。
「で、告白はどうするの」
「どうするって……こんなときに」
お二人だってこんな時に返事をされても困るだろう。それに私はこれからあの男の妻になるのだ。流石に告白したからどうなるってことはないんではないだろうか。つまり、私が告白の返事をするのは意味がないような。
「意味がないわけないわ。寧ろどんな形でも返して上げないと失礼よ」
「そうなるの?」
「ええ。もう、やぁね。ほんとに恋愛経験がないんだから」
「うっ」
返す言葉もない。でも、正直まだ分からない。どう答えていいのか分からない。
「わからないの」
「あら? そうなの?」
意外そうに丸い目をさらに丸くさせる義姐さん。それに幼い子どものように頷く。
「あの二人を好きか、そうじゃないか、の簡単な話じゃないの」
「それが難しいのよ」
指を弄りながら答える。それくらいシンプルだったらこの世界でも楽に恋愛が出来るんだろう。でも、出来ない。
「私はこの世界での恋が怖い、怖いの」
難しくこねくり回した結果、結局のところ私は蘭様と竜胆様と恋をするのが怖い。自分だけがお二人を深く愛したときあっさり捨てられるのが怖い。ああ、つまり何だかんだ言って私は――。
「傷つくのが怖いってことね」
「ふふっ、そうね」
お二人に飽きられたくなくて、忘れられたくなくて、嫌われたくなくて、好きって認められない。怖くて向き合うことに逃げている。
「もう随分と臆病ね。はぁ。ちゃんと恋愛していればそんなことなかったのにね」
申し訳なさそうに眉を八の字にさせる義姐さん。私は頭を左右に振る。だって、父さんや兄さんが止めても恋愛できるわ。昔からこっちの世界の恋愛を知ったつもりでいて誰にも恋をしなかった自分が悪いのよ。
「つけよ」
「そう……それじゃ、結局どうするの?」
「……断るわ」
あら、と義姐さんが残念そうな顔をする。でも、小さく微笑んで「いいの?」と訊ねて来る。私は「ええ」と返事をする。
「それがいいわ」
また逃げるの、という声は霞の先に消えていく。起きる。何となくそんな気がして私はそのまま目を閉じた。
遠くで名前を呼ばれ、身体が揺さぶられている気がする。もう、目を覚ますから揺らさないでよね。
誰に言うでもなく言いながら私は瞼を押し上げると同時に聴覚が復活した。
「橙子!」
「ん、ぅ、りんど、ぅ、さま?」
眩しい光りに目を眇めながら何とか目を開く。すると、目の前に竜胆様の顔が何となく見えた。竜胆様の顔は心配と安堵が綯交ぜとなっていた。
「どうしたんですか」
「どうしたって、オマエなぁ」
ハァと溜息をつく竜胆様の視線が下に向くとつり上がり眉がギュッとまん中に寄った。どうしたのかしらと思う意図もなく手首に痛みが走った。
痛みに呻き声を零して下を見れば男に掴まれた手首を竜胆様の手が触れていた。冷やす前に寝たからまだ何もしていなかった。これはしまった。
「これどうしたんだよ」
「掴まれただけです」
「だからってこんなになるかよ」
手首を撫でる指は優しかった。痛いのに少し擽ったいなと思ったら竜胆様の手が離れた。同時に膝を着いていた竜胆様が立ち上がった。
「氷持ってくる」
「あ、自分で行きます」
「いい。オマエは座ってろよ」
言うや否や竜胆様はキッチンへと向かって行った。その背中を見送ってふと蘭様の姿が見当たらないことに気づく。もしかして、竜胆様だけいらしたのかしら。
――会いたかったな。
自分の頭に浮かんだ言葉に驚いた。今までどちらかいないときだってたくさんあった。だのに、ここでどうして竜胆様だけでは足りないと思うのだろうか。
何もかもさっき見てしまった夢のせいに違いない。竜胆様だけでもいらしてくださったんだから揃っていないことに落ち込むな。贅沢な思考を持った自分をすぐに窘める。
脳内で自分に説教をしていると傍に気配を感じた。竜胆様が戻って来たのかと顔を上げて目を見開く。
「……蘭様」
「ん。そうだけど」
薄い唇で微笑む蘭様の白い頬には血のようなものが付着している。いや、顔だけではなくよく見ればオーダーメイドスーツや、手の甲にだって血が付着している。それにいつもの蘭様が身に着けている香水の代わりに血の匂いと硝煙のような匂いがする。
「蘭様、どうし」
「あ、兄貴やっと戻って来た」
不穏な空気を纏う蘭様の背後から先ほどと変わらない様子で声をかける。どうやら竜胆様は蘭様が何をしてこちらに来たのか分かっているご様子。とはいえ、この雰囲気でいつも通りに声をかけるのは――。
「ああ。ったく、やっぱり出来損ないは再教育じゃなくて処分でもいいな」
「ま、それは今のことが終わってからでよくね?」
「だな。で、橙子」
竜胆様に向けていた顔が再び私に向けられる。その顔はいつもより感情が読みづらい。でも、私を捉える瞳は冷たくでも熱かった。
「はい」
冷たく熱い矛盾を孕んだ瞳から目を逸らすことなく返事をする。私の返事に蘭様の美しい形をした唇で描かれた笑みが深まる。そして、随分高いところにあった蘭様の顔が近くなると同時に血に濡れたソファの背もたれを掴んだ。
「今からするぞ」
は、と零れそうなった声は唇を塞がれて生まれることはなかった。ただ代わりに突然のキスに耐えられず鼻にかかる声が塞がれた口内で生まれる。でも、それも中途半端に開いた口をこじ開けるように侵入してきた蘭様の舌に絡め取られてしまった。
「あー。兄貴、そいつ手首痛めてるんだけどダメ?」
流れもよく分らないキスを振りほどけないでいると竜胆様の場違いな声が聞こえる。というか、蘭様は私とキスしているから応えられないんじゃと思ったら舌が止まってすぅっと引いて行った。
「あ? 怪我?」
「そ。なんか強く掴まれたらしい。熱いし冷やした方がよくね」
息を整えようとする私の傍らでなんてことの無いような会話がされる。それに参加も出来ずにいると名前を呼ばれる。
「は、はぃ、はっ」
「手」
乱れた髪を耳にかけながら顔をあげれば真顔の蘭様に言われた。私は痛めた手を差し出すと竜胆様がその手を取った。
「ほら」
「あーけど氷なんか当ててたらできねぇじゃん」
「少し待つのは?」
「オマエは我慢できんの?」
質問で質問を返す蘭様。竜胆様は冷やした方がいいと言っていたけれど難しい顔をして――。
「ムリ、オレもしてぇもん」
「なら後でいいだろ。別に折れてねぇんだし」
「だな」
私の意見はここで聞くと言うことはしないらしい。まぁ、そうだろうと整った息でお二人の会話を聞いていると揃って顔がこちらを向いた。
「な、なんですか」
「つーことで手首は我慢しろ」
「あとで何でもしてやるからいいよな」
もう決定事項というような蘭様と竜胆様。しかもどっちも申し訳なさそうな顔をしていない。竜胆様なんてさっきの心配はどこへという感じだ。けれど、正直私も自分の手首はどうでもいい。それよりも――。
じっと、返事もせずにお二人を見つめる。人間が三人いる中無言の時間が続くと蘭様と竜胆様がまた揃って目尻を下げて妖しく微笑んだ。