赤い糸には愛されない
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◆ 蘭視点
んで、こんな綺麗なんだ?
眉を顰めながらコンクリートの床を軽く蹴り上げる。しかし、その床からは埃も塵も舞い上がることがない。何もないことは逆に痕跡とも言えるが相手が相当なやり手であることも間違いということだ。
「気味悪ぃな」
肩越しに背後に控えていた橙子の部下を見やる。そいつは言葉もなく静かに手にしていたタブレットを操作して重い口を動かす。
「ここは3か月前まで雑貨屋だったそうですが閉店し、テナント募集をしていたそうです」
「で、誰が借りた」
「取り扱っている不動産屋曰く女が借りに来て花屋を運営すると言っていたそうです」
「その女は?」
「偽名をしようしていたためまだ見つかりません」
舌打ちをする。ただ雇われただけの女か。調べるのに無駄に手間と暇がかかる。下手をしたらもう処分された後の可能性も十二分にある。
「クソ。めんどくせぇな」
「ですが、管理する不動産屋からは有力な情報は手に入れました」
「ァ?」
目を据わらせて男を見れば怯むことなくタブレットの画面をタップした。
「ここを管理する不動産屋は昔から裏社会と縁があるところらしく借りる相手が多少不審であっても貸してしまうことがあるらしいです」
「へぇ……」
ここまで言うことは貸した女は何かしら普通ではなかったということだろう。オレは顎をしゃくって先を促した。
「担当した人間によるとここを借りに来た女は上品な身なりで――変な匂いがしたと言いました」
「変な匂い?」
怪訝に眉を顰める。変な匂いって香水かなんかじゃねぇのか。つっても最近は柔軟剤とかも匂いがキツいし、それが香水と交じってバカみてぇな匂いの人間がいる。変な匂いが何か問題があるのか。
「香水と柔軟剤とかのちゃんぽんじゃねぇの」
「そう考えましたが匂いの特徴から〝葉っぱ〟の特徴と酷似していまして」
「……へぇ」
下げていた口角が自然と上がる。こりゃまだ見つからないつっても時間の問題だな。こりゃ明日には結果が出てきそうなくらい詰めてんじゃねぇのか。いや、流石にねぇか。でも、ほんと橙子が連れて来た部下は優秀だな。そこら辺の奴らとは一線を画しているな。
オレは笑みを隠すことなく振り返り「で」と先を促す。男はタブレットから一瞬だけ視線をオレに向けてすぐに戻した。
「どれくらいで結果は出そうだ」
「すでに梵天の配下にいるバイヤーから足どりを辿っており、現在ヒットした人間を確認しております」
「ふぅん。じゃ、何だかんだ。あと少しか」
「はい……とはいえ、その女が見つかるのは五分かと」
「だろうな。空振りの可能性も考慮して動けよ」
「かしこまりました」
無表情だった男の眉が僅かに寄る。どうやら女が見つからない場合は暗礁に乗り上げる可能性がありそうだ。本当に痕跡がないらしい。
「随分とやり手だな」
「裏の世界を知り尽くしている人間であることは確かです」
タブレットを小脇に抱えた男の真剣さは橙子を思い出す。容姿は似ても似つかないのに根本がよく似ている。もう一人も同じだ。面白いことだ。
そういえばこいつらって兄弟みたいに一緒に育ったとか橙子が言っていたっけな。
「オマエって、あいつの世話係だったんだろ」
突然変わった会話に男は一瞬間を空ける「はい」と答えた。厳つい見た目に反してオレと同い年だった気がする。
「歳はオレと同じだっけ?」
「はい。ですが、早生まれですので学年はひとつ上になります。あと学生の頃は姐さんの警護のため一年遅れて入学していたので結局のところ学年も蘭さんと同じでした」
真面目に答える男に笑いながら「そ」と答えながらまじまじ見る。その視線に居心地の悪さでも覚えたのか珍しく「何か気にあることでも?」と聞き返して来た。
「んー。橙子と兄弟みたいだったらしいじゃん」
「兄弟ですか……どちらかというと従兄弟のようでした」
「ふぅん。でも、オマエらって似てるよな」
「そうでしょうか……」
珍しく困惑気味な表情をする男に愉しくなってくる。
「なぁなぁ橙子って本当に今まで彼氏とかいなかったのか」
「いませんでした」
間髪入れずというか食い気味な答えに思わず笑い声があがった。あまりにも遠慮のない返事だ。けど、それこそが橙子との距離の近さを感じる。きっと、こいつらはあいつの性質をよく分っているんだろう。
「オレらさぁ、橙子に告ったんだよ」
さぁどういう反応をする。わくわくしながら男の反応を見れば再び無表情に戻ってしまった。もう少し驚くくらいしろよ。なんて、思いつつ「どう?」と訊いてみる。
「どう、ですか……姐さんはお嬢の頃から縁遠い人でしたから」
難しいと思います、と暗に告げる男。そうしたのはオマエらじゃん。ふと、ヤクザの娘ながら綺麗な身体を保っていたことが気になる。極妻の頃は夫の女の趣味でなかったからだと聞いたが、それ以前は何故だ。
「ヤクザの娘が男を知らねぇってのも不思議だよな。何でだ?」
男はスンとした顔でありながら答えあぐねいているのが分かった。意外な反応に興味深く観察していれば普段から重い口が開いた。
「……家系的にあまり女子が生まれになかったそうです。そこで姐さんは久々に本家筋に生まれた女子というのが最大の理由かと」
「溺愛されていたって?」
「はい。それに姐さんは親父が年配になってからの子ども、兄さんともだいぶ歳が離れていましたから。それもあるかと」
身もふたもないという顔をする男にまた吹き出す。
「ふっははっ。写真で見たあの厳つい顔していた男共が娘と妹溺愛ってのも面白れぇな」
「仲のいいご家族ではありましたね」
どこか哀愁を感じる男の顔にまた珍しいものを見た。
「姐さんは真面目な方です。きっと一生懸命答えは出しますよ」
「受け入れてくれると思う?」
「それは姐さん次第かと」
「じゃあさ、オマエの目から見て可能性はある?」
男が細い目を丸くして瞬かせた。それから「意外です」と囁いた。
何が意外なんだ? オレの疑問をすぐに察知したのか凛々しい眉を下げて苦笑を零した。
「いえ。蘭さんはどのような女性に対しても口説き落とす自信がおありのようでしょう。恋愛初心者の姐さんに対して恋人になってくれる可能性を聞くのが意外だと思いまして」
「……あ~」
思わず橙子を口説き落とす自信がないことを露見させてしまった。いや、だって、今まで口説き落としたどんな女ともあいつは違う。口説き落とした女の中でも前例がなさすぎる。首の後ろに手を持って視線を逸らす。
「いや、あんまいねぇタイプだったからな」
「そうですか……でも、姐さんはお二人のことは殊更特別に想っているようですし少しご自信をお持ちください」
「そうかぁ?」
正直、自信がなさ過ぎて素直にその言葉を受け入れられない。男は厳つい顔で表情を和らげた。
「はい。姐さんは確実にお二人を特別視しております。ただ、男女の関係が歪な世界で生まれ育ちました。それ故にどうしても認識の歪みがあります」
「あ~。オレが言うのもアレだけどさあるよな」
「はい。なので、そこを上手く汲み取ってアプローチをしてみてください」
哀愁を漂わせていた顔は和らいで今はまさに兄のような表情をしている。厳つい顔で和らげる目尻に慈しみがこぼれる。爛れた世界で生まれたというわりにどこにでもいる子どもみたいにきっと愛されて育ったに違いない。それがあのクソ野郎によって壊されちまったならそりゃああなるだろう。
「助言ありがたくもらっておくけど……オレも竜胆も大概だからな」
結構お手上げになりつつあるんだが。とはいえ、流石にこれ以上助言を貰うのは情けないしカッコ悪ぃな。しゃあね。これから先は自分で考えっか。
「蘭さん、次の場所へ移動しましょう」
「時間です」と腕時計を指す男にだいぶ立ち話していたことに気づく。
「わかった……確か次は竜胆と一緒の現場だったな」
「はい。では、足元に気を付けてください」
「おう」
それからオレは黙って男の背中に着いて行った。
部屋を出てからも車に乗ってからもオレの頭には仕事とか、怪しい男とか、すっかり抜け落ちて橙子のことしかなかった。ここまでオレの思考回路を奪った女はそういない。いや、今までいなかった。あいつは本当にすげぇ女だ。
「だから、ほしいんだけどな」
結局、ただただオレはあいつが欲しいと思った。
んで、こんな綺麗なんだ?
眉を顰めながらコンクリートの床を軽く蹴り上げる。しかし、その床からは埃も塵も舞い上がることがない。何もないことは逆に痕跡とも言えるが相手が相当なやり手であることも間違いということだ。
「気味悪ぃな」
肩越しに背後に控えていた橙子の部下を見やる。そいつは言葉もなく静かに手にしていたタブレットを操作して重い口を動かす。
「ここは3か月前まで雑貨屋だったそうですが閉店し、テナント募集をしていたそうです」
「で、誰が借りた」
「取り扱っている不動産屋曰く女が借りに来て花屋を運営すると言っていたそうです」
「その女は?」
「偽名をしようしていたためまだ見つかりません」
舌打ちをする。ただ雇われただけの女か。調べるのに無駄に手間と暇がかかる。下手をしたらもう処分された後の可能性も十二分にある。
「クソ。めんどくせぇな」
「ですが、管理する不動産屋からは有力な情報は手に入れました」
「ァ?」
目を据わらせて男を見れば怯むことなくタブレットの画面をタップした。
「ここを管理する不動産屋は昔から裏社会と縁があるところらしく借りる相手が多少不審であっても貸してしまうことがあるらしいです」
「へぇ……」
ここまで言うことは貸した女は何かしら普通ではなかったということだろう。オレは顎をしゃくって先を促した。
「担当した人間によるとここを借りに来た女は上品な身なりで――変な匂いがしたと言いました」
「変な匂い?」
怪訝に眉を顰める。変な匂いって香水かなんかじゃねぇのか。つっても最近は柔軟剤とかも匂いがキツいし、それが香水と交じってバカみてぇな匂いの人間がいる。変な匂いが何か問題があるのか。
「香水と柔軟剤とかのちゃんぽんじゃねぇの」
「そう考えましたが匂いの特徴から〝葉っぱ〟の特徴と酷似していまして」
「……へぇ」
下げていた口角が自然と上がる。こりゃまだ見つからないつっても時間の問題だな。こりゃ明日には結果が出てきそうなくらい詰めてんじゃねぇのか。いや、流石にねぇか。でも、ほんと橙子が連れて来た部下は優秀だな。そこら辺の奴らとは一線を画しているな。
オレは笑みを隠すことなく振り返り「で」と先を促す。男はタブレットから一瞬だけ視線をオレに向けてすぐに戻した。
「どれくらいで結果は出そうだ」
「すでに梵天の配下にいるバイヤーから足どりを辿っており、現在ヒットした人間を確認しております」
「ふぅん。じゃ、何だかんだ。あと少しか」
「はい……とはいえ、その女が見つかるのは五分かと」
「だろうな。空振りの可能性も考慮して動けよ」
「かしこまりました」
無表情だった男の眉が僅かに寄る。どうやら女が見つからない場合は暗礁に乗り上げる可能性がありそうだ。本当に痕跡がないらしい。
「随分とやり手だな」
「裏の世界を知り尽くしている人間であることは確かです」
タブレットを小脇に抱えた男の真剣さは橙子を思い出す。容姿は似ても似つかないのに根本がよく似ている。もう一人も同じだ。面白いことだ。
そういえばこいつらって兄弟みたいに一緒に育ったとか橙子が言っていたっけな。
「オマエって、あいつの世話係だったんだろ」
突然変わった会話に男は一瞬間を空ける「はい」と答えた。厳つい見た目に反してオレと同い年だった気がする。
「歳はオレと同じだっけ?」
「はい。ですが、早生まれですので学年はひとつ上になります。あと学生の頃は姐さんの警護のため一年遅れて入学していたので結局のところ学年も蘭さんと同じでした」
真面目に答える男に笑いながら「そ」と答えながらまじまじ見る。その視線に居心地の悪さでも覚えたのか珍しく「何か気にあることでも?」と聞き返して来た。
「んー。橙子と兄弟みたいだったらしいじゃん」
「兄弟ですか……どちらかというと従兄弟のようでした」
「ふぅん。でも、オマエらって似てるよな」
「そうでしょうか……」
珍しく困惑気味な表情をする男に愉しくなってくる。
「なぁなぁ橙子って本当に今まで彼氏とかいなかったのか」
「いませんでした」
間髪入れずというか食い気味な答えに思わず笑い声があがった。あまりにも遠慮のない返事だ。けど、それこそが橙子との距離の近さを感じる。きっと、こいつらはあいつの性質をよく分っているんだろう。
「オレらさぁ、橙子に告ったんだよ」
さぁどういう反応をする。わくわくしながら男の反応を見れば再び無表情に戻ってしまった。もう少し驚くくらいしろよ。なんて、思いつつ「どう?」と訊いてみる。
「どう、ですか……姐さんはお嬢の頃から縁遠い人でしたから」
難しいと思います、と暗に告げる男。そうしたのはオマエらじゃん。ふと、ヤクザの娘ながら綺麗な身体を保っていたことが気になる。極妻の頃は夫の女の趣味でなかったからだと聞いたが、それ以前は何故だ。
「ヤクザの娘が男を知らねぇってのも不思議だよな。何でだ?」
男はスンとした顔でありながら答えあぐねいているのが分かった。意外な反応に興味深く観察していれば普段から重い口が開いた。
「……家系的にあまり女子が生まれになかったそうです。そこで姐さんは久々に本家筋に生まれた女子というのが最大の理由かと」
「溺愛されていたって?」
「はい。それに姐さんは親父が年配になってからの子ども、兄さんともだいぶ歳が離れていましたから。それもあるかと」
身もふたもないという顔をする男にまた吹き出す。
「ふっははっ。写真で見たあの厳つい顔していた男共が娘と妹溺愛ってのも面白れぇな」
「仲のいいご家族ではありましたね」
どこか哀愁を感じる男の顔にまた珍しいものを見た。
「姐さんは真面目な方です。きっと一生懸命答えは出しますよ」
「受け入れてくれると思う?」
「それは姐さん次第かと」
「じゃあさ、オマエの目から見て可能性はある?」
男が細い目を丸くして瞬かせた。それから「意外です」と囁いた。
何が意外なんだ? オレの疑問をすぐに察知したのか凛々しい眉を下げて苦笑を零した。
「いえ。蘭さんはどのような女性に対しても口説き落とす自信がおありのようでしょう。恋愛初心者の姐さんに対して恋人になってくれる可能性を聞くのが意外だと思いまして」
「……あ~」
思わず橙子を口説き落とす自信がないことを露見させてしまった。いや、だって、今まで口説き落としたどんな女ともあいつは違う。口説き落とした女の中でも前例がなさすぎる。首の後ろに手を持って視線を逸らす。
「いや、あんまいねぇタイプだったからな」
「そうですか……でも、姐さんはお二人のことは殊更特別に想っているようですし少しご自信をお持ちください」
「そうかぁ?」
正直、自信がなさ過ぎて素直にその言葉を受け入れられない。男は厳つい顔で表情を和らげた。
「はい。姐さんは確実にお二人を特別視しております。ただ、男女の関係が歪な世界で生まれ育ちました。それ故にどうしても認識の歪みがあります」
「あ~。オレが言うのもアレだけどさあるよな」
「はい。なので、そこを上手く汲み取ってアプローチをしてみてください」
哀愁を漂わせていた顔は和らいで今はまさに兄のような表情をしている。厳つい顔で和らげる目尻に慈しみがこぼれる。爛れた世界で生まれたというわりにどこにでもいる子どもみたいにきっと愛されて育ったに違いない。それがあのクソ野郎によって壊されちまったならそりゃああなるだろう。
「助言ありがたくもらっておくけど……オレも竜胆も大概だからな」
結構お手上げになりつつあるんだが。とはいえ、流石にこれ以上助言を貰うのは情けないしカッコ悪ぃな。しゃあね。これから先は自分で考えっか。
「蘭さん、次の場所へ移動しましょう」
「時間です」と腕時計を指す男にだいぶ立ち話していたことに気づく。
「わかった……確か次は竜胆と一緒の現場だったな」
「はい。では、足元に気を付けてください」
「おう」
それからオレは黙って男の背中に着いて行った。
部屋を出てからも車に乗ってからもオレの頭には仕事とか、怪しい男とか、すっかり抜け落ちて橙子のことしかなかった。ここまでオレの思考回路を奪った女はそういない。いや、今までいなかった。あいつは本当にすげぇ女だ。
「だから、ほしいんだけどな」
結局、ただただオレはあいつが欲しいと思った。