雌の生態
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◆ 蘭視点
「そろそろ動く時間だ。各々、準備しておけ」
首領の言葉のもとオレも竜胆も忙しなく働いている。
お蔭で最近は竜胆とも別行動することも多いし、橙子との時間も少しずつ、少しずつ削られていっている。ストレスフルだ。
そんな中、少しだけ時間が取れて橙子に会いに行くことにした。部下に運転をさせ橙子のマンションへ向かわせる。
今日は竜胆がいないから独り占めできる。その竜胆は今頃横浜で中国マフィアと頭痛を引き起こすような会合をしているに違いない。アウェイの地でするわけじゃねぇんだからオレよりマシだよな。
その竜胆は行く前に「抜け駆けすんなよ」と釘を刺して来た。抜け駆けってオレの愛人でもあんだから抜け駆けもなにもねぇだろうが。何より、あいつがオレら兄弟のどちらかだけを〝好き〟になる可能性は低い。つか、どっちかだけでも好きになれば攻略が楽になるのに。あいつは律儀にオレにも竜胆にも同じ態度を示す。最近、特に顕著になってきたような気がする。
これも愛人の努めとか思ってんだろうな。
あいつは分かりやすいご機嫌伺いはしない。けれど細心の注意をもってオレらに対応しているから隙がない。なら、あいつが弱いベッドの上で、と思っても結局オレらの方が負けちまう。
あんな女、落とす術が分からない。
もとより長期戦は覚悟していた。だが、すでに難攻不落の城を攻めている気分だ。今までどうやって女を口説いていたのか。そもそも落とせていたのかさえ自信を失くす。竜胆なんかどうすればいいか分かんねぇとオレより自信を失くしているくらいだ。
「気長にするしかねぇよな」
あいつも今さらオレらから離れることはないだろう。それに今は梵天が裏社会に君臨するための準備をしなきゃなんねぇ。
気長にやるのが一番だ。それにあいつのことだ。最終的には情で絆されてくれるかもしれねぇし。気長にやろう。それが一番だ。
到着するといつも通り橙子に出迎えられる。いつもなら艶々な唇で微笑んで迎えるあいつが難しい顔をしていた。どうした、と声をかける前に珍しく「お話が」と切り出された。
頷くと難しい顔のままリビングに通されてソファに座るように促される。
オレが座るのを確認して橙子が座ると急いたように話を切り出した。
「実は昼間に散歩をしていましたら不審な男に出くわしました」
「不審な男……?」
きな臭い出だしに眉を顰める。橙子も顔を強張らせながらそのときの状況を詳しく話し出す。
その男はオープンしたばかりの花屋の店主をしていると言ったらしい。見た目はオレらと同年代の男で、身長は竜胆より高くオレより低い細身、朗らかな面立ちで柔和な笑みを浮かべていた。一見、優しそうな人のように見えたがこいつからしたら薄気味の悪い男だった、と。
「他に、何か不審な行動してそう思ったのか?」
「不審……といえば不審でした」
言って、橙子は目の前のトレーに置かれた白いカーネーションを指さした。
これがなんだ、と目で問えば嫌そうに目を眇めて見た。そんな顔もするんだなと思いながら艶のある唇が「貰いました」と言う。
「貰った? タダでか?」
「はい……」
ふぅん、と頷いてまたカーネーションを見て手を伸ばす。こいつが花瓶に指すこともなくただトレーに置いていた花はもう元気を失くしていた。
くたりとした元気のない花に鼻を近づける。特に〝クスリ〟の匂いはしない。他にも別段変わったところのない普通のカーネーションだ。
投げるようにカーネーションをローテブルに放り投げる。
「これ以外に不審な行動はなかったんだな」
「あとは去る時にずっと見つめられていたくらいです」
一連の行動は橙子の外見に一目惚れしただけと考えることもできる。ただ、それならこいつがここまで嫌悪感を出して態々オレに報告することはない。こいつの裏の世界で生きている勘だろう。
最近は梵天のことを探る組織が以前にも増して増えて来た。そこに来てこいつの身辺に不審な男が花屋を経営しているとなるときな臭い。
「そこの花屋はここから離れてるのか」
「はい。駅から離れた入り組んだ場所にありました」
「……そうか」
そういうところ行くなよ。いや、僅かに視線を外して言うんだから自覚はあるんだろう。閉じ込めすぎもよくねぇな。
けど、尚更、こいつの勘だけでは動くのは難しいところだ。とはいえ、幹部が動き出したときに出て来るのは怪しいといえば怪しい。今後の活動を考えれば一度調査をして不安の芽を摘んでおくのもありだ。それにここで見逃して梵天が後手に回るのは勘弁被りたい。
そもそも橙子はただの愛人ではない。ビジネスパートナーでもある。こいつが入ってからオレらの担当区域の上納金は上がった。それを経営し纏めているのが橙子だ。
ここでこいつを失うことがあれば今の梵天にとっては痛手であることは間違いない。
チッ。こいつの部下を同時二人に離したのは痛かったな。つか、今日のこいつの護衛に着けた部下からの報告がねぇ。役立たずが。
「とりあえず調べるに越したことはねぇな。住所分かるか」
「大体の位置は把握しています」
「わかった」
オレはソファから立ち上がってスマホを取り出して電話をかける。電話に出た部下に橙子の身辺調査と花屋があるだろう住所を調べるように指示をだす。ついでに今日の護衛係に再教育の旨を伝えて電話を切る。
「お忙しいところに申し訳ありません」
「気にすんな……つーか、そんなにイヤな男だったのか?」
もう一度訊ねると申し訳なさそうな顔から一転し顔を顰める。余程、神経に触ったようだ。どれほどキモい客相手にだってそういう顔をしねぇのに。
「気持ち悪いというか薄気味悪かったんです」
「どう?」
「……表情から滲み出る不気味さというところでしょうか」
腕を擦る橙子はそれ以上もう説明できないという様子だった。
ここまで他者に反応するこいつは珍しい――それにオレの勘に触る。こいつがオレら兄弟以外の男で頭の中が占められるのは不愉快だった。
「橙子」
「はい。何でしょうか」
「オマエも三日分くらいの服の準備しろ」
「え」
橙子が驚いて立ち上がる。そこまで驚くことか、と思いながらこんな反応をするこいつをますますここに置いて置きたくなかった。
「とりあえずオレらの配下にあるホテルに移動する」
「で、ですが、蘭様。流石に今どこかへ動くのは悪手ではありませんか。ここに籠っていた方が相手の出方もうかがえますし。私が見に行くことだって――」
「ハ?」
オレの口から低い声が零れる。カーディガンに包まれた薄い肩が少し震えたのが目の端に映って心の中で舌打ちをする。
こいつは分かっていない。いや、きっとこいつはオレがまるでガキみたいな嫉妬心を抱いていることも分かっていない。そして、その感情のまま動こうとしていることも。自分自身を嗤いたくなる。
「橙子」
「はい」
少しだけ離れていた距離をつめて見下ろす。すると、橙子は夜を溶かし込んだ瞳で窺うように見上げる。その瞳を覗き込むように顔を近づける。
キスがしたくなる距離だな、と思いながらまた名前を呼ぶ。
「橙子。オマエはたくさんの店を管理するオレらの女だ」
「はい」
真剣に頷く橙子に苦笑が零れる。そこまで真剣になるもんじゃねぇのに。まぁ、でも、それくらい真剣になってくれるのはありがたい。
「オマエはさ、オレらにとって大事なんだよ」
「はい……」
橙子はオレの言葉の意味を測りかねているように首を傾げる。ほんとに鈍いな。仕方ねぇ。竜胆には悪いが許せよ。
「オレは、オレらは、女としてオマエに惚れ込んでいるんだよ」
「そろそろ動く時間だ。各々、準備しておけ」
首領の言葉のもとオレも竜胆も忙しなく働いている。
お蔭で最近は竜胆とも別行動することも多いし、橙子との時間も少しずつ、少しずつ削られていっている。ストレスフルだ。
そんな中、少しだけ時間が取れて橙子に会いに行くことにした。部下に運転をさせ橙子のマンションへ向かわせる。
今日は竜胆がいないから独り占めできる。その竜胆は今頃横浜で中国マフィアと頭痛を引き起こすような会合をしているに違いない。アウェイの地でするわけじゃねぇんだからオレよりマシだよな。
その竜胆は行く前に「抜け駆けすんなよ」と釘を刺して来た。抜け駆けってオレの愛人でもあんだから抜け駆けもなにもねぇだろうが。何より、あいつがオレら兄弟のどちらかだけを〝好き〟になる可能性は低い。つか、どっちかだけでも好きになれば攻略が楽になるのに。あいつは律儀にオレにも竜胆にも同じ態度を示す。最近、特に顕著になってきたような気がする。
これも愛人の努めとか思ってんだろうな。
あいつは分かりやすいご機嫌伺いはしない。けれど細心の注意をもってオレらに対応しているから隙がない。なら、あいつが弱いベッドの上で、と思っても結局オレらの方が負けちまう。
あんな女、落とす術が分からない。
もとより長期戦は覚悟していた。だが、すでに難攻不落の城を攻めている気分だ。今までどうやって女を口説いていたのか。そもそも落とせていたのかさえ自信を失くす。竜胆なんかどうすればいいか分かんねぇとオレより自信を失くしているくらいだ。
「気長にするしかねぇよな」
あいつも今さらオレらから離れることはないだろう。それに今は梵天が裏社会に君臨するための準備をしなきゃなんねぇ。
気長にやるのが一番だ。それにあいつのことだ。最終的には情で絆されてくれるかもしれねぇし。気長にやろう。それが一番だ。
到着するといつも通り橙子に出迎えられる。いつもなら艶々な唇で微笑んで迎えるあいつが難しい顔をしていた。どうした、と声をかける前に珍しく「お話が」と切り出された。
頷くと難しい顔のままリビングに通されてソファに座るように促される。
オレが座るのを確認して橙子が座ると急いたように話を切り出した。
「実は昼間に散歩をしていましたら不審な男に出くわしました」
「不審な男……?」
きな臭い出だしに眉を顰める。橙子も顔を強張らせながらそのときの状況を詳しく話し出す。
その男はオープンしたばかりの花屋の店主をしていると言ったらしい。見た目はオレらと同年代の男で、身長は竜胆より高くオレより低い細身、朗らかな面立ちで柔和な笑みを浮かべていた。一見、優しそうな人のように見えたがこいつからしたら薄気味の悪い男だった、と。
「他に、何か不審な行動してそう思ったのか?」
「不審……といえば不審でした」
言って、橙子は目の前のトレーに置かれた白いカーネーションを指さした。
これがなんだ、と目で問えば嫌そうに目を眇めて見た。そんな顔もするんだなと思いながら艶のある唇が「貰いました」と言う。
「貰った? タダでか?」
「はい……」
ふぅん、と頷いてまたカーネーションを見て手を伸ばす。こいつが花瓶に指すこともなくただトレーに置いていた花はもう元気を失くしていた。
くたりとした元気のない花に鼻を近づける。特に〝クスリ〟の匂いはしない。他にも別段変わったところのない普通のカーネーションだ。
投げるようにカーネーションをローテブルに放り投げる。
「これ以外に不審な行動はなかったんだな」
「あとは去る時にずっと見つめられていたくらいです」
一連の行動は橙子の外見に一目惚れしただけと考えることもできる。ただ、それならこいつがここまで嫌悪感を出して態々オレに報告することはない。こいつの裏の世界で生きている勘だろう。
最近は梵天のことを探る組織が以前にも増して増えて来た。そこに来てこいつの身辺に不審な男が花屋を経営しているとなるときな臭い。
「そこの花屋はここから離れてるのか」
「はい。駅から離れた入り組んだ場所にありました」
「……そうか」
そういうところ行くなよ。いや、僅かに視線を外して言うんだから自覚はあるんだろう。閉じ込めすぎもよくねぇな。
けど、尚更、こいつの勘だけでは動くのは難しいところだ。とはいえ、幹部が動き出したときに出て来るのは怪しいといえば怪しい。今後の活動を考えれば一度調査をして不安の芽を摘んでおくのもありだ。それにここで見逃して梵天が後手に回るのは勘弁被りたい。
そもそも橙子はただの愛人ではない。ビジネスパートナーでもある。こいつが入ってからオレらの担当区域の上納金は上がった。それを経営し纏めているのが橙子だ。
ここでこいつを失うことがあれば今の梵天にとっては痛手であることは間違いない。
チッ。こいつの部下を同時二人に離したのは痛かったな。つか、今日のこいつの護衛に着けた部下からの報告がねぇ。役立たずが。
「とりあえず調べるに越したことはねぇな。住所分かるか」
「大体の位置は把握しています」
「わかった」
オレはソファから立ち上がってスマホを取り出して電話をかける。電話に出た部下に橙子の身辺調査と花屋があるだろう住所を調べるように指示をだす。ついでに今日の護衛係に再教育の旨を伝えて電話を切る。
「お忙しいところに申し訳ありません」
「気にすんな……つーか、そんなにイヤな男だったのか?」
もう一度訊ねると申し訳なさそうな顔から一転し顔を顰める。余程、神経に触ったようだ。どれほどキモい客相手にだってそういう顔をしねぇのに。
「気持ち悪いというか薄気味悪かったんです」
「どう?」
「……表情から滲み出る不気味さというところでしょうか」
腕を擦る橙子はそれ以上もう説明できないという様子だった。
ここまで他者に反応するこいつは珍しい――それにオレの勘に触る。こいつがオレら兄弟以外の男で頭の中が占められるのは不愉快だった。
「橙子」
「はい。何でしょうか」
「オマエも三日分くらいの服の準備しろ」
「え」
橙子が驚いて立ち上がる。そこまで驚くことか、と思いながらこんな反応をするこいつをますますここに置いて置きたくなかった。
「とりあえずオレらの配下にあるホテルに移動する」
「で、ですが、蘭様。流石に今どこかへ動くのは悪手ではありませんか。ここに籠っていた方が相手の出方もうかがえますし。私が見に行くことだって――」
「ハ?」
オレの口から低い声が零れる。カーディガンに包まれた薄い肩が少し震えたのが目の端に映って心の中で舌打ちをする。
こいつは分かっていない。いや、きっとこいつはオレがまるでガキみたいな嫉妬心を抱いていることも分かっていない。そして、その感情のまま動こうとしていることも。自分自身を嗤いたくなる。
「橙子」
「はい」
少しだけ離れていた距離をつめて見下ろす。すると、橙子は夜を溶かし込んだ瞳で窺うように見上げる。その瞳を覗き込むように顔を近づける。
キスがしたくなる距離だな、と思いながらまた名前を呼ぶ。
「橙子。オマエはたくさんの店を管理するオレらの女だ」
「はい」
真剣に頷く橙子に苦笑が零れる。そこまで真剣になるもんじゃねぇのに。まぁ、でも、それくらい真剣になってくれるのはありがたい。
「オマエはさ、オレらにとって大事なんだよ」
「はい……」
橙子はオレの言葉の意味を測りかねているように首を傾げる。ほんとに鈍いな。仕方ねぇ。竜胆には悪いが許せよ。
「オレは、オレらは、女としてオマエに惚れ込んでいるんだよ」