雌の生態
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◇ 夢主視点
2016年某月から9ヶ月初旬
謎に競い合っていた蘭様と竜胆様は決着がついたのかピリピリした雰囲気が消え去った。正直お二人が何をしたかったのか分からないけれど。
「はぁ」
つい深く溜息をついてしまう。これじゃ気分転換の散歩にならない。雲ひとつない空を見て絶好の散歩日和だとも思った。ふわりと頬を撫でる少しだけ冷たい風は甘い香りがした。橙色の小さな花が咲く頃を迎えた証拠だ。
そんな季節の変わり目に入ってから梵天はあることを進めるために支度を始めている。幹部である蘭様も竜胆様も睡眠時間を削って動き回って最近共にする時間が減った。
お二人の愛人である私も本来こうした大切な時期にむやみに動くべきではない。ただ、部屋にいるのも息が詰まるし限界がある。それにやっぱりお二人のことを考えるとどうしても息抜きしたくなる。
「はぁ」
甘い香りに誘われるように散歩を続けながら私の頭の中は蘭様と竜胆様で多く占められていた。
別にこれは恋煩い的な話ではない。むしろ、そうなれるお花畑な頭だったらよかったかもしれない。いや、よくないか。
一人で突っ込みながら私はまた溜息をつく。
お二人が張り合うのをやめても贈物の量は変わらなかった。むしろ、贈物は以前よりも私が気に入りそうなもの、好きそうなものに変わっていたことには少々驚いた。他にも驚いたことと言えば共に過ごす時間。以前のように三人で過ごす時間も戻ったけれど、蘭様だけと過ごす時間、竜胆様だけと過ごす時間がキープされたままだったこと。とはいっても、その時間もお二人が多忙になったことでめっきり減ってしまったけれど。
ただ、その過ごす時間を思い返すとお二人から持たされる甘さに頬が熱くなる。
「ッ」
これはいけない、いけない、と慌てて顔を手で仰ぐ。まったく愛人という立場にいながら普通の女のように浮かれるなんて、と自分を律する。でも、普段のあのお二人を知っているだけにあの〝甘さ〟はどうしても慣れない。
「どうして変わったのかしら」
張り合っているときでさえ日常的な変化は見られなかった。だた、夜の時間だけ変化が見られた。とくに顕著だったのが竜胆様。横浜のときから熱の籠った抱き方に変わっていた。蘭様といえば竜胆様ほどの変化は見られず、変わったといえばキスマークを着けるだけだった。それが引っ越す前の本宅に呼ばれた後に竜胆様と同じように変わった。そして、蘭様が変化をしたのを境にお二人の雰囲気が以前のように戻った。
つまり、よく分らないけれど決着が着いた。それからだ。お二人が二人きりで過ごす時間に甘さを含ませるようになったのは。
最初は愉快犯的性質のお二人が私の反応を見て楽しんでいるのかと思った。それか新手のハニトラの練習と。でも、今の多忙ぶりからそのような仕事は含まれていないことが窺える。
「じゃ、なに?」
思わず零れた独り言に口を押える。だが、周りは平日の昼間と言うこともあって誰もいない。誰もいないことに安堵しながら口から手を離す。
それにしても蘭様と竜胆様の日常的な態度を知っているだけにあの甘い変化は心臓に悪い。だって、お二人の眼差しや、声や、指先、すべてがまるで愛しいものに触れるように優しいから。同時に肌を重ねるときの熱があまりにも高くて毎度溶けてしまいそうになる。
これらすべてが戯れにしてはお人が悪い。いや、もう誰がどう見ても人の悪い方々だけれど。弄ぶにしても度が過ぎるし、このままこれが続いたら私は愛人の領分から出て求めてしまう。
もしかしてそれが目的なのかしら。
いや、流石にこのタイミングでそれはないだろう。何せ蘭様も竜胆様も猫の手を借りたいと零すほど多忙なのだから。そうすると余計に分からない。
でも、もしそれを仕掛けようとしている最中で多忙になったなら――。
「ああ。もう、わからない」
けれど、思い至った仮定の話は意外にしっくりときて吐き気が込み上げる。口を押えながら私は考える。
私の命はお二人のもの。
お二人がもう十分だろうと思ったら私の命はあっけなく散る。
ここまで来て私は初めて彼らに縋ってしまう人間の気持ちが分かった。誰も戯れに命を失いたくない。だけど、もしお二人が死ねと言うなら私は――。
死ぬしかない。
だって、私はそういう人間なのだから。
「はぁ」
最悪の未来を想像して深い溜息が零れる。
「随分、悩ましい溜息ですね」
「え」
突然かけられた声に横を向く。そこにいたのは同年代だろう細身の男性がいて、周りには瑞々しい花たちがいた。
花屋? こんな場所に花屋があったかしら。
「先月オープンしたばかりなんです」
「そうなんですね。知りませんでした」
律儀に教えてくれた男性。彼は朗らかな面立ちのまま「宣伝もしていませんから。それに駅から離れていますし」と付け足してくれた。
それはお店を運営する人間としてどうなのだろうか。朗らかな雰囲気の男性は店員なのだろうか。それとも店長か。店内に他の人の気配はしない。一人なのか。
「お一人で?」
「はい。気ままに」
言って店主と分かった男性が店先に並ぶ花の中から〝白い〟カーネーションを手に取った。瑞々しいカーネーションに目を奪われているとそのまま差し出された。
「記念に差し上げます」
「え」
突然の言葉に私は声を上げて男を見る。瞬間、教会の鐘の音が鳴り響いた。
男は朗らかな面立ちで柔和な笑みを浮かべていた。すべてが作り物染みているように見えた。そして、何より違和感を覚えたのは私を見る深く暗い薄暗い森のような印象を与える瞳。
この男はただの一般人ではない。では、どこに所属する人間。裏の人間であったとしてもあまりにも蘭様と竜胆様のような気配がない。
薄気味悪い男に警戒心を強める。でも、このままの状態ではいられない。私は男が〝綺麗な〟手で持つ一輪の花に手を伸ばした。そして、触れぬように花を受け取った。
「……ありがとうございました」
「いえ、貴方のような方に受け取っていただけて花も嬉しいでしょう」
歯の浮く様な言葉は愛想笑いを浮かべて流す。
私はカーネーションを手に取って「では、失礼します」と軽く頭を下げる。それに店主は笑みを深めるのを見て背筋に悪寒が走る。早くここから立ち去りたい。
「次のご来店お待ちしております」
「はい」
私はその言葉を受けて名残惜しさを見せることもなく踵を返す。そして、駆けだしたい気持ちを何とか抑え込んで店が見えなくなるまで歩き続けた。その間もずっと背中に突き刺さる視線が気味悪くてたまらなかった。
家に帰ってすぐにカーネーションを捨てようかと思ったが――いったんその手を止める。先ほど確認したメッセージで蘭様が来ることが分かった。なら一応証拠で取っておかないと。
「何なのかしら……」
白いカーネーションを見ながら肌を這うような気持ち悪さを消すように腕を擦る。
この出来事のせいでお二人に関する悩みや考えが吹き飛んでしまった。
2016年某月から9ヶ月初旬
謎に競い合っていた蘭様と竜胆様は決着がついたのかピリピリした雰囲気が消え去った。正直お二人が何をしたかったのか分からないけれど。
「はぁ」
つい深く溜息をついてしまう。これじゃ気分転換の散歩にならない。雲ひとつない空を見て絶好の散歩日和だとも思った。ふわりと頬を撫でる少しだけ冷たい風は甘い香りがした。橙色の小さな花が咲く頃を迎えた証拠だ。
そんな季節の変わり目に入ってから梵天はあることを進めるために支度を始めている。幹部である蘭様も竜胆様も睡眠時間を削って動き回って最近共にする時間が減った。
お二人の愛人である私も本来こうした大切な時期にむやみに動くべきではない。ただ、部屋にいるのも息が詰まるし限界がある。それにやっぱりお二人のことを考えるとどうしても息抜きしたくなる。
「はぁ」
甘い香りに誘われるように散歩を続けながら私の頭の中は蘭様と竜胆様で多く占められていた。
別にこれは恋煩い的な話ではない。むしろ、そうなれるお花畑な頭だったらよかったかもしれない。いや、よくないか。
一人で突っ込みながら私はまた溜息をつく。
お二人が張り合うのをやめても贈物の量は変わらなかった。むしろ、贈物は以前よりも私が気に入りそうなもの、好きそうなものに変わっていたことには少々驚いた。他にも驚いたことと言えば共に過ごす時間。以前のように三人で過ごす時間も戻ったけれど、蘭様だけと過ごす時間、竜胆様だけと過ごす時間がキープされたままだったこと。とはいっても、その時間もお二人が多忙になったことでめっきり減ってしまったけれど。
ただ、その過ごす時間を思い返すとお二人から持たされる甘さに頬が熱くなる。
「ッ」
これはいけない、いけない、と慌てて顔を手で仰ぐ。まったく愛人という立場にいながら普通の女のように浮かれるなんて、と自分を律する。でも、普段のあのお二人を知っているだけにあの〝甘さ〟はどうしても慣れない。
「どうして変わったのかしら」
張り合っているときでさえ日常的な変化は見られなかった。だた、夜の時間だけ変化が見られた。とくに顕著だったのが竜胆様。横浜のときから熱の籠った抱き方に変わっていた。蘭様といえば竜胆様ほどの変化は見られず、変わったといえばキスマークを着けるだけだった。それが引っ越す前の本宅に呼ばれた後に竜胆様と同じように変わった。そして、蘭様が変化をしたのを境にお二人の雰囲気が以前のように戻った。
つまり、よく分らないけれど決着が着いた。それからだ。お二人が二人きりで過ごす時間に甘さを含ませるようになったのは。
最初は愉快犯的性質のお二人が私の反応を見て楽しんでいるのかと思った。それか新手のハニトラの練習と。でも、今の多忙ぶりからそのような仕事は含まれていないことが窺える。
「じゃ、なに?」
思わず零れた独り言に口を押える。だが、周りは平日の昼間と言うこともあって誰もいない。誰もいないことに安堵しながら口から手を離す。
それにしても蘭様と竜胆様の日常的な態度を知っているだけにあの甘い変化は心臓に悪い。だって、お二人の眼差しや、声や、指先、すべてがまるで愛しいものに触れるように優しいから。同時に肌を重ねるときの熱があまりにも高くて毎度溶けてしまいそうになる。
これらすべてが戯れにしてはお人が悪い。いや、もう誰がどう見ても人の悪い方々だけれど。弄ぶにしても度が過ぎるし、このままこれが続いたら私は愛人の領分から出て求めてしまう。
もしかしてそれが目的なのかしら。
いや、流石にこのタイミングでそれはないだろう。何せ蘭様も竜胆様も猫の手を借りたいと零すほど多忙なのだから。そうすると余計に分からない。
でも、もしそれを仕掛けようとしている最中で多忙になったなら――。
「ああ。もう、わからない」
けれど、思い至った仮定の話は意外にしっくりときて吐き気が込み上げる。口を押えながら私は考える。
私の命はお二人のもの。
お二人がもう十分だろうと思ったら私の命はあっけなく散る。
ここまで来て私は初めて彼らに縋ってしまう人間の気持ちが分かった。誰も戯れに命を失いたくない。だけど、もしお二人が死ねと言うなら私は――。
死ぬしかない。
だって、私はそういう人間なのだから。
「はぁ」
最悪の未来を想像して深い溜息が零れる。
「随分、悩ましい溜息ですね」
「え」
突然かけられた声に横を向く。そこにいたのは同年代だろう細身の男性がいて、周りには瑞々しい花たちがいた。
花屋? こんな場所に花屋があったかしら。
「先月オープンしたばかりなんです」
「そうなんですね。知りませんでした」
律儀に教えてくれた男性。彼は朗らかな面立ちのまま「宣伝もしていませんから。それに駅から離れていますし」と付け足してくれた。
それはお店を運営する人間としてどうなのだろうか。朗らかな雰囲気の男性は店員なのだろうか。それとも店長か。店内に他の人の気配はしない。一人なのか。
「お一人で?」
「はい。気ままに」
言って店主と分かった男性が店先に並ぶ花の中から〝白い〟カーネーションを手に取った。瑞々しいカーネーションに目を奪われているとそのまま差し出された。
「記念に差し上げます」
「え」
突然の言葉に私は声を上げて男を見る。瞬間、教会の鐘の音が鳴り響いた。
男は朗らかな面立ちで柔和な笑みを浮かべていた。すべてが作り物染みているように見えた。そして、何より違和感を覚えたのは私を見る深く暗い薄暗い森のような印象を与える瞳。
この男はただの一般人ではない。では、どこに所属する人間。裏の人間であったとしてもあまりにも蘭様と竜胆様のような気配がない。
薄気味悪い男に警戒心を強める。でも、このままの状態ではいられない。私は男が〝綺麗な〟手で持つ一輪の花に手を伸ばした。そして、触れぬように花を受け取った。
「……ありがとうございました」
「いえ、貴方のような方に受け取っていただけて花も嬉しいでしょう」
歯の浮く様な言葉は愛想笑いを浮かべて流す。
私はカーネーションを手に取って「では、失礼します」と軽く頭を下げる。それに店主は笑みを深めるのを見て背筋に悪寒が走る。早くここから立ち去りたい。
「次のご来店お待ちしております」
「はい」
私はその言葉を受けて名残惜しさを見せることもなく踵を返す。そして、駆けだしたい気持ちを何とか抑え込んで店が見えなくなるまで歩き続けた。その間もずっと背中に突き刺さる視線が気味悪くてたまらなかった。
家に帰ってすぐにカーネーションを捨てようかと思ったが――いったんその手を止める。先ほど確認したメッセージで蘭様が来ることが分かった。なら一応証拠で取っておかないと。
「何なのかしら……」
白いカーネーションを見ながら肌を這うような気持ち悪さを消すように腕を擦る。
この出来事のせいでお二人に関する悩みや考えが吹き飛んでしまった。
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