最期を迎えるその日まで
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◇夢主視点
2016年某月から4ヶ月
飼う方がいなくなったお二人と過ごす時間が以前にもまして増えた。
これに私は少々悩んだ。以前は身体の関係があってもお二人は線引きが薄らとしてあった。それに従順に従っていたのがここ最近それも崩れつつある。つまり、距離が近くなった。男女の肉体関係の前に上司と部下という関係があるのだがいいのだろうか。
でも、私からしたのではないし――お二人がいいのならいいか。こうして少々悩んでいた悩みを解消させた。
けれど別の悩みで私は頭を痛ませていた。1ヶ月前、竜胆様に「年下扱いするな」と言われて気をつけている。気をつけているのに竜胆様は何かにつけて「年下扱いするな」「親心出すな」「オレの行動に感動するな」などなど言うのだ。ただ見ているだけでまるで念には念をというように繰り返し言う。
「そんなんあいつを年下扱いしたオマエが悪いんじゃん」
「それは、そうですが」
朝食を共にしながら蘭様が一人愉しそうに笑う。どうやら竜胆様と私の不毛なやり取りを傍観して愉しんでいるご様子。蘭様らしいといえば蘭様らしい。
「けど……その竜胆様の反応って年齢からしますと可愛らしくないですか?」
私よりひとつ年上の28歳。だというのにその顔立ちは若々しい。でも、ただ若いのではない。そこはやっぱり裏社会に生きる男特有の危険な空気を纏っている。危険なニオイがする男がその若い顔立ちで素直で無邪気な顔を見せえたらどうなる。答え、ときめくし、母性が刺激される。今考えればそういう女の部分を突かれたと思うが――あの方は上司。身体の関係はあっても無意識に男性と見ないようにしたのかもしれない。そして、仇となったということだけど――やっぱり。
「竜胆様は可愛いお方なのです」
「オレの弟でも?」
「はい」
性格の端々に蘭様に似たモノを感じる。それでもやっぱり可愛らしい人だ。
「へぇ。じゃ、もしかしてオレのことも可愛いとか思うときあんの?」
意外な質問に素直に答えていいものか逡巡する。けれど、相手は蘭様。答えても答えなくてもきっと不機嫌になるときはなる。そういう気まぐれなお方なのだ。
「失礼を承知で申し上げますと何度か」
言って少しの後悔。誤魔化すのに出し巻き卵を口の中に突っ込むけれど味がしない。こんな食べ方をして出し巻き卵に申し訳なくなりながら飲み込んで蘭様を見る。
目が合った蘭様はゆるりと首を傾げると長い前髪がさらりと垂れた。それを長い指で払いながら機嫌良さそうに口を開いた。
「ならあいつが可愛く見えてもしかたねぇな」
「ま、可愛いことは事実だし」と言う姿は機嫌がいい。その姿を見て安心しつつも蘭様はさらに「オレが育てたんだから」と言ってドヤ顔をする。
でも、そういう顔をするくらいに蘭様は竜胆様のことを可愛く愛でていらっしゃったんだろう。なら竜胆様が年齢よりもこう可愛いのは蘭様のせいではないか。でも、まぁ、弟を可愛がるなというのは言えないので何も言わないけど、この先どうしよう。
「おい、もうお手上げか? つまんねぇぞ」
考え込む私に途端に蘭様はつまらなそうに口角を下げる。私は面目ないという気持ちと少しのヒントが欲しいと縋るように蘭様を見る。
「だって何も言っていなのに、ちょっと見ていただけで言うんですよ」
「なら、オマエがそういう目してんじゃねぇの?」
「暖かい眼差し」と茶化すように言う蘭様に思わず唸る。最近は男性として見ないようにもしているから〝無〟を貫いているつもりなのだ。だのに、竜胆様は何か感じるのかもしれない。
「ま、せいぜい愉しませろよ」
悩む私の傍ら蘭様は一転愉しそう笑う。ついでに「オレ、今度は甘いの食べたい」としっかりとリクエストしているのだった。
* * *
仕事もひと段落し家に帰ろうとしたときに竜胆様から「いまから行く」と簡素な連絡があった。夕飯という時間でもないし最近はお二人がよく来るから冷蔵庫の中身も平気だろう。なら、あとは私自身の準備のみと帰宅した。
シャワーを浴びて服を竜胆様が好む服に着替えてメイクも整える。最後に髪をセットしたところで竜胆様がやって来た。
「お疲れ様です……」
「おう」
薄らと疲れを滲ませた竜胆様に私は一応食事をするか訊ねてみる。案の定竜胆様は首を横に振って断った。ならシャワーを浴びますかと訊ねるよりも早く竜胆様はソファに座り背もたれに身体を預けた。
「随分お疲れのご様子ですね」
隣に座るのも憚れて立ったまま訊ねる。竜胆様はぼんやりと天井を見上げたまま「部下がやからしてな」とだけ零す。
「お茶飲みますか?」
「いらねぇ」
掠れた声でそういうと天井を見つめていた竜胆様の顔が動き私を捉えた。よくよく見れば疲れているはずの瞳はギラギラとしている。その瞳にようやく慣れた私はこの方が望むことを口にする。
「部屋に行きますか?」
膝をついて竜胆様の大きくて無骨な手に触れる。すると、その手はすぐに大きな手に囚われて指が絡む。何だか甘えたような仕草に眦が下ると――。
「またかよ」
地を這うような声と共に竜胆様はぐっと眉を顰めて顔を歪める。私は我に返って慌てて首を横に振る。
「ち、違います。誤解です。いまのは違うんです」
「何がちげぇんだよ。チッ、オマエ学習能力がねぇのか?」
疲れも相まってなのか声は低いし当たりが強い。それにしおらしく応えるのがいいのは分かっているけれど私の中でもブチと何かが切れた。
「だからッ! 微笑ましいなんて見ていません! 今のはあなた様が可愛らしかったからだけです!」
大声で反論してしまった。すぐに謝ればもしかしたら許してくれるかもしれない。けれど、私も引かない。そもそももうどうしていいか私には分からなかった。こんなことで命を失うのは残念だが仕方ない。
「かわ、いいって、ふざけてんのかッ!」
「ふざけてなんかいません! 今の普通に可愛くて女としてときめいただけです!」
「は、はぁ? どこにときめくポイントがあんだよ!」
白い頬をカッと赤くさせる竜胆様。それは先ほどの危険さはなく私は畳かける。
「男性が女性のことを可愛いって思うのと同じく女性が男性を可愛く思う時があるんです」
「それはオマエがオレのこと年下扱いしてっからだろ!」
「違います! たしかに以前はそうでした……けど今は違います!」
何が違うんだ、と言いたげに目を細める竜胆様に私は素直に答える。
「あなた様のような魅力的な男性がふいのギャップにときめいているんですッッ!」
自分で言って急に恥ずかしくなってきた。カッと熱くなっていく身体を無視してポカンと口を開ける竜胆様を見つめ続ける。
「竜胆様は私の上司です。でも、身体の関係がありますし、たぶん無意識に一線を引こうと、男性として見ないようにしていたんだと思います。なので、その、年下扱いをしてしまったのかと、その思います」
語尾がどんどん小さくなっていくし、しどろもどろになっていく。恥ずかしい。なんか自分の性癖を晒しているようなときめきポイントを曝け出すのは恥ずかしい。そもそもこれだと上司であるあなたを男性として見ていますと告白しているようだ。自分が気持ち悪い。もう殴ってください、という気持ちでいると。
「……兄貴は? 兄貴のことも可愛いって思ったことあんの?」
下げていた視線を上げると真剣な表情の竜胆様がいた。あまりの真剣さに言葉を失くすと竜胆様が「どーなんだよ」と催促してくる。
「はい。あります」
「ふぅん」
兄弟同じ質問に同じ反応。でも、竜胆様の方がやっぱり少し分かりやすい。垂れ気味の目尻がさらに溶けて、口角も少し緩んでいる。どうやら満足いただけたようで命を張ったかいがあった。
「確かに兄貴も可愛いところあるしな――ん、いいよ」
弟から見てもそんな場面があるのか。ほんとに仲のいいご兄弟だ。誤解が解けたことに安心していると名前を呼ばれる。何ですかと顔を上げると「こっちに」と繋がったままの手を引かれる。隣に座れということなのかと立ち上がって右隣に座ろうとしたら「ちげぇ」と言われた。では、と腰を浮かせたまま訊ねる前に身体が動いた。
「ぇ、いま、え?」
どう身体が動いたかもわからず私は竜胆様の膝に横座りになっていた。なんでと呆けた顔をしていたら間抜け面と笑われる。いや、だって、手を繋いだまま何があったとしか言えない。
そんな私の間抜け面を竜胆様が十分に訊ねた後、繋がった手を揺らしながら話し出した。
「さっき、決めつけて悪かったな」
意外な謝罪の言葉に私は首を横に振る。
「もとは私の所為です。竜胆様には随分と不快な思いをさせました」
そう元を辿れば全部私の所為。竜胆様はなんら悪くない。改めて謝罪をすれば「もういいよ」と甘い声で言われた。それにドキとしていると竜胆様が抱き込む様に首筋に顔を埋めて来た。
可愛い甘え方。最近蘭様もよくなさるけれど実はこういう甘え方に私はドキドキしっぱなし。でも、この距離だと心臓の鼓動さえ聞こえてきそうで不安になる。何とか気を逸らしたいけれどいつもよりもさらに濃く感じるシトラス香りと煙草苦い香りに余計に心臓が高鳴る。
何だか身体が熱くなっているとちゅうと首筋が吸われた。それに我に返ると目の前に竜胆様の顔が現れた。その顔に怒りなどの負の要素はなく安心した。
「ここで、よろしいのですか?」
「オマエは?」
「ふふ。聞かなくてもお分かりでしょうに」
笑う私に竜胆様の目尻が下って「だな」と返される。そして近づく顔に私は目を閉じた。
これで一件落着と思って竜胆様と肌を重ねたのだけれど――。
* * *
竜胆様は朝早くから仕事が入っているのか私がベッドから出る前に一言声をかけると出ていってしまった。見送りができなくて残念な気持ちと、人肌が無くなった寂しさを紛らわせて私は二度寝をした。その二度寝のお蔭で体力も回復し夕方に事務所に行くと。
「え。蘭様と竜胆様が」
「はい。先ほどお越しになって姐さんを待っています」
若干青ざめた顔の構成員に私もつられて青ざめる。今日来るなんて聞いていない。もし来るなら竜胆様が朝一言くれたはず。何かあったのかと私はすぐに応接間に飛び込む。
「お待たせして申し訳ありません!」
若干息が乱れるが着物だったから許してほしい。じわりと滲む汗を拭いながら一体何があったのかと思うがお二人はいたって平然としている。むしろ飛び込んで来た私に「焦りすぎ」「大丈夫か?」と言葉を投げかけて来る。何か先走ったかと思いながら息を整えてお二人に訊ねる。
「何か御用があったのでは?」
「ん。あるけど、まず座れよ」
「では、失礼します」
ある、もしかして何か仕事かなと色々頭の中で巡らせ口を開こうとしたときだった。蘭様と竜胆様がそっくりな顔をして「「橙子、おめでとう」」と声を揃えて言ってきた。
「ぇ、あ、え?」
何故いきなり祝いの言葉がかけられるのか。誕生日はもう少し先だし、もしかして上納金が多くてよかったから何かご褒美かしら。組織的に考えるともしかして昇進とか。でも昇進って何って考ええていると蘭様が「昇進だぞ」と切り出した。
「昇進……それはどういう意味でしょうか?」
「今日からオマエはただの部下じゃなくてオレたちの〝愛人〟になったんだよ」
「昇進だろ」と無邪気な笑みを浮かべて言う竜胆様になるほどと感心してしまった。けど愛人への昇進と言っても今までとそう変わらない気がするのだけれど。一体何が変わるのだろうか。その私の考えを察したのか竜胆様が「別に対して変わんねぇよ」と言った。なら態々言うことなのだろうか。首を傾げると蘭様も同じく首を傾げた。
「でも、言わねぇとオマエ勝手なことしそうじゃん」
「……勝手なことですか」
裏切る気は起こさないだろうと言われながら勝手なことをしそうな女に思われていたのか心外だ。それが伝わったのか竜胆様が神妙な顔する。
「オレたちの役に立とうと他所に男作ったり、他の組織の愛人になったりとか」
「そうそう。勝手にハニトラとかし始めそうだよなぁ」
竜胆様の言葉も、蘭様の言葉もグサグサと刺さる。それは確かに何かあったら行動しそう。でも、無断ではするつもりもないし、何ならお伺いしてから行動するのに。むぅと唸ると両隣のソファが沈んで嗅ぎ慣れた香水と煙草の匂いがした。
「今はオマエにさせるつもりねぇから」
「だから釘刺した」と耳元で囁かれたと同時に囁かれた。こそばゆさに肩をすくめるとぐいっと蘭様とは反対方向に身体が引っ張られる。
「いいか、オレたちの許可なく愛人を作ることは〝だめ〟だからな」
竜胆様の長くて無骨な指が私の指に絡んで来る。ぴったりと重なる右手の手のひらからじんわりと熱が移っていく。すると、相手いる左手が取られる。するっと竜胆様とは違う筋張った指が指に絡んで来る。
「ちなみに、セフレもなし」
二人の近さと甘ったるい熱に身体が情事をするのかと錯覚していく。違うのにと思いながら上がっていく熱を吐き出したいが勘違いされてはいけない。何とか飲み込んで「はい」と答える自分の頼りない声。
「随分頼りねぇ返事だな」
「もしかしてもういんのか?」
「いませ、ぁっ」
言う前に耳が噛まれる。一体どちらにと見る前に胸元に手が差し込まれる。
「ぁ、まって、だれかっ」
「ん。来ねぇよ」
「人払いはオマエが来る前にしたから」
大丈夫と同時に言われてなら平気かと熱で溶けた思考で納得する。
「ハハッ、ほーとに弱ぇよな」
「こんなんじゃ他の男となんかムリだろ」
もうどっちが、どっちの声だか分からない。けれど確かに自分はこういう熱に弱い。情報を引き出すとか無理かもしれない。何だか反社の女として情けなく脆くなった涙腺のせいで涙が零れる。
「おいおい。なに泣きそうな顔してんだぁ?」
「んン、なん、だか、なさけなくて」
ぐいっと蘭様の方に顔を向けられて親指で軽く涙を拭われる。メイクが落ちないような配慮に感謝しながら私もなんとか泣くのを止めたいが馬鹿になった涙腺のせいで止まらない。
「オマエって意外に涙もろいよなぁ。で、何が情けねぇんだよ」
今度は竜胆様の方に顔が向けられて同じように涙を拭われる。私は涙をポロポロ零しながらバカ正直に気持ちいいことに弱いことを告白したら二人同時に笑われた。ひとしきり笑った二人はまた私の身体に大きな手を這わせながら耳元に唇を寄せた。
「仕方んぇよ。だって、オレたちが仕込んだんだから。なぁ、竜胆」
「兄貴の言うとーり、だから、泣くことじゃねぇよ」
「けど」と言い募ろうとした唇が蘭様に塞がれた。再び蘭様の方に顔を向けさせられ角度を変えてキスをされて私はいつも通りに唇を開く。にゅるっと差しこまれた舌に自分から絡めに行く。すると、その間に竜胆様が衿を引っ張って胸元が涼しくなる。
「あ、そうだ。ひとつ言い忘れたことがあった」
「ん、ふっ、はぁっ、ぇ?」
竜胆様が思い出したように言うと蘭様のキスが中断された。はぁと息をしながら竜胆様の方を見ようとすると顎を掴まれて戻される。そこには笑っていない蘭様の顔があった。この顔、三人でするときにたまに見る顔だ。
「おい。兄貴」
「竜胆。言い出すタイミング悪ぃぞ」
「だって、思い出したから――ごめんって」
弟の竜胆様の劣勢を感じながら私は整った息で「なんですか?」と目の前に訊ねる。興が削がれたような顔をする蘭様は弟の竜胆様の名前を呼んだ。
「おい。橙子」
竜胆様の方を向くのかと思ったら蘭様はやっぱり私から手を離してくれない。私はそのまま「はい」と返事をする。
「最後に、恋人を作るのは言語道断――だからな」
私は揺らぐことなく「はい」と答えると目の前にいた蘭様の表情が一転して満足気に口角を上げた。その満足気な顔のまま近づいてくる蘭様を私は目を閉じて迎え入れ、後ろから身体を弄る竜胆様の手を受け入れた。
この日、私は泥沼にはまったのだとこのときの私はまだ知らない。
**タイトル**
お題配布サイト『エナメル』様から
お題『ここは奈落の花溜り』より抜粋
2016年某月から4ヶ月
飼う方がいなくなったお二人と過ごす時間が以前にもまして増えた。
これに私は少々悩んだ。以前は身体の関係があってもお二人は線引きが薄らとしてあった。それに従順に従っていたのがここ最近それも崩れつつある。つまり、距離が近くなった。男女の肉体関係の前に上司と部下という関係があるのだがいいのだろうか。
でも、私からしたのではないし――お二人がいいのならいいか。こうして少々悩んでいた悩みを解消させた。
けれど別の悩みで私は頭を痛ませていた。1ヶ月前、竜胆様に「年下扱いするな」と言われて気をつけている。気をつけているのに竜胆様は何かにつけて「年下扱いするな」「親心出すな」「オレの行動に感動するな」などなど言うのだ。ただ見ているだけでまるで念には念をというように繰り返し言う。
「そんなんあいつを年下扱いしたオマエが悪いんじゃん」
「それは、そうですが」
朝食を共にしながら蘭様が一人愉しそうに笑う。どうやら竜胆様と私の不毛なやり取りを傍観して愉しんでいるご様子。蘭様らしいといえば蘭様らしい。
「けど……その竜胆様の反応って年齢からしますと可愛らしくないですか?」
私よりひとつ年上の28歳。だというのにその顔立ちは若々しい。でも、ただ若いのではない。そこはやっぱり裏社会に生きる男特有の危険な空気を纏っている。危険なニオイがする男がその若い顔立ちで素直で無邪気な顔を見せえたらどうなる。答え、ときめくし、母性が刺激される。今考えればそういう女の部分を突かれたと思うが――あの方は上司。身体の関係はあっても無意識に男性と見ないようにしたのかもしれない。そして、仇となったということだけど――やっぱり。
「竜胆様は可愛いお方なのです」
「オレの弟でも?」
「はい」
性格の端々に蘭様に似たモノを感じる。それでもやっぱり可愛らしい人だ。
「へぇ。じゃ、もしかしてオレのことも可愛いとか思うときあんの?」
意外な質問に素直に答えていいものか逡巡する。けれど、相手は蘭様。答えても答えなくてもきっと不機嫌になるときはなる。そういう気まぐれなお方なのだ。
「失礼を承知で申し上げますと何度か」
言って少しの後悔。誤魔化すのに出し巻き卵を口の中に突っ込むけれど味がしない。こんな食べ方をして出し巻き卵に申し訳なくなりながら飲み込んで蘭様を見る。
目が合った蘭様はゆるりと首を傾げると長い前髪がさらりと垂れた。それを長い指で払いながら機嫌良さそうに口を開いた。
「ならあいつが可愛く見えてもしかたねぇな」
「ま、可愛いことは事実だし」と言う姿は機嫌がいい。その姿を見て安心しつつも蘭様はさらに「オレが育てたんだから」と言ってドヤ顔をする。
でも、そういう顔をするくらいに蘭様は竜胆様のことを可愛く愛でていらっしゃったんだろう。なら竜胆様が年齢よりもこう可愛いのは蘭様のせいではないか。でも、まぁ、弟を可愛がるなというのは言えないので何も言わないけど、この先どうしよう。
「おい、もうお手上げか? つまんねぇぞ」
考え込む私に途端に蘭様はつまらなそうに口角を下げる。私は面目ないという気持ちと少しのヒントが欲しいと縋るように蘭様を見る。
「だって何も言っていなのに、ちょっと見ていただけで言うんですよ」
「なら、オマエがそういう目してんじゃねぇの?」
「暖かい眼差し」と茶化すように言う蘭様に思わず唸る。最近は男性として見ないようにもしているから〝無〟を貫いているつもりなのだ。だのに、竜胆様は何か感じるのかもしれない。
「ま、せいぜい愉しませろよ」
悩む私の傍ら蘭様は一転愉しそう笑う。ついでに「オレ、今度は甘いの食べたい」としっかりとリクエストしているのだった。
* * *
仕事もひと段落し家に帰ろうとしたときに竜胆様から「いまから行く」と簡素な連絡があった。夕飯という時間でもないし最近はお二人がよく来るから冷蔵庫の中身も平気だろう。なら、あとは私自身の準備のみと帰宅した。
シャワーを浴びて服を竜胆様が好む服に着替えてメイクも整える。最後に髪をセットしたところで竜胆様がやって来た。
「お疲れ様です……」
「おう」
薄らと疲れを滲ませた竜胆様に私は一応食事をするか訊ねてみる。案の定竜胆様は首を横に振って断った。ならシャワーを浴びますかと訊ねるよりも早く竜胆様はソファに座り背もたれに身体を預けた。
「随分お疲れのご様子ですね」
隣に座るのも憚れて立ったまま訊ねる。竜胆様はぼんやりと天井を見上げたまま「部下がやからしてな」とだけ零す。
「お茶飲みますか?」
「いらねぇ」
掠れた声でそういうと天井を見つめていた竜胆様の顔が動き私を捉えた。よくよく見れば疲れているはずの瞳はギラギラとしている。その瞳にようやく慣れた私はこの方が望むことを口にする。
「部屋に行きますか?」
膝をついて竜胆様の大きくて無骨な手に触れる。すると、その手はすぐに大きな手に囚われて指が絡む。何だか甘えたような仕草に眦が下ると――。
「またかよ」
地を這うような声と共に竜胆様はぐっと眉を顰めて顔を歪める。私は我に返って慌てて首を横に振る。
「ち、違います。誤解です。いまのは違うんです」
「何がちげぇんだよ。チッ、オマエ学習能力がねぇのか?」
疲れも相まってなのか声は低いし当たりが強い。それにしおらしく応えるのがいいのは分かっているけれど私の中でもブチと何かが切れた。
「だからッ! 微笑ましいなんて見ていません! 今のはあなた様が可愛らしかったからだけです!」
大声で反論してしまった。すぐに謝ればもしかしたら許してくれるかもしれない。けれど、私も引かない。そもそももうどうしていいか私には分からなかった。こんなことで命を失うのは残念だが仕方ない。
「かわ、いいって、ふざけてんのかッ!」
「ふざけてなんかいません! 今の普通に可愛くて女としてときめいただけです!」
「は、はぁ? どこにときめくポイントがあんだよ!」
白い頬をカッと赤くさせる竜胆様。それは先ほどの危険さはなく私は畳かける。
「男性が女性のことを可愛いって思うのと同じく女性が男性を可愛く思う時があるんです」
「それはオマエがオレのこと年下扱いしてっからだろ!」
「違います! たしかに以前はそうでした……けど今は違います!」
何が違うんだ、と言いたげに目を細める竜胆様に私は素直に答える。
「あなた様のような魅力的な男性がふいのギャップにときめいているんですッッ!」
自分で言って急に恥ずかしくなってきた。カッと熱くなっていく身体を無視してポカンと口を開ける竜胆様を見つめ続ける。
「竜胆様は私の上司です。でも、身体の関係がありますし、たぶん無意識に一線を引こうと、男性として見ないようにしていたんだと思います。なので、その、年下扱いをしてしまったのかと、その思います」
語尾がどんどん小さくなっていくし、しどろもどろになっていく。恥ずかしい。なんか自分の性癖を晒しているようなときめきポイントを曝け出すのは恥ずかしい。そもそもこれだと上司であるあなたを男性として見ていますと告白しているようだ。自分が気持ち悪い。もう殴ってください、という気持ちでいると。
「……兄貴は? 兄貴のことも可愛いって思ったことあんの?」
下げていた視線を上げると真剣な表情の竜胆様がいた。あまりの真剣さに言葉を失くすと竜胆様が「どーなんだよ」と催促してくる。
「はい。あります」
「ふぅん」
兄弟同じ質問に同じ反応。でも、竜胆様の方がやっぱり少し分かりやすい。垂れ気味の目尻がさらに溶けて、口角も少し緩んでいる。どうやら満足いただけたようで命を張ったかいがあった。
「確かに兄貴も可愛いところあるしな――ん、いいよ」
弟から見てもそんな場面があるのか。ほんとに仲のいいご兄弟だ。誤解が解けたことに安心していると名前を呼ばれる。何ですかと顔を上げると「こっちに」と繋がったままの手を引かれる。隣に座れということなのかと立ち上がって右隣に座ろうとしたら「ちげぇ」と言われた。では、と腰を浮かせたまま訊ねる前に身体が動いた。
「ぇ、いま、え?」
どう身体が動いたかもわからず私は竜胆様の膝に横座りになっていた。なんでと呆けた顔をしていたら間抜け面と笑われる。いや、だって、手を繋いだまま何があったとしか言えない。
そんな私の間抜け面を竜胆様が十分に訊ねた後、繋がった手を揺らしながら話し出した。
「さっき、決めつけて悪かったな」
意外な謝罪の言葉に私は首を横に振る。
「もとは私の所為です。竜胆様には随分と不快な思いをさせました」
そう元を辿れば全部私の所為。竜胆様はなんら悪くない。改めて謝罪をすれば「もういいよ」と甘い声で言われた。それにドキとしていると竜胆様が抱き込む様に首筋に顔を埋めて来た。
可愛い甘え方。最近蘭様もよくなさるけれど実はこういう甘え方に私はドキドキしっぱなし。でも、この距離だと心臓の鼓動さえ聞こえてきそうで不安になる。何とか気を逸らしたいけれどいつもよりもさらに濃く感じるシトラス香りと煙草苦い香りに余計に心臓が高鳴る。
何だか身体が熱くなっているとちゅうと首筋が吸われた。それに我に返ると目の前に竜胆様の顔が現れた。その顔に怒りなどの負の要素はなく安心した。
「ここで、よろしいのですか?」
「オマエは?」
「ふふ。聞かなくてもお分かりでしょうに」
笑う私に竜胆様の目尻が下って「だな」と返される。そして近づく顔に私は目を閉じた。
これで一件落着と思って竜胆様と肌を重ねたのだけれど――。
* * *
竜胆様は朝早くから仕事が入っているのか私がベッドから出る前に一言声をかけると出ていってしまった。見送りができなくて残念な気持ちと、人肌が無くなった寂しさを紛らわせて私は二度寝をした。その二度寝のお蔭で体力も回復し夕方に事務所に行くと。
「え。蘭様と竜胆様が」
「はい。先ほどお越しになって姐さんを待っています」
若干青ざめた顔の構成員に私もつられて青ざめる。今日来るなんて聞いていない。もし来るなら竜胆様が朝一言くれたはず。何かあったのかと私はすぐに応接間に飛び込む。
「お待たせして申し訳ありません!」
若干息が乱れるが着物だったから許してほしい。じわりと滲む汗を拭いながら一体何があったのかと思うがお二人はいたって平然としている。むしろ飛び込んで来た私に「焦りすぎ」「大丈夫か?」と言葉を投げかけて来る。何か先走ったかと思いながら息を整えてお二人に訊ねる。
「何か御用があったのでは?」
「ん。あるけど、まず座れよ」
「では、失礼します」
ある、もしかして何か仕事かなと色々頭の中で巡らせ口を開こうとしたときだった。蘭様と竜胆様がそっくりな顔をして「「橙子、おめでとう」」と声を揃えて言ってきた。
「ぇ、あ、え?」
何故いきなり祝いの言葉がかけられるのか。誕生日はもう少し先だし、もしかして上納金が多くてよかったから何かご褒美かしら。組織的に考えるともしかして昇進とか。でも昇進って何って考ええていると蘭様が「昇進だぞ」と切り出した。
「昇進……それはどういう意味でしょうか?」
「今日からオマエはただの部下じゃなくてオレたちの〝愛人〟になったんだよ」
「昇進だろ」と無邪気な笑みを浮かべて言う竜胆様になるほどと感心してしまった。けど愛人への昇進と言っても今までとそう変わらない気がするのだけれど。一体何が変わるのだろうか。その私の考えを察したのか竜胆様が「別に対して変わんねぇよ」と言った。なら態々言うことなのだろうか。首を傾げると蘭様も同じく首を傾げた。
「でも、言わねぇとオマエ勝手なことしそうじゃん」
「……勝手なことですか」
裏切る気は起こさないだろうと言われながら勝手なことをしそうな女に思われていたのか心外だ。それが伝わったのか竜胆様が神妙な顔する。
「オレたちの役に立とうと他所に男作ったり、他の組織の愛人になったりとか」
「そうそう。勝手にハニトラとかし始めそうだよなぁ」
竜胆様の言葉も、蘭様の言葉もグサグサと刺さる。それは確かに何かあったら行動しそう。でも、無断ではするつもりもないし、何ならお伺いしてから行動するのに。むぅと唸ると両隣のソファが沈んで嗅ぎ慣れた香水と煙草の匂いがした。
「今はオマエにさせるつもりねぇから」
「だから釘刺した」と耳元で囁かれたと同時に囁かれた。こそばゆさに肩をすくめるとぐいっと蘭様とは反対方向に身体が引っ張られる。
「いいか、オレたちの許可なく愛人を作ることは〝だめ〟だからな」
竜胆様の長くて無骨な指が私の指に絡んで来る。ぴったりと重なる右手の手のひらからじんわりと熱が移っていく。すると、相手いる左手が取られる。するっと竜胆様とは違う筋張った指が指に絡んで来る。
「ちなみに、セフレもなし」
二人の近さと甘ったるい熱に身体が情事をするのかと錯覚していく。違うのにと思いながら上がっていく熱を吐き出したいが勘違いされてはいけない。何とか飲み込んで「はい」と答える自分の頼りない声。
「随分頼りねぇ返事だな」
「もしかしてもういんのか?」
「いませ、ぁっ」
言う前に耳が噛まれる。一体どちらにと見る前に胸元に手が差し込まれる。
「ぁ、まって、だれかっ」
「ん。来ねぇよ」
「人払いはオマエが来る前にしたから」
大丈夫と同時に言われてなら平気かと熱で溶けた思考で納得する。
「ハハッ、ほーとに弱ぇよな」
「こんなんじゃ他の男となんかムリだろ」
もうどっちが、どっちの声だか分からない。けれど確かに自分はこういう熱に弱い。情報を引き出すとか無理かもしれない。何だか反社の女として情けなく脆くなった涙腺のせいで涙が零れる。
「おいおい。なに泣きそうな顔してんだぁ?」
「んン、なん、だか、なさけなくて」
ぐいっと蘭様の方に顔を向けられて親指で軽く涙を拭われる。メイクが落ちないような配慮に感謝しながら私もなんとか泣くのを止めたいが馬鹿になった涙腺のせいで止まらない。
「オマエって意外に涙もろいよなぁ。で、何が情けねぇんだよ」
今度は竜胆様の方に顔が向けられて同じように涙を拭われる。私は涙をポロポロ零しながらバカ正直に気持ちいいことに弱いことを告白したら二人同時に笑われた。ひとしきり笑った二人はまた私の身体に大きな手を這わせながら耳元に唇を寄せた。
「仕方んぇよ。だって、オレたちが仕込んだんだから。なぁ、竜胆」
「兄貴の言うとーり、だから、泣くことじゃねぇよ」
「けど」と言い募ろうとした唇が蘭様に塞がれた。再び蘭様の方に顔を向けさせられ角度を変えてキスをされて私はいつも通りに唇を開く。にゅるっと差しこまれた舌に自分から絡めに行く。すると、その間に竜胆様が衿を引っ張って胸元が涼しくなる。
「あ、そうだ。ひとつ言い忘れたことがあった」
「ん、ふっ、はぁっ、ぇ?」
竜胆様が思い出したように言うと蘭様のキスが中断された。はぁと息をしながら竜胆様の方を見ようとすると顎を掴まれて戻される。そこには笑っていない蘭様の顔があった。この顔、三人でするときにたまに見る顔だ。
「おい。兄貴」
「竜胆。言い出すタイミング悪ぃぞ」
「だって、思い出したから――ごめんって」
弟の竜胆様の劣勢を感じながら私は整った息で「なんですか?」と目の前に訊ねる。興が削がれたような顔をする蘭様は弟の竜胆様の名前を呼んだ。
「おい。橙子」
竜胆様の方を向くのかと思ったら蘭様はやっぱり私から手を離してくれない。私はそのまま「はい」と返事をする。
「最後に、恋人を作るのは言語道断――だからな」
私は揺らぐことなく「はい」と答えると目の前にいた蘭様の表情が一転して満足気に口角を上げた。その満足気な顔のまま近づいてくる蘭様を私は目を閉じて迎え入れ、後ろから身体を弄る竜胆様の手を受け入れた。
この日、私は泥沼にはまったのだとこのときの私はまだ知らない。
**タイトル**
お題配布サイト『エナメル』様から
お題『ここは奈落の花溜り』より抜粋
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